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たそがれ映画談義: 夏(7月19日)、原田芳雄5周忌

夏(7月19日)、俳優原田芳雄(1940~2011)が71歳で逝って早や5年になる。

原田が演じた「命」「輝き」「死」を巡っての二つの映画を想う。

夏前に、原田の5周忌として、「アジール 空堀」で『火の魚』上映会しようかな、と考えている。ご同意の方、通信下さい。

 

【われに撃つ用意あり】(1990年公開)

先日、CS放送が若松孝二監督:『われに撃つ用意あり』(原作:佐々木譲「真夜中の遠い彼方」)、を放映していた。映画公開から何年か経った1997年に観た。今回、約20年ぶりに観たことになる。

原田芳雄・桃井かおり・石橋蓮司・蟹江敬三・西岡徳馬・小倉一郎・齋藤洋介・佐野史郎・麿赤児・室田日出男など、「なるほど」(1970年前後を彷彿とさせる?)の面々が出ていた。1990年公開とある。

観た当時は、桃井には何の責任も無い彼女の「70年前後」っぽい(と世間が思っている)雰囲気と、彼女の態度やセリフが気恥ずかしく・白々しくて、好きな映画とはならなかった。云わば「当事者ではない者」による虚構臭がしたのだ。

全共闘として60年代末を闘い、仲間たちや元全共闘の群れから離れ歌舞伎町で飲み屋を営む主人公:郷田(原田)。世を棄てているのでも昔の仲間とは違うと力んでいるのでもない。云わば自分には、「あれ」以降を上手く生きることが出来なかった。ただ、それだけだ・・・、と思っている風だ。事実、今夜で閉店という店に、今日は昔の「仲間」が集って来ている。店に連れて来た教え子たちに嬉々としてかっての「68年武勇伝」を語る予備校教師、ベトナム難民救済運動に力を注ぐ事であの時代との接点を持ち続けようとする都議会議員、バンコクでの買春を自慢げに語る広告代理店社員、如才なく事業展開させている不動産屋、新聞配達で生計を立てている巨人ファンの男、そして、主人公のかっての同志で恋人だった雑誌編集者:桃井・・・。郷田は彼らを羨むことも蔑むことも無く、淡々と付き合っている。

その営業最終夜、追われて息咳切ってその店に飛び込んで来たのは、タイ領内の難民キャンプから来たベトナム人の少女。人身売買のヤクザを射殺し追われているという。郷田は彼女を助け匿う。

密入国・・・、警察への通報とは行かない。撃つ覚悟を持ってしか対峙できない相手は、新宿を牛耳る暴力団と香港マフィアだ。「あれ」以降、郷田が沈黙し行動停止して来た何かに炎が灯る。それぞれの対応に、それぞれの現在が映し出されるという「分かり易い」色分けだ。

68年10.21の映像が何度も流れる。これは、新左翼運動史を綴ったドキュメント映画「怒りをうたえ」からの引用だ。

「あの時代をどう総括し、どうオトシマエをつけたのか? 若気の至りとばかりに社会人として成功する者、拘り続けて取り残される者、いかにも、と思えるそのコントラストの描写が見事だ。」と映画解説チラシにあったが、当時「そうなのか?」と違和感を抱いた。勝ち組(俺たちは現象的には負けたとしても、その根本において、その精神性において「勝った」のだとして総てを見ている、ワシとは違う人々。)の匂いがした。

桃井の「それっぽい」風貌や語り口はともかく、仰々しいスジ立てや派手な立ち回りの物語に辟易したのだ。桃井が、仕事や立場や女性の現実的条件を顧みず、暴力現場の「道行き」に同行決行の姿は、活劇を超えマンガだ。物語のリアリティ(が在るとして)を損なわせている、と想った。

 

何故ここには、ある種の労働現場性・現業性・日常性の中で、なお「我らの隊列」を模索しようとする人物が不在なのか?

何故、このような「撃つ」用意だけが、我らに欠けていた・我らが確保すべき「用意」だと思うのか?

その非日常への過剰な傾斜・想い入れが、逆に「当事者でない者」による虚構臭の核心ではないのか?そう想って観ていた。

この作品を観た97年当時、ぼくは1977年に始めた労働争議の果ての職場バリケード占拠・労組自主経営企業の、経済的断末魔の中でこれらのクエスチョンを抱いていた。(1998年に労組自主経営企業は、20年強の悪戦の果てに破産する)

今回観て、ふと先年見た原田の準遺作『火の魚』を想った。

 

『われに撃つ用意あり』1990年、原田50歳時(1940年生まれ)、命のやり取り、ハードボイルド(?)。

『火の魚』2009年、原田69歳、死の2年前。若い編集部社員:尾野真千子とのやり取りが映し出す「いのち」「死」「輝き」・・・。

原田は自身の癌を知っていたと言われている。

原田芳雄 FB投稿

 

 【火の魚】(2009年初放映TVドラマNHK広島)(文は、2013年ブログより)

『大鹿村騒動記』(おおしかむらそうどうき)が、2011年7月16日公開され、

公開3日後の2011年7月19日に原田が死去したため、この「大鹿」が彼の遺作だ。

が、ぼくは2009年初放映のNHK広島局の『火の魚』が遺作と呼ぶにふさわしいように思っている。

2009年 NHK広島放送局制作。ギャラクシー賞・イタリア賞・放送文化基金賞など多数受賞。

広島の小さな島から届けられる物語。テーマは「命の輝き」。

先日、原田芳雄の二周忌だった。彼の最晩年のTVドラマ『火の魚』(2009年)の再放送を観た。クレジットに原作:室生犀星とあった。原作は1960年の作だというが、時代を現在に移したシナリオに違和感はない。違和感がなく今日の視聴者に届くというそのことに、何かの可能性と作者の「力」を観た想いがする。

初老の元人気作家:かつて直木賞も受賞した自称文豪村田省三(原田芳雄)は、故郷の島へ帰って単身で暮らし、奇行(?)から「変人」扱いされ嫌われ者として作家活動を続けている。ある日、出版社から原稿を取りに編集者:折見とち子(尾野真千子)がいつもの男性編集者と違っていたことを、出版社に軽んじられたなと激しく立腹する。若い女性編集者を、見下し小バカし、偉そうに命を語り、人生を説く。彼女がかつて子どもたちへの影絵人形劇に取り組んでいたと聞くと、島の子どもたちにしてやれと強引に指示する。折見の側も怯まず、村田の直木賞受賞前後以降の作品は「なまけている」し「売文」だと内角直球の辛辣批評。連載中の作品に対しても、作品に登場する「金魚娘」を酷評し、「描かれている女性はカラッポでいただけない。メイド喫茶のメイドのようだ」と抗議。メイド喫茶を知らず「冥土か?」とたじろぐ村田が「お前、俺の作品を読んではいないんだろう?お見通しだ。」と返すが、折見は村田の全作品すべてをキッチリ読み込んでいた。

次の連載分を受取りに来た折見は、「金魚娘」の死と連載終了を知らされる。村田は「お前のせいで金魚娘を殺したんだ」と嫌味を言う。彼女が「魚拓作りは得意なんです」と漏らすと、すかさず単行本化に備え表紙を作ろうと言い出し、表紙画に金魚の魚拓をと、執筆机の金魚鉢の金魚の魚拓を作らせてしまふ。歳を重ね「ふんべつ」盛りでもある(はずの)村田は、度重なる無理難題要求の末に、意地悪く明らかに筋違いの悪ガキの「好きな子虐め」のような、「金魚娘殺し」(?)への報復遊戯の挙に出るのだった。

金魚に薬品を注射し「いのち」を絶ち魚拓を作る、そのシーンの原田と尾野の息詰まる演技は圧巻だった(これは性的関係願望の代替行為だ、と某ブログにあった。が、そう言い切ってしまっては、ここの想波の屈折からは離れてしまふ)。 これは「師弟愛」なのだ。

尾野の頬をつたう涙…。

日が経っても表紙の完成の知らせが無いことに苛立つ村田は、出版社に催促の電話を入れ、意外なことを知らされる。女性編集者折見は入院中だった。しかも再発による再入院だ。

慣れない花束を抱えて、9年ぶりの上京を敢行して都内の病院へ見舞いに行く村田。抗癌剤の影響で脱髪して帽子を被った彼女との、病院中庭でのラストシーン、その遣り取りに凝縮する、初老男の悔悟・恋情、死に向かう若い女の誠実な「生」・その秘やかで毅然とした矜持……大作家を向こうに回して全く怯まない折身さん…。

尾野真千子さん、ホントに見事だった、素晴らしい。原田芳雄はいつも通り「ぼく好み」だった。

「先生がそんな大きな花束を持ってかれこれ2時間も座っておられるせいで、病院中の女が色めき立っております。」

「折見・・・悪かったな」

「何のことでしょう?」

「すべてだ。気の進まない人形劇をやらせ、年寄りの愚痴を聞かせ、金魚を殺させ…」

「先生。私、今、モテている気分でございます。」

「あながち、気のせいでもないぞ。」

若い者の癌。半年か、数年か…やがて折見は絶命するのだろう。

脚本:渡辺あやさん、素晴らしい!

 

『われに撃つ用意あり』(原田芳雄49歳、若松孝二53歳、佐々木譲40歳)の後半のある種の軽さや擬ハードボイルド調展開への違和感は拭えないのだが、『火の魚』を思い出したからか、「死生観」や自他の「いのち」に向き合う固有のハート・時代を生きるある誠実を思った。二つの映画を足して二で割れとか、その中間に答えが在るとか、そう言いたいのではない。異なった位相に棲む心の振幅を二つながらトータルに感得するところに、ぼくの「撃つ用意」を築きたい、そう思ったのだ・・・。

 

 

たそがれ映画談義: 山田洋次新作『家族はつらいよ』

『男はつらいよ』の間に撮った1970年『家族』は秀逸だった。
以来、寅さんシリーズ最終作1995年『寅次郎 紅の花』までの25年間の9本を含め、寅さんシリーズ以外の作品もそれぞれ高く評価されている。
中でも『家族』『幸福の黄色いハンカチ』『ダウンタウン・ヒーローズ』は
ワシが大好きな映画だ。
小百合さんの圧倒的な神話的個性を超えられなかった『母べえ』『おとうと』以降は『小さいおうち』の松たか子が光ってはいたが・・・。
間もなく公開の『家族はつらいよ』、どうだろう?
4月、「アジール 空堀」で、熊沢誠先生が『山田洋次の軌跡』と題して鋭く語られるはずだが、実に楽しみだ。

つらいよ家族は

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『家族』(1970年)『故郷』(1972年)『同胞』(1975年)
『幸福の黄色いハンカチ』(1977年)『遙かなる山の呼び声』(1980年)
『キネマの天地』(1986年)『ダウンタウン・ヒーローズ』(1988年)
『息子』(1991年)『学校』(1993年)『学校II』(1996年)
『虹をつかむ男』(1996年)『虹をつかむ男 南国奮斗篇』(1997年)
『学校III』(1998年)『十五才 学校IV』(2000年)
『たそがれ清兵衛』(2002年)『隠し剣 鬼の爪』(2004年)
『武士の一分』(2006年)『母べえ』(2008年)
『おとうと』(2010年) 『東京家族』(2013年)
『小さいおうち』(2014年)『母と暮せば』(2015年)
『家族はつらいよ』(2016年)

因みに、寅さんでは『寅次郎 忘れな草』のリリーさん(浅丘ルリ子)は最高のマドンナでしたね。あれ一作で、あとは「行方知れず」でよかったんやけど。

映画談義  趙博「声体文藝館」『飢餓海峡』

アジール−スケジュール

アジール 空堀 第二回集い:『熊沢誠 映画を語る』

10月15日(木)17:45~「アジール 空堀」第二回イヴェント。
『熊沢誠 映画を語る Vol:1』
「労働コミュニティの動揺と再生…イギリス炭坑労働者の周辺」‐『パレードへようこそ』『ブラス!」』『リトルダンサー』等に触れて…
【於:谷町六丁目空堀通:「ビストロ・ギャロ」】
21名の参加を得て盛会・好評のうちに 21:00に終了。

熊沢先生の「映画というフィクションが、時にドキュメント以上のリアリティをもって迫って来る」という熱い想いに支えられた映画歴披瀝から始まるお話は、労働コミュニティに触れる辺りから、俄然熊沢節となる。心を打つ最近の映画から、近似世界を扱った過去の映画を辿り、課題の全体構造・社会・人物を俯瞰する位置取りに、並々ならぬ映画ファン振りがうかがえる。
労働運動に限らず、そのコミュニティや社会の内部からだけでは、時に事態や問題の核心が見えない・掴めないことがある。むしろ、その周縁や外部、外部との境界にこそ課題の核心が生きていることがある。(あらゆる社会科学の根本はここだ)
『パレードへようこそ』は、大争議中炭坑労組へ多額のカンパを申し出たのが、「ゲイ・レズ」の団体だったという実話を元に描かれるが、家父長意識や伝統的な価値観を疑うことなく営まれてきたコミュニティが、動揺・解体・消滅の危機に在るとき、その再生への足掛りは「周縁や外部、外部との境界」に息づいているという示唆でもあろう。アジール熊沢6

「1945年8月・日本」 「ゾラの視角」 「兵士の帰還」など、その演題を聞いただけで身震いするような予定テーマを披瀝いただいたが、次回の 『・・・・を語る』 が待ち遠しい、とは参加者の弁。
思うに、熊沢誠の、時に「度外れた」と揶揄される「イギリス炭坑労働組合人心の核心への、破格の信頼」や、「あるべき」労働組合への果てることなき希いは、実のところ労働運動や社会運動で出会った人々や身近な人々への情愛に起因しているのだと思えて来る。その「破格の信頼」を、絵空事にしないという意地と覚悟が、彼の学問を形成して来たとワシは思っている。
それは「映画を愛する心」と分かち難く結ばれ、ひとつのものだ。

ハラハラした YouTube からの予告編上映は上手く行き主催者としてはホッ~だった。

たそがれ映画談義: 『日本のいちばん長い日』

8月8日、映画『日本のいちばん長い日』が公開される。

原田真人監督、半藤一利原作。

ポツダム宣言受諾を巡る、軍強硬派・政権中枢・宮内庁の闇闘のノンフィクションだ。

かつて(1967年)、岡本喜八監督の手によって映画化された。確か、大宅壮一原作とあった。今回、原田が映画化した。日本の

原田真人監督、いくつか好きな作品がある。原田真人 作品

『さらば映画の友よ』(1979):

全共闘シンパの青二才(副主人公浪人生)のふと言ってしまった気分・グチ「(俺が恋する彼女=<若き日の浅野温子>をイロにしている)(あのヤクザを)殺してやりたい」を実践してしまう、元映画大部屋俳優・うなぎ屋職人(主人公:川谷拓三)の、ヤクザ親分刺殺。青二才との約束(?)に賭けた「思い込みの美学」「一匹狼の言行一致」。ヤクザ刺殺の現場には、何と「東大安田講堂攻防戦」の実況中継がTVかラジオから流れているのだ。青臭いボクへの痛烈な皮肉だと想えた。

『バウンズ ko GALS』(1997):

渋谷の街で「援交」を巡って、銭は奪うが体は許さないという荒稼ぎ。ヤクザを敵に回し動く、3人娘の痛快活劇。インテリヤクザが元全共闘(役所広司)で、その知的仲間らしい桃井かおり。自嘲気味にインターナショナルを唄ったりするのだが、桃井が出て来ると(『われに撃つ用意あり』もそうだった)、ホンマぽくってだから嘘くさいのだが、主人公の3人娘は、役所・桃井を超えて鮮やかだった。まぁ、寓話だが、ここでも全共闘の無惨を言っていた。

『クラーマーズ・ハイ』(2008):

地方紙記者の矜持と、読者獲得・全国紙への対抗心・言論内の政治的忖度との葛藤、などが重厚に描かれていて、好きな作品だ。これは原作の力か?

 

今回の映画化、役所広司のインタヴュー「一人責任負った阿南に共鳴」などから、阿南陸相を称え、アジアへの視線の欠落・対米戦争だけを特筆、また天皇の「積極関与言動」を免罪する映画なのかもと不安もあるが、「軍をなくして国を残す」と言ったとされる阿南陸相の言葉を引用した原田のコメント記事を読んで、観ようと思っている。原田真人 記事

前天皇の、対中戦争~日米開戦前夜~真珠湾奇襲~ミッドウェイ海戦~サイパン陥落~沖縄戦~ポツダム宣言受諾、都度の言動は戦後いくつか明らかになっている。「ご聖断」の時期によっては、大空襲・沖縄・広島・長崎は避けられたのだという指摘や、戦後アメリカに沖縄を進んで差し出したという言動証言が、本木雅弘という端正なマスクの誠実青年の起用をもって歪められるのか? 気がかりだ。ポスターの各コピーにその傾向を観てしまふ。

 

交友録・映画談議 自民改憲キャンペーンと映画『国際市場で逢いましょう』

汐留の現場の本日予定工事を終え、19:10からの『国際市場で逢いましょう』を観ようと「ヒューマントラストシネマ有楽町」へ向かった。17:45に有楽町に着くと、「イトシア」前広場で何やら街頭演説の様子。あの「八紘一宇」奨励発言で驚かされた自民党女性局長三原じゅん子女史がマイクを握って喋っている。隣には自民党憲法改正推進本部長:船田元、国家安全保障担当内閣総理大臣補佐官の磯崎陽輔が居る。「立憲主義なんていう言葉は聴いたことがない。昔からある学説なのでしょうか?」と語った東大法学部卒の元総務官僚だ。

憲法改正って なあに? (自民党)容易ならざる陣容に「ハハ~ン、改憲キャンペーンやな」としばらく足を止めて様子を見ていいると、若手の運動員が自民党が用意した『憲法改正ってなあに?』という漫画仕立の冊子を配布している。スピーカーからは、例によって「押し付け憲法論」「日本人の、国民の手で憲法を」「他国が攻めて来たらどうするの?」「国力や技術力や経済力から言って、世界平和に貢献せず知らぬ存ぜぬでいいのか」等々のオンパレード。平和の為、日本の平和、世界の平和、が語られ住まいの防犯のような幼稚な例え話や転ばぬ先の杖モドキの「お話」と、現憲法に文言がない「環境権」「犯罪被害者の人権規定」など「改憲しなければならない必然」には届かない話ばかり。現憲法を基礎に法を整備すれば出来ることばかり。国のカタチの変更という一大転換という肝を語れない・語らないのだ。

幹事長:谷垣禎一が登壇してマイクを持ったので、旧宏池会なりの発言があるかと聞き耳を立てていたが、極右に乗っ取られた自民党、安倍主流を出る発言などある訳もない。

聴衆はどうかと言うと、前列に陣取った一群以外は待ち合わせのついでに聴いている風。盛り上がりも熱気もない。しかし、「今は」と但し書きを付けておこう。これを、全国で全領域で、職場や地域を挙げて、繰り返し繰り返し橋下的スターを揃えて打ち出せば、風景は一変するかもしれない。

改憲キャンペーンは18:30には終わって、不快感を抱えたまま映画館に向かった。

有楽町駅前

家族・生き別れ・危機一髪場面・貧困・海外出稼ぎ・恋物語・朝鮮戦争後の韓国経済発展史(漢江の奇蹟)・ヴェトナム戦争関与までが詰まっている上に、韓流TVドラマのホームドラマやビジネス物にありそうな仕立に嵌るかと構えながら、朝鮮戦争で引き裂かれた兄妹の「民族の受難」の物語に胸つまらせた。それへの、現代自動車の創業者をチョイ出しする韓国版経済発展賛美映画かい?といった皮肉や、韓国現代史を描きながら、軍事体制・社会問題・民衆の抗い(光州事件を含め)が出て来ないじゃないかという「無いものねだり」を鈍らせる。その韓流マジックと、この半島の現代史が持つ圧倒的な史的「重量」や民の悲嘆「総量」が、日本人のぼくの、映画への批評精神を曇らせる。三代の父と子のストーリーはそのまま現代韓国の、政治性や階層を捨象した「語り継ぐ」世代間物語だが、単純にそうはなっていない。なぜかと考えて、民族の受難の重低音を感じた。

日本では、都市大空襲・戦争現場・銃後の学童疎開・・・などを描く映画でさえ、社会や全体を扱いながら小さな箱絵にあり、私的世界を描いて先の社会に社会性にどうしても届かず、こじんまりまとまってしまいがちであることと無関係ではない、と見当を付けている。主論ではないが、例えば興南港のシーンなどの圧倒的な避難民の遠景は、CGなのかどうか知らないが社会総体が被る受難を観客に感受させるには有効で、そこら辺りも日本映画には乏しい。

沖縄がそこから免れているとすれば、それには「ゆえ」がありそうだ。改憲が叫ばれ、秘密保護法・集団的自衛権行使など戦後が解体されようとしている。改憲志向を根絶やしにするほどの闘いを国民的に体験するか、望みはしないが改憲の果てに「戦前型軍事弾圧国家」となるか・・・という国民的体験の中から、戦後日本には無い「重量」「総量」を獲得できるのかもしれない。だが、いずれの極点にも行かないのではないか。可能性としては、後者=軍事弾圧国家だろうか(繰り返すが、望みはしないしそれは絶対に阻止したいのだ)。「重量」「総量」を掴めぬ永遠の戦後日本というところだとしたら、その泥土からそれを掴む「知性」をこそ育みたい。政権は、戦後日本のその「生ぬるさ」を、逆方向から破壊してみせると迫っているのだ。

 

『国際市場で逢いましょう』で、主人公が妹=マクスンと生き別れるシーンで思い出されたのは、不思議と『火垂るの墓』の妹=節子だった。

映画館を出てエスカレーターに乗って想っていたのは、三原じゅん子、金八先生の生徒:三原じゅん子が成長する過程で、未消化に「八紘一宇」を語る女になるような出会いしか用意できなかった戦後という魔物のことだった。先に言った「重量」「総量」を共有する社会でなら、じゅん子は違う出会いを持てたかもしれない。

安保法制・秘密保護法・集団的自衛権の論争を仕掛けても、それに世界平和・積極的平和主義の稚拙な言い分で反論するだろうじゅん子に示せるのは、『火垂るの墓』の節子、『国際市場で逢いましょう』の妹=マクスンしか今のところ思い浮かばない。

だとすれば、マクスンと節子には、まだ「八紘一宇」に出会う前のじゅん子に届くものがあり、それを囲む「重量」「総量」があるに違いない。

交友録&映画談議:よき土曜日

いい土曜日でした。

中央区新富町の現場が昼一番に片付いたので、チョイ土曜散歩。午後から、
日本教育会館一ツ橋ホールの金城実氏個展「世界を彫る」を覗く。作品「大逆事件と安重根」を前に立ち尽くす。会報「大獅子通信」に某コープの茨木のオバチャン達(失礼!)の氏名を発見。昨夏のアトリエ襲撃時の大酒を思い出し、思わず氏に時間を割いてもらったことへの感謝のメール。

.北へとフラリ歩いて神保町古書店巡り。シナリオ等映画関係専門店で浦山桐郎作品を探す。無かったが、飢えた映画青年(?)気分を思い出す。5・16 土曜日

帰ろうと、地下鉄三田線神保町駅まで来ると、交差点の「岩波ホール」が、『パプーシャの黒い瞳』上映まであと10分だよと誘う。観たいと思っていた作品なので、当然入場券購入してエレヴェーターへ。大収穫だった。
1910年ジプシー(注a)のコミュニティーに生まれた女性パプーシャの人生を辿るストーリーは、ヨーロッパ現代を映し出し、社会主義国を含む「国家」を問い、民族・言語・アイデンティティとは何かを問い、主人公=女の根拠地を探る。
文字を持たないジプシー(ロマ)に在って、独学で文字を得た主人公の数奇な人生は、まるごと少数者・異端者・「異郷の言葉」「文字なき世界」に生きた女の歴史であった。美しいモノクロ映像に圧倒された。

(注a)【ウィキペディアより】
ロマ・ジプシーと呼ばれてきた集団のうちの主に北インドのロマニ系に由来し中東欧に居住する移動型民族である。移動生活者、放浪者とみなされることが多いが、現代では定住生活をする者も多い。ジプシーと呼ばれてきた集団が単一の民族であるとするステレオタイプは18世紀後半に作られたものであり[1]、ロマでない集団との関係は不明である。ロマの人種的分類については、現在でも定説が存在しないため、厳密にどの人種に分類できるかは、いまだに判明されていない。
歴史的経緯をたどると、ロマは西暦1000年頃に、インドのラージャスターン地方から放浪の旅に出て、北部アフリカ、ヨーロッパなどへとたどり着いたとされる。旅に出た理由は定かではないが、西方に理想郷を求めた、などの説がある。彼らがヨーロッパにおいて史料上の存在として確認できるようになるのは15世紀に入ってからで、ユダヤ人と並んで少数民族として迫害や偏見を受けることとなる。ただしユダヤ人ほどこの事実は強調されていない。
最新の遺伝子研究ではインド先住民のドラヴィダ人との類似性が示唆されてきている。

 昨夏の茨木のオバチャン達(失礼!)金城さんアトリエ襲撃。画像がすぐ出て来たので添付しておく(失礼!)。アトリエ金城

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たそがれ映画談義: 『みんなの学校』見た日に、中原辞任!

昨日、十三「第七芸術劇場」で『みんなの学校』を観た。
子どもたちの肉声と生身を捉えた監督・カメラ・スタッフに感心します。
映画には、「学校が変われば、地域が変わる。そして、社会が変わっていく。」という(一見お題目かもの)標語も、子どもたちの「自分がされていやなことを人にしない、言わない」という「一つの約束」も、それが白々しい教育論には全く聞こえない説得力があった。みんなの学校FB
パンフに阿久沢悦子さんが書いている「人がいやがることはしない」という一般の標語と、「自分がされていやなこと」に在る「自分」との間の、落差・相違こそがこの小学校の核心だ(要旨)、と。自分が・・・・、、、。
初等「公」教育は、地域に密着(土着)してこそ、その後の生涯に亘る人間観の基礎が培われるのであって、決して学校選択制・飛び級・英才クラスなどの選別・競争・効率によってそれが育つのではない、という「大空小学校」校長以下教員たちに思わず拍手した。
現場では、カメラに写らない、見せる訳にも行かない現実もあるかも知れないが、公立学校の教員をしている二人の息子と一人のその妻に嫌われない方法で観てもらおうと思う。

帰路、十三名物『風まかせ』に立ち寄り独りで呑んだ。ママ寛子さんと『みんなの学校』談義をしていると、彼女のスマホに情報。君が代起立斉唱口元チェック・女性教育委員へのパワハラ・多くの部下への日常的暴言の男、中原教育長が追い詰められ「辞任」とのニュース。
遅すぎたし、罷免があるべき姿だが、取り敢えず二人で乾杯した ♪♪。
『みんなの学校』こそは、中原教育長(彼を引き入れた橋下が主犯)の
正反対の場所に立つ教育だと心底想う!

彼らのような大人を作り出さないのが、真の「公」教育だ。

たそがれTVドラマ談義: 愛しのエリー

憎しみの相対化、哀しみの普遍化、怒りの浄化、[境界]を超える[民]の自立

【ヘイトスピーチに与する若者よ、2チャンネルで絶叫する君よ】

事情で大阪滞留が続いて、お蔭で年末からNHK朝ドラ『マッサン』を観ている。
物語は、第3コーナーを曲ったのか佳境に入っているのか、売れないウィスキー作りは戦時下を迷走している。やがて皮肉にも海軍指定工場となることで、経済的な難を脱しつつある。
世(第二次世界大戦下)は、鬼畜米英・一億火の玉一色、主人公エリーが街でガキに石をぶつけられたり、養娘が学校でノートに「鬼畜の娘」と落書きされたり、特高がスパイ容疑で家宅捜査に来たり・・・エリーの出身地スコットランド(イギリス)は日本の[敵]なのだ。

ヘイトスピーチに同意したり、その行動に参加している若者よ。『マッサン』を観て、もし、少しでも心を動かすなら、国・民族・戦争と「民」とは「違う」ということの欠片を理解するなら、どうかその気持ちを、アジアにも、隣国にも、戦火に散った自国の人々にも向けてくれ。日本だけが「美しい国」だなどということの「幼児性」「恣意性」「排外性」、、、「南京大虐殺」はなかった・沖縄の「集団強制死」はなかった・あの戦争は「侵略戦争」でなない、などの歴史修正主義が受け入れられる世の、人々に棲む心性の根っこを凝視してくれ。
エリーには心を寄せる、だが[中・韓は憎い]と言う君、どうか自立してくれ。マッサン

たそがれ映画談義: 祝!安藤サクラさん キネマ旬報主演女優賞

映画ヒロイン正月5日素晴らしい映画に出逢った。『百円の恋』だ。実は熊沢誠先生のFBを拝読しての行動だ。(熊沢先生と趙博氏の推薦はいつもハズレがない。)

日本映画史に残るヒロインの誕生だと思う。2014年度の主演賞を総ナメしそうな予感がする。(1/6 FBより)

 

【あらすじ】(公式サイトより)

32歳の一子(安藤サクラ)は実家にひきこもり、自堕落な日々を送っていた。

ある日離婚し、子連れで実家に帰ってきた妹の二三子と同居をはじめるが折り合いが悪くなり、しょうがなく家を出て一人暮らしを始める。夜な夜な買い食いしていた百円ショップで深夜労働にありつくが、そこは底辺の人間たちの巣窟だった。

心に問題を抱えた店員たちとの生活を送る一子は、帰り道にあるボクシングジムで、一人でストイックに練習するボクサー・狩野(新井浩文)を覗き見することが唯一の楽しみとなっていた。

ある夜、そのボクサー・狩野が百円ショップに客としてやってくる。狩野がバナナを忘れていったことをきっかけに2人は距離を縮めていく。なんとなく一緒に住み始め、体を重ねるうちに、一子の中で何かが変わり始める―――。

 

「ぼくの日本映画鑑賞史」上のヒロインベスト10は、

『ここに泉あり』の岸恵子。(1955年、監督:今井正、脚本:水木洋子、共演:小林圭樹・岡田英次)

『洲崎パラダイス赤信号』の新珠三千代。(1956年、監督:川島雄三、共演:三橋達也・轟夕紀子)

『秋津温泉』の岡田茉莉子。(1962年、監督・脚本:吉田喜重、共演:長門裕之)

『非行少女』の和泉雅子。(1963年、監督:浦山桐郎、脚本:石堂淑朗・浦山桐郎、共演:浜田光夫)

『飢餓海峡』の左幸子。(1965年、監督:内田吐夢、脚本:鈴木尚之、共演:三國連太郎・伴淳三郎・高倉健)

『清作の妻』の若尾文子。(1965年、監督:増村保造、脚本:新藤兼人、共演:田村高廣・殿山泰司)

『私が棄てた女』の小林トシエ。(1969年、監督:浦山桐郎、脚本:山内久、共演:河原崎長一郎・浅丘ルリ子)

『寅次郎 忘れな草』の浅丘ルリ子。(1973年、監督・脚本:山田洋次、共演:渥美清・倍賞千恵子)

『赤目四十八瀧心中未遂』の寺島しのぶ。(2004年、監督:荒戸源次郎、共演:大西滝次郎・大楠道代・内田裕也)

『悪人』の深津絵里。(2010年、監督:李相日、原作:吉田修一、共演:妻夫木聡・満島ひかり・岡田将生)

なのだが、ベスト11にして、この映画の安藤サクラさんを加えたい。

『百円の恋』の安藤サクラ。(2014年、監督:武正晴、共演:新井浩文)

底辺ダメ女の「起ち上がり」は、引きこもり・女の生きにくさ・格差学歴社会などを、抑制されたセリフの中に描き、

愛と怒りに充ち、ワシらへのたまらん応援歌にもなっている。

シナリオの段階でこの作品を見出した松田美由紀さん(故松田優作夫人)らの眼力に脱帽です。

一子(安藤サクラ)の痛覚と恋情。それこそが人が連帯と自立へと向かう契機だ。

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