Archive for 4月, 2010

交遊通信録: 淡路から4分 「オリーブガーデン」をよろしく

大阪の各位殿

 いわゆるゴールデンウイーク。
今年は、幸か不幸か現場がないので、これ幸いと帰阪した。 (よって大阪発信)
29日、女房の友人F氏(朝鮮語市民講座の講師、各種取組情報の提供者)のお連れ合いが出した、
東淀川区は淡路の「店」=「オリーブガーデン」を訪問。
 チラシによれば、
絵本のある店(自分も気に入った本を中心に、絵本コーナーも併設)
ハーブ・ティーをどうぞ(きっと、あなたにドンピシャのハーブに出会える)
手づくりケーキ(甘さ控えめ天然酵母製)
こだわりランチ(素材にこだわったメニュウ)      とのこと。
 27日オープン。この日は、開店3日目。
行ってみると、なかなかの頑張り。ランチもケーキもGood。
みなさん、是非行ってみて下さい。
この市民講座講師(某大学講師、某**など忙しい)のF氏は、偶然「名」がぼくと一字違い、話してみると、
某ヘボ高校の15年ほど後輩(どうでもいいが)とのことで、
かつ、ぼくなりにこだわる世界・学びたい世界の参照先でもあった。どこかの大学が助教授として迎えるべし
この男から多くを学んだし刺激を受けた。某ヘボ高校にも「こんな男」が居たのかと嬉しかった。
そして、店を出したお連れ合いも、なかなかの個性人。
応援したくなるは当然。——よろしく———–!
 
大阪市東淀川区菅原 5-3-10 「オリーブガーデン」
(阪急京都線「淡路駅」下車。東出口より徒歩4分)
EL:06-6328-5969
  
Photoは、左から「店頭掲示板」「絵本コーナー」「ランチ(+ハーブティーorコーヒー)」「お店外観」

4・25「普天間基地の早期閉鎖・返還と、国外・県外移設を求める県民大会」

普天間移設 沖縄の意思は「県外」 県民大会に9万人

「米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の国外・県外移設を求める県民大会」(実行委主催)が
25日、同県読谷村の運動広場であり、主催者発表で約9万人が参加した。
超党派の普天間移設の大会は初めてで、仲井真弘多知事も初参加。
「県外」を求める沖縄ぐるみの強固な意思を改めて政府に突き付け、
県内移設を断固拒否する姿勢を示した。 (4月25日17時27分配信:毎日新聞)
 
沖縄県民大会と同時刻、東京は三宅坂、社会文化会館会場では入り切れず立ち見が出るほどの
多くの人々が「4・25沖縄県民大会とともに声をあげよう」と集まった。舞台上の大スクリーンには、
読谷村運動広場の模様が同時中継され、この日全国で行なわれている同趣旨の集まりが紹介された。 (品川宿かわら版)
 
下は、「沖縄タイムス:速報」と、東京での集会とデモの様子。

 
                                                                                                                                                                                                              
                                                                                                        基地があるのは、沖縄が望んだからではない。60数年前の、日本の売渡し・アメリカの強奪、その合作だ。                                                                                      市街地住宅密集地の基地・・・、即時閉鎖返還、当然でしょう。                                                            民主党政権、義理(不当だが、そして永すぎるが) は果たしたとアメリカに言え!
戦争と占領状態(敗戦~土地強奪~基地建設~出撃~殺戮)を終らせる長く永い道の、そこが、最初の一歩だ。                                                                                       「アメリカの戦争」の為の基地なのだから・・・。

たそがれ映画談義: 『幕末太陽傳』、川島雄三、品川宿

幕末品川宿を駆け抜けた「居残り佐平次」、 川島は彼に何を仮託したのか。
  
『幕末太陽傳』(1957年、日活)
監督:川島雄三、脚本:田中啓一、川島雄三、今村昌平、 助監督:浦山桐郎、音楽:黛敏郎。
出演:フランキー・堺、左幸子、南田洋子、山岡久乃、金子信雄、石原裕次郎、小沢正一、芦川いづみ、小林旭、殿山泰司。
何という破天荒、何という爽快、何というアナーキー、何という豪華キャスト。主演フランキーはこの年の賞を総なめにした。
尊王攘夷の志士とその行動、幕末という時代、そして現代をも相対化する川島流反権威の表現であり、相対化の対象は、
国家・体制はもちろん、会社(日活)、尊皇攘夷の志士(現代の自称「革命党」も含めて)まで、全てが含まれる。                                                      その立脚点は「したたかな町人」である。 (映画サブタイトルは「乱世を喰う男」であった。)
刀を抜いた高杉晋作に向かった佐平次に語らせる、あんたらは百姓・町人から絞り上げたお上の銭で、やれ勤皇だ攘夷だと騒いでいるが、こちとらそうは行かねえんでぃ、首が飛んでも動いてみせまさぁ! と。
当時、二度とあり得ない組合せだと言われたスタッフ・キャストが日本映画に残した足跡は、                                                                           今も敬意を込めて語り継がれている。
 
北の吉原・南の品川と言われた品川遊郭。幕末品川宿の雑踏と嬌声と、維新直前の殺気と緊張感・・・。                                                               当ブログのタイトルを軽く「たそがれの品川宿」と命名してしまい、「品川宿:居残り野郎」と自称してしまった当方は、     品川宿の我が庵で、 川島が幕末を借りて描いた混沌に我が身が覆われるのを日々感じていたのだ。
過日、改めて本作を観て感嘆・脱帽・恐縮でございます。恐れ入りました。
戦後日活第一次再建(1953年)の経過、再建三周年の本作制作時、日活からの、                                                            スター級を脇へ押しやったこと(快挙)への異論、制作費を巡る強い要請、等々・・・・ 
この辺りの概略は「川島雄三傳」 ← http://www.sadanari.com/k-sakuhin/baku-st.html に詳しい。
 
45歳で早逝した川島雄三の足跡。TV「驚きもものき20世紀」:川島雄三「サヨナラだけが人生だ」より (是非ご覧あれ)【削除されるかも】
お忙しいむきには、③だけでも観て下さい。
石原裕次郎(高杉晋作)と フランキー・堺(佐平次)               川島雄三(後方)         演出風景。 (左端:川島)                                                       
  
                                                     
 
スタッフ・キャストの猛反対で川島が折れ、実現しなかった「幻のラストシーン」
【佐平次(フランキー堺)が撮影セットを突き抜け、スタジオの扉から外へ出て、現代(57年)の品川の街並みを
<ちょんまげ>頭のまま走り去って行く。 映画の登場人物が現代の格好で佇んでいる・・・】
 
佐平次のように時空を突き抜けたいものだ。                                     
本来、時代は地続きなのだ。 ←  http://www.yasumaroh.com/?p=1738                                                                                                    

交遊通信録&歌遊泳: 童神-わらびがみ

童神ーわらびがみ

Yさま
ぼくも、『八日目の蝉』(NHK火曜10時)観てますよ、あと1・2回で終りますが・・・。
ラストに流れる主題歌は『童神-わらびがみ』ですね。 ええ選曲をしましたね。
夏川りみさんが、1月中旬体調不良で公演をキャンセルしたと知って、ファンの一人として心配していましたが、
妊娠だったそうです。8月出産予定だそうです。  おめでとうございます! やね。
 
                                                                                  
                                                                                              夏川りみ http://www.youtube.com/watch?v=grWLZEXIu2w&feature=related (ウチナーグチ)
あやかじ http://www.youtube.com/watch?v=4NFgLpUd8Jo&feature=related                                                                 MISA  http://www.youtube.com/watch?v=fQfvnmMzcb0&feature=related
HayleyWestenra http://www.youtube.com/watch?v=gq1BKWVWNus
古謝美佐子 http://www.youtube.com/watch?v=V7V-wJYlggc&feature=related (さすがに本家。その存在感。 唄神・母神だ)

排外主義の詐術: 石原よ! 誇るなら、「古代合衆国」たるを誇れ!

石原慎太郎よ! 誇るなら、ちょっとは勉強して
『「古代合衆国」たるを誇れ!』
   「日刊ゲンダイ」によれば、4月17日、東京都知事石原慎太郎が、毎度ながらの
国家主義・排外主義に基づく差別妄言(それも不勉強な)を繰り返している。
(「永住外国人への地方参政権付与」に反対する全国地方議員の決起集会)
 記事によると、発言は次の通り。
「(この会場に)帰化された人、そのお子さんはいますか」      「国会はずいぶん多い」
「与党を形成しているいくつかの政党の党首とか与党の大幹部は、調べてみると多いんですな」
「その子弟たちが、ご先祖への義理立てか知れないが、日本の運命を左右する法律をまかり通そうとしている」
記者が根拠を訊くと、
「インターネットの情報を見るとね。それぞれ検証しているでしょう」
つまり、ネット上の誹謗・中傷やウワサの類の情報をもとに、ペラペラしゃべっていたのだ。
(何のことはない。参照先が2チャンネル他のネット情報だと白状している)
=================================================================================
 記事にある「帰化」(石原発言)(「国籍取得」とか「変更」と言わないのだ)という言葉に込められた支配者論理と排外性と、
「帰化された人」の「お子さん」と言われるのは心外だ・誹謗・中傷だ、とする側に
もし、「いや違います。日本人ですよ」と言いたい衝動があるのなら、                                                              そこに秘められていよう差別性について、考えたい。そこは、
次の機会に譲るとして(記事執筆者には字数制限もあろうし)、ここでは石原論の虚構について述べたい。
     「帰化」という語句の本来の意味は「君主の徳に教化・感化されて、そのもとに服して従うこと (ウィキペディアより)   
石原に限らず、この種の国家主義・排外主義・民族主義者(日本民族など虚構だが)の背景には、
もちろん、彼らの「日本人」という抽象(擬民族)の確立願望と、「日本国」という政治・経済・社会の単位があり、
それらに照らして、それら以外のものを嫌悪し排外するのだ(「他者排外による自己確立の思想」)。
だから、その「日本人」という不動のものが揺らいでは
己の「主義」や「国家」の根幹が揺らぐことになる。まずは「日本人」という抽象の根幹をどうしても守りたいのだ。
では、そもそも、その「日本人」とは一体何のことなのだ?
 
参考資料を提供しまっさ。偏っているという常套句を返されても辛いので、国立機関の資料ですヨ。
☆『日本人はるかな旅展』 http://www.kahaku.go.jp/special/past/japanese/ipix/index.html 国立科学博物館。
☆『倭人の形成』 http://www.museum.kyushu-u.ac.jp/WAJIN/wajin.html 九州大学ミニミュージアム。
 
 ①
日本人なるものを、もし無理やりに「括る」ことができるとするなら、
少数先住民「縄文人」(多種多様であろう)と
大陸と半島と他から渡って来た多数渡来人(これまた多様な)との実に多様なミックスである。とでも言うしかない。
近年、最新のDNA解読などからもこの列島に生きる人々の形成要因が、どんどん明らかになって来ている。
縄文末期(4500年前)の列島内先住民の人口は、推定25万人。繰り返された人の流入と稲作開始(*2500年以上前の、                                                              苗代式水田跡は、岡山県総社・大阪府茨木牟礼・福岡県板付・他など各地で次々発掘されている。                                        多元的なのだ) による食糧事情の変化で増加し、弥生時代半ばの人口は60~75万人と推定されている。                                                                                                                                                                                                                                                                                                           (古墳時代末までの渡来人の総計は、百数十万人以上と言われている)←http://www.geocities.jp/ikoh12/honnronn3/003_08yayoijidai_no_toraijinn_no_kibo.html
BC2世紀前後、半島南端部・洛東江流域の古代国家・伽耶の一勢力、                                                                     自由に往来して北部九州にまで影響力を持っていた海の民の一群が、半島内情勢に押し出されてか、
良好な稲作地を求めてか、列島覇権と先行渡来勢力(?)「オオクニ」打倒を目指してか、波状的に北部九州に移住したようだ。                                                                        古事記に言う『天孫降臨』的事態(紀元前後か)とは、現在の天皇家との関係はともかく、この一例の反映だろうと言われている。                                                                                           そして、古事記自身が、自分たちの故地は伽耶(洛東江両岸)だと告げている。                                                                      (例:カラクニに向かひて真木通り=伽耶(?)に向かって一直線に真っ直ぐ)  (いずれ詳述)
BC1世紀前後の東アジア世界を伝える「漢書地理誌」が、「楽浪海中倭人あり」(「倭」という語の初出)と記した「倭人」だが、
彼らは、古代フェニキア(現レバノン辺りを出自とするセム語族。各古代帝国の狭間各地に点々と根拠地を建設した地中海広域海洋民族*)    のような、海の民であった。 (余談:日産自動車社長:カルロス・ゴーン氏はフェニキア人の末裔であることを誇っているそうだ))                                                                                  その本拠は伽耶、準本拠が北部九州。(海の民=倭人=アマ、いずれ詳述)
 *フェニキアが建設した都市国家『カルタゴ』は、ローマを脅かしたハンニバルで有名。                                                                                        ⑤
後代の「魏志倭人伝」が記す3世紀の「邪馬台国」(正しくは「邪馬壱国」)も、後年「倭国」と称される国も、一貫して博多湾岸に在り続けた。その論証は、考古学的史料(出土物・史書・他国史料・他)から明らかだが、それは別の機会に譲る。                                                        ここでは、「魏志倭人伝」の中から得た、いくつもある確信のうちのひとつを言おう。(他に、行程記述、部分記述、総距離記述、等)                                                                                          長くなるので全文は省く(魏志倭人伝全文→  http://www.g-hopper.ne.jp/bunn/gisi/gisi.html )       
魏志に書かれた「その北岸狗邪韓国に到る」の「その」は、文脈から「倭の」以外ではありえない。 すなわち、「倭国の北岸は狗邪韓国(伽耶)だ」と言っている。「倭」地内の北岸部分が「狗邪韓国」-「伽耶だ」と言っている。前節の「韓伝」末尾には「南、倭と接す」とある(そう結んで倭人伝に移る)。接している、つまり地続きだと言っている。これを総合的に読めば、海峡の両岸に勢力圏を持つ海洋域=「倭」の実像が浮かび上がる。
 ・ちなみに「倭」の発音は「ヰ」ないし「イー」であり、後の「邪馬壱国」の「壱」も、中国読み「イー」・朝鮮読み「イ(ル)」周辺の音。呼称の 連綿たる踏襲は、存在の一貫性を暗示している。ヤマトが国名を「日本」としたのも、音「イー、イ(ル)」の「日」を当て、正当な後継者だと示す為の工夫だった、と言う研究者をぼくは支持する。                                      注:「邪馬」は「鮮卑」「匈奴」など同様の、中国からする属国呼称に付けた卑字。
☆いずれ、ぼくの「石原への全面反論」を提出します。(いずれ添削の上、)
  とりあえず、今回は骨子を述べます。
 
ぼくも石原も、天孫降臨の直系であってもそうでなくても、先住民の末裔か、伽耶出自の半島人の直系か、その混血か、
あるいは中国・朝鮮半島各地・他からの渡来の人々と先住民との混血者の末裔である。
「私の言う日本人とは、もっと後代の時代に居た人々のことだよ」と言うなかれ、 
801年から数次に亘って坂上田村麻呂が「成敗」したとされる、蝦夷とは何だ?
(789年にはヤマトが大敗もしている列島北部に居た大勢力だ)
和睦の果てに騙し、都・京に連れ来て処刑した「アテルイ」とは誰だ?公家らが、風貌・骨格・習俗の違いをさんざん「野性獣心」と評したという。                                      その時代の列島内に、ヤマトが御し難い異民族が居たことの証左でしょう。
「いやさらに後代だよ」ってか?
独自の歴史と文化と王朝を持ち、大和・明と等距離交易をなした琉球は?「琉球人」は? 列島内に永く住まう他民族は? 
 多民族共生というKEYワードなど塵芥症のあんたには届くまい。
もういい。結局、あんたの言う「日本人」とは「列島内マジョリティ」しかも、
「権力を持つ側の意向を守る(又は推進する)側に立つ人」 と要約できる人々のことだ。
「まつろわぬ民」があんたの言う「非日本人」なのだ。だから「帰化すりゃいいんだよ」となる訳だ。
「帰化」とはすなわち、アイデンティティの変更または放棄なのだ、そして「あんたが言う日本人」になれという
強制のことだ。                                                                                                                     その上しかも、「帰化された人」の「お子さん」と、本音を秘めた言葉を慇懃無礼に駆使して、
暗に「帰化」してもルーツは忘れないぞと、「日本人」にいつ敵対するか「日本人」をいつ裏切るか、目を離さないぞ、と恫喝しているのだ。 
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                 「楽浪海中」の「倭人」の子孫を、「天孫降臨」によって戴いた民は、
その「天孫」を尊重するか否かを問わず、せっかくの「古代合衆国」という得がたい価値を、
二千年かけて消し去ったのだ。
ぼくが言いたいのは、「天孫」のことではなく、海峡をまたいで生きていた「海の民」の、
その今日的課題に即した復権のことだ。いや、彼には解らんでしょ。いずれ詳述する。
ジョルジュ・ムスタキの爪の垢でも煎じて飲みなさい!← http://www.yasumaroh.com/?p=3391
********************************************************************************************
現代の「国家主義」「民族主義」「排外主義」が、天皇・日本人・日本国などに支えられている限り、
その形成過程にまで遡って切開しなことには、この列島に住まう者の根っこに在る「合意」を糾すのは難しい。                                                                                                                                                                                               教科書記述包囲網と教育界の「常識」、永く蓄積された社会の「合意」。それを覆すのは気の遠くなることではある。
西欧に触れそれと向き合い圧倒され、それに対抗する「方法論」として、                                                                                   「神国日本」「天皇」「大和魂」」などを持ち出す誘惑に駆られながら、                                                                      決してそうはしない見識を、自他との格闘を通して手にした明治人(の一部)は、本当に偉い!と思う。
漱石先生は、こう言っている。
『東郷大将が大和魂を持っている。魚屋の銀さんも大和魂を持っている。
 詐欺師、山師、人殺しも大和魂を持っている。誰もみたものはない。
 誰も遭った者がない。』 『大和魂 それ天狗の類か』 (「吾輩は猫である」1906年)   ←  http://www.yasumaroh.com/?p=1738
啄木は、こう嘆いている。
『地図の上朝鮮国にくろぐろと 墨を塗りつつ秋風を聴く』(1910年) ←  http://sakura.canvas.ne.jp/spr/lunakb/column-2.html

つぶやき: あるハンガー・ストライキ

沖縄・一坪反戦地主会の下地厚さん(石垣島出身) 抗議のハンスト。

国会前で19日12:00から下地厚さんが、
*沖縄新基地建設を絶対許さない
*基地の県内たらいまわしを許さない
*これ以上の沖縄差別を許さない
として、抗議の72時間ハンガーストライキを打っている。
下地厚さんへの激励と連帯を込めて、夕方5時頃、仕事帰りに馳せ参じた。
 
        ハンスト決行中の下地さん                      下地さんの宣言文           社民党服部議員から激励
                                                                                               参加者が口々に言っている。
徳之島島民集会の成功は、鳩山首相がオバマさんに、
「あちこち必死に探して当たった、けれど国内はあの状態です。ですので、無条件返還。移設先は国外しかあり得ないのです」
と言える根拠を提供した、と。  「さあ国外の展望が開けたぞ」 と。
 
近くに座る高齢者がぼくに話しかけた。
あえて、そう逆説風に語る人々に楽観主義・虚妄と言うなかれ。
その楽観は、これまでの琉球の歴史のどれだけの悲観と涙の上に在るか?
その楽観をいいことに、ぼくらがどれだけ胡坐をかいて来たか?
その楽観が、どれほどの耐える力になり、事態を切り拓く原動力となってきたか?
その楽観に、どれほどのヤマトンチュウが癒され救われて来たか?                                                                                        もう甘えは許されないのです。・・・・う~ん。
同意の軽い言葉も、返す言葉も見つからない。
 その通りだと思う。県内・県外はともに無理! 

歌遊泳: 1961年 国民的歌謡と、2010年(熊沢誠:著)『働きすぎに斃れて』

上を向いて歩こう 作詞:永六介、作曲:中村八大、歌唱:坂本九。1961年10月発売)
 
  
                                                                           60年安保の翌年の発売です。
「所得倍増」へ向かう社会を支える国民は、すでに「違う上」を向いて歩き始めていた。                                        そのことへの自覚的な「わだかまり」を取っ払う大仕事に、この歌は貢献させられた(?)。
当時の少年少女は誰も、この歌に励まされた記憶さえ持っている、
坂本九さんとこの歌に、悪印象を抱えている人に出会ったことがない。                                                                                    が50年後、社会は能力主義・成果主義を前提にして共助風土解体の社会を作り出し、熊沢誠先生の近著『働きすぎに斃れて』 (岩波書店¥3200)の渾身のレポートが挙げた、夥しい「過労死・過労自殺」の葬列を築き上げた。  今、若者は「燃え尽き、斃れるまで働く」正社員の道か、さもなくば非正規社員という名の 「明日を描けない使い捨て」かという、「上」も「横」も向けない二者択一を迫られている。 著作は、葬列に寄り添う者からの、遺された者への、喘ぐ若者への、労働組合の社会的任務を手放さない者への、痛切の応援メッセージだと読めるのです。 歌が本来言おうとした意味を復権させないと坂本九さんも浮かばれまい。                                                                                                                                                                                                                                       (近々、熊沢著作への「読後感想文」を当ブログにアップするつもりです)                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                  

たそがれ映画談義: 池部良の、「大きな背中」と「着流し姿」

池部良。 戸田菜穂が語る「大きな背中」と、映画『昭和残侠伝』での「着流し姿」 
  
 戸田菜穂インタヴュー記事(4月16日読売夕刊)より:
                                                                                                     『確か、23・24歳の頃だったと思います。池部良さんに恋をしたんです。
「早春」のビデオは、小津安二郎監督の映画を見ようと思って、たまたま手にしただけでした。
ところが池部さんのたたずまいが美しく、言葉も話し方もきれいで。
浮気をする悪い男の役なのに、世の中に対して斜に構えている感じがとっても色っぽくて。
あまりにほれこんで、池部さんに会いたくなって、サイン会にうかがいました。
                   「あら、あなたじゃないですか」。私の顔ぐらいはご存知だったみたいです。』            
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                                                                                                                                                                                                                                 その後、池部良夫人を交えた食事会や手紙のやりとりを通じて、親しい付き合いがあり、いろいろ相談にも乗ってもらうほどの、俳優人生での師だそうだ。
戸田菜穂さん。好きな女優の一人だ。
池部良の『役者として誇りをもって生活しなさい』 『楽屋で編み物をしているようじゃだめだ』などの言葉を得て、                                                              『池部さんのとても大きな背中を見続けています』と語っている。 もちろん羨ましくはある。                                                                                                                                                                                                      『早春』(56年)                                                                                                                        監督:小津安二郎、出演:池部良、岸恵子、淡島千景、杉村春子、笠智衆。   http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD24688/story.html
 
                                                                                                               
                                                                                  『昭和残侠伝:死んで貰います』
  
池部良と言えば『昭和残侠伝:死んで貰います』(監督:マキノ雅弘。70年9月、東映)などのラスト前シーンは一部からもてはやされた。                                                                「お約束」の非道な(ルール違反の?)ヒール役組長に堪えに堪えた果ての、報復劇だ。                                                                                                                              「お約束」というのは、65年~72年まで続いたシリーズ全作を通じて同じ池部・高倉のコンビ。毎回、コンビで破滅に向かう「物語」も大同小異。                                                                                                                                前作で死んだことなど「お約束」の前では些細なことなのであった。 何しろ背中では唐獅子牡丹が吠えているのだ。                                                                                
池部が健さんに言う、「ご一緒、願います」。 「着流し姿」の二人は夜道を死地に赴く。 評論家どもが男同士の「道行き」だと言っていた。                                              http://www.youtube.com/watch?v=JjuDwUyZhv8    http://www.youtube.com/watch?v=6FGVUq5K7Jw&feature=related                                                                            同じ年、直後11月、三島由紀夫が自衛隊市ヶ谷駐屯地内の総監室で割腹自殺した。 
ぼくは、池部・高倉の「道行き」にシビれた多くの70年映画館左翼(池袋の文芸座などで、小僧がスクリーンに向かって拍手し、床を鳴らし、
大きく同意の声を掛けていた。付和雷同の喧しい連中だった。コラ!何が「異議なし!」やねん!) の一人では決してないが、
それまでのヤクザ映画には居なかった孤高の、スマートな、足を洗って生きる元ヤクザ像は、池部ならではのハマリ役だったとは認める。
認めるが、当時のあの「喧しい」連中の、社会への憤激をぶつけに来ているのか?と思える風景には、
本来向かうべき相手に向かえよ!と強く思った。攻撃的「カタルシス」の一現象か?
せっかくの池部良への共感を妨害されて芽生えた、彼らへの違和感の記憶の方が大きい。
いま、出口なき不況と格差社会下で、近似の憤激・精神構造を抱える若者が「排外主義」に回収され、「逆・草の根」となり、
コスプレ軍服の一群となって民族差別を叫んでいるとしたら、見過ごせないと危機感を持っている。
それを思想的・運動的に誘導・引率する存在が見え隠れしていると思うから・・・。
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 もちろん『世の中に対して斜に構えている』と言う戸田菜穂さんの、『早春』池部良への感じ方に異論はない。
「背中を見続けています」と言える対象が居ることは、得難く大切で素晴らしいことだ。
ぼくの場合、ン十年の時間の中で一人二人居るにはいるが、先方には大いに迷惑なことだろう。
翻って思うに、メタボ爺たるぼくが、その「小さな背中」を「見続けています」と言われることなどないことだけは100%確かだ。
万一、何かの間違いで、奇特な女性が居て食事することになったとしても、我が「夫人」は食事会を信じず、
「独りでタコ焼きでも食っときなよ!」と言い放って、きっと同席してくれないだろう。                
                                                                                                                                                  『早春』の、戦争記憶を仕舞い込んで生き、丸の内に勤めはしているが会社的出世に欲は無く、戸田菜穂さんが言うように「斜」に構えている夫。 子を喪った妻:昌子(淡島千景)の哀しみも充分解っている夫、杉山。   千代(岸恵子)との関係を「間違い」(時代制約言辞か)と言ったが、千代の「男の従属物たる人生など拒否するわ」という姿勢に、「戦後」的プラス価値を認めている夫、杉山。
                                                                                          『昭和残侠伝:死んで貰います』の、かつて人を殺めたヤクザ稼業の足を洗い、板前として寡黙に生きる、風間。                                       荒んでヤクザになった果てに刑務所から戻って来た若旦那:秀次郎(高倉健)を支えて店を守り、                                   とうとう秀次郎のやむにやまれぬ行動=非道ヤクザへの「報復殴り込み」に同行する男、 風間。 
                           
いや~、杉山の「大きな背中」(戸田菜穂談)と 風間の「着流し姿」には通底するものがあります!                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                          

歌遊泳: どなたか ハコの『流れ酔い歌』をアップして下さい。

山崎ハコ
 
昨秋、趙博:『声体文藝館』-『青春の門・筑豊篇』で、趙さん版『織江の唄』を聞いた。
織江と信介になり切っての名演、名歌唱だった。(09年10月24日、両国:シアターカイ)
過日寒い三月のある夜、JRが終電で品川からの私鉄は終っていて自宅まで歩いた。
山崎ハコの深く暗い、しかし燃える歌が思い出された。
山崎ハコといえば、
彼女のある歌が「ええ歌やな」と記憶にあるのにタイトルが思い出せない。
歌詞の記憶も曖昧だ。「あんたの嘘つき」「別のことを思いよる」しか分からない。
筑豊訛りの、ハコ的情念が極まって腑に迫り来る歌だった。
ネットでハコの全曲の歌詞を繰って、そのタイトルが『流れ酔い歌』78年)だと分かった。
YouTubeに探したが無い。どなたか、ご提供下さい。
しかも、つい一ヶ月前にはあったハコの歌の多くが一斉に削除されている。
まぁ、イタチごっこなので、どなたかが又アップしてくれるでしょう・・・。
今回はあったものを採録します。
                                                    
                                                             
                                                   
                                                                                      
                                                                                                                  **********************************************************************************************************************************************           『望郷』 http://www.youtube.com/watch?gl=JP&hl=ja&v=gvpNFLtzxR4&feature=related
<ハコ本人、ちびまるこちゃんに登場> http://www.youtube.com/watch?v=9fAttmTjKUo&feature=related
 
 
『流れ酔い歌』の歌詞を載せときます。 この歌はハコのCD 『軌跡』に収録されているそうです。
 
うちの目にうつるのは あんたの嘘だけ
うまいこと言うて 心は 別のことを思いよる
それでも 責めることは 一つもありゃせん
誰でも弱い嘘つき 弱いほどに罪深い
 
明日のことは言わんと あんたに言うたね
今でも うちは変わらん 明日なんかいらんとよ
それでも 顔を見れば 気にかかることばかり
誰でも 同じ強がり もがくほどに傷深い
 
 
*「あんた」のところを、最も信頼し・最も共感し・最も心に刻んだ存在(それは人でなくていい)に
  置き換えてみると、人の想いと対象側の考えとの「永遠のズレ」に行き当たる。そして、それは
  宗教や党派、個人や組織、団体や企業であっても変わらない。
  ズレが全くないのなら、それは妄信宗教だ、鉄の虚党だ、自己滅却だ。
    民は「弱いほどに・もがくほどに」のたうち、拠りかかりと闇の時間を越えて、
  「責めることは一つもありゃせん」と、実は「自立」へ向かっているのだ。
  そこがハコの真骨頂である。

つぶやき: 普天間・沖縄・密約・報道・判決…

普天間・沖縄・密約・報道・判決… 国会前・首相官邸前
 
伊達判決は不滅である
   
沖縄駐留の米軍は何をしてきたか? 誰を殺してきたか? 何を抑止したか?
朝鮮戦争で、ヴェトナム戦争で、イラク戦争で、常に沖縄から出撃したのだ。
アメリカの戦争の出撃基地であったことは歴史にしるされている。
普天間基地返還を巡る民主党政権の「迷走ぶり」(だけ)を声高に報じるマスコミは、
「何処に移転するか?」という「日米軍事同盟」を前提にした「論」を繰り返している。
その前提を根本から問う姿勢。それこそが報道に求められている姿勢だ。
それを一切放棄し、政府調達便=政府特別機に搭せてもらいイラクへ飛び、戦禍の実情を見ることもなく
官製情報だけを垂れ流す報道に終始したのが、大新聞たちだ。報道の第一番の姿勢がない。
 
ぼくらは『砂川闘争』裁判【デモ隊の一部が基地内に数メートル入った。これは、
合衆国軍隊の地位に関する協定(いわゆる「日米地位協定」)の実施に伴う刑事特別法違反であるとして争われた】
での、『伊達判決』(1959年3月)を知っている。←http://www.nishinippon.co.jp/wordbox/display/5665/ 
『駐留米軍は「戦力の保持」に当たり憲法9条に違反にしている、として無罪判決』。明解だ。
ここには、前提とされていることから問う、司法の本来の姿勢があった。
これが、どれほどの判決だったかは、その直後の日米両国の迅速な対応に現れているが、
最高裁長官が係争中の一方の当事者に会うとは何事ぞ!
 
☆伊達判決の二日後、米大使が藤山外相に会い密談。高裁を飛ばして上告する「跳躍上告」を 勧めていたこと、さらに、大使と田中耕太郎最高裁長官が密談していたことが、08年4月 米公文書で判明していたが、外務省がこの事実を認めた。  【2010年4月3日付 毎日・東京】
 
 
 砂川裁判:米大使、最高裁長官と密談 1959年、1審「日米安保違憲」破棄判決前に
[毎日新聞 2008年4月30日 東京朝刊]
 米軍立川基地(当時)の拡張に反対する住民らが基地内に侵入した砂川事件で、基地の存在を違憲とし無罪とした1審判決を破棄し、合憲判断を出した1959年の最高裁大法廷判決前に、当時の駐日米大使と最高裁長官が事件をめぐり密談していたことを示す文書が、米国立公文書館で見つかった。当時は基地存在の根拠となる日米安保条約の改定を目前に控え、米側と司法当局との接触が初めて明らかになった。                                                      ◇米で公文書発見                                                                             国際問題研究者の新原昭治さん(76)が、別の事件に関する日本と米国の交渉記録などを公文書館で閲覧していて発見した。大使は、連合国軍総司令官のマッカーサー元帥のおいであるダグラス・マッカーサー2世。最高裁長官は、上告審担当裁判長の田中耕太郎氏だ。
 文書は、59年4月24日に大使から国務長官にあてた電報。「内密の話し合いで担当裁判長の田中は大使に、本件には優先権が与えられているが、日本の手続きでは審議が始まったあと、決定に到達するまでに少なくとも数カ月かかると語った」と記載している。
 電報は、米軍存在の根拠となる日米安保条約を違憲などとした59年3月30日の1審判決からほぼ1カ月後。跳躍上告による最高裁での審議の時期などについて、田中裁判長に非公式に問い合わせていたことが分かる内容。
 これとは別に、判決翌日の3月31日に大使から国務長官にあてた電報では、大使が同日の閣議の1時間前に、藤山愛一郎外相を訪ね、日本政府に最高裁への跳躍上告を勧めたところ、外相が全面的に同意し、閣議での承認を勧めることを了解する趣旨の発言があったことを詳細に報告していた。
 新原さんは「外国政府の公式代表者が、日本の司法のトップである、担当裁判長に接触したのは、内政干渉であり、三権分立を侵すものだ」と話している。【足立旬子】                                                                                                                    ◇批判されるべきだ――奥平康弘東大名誉教授(憲法学)の話
 田中長官が裁判について詳しくしゃべることはなかったと思うが、利害関係が密接で、当事者に近い立場の米国大使に接触したことは内容が何であれ批判されるべきことだ。当時の日米の力関係を改めて感じる。
 
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海をまたぐ 4月9日、国会前・首相官邸前 
 
 国会前座り込み                首相官邸前                     「沖縄密約訴訟」判決の報告をする知花さん
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                    金城実さん・知花昌一さん・安里英子さんらの呼びかけで、
4月6日(火)~9日(金)沖縄県民(ウチナンチュ)が官邸前へ集結して、
「最低でも県外」と公言した鳩山首相に、「非暴力」で公約遵守を求める意思表示をしている。
9日、身体があいたので午後から国会前に馳せ参じ座り込みに合流。
となりには『9条改憲阻止の会』が、恒例の座り込み。
やがて、同日の「日米両政府が交わした秘密文書の開示を求める訴訟」=「沖縄密約訴訟」
(原告は、元毎日新聞記者:西山太吉さんら)
の東京地裁判決公判傍聴から戻って来た知花昌一さんの報告。 全面勝訴。
 
米国が負担すべき軍用地復元補償費や「秘密枠」が存在し、莫大なカネを日本が積んだ。
それらの密約は米国側公文書などから判明していた。
外務省・財務省が「密約」と認めた上「日本側文書は存在しない」(歴代担当官僚が存在を認めたのに、だ)との調査結果を公表していたが、
判決は文書が存在しないことを証明する調査が不充分だとした。
東京地裁杉原裁判長は、判決文の中で、こう述べている。
「外交文書として第一級の歴史的価値を有する」ので
「破棄されたのなら、組織的な意思決定がされているはずだ」と
一個人が破棄できる性格のものではないと指摘。                                                                                                                                         「原告らが求めていたのは文書の内容ではなく、密約を否定し続けてきた政府の姿勢の変更であり、
  知る権利の実現。 外務省はこの期待を裏切った」 さらに、
「文書を保有した以降、文書に関与した可能性のある者に逐一、聴取することが求められる」とも指摘。                                                                              「公務員が職務上、通常尽くすべき注意義務を尽くすことなく、漫然と不存在という判断を行なった」と
当時のトップである中曽根弘文外相についても、批判の矛先を向けた。 
                                      【「東京新聞」4月10日朝刊、一面トップ】                                                                             民主党政権、岡田外相! 「控訴の可能性を排除しない」 ではないでしょ!
 
西山太吉元記者は、当時内部文書を入手したが、その取材方法の問題にすり替えられ、
国家公務員法違反で起訴された。女性事務官は漏洩罪、西山氏は同教唆罪であった。
ぼくの記憶では「密かに情を通じ」(文言は忘れたが)などという「大江戸お裁き」のような文言を塗した、
「週刊新潮」的起訴状であった。
密かであろうが、開けっぴろげであろうが、当事者以外から責められるべき筋合いは一切ない。ましてや、国家から・・・!
強くそう思って女友達に言うと、「ホンマその通りヤ」と返って来て「マトモな人だ」と再確認したのを憶えている。
西山氏を退社させた大新聞は、イラク戦争報道~普天間報道まであいも変わらぬ、
お抱え・垂れ流し・茶坊主報道を続けている。西山記者を斬った毎日の責任や如何!
☆裁判の趣旨・背景・経過は先輩のN氏が『西大和教会:H・P』に継続寄稿する『沖縄通信79号-3』に詳しい。   http://www.eonet.ne.jp/~nisiyamato/
 
1969年11月  佐藤-ニクソン会談「核抜き-本土並み」
1971年6月  縄返還協定調印
1971年3月     社会党:横路孝弘、楢崎弥之助が外務省極秘電文を公開。密約の存在を追及。
1972年4月     西山記者・女性事務官 国家公務員法違反で逮捕
       翌日     毎日新聞「本社見解とお詫び」を掲載。
週刊新潮・TVワイドショウ他が一斉に非難論調一色に。世論は「密約」の罪より「不倫」を裁いた。
もちろん、大新聞・TVの罪は深い。 が、マスコミに踊らされない確かな眼を育むべき、 ワシら自身が問題だ。
1972年5月15日 沖縄復帰
1974年1月      一審判決、女性事務官に懲役6月、西山氏に無罪
1974年12月    佐藤栄作 ノーベル平和賞受賞
1976年7月      二審判決、西山氏に懲役6月執行猶予1年。
1978年5月    最高裁が上告棄却。確定。
 
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四つの密約
①核兵器搭載の米艦船の寄港・通過を「事前協議」の対象としない
②朝鮮半島有事の際、米軍が日本国内の基地から自由に出撃できる
③有事の際、米軍が沖縄に核兵器を持ち込みことを日本は容認
④米国が負担すべき米軍用地の原状回復費400万ドル、波放送局(VOA)の移転費用1600万ドル、                                                                                                                              返還協定3億2000万ドルを超える別枠額 を日本が負担
 
4月10日判明【今後まだまだ出てくるだろう・・・】
⑤日米地位協定の前身にあたる日米行政協定で、日本に駐留する米兵らの犯罪について、
  米側に実質的に裁判権を譲るとした日米間の「秘密合意」が存在したことが10日、
    外務省の調査で明らかになった
民主党政権。 多少悪景気続いてもええ、マニフェスト変更も許したる、政治と金の件は改めてくれたらええ・・・。
戦後日米関係・安保体制に風穴を開けよ、それが選挙前あなた方が沖縄で語ったことだ!
首相官邸の主さん、「沖縄をバカにするな!」の声届いたか? 普天間返還、これ第一歩やで。
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