Archive for 12月, 2013

関大校友連絡会主催講演会: 金時鐘 『時代と境界をまたぐメッセージ』

ぼくのFBよりコピー

金時鐘講演会2

 

 

たそがれ映画談義  『飢餓海峡』 吐夢版、浦山版、そして趙博ひとり映画

12月22日の趙博:声体文藝館『飢餓海峡』公演に是非とも行きたくて、前夜21日皆さんの協力で夜業をしてもらい翌22日午後終了予定だったところを、午前中には終えた。エントランス 石貼替

14時半開演30分前に、両国門天ホール辿り着いた。                                                                                                                                     水上勉原作(未読)は知らないが、内田吐夢の映画は何度も観ている。趙博がどう料理するか楽しみだ。                                                                                                                                             公開当時(65年)には、敗戦直後の貧困と混乱を「語らずして通ずる」土俵が合ったと思う。当時の大人は、1945年以前の生まれなのだ。敗戦も、復員も、焼跡も闇市も、復興も、売防法施行も知っていたのだ。                                                                                                                                                                          今日、その肌触りを、映像や文章による描写なく伝えるのは至難の技だが、パギのひとり映画は、                                                                                                 犬飼太吉(三國連太郎)、弓坂刑事(伴淳三郎)以下の、語り出せば膨大になるだろう人物たち(海峡で命を落とす二人の男を含む)の戦中・戦後史と敗戦直後の社会の実相を、代表して一人の娼妓杉戸八重(左幸子)に語らせることにしたようだ。                                                                                                                                               だからなのか、パギ版八重はなかなかの出来だった。感心した。杉戸八重が生きていた。最後に、映画には無いあっちから杉戸八重の独白がある。違和感は無かった。                                                                                                                                                                                   春間げんさんのピアノが「星の流れに」を奏でるのだが、敗戦後ニッポンの貧困と混乱と、そこで生きた東北出の極貧女性の「おんな」の「生」を浮かび上がらせ秀逸だった。

個人的には、吐夢版『飢餓海峡』の八重=左幸子の、生活力というか圧倒的な存在感よりも、1978年に観たフジテレビ版の藤真利子の方が、10年間も「爪」を抱き続けた八重という人物を、「男が描くおんな」という点では想い描き易かった。だが、左幸子の力感ある「八重」にして保持していた、ある「無垢」こそが作者の意図だ。飢餓海峡 打上げ                                                                                                                    【公演後の打上げで語り合う、趙博とコアなファン】

 

ちなみに、このTV作品は、監督:浦山桐郎、犬飼役:山崎勉、弓坂役:若山富三郎だった。どこかにビデオがあるだろうか?                                                                                                                               藤真利子の八重、山崎努の犬飼、若山富三郎の弓坂。                                                                                            知ってます?藤真利子。父は作家の藤原審爾。なかなか味わいある女優さんだ。もう60歳前後のはずだ。                                                                       テレビ火曜サスペンス劇場の「最多犯人役出演俳優」だそうです。「陰ある・短調の・屈折した」などの形容が似合う女優さんだ。素顔は陽性の人柄だとどこかで読んだ。                                                                                                      このフジテレビ版とは別に宇野重吉が弓坂刑事を演じた放送をチラリと観た記憶があって気になり調べてみた。                                                                                                                          68年NHKだ。**で忙しく(?)していて(笑)、文字通りチラリと観たのだろう。                                                                             Wikipediaを引くと『飢餓海峡』はいろんな役者で何度かTVや舞台になっている。                                                                                                       太地喜和子の八重、知性と度胸を併せ持つ八重。石田えりの八重ねぇ~、強烈。戦後の混乱を生き抜いた強い八重だろうか。                                                                                                              ショーケンの犬飼太吉。宇の重の弓坂、仲代の弓坂。想像するだけでゾクゾクする。飢餓海峡 映画、TV

飢餓海峡 山崎・ショーケン年度と犬飼・八重・弓坂の順に役者名を記してみる。お好きな方はニタリとするに違いない。                                                                         1965、三國連太郎、左幸子、伴淳三郎。(東映映画、監督:内田吐夢)                                                                                            1968、高橋幸治、中村玉緒、宇野重吉。(NHKTV)                                                                                                                                    1972、高橋悦史、太地喜和子、金内喜久夫(舞台、文学座)                                                                                                          1978、山崎努、藤真利子、若山富三郎。(フジTV、監督:浦山桐郎)                                                                                       1988、萩原健一、若村麻由美、仲代達矢。(フジTV)                                                                                                1990、永島敏行、石田えり、金内喜久夫。(舞台、他人会)                                                                                                  2006、永島敏行、島田歌穂、金内喜久夫。(舞台、他人会)

ともあれ、杉戸八重の人生、その愛と哀しみと壮絶と現実観としたたかと無垢に、共感できない、共有するものの無い女性とは、お話する気はない。その極点が曽野綾子だ。櫻井よしこ、上坂冬子だ。

小説や映画で記憶を揺さぶる女性像は、ことごとく、いわば「マリア+マグダラのマリア」で、なるほど・・・・と想う。

【追悼:三國連太郎さん】拙ブログ 2013年4月: http://www.yasumaroh.com/?p=16739

ほろ酔い交遊録: 聞き流すのも 過剰に関るのも罪なんだ

懇意にしていて、互いに現場推進を巡って相談もし信頼し合って来た職人さん(36歳)が独立すると言う。複数の子を抱え、妻は看護師。その関係で、子を看る時間の確保、早朝からの現場、深夜業・・・その遣り繰りの労苦を見聞きして来た。そうした若い「家庭」の実情に加え人を雇っての起業。その進め方に自分を観るような気分だった。                                                                                                                                                                                          一般的には無理だ!親方も認めてくれたそうだ。差し障りがあるので職種は秘す。現場 LGS                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                  ぼくの中に、七年前、最初に会った時20代前半に見えたイメージが残っていて、彼は今でも30歳前に見える。独立をどう思うか訊かれたので、いくつか不安材料を言った。                                                                                           客先は?倉庫は?車は?人を雇うの?資金は?技量への自信は? 懸念材料ばかりを並べ立てた。                                                                                  話すうちに、会話は「推進」対「阻止」へとエスカレートしてしまい、たぶん傷付けてしまった。

振り返れば、自身30代に、岐路に際して年長者の言を聞き入れず、それこそ女房の反対論も封殺し、結果ことごとく「失敗」して現在(いま)がある。                                                                                                                                                                                                                                         考えて見れば、彼は36歳。ぼくが、破産法下の職場占拠闘争を開始したのも、その中で労組による起業を果したのも、未熟者が運動体の役を引き受けたのも、いずれも30代だ。                                                                                                                                                                                                                                                                                  最後に「ぼくに、あなた自身の人生が失敗だったと言ってるんですか?」と返された。

もっと遡れば、学生期、まわり道をして大学へ来て、歳だけ食っていて理論も経験もない無内容を悟られまいと、ガムシャラに動き、客観的には人が避ける「ヤバイ」事象に進んでのめり込んで、「穴埋め」したのも事実だ。そう、無理していたのだ。そのことへの自省はあるが、後悔は無い。

若い人の出発に際して、懸念材料や不備をシッカリ伝え、総論としては応援して送り出す。                                                                                                     これ、至難の業だ。が、応援(何もできないが)はしたい。                                                                                                                                                                                    起業による負担増は、妻の一層の協力が求められるが、看護師という職種の勤務状況の変化は?と話を進められぬまま彼は会話を打ち切った。                                                                                                                                                                                                                      36歳の成人を若く観てしまうぼくも、我が息子より若く見える彼も、罪(?)と言えるか?

いつか、彼の選択が実を結び、ワシの感情移入の愚を含めて笑って話せたらいいのだが・・・。

 

秘密保護法 を実態無効にしなければ 国のカタチが変わってしまう。

「特定秘密保護法案」が衆議院強行採決の後、参議院に回り、ここでも強行採決された。                                                                                    参院の山場である4日・5日・6日は施工現場が早く終ったので、国会周辺の抗議行動や日比谷野音の反対集会へ向かった。                                                                                                                       国会前に行って何かが変わる訳ではない。だが、じっとしておれなかったのだ。                                                                                                                                                                                                                                                     「秘密保護法」では、「防衛」「外交」「特定有害活動の防止」「テロリズムの防止」に関する、余りに広く恣意的に無限拡大する情報群から、その秘密を管理している当の行政機関が「特定秘密」に指定する。秘密であるのだから、「何が」秘密にされたのか、国民には知る術が無いのだ。なんじゃこりゃあ!日比谷野音

毎日新聞 秘密保護法米軍(例えば普天間基地)に関する情報、自衛隊の海外派遣など軍事・防衛情報は「防衛」に含まれる。原発の安全性・設計図・放射線被爆の実態・健康への影響なども「テロリズムの防止」に、「特定秘密」指定者が強引に指定されればそうなってしまう。                                                                                                                     その漏洩を防ぐべく、「特定秘密」を漏洩する行為だけでなく、それを知ろうとする行為も「特定秘密の取得行為」として処罰の対象とするというのだ。21世紀版「治安維持法」だ!

 マスコミ記者、フリーライター、研究者、学者他の、自由な取材や研究活動も、法によって明確に保護されず、言論・表現の自由を否定している。内部告発など「公の利益」に資する行いを保証していない。「国民の知る権利に充分配慮する」などという抽象文言ではなく、話は逆で「取材・研究・調査を妨害する行為をしたる者は、云々」と明確に「知る権利」の側に立った規制が必要だ。                                                                                                     これは、日米一体の軍事行動に向けた米国の「軍事機密保護」が甘いという指摘への対応と、それに乗じて国内統治に当たり、為政者の行為を「秘密保護」を名目に隠蔽し、反対者を罰するという稀代の悪法だ。

立法府たる国会が、国政調査・チェック機能を放棄し、行政府ヘッドたる官邸と官僚に売り渡す行為にも関らず、国会議員は自らの存在否定だと思っていない。衆参の強行採決、とりわけ自民党にひたすら擦り寄り法案成立に尽力した公明党の歴史的犯罪性は、後世に語り継ぐべき汚点だ。                                                                                       「恣意的になんか運用しない」ではなく、「恣意的に運用できないハードルを法の中にキチンと設定しておく」、これが法というもののあるべき前提条件だ。                                                                                   そして、現行法制では、国家公務員・地方公務員・警察・自衛隊員に公務員法や自衛隊法などで「守秘義務」と罰が定められており、しかも立件に至ったのはごく少数。有罪に至ったのはごく僅かだという。そう、現行法で充分なのだ。                                                                                                                 アメリカ軍事との一体化、そして国家統制としての21世紀版「治安維持法」、これが正体だ。東京新聞12月7日

 そして、「秘密保護法」は単に一法律なのではなく、安倍が推し進める「集団的自衛権行使」「共謀罪」「NKK乗っ取り」「教科書検定制度の改悪」「戦後レジームからの脱却」「美しい国」「改憲」へと進みたい安倍の情報統制社会への大きな物語のひとつだ。二の矢、三の矢が放たれる前に陣形を整えねばならんなぁ~。

 

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