Archive for 11月, 2009

エッセイ: 啄木の妻:節子の「初恋のいたみ」

ソプラノ版で知っていた、歌曲「初恋」(詞:啄木、作曲:越谷達之助)を、
先日テノール版で耳にしたとき、「この歌はソプラノこそ似つかわしい」と強く思った。何故そう思ったのかをずっと考えていた。                                                                                                               いま、その理由が分かった。
啄木の初恋の相手、堀合セツ(節子)が唱っていると思えたからに違いない。
                                                                                                                               砂山の砂に腹這ひ
初恋の
いたみを遠くおもひ出づる日
 (『一握の砂』啄木 より)                           
                                                                                                                                                   【歌曲:初恋】     作曲:越谷達之助 歌唱:唐澤まゆこ
 砂山の砂に
 砂に腹這い
 初恋のいたみを
 遠くおもひ出づる日
 初恋のいたみを
 遠く遠く
 ああ ああ
 おもひ出づる日
 砂山の砂に
 砂に腹這い
 初恋のいたみを
 遠くおもひ出づる日                                                                                         http://www.youtube.com/watch?v=9uDjESlhcZ8
 

 
 啄木の初恋の相手とは才媛と謳われた堀合セツ(節子)である。
 岩手県立盛岡中学校二年の時で、当時啄木十三歳。少年の初恋だ。
 セツへの恋は、啄木が短歌に本格的に取り組み始めた15歳の頃から、相互の恋となって育って行ったと言う。セツは、啄木の下宿へ、詩作を学ぶとして入りびたり、街に噂が立ち、セツの父は妹の同行を条件にしたり、次に交際を全面に禁じたりしたが、セツの巧みな戦術で突破される。父は心配し、一途な娘の姿にその前途を案じた。
 1902年(明治35)10月、十六歳の啄木は苦手科目のカンニングが発覚し、退学勧告を受け已む無く退学。それを機に念願の上京(東京に出て、文士になる?)を敢行。同じく十六歳の節子はこう言葉を贈って激励する。
理想の国は詩の国にして理想の民は詩人なり、狭きアジアの道を越え、立たん曠世の詩才、君ならずして誰が手にかあらんや。」と……。
                                                                                                                                                      本文、結び ↓
『あの歌は、期せずして節子の独白だ。節子のものだ。彼女の「生」の証しだ。                                                                                                                                                                                                                 啄木ではなく、 節子こそが「初恋のいたみ」に殉じたのだと思えて来る。  合掌。』
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                                                                                                                     *全文は http://sakura.canvas.ne.jp/spr/lunakb/column-2.html  でどうぞ。

エッセイ:明治~平成「根津権現坂」

【本文より一部転載】 

漱石『こころ』の「K」は誰か?

識者は言う。明治の大文豪たちは「大逆事件」に際して、こぞって、沈黙をもって応えた、漱石もしかり、と。                                                        「K」とは幸徳秋水である、と。(注:徳富蘆花は兄の蘇峰を通じて死刑の執行停止に動いた。永井荷風は「文学者」停止を宣言、世間に背を向けた。昭和の戦争に対してもその姿勢は一貫していたと言われている。)
 高橋源一郎『日本文学盛衰史』によれば、「大逆事件」前後に漱石に推薦され場を与えられ、秘密裁判が始まるや、その同じ漱石に「場」を奪われた人物が居る、という。                                              その人物は漱石を「先生」と慕い、何かにつけ相談にやって来ていた。
名を工藤一という。イニシャル「K」だ。・坊主の息子・途中で姓が変わって周りを驚かせた。                         彼は大逆事件に相前後して、「明治の暗黒」を撃つ評論を書いている。それは日の目を見なかった(どこにも出なかった。死後発見された)その評論は、今日では誰もが知っている。                                                               『こころ』の「K」のプロフィールにピタリ合致する。
 明治四十三年八月、彼はある評論を書いている。「大逆事件」の僅か二ヵ月後である。
 朝日新聞文芸欄に掲載されるはずであった。誰が執り持ったか?                                                                   「K」はその短い生涯のうちに、ただの一度も漱石への非難・異論を口にしなかったという。彼は「じっと手を見」ていたのだ。

 『何もかも行末の事見ゆるごときこのかなしみは拭ひあへずも』(同年8月)                                                *全文は http://homepage3.nifty.com/luna-sy/re69.html#69-2  で…

歌遊泳:森田童子の磁力に抗して

 

森田童子『みんな夢でありました』(80年)                                                                                                      

http://www.youtube.com/watch?v=DHFTSGhQreE

森田童子(もりたどうし)の歌が醸し出す気分は要注意だと思ってしまう。心ならずも過去を美化してしまう森田節の威力を借りて、                                                                       団塊ジジイが人目を忍んで、この歌に咽んでいるなら、それはおぞましくも哀しい。                                                           「ありのままのきみとぼくがここに居る」 「ただひたむきなぼくたちが立っていた」ん??。                                                                                            ・・・?ちょい質の悪い自己愛じゃねぇか・・・・、
そう思い始めたとき 最後の歌詞が耳に入った。

東大正
『もう一度やり直すなら、どんな生き方があるだろうか・・・』
森田童子はここで あの時代を美化して神棚に祭り上げ「今」と遮断してしまう危うさを持つ、                                      自らの歌に答えて、かつ聞 き手に向けて、宣言しているのだ。
「あれ以外にどんな生き方もありはしない!」 と。
もう一度 あのような場面に遭遇したとしても、
たとえば東大全共闘の「安田講堂組」は、
全学バリケード封鎖によって
支配の知的中枢=東大の研究機能を物理的に停止させる道、自らの退路を断ち東大卒資格を放棄する道、                                                                        きっと再びそこにしか立ち はしまい。 その立ち位置こそが、
愚かで稚拙な敗北にまみれた「全共闘」が
数十年を経てなお「無反省」にも放せないものだとしたら
どうぞ「夢」だと言ってくれ と。
夢とは、もともと、「現実」と呼ばれるものを目の前にしたからといって退くような、「現実」的なものではないのだ と。

そういう言い分が、森田節だと言うのなら、それはそれで拝聴してもいい。

書評:ヘルメットをかぶった君に会いたい

「世代」という「城壁あるいは党派性」を崩す試み

      鴻上尚史著『ヘルメットをかぶった君に会いたい』(集英社\1,700)

 懐かしい昔の曲を集めたCD集のCMを観ていた作者は、TV画面に【はしだのりひこ】『風』が流れる度に映し出される背景映像に目を止める。60年代末、ワセダの入学式前後の映像だ。その中の一人、大写しの女性に強く心惹かれる。学生運動なるものが「牧歌」的(?)であっただろう時代。ヘルメットをかぶった当の学生もまだ顔を隠すマスクなど着けてはいない解放感。色の違うヘルメットは華やいでさえいて仲良く交錯しているかに見える。そこに醸し出される薫り匂い・・・。

 作者は、いうところの内ゲバやリンチ殺人事件といった夥しい負の現象と思想の屍(?)を背負ったまま、やがて学生運動が終焉を迎えて行くその同時代に間に合うことなく、その「あと」にワセダに入学した者であった。例えば3億円事件(68.12)の時には、作者は小学校四年生の少年であったのだ。

 いま、画面に映っている一人の女性、「ヘルメットをかぶった君」の微笑みは何なのか? 一世代前の学生運動の云わば原初的精神、映像から垣間見える「牧歌」の正体、そこを知りたい。映っている世代への羨嫌がないまぜになった憧憬、祭りのような時空・その映像の中に「自分がいるんじゃないか」(鴻上)とさえ思わせる高揚、そうした感情の根拠を解きほぐして見届けたい。その世代の原初の声をどうしても聞きたい。そうした想いが「君に会いたい」となって込み上げてくる。作者の「ヘルメットをかぶった君」捜しが始まる。

貴女は何故こんなにもにこやかに微笑みながら、新入生らしき若者に語りかけているのか? この無防備な雰囲気の根拠は何なのか? それは意識して創られた演出なのか、自他への本気の信頼なのか? 貴女は今どこに居て、そしてどうしているのか?                                   会えば、知りたいと希う答を伝えてくれるか?

 ぼくは生年で括る世代論に与する者ではない。公的記憶(パブリック・メモリー)と生年とを重ねて語られる世代論のいかがわしさを、嫌というほど聞かされ辟易して来た者でもある。生れ年ではなく、記憶を刻んだ時間がその人の最初の時間だと考えて来た。否応なく自身に向き合わねばならないあの時間のことだ。

 にも拘わらず、ぼくを含めたあらゆる「世代」が持ち合わせている抜き去り難い排他性の根拠は一体何なのか? ぼくはそれを「世代という城壁」と呼んでいる。その城壁の内側には、ある「公的記憶」を共有する者が「同世代」であること以外何の根拠もない相互免罪の恩恵に預かって、棲み続けている。城壁は城内の自分たちと城外の他世代とを隔てていて、それは、ほとんど党の城壁に似ている。だからたぶん、それは「世代という党派性」に違いない。そうした城壁を意識して崩そうとする者は稀で、ぼくらは赦されて棲むことができる城内に留まっているのだ、共有する「公的記憶」それ自体を問うこともなく・・・。

 作者鴻上が成功したかどうかは別にして、『***君に会いたい』一冊は、ぼくとは違う世代からのぼくらの「世代という城壁あるいは党派性」を崩す試みである。

  さて情報だけは捜し出せた「ヘルメットをかぶった君」は、果たして現在もなおK派の現役活動家であった。五十代後半の彼女が、微罪で全国指名手配中であること、CM映像当時のK派全学連委員長の彼女だったらしいこと、ワセダのキャンパス内で起きた内ゲバ殺人事件の見張り役だったのでは? などが示されるに及び、作者の思想の片鱗、言わんとするものが見えて来る。

貴女のあの時の微笑みと、その後の時間との関係性を教えてくれ。 自分が体験したのではないという意味で「幻の過去」(鴻上)である時間への「激しい郷愁」(鴻上)と共感、貴女をいまなお党の「城壁」の内側に留まらせている「力学」への当惑と違和。

実はその明暗の両方を、我が身に棲むものとして引き取り解き明かさないことには、あの世代と交信することもその城壁を崩すことも出来はしないのではないか?

その「力学」がそしてぼくが、たぶん持ち合わせてはいないだろう大切なものを、ある女性詩人の詩に読んだことがある。優等生であり、四百人の女生徒の軍事教練を率先して推進し、軍務教官から褒められる軍国少女でもあったという女性の、戦後間もない時期の痛々しくも鮮やかな回生の記憶だ。

『夏草しげる焼跡にしゃがみ/ 若かったわたくしは/ ひとつの眼球をひろった/ 遠近法の測定たしかな/ つめたく さわやかな!/  たったひとつの獲得品』

(茨木のり子「いちど視たもの」より)

  そして鴻上が言っているような気がするのだ。ぼくら世代自身の団塊世代・全共闘世代なる論や、そして自覚的か否かによらず築いている城壁は、凍て付いてか火傷してか痛手を負って手にした「眼球」=回生を遂げる獲得品 などではない。 それはおそらく、いかがわしいものなのだ。たぶん「ヘルメットをかぶった君」以上に・・・、と。

 それぞれの城壁崩しを、ぼくならぼくが貴方なら貴方がする番なのだ、とこの一冊は問いかけているように思えてならない。

歌遊泳: 星も港も抱きしめる

【星の流れに】 【港が見える丘】(1947年 昭和22年)
『星の流れに』の曲名は、当初予定では、歌詞に登場する言葉から採って「こんな女に誰がした」だったそうだ。
GHQから「日本人の反米意識を煽る恐れがある」とクレームがあり、変更して世に出されたという。「誰がした?心情」
を覆う『敗戦後空間』とは、苛酷な現実のその責を、敵アメリカへも、ひと度ならず支持信頼した軍へも、昨日の現人神天皇へも、
「ご巡幸」に熱心で「あっ、そ」を繰り返す今日の人間天皇へも、戦後政府へも、そして自身へも、どこへも、
負わせ得る確たる理路を持てない一億総懺悔日本人の、精神の『迷走』と、今日明日を喰う為の現実が織り成す空間だ。
それが「敗戦」ということの核心である、とどこかにあった。 なるほど・・・、 
大人も子供も、誰も彼も、それぞれの方法と位相から『敗北を抱きしめて(た)』(ジョン・ダワー、2001)のだ。
1947年:昭和22年・・・・。全官公労総罷業(2.1ゼネスト)中止。六・三・三制実施、国民学校を小学校と改名。
古橋広之進、水泳400メートル自由形で世界新記録。吉田内閣総辞職で初の片山哲社会党首相が誕生。 その年作られ、街に流れた歌の代表が標題の二つの歌なのだ。ラジオドラマ『鐘の鳴る丘』から童謡『とんがり帽子』が流れたのもこの年だ。
私はこの年に生まれたのだが、同じ年に生まれたのが、前年11月3日に公布されこの年(1947年)5月3日に施行となった「日本国憲法」だ。                            『敗戦後空間』に舞い降りた「日本国憲法」は、国会・マスコミ・市民に受け容れられ、間違いなく歓迎されたのだ。                                                                                                    『迷走』にようやく出来た標(しるべ)だったとする論に同意したい。                                                                                                             ジョン・ダワーは言っている『押し付けたとすれば、日本国民とGHQ左派の「短期同盟」が、旧勢力に押し付けたのだ』と。なるほど、今日の改憲勢力にとっては「押し付けられた」のだ。
農地改革、婦人参政権から労働三法・生協法まで、GHQ影響下の戦後諸改革を、一体「憲法は押し付けられた」と言う勢力の誰が為せたと言うのか?
ちなみに、この前年に流行った歌に、『リンゴの唄』(映画「そよかぜ」に45年、レコードは46年)『みかんの花咲く丘』(46年)がある。                                                                               それらも含め、私にはこれら敗戦直後期の歌を母の胎内で聞いた記憶が、ハッキリ(?)とある。                                                                                

【星の流れに】
菊池章子
http://www.youtube.com/watch?v=qWIPoIG2jJk&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=hj8ntoBNW4M&feature=related(91年)                                                           11歳のひばり
http://www.youtube.com/watch?v=wMSQ1amd7sU                                                                           日吉ミミ
http://www.youtube.com/watch?v=gKu_N4ZoesY&feature=related                                                               ちあきなおみ  
http://www.youtube.com/watch?v=MAMrwVqSCE&feature=related

【港が見える丘】                                                                                                                               平野愛子
http://www.youtube.com/watch?v=gc5TZJxg4CE                                                                                                                       渡辺はま子
http://www.youtube.com/watch?v=SYQjyWazd4c                                                                                                              青江美奈
http://www.youtube.com/watch?v=buZP9Ivlikw&feature=related                                                                                ちあきなおみ
http://www.youtube.com/watch?v=f-1MbSjMdug&feature=related

歌遊泳: 別れの一本杉

私たち世代が、この歌(1955年発表)の風景(視覚的実際and主人公の精神風景)の最後の目撃者かもしれない。
多くの論者が1970年前後を、日本の曲がり角だったと指摘している。通信手段・白モノ家電完全普及・女性就労・
高速道路網・ニュータウン・大型ショッピングセンター・大学進学率・・・。「一本杉」の最後の目撃者、少年期に
「一本杉」を確実に見、いわゆる「学生反乱」の季節に「一本杉」が根元から崩れて行くのを見届けた世代が、
いわゆる「団塊」世代なのか?「一本杉」だけを復活させることにシャカリキな人々によって、
9条を含む「改憲」が準備されていることも事実だ。「一本杉」世界の何を引き継ぐのか、何を繰り返さないのか・・・
世代に課せられた宿題ではあったが、たぶん果たせていない。

春日八郎(副司会、栗原小巻の声じゃないですかね?)
http://www.youtube.com/watch?v=1HMTin1P4Cw                                                                                         天童よしみ
http://www.youtube.com/watch?v=S4zf88PRIEY                                                                                          作者:船村徹
http://www.youtube.com/watch?v=sczOFEjcwck&feature=PlayList&p=AFA45B385E6292C0&playnext=1&playnext_from=PL&index=1                                                                                                                                                 若き日の船村徹
http://www.youtube.com/watch?v=wfrFun73d0M&feature=PlayList&p=AFA45B385E6292C0&playnext=1&playnext_from=PL&index=4                                                                                           ちあきなおみ:http://www.youtube.com/watch?v=EVC4Ua3x6UI

それにしても、ちあきなおみさん、自身の持ち歌のように歌いますねぇ。

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