Archive for 8月, 2011

連載 62: 『じねん 傘寿の祭り』  六、 ゴーヤ弁当 (8)

六、 ゴーヤ弁当⑧ 

重い何かを抱えて歩いていた。青い空、広がる田園風景、心地よい風、中規模の川・・・、その土手を歩いていた。前後を共に歩く人たちは仲間のようだ。みんな口笛を吹いたり鼻歌を歌ったりして、野を渡って来る風を受けて朗らかだ。歩いている一団の中ほどに女性が居た。いつか、黒川が観ていた深夜放送の映画『ここに泉あり』(1956年製作)の一場面だと分かった。すると、一団はあの自主運営交響楽団に違いない。だから、女性は岸恵子なのだが、顔は判然としなかった。一団の後ろを、疫病神のような不審人物が付かず離れず歩いていた。映画と違っていて気になる。                                                                                                                                                           やがて、裕一郎は自分が抱えている重いものがコントラバスだと気付いた。重くて、一団の歩みについて行けなくなり、通りかかった駅でモクモクと煙を吐いて走る蒸気の汽車に飛び乗ってしまう。乗った汽車には、闇物資の運び屋や復員兵士がギューギュー詰めになって乗っていて身動きままならない。映画の時代背景と合わないので奇妙だぞと思っていると、そのドサクサにコントラバスを誰かに奪われてしまう。泣きそうになっていると、席を老女に譲ってこちらにやって来た文士風の男が「おい学生! 次の駅で降りようぜ。美味い屋台があるんだ、ご馳走してやろう」と言う。どういうわけなのか、さっき一団の後ろを歩いていた男だった。空腹だったこともあり、誘われるまま彼の後に従った。                                                                                                                                                                                                                                                                                降りた駅は、写真で見た記憶がある東京郊外の戦後風景の中に立つ木造の駅舎だった。駅裏の屋台で焼き鳥と酒をよばれた。腰掛椅子には奪われた筈のコントラバスが立てかけてある。文士風の男が「大切なものなんだろう? 俺が取り返して来てやったぞ。これで、仲間のところへ戻れるんだ、感謝しろよ。」とうそぶく。変だと思ったが、すぐに、雑誌で読んだ戦後期のあるシーンが再現されているのだと気付いて、目が覚めた。学生だった思想家吉本隆明と流行作家太宰治の生涯一度の出会いのシーンだ。                                                                                                                                                                                                                 裕一郎は、重いコントラバスのつもりなのだろう、枕を抱えていた。                                                                                                                                            時代と場所が混在していて、観た映画と読んだ雑誌記事がミックスされた奇妙な夢だった。

読んだ雑誌記事というのは『東京人』という雑誌に出ていたもので、太宰との生涯一度の出遭いを語る吉本へのインタヴュー記事だった。                                                                                                                                               吉本隆明は戦後間もなくの学生時代、学生芝居で太宰の戯曲『春の枯葉』を上演しようとなり、仲間を代表して三鷹の太宰宅を訪ねる。                                                                                                                                                                                      太宰は不在だったが、幸い太宰家のお手伝いさんから聞き出し、近くの屋台で呑んでいた彼を探し出す。当時の人気作家と無名の貧乏学生、のちの詩人・思想家の出会いだ。そこでの会話だ。                                                                                                        『「おまえ、男の本質はなんだか知ってるか?」と問われ、「いや、わかりません」と答えると、「それは、マザー・シップってことだよ」って。母性性や女性性ということだと思うのですが、男の本質に母性。不意をつかれた。』                                                                                                         出したいだけなんでしょ、受容れるような感覚、相互性、打ち出す、マザー・シップ・・・、いろんなセリフや単語、観た映画や写真、戦後期の三鷹駅近くの屋台、想像の吉本と太宰の出遭いのシーン、昨夜の亜希とヒロちゃんの発言などが交錯したまま、それらが一つになって押し寄せて来る。                                                                                                                                                                裕一郎は、しばらく仮眠状態で起きていたが、やがて再び眠りに落ちた。                                                                                                   

耳元のユウくんの大きな声に起こされた。                                                                                                                    「北嶋さん、ゴーヤ弁当だよ」とユウくんが身体を揺する。                                                                                                                          もう十時を過ぎていた。爆睡したのだ。ユウくんのリクエストで、亜希たちが近くに材料を買出しに行き、今作っているという。ユウくんは、昨日の弁当がよほど気に入ったらしく、連日の同メニュウを求めたようだ。                                                                                                                                                  自分にも記憶がある。気に入ったメニュウを飽きもせず集中的に食べる時期があるものだ。                                                                                                         身体を起こし、着替えながらユウくんに気になっていた件を訊ねた。裕一郎の直感だ。                                                                                                 「シンジ君が、ユキちゃんに何かしたんやろ」                                                                                                                       「うん、ユキちゃんとぼくの手を叩いた」                                                                                                                     内容を掴むのに手間取ったが、ほぼ聞き出せた。昼食の後片付け当番をして、食器を洗って部屋に戻るときユキちゃんと手を繋いでいた。シンジ君が、手と手が繋がれているまさにその部分を、ピシャリと叩いた。思わず二人が手を放した瞬間、シンジ君がユキちゃんのホッペにプチュ。シンジ君の背中に組み付いたがたちまち投げ飛ばされ、すぐさま箒をとって来てシンジ君の背中に一発。ユキちゃんは泣き出したが、指導員が来た時には彼女は部屋に戻っていて、彼らはユキちゃんも関係していることを知らない。ユウくんはもちろんシンジ君も、そこは決して語らない。四日前のことだ。これが真相らしい。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                             昨日、チチが園に呼ばれ主任と長時間話した。チチは「もうシンジ君は何もしないから大丈夫だよ」「武器を持って叩くのはよくない」とだけ言ったらしい。黒川はいい父だ。                                                                                                ユウくんは、大きく強そうなシンジ君に立向かい、護るべきものを護ったのだ。それはユキちゃんというよりも、自身の内に棲みつき育んで来た、譲る訳には行かない精神のようなものに違いない。                                                                                                 バスの往き帰りで毎日ユキちゃんといっしょだということも予想通りだった。                                                                    事件のことも、バスのことも「ユウくんと北嶋さん二人だけの秘密や」と約束した。  

ぼやき: 芸能ニュースに興味は無いが・・・(紳助事件雑感)

行列のできる法律相談所 先生方の無恥

島田紳助の突然の引退も、その理由の真偽も、裏事情も「芸能オタク」ではないぼくの知るところではない。                                                                                                  島田の「思い上がったような」日頃の言動と、数年前の女性マネージャー助手を殴打した事件の処理と謹慎と早期の復帰に至る経過への、「不愉快な」思いだけが強く刻まれている。まぁ、それはどうでもいいのだが、今回の事件には想うところあって、芸能ネタに言及させてもらう。                                                                                  10年近く続いていた『行列のできる法律相談所』にご出演の先生方、初期に出演した丸山和也先生、橋下徹先生、北村晴男先生などの、事件へのコメントのことだ。                                                                                                                                                                                                               同情や擁護に彩られたコメントは、友人知人としての感情としては理解できるし、人間:島田を知らぬぼくが異論を吐く立場にも無い。                                                                                                          気になるのは、行列ができると自負(?)する先生方が、島田が事件の解決策を求めてその行列に並ぶのではなく、別の方法を選択したことにほとんど言及せず、異を唱えることも恥じることもない、その姿勢だ。弁護士に依頼せよと言いたいのでも、先生方が「私に任せなさい」と言わなかったことを責めたいのでもない。元々、法の支配の外側(?)の出来事だとして、法律家の取り扱いには馴染まないと、島田と先生方の間に暗黙の了解があったのだろうか。だが、先生方は、まずもって自らの非力・無力・不信頼を恥じてしかるべきだと思うのだ。TVニュースで見る限り、丸山和也先生だけが、弁護士に「相談してくれなかった」事実に言及して、言葉は忘れたが多少はその「不明」を恥じて述べていた。                                                                                                                                                                                                翻って思うに、ぼくが労働運動界などの友人・知人から聞いた話では、労働争議などで現場の彼我の力関係、組合メンバーの意識、組合財政力や世代や家族構成などを無視して、やたら「原則的」「教科書的」「戦闘的」な説を唱える先生、反対にやたら「妥協的」「なあなあ的」「早期決着」を主張する先生が、居るという。 自身の事務所の「存亡」を賭けて案件に臨むことなど無かったとしても、争議を担う個々人の存亡を「賭け」る意思・気概への想像力は持って欲しい、と聞かされた。大きな金が動いた夫婦間案件で、親しい弁護士に儀式的最終局面にほんの数日動いてもらったら、「得た利益のン%は規定通り」とビックリする額を請求され、弁護士報酬規定はそうなのだろうが、それまでの関係性に照らして納得しづらかった、と憤慨している女友達も居た。当事者性と当事者性への想像力の問題だろう。                                                                                         ぼくらが、例えば友人・知人の労苦や成果や悲惨に出遭う時、その想像力を維持できるだろうか? 実のところ、それは難しいことだ。                                                                                                                                他者への評価・批評は、実は己を振り返ることに違いない。ささやかな絵なら絵、写真なら写真、文章なら文章、歌なら歌などの作品、あるいは不祥事や祝事 への賛意も反論も糾弾も、自身を切開することを伴って己の思想を晒す姿勢が含まれていなければ、作者に届くことは無い。というのが、ぼくの感想だ。                                                                                                                                                               ***と尾崎豊の、文字面だけを拾えば似ているかもしれないと思える、ある二つの歌が、実は全く違っているなぁ~、と強く思い直したことがある。                                                                                                                               想像力希薄の極みだった、と思っている。

                                                                

                                                                                                                                                                                                 

連載 61: 『じねん 傘寿の祭り』  六、 ゴーヤ弁当 (7)

六、 ゴーヤ弁当⑦

 シャワーから戻って来ると、黒川が天敵ヒロちゃんと言い合っていた。ヒロちゃんの「中年オヤジ話」らしい。                                                                                                                                           「出したいだけなんでしょ?」                                                                                                                        「何っ?」                                                                                                                                                                             「そう言ってやったんよ」                                                                                                                                                                   「誰に?」                                                                                                                                                                  「そのオヤジ課長にや。手でやって上げようか、って」                                                                                                                                                                「おいおい、ムチャクチャだなあ」                                                                                            「何なら口でやって上げようかとも言うたった。中年男は怯むやろ、そう言われれば」                                                                                「そりゃビックリするだろう。下品なことを言うもんじゃない」                                                                                                                                                                                                                   「そうそう、そいつもそう言うたよ。けど、そうなんよ。何が下品よ! 出したい、欲しい・・・。女はそれを受け容れるか否かなんやと思うてるんや男は・・・、ねぇ、亜希さん。私には、男には在るような、出したい的感情はよう解からん。この女が欲しい、この女とやりたい出したいと疼いても、逆に出されるものを受容れるような感覚、それは無いんでしょ、男には・・・。そこが憎たらしい。ジイさん、どないやのん?」                                                                                                          「もう出ないよ」                                                                                                                                          一同が大笑いした。一緒に笑っていた黒川が表情を変えて大真面目に言った。                                                                                                                                                                                         「男の愛はもっと深いものだ」                                                                                                                                          「深過ぎて、奥さんがここでは泳げませんと出て行ったんよね、ジイさん。」                                                                                                          「失礼なことを言うんじゃない! 君はまだ若い、結論が早過ぎる。だいたい、ひとつの場面だけで男を見限ってはいかん」                                                                                                                                        「私、ひとつの場面で言うてるんやないんです。基本の構えを言うてるの。」                                                                                             「ヒロちゃんが言うこと、わかるような気がする」。亜希がそう言うと黒川は黙った。                                                                                                                                         タオルで髪を拭きながら壁際に座った裕一郎は、亜希と視線が合ってしまって困惑したが、酔っているからか、亜希は「そうでしょ?」と問いかけるような同意を求めるような眼差しを逸らしはしなかった。                                                                                                                             受容れるような感覚を男に求め、ヒロちゃんが言う「構え」を糾す私たちは、同時に打ち「出す」ものも持っていたい。関係は相互的なものですよね。男に求めるだけじゃ何も解決しないと承知してるんです。亜希の視線にはそんな言葉が宿っていた。

 黒川が座卓の陰で、座布団を枕にして起きているのか眠っているのか分からない状態で沈んでいる。なおも呑む亜希とヒロちゃん。                                                                                                                                              目の前で目が座って行く亜希の射るような視線を受けると、その姿に二重写しに、豊かな胸を顕わにした姿などがチラついて来るから困る。それを知ってか知らずか、すかさずヒロちゃんが鋭い目をして言う。                                                                            「北嶋さん、亜希さんのエロい姿をいやらしく想像してるんでしょ?」                                                                              「そんなことないよ。考えすぎや。老人をからかうなよ」                                                                                                                                                                      亜希への恥かしさもあってそう答えたが、ヒロちゃんに指摘されるとそんな画像が浮んだ。払いのけようとしたわけではなくもっと想像していたかったが、程なく消えて行った。我に返って亜希に目をやるとほとんど眠っている。                                                                                                                                                                                                    亜希は限界だと思い「もう遅いから寝なさい」と二人に声をかけた。ヒロちゃんが頷いた。書斎に布団を運び込み、ヒロちゃんが手伝ってくれて二人の寝床を作った。亜希はすでに気絶状態で、ヨレヨレになって歩いて行き、バタン・キュー。                                                                                                                 ヒロちゃんが言う「北嶋さん、亜希さんが気になるんでしょ。まぁ、精一杯やってよ。父親代わりかな」                                                                          「そうやな・・・けど、出来れば恋人になりたい、が本音かな。父親役なんかご免やな」                                                                  寝てしまった黒川を起こし、二階へ上がった。

亜希はある路を自己弁護に塗れることなく通って来たのだ。それは亜希の豊かさを増すことにはなっても、マイナスになどなりはしないよ。やっぱりいい意味でキャリアだよ。                                                                                         「出したいだけなんでしょ」・・・か。その聞かされたこともない表現を耳にして、たじろぎはしたが、何故か不快感なく反芻していた。それは、露骨なのではなくひょっとしたらある関係や構造の核心を突いているように思えてくる。ヒロちゃんのこうした言い回しは、自分たちの時代の男女の蹉跌と歴史が蓄積された成果だろうか、それともそうではないのだろうか・・・。グルリ回る環状の男女路は、横から立体で見れば上って行く形状のらせんの構造をしているのだろうか? 解からない。                                                                                                                                昔、「お前の描写は、脳味噌と下半身が分裂している」と指摘されたことがある。けれど、脳味噌と分裂せず一致した、下半身の疼きはあってしかるべしと思う。隣にヒロや黒川が居なければ、亜希を押し倒さずに居れただろうか・・・? もっとも、倒し合いの体力勝負でも亜希に勝てるとは思わないが。                                                                                                                                                                                                                                                                                       裕一郎は、かなり呑んだのに寝付けなかった。 

読書: 細川布久子著 『わたしの開高健』

『わたしの開高健』 細川布久子著、集英社、¥1600)

ある殉愛または非転向 -高名な作家への恋物語的相貌の向こうに-

ぼくが二年しか在籍しなかった大学で、ひと時、時間と空間を共有(?)した知人が本を出した。『わたしの開高健』(集英社、¥1600)だ。                                                                       本に挿入されている古いモノクロ写真の彼女は、間違いなく鮮明な記憶通りの彼女自身だ。

たぶん大柄だった彼女は、ふくよかな笑顔を湛えて当時の印象のまま写っている。                                                                          60年代末、男たち(もちろんぼくを含めて)は、主観的には、「歴史」や「思想」や「政治」を大上段から語り、「闘い」に明け暮れ、限られた思考の範囲で「連帯」の糸口を(自称)真摯(稚拙)に模索してもいた。                                                                               一方で、その途上で当然に出遭う異性との関係について戸惑い、とりわけ女性性を自分たちの言葉と行ないの中に定位させることに躓き、その領域では(だから、すなわち他の領域でも)「戦後」内に居ることも「戦後・後」を打ち出すこともできず、云わば宙ぶらりんのまま漂っていたのではなかったか? 例えば、互いの異性関係を旧来の「戦後」的メロドラマの言葉や、「戦後」的アンチ・メロドラマの言葉で揶揄するだけでなく、実際その文脈の中で実践(?)してもいた。誰も、彼女の、その大柄・ふくよか・笑顔の陰に棲むものになど気付かぬごとくに・・・。当時はもちろん、40年を経ても、婚姻・職場・生活・各種取組を通して、「戦後・後」の男女の方法論や「女性性」を掴みあぐねているではないか。ぼくはそうだ。                                                                                                       彼女は学生期の「全共闘」への共感と違和、出会いと訣別を次のように書いている。                                                                                 『夜になると大阪城の上から下方にある府警本部の動きを見張るという、レポと呼ばれた学生運動支援活動に加わっていた』 『私には一種の政治アレルギーがしぶとくこびりついていた。イデオロギー人間は真っ平だった。』 『私に苦い絶望感と虚無感を植え付けたのは母校にいた党派の人間たちだった。イデオロギー論争と政治的アジテーションに酔い、それ以外の人間性を切り捨てる彼らの論理と行動は不毛としか見えなかった。』 『バリケードの内側で目撃した彼らの生態に失望し、上っ面の観念論に嫌悪を覚えるだけだった。』(P80)                                                                                                           後年(ある雑誌の編集スタッフだった七〇年代末)、編集長の知人:元活動家の「戦争責任を問うべき敵の指摘が曖昧だ」という「開高のヴェトナム戦争の捉え方」への論難に、「正義やイデオロギーを超えた人間の現実としての『戦争』を見てしまった作家の虚無を想像したことがあるのですか」(P81)と口を閉ざしながら想っているのだ。                                                                                                                誤解を恐れながら言うが、ぼくらが棲んでいた界隈の風景とは、彼女にそう見られた当の「彼ら」自身が彼女と同じことを、無自覚にも自分以外の人々に感じているという一種の「倒錯状況」に居ながら、彼女のように訣別することなくその界隈に居続けた風景ではなかったか?                                                                                                                           ならば、それは、実のところ不誠実な時間であり、その不誠実に与した者がそのツケを支払わねばならないとしても、それは道理と言えよう。当時も今も、彼女の言い分に「そうだけれどもそうじゃない」「そうではないものの為に云々」などと言い返し得る言葉も思想も行ないの歴史も、ぼくは築けてはいない。情けなく苦く痛い限りだ。

大学最後の年に開高健『夏の闇』に出会い、「真に純粋な芸術的感動」(P7)を得た彼女は、「ストーリーや登場人物といったエレメントではなく、作品全体が放射するもの、『夏の闇』の世界そのもの」に捉えられ、次いで『輝ける闇』を「むさぼるように読んだ。」とあり、「この人間の言葉は、信じられる、そう思った」(P11)と言う。                                                                                                            開高の言葉と存在は彼女を捉えたのだ。                                                                                                                         やがて東京へ出た彼女は、雑誌『面白半分』の編集アシスタント期に得た偶然の機会を、意思的にゲットして心酔する開高に出会う。その後の場所と立場を変えて彷徨しながら続く「私設秘書」(本人自称)のような開高への関りの時間と暦は、開高の言動・著作によって刻まれて行ったと言っても過言ではあるまい。けれどもそれは、ファン心理・追っかけ・文学乙女の過度の傾倒・恋・・・などを超えた、先生と呼べる存在・師と仰げる存在を持つ者には理解できる心理心情だ。彼女の場合、それが、時に開高の母親であり・姉であり、精神的な妻でさえあるとしても、深層におんな布久子の「おんなの子」の恋愛感情があったとしても、それは開高への感情の部分でしかなく、ぼくには違和感はない。                                                                                                                    開高の言葉と一挙手一投足を、全身全霊に刻んで行く不器用で誠実な姿も、「開高さんは、いかり肩で胸に厚みがあり上半身はがっしりしている。」「開高さんは決して太っていないのである。」(P64)との気色ばんでの言い草も、それらはいずれもそのまま「敬愛」と「慈愛」の表現だ。                                                                                                                                                                                                          時にスリリングでさえある、開高への「表現しようもない」感情の機微は、読んでもらうしかないが、                                                                                       この一冊の美しいラスト・シーンに、ぼくは遠い日の彼女の笑顔を重ねつつこう思った。                                                                                                                                        男の感覚で軽々に痛々しいなぁ・・・と思う者が居たとしても、親しい女友達が全て理解した上で好感を隠して照れながら「恋物語?」と言ったとしても、あなたはその半生に独り何ものかを貫いた者には認められるべき、ささやかな矜持を慎ましく抱え持っていていいのだ。あなたは開高そのものではなく、開高への己の心情と、開高との邂逅によって獲得した世界・・・つまりは己の生の核に、殉じたのだ。                                                                                                                                                それは、広い意味での、一種の、本源的な意味での、非転向なのだ。                                                                                                                                                                                                                                                 

そのラストは、準備され組み立てられた小説の筋書き以上に、澄みわたり沁みわたり感動的でさえある。                                                                                                     曲折を経て1985年パリへ向かった彼女は貧しい単身生活を続け、やがて「かけがえのない私のワイン水先案内人だった」「開高さん」(P56)に誘われるようにワインに向かう。1995年には、8年にわたる渡仏生活を綴った「私のワイン修行記といった内容」(P215)の『エチケット1994』で第四回開高健奨励賞を受賞する。爪に火を灯す経済事情から、試飲会に出かけては培ったワイン道だと言う。                                                              1997年、雑誌『ブルータス』から声が掛かりロマネ・コンティのダブル・オーナーへのインタヴューの仕事を得る。                                                                                                                                 一通りの用意された応答の最後にこう訊く。                                                                                                                       「過去に多くの人がロマネ・コンティをさまざまなかたちで誉めそやします。一番お気に入りの評価は?」                                                                                                                        「日本の作家の小説『ロマネ・コンティ・一九三五年』(故・開高健:著)です。このヴィンテージはもはや存在しないし、我々のどちらも味わったことがありません。しかし、この小説を通して、完璧に、細部まで味わうことができました。」(P220)                                                                                                                       彼女は、「公の席で開高のことを話さない」という「禁」を破って、開高は自分が東京で働いていた頃の師であると告げる。湧き上がる感情がそうさせた場面の、双方の間に行き交う呼吸と想波が伝わってくる。オーナーは社屋から徒歩数分の村中に在る、ただの民家のような「世界一の名声を誇るワインが眠る」酒庫へと案内してくれ、樽出しのロマネ・コンティ1997年をグラスに注いでくれる。 読者には、静寂の中ワインがグラスに注がれてゆくその響きが聞こえ、酒庫の薄明かりの中に差している淡く重い濃く清い光が見える。 珠玉のシーンだ。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                  それはまるで、出会いから30年近く、渡仏から12年、開高の死(1989年)から8年、ワインのごとく「言葉では表せない」彼女の開高への情感と彼から得た「世界」が、異境の酒庫の「樽の中のワイン」のように熟成され、芳醇な香を育み、一条の光となって結実したかのように輝きを放つ・・・、その瞬間だと思えた。                                                                                                                                                                                                                             

この不器用な娘を、「ややこしい関係」にはならないだろうと踏んで信頼し、妻=牧羊子にマル秘の口座通帳を預け、素性不明の女性への送金まで任せた開高。1987年 彼女の心情の無垢・屈折・無私を全て承知している、二年後に逝く男:開高(57歳)が、テレビ番組『キャビア・キャビア・キャビア』の取材で、スタッフたちとパリを訪れる。躊躇してもやはり向かった再会の場面で、開高は「萬病の薬。(但シ少量ズツ服用ノ事)」と書かれた封筒をくれる。「アパートへ帰ってからお開け」と言われ帰って開けると、薬と思っていた封には真新しい100ドル紙幣が十枚入っていた。電話で礼を言うと「私が若く貧しかった頃、誰かにしてもらいたかったことをしてみただけのことです」。 ええ男やね、と言っておこう。 

開高は細川布久子(福子)生涯の師なのだ。                                                                                                                                                                                               

交友通信録: あるサマー・キャンプ

あるサマー・キャンプ【品川宿急襲三人娘(元)からお誘い 第二弾】

身内の13回忌に合わせて帰阪した。すると、去る五月「福島の子どもたちを放射能から守る会」設立集会からの帰路、品川宿を急襲して一泊、翌日文科省・厚労省交渉して帰って行った三人の女性(http://www.yasumaroh.com/?p=12075)から、「あんたの仕事も用意してあるから、参加しなはれ」と、某取組に誘われた(半ば強引に)。それは、                                                                                                                      *屋外プールに入れない福島の子供たちにプールを                                                                                                                                                                 *子どもたち(大人にも)に自然環境下の遊びを                                                                                                                                                    *移住を考えている人にきっかけを                                                                                                                                                                                                 *この猛暑下、ひと時の憩いを                                                                                                                                                                                                                                  *福島の親子たちと交流を                                                                                                                                                                                                 と、企画された「福島の子どもたちを放射能から守る会・関西」という団体のサマー・キャンプだった。                                                                                                        キャンプ地は吹田市自然体験交流センターという、「千里ニュータウン隣接地に、こんな自然に囲まれたええとこがあったんかい?」と思わせる素晴らしい施設だった。プールもバッチリ。                                                                                                                             教師をしている息子とその妻も、その三人の女性に誘われ、プールでの監視要員・子どもたちの遊びや探検ごっこの誘導員として参加していて驚き…。                                                                                                                            品川ヤスマロ君はポリープ切除(イボを取る程度の何と言うこと無い手術)直後だったが、参加させてもらい、ウエルカム・バーベキュー・パーティーで「焼きそば」作りを仰せつかり、ひと汗流した次第。

遠路はるばる福島などからやって来た親子の話は、それぞれ切実で、すでに移住先を決定し転職も決めた人、検討中の人、単身残り家族バラバラの人・・・。 進学・転校・仕事・転職・高齢の親・生まれ育った「地元」への愛着を越えた歴史など、様々な生活にまつわる要素に包囲されて、容易に基盤を変更する節目など確定できないのだ。当然だ。                                                                                                                                                             放射能に晒されながら、「動きたい動けない」日々、正確な情報の錯綜・国や行政の「追及されて追いかけて出す情報と対策」に翻弄される、物心の困難・苛立ち・無力感…。 けれど何とかしたいという気力・焦燥。                                                                                                              屋外で遊べないという「異常」が、「当たり前」となり、それに慣れて行く怖さ。                                                                                                                           異論を吐けば、地域によっては「変わり者」扱いされてしまい、「守る会・関西」の人も、街で職場でご近所で「そんな小さな取組が何になるんだ?」と言われるらしいが、そこに「戦時下」のような、変わらぬこの国の風土・人心が見えて哀しい。                                                                                                                                      けれど、人々は知っている。福島の小さな集まりが、五月「守る会」の立上げを果たし、地元行政との国との交渉を経て、20ミリシーベルト問題の撤回・除染作業の開始と拡大・全国に実態を知らせた経緯を。国会での数々の参考人意見・証言を引き出したことを。                                                                                                                                                                            「何になるんだ?」ではなく、事実は逆で、「何になるんだ?と言っていて、何になるんだ?」なのだということを…。                                                                                                                                    企画し実施した女性たちは、何になるんだと言われるまでもなく、自分たちの非力・無力を噛み締めてもいる。福島から参加した人々の生の声を聞けば聞くほど、その思いは増幅もする。けれども、けれども、けれども、・・・ であろう。  事態は続いて行き拡大するのだから…。                                                                                                                                                                                                                                                                菅降ろしに「原子力ムラ」の思惑が見え隠れすると言われているが、政治屋と産・原・報・学の「複合体」の思惑を覆すのは、己の非力と輪の形成の困難を痛感しつつ歩を進める人々の、「何になるんだ?」に怯まない発言と行動、その持続だと思う。                                                                                                                  

プールに入れない、野外で遊べない、日夜**シーベルトを浴び続ける児童。一時帰宅禁止区域・警戒区域・計画的避難区域・緊急時避難準備区域とされる地域と、その範囲外でもホットスポットと言われる地域に住む全ての児童の疎開を即刻実施すべしと思う。

福島などからの参加者、主催の方々、ご苦労様というより「ありがとう!」です。

歌「100語検索」 29、 <捨(棄)>

捨(棄)

「追」「逃」「変」の<動>的に対して、「待」を<静>的かな?とあげて思った。                                                                                       その<動>と<静>両方の執着の、いずれも拒否(断念・放棄)する構えが、「捨」(「棄」)や「断」(ち)「切」(る)なのか・・・、と。                                                                                                                                                                                      検索してみて、(日本の)歌の「捨(棄)」の多さに驚かされる。「歌詞」たちは夥しい数の事情や心情、物や者を「捨」(「棄」)てて来た。                                                                                                                       (下記記載の通りワンサカ・・・。多すぎるので、YouTubeから18曲だけ 転載)                                                                                  「そうかも」と思わせもする「煩わしさ」(「襟裳岬」)、「24色のクレパス」(「神田川」)、「飾り荷物」(「ホームにて」)など心当たりがあって苦いものや、                                                                                           捨て得る程度だったのか・・・と想像してしまう「涙」「恋」「夢」「想い出」「昨日」も無くはない。                                                                                     それらを脱ぎ「捨」て振り「捨」て投げ「捨」て、見「捨」てて、人は明日を生きようとして来た。                                                                    「愛する人(に紙くずみたいに)」とか「この俺(を捨てろ)」とか「(あなたを捨てたわけじゃない)弟」などと重く切実なモノを持ち出されては困ってしまうが、作者は実は、いずれも「捨」(「棄」)てられないモノを唄っているのだ。                                                                                                                                                                                                                                                                      一見捨て得る・捨てるべき・血反吐を吐いても捨てざるを得なかったと、そこで唄われているモノたちと、作者との関係は終っていないに違いない。捨てられない・・・と独白する絞り声が聞こえて来る。                                                                                                                            けれども、誰も(ぼくならぼくも)対象の言い分を聞かぬまま「捨」(「棄」)ててしまったモノを確実に抱えているわけで、その記憶は曖昧で、そのままの今日なのだ。                                                                                                              歌は、それらを呼び覚ますから、時にキリキリと痛たかったりする。

                                                                                                                                        『無情の夢』 http://www.youtube.com/watch?v=sAHHC9nysRg 児玉好雄                                                                               『酒は涙か溜息か』 http://www.youtube.com/watch?v=ji1Arw5H7QY 藤山一郎                                                                                                                              『かえり船』 http://www.youtube.com/watch?v=myDgvXaGsGs&feature=related 田端義夫                                                                                                                          『どうせ拾った恋だもの』 http://www.youtube.com/watch?v=LDgIH13WV7Y コロンビア・ローズ                                                                                                                       『東京ブルース』 http://www.youtube.com/watch?v=VMakJXr1z5w 西田佐知子                                                                                   『ひとり酒場で』 http://www.youtube.com/watch?v=_cd_edXCTNU 森進一                                                                        『知り過ぎたのね』 http://www.youtube.com/watch?v=8JGPLS7rn6s ロス・インディオス                                                                                                    『今さらジロー』 http://www.youtube.com/watch?v=sazVqZsWUEE 小柳ルミ子                                                                                           『あなたならどうする』 http://www.youtube.com/watch?v=DVkqBiXuD4s いしだあゆみ                                                                                                                          『弟よ』 http://www.youtube.com/watch?v=03zftJ6vbeY 内藤やす子                                                                                                           『ボギーボビーの赤いバラ』 http://www.youtube.com/watch?v=O1QbFI3p01g 中島みゆき                                                                                                                                                 『悪女』 http://www.youtube.com/watch?v=xq_sjOcZ-zs 中島みゆき                                                                                                                            『ひとり上手』 http://www.youtube.com/watch?v=7tUSOgrY65g 中島みゆき                                                                                                                                     『春なのに』 http://www.youtube.com/watch?v=ykE-z7Ltpdk 中島みゆき                                                                                                  『ララバイ横須賀』 http://www.youtube.com/watch?v=pEFCYKY8-Aw 山崎ハコ                                                                                                     『シェリー』 http://www.youtube.com/watch?v=lCeTvDr85CA 尾崎豊                                                        『浪速節だよ人生は』 http://www.youtube.com/watch?v=SIEyD9Xl_vo 木村友衛  

                                                                                                   『かなりや』 童謡・作:西条八十、 『上海帰りのリル』 津村謙、 『人生の並木路』 ディック・ミネ、 『湖畔の宿』 高峰三枝子、                                                                                     『好きだった』 鶴田浩二、 『ハイ、それまでよ』 植木等、 『未練の波止場』 松山恵子、 『だから言ったじゃないの』 松山恵子、                                                                                                                                                                           『俺は淋しいんだ』 フランク永井、 『羽田発7時50分』 フランク永井、 『夜霧の第二国道』 フランク永井、                                                                                                   『ろくでなし』 越路吹雪、 『港町涙町別れ町』 石原裕次郎、 『別れのサンバ』 長谷川きよし、 『花嫁』 はしだのりひこ、                                                                                        『星の砂』 小柳ルミ子、 『女のみち』 ぴんから兄弟、 『神田川』 かぐや姫、 『さらば恋人』 堺正章、 『襟裳岬』 森進一、                                                                                                                           『化粧』 中島みゆき、 『雨が空を捨てる日は』 中島みゆき、 『ホームにて』 中島みゆき、 『海よ』 中島みゆき                                                                                                                     『あの日に帰りたい』 松任谷由美、 『くちなしの花』 渡哲也、 『東京流れ者』 渡哲也、                                                                                                                        『そして神戸』 前川清、 『長崎は今日も雨だった』 前川清、 『迷い道』 渡辺真知子、                                                               『終着駅』 奥村チヨ、 『時代遅れの酒場』 高倉健、 『思案橋ブルース』 中井・高橋コロラティーノ、 『昭和枯れすすき』 さくらと一郎、                                                                                                               『夢追い酒』 渥美二郎、 『ルビーの指輪』 寺尾聰、 『ひと夏の経験』 山口百恵、 『悲しい色やね』 上田正樹、 『大阪で生まれた女』 ボロ、                                                                                                                        『涙をふいて』 三好鉄生、 『時の流れに身を任せ』 テレサ・テン、 『ストリッパー』 沢田研二、                                                                                                       『遠くで汽笛を聞きながら』 アリス、 『非情のライセンス』 中森明菜、 『氷雨』 日野美歌、 『さんげの値打ちもない』 北原ミレイ                                                                                                                            (以上YouTubeにあります。検索してみて下さい)

棄                                                                                                                   『悲しい酒』 http://www.youtube.com/watch?v=tRgCUMDQvNE 美空ひばり                                                                     『ノラ』 門倉有希、 『東京砂漠』 前川清、 

歌「100語検索」 28、 <待>

                                                                                                                               

「追」「逃」「変」には(たぶん「去」「離」にも)在るのだろう<動>的構えを、採らない・採れない<静>的構えが「待」だろうか?                                                                                                                                       「待」に潜むらしい、ある種の「能動性」に気付かされたのは歳を食ってからか・・・。                                                                                                            「待」つ側と「待」たせる側を繋いでいる、儚い「期待」と危うい「信頼」で編まれた細い紐は、ちぎれそうに揺れている。                                                                                                        思い出すのが『走れメロス』誕生譚だ。                                                                                                                    昔、太宰が執筆の為と称して、親友:檀一雄と熱海だったかどこかの温泉旅館に陣取り、書き始めるのだがどうにもはかどらずに居る。                                                                                                                                               地元の遊び人らとマージャン三昧に及び、負けが込んで金を作る必要に迫られる。                                                                                       人質として檀を残し、太宰が東京へ戻り金策に奔走することに・・・。檀は云わば拉致状態。が、待てど暮せど太宰は戻って来ない。                                                                                                         檀は方々へ連絡してみるが、太宰の行方も行動も掴めない。今日のように携帯電話などありはしない。                                                                                                                                                                                                                イライラ・ハラハラして待つ檀の許へ、ようやく金を携えて太宰が戻って来る。                                                                                「遅いじゃないか!」「連絡も寄越しやがらず!」と叱責する檀に返した太宰のひと言。 『待つが苦しいかね? 待たせるが苦しいかね?』                                                                                                               やがて後日、『走れメロス』が書かれることとなる。

『待ちぼうけ』 http://www.youtube.com/watch?v=qxP-klxijRw 童謡(歌:唐澤まゆこ)                                                                       『宵待草』 http://www.youtube.com/watch?v=xU4Y0PvjsOs 竹久夢二作(歌:倍賞千恵子)                                                                                                    『すみだ川』 http://www.youtube.com/watch?v=fAEH5Gmoo_M 東海林太郎・田中絹代                                                                                  『君待てども』 http://www.youtube.com/watch?v=tJU3up4uUz8 平野愛子                                                                              『東京ラプソディー』 http://www.youtube.com/watch?v=CdzyLnBbf5g 藤山一郎                                                                                 『異国の丘』 http://www.youtube.com/watch?v=9hkoI_r3MLM 竹山逸郎                                                                               『俺は待ってるぜ』 http://www.youtube.com/watch?v=BLmL0j4vhaY 石原裕次郎                                                       『ジョニーへの伝言』 http://www.youtube.com/watch?v=aE5guwwEi38 高橋真梨子                                                                  『昔の名前で出ています』 http://www.youtube.com/watch?v=8CSsKDeAXSY 小林旭                                                                   『待つわ』 http://www.youtube.com/watch?v=0nvBPQhKqRo あみん(岡村孝子・加藤晴子)                                                                                    『なごり雪』 http://www.youtube.com/watch?v=lGmh-cVIsFM イルカ                                                                                                 『さくら』 http://www.youtube.com/watch?v=CiD9QHPSWDs 森山直太郎                                                                                               『まちぶせ』 http://www.youtube.com/watch?v=zSVR-h5RKbA 荒井由美                                                                                                  『もうひとつの土曜日』 http://www.youtube.com/watch?v=uAdB2nxg5z8&playnext=1&list=PLAFC113FBB82406BA 浜田省吾                                                                        『冬を待つ季節』 -YouTubeには消されてありませんでした。-  中島みゆき                                                                                                                                             『この空を飛べたら』 http://www.youtube.com/watch?v=6n_zDrnF–s 中島みゆき、加藤登紀子

連載 60: 『じねん 傘寿の祭り』  六、 ゴーヤ弁当 (6)

六、 ゴーヤ弁当⑥

「いやね、亜希君、君は出会った頃の美枝子に似ているんだ。顔もだが、それより突っ張っているような雰囲気・喋り方・構え・・・」                                                               「私、突っ張ってませんよ。それに妻子ある男を奪う根性もありません」                                                                                黒川は半分笑いながら苦い表情をして                                                                                              「ハッキリ言ってくれるねぇ」                                                                                                                                またヒロちゃんが突っ込む。                                                                                                                  「あれ、亜希さん、妻子ある男やと言うてたよね、バイバイした男・・・。」                                                                               「だから、奪えないと言ってるんよ」                                                                                                                            「男が決断しないとなあ。ぼくだって苦しんだが、突っ走ったよ」黒川が能天気に言う。                                                                                                                                      その自己肯定が気に入らない。走ったことを自賛してみても・・・。裕一郎は会話に入った。                                                               「彼女が言うのは、奪えない、奪うほどのことだろうか?でしょ。そして、妻子というより抱えているものや歴史を棄てられないのだ男は・・・と」                                                                                                                     「裕一郎君とそういうことだったのかい?」                                                                                   「そういう期待はありますが、残念ながらぼくではありません」                                                                                                        亜希が継ぐ。                                                                                              「北嶋さんは今奥さんと離れているけど、きっと戻る。私には分かる。断言してもいい」                                                                                   亜希、君は俺の女房を知らないだろう? どうしてそんなことが言えるのだ?                                                         「黒川さんと美枝子さんはスゴイよね」                                                                                                                                               「亜希くん、皮肉かい?」                                                                                                                                                                                                            「いいえ、ほんとにそう思います。妻子があろうがなかろうが面倒くさいね、男に入れあげるのは。人生が邪魔されるみたいな・・・。自分の暦を自分自身の時間と課題で刻む、それが成らないような・・・。もうそれはいいから、子供だけは産みたい欲しいと思う」

酒は進んでいる。一時を回っていた。黒川が改まって言う。                                                                                                                                         「先日は失礼したね。君の出自の事、ヒロ君に叱られたよね。ぼくが、つい言ったのは、ぼくの実の母らしき人が琉球の人だからなんだ。ぼくの両親は長崎原爆で亡くなっているが、その女性は早くに沖縄に戻り戦後も生きていたはずなんだ」                                                                                        初めて聞く話だった。美枝子が言っていた沖縄の女性からの電話。何か関係があるのだろうか?その電話の主はその母親の縁者だったのだろうか?                                                                                                     「母親のその後の人生を知りたいんだよ」                                                                                                               「そうでしたか・・・。そのお母さん、黒川さんに逢いたかったでしょうね」                                                                                                                                                                     「ぼくに逢いに小学校の運動会へ来たようなんだ。かすかな記憶はあるのだよ。それが最初で最後だ。その時は、料理旅館をしていた実家の女中さんに親戚の小母さんと聞かされそう思っていた。琉球へ帰って、ヤマトの一切を封印したんだろうな・・・。知ったのは、随分後のこと最近なんだ。あれこれ調べているが、どうにも・・・」                                                                                                                                                                                                                    「私の母も、早くに亡くなった父親、私の祖父ですね、や行方不明のその兄や、朝鮮人の縁者のことを口にしていました。私、母の最期の想いは引き継ぎたいと思ってます」                                                                                          貯めていたものが堰を切ったかのように、亜希はガンガン呑み続けている。                                                                            「北嶋さん、私とあの人はドロドロの関係だったと思ってるんでしょ?」                                                                   「いや、全く分からんよ、ぼくには。彼も何も言わないし、ぼくも聞きはしない」                                                                                                                「黒川家の送別会の後、北嶋さんと呑みましたよね。口滑ったけど、確かにそういうことはありました。けど、弾みだと思うことにしてます。」                                                                                                                                                                                                               「弾み?」                                                                                                       「そう。あの時、北嶋さんと話してたら、急に出直そうと思った。私の人生があの人の付録になりそうでヤバイと思った。あの人の人生、今でもまぁ認めてますもん」                                                                                                                   「やれやれ、責任重大やね。そう思わせるような話、したかなぁ~? けど、認めてるなんて、奴も嬉しいやろうな」                                                                                           裕一郎は、亜紀と吉田高志の出来事への興味と、今聞いた黒川の話への心地よい納得が、重なって頭の中を駆け巡り酔いが回った。高志、よくぞこの女性と離れられたな。俺なら、きっと離れられまい。・・・。亜希にも高志にも、次の想いと言葉がまとまらない。                                                                                                                                                                                                                                                                                ただ、黒川に対しての気分は言葉として自分の中でかたち作れた。黒川さん、あなたは沖縄へ来たと言うより還って来たのですね。黒川に備わる吸引力のような奇妙な魅力に、いま聞いたことが関係していると思うと、何故か愛おしく思えるのだった。

歌「100語検索」 27、 <変>

「追」でも「逃」でもない構えに、「変」「転」があり、                                                                                                                                 「去」「離」「消」があり、「待」「留」「止」がある。                                                                                                            本日のお題は「変」です。 「追」ではなく、「逃」でもない。「変」なのだ。

『北の宿から』 http://www.youtube.com/watch?v=7vGZxrTRbUY 都はるみ                                                                                                         『私の名前が変わります』 http://www.youtube.com/watch?v=lRg-UjIsmyI&feature=related 小林旭                                                                                                                                『ヤマトナデシコ七変化』 http://www.youtube.com/watch?v=dzEZAmini-A 小泉今日子                                                                                                  『六本木心中』 http://www.youtube.com/watch?v=37YWdRj-k_E アン・ルイス                                                                              『人生一路』 http://www.youtube.com/watch?v=0rVdtFNFsMA&feature=related 美空ひばり                                                                                                                                  『壊れかけのRadio』 http://www.youtube.com/watch?v=3u22w9YHtgk&feature=related 徳永英明                                                                                                         〃   http://www.youtube.com/watch?v=gHVkEL114o0&feature=related   〃                                                                                                                                                                                                                                                                                   『美・サイレント』 http://www.youtube.com/watch?v=lkbyI9iUVDs 山口百恵                                                                         『世情』 http://www.youtube.com/watch?v=59GleMhJ98U 中島みゆき 

 

 

 

 

交遊通信録: あるメールやりとり  【吉本隆明「反核異論」】異論

知人からのメールを受信した。

 
 —– Original Message —-
From: ****
To: ヤスマロ君
Sent: Friday, August 05, 2011 1:36 PM
Subject: 原発・吉本隆明の意見
けさ(8月5日)の日経新聞朝刊に出ていた記事をスキャンしましたので、添付して送ります。
関心があれば、画像を拡大して読んでみてください。
(縦長7段ほどの記事で、スキャンしづらかったので、上半分と下半分に分けました。)
ただ、吉本氏が自ら執筆した文章ではなく、日経記者がインタビューして記事化したものです。
「発達してしまった科学を後戻りさせるという選択はあり得ない」という意見も、傾聴に値する見解だと思いました。
ご参考まで。
 
 
早速返信した。 
   
—– Original Message —–
From: ヤスマロ
To:****
Sent: Saturday, August 06, 2011 12:25 PM
Subject: Re: 原発・吉本隆明の意見 【への異論】

拝復。
ちょっと、言わせて下さい。
 
<敬愛する吉本隆明氏への疑義>
吉本談話拝読。
かねてより巨人吉本の「原子力」へのスタンスは、
古い吉本ファンから「?」を投げかけられて来ました。
吉本『反核異論』(1983年)(ぼくの本棚にも眠っています)を巡って、
60年代後半からの吉本信奉者から洪水のごとき「異論」が噴出し、
左翼知識人・学生等の間で物議を醸しました。                                                                                                                                                  当時、文学者たちが反核の声明を出したり、署名を集めたりの運動をしだしたころからずっと反原発を主張する人に対して                                                                           「ソフト・スターリニズム」とか「反核ファシズム」「反動」などといって批判・非難をつづけている。
今回の吉本談話はその意味では、「想定」内の出来事のようです。
 
学生期とその後の混迷時期(60年代末~70年代初頭)を彷徨っていたヤスマロ君は、
吉本さん発の言辞から多くの「道案内」を頂戴し、自己崩壊を免れました。
ここで言い始めると長く難解(ヤスマロが未消化かつ表現力不足ゆえ)なので
割愛しますが、概ね下記の課題です。
 
*人間の想像力・構想力、つまりは個人性の核心は、
  「社会的決定論」の大枠での影響下に在りながら、マルクス主義者が言うようにその支配下に在るのでは決してない。
*党は、それ自体、個人性の核心と逆立する「宿命」の中に在り、
  党として表現されるべき、集団的課題の只中に在る個人は、
  原理的にはひたすら党解体を目指さざるを得ない、という倒錯状況を
  覚悟して臨まねばならないという「宿命」をあらかじめ背負っている。
  しかし、その上で「協働」「共同」を求める途に立つ回路はあるのだ。
  そこを厖大な論考で説いた。「(大衆の)自立論」「共同幻想論」 などなど。                                  
 *男女・夫婦・家族、単位社会・交遊関係、目的組織・政治集団、民族・国家、
  それらはそれぞれ違う位相・違う複雑多様なベクトルの「歴史性」に由来しており、
  そこにはマルクス主義者が見落としたあるいは見ようとしない、
  固有の因子・歴史・風土・文化が棲み付いており、むしろその因子を
  究明することで、ある地域・民族・国家に生きる「人間」、生活を営む個人の本質に
   迫れる。社会・経済システムが人間に及ぼす力は、ゼロではないが、
  それは、社会にとっては「全体現象」であり、個人にとってはあくまでも「部分」なのだ。
 
などなど・・・。吉本さんは、戦後早くから、上記スタンスに立って、
決定論者との孤高の闘いを続けて来た。
戦後の共産党系左翼との訣別( 『ぼくは出てゆく、冬の圧力の真むかうへ・・・』 )、
60年安保では、安保ブント(全学連主流派)の側に立った数少ない知識人、
68~70年ころ、いわゆる学生叛乱に政治性の外から共感表明・・・・。
吉本さんの思想的営みは、詩作・文化・文明・民俗・言語・サブカルなど多岐に亘り、ぼくなんぞその言説を追って、                                                                                                                     花田清輝・村上一郎・磯田光一・今西錦司・柳田國雄・漱石・高村光太郎などに分け入ったし、                                                                              親鸞をちょこっとカジったのも吉本さんの影響だ。                                                                                                       『荒地』同人の末席に遅れて座り、戦後詩の荒地を切り拓いた吉本さん。                                                                                                                 衣更着信(きさらぎ・しん)という詩人を教えてくれ、巨星:田村隆一の詩を何度も読ませてくれた吉本さん。                                                                                  自身の詩を、繰り返しぼくに読ませた吉本さん。
その吉本さんの「文明論」「科学技術論」が、『反核異論』前後から、
どうにもぼくには「?」でした。
もともと、理科系(東京工大卒)だからか、科学技術への構えが「?」なのです。
 
添付記事にもある説に見え隠れするのは、
人間が切り拓いた技術への過信に近い信奉です。
お説を、皮肉を込めて拡大するなら、
例えば、「遺伝子工学」。例えば「劣化ウラン弾」。例えば「細菌兵器」。
それらを全面肯定するのだろうか? 
もっと言えば、世界資本主義がその混迷ゆえにこそ、いまのところ辿り着いた(とされる)
「グローバリズム」という『帝国』(特定の国ではなく、個別事情を無視して
有無を言わせず世界一元化のシステムに組み込まんとする妖怪)支配もまた、
「発達」してしまった(経済システム「科学」上の)「技術」という一面もあるのではないか?。
 
お説には、
「発達してしまった科学を後戻りさせるという選択はあり得ない」とありますが、
そこには、「させてしまったが、きわめて不都合なので変更する」という選択こそは、
きわめて「発達」した「科学技術」である、という「謙虚」が欠落してはいまいか?
人間が切り拓き、発達させた技術への過信を吉本さんから聞かされた、
多くの吉本ファンとともに師の最後の発信を、心から残念に思う者です。
 
制御無理(事実、核廃棄物の処理は未定のまま、廃炉工程未明のまま)では、
「発達してしまった」に届いていない「科学技術」であり、「後戻り」などではなく、
人類史の闇の海原で進路変更の舵切りを迫られている「発達していない」技術でしょう?
吉本さん、最終制御を遂げられない以上(そして、それはたぶん永久に無理)、
「発達してしまった技術」ではありません。見切り発車は、科学者吉本が
採るべき選択ではないと思います。
 
遺伝子工学の発達は、野放しでは、優勝劣敗の風土と新自由主義の猛威の中、
産み分け・優性保持推進を奨励し、「持てる者」たちが「偏差値」高位の
ベイビーを量産するでしょう。それも「科学技術の発達」ですか?
すでに、高収入キャリアシングルウーマンが、婚姻によらない出産を目指し、
高額を支払って闇で「有名大学医学部高成績」の精子を購入して念願の母になっている。
まさに吉本流価値観に拠れば、そうした「新自由主義」の極北こそ、
吉本説「大衆」が、その「生活」と「自立」を賭けて抗うべき思想ではなかったか?
吉本さん! あなたの言う「大衆」とは  誰のことですか?
 
 
【吉本論への異論をひとつふたつ】
 
 
 
 
 
品川康麿
【昨日大腸ポリープを五つ切除(イボを取る程度の軽手術)して、本日休養中】
 
<追記>
友人にして師のような、黒猫房主氏が数年前、カント、フーコーなどを引用して次のような文をくれた。                                                                     『理性の公的な使用』・・・・。いまそれを思い起こしている。                                                                                        「発達してしまった」「科学技術」を「理性の公的な使用」に照らして使用するために・・・。                                                                                           「科学」「技術」は、「公的な理性」の前でそれを超越する万能の存在ではない。
 
『カントが言った「理性の公的な使用」というのは、もちろん「公=国家・組織」のための理性の利用ではないのですが、                                                                   そのような「国家・組織」のための理性の使い方はカントによれば「公共性」を僭称していることに他ならず、                                                            「理性の私的な利用」となります。
フーコーは「啓蒙」とは次のような出来事だと言います。
「カントによれば、啓蒙とはたんに個々人が自分たちの個人的な思考の自由を
保証されるようになるといったプロセスのことではない。理性の普遍的な使用
と、自由な使用が、そして公的な使用が重なり合ったときに、啓蒙が存在する。」                                                                                        またフーコーは、
「人類が理性を使用する、その時こそ、<批判>が必要なのである。」
「<批判>とは、ひとが認識しうるもの、なすべきこと、希望しうることを決定する
ために、
理性の使用が正当でありうる諸条件を定義することを役割とする。」                                                                                                         「 錯覚とともに、教条主義と他律性とを生み出すのは理性の非正当的な使用なのだ。」とも、言っています。』
  
 
 
 
 
 
 
 
 
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