Archive for 9月, 2018

アジール空堀:『ゆきゆきて 神軍』上映会+原一男監督講演会

【「ゆきゆきて 神軍」上映と、原一男監督講演】9月17日 13:00~
谷六「小劇場 ほっとすてんしょん」参加者:35名

楽しくスリリングな集いでしたね。
昔観た際は、「ゆきゆきてブーム」「奥崎礼賛」の洪水下での「他の観客」への違和感を抱いていた。想えば、思い上がった感情だったか。
齢(70歳です)相応に相対化されてか、講演での原さんの懐の深さに救われてか、その感情が随分薄まったのを自覚できました。
当時の他の観客への思い上がった感情というのは、概ね下記の二点のようなことでした。


「大きな暴力」に対する暴力的抵抗の正当性を力み返って主張している君、
ワシも君とこころを同じくするものだ。ほぼ異存はない。
が、暴力の重量と自己嫌悪を理解することのない軽さの文脈で語って欲しくないのだ。
理不尽な暴虐への、弱者の抵抗権としての反撃の暴力を認めつつ、暴力を超えたいと希うワシです。奥崎氏にもそれを観たのです。
暴力、ワシにとってそれは永遠の未解決事項だ。
軽々しく礼賛されては辛い・・・そんな想いだった。


奥崎氏に糾弾される側の者たちを、卑劣漢・上からの言いなり野郎として自分とは無縁な者たちだと断じて、ハイ終了という視角に違和感があった。
彼らを「戦争の被害者」だとして一斉救済する気などは一切ないのだが、父・叔父つまり自身の肉親であったとしても不思議ではない者たちだ。自分であるかもしれない。
「視た・体験した」事実を伝えるべきだ、と強く想う。それが責任だとも思う。だが、
君は、職場で・部活で・居住域で・組織/団体で・党その他で
上や周りや慣例や空気に抗って人権を巡る自説を通そうと試みたことがあるか?あるいは為したことがあるか?

他者をその属性でステレオタイプに評価し、自身の帰属を求めて彷徨する精神に生き、帰属する組織/団体への属性を決して捨てることなく、指示・命令に抗うことのない時間。
そして奥崎氏の元上官の中に自身を観ることの無い文脈で奥崎氏の上官を語るな!そう想った。

ところでお前はそうして来たか?しているのか?と問われれば、ワシはもちろんその自信はないのだ。
『ゆきゆきて 神軍』はその意味で「しんどい」映画だったが、原監督の講演は、そうしたテエマに立往生するワシらをユーモアを交えて解きほぐしてくれた。そして一夜明けてジワリ迫って来るものの正体から逃げられない。

ほろ酔い交遊録:カミ君続報③

【私事 カミ君その後】

デンマーク人:カミ・ニルソン(元イラン人:カームラン・タビビアン)。
カミ君は神の子か (笑) !? 1990年代に10年間 不法滞在イラン人だった時も驚きの強運で、次々と難題を乗り越え生き延びた(92年我が社{ 施工業の労組自主経営企業の飲食事業部 }にバイトで勤務)が、今回も多くの方のご尽力で魚卸業社が出している店、それも本人の希望通り「魚料理と寿司の店」で見学・研修させてもらうことになった次第。
デンマーク(ホテルの食堂に勤めている)へ帰ったら、将来寿司店をやりたい。日本人の妻が欲しい(?)・・・と永年の夢を語っている。
趙博さん・呉光現さん・川瀬俊二さんやワシの友人、多くの方から助言をいただきました。北摂ユニオンの江坂セントラルホテル争議以来の付合いの河崎さん・茨木で居酒屋「ゆんたく」を経営していた黒肥地さんに店を紹介いだだいたのです。特に黒肥地さんにはご尽力いただきました。彼女は「茨木ゆんたく」閉鎖後、「井上水産」という「魚料理と寿司の店」にパートで入ってます。自身の職場に引き合わせてくれたわけです。店もよく受容れて下さったことです。カミ君がいい加減だったら彼女の信用にかかわるのです。みんな、カミ君の人柄を認めてくれたのでした。
がんばれ、カミ。
井上水産様・黒肥地さん・河崎さん、本当にありがとう!

帰国する月末まで、短期間ですが「井上水産」に居ますので、この間相談に乗って下さった方々や、1990年代の不法滞在イラン人としての彼を知る人も、もし時間あれば是非訪ねてやって下さいね! 23日(日)・28日(金)は確実に居ります。地図付けときます。

【画像】
*上左:黒肥地さん非番の日にお店に依頼してくれたの図
*上右・中左:カミ君勤務風景。
*中右:勤務後数人のお客さんと歓迎会
*下:デンマークの勤務先で職場仲間と

 

ほろ酔い交遊録:カミ・ニルソン大阪滞在記②

9月11日。
デンマーク人:カミ・ニルソン(元イラン人:カームラン・タビビアン)君の
大阪滞在記続編。
市内である集まりがあり、ワシはその会の後カミ君と食事する予定だった。
会が終わり呑み会に参加するに当たり、たまたまその集まりで、難民・国民国家・民族・EU・貧困・外国人労働者・自主管理社会主義などの言葉が出た会だったので、カミ君の同席を申し出たところ了解をもらった。心斎橋から向かったカミ君は、多少迷ったが昔(1990年代)オーバー・ステイ数年のイラン人としてキタもミナミも知る土地勘を活かし程なく到着。(カミ君は、ワシらの労組自主経営企業体で92年から短期1年半バイトをした。長い詳細は先日9月6日投稿済ゆえ割愛)
デンマークでは「言語」「社会常識」のスクールに通い、政府指定の社会奉仕的作業に就けば生活出来る程度の収入と住居が提供される。4年間続ければ「国籍取得」出来る制度がある。カミ君は、あと数か月後晴れて国籍取得だ。いま、そのスクールはシリア人で溢れているという。

ほろ酔い交遊録:【奇妙な寄合い】~国境・民族を超えて~

【奇妙な寄合い】~国境・民族を超えて~
デンマーク人(90年代半ば日本在オーバーステイの元イラン人):カミ・ニルソン51歳。
在日朝鮮人二世(浪速の歌う巨人パギやん):趙博61歳。
「アジール空堀」世話役(25年前、カミの雇用主):橋本康介70歳。
日本人(国籍取得 元イラン人、京大卒、貿易商):ムハンマド・シャジャリ60歳。
*シャジャリ氏とは、清真人氏の紹介で30数年前に知り合った。

1977年スタートしたワシらの労組自主経営事業体が、店舗設計施工という本業以外に1990年代に居酒屋・他の経営にも手を伸ばしていた時期。
93年たまたま知り合ったギリシャ人(当時の自称)を飲食部門のホール係バイトで雇用した。カームラン・タビビアンという。彼はよく働き、上司にも仕事仲間にもお客さんにも好かれ1年強働いた。ギリシャ人の自国呼称:エリニキを知らず、他国の者だとワシにバレた。訊くと、オーバーステイのイラン人。当時20代後半のイケイケ外人。
書き切れない量と事情のいきさつを経て、ワシらの事業体を去って数年後、ワシらの本業と関連事業が破産(98年)したころ、自ら入管へ出頭し自費でイランへ帰国した。
2014年2月、ワシの携帯に彼から電話。何と、デンマークから。デンマーク国籍取得を目指し「語学」「社会常識」のスクールへ通い、政府指定の作業をして住居と給与が与えられる。
2015年に「たこ焼き」「お好み焼き」「焼きそば」のレシピ研究だとかで来日。その時はあと二年で国籍取得だと言っていた。今、デンマークでは国籍取得スクールには圧倒的にシリアの人が多いという。う~ん・・・。
その彼が先月の彼の懇願に応じて発した、ワシの「招請状」「身許保証書」で、またまたやって来た。今回は「寿司を知りたい」だ。あと数か月で国籍取得らしい。どうなることやら・・・。
で、顔の広いパギ、イラン人保護の通訳もしているシャジャリ氏(カミの相談役を押し付けた?)、ワシ、カミの会となった。ミナミのゲストハウスに投宿するカミの支援を話し合った。
趙さん、シャジャリさん、お忙しい中ありがとう!

Ken Luckbook

おー懐かしい!シャジャリさん。彼の兄も一緒に北新地で飲みましたね。シャジャリさんとは数年前まで年賀状を交わしていましたが・・・カミがいた南のバーに行もきましたね。もう20年になりますか・・・?

 

橋本 康介  研ちゃん。

諸事情(言葉の問題、他のバイトとの行き違い、その他)で、ワシらの企業を辞めた後、彼独特の「人懐っこさ」を武器に「支援者」を得てミナミの小さ店舗を「又借り」できて、開店したのが何と「ギリシャ・バー」(笑)。壁にはエーゲ海の碧と海岸崖の白い建物の絵が掛かっていたねぇ。まぁ、インチキと言えばインチキだが「エーゲ海気分」でカクテルでも呑んだ客は別に不快には思っていないだろうから「OK」なのだ。

トマトとルッコラ(かな?)とキノコにチーズがたっぷり入ったギリシャ・オムレツというメニュウもあって、なかなか美味しかった(笑)。

ワシは実のところ、不法滞在だった彼の知恵と工夫を全く怒ってはいない。尻拭いした案件(**関係、ヤバイこともあった)も多少はあったが、むしろ出会いに感謝している。けど、ギリシャに詳しい客が来たらどうすんの?と不安だったなぁ~。

駄エッセイ:『年をとる・・・。それは己が青春を 歳月のなかで組織することだ』

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