Archive for 1月, 2017

たしがれ映画談義: マーチン・スコセッシ二作 イエスに関して

K・Tさん帰米されましたか? 過日はマーチン・スコセッシが『沈黙』を映画化したを機に原作:遠藤周作『沈黙』のブックレビューをおおきにでした。 吉本隆明『マチウ書試論』を半端に持ち出したりして、残識の徒が遠藤の真意は「正邪二元論・一神教・原理主義・各相の決定論という西欧思想に対する東洋的異論(アンチ決定論=相対論)だと思う」という主旨を述べました。それこそが「救い」だとも言いました。 キリスト者でないばかりか、キリスト教をよく知りもせず失礼しました。

ところで、マーチン・スコセッシと言えば、全世界で上映阻止運動が巻き起こった『最後の誘惑』(日本公開1989年)をご存知か?  ウイリアム・デフォーが見事なイエス役だった。136236_01[1] ここで、スコセッシは、 今は娼婦に身をやつすマグダラのマリアは、若き日のイエスの恋人だった。かつてイエスは、彼女を振り切って求道の道へ進んだのだ。又、イエスの生業は、同胞ユダヤ人の棺桶・十字架作りであった。この2つがイエスの臓腑の底に棲み付いているとした。

イエスは、弟子たちを従えいよいよエルサレムに入城して、今まさに人々に蜂起を呼びかけるべきその場面で、ヘナヘナと腰くだける。 イエスは既成大教団とローマに、殺されることによって「生き続ける」道を選び、全てを理解するユダがその道への補助をしたのだ。やがて、教祖イエスとユダヤ教団内弱小分派:ナザレ派は永遠の存在となって行く。 という解釈の映画だ。すこぶるスリリングで深い。 今回の『沈黙』に通底しているものがあるなら、それを掴みたいと思っています。マーチンスコセッシ 「棄教しなければ信者たちを処刑する」という権力の方法論の現実性と、己の信仰を捨てまいという個人の固い思想性との格闘で、思い出したのが吉本隆明『マチウ書試論』(1954年)だ。 荒野でのイエスの40日間の断食に登場する悪魔は「お前が神の子なら、この荒野の石ころをパンに変えてみよ」との問いを発するが、これへのイエスの「人間はパンだけで生きるのではなく、神の口から出るすべての言葉によって生きるだろう」との詭弁のような答えなっていない答えに関して、吉本隆明は以下のように述べている。 『人間はパンだけで生きるものではなく、と言ったとき、原始キリスト教は、人間が生きてゆくために欠くことのできない現実的な条件のほかに、より高次な生の意味が存在していることをほのめかしたのではない。実は、逆に人間が生きるためにぜひとも必要な現実的な条件が、奪うことのできないものであることを認めたのである。つまり、悪魔の問いがよって立っている根拠をくつがえしたのではなく、かえって、それがくつがえし得ない強固な条理であることを認めたのである。』 『だが、原始キリスト教の立っている条理は全く別だと、マチウの作者は言っているのだ。』 悪魔の第二問:「神の子であるのなら、この神殿から飛び降りてみよ」VS「汝の神を試みてはならない」も同様の展開だね。飛び降りて、神の力によって助かるとは一言も言ってはいない。 「神の力で奇跡が起きる」と断言返答したところで、石はパンに化けないし、飛び降りればけ助からないので、どう言うかに拘わらず「救い」は無い。 昔「沈黙」を読んだ時、「マチウ書試論」を借用して、遠藤が現実的な条件とは全く別の条理があってそれは譲れないとする信仰の不滅を説いたのであって、それは、正邪二元論・一神教・原理主義・各相の決定論という西欧思想に対する異論の東洋的体系(アンチ決定論=相対論)だと思うことにした。それこそが「救い」だとも思った。極論すれば「拡大する良民の犠牲を止めさせるために{転ぶ}こと」を「神」への背信とは位置づけない「思想」のことだ。 その時代の制約・人心の地平を考慮した厳しい物語ですが、遠藤が今日的に提示したのは、信仰の根本は「現世利益に非ず」といふ厳しい思想であったと、当時思った者の一人です。ひねくれていますか? あの物語は、極論すればあの状況下では「{転び}もアリ」とする、キリスト教倫理への異論だと理解した。そして、それが「救い」だと・・・。こうした状況下と動機での{転び}なら「神」は「赦す」という理解とでもいいましょうか・・・。 正邪二元論・一神教・原理主義・各相の決定論という西欧思想に対する異論だと思っとります。蛇足⇒この想いは西欧マルクス・レーニン主義教条へのワシのスタンスでもあります。ふと、ある少数派団体のその又弱小分派に関与した友の、思い込みと錯誤に塗れた日々を思い起こしました。

駄エッセイ: 『母と娘-高橋真梨子さんの壮絶母子』

【母と娘】
同居人が、金曜日夜、しばしば中居正弘がMCをするTBS「金スマ」を観ている。出演しているコメンテーター:大竹しのぶ・室井佑月の濃いファンだからだ。

6日、激痩せの高橋真梨子さんが出ていた。再現ドラマで、ワシが知らなかった彼女と母の壮絶な人生が映し出された。
ヒロシマ・18歳と16歳で結婚した両親・大好きだったジャズマンの父・原爆が原因かもしれない父の足傷から壊死~両脚切断・両親の別居・母の水商売~男性関係~離れはしないDV男・何度も目撃した男の暴力・両親の離婚・父の死・母との確執・どうしても母を赦せなかった日々・・・。
高橋真梨子さんの歌に在る、ある「憂い」の背景を知った。あの抜群の歌唱力で、恋を唄い、愛を唄い、別離を唄い、生きていく女の希望を力強く唄っても、彼女の歌唱と表情には拭えない「陰」が宿っていた。
母が最晩年に好きだった、真梨子さん作詞の『フレンズ』、その唄い出し
「煌めいていた そして戸惑う青春だった」は書き直されたものだそうだが、書き替えられる前の原歌詞は
「修羅のごとく生きた 青春の抜け殻」だそうで、母はその原歌詞が好きだったのだ。
余命宣告を受けた母を、東京に呼び寄せ同居するが、数か月後母は涯てる。
いま、「あぁ、あの歌詞こそは母の青春だったのだ」と想うのだ。

 

ふと、2015年95歳で他界した我が母の晩年の歌を思い出す。
「みれん断ち実母に返すが此の稚児の 幸せならんと諦めし乳母」
「乳母里より付き人のごと添いて来し 田舎人形夜ごと抱きしよ」
「いつの間にか姿消したる縞木綿の 人形恋いて泣きし幼日」
「父の里に預けしわれを疎みたる 母の胸中識る年となる」
幼い日から幾度も聞かされたが、永く不幸な母子関係だった。世に幾万とあろう、永く心からの和解はできなかった母と娘の確執。そして「それ」を超える心・・・。
高橋さんは自らの半生を根拠地に類まれな歌唱をものし、そして歌の力、唄う力を得て「それ」を超えたと思う。 我が母は超えたろうか?

高橋真梨子(1949年生まれ67歳):
「ジョニィへの伝言」「五番街のマリーへ」「あなたの空を翔びたい」
「for you…」「はがゆい唇」「桃色吐息」「ごめんね…」「フレンズ」

品川塾誇大史: ウラジオストックの新石器時代~縄文期の黒曜石

友人たちが7月に一週間前後、極東ロシアを旅すると聞いた。
「日露」戦争跡地巡りでも、「北方領土」からみや昨今の日露の極東資源開発・経済協力の事前調査でもないことは確かだ。
21世紀の東アジアを俯瞰し、尖閣問題・いわゆる「中国の赤い舌」問題に限らず地政的課題、経済的相互協力(依存)的課題、文化・民族的課題、20世紀の歴史を共同の東アジア史として見つめ、中日・朝日・韓日・露日の現実的な壁・制約と可能性を肌で感じたい、とのことだと聞いた。諸事情で行けないが、興味があって羨ましい。
ワシの興味とは、短期間の旅で何かを掴める質のものでないが、21世紀だからこそ、100~150年の近現代や500年や1,000年の単位の時間ではなく、地図的だけでなく時間的にも俯瞰したいとの積年の「黒曜石」ロマンとでも言うべき妄想だ。

過去ブログから転載する。
青森県青森市の4,500年前から3,000前だろうと言われている、有名な三内丸山縄文遺跡には大型家屋(集会施設か)の構造柱の巨木(栗=腐りにくい)・糸魚川のヒスイ・長野県霧ヶ峰の黒曜石・新潟のアスファルト(防水剤)などが出土していて、この地の集団の交易圏の想像以上の広さが実証された。
同時期かそれ以前の生活用具のひとつ石鏃(ナイフやヤジリとして実用)が、ウラジオスットクから出土している。石鏃の素材は「黒曜石」で、ガラス質でスライスし易いが強度もあり石器時代から刃物として使われて来たと言う。その成分は、二酸化珪素・酸化アルミニウム・酸化ナトリウム・他で、現在の分析技術では成分構成比や混合成分から、その産地が特定できるのだ。
ウラジオストック出土の「黒曜石」土器だが、分析の結果、果せるかなその産地は、何と島根県隠岐だった。

縄文期、あの内海―――日本:日本海、韓国:東海、共和国朝鮮:朝鮮東海、中国:日本海のようだ――を、交通路とする文化・交易の実態があったことが、浮かび上がる。
縄文期の伝承らしいと言われている、出雲の「国引き神話」で北や西の国を『引く』のも「交易権樹立」の事績の伝承と読み解けば、あながち絵空事だとは言い切れまい。kokuyou11

話は飛ぶがうんと下った時代の、近畿天皇家による九州王権の歴史・神話・伝承・文化・他の強奪・剽窃の歴史・・・・。
ある勢力の東征(九州一派の大和入り)、邪馬壱国、九州王者磐井への近畿継体政権の叛乱(教科書は「磐井の乱」と記述)、聖徳太子&遣隋使の虚構(阿蘇山あり、故なくして火を噴き云々)の真実、壬申の乱の実際、の聞きかじり情報を縷々申し上げて来た。
また、縄文期の実態と「あの海」を巨大な内海とする文化圏のことも素人なりに言って来た。おおかたは、「現情勢に関係ないやろう?」との反応だった。
「現情勢に関係して来ている」ではないか?!21世紀~22世紀、それらが明らかになって行くか?

 

山村 貴輝
 山村 貴輝 古田さんは現地を見ていないから(文献だけ)、空理空論です。
橋本 康介
 橋本 康介 おっと、「空理空論」とは穏やかならぬ手厳しい表現! 確かに、古田氏は「倭人も太平洋を渡った」「(エクアドルの)バルディビア遺跡(縄文土器との近似性)」や『東日流(つがる)外三郡誌』に関する論説などで、実証性に乏しい・思い込みだとの批判に晒されて学術的信頼を落としたらしい。が、ウラジオストック黒曜石の石鏃に関しては、脚を運んでもいるようですよ。
http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/kaihou54/furuta54.html
貴兄は何処だったかで「考古学研究者」と名乗って居られたから専門家でしょうが、素人のワシにはここでの論旨=(ウラジオ出土の黒曜石の産地は隠岐だった。縄文期あるいはそれ以前から、日本名:日本海を内海とする交易圏が存在した)=は、空理空論ではないと思います。
出来れば、この論のどこが空理で何が空論なのか、教えて下さい。
なお、縄文文化・紅山文化の時系列的位置は縄文の括り方で諸説あり、紅山文化⇒縄文文化とも言い切れないらしいですね。ここらも教えて下さい.
鹿児島県霧島市国分の9,500年前と言われる「上野原遺跡」の完成度の高い土器などの写真を観ていると、約6,500年前の喜界カルデラの大噴火(普賢岳のおよそ100倍規模)で南九州一帯の生物が全滅したというこの遺跡が告げる縄文の深さに唖然!つまり、6,500年前の火山灰地層の下からゴロゴロ出土してくる。

http://bunarinn.lolipop.jp/…/minamikilyusilyuuA-html.html

山村 貴輝
山村 貴輝 お答えするのは膨大な資料的裏付けと文字数が必要です。まず、ウラジオの黒曜石は「本当」です。とりあえずここまで。
なお、縄文文化が大陸に影響を与えたという考えは、皇国史観に繋がる思想で学問ではありません。打倒の対象です。
橋本 康介
橋本 康介 いずれ拝読します。                  
「空理空論」「打倒の対象」・・・似た言葉ですね。大陸に影響を与えたというのはいかがわしく、よぼどの資料・出土などの立証が必要だとワシも思いますね。が、火山帯とう条件などから、先行した「焼き物」技術(例えば上野原遺跡)があったとしたら、それの一部が影響した可能性をただちに全否定する識量を、当方持ち合せてはいない。取り敢えず、思考において、要は空理空論や打倒という、かつて「決定論者」が使った言い回しを、ワシは好まないといことだけお伝えします。

 

通信録: 年末~正月 個人商店主の悲哀?

ここ数年の年末~正月は、女房が長女夫婦が営む名古屋市千種区の洋菓子店へクリスマス&正月の繁忙に合わせ、家事・炊事+児童の世話(保育所休みにつき)に「出張(?)」滞在。
ワシは長男の空堀フレンチ店の4回目になる「フレンチ おせち」の一部(北摂方面=全体の約一割9軒配達)の大晦日配達要員。配達を終えて、ワシも名古屋洋菓子店へ・・・、という訳で親バカ・ボランティア(?)。(真空パックや冷凍配送を店主が嫌うので、基本「店渡し」。北摂のみ例外)。
今回は、昨年初めからワシが腰・脚に不具合が続き、東京勤務10年目にして、滞在を9割がた減じて対応しているが、大晦日任務は待っていた。やむなく店主の弟(教員)を運転要員に動員。零細個人商店の家族総出での年越しという、どこにでもある商売人の風景ではあった。
まぁ身体が動くうちは、「仕事」があって有難いと思うしかない、のか。%e3%83%96%e3%83%ad%e3%82%b0%e8%a8%98%e4%ba%8b-%e3%83%95%e3%83%ac%e3%83%b3%e3%83%81%e3%81%8a%e3%81%9b%e3%81%a1
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