Archive for 12月, 2012

2012年の訃報.  また 得難い人たちが逝ってしまった。合掌。 

1月 林光(1931、80)  (カッコ内数字は、生年と没年齢)                                                                                                           セリフの無い映画、新藤兼人監督『裸の島』(1960)の音楽は、50年以上経った今も鮮烈に耳に残る。                                                               林さんの音楽に、敗戦時14歳・大人前少年の原風景が見え基調音が聞こえる、というのは変ですか?                                                                                2月 淡島千景(1924、87)                                                                                     元タカラジェンヌだそうです。何と言ってもオダサク=織田作之助『夫婦善哉』(1955)での森繁との絶妙の夫婦役です。淡路惠子さんら遺された後輩の言によれば、現実の交流では「兄貴みたいな存在」だったそうです。芸名の由来は「淡路島 かよふ千鳥の なく声に いく夜ね覚めぬ 須磨の関守」だし、スクリーン上では、決してそうは見せないこういう役者の値打ちは、ぼくならぼくの現実の交友関係でも得がたい女性なのだなぁ。                                                                                                                                  3 吉本隆明(1924、87)                                                                                               当ブログ2011年8月の記事: 『吉本隆明「反核異論」異論』 http://www.yasumaroh.com/?p=12371                                                                                 4月 安岡力也(1947、64)                                                                                                                                       父親がイタリア人、母親が日本人。そのハーフだったとは知りませんでした。祖父はシチリアン・マフィアだそうで・・・。  ぼくと同年生れ。それがどうした?・・・ですが、何か親近感あるんですな。                                                                                                    5月 新藤兼人(1912、100)                                                                                                                                               遺作『一枚のハガキ』(2011)を公開時に観ることが出来たのは幸い。大竹しのぶが最高でした。                                                        『清作の妻』(66年、脚本)などにも一貫して流れる、民の「生」(それも女性の)の側から「国家」「天皇」を射通す、臓腑に沁みついた反軍国・反国家主義の脈は生涯揺らぐことがなかった。                                                                                                                                                        等身大のゲバラを描いた『チェ28歳の革命』のベニチオ・デル・トロによるロング・インタヴュー(2011)を「日本映画専門チェンネル」で観た。映画を愛する者二人の圧巻のトーク番組だった。ベニチオが多く深く新藤作品を観ていたのには驚かされた。機会があれば観られたし(確か、50分前後の作品としてネットに在って、ダウンロード可のはず)。                                                                                                                6月 伊藤エミ(1941、71)                                                                                                                               ザ・ピーナッツの姉の方。沢田研二:ジュリーの元女房。ぼくは、ピーナッツには珍しく演歌調の『大阪の女(ひと)』が好きだと言っては笑われてます。「まるで私を責めるよに 北の新地に風が吹く」の替歌詞で唄うのですが、その自虐歌詞の内容は恥ずかしくて、ここではナイショです。ジュリーとの間に息子が居るのだそうだ。                                                                                 同月 地井武男(1942、70)                                                                                               ぼくの東京単身生活開始と相前後して始まった(2006・4~、テレビ朝日系)東京旧市街や各沿線案内の『ちい散歩』は、不規則な現場業務のぼくにとって時々観ることが出来た貴重な「東京案内」だった。                                                                                                                                        俳優座養成所へ第15期生として入所。同期には原田芳雄林隆三太地喜和子赤座美代子前田吟夏八木勲高橋長英竜崎勝秋野太作栗原小巻小野武彦村井国夫三田和代など錚々たるメンバーがいた。う~ん、スゴイ面子。                                                                                            8月 津島惠子(1926、86)                                                                                                                                                                                                                                      戦後第一期女優の一人かな・・・。ぼくにとっては、原節子・岸惠子・高峰秀子・久我美子らとともに「戦後」という語に付いて回る、実際には出遭ったことのない焼跡・闇市と、それを乗り越えた「知性」や「戦後女性」を象徴する顔なのだ、もちろん彼女たちの黄金期は知らない。『七人の侍』は、若武者:木村功が農村の娘(津島)を「たぶらかす(?)」のではなく、身分制度上の現実や結ばれること叶わぬ未来と村での烙印付き将来を度返しして、一瞬の「恋」の方を選択する村娘の力強い自立をこそ見たいと、友人(女性)が言って、妙に「なるほど・・・」と納得した記憶がある。                                                       その友人は、言葉に見合うその後を見事に生きている、と感じている。                                                                                                         同月 山本美香(1967、45)                                                                                                                                  ジャパンプレス所属。2003年イラク戦争時、バグダードから独自のレポートを送り続けた。本年、シリア内戦取材中、政府軍の銃撃に斃れる。戦場報道での殉職だ。父親も朝日の記者だったそうです。                                                                                        9月 アンディ・ウイリアムス(1927、84)                                                                                                                                             世界的にヒットした、映画『ティファニーで朝食を』の主題歌『ムーン・リバー』(61年)も、翌々年の『酒とバラの日々』も好きですな。                                                                                                                                              映画「ティファニー」を観たのは62年15歳の高校一年の時。オードリーさんへの先入観からかぼくが幼すぎたのか、ホリー(役名)を『ローマの休日』や『尼僧物語』の延長上で観ていた。映画でオードリーがベランダ前の窓際で歌う素人歌唱はホント良かったですな。いや、アンディの歌唱が世界に広げたんですが。                                                                                        10月 大滝秀治(1925、87)                                                                                                                                                                                                                                                                  滝沢修亡き後、大滝秀治が引き継いだという舞台、『炎の人ゴッホ』と『巨匠』。                                                     1944年、ナチス・ドイツ占領下ポーランド。ワルシャワ蜂起直後、鉄道爆破への報復を為そうと、小学校校舎に追い詰めたメンバーの中から、知識人を四人銃殺すると宣言して身分確認を始めるゲシュタポ。                                               簿記職の身分証明しか持たない歳老いた旅役者は、自分が俳優であることを証明するために台本なしで「マクベス」のモノローグ(ひとり言)を演じて見せ役者の矜持を示す。それはすなわち、死を選択することなのだが・・・。木下順二晩年の作:巨匠。 観たかったなぁ~~。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                        滝沢修・宇野重吉・北林谷栄・大森義夫・芦田伸介・加藤嘉・清水将夫・下条正巳・下元勉・鈴木瑞穂・佐野浅夫・内藤武敏・米倉斉加年・奈良岡朋子・吉行和子・南風洋子・樫山文枝・日色ともえ・高田敏江・他、新劇史に名を刻む錚々たる面々が在籍した劇団民藝の、宇野亡き後の法人代表だったそうだ。                                                                                                                               近年の「つまらん!お前の話はつまらん!」(大日本除虫菊社の水性キンチョール?のコマーシャル)は、頑固で不器用だが、曲げることない信念を抱えて生きて来た老人の喜劇的「悲哀」を、数十秒の中で見事に表現していた。ぼく選「テレビCM」ベストワンです。あのCMに、新劇の歴史への矜持とおバカTVへの異論とを重ねると、テレビ界に対する「つまらん!お前の話はつまらん!」に聞こえるのだ。                                                                                                      http://www.youtube.com/watch?v=g0w_-e-caBw                                                                                                                                  11月  森光子(1920、92)                                                                                                    没直後の当ブログ記事 『森光子さんの「放浪記」』 :http://www.yasumaroh.com/?p=15790                                                                                                                                                                     12月  小沢昭一(1929、83)                                                                                                                                                                                                                                川島雄三『洲崎パラダイス赤信号』『幕末太陽傳』今村昌平』『エロ事師たちより・人類学入門』・・・、沢山観ましたが、浦山桐郎『青春の門』(1975、77)での蛇足的なナレーション(劇外人物として作者の分身として登場)役は不本意だったと思えてならない。浦山さん、悪いのですが、実際、興醒めでした。観客をもう少し信用してやって欲しい。                                                                                                                                                              小沢昭一・仲谷昇・加藤武・フランキー堺などは、旧制麻布中学の同窓。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                 地井武男の俳優座養成所、大滝秀治の民藝、小沢昭一の麻布中学・・・。なるほど、手塚治虫が中心に座る「ときわ荘」に、藤子不二男・赤塚不二夫・寺田ヒロオ・石の森章太郎らが吸い寄せられるように住み着き、刺激し合い育ち合ったように、旧制麻布中学には面白い面々が集って来る引力が在ったようだ。そうした磁場は確かにあるものだ。                                                                                                                                                        小沢は、各地に残る民衆芸能の研究でも知られ、レコード『日本の放浪芸』の製作、著作『ものがたり・芸能と社会』『小沢昭一的・流行歌昭和のこころ』などを出版。                                                                                           また「マスコミ九条の会」の呼びかけ人でもあった。各界にこういう人が少なくなって行くようだ。                                                                                       出でよ、継ぐ者たち。

 本年の教訓: いやぁ~、友は大切だ!

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それではみなさん、本年も閲覧と辛口ご意見 有り難うございました。                                                                                                        来年は仕事を減らしてもらい、鈍ったカラダを鍛えることを兼ねて、少しは動きたいと思います。                                                                                                       世はホントの意味で「正念場」に差し掛かっています。猪瀬とは違うカタチの「全共闘のなれの果て」を示さんとアカンね、なぁ同輩!                                                                                      ワシらのマクベスを諳んじて見せようぜ。                                                                                                                      では、よいお年を(そう気楽に言えないのですが・・・)                                                                                       

2013年追記:                                                                                                                2012年12月30日 ベアテ・シロタ・ゴードン(1923、89)                                                                             両親がウクライナ系ユダヤ人の米国女性。GHQ民生局の一員。                                                     日本国憲法草案制定局に配属された、当時22歳。                                                              憲法24条=男女平等条項制定に尽力した。                                               ジェームス三木作『真珠の首飾り』など憲法成立史に詳しい。        

衆院選雑感。都知事選雑感、信州大全共闘議長 VS K大全共闘有象無象

自公で2/3、自・維新でも2/3。「戦後レジームからの脱却」とやら(は各分野で進行しているが)の、その仕上げが始まるのか?

どえらい選挙結果だったが、小選挙区制では前回の民主党圧勝を含め想定範囲内だそうだ。比例区での得票率は、民主は前回2009年の42,4%から15,9%に激減、自民は前回の26,7%と左程変わらぬ27,6%。その比例区の獲得議席は前回民主が87議席・自民が55議席、今回自民が57議席・民主が30議席。小選挙区では維新やみんなの党などが乱立して票が分散し、結果自民が圧勝(得票率43%で、8割:237議席獲得)したそうな。で、小選挙区・比例区合わせてあのような全体の議席配分。民主・社民の大惨敗というのが正直な結果だろう。それ以上の分析や解説は、説の当否は別にして、結果事実については各紙の語る通りだ。                                                                                                                    低い投票率はもちろん「自民や他党には入れなが・・・今回は棄権」とする民主党政権への消極的否定の意思表明でもあるだが、比較的良質の記事を書き続けている東京新聞はその批判票の受け皿が無いことへの辛口の提言よりも、この選挙結果への疑義の矛先を選挙制度の欠陥に集約したと誤解されかねない言い分を述べている。民意など反映していないと言う訳だ。曰く「自民は有権者総数の僅か16%の支持で、六割超えの議席を獲得した」(比例区得票率27,6%は、有権者総数の16%だという苦しい言い分)・・・。                                                                             しかし、維新・みんななどの得票を加えて俯瞰すれば、自民善戦、維新・みんな躍進というのが正直な概観であり、国民が全体として「ふた巾」分ほど右へシフトしている昨今の世情、尖閣・竹島から国家主義・排外主義の蔓延、安倍・橋下・石原らの主張、それらが一体となって進む景色が迫って来るばかりだ。選挙制度云々(小選挙区制にはぼくはもちろん反対だが)に集約しては、今回の選挙結果の相貌は見えて来ないように思う。                                                                          すぐに、休止中の原発再稼動・新規原発建設・尖閣竹島を活用した軍事・防衛予算の増額・公務員異常統治の全国化(大阪維新の会方式)・一層の競争原理主義推進・雇用と労働のルール見直しの停止などがスタートし、安倍は祖父からの悲願「自主(?)」憲法に向けて走り始める。来夏の参院選挙で両院2/3を達成したいのだ。すでに予告通り、憲法96条(改憲発議に衆参両院の2/3の賛成が必要)の変更(過半数でOK)を提案、維新は賛成を表明している。

流れを変える為に、あらゆる勢力の「連携と結集」が求められる。

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信州大学全学共闘会議議長と石原後継受命者、その両立の怪。

東京新聞は同日に行なわれた都知事選挙に触れ、12月18日朝刊に選挙史上最大得票を得た猪瀬直樹のことを書いている。                                                              『昭和16年夏の敗戦』(83年文春文庫、2010年中公文庫)という猪瀬氏の著作の紹介だ。                                                                         『日米開戦の直前の夏、陸海軍や官庁、民間企業から優秀な若手が内閣総力戦研究所に集められた。「模擬内閣」は、兵器増産の見通しや石油の供給量などを分析して一つの結論に至った。緒戦は奇襲攻撃で勝利するものの、国力の差から劣勢となりソ連の参戦もあって敗れる―――。その後の史実と重なる。「日本必敗」の内容は近衛内閣に報告されたが、政策決定には生かされなかった。』                                       『当事者への綿密な取材を基に、日本が戦争に突入したプロセスを描いたのは、当時三十六歳の猪瀬直樹さんだった。』                                                                                     

猪瀬直樹氏は1946年生まれ、ぼくと同世代。69年当時、彼は信州大学全共闘議長だったという。新左翼某党派のキャップだったとのことだ。                                                                                            互いのその後数十年の来し方や辿り着いた地点は違っていようと近似であろうと、それは知ったことではない。ぼくはぼくなりに、その後関与した「労働運動」や「争議」後の「自主経営企業の運営」を通じて、己と己の思考の「限界や不備や無理」を見て来た。とりわけ「全共闘」的言動に最も欠けていた思考とは、自分たちの単位社会を運営する「自治能力」=云わば『実現力、実行力、吸引力、協働構成力、「創り出す」を伴った反逆、共苦・共助の考え』に関する思想だ。その意味からは、猪瀬氏の近年の省庁や公団・公的機関への緻密な裏付けある指摘や行動力・実現力は、自治・運営の重要な一側面だと思う。                                                                                                                                                                         ある高名な表現者に言われたことがある。「叛乱と自治・・・。叛乱は極端に言えば、ある意味では誰にだって出来るんだ。しかし自治は難しい。それは気概だけでは実行・持続出来ないし、運営に関する無知無謀は人々をかえって不幸にするのだから・・・」

猪瀬直樹とは、ぼくを含む同世代者・近似体験者の多くが、雇用・労働・教育などがゆっくりと深く「改編」されていった80年代以降の時代を、世の変化と人々の受難を一顧だにせず(いや二顧も三顧もしてはいたのだが)、職場と生活、つまりは「仕事」という名の「収入と肩書」と「住宅ローンと偏差値偏重教育」に汲々として過ごしたことの、都政規模の確信犯的変異態なのか? そうではあるまい、彼の課題は「自治」を巡る「民」の模索ではなく、「統治」を巡る「治者」の方法論だったに違いない。市井の勤労者より罪深いと言いたいのではない。そうではなく、罪なんかではなく、それは位相の違う異次元のテエマなのだ。                                                                             身の周りのことにたぶん「屈服」したのだろうぼくたち市井の民が、政治的にも思想的にも「文化論」的にも「同時代」を生きたことにならない云わば「全共闘パパ」なのだとしたら、後継者指名を得たという意味では石原氏の言動にヨイショしたと言える猪瀬氏は、「上昇志向全共闘」の「トップランナー」なのか? 彼は、同時代を生きたと言えるのだろうか?                                                                  石原慎太郎氏の後継者指名を得るほどの「自治能力」が、「全共闘」的欠落への「回答」だとすれば、石原の「自主憲法」「尖閣上陸、自衛隊常駐」「核兵器保有論」「国家主義的学校運営」「日の丸・君が代の強制」「従軍慰安婦問題への立場」などへの無言の支持または同意という対処・振舞は、「信州大全共闘議長」猪瀬氏の何に対する「回答」であり、未来に向けたどのような提言なのだろう?                                                                             同世代者、近似の古い体験を持つのかもしれない者としては、そこのところを是非とも訊きたいのだ。                                      彼には、軍部や政治家よりも事態と世論を戦争へと誘導するのに力を発揮した、マスコミや世間が作り出す「空気」という力学を考察した『空気と戦争』(文春文庫、2007年)という著作があり、評価されてもいる。                                                                    願わくば、安倍・石原・橋下・大新聞・大メディアによって作られる、排外主義・競争原理統治の深化・反脱原発・改憲への「空気」の前で、自著を再読して襟を正してもらいたいところだ。                                                                                                     対米戦争を「負ける」戦争だとシュミレートしたのが「昭和16年夏の模擬内閣」の「日本必敗」論だと言う。                                                              なら、対欧米戦争でなく対アジア戦争はどうなのか? 対欧米戦争に限って「バカな戦争」「無謀な戦争」とする者の論を数多く聞いて来た。                                                                        直感で言えば、その戦争観に在る「ある種のダブルスタンダード」は、猪瀬氏の「石原都政の継承=自治能力云々と国家主義の同居」という無理や、全共闘世代に於ける「60年代末的自己と80年代以降の{傍観・見過ごし}パパの併存」という矛盾と、どこかで同質なのだと思えてならない。                                                           そんな全共闘パパの{傍観・見過ごし}が作り出した、剥き出しの競争が支配する社会・見渡せば非正規雇用ばかりが若者を覆う世、そこで生きざるを得ない若者たちは、競争と自己責任を振りかざす、例えば「維新」に投票しているのだ。                                                                        彼らは、「社会民主主義的福祉政策は、公への依存心と怠け者病を創り出す」「競争の結果、不遇に在る人へのフォローは公が行なう。我々の主張と彼らの主張、どちらが社会的コストが低く、どりらが人々が活き活きするのか勝負しようや」とする論につい期待するのだ。競争原理主義とはつまるところ君に跳ね返って来るんだよ、維新の刃はやがて投票した君に向かうのだよと言ってみても話は噛み合わない。                                                                                                                         正社員として安定した生活を送って来たお前たちの言い分など聴きたくはないというところだ。                                                                                             『論座』で見た「希望は戦争」なるコピー(2007年)の衝撃は生きており強化されていると言えよう。

話は、重大だ。ぼくらは、ぼくらの言い分が、政府・官僚・財界挙げた総動員で成す新自由主義に基づく競争とそのこぼれた部分への「施し」(もちろん出来はせず、捨て置くのだが)よりも、思想的にも、そしてもちろん実質的にも人々の自立の観点からも「優位」にあることを示さなければならない。それは至難の業だ。                                                                                                   畢竟、それは若者・労働者個々人の「自尊」を巡る話へと行き着きそうに思う。自尊を確保出来れば社会的受難を「自分が悪い」と「擬似謙虚」に受け止める自己責任論の呪縛から解き放たれる可能性の地に立てる。当然それは自己の内に「他尊」が育つ契機となり、やがて他者もまた陥っていた自己責任論から、共に離陸する「協同」へと向かうはずだ。                                                                                                                               新自由主義・競争原理主義には、勝者の擬歓びだけがあり、施す側の強者が居るのだ。だから、当然、圧倒的多数の敗者が居り弱者が居る。                                                              人々が「活き活きする」というのはひとつの詐術であることは明らかなのに、届かない。                                                      その構造の因のひとつから、80年代以降の我が世代の{傍観・見過ごし}を除外することはできないとの指摘が在る。その時期、人々がよく働く勤労者であり、今の若者よりは恵まれていたとしても「それなり」に「大変」な生活を生き、よき親であったことを前提にした上で、それでもなお、上記指摘をぼくは認めたい。そう思う。                                                                                                           ぼくらの世代が80年代~90年代の「働き盛り」に持ってはいなかった射程外思想とは、例えばこういう考えのことだ。                                                                            国・財界代表と全労働団体が、こんな協定を交わすような思想のことだ。                                                                                                                             『例えば、15%の人員削減の代わりに、仕事のシェア方法を労使で工夫し、人員数は据え置き、15%の人件費削減に応じる』

 

つぶやき: 選挙結果が気になりますねぇ

選挙戦はもう終盤戦だそうだが、公示数日前まで、自公で過半数確保するのか?自民+維新で2/3に届いてしまうのか? がメイン課題の選挙構造だった。                                                                                                 夕刊紙「日刊ゲンダイ」(親小沢メディアとして有名)は言う、「たぶん選挙構造は一変している。理由は、「未来の党」の登場だ」と。

画像右側の「美しい国」提唱者の党や自称「暴走老人」の党が、押付け憲法を改憲すると公約している。                                                                                                                  『敗北を抱きしめて』(ジョン・ダワー、2001年・岩波書店)は言っている、『押し付けたとすれば、日本国民とGHQ左派の「短期同盟」が、                                                                        旧勢力に押し付けたのだ』と。                                                                                                                             なるほど、今日の改憲勢力にとっては「押し付けられた」のだ。そういう人が取り戻したい日本は、どの「日本」のことやら・・・。                                                                                                                                                         

 

公示直前に結党した「未来の党」への、それぞれの立場や小沢嫌いからのアーだコウだと語る論に出遭ってはいる。                                                                                                              しかし、ぼくはこう思う。脱原発を謳い、広範な有権者が投票できる選択枝を示した行動は評価されるべきだ、と。                                                                                                                                                                      その政策、脱原発・反TPP・社会保障へのスタンス・子育て/少子化対策 などなどは明確であり、                                                                                          「民主党に期待し、そして裏切られた」何割かの国民と、                                                                                                                                       尖閣・竹島を利用した「国家主義」の台頭に辟易するこれまた何割かの市民が、実は願ってる政策だと言える。                                                                                                                       つまりは、社会民主主義的政策であり、そこに小沢系が参加するのは、民主党・自由党合併時に似ている。                                                                                                                            が、大いに違うのは、民主党は小沢に邪魔されたからではなく「松下政経塾綱領」がもともと自民党亜流だということ、小沢には当時の政治的力量は無いということ、そして福島事故という曲がり角に遭遇した後だということ・・・。                                                                                                                                                                               仕事仲間の高齢(ぼくより若いが)の設計士さんが「社会民主主義的・的政権を願ってはいけませんか?」と言う。「ぜんぜんいけなくはありません!」と答えたいところ、ニタリと笑って返した。                                                                                                                        選挙区は個々の党(社民・未来など。TPPで連携できないみんなの党は残念だ)、比例区はその統一戦線『(例えば)リベラル国民会議』(とか)にという制度があれば、その『国民会議』は過半数近く取るのではないか。                                                                                                                                                              夕刊紙「日刊ゲンダイ」は、「未来の党」は比例区第一党になると言う。「維新の会」がアクセス総数2300万回だと大騒ぎになったが、「未来の党」はそれより圧倒的短期間にも拘らず何と4000万回だそうで、これは有権者の半数だと書いている。                                                                                                              「未来の党」に過大な期待をするのではなく、その登場が選挙構図を変えたのは間違いないとも書いている。                                                                                                                                願わくば、社民党の議席維持の為にも、「未来の党」の原初綱領持続の為にも、社民党との連携が欲しいと想っていると、                                                                                                                                     3日、「社民・未来選挙協力を合意」との記事があった。

民主党は社会民主主義的・的な党ではなかったのだから、悪夢とサヨナラするしかないが、小沢が加わろうがそうでなかろうが、                                                                                                                                 「未来の党」が翼賛体制への対抗勢力になる可能性はあるのだ。いずれにしても広範な勢力の結集軸は必要なのだ。それは、選挙にもそうだが、日頃の意思表明や行動の分野に於いてそうなのだ。

 橋下は、「未来の党」へのコムプレクスからか、選挙公約発表記者会見で興奮口調で『飯田哲也氏だって脱原発への工程を示せないんですよ!』と言っていた。                                                                                                 早速、例の橋下ブレ~ン元経産省官僚の古賀茂明氏が「それは違う。間もなく工程を出す段階で、エネルギー戦略会議そのものを中止して工程を出させなかったのは、橋下さんです。だいたいぼくらを政治的利用するのは止めてもらいたい」とコメント。
飯田氏は、8月に『リアルな脱原発の実現シナリオ』というシミュレーションを出しているそうだ。
古賀さん!遅すぎるよ。 遅すぎるが、橋下ブレ~ンのうち、市職員アンケートの首謀者:野村などは別にして、                                                                                                                真面目に官僚支配打破・利権構造改革を言って来た人は離れ始めるだろう!                                                                                     

ところで選挙結果予想だが、各種事前調査で、自民単独過半数前後・維新50前後だそうで、民主は惨敗二桁と言っている。                                                                                                   なら、政権の枠組みは、民・自・公or自・維てな選択? 予測を覆せ選挙民。  正に岐路やな、

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告:                                                                                                  次回 http://www.yasumaroh.com/?p=15237 への抗議・反論や賛意のコメントに対する ぼくの見解をアップします。

昔、河野謙三(河野洋平の伯父)という名物参院議長が、議会運営に関して「七・三の構え」という指揮哲学を言ってそれを実行した。                                                                                                                 その意味するところは、野党七・与党三の比重で指揮・差配してこそ、議会というもののフェアな運営が出来るという信念だった。                                                                                    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%B3%E9%87%8E%E8%AC%99%E4%B8%89                                                                                                                                               かつて、このスタンスを組織運営・運動推進・事業経営に採用できなかった身としては、件の拙コメントに抗議・反論なさる方にも、「我が意を得たり」とばかりに、緩やかな組織原則さえ無視して個人主義を振り回す方にも、そしてぼく自身にも、「七・三を心せよ」と言いたいのだ。                                                                                                                                                                                                                                                                                    出来なかったがゆえに自戒を込めてそう言いたいのだ。                                                                                      http://www.yasumaroh.com/?p=15237 は、それへの標(しるべ)の文でもある。                                                                                                                                                                                                        ちなみに、文の当該団体の中枢が「七・三の構え」に近いものを棄ててはいないと聞き及んでいる。だからこそ苦言を吐いたのだ。

 

 

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