Archive for 9月, 2013

東京新聞より転載   首相有識者懇が再開

2013091899070130[1]「積極的平和主義こそ、日本の背負うべき看板ではないか。新しい時代にふさわしい憲法解釈のあり方を検討する基礎となることを期待したい」                                                                                                                         首相は十七日の「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」(座長・柳井俊二元駐米大使)の会合で、こう強調した。                                                                                                                                                                                                                    この懇談会は、第一次安倍政権で首相が設置。第二次内閣でも今年二月、全く同じ十三人のメンバーで再スタートした。現在は十四人。いずれも講演や論文などで、集団的自衛権の行使を容認する考えを明らかにしている有識者ばかりだ。                                                                                                                                                         柳井座長は八月のテレビ番組で「憲法解釈変更をして、日米の同盟関係をしっかり運用できるようにすることが絶対必要」と強調。                                                                                                                                                                                   北岡伸一座長代理も「日本の安全保障環境が悪化しているのは事実だ。集団的自衛権を部分的に認めることはあり得ない」と全面解禁を主張した。                                                                                                                                                                                                                                                      懇談会は二〇〇八年に提出した報告書で、公海上の米艦船の防護や弾道ミサイル防衛など四類型で集団的自衛権行使や集団安全保障への参加を認めるように提言した。今回は対象国を米国以外にも拡大する方針だ。                                                                                                                                                                                                                                                                 八月の共同通信の世論調査では、集団的自衛権の解釈改憲に「反対」が50・0%に達し、「賛成」は39・4%にとどまっている。                                                                                                            (「東京新聞」9月18日07時01分)

福島の今への大ウソを堂々と叫び推進される「第18回東京オリムピック」への準備は、同時に「原発再稼働・増設・輸出」「集団的自衛権行使(米国などの戦争への直接参加)」「各分野での憲法理念の根本解体」などと共に進むのか? そうさせてはならない!!                                                                                                                               安倍氏よ、あんたはオリンピック招致の場ではあっても、世界に対して宣言したのだ。                                                                                                        「私が安全を保証します。状況はコントロールされています」。                                                                                                                                        「汚染水は福島第一原発の0,3平方キロメートルの港湾内に完全にブロックされている」。                                                                                                                                                             「福島近海でのモニタリング数値は、最大でもWHO(世界保健機関)の飲料水の水質ガイドラインの500分の1だ」。                                                                                                                                                               「健康に対する問題はない。今までも、現在も、これからもない」。

「状況はコントロールされている」「湾内にブロックされている」と公言したのだ。つまり、世界への公約だ。                                                                                                                            コントロールせよ、湾内にブロックせよ(それは不可能だ)。実行してみせよ!

 

三たびの東京オリムピック(1940~2020)

三たびの東京オリムピック(1940~2020)

1936年のオリムピックの公式記録映画『オリンピア』【第一部『民族の祭典』第二部『美の祭典』】(監督:レニ・リーフェンシュタール)は余りにも有名だ。ベネチア映画祭で金賞を受賞している。この女性監督は戦後「ナチのプロパガンダに協力した」と世界中から非難口撃を浴びた。

彼女は言っている。「あの頃、ドイツ人は誰もヒトラーのことを疑ってませんでした。ナチスの政権が始まってわずか1年600万人もいた失業者激減したんです。短期間に生活はすごく良くなりました。戦争がこれから始まるなんて、誰も考えていませんでした。あの当時、ナチスに反対する人なんていなかったんです。誰ひとりとして!」                                                                                 「私はナチ党員ではありませんでしたし、ユダヤ人迫害賛成したこともありません……。私が興味があったのは、美”だけでした……」                                                                                                                 敢えて「映画自体は素晴らしいものだった。それまでのスポーツ記録映画を一変させた」と語る、映画関係者は多く居る。                                                                                                                  ちなみに、ベルリン・オリムピック開会式を観た作家:武者小路実篤は「フランス人がナチス式の挨拶をした時、何となく涙ぐんだ。平和が感じられたからだ。」と語り、詩人:西條八十は「ナチス王国でのオリンピアードでは、全てが劇に始まり、劇に終わる。四十年の生涯において最も生き甲斐のあるものに感じた。」(『1930年代論』菊池昌典))と感激して打電報告している。                                                                                 河西三省アナウンサーの「前畑ガンバレ!前畑ガンバレ!」で有名な実況放送もこの大会だ。レニ・リーフェンシュタール

 

東京オリムピック一回目。                                                                                                          ヒトラーとドイツの威信を賭けた第11回オリムピック(1936年)。                                                                                           次の1940年の第12回オリムピックはその規定により、決めるべきの開催5年前つまり前年(1935年)ロサンゼルスでの会議では決め切れなかったので、異例の繰り延べで、36年開催地ベルリンで遅れて選考投票が行なわれた。                                                                   東京・ローマ・ヘルシンキの最終候補地から、ローマが降りていて(日本がムッソリーニに直訴し降りてもらったと言われている)二都市での投票となり、加納治五郎氏の招致演説などもあり、東京36票:ヘルシンキ27票で東京と決まった。                                                                                                                        かくて、史上初の欧米外開催となる、はずであった。                                                                                                                     どのような時代、どのような世界情勢、どのような日本の思惑下か・・・。現代史の中で俯瞰したい。                                                                           このオリムピックは、日中戦争の本格化などから、外からは米英はじめ欧米の中国侵略を理由とした反対、内からは陸軍の「選手拠出あいならん」や競技候補地神宮外苑に内務省からの猛反対、各種団体から(諸外国からは承認されていない)「満州国選手団の正式参加」の強い要請など混迷を極め、1938年に入ると日中戦争の長期化が予想され鋼材など戦略資材逼迫を理由に陸軍大臣が反対を表明。各国からの「辞退勧告」を受ける形で、日本が「辞退返上」した。俗に言われる「幻のオリムピック」である。                                                          オリムピックを返上して造った戦艦大和の完成が1941年、幻の第12回東京オリムピックが1940年、学徒出陣式1943年。                                                                                                                                         オリムピック挽歌

 

東京オリムピック二回目。                                                                                     日中戦争・アジア侵略戦争・太平洋戦争に敗れた日本は、敗戦後アメリカ陣営の一員となり、朝鮮戦争による「特需」を決定的転換点として復興を果たした。                                                                                                                                          高度経済成長期の入口、先進国の仲間入り、米世界戦略の構成員。沖縄はなお米占領下であっても戦後は終ったと宣言したいのだった。                                                                                                                   前回第17回オリムピック(1960年)に立候補しローマに敗れた日本は、次の第18回にも立候補し、1959年ミュンヘンでのIOC総会で欧米三都市を破り開催地に選出された。                                                                                                                  東京34票:デトロイト10票:ウィーン9票:ブリュッセル5票であった。                                                                                                           奇しくも、この立候補時の首相は安倍現首相の祖父:岸信介である。                                                                                           東京タワー完成が1959年、安保闘争が1960年。第18回東京オリムピックが1964である。                                                                高度経済成長の60年代から、原発汚染の今日に至る、虚像の経済大国の半世紀が始まった。                                                                             (円谷幸吉選手の遺書: http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%86%E8%B0%B7%E5%B9%B8%E5%90%89 )

 

東京オリムピック三回目。                                                                                                            さて今回、スカイ・ツリーの完成年(2013年)に決まった、2020年第32回東京オリムピックはどのような構図の中に在るのだろうか?                                                                                             バブル崩壊、少子化・格差貧困社会、雇用と人権の無法状態、先行改憲状態から公式改憲へ・・・、福島原発事故、にもかかわらずの諸外国への原発売込、「集団的自衛権」なる戦争への直接参加、沖縄の軍事基地固定化・強化、近隣国との摩擦、アジア侵略と昭和の戦争の美化と本質忘却、教育・言論・学術・報道での「自省」欠如、ネオ・ナチ勢力の拡大、「改憲=戦後社会の根本解体」を目指す政権党の「昭和旧体制美化(美しい国)」「その日本を取り戻す」「日の丸・君が代強制」「労働法制後退」「団結権否認」「ヘイトスピーチ行動の野放し」「従軍慰安婦問題」「麻生ナチス発言」「自国史への自省を『自虐史観』と呼ぶ作られた世論」「敵基地先制攻撃論」等々、実質改憲社会。つまりは新たな戦前」時代の宣言なのだ。                                                                                             オリムピックは目くらましどころか、ある集大成への檜舞台だと為政者は構想している。

開催されようとするこのとき、「開催反対」だけをただ唱えるのではなく、諸外国から『辞退勧告』を引出し、オリムピック開催の前後を                                                    ① 脱原発の世界的ムーヴメントの期間として活用する                                                                                                          ② 福島-日本列島、日本近海~太平洋の現実をアピールする場とする                                                       ③ 集団的自衛権行使=米戦争への直接参加の非を訴える                                                                          ④ オリムピック景気(確かに建築業界などでは{少なくとも東京では})下で、労働者の売手市場を形成し、賃金ではなく諸権利を「取り戻す」べく、全国全労働者は団結したい。                                                                                                                  ⑤ 日本国憲法の世界性・普遍性と「新たな戦前」との明確な違いをクッキリと示す機会としたいところだ.

国家事業の裏面の、国家的思惑も、原発事故の実像も横へ置いて、オリムピック騒動に与する我ら国民は、80年前のベルリンに立っていた文士と何ら変わるところがない。

 

街 若者の風景

東京に住む者ならたいてい、とりわけ中央線沿線居住者ならほぼ必ず、知っていよう中野駅近くの「中野ブロードウェイ」なる雑居商店街(というか商店窟)で、某有名店の五日間昼夜を工夫した変則工程での突貫工事を終えた。                                                                                                                                      ここは、大阪で言えば、日本橋の電材・工具の「五階百貨店」、京橋界隈、鶴橋ガード下、昔の「国鉄」大阪駅前繊維問屋街(通りに面して「旭屋書店」があったな)、そして上海で見たニセブランド半露天店・・・などなどに少し似ている。狭い店がギッシリ詰まっていて、中二階を天井の低い二階として使う様はたくましく好みのカタチだ。上層階は高層住宅になっていてくっついて在る隣接ビル(?)はSEIYUだ。その昔、ここの上に青島幸雄が暮していたという。CA3A4269                                                                                                                                               が、ふと思った。ここには、挙げた例に在る「土着性」というか地元的「個性」が匂わない。聞くところでは、10年近く前、ある傾向から閑古鳥状態から息を吹き返し甦ったそうだ。何あろう「ヲタク文化」だ。チンケでレアで小さなフィギュアが数万円の高値で売られていて、遠方からマニアがやって来る。青年たちは、何やらブツブツ呟きながら歩いていて、食事代と衣服代と交遊費を削って貯めた金を使い果たす。                                                                        ヲタクたちが、無「土着質」ながら消え行くものを阻止しているのなら、それは一つの「抗い」だと言えるかもしれない。

映画にしばしば登場する激務の汗まみれは外食チェーン店、映画『空気人形』(2009年、監督:是枝裕和、主演:ペ・ドゥナ、ARATA)の二人がバイトしていたのがレンタルビデオDVD店、映画『ばかもの』(2010年、監督:金子修介、主演:成宮寛貴、内田有紀)の主人公が就職した先が家電量販大型チェーン店、そして映画『悪人』(2010年、監督:李相日、主演:妻夫木聡、深津絵里)の馬込光代(深津)が勤めるのが紳士服チェーン店・・・、小説『悪人』に登場する佐賀県は国道34号線沿いの風景、全国津津浦浦に展開される何の変哲も無い、そして今やどこの街かも分からない風景は、『悪人』の二人の主人公にとって肌触りの無い社会の現実を映し出す鏡だった。『悪人』主人公:清水祐一が唯一「通じ合えた」女性:馬込光代には、宗教も、思想も、政党も、労組も及ばない何ものかが備わっていた。ぼくが言う「肌触り」とは、人が生きてゆく上で欠かすことのできない、譲れない「通じ合える」「直接性」のことだ。

34号線的風景の社会・現実から「肌触り」を取り戻す作業の代替行為がヲタク行脚だとしたら、ヲタクたちの大切なフィギュアへの執着もまた譲れないものであるに違いない。彼らが『希望は戦争』『こんな戦争なら悪かない』と語り始めるなら、それを産み出す世は、間違いなくぼくたちが作り出したものだ。若者のその発言に出会い困惑して数ヶ月。それが、この国道沿い風景に潜む総ブラック企業社会の深層構造への、それを作り出した社会と企業と労組への、大切なことを労働現場から追い出し片隅へ置き去りにして顧みなかったぼくら日本の大人たちへの、その共犯関係への、逆説的挑発言辞だと理解することにしておく。                                                                                               「悪人」や「変人」や「バカ者」や「ヲタク」が、国家の操作に乗らないことを祈っている。自分たちの為に学べ語れ抗えと言いたいが、ぼくがしばしば「遅すぎた気付き」に在って右往左往してもなお生きているのだから、諸君何も遅くはないぞ。どんなに奇態であっても、国策に乗るよりはいい。                                                                                                                                                                              けれど若者よ、戦争はもっとブラックだ!

ともかくも、ハード工程の現場は終った。次の夜間無し日中作業の現場を一週間でやっつけ、9月半ばには帰阪したい。                                                                                                                                                            9月20日に、女房とその友人夫婦と共に恩師を遠方に訪ねることになっている。

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