Archive for 6月, 2013

擬似達成感という魔物ゆえに、勤労者は口を噤むのだ

引退間際男の気付き

商業施設やオフィスの施工の現場管理という仕事柄、「誰が悪いのでもない」が、しかし「何かが不適切」であるに違いない、施工現場に付きものの「不都合」にしばしば(いや、ほぼ毎回)苛まれるのだ。某現場

今月の初旬から開始した某現場(某有名駅高速バス・ターミナル隣接の飲食店)は、たぶん「どこにでもある」不都合に遭遇して難渋した。                                                                                                                                   個々の事象は、時間さえあれば順次解決できる範囲の出来事であり、一々凹んだり切れたりしていたのでは現場管理は務まらず、そこを調整して切り抜けるのが、まぁ、云わば「仕事」であり、他に行き先とてない高齢者のぼくに、経営者0氏が「働く場」を提供してくれている理由ではある。                                                                                                                                     しかし、今回の「不都合」には、ややビビらされ、肝を冷やした。時間さえあれば・・・の、その時間がないのだ。                                                                                                                                                         お店のオープン前の「スタッフ・トレーニング」「試作調理開始日」から逆算して、工事終了=引渡日が設定されているのだが、約20日の工事期間では工期が不足し工事の最終段階での「バタバタ」「ごった返し」は前提ではあった。                                                                                                                                                              その上、そもそもの工事契約の遅れによる準備不足、図面の未定や「保留」箇所の多さによる工事の遅れ、入居施設事情で明渡し(工事開始)の遅れ、短い工期の更なる圧縮・施主意向情報の流れの錯綜、施主と設計者・営業担当者の間にある「勘違い」「思い違い」、などが連日発生した。                                                                                                                                                                                           だが、理由を知れば知るほど、事態の原因にはそれぞれ、施主・貸主ビル側・元請会社・営業担当者・設計者・下請たる我々それぞれに、「言い訳」ではない事情があり、誰かを悪者にして気を晴らすような手法ではコトは進まない。幸い、関係する全て人々がそのことをよく承知する「賢者」(ぼくを除く)だったので、各位の協力・援け合いで完成に辿り着いた。                                                                                                                                                                                                  工事が残っている中で、お店側の資材搬入・バイトスタッフの教育が始まったが、24日の最終日深夜にまぁ何とかなったのではある。(体力的には、正直おそらく限界だった)

思えば、それぞれの関係者は雇われ者つまり「勤労者」である。自身の失点を覆い隠す為ではなく、上からの評価を恐れてのものでもなく、たぶん、最後の「美酒」(?)を味わうが為に、早朝や深夜の作業に、あるいは「やり直し」に、口を噤んで動くのだ。その行動を支えているのは現場工事の、大げさに言えばある「美学」への執着だと思う。                                                                                                                                                                                                                 この擬似ではあってもある種の「達成感」に違いない地点に向かう心や態度や労力の、「出どころ」と「行き先」を、国家主義者や新自由主義者に手渡してはなるまい。だが、つくづく労働組合や左翼は、その回路を築いては来れなかったなぁ~と思う。ぼく自身がそうだった。現場からの引退時期が近付いて気づく「遅過ぎた気付き」のわたくしです。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                              同時に、その超階級的(?)な無欲の心情を掠め取って来たのが、国家であり、支配者であり、企業論理であり、宗教団体であり、時に(排他的)家庭であったと強く思う。そのことは畢竟、協働や連帯を標榜しながら達成感の「出どころ」と「行き先」に無理解または無関心だった「左翼」の、永遠の苦手課題でもありそうだ。実は、この「出どころ」「行き先」こそが、「労働の地」と労働の「方法論」を巡る一丁目一番地なのだが・・・。                                                                                                                          労働組合が一番強かった時、社会的影響力を最も保持していた時、賃上げ競争に汲々とし、いや、逆に言えば賃上げ実績によって人々を吸引しようとし、もちろん権利や福利や雇用を巡る「組合的」成果も挙げたのだが、この一丁目一番地については、21世紀型労働の前触れたる高度成長経済期以降の労働環境や労働内容の多様化の前で築く回路を持てなかった。一部で語られた「論」はと言うと、古い労働倫理だったり、奉仕論議だったり、硬直した赤色勤勉論だったと言えはしまいか。それ以外は、ほとんどが「物取り主義」だったのであり、いずれも一丁目でも一番地でもありはしない! 「イッポンをトリモロス」(某首相)より、本来の『労働の地』を「取り戻し」たい。                                                                                                                                                                                                          今、世はますます「労働の地」に足を着けて立つという、働くことの「方法論」から、隔たった業務に充ちている。どうすれば取り戻せるのかと熟慮しているうちに、21世紀社会は加速度を得て変化している。労働の地が泥土なのだ。                                                                                                                      例えば、施主の意向が、カラーの画像やスケッチとなって、瞬時にして遠方から工事現場に届くのだ。ぼくが、この仕事を始めた1970年代末、そうした資料を抱えて半日かけて足で運んだのだものだ・・・。IT企業の勝ち組起業者の勝ち誇った言辞にムカっ腹を立てているぼくらの遠吠えは、どうすれば有効なものとして生存できるのか、それともこのまま朽ち果てて行くのか・・・。

時代に即した立位置・立論・行動原理を・・・、とは言うが、何かを売り渡すことなく・何かを毀損することなく、それを実行するのは難しいことだ。                                                                                                                                                    幸か不幸か(たぶん幸いにして、だと思うが)ある種の現場性から遠くはない、ライトブルー・カラー(ホワイトカラーとブルーカラーの中間)の職種に従事してきたぼくの実感だ。熊沢誠の労働論・労働組合論が、いったい「何を言っているのか」について、労働現役最終盤に来て、ようやく解りかけているわたくしです。労働組合現役だったころ一体何を考え何を目指していたのやら……。

濁流だ濁流だと叫び流れゆく末は泥土か夜明けか知らぬ     斉藤史

 

五月雨 さみだれ、 五月晴 さつきばれ

息子の女房から新生児の「赤ちゃん体操」の画像付きメールを受け取った。                                                                               そう言えばぼくの孫は六人になったのだったなぁ~。 残念ながらぼくと女房のDNAを継がされてしまっている娘や息子のアホダラDNAが、                                                                                                                                彼らの配偶者のDNAで幾分かは弱まることを願っているが、この怪しい世情に孫たちが健やかに育つことを祈るばかりの爺です。

 メールへの返信:6月14日                                                                            

ba3-thumb-640x480-31[1]お写真拝受                                                                                                               へぇ~、○○君、大活躍ですな。                                                                                                                    赤ちゃんらしくよう肥えて、ええですね。                                                                                                                       

関西は晴天続き?                                                                                                                                               東京は正に梅雨。                                                                                                                                         昨日の雨が今朝もしとしと続き、                                                                                                                                                   朝6時からの工事資材搬入(JR○○駅 バスターミナルの隣)は、                                                                                                                  早朝の為、搬入バイト要員を確保できず、品川塾メンバーで対処。                                                                                                                         ビショビショ、クタクタ、血管切れそう・・・。                                                                                                                               

                                                                                                                  ところでこの雨について、貴君は知っていようが、ワシは最近知ったことがある。                                                                                                                          このしとしと雨=梅雨=旧暦五月の雨が、「さみだれ」=「五月雨」だそうです。                                                                                     本来、田植えのころの恵みの雨だそうです。                                                                                                   なるほど、そう知れば俳句の趣も違ってきて奥深い。

 五月雨をあつめて早し最上川 (芭蕉)

氾濫しそうな濁流を思い描き、暴風豪雨を想像して来たが、                                                                                                                 旧暦五月の雨、つまり、このしとしと雨=梅雨時の雨が「五月雨」だそうな。                                                                                                                      森や山に含まれた、永い期間の厖大な五月雨が川に集まり、やがて、                                                                                         その川々が最上川という一本の大河に飲み込まれ、急流を形成している。                                                          読み手の周囲の田園風景と急流との鮮やかなコントラスト。                                                                          検索してみると、梅雨の一段落後に詠んだみたいですな。川下りの舟上だそうです。                                           元々「あつめてすずし」だったとか・・・・・・。最上川

「五月晴」も違うな。と思い検索してみた。                                                                          来る日も来る日も雨という、うっとうしい梅雨時に、                                                                                                                                        イレギュラーに、ある時 スカッと晴れ渡る日がある。                                                                                                                                梅雨時の、その意外な奇跡の晴れ日を「五月晴」と言うそうで、                                                                   こんにちのゴールデン・ウィークの晴天ではない。人々の感慨も、値打ちも違ふ。                                                                              「五月雨」も「五月晴」も、中学・高校生でも知っていることらしく、無学の爺は恥じ入るばかり。

「五月晴」の日(ちょっと続いてるそうだが)に 手足マッサージ体操?                                                                                    元気に育て・・・。

 

若者よ! 脱原発・改憲阻止・反軍国に一票を!

来る参院選。争点が曖昧だとマスコミは言う。おいマスコミ、お前たちが争点を隠蔽しているのだろ!                                                                            例えば、マスコミは平然とシラっと、安倍の「原発輸出」を普通の工業製品や繊維製品の輸出のように伝えている。外国の空港でタラップから降り立つTV画面の安倍は、さながら「死の商人」だ。eb840989771d2fee73e81b6d9ea402ac[1]                                                                                               アジア各国・トルコ・東欧で安倍が推し進める「原発輸出外交」は、「国内は強毒性の農薬ゼロを目指す声で一時休止なので、その毒は輸出することにした。」というような理屈(かつ原発は根本的に制御不可能なのだ)だし、国内で次々発覚する原発の不備や事故隠蔽のどこが「世界一安全」なのか?いや、安全性が世界一だろうが、世界二だろうが、核燃料最終処理・廃炉の道筋は永遠に不可能で、地震国トルコへの商売は「福島の再現」の輸出だと言える。

また、自民改憲が目指すものとは、96条の発議条件云々の先に、非戦の否定・集団的自衛権=9条、結社・表現の自由の解体=21条、など現行憲法三大原則=「基本的人権の尊重」「国民主権」「戦争放棄」を根こそぎ解体し国家のカタチを変えることだ。それは、働く場での人権が損なわれ、雇用と解雇の規制が一層国や企業に一方的に手厚くなること必定。若者よ、参加、意思表明を出来るところからしようではないですか。 http://www.yasumaroh.com/?p=16795

争点はハッキリしている。                                                                                                    脱原発。改憲阻止。反軍国。 どこが「争点が不明瞭」だ?                                                                                              「従軍慰安婦問題」・沖縄米軍・オスプレイなどを巡る、維新・橋下の数々の妄言は、自民党本丸の政策の露払い役も担っているとますます明確になって来ている。両党での2/3は阻止しなければなるまい。

 

八尾空港をオスプレイ訓練にどうぞ…。 維新の正体

6月6日、安倍総理は維新・松井幹事長と会談し、松井・橋下の「八尾空港オスプレイ訓練受け入れ」という唐突な提案を検討する意向を示した。嘉手納・八尾

橋下氏の慰安婦発言の失態から国民の目をそらせるためか、「風俗活用の勧め」発言への米軍の不快感を和らげるためか、大慌てで思いついた維新の「スタンドプレ-」か? いや「新自由主義」+「国家主義」に彩られた維新の政策の核心だ。

安倍総理は、橋下氏の慰安婦発言時には「安倍政権はそのような野党党首の発言や歴史認識に与しない」と良識ぶりを装ったが、八尾空港提供発言では再び維新と手を組み利用したいのだろう。

安倍首相の日頃の言動に照らすまでもなく、軍事の日常化・全国化は自民党安倍総理系の積年の悲願だ。                                                                                                            客観的には、維新が自民党政策の露払い役・様子見役を果して行くという構造だ。                                                                                                                                                                                                    ここしばらくの維新・橋下の言動に対して、公明党の山口代表が維新を指して「暴走政党」と呼び、「このようなリーダーに率いられた政党との連携は考えられない」(趣旨)と述べたが、その姿勢を堅持してもらいたい。                                                                                                                                                        和歌山県知事は「受け入れも何も、自治体の意向に関係なくオスプレイの低空飛行訓練は実施されているではないか! 見え透いたパフォーマンスだ」という趣旨の発言をして不快感を示している。

言うまでもなく、八尾空港は沖縄嘉手納基地同様、四方を市街地に囲まれ、東大阪市・大阪市など大都市が隣接する民家密集の「不適格」空港だ。面積・近隣状態・補給やメンテ施設など、どの角度から見ても八尾空港は不適格だと、元防衛庁長官や元自衛隊幹部も語っている。そこを敢えて提案に及んだ橋下氏らの思惑は、「慰安婦発言」の失点(本人らはそう自覚してしないが)と、沖縄米軍への「風俗利用の勧め」の失点を取り返そうとしての米軍と自民党への媚であり、維新政策の核心でもある。

沖縄の心が「基地の返還・撤去」であって「危険の分散」ではないということを理解できない橋下氏らの思想・感性は、「慰安婦問題」での「施設の管理」「従事者の移動」「従事者の募集の民間への委託」はしたが、「軍」が「直接管理支配したのではない」とする屁理屈と同根だと思う。

 

 

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