Archive for 1月, 2011

連載 47: 『じねん 傘寿の祭り』  五、キムパ (3)

五、キムパ ③

隣の棟は教室だ。大きな作業台が二つあり、それはシーサーや貝殻を使った工芸品・アクセサリー・ペンダント・キャンドルの製作とランプの組立ての、その体験工房の際の客生徒の作業台でもある。今は連休中で夏に次ぐシーズンだが、たとえば今日の予約は沖縄本島から日帰りで来る浦添の子供会五人と引率の青年計六名の、一時半からの一組だけだという。夏季の半分以下だそうだが、連休が終われば卸し用商品の製作だ。そう大空は説明した。                                                                                                                                                                                                                                    さらに奥の、傾斜地に合わせ二階になっていていかにも増築した風の、工房を見せてもらった。卸す品の在庫状態や受注状況を見て優先するものを決めて順次製作している。この店で売れる数はしれているそうだ。シーズン前には教材というかパーツ作り作業に追われ、シーズンに入れば総出で体験工房の指導員もこなす。裏の小道からも出入りが出来る。裏からは一階というわけだ。製作の方針を巡っての行き違いから辞めた二人の男性スタッフは、ここの中心メンバーだったという。

昨日、黒川は「店作りを任せられるか見極めて欲しい」と言った。見極めるも何も、この工房を、友人に手伝ってもらいほとんど自身で作ったと言う大空は、これ以上無い適任者だ。専門家を呼んだのは電気や給排水・プロパンガス配管の仕事くらいだと聞かされた。そんなことは黒川は判っていたはずだ。大空に会わせれば、意気投合するとか、施工の虫が目を覚ますとか、引上げるには後ろ髪引かれる気分になるとか、何であれ裕一郎が帰阪方針を微調整すると踏んでいたのだろう。亜希が居たという望外の援護を得て、黒川は上機嫌だった。                                                                                     工房では普段、当番制で夕食を作り全員で食べている。実際は、大空は商いに出かけていることが多く、ほぼ半分の日はスタッフだけで食べるという。大空は律儀に遅くなって独りでそれを食べているという。港の近くに部屋を借り、女性三人で暮していて、男性用の部屋は現在空き部屋。いずれも夏季にバイトが来ることを前提に三部屋ある家屋だ。港から工房まで、それぞれバイクで通っている。一人は軽自動車を持っている。                                                                                                 今日は黒川が来るというので、その当番制を前倒しして昼食にする変則だそうだ。その当番が、ちょうど亜希だった。時計を見ると十一時前、キッチンに向かうのだろう亜希が言った。                                                                                      「今日はお二人が見えるというので、教えられた母の味を作ります。期待してもらっていいですよ。」                                                     大空が嬉しそうに言う。                                                                                                                                         「あれかい? いいねぇ。ぼくも大好物なのよね。」                                                                                                         「ハイ、あれです」と言って亜希はキッチンへ向かった。                                                                         黒川が質問し始めた。思ったこと気になることをズケズケ訊くのがこの男の個性と言えば好意的に過ぎる、無神経さなのだ。語れる環境があり、聞こうとする雰囲気があり、大空が語りたいと思えばやがて聞けるのだ。子供と同じように「待てない」ジジイだ。                                                                                          「辞めた男スタッフとの行き違いって何だね?」                                                                                   「いや~大したことじゃないんですが、小さな工房、工房と言っても卸しの商品をどんどん作らないと食って行けない家内工業、創作を目指す者にはちょっとね・・・。また、あとで」 

                                                                                                                                                       テラスで昼食だ。出てきたのは、キムパ。正確に表記すればキムパプとなるそうだが、聞き取れる音はキムパだ。裕一郎にも馴染みの韓国海苔巻きだ。キムパとそして又もやチヂミだった。わかめのスープも付いている。キムパの具は、厚焼玉子・たくあん・キュウリ・しいたけの煮物・カニ蒲。そしてキムチ入りとキムチ抜きがあった。沖縄アレンジで、肉っけは缶詰のポーク、ランチョン・ミートだ。七㎜厚ほどにスライスして軽くソテーして角棒状にカットする。これが絶妙に全体の味を引き締めている。具は実に豊富だ。海苔の表面に薄く塗ったゴマ油と、炊き立てのご飯に混ぜる、塩・出汁醤油・少量の酒・ゴマ油の配合具合が決め手らしい。白ごまの加減がいい。巻きの締まりの程は抜群だった。 

たそがれ映画談義: 現代日本「ばかもの」の系譜

2010年に観た映画-現代日本「ばかもの」の系譜                                                                                                               

昔、『無用者の系譜』(64年、唐木順三)という本を読んだ。西行・在原業平・一遍・兼好・良寛・秋成・芭蕉などを論じて、「何故、日本の優れた思想や文学が、世捨て人=無用者によって作られ語り継がれて来たか?」を説いていた。                                                                                                                                               それになぞらえて当つぶやきの標題を 『現代日本「ばかもの」の系譜』 としてしまふほどに、今「ばかもの」が愛おしい。

某Web誌の恒例のアンケートに答えようと、2010年に観た映画(製作年度不問)から、いくつかの印象深い映画を振り返ってみた。                                                                       毎年、前年観た映画から三作品を選んでコメントする趣向で続いている。( http://sakura.canvas.ne.jp/spr/lunakb/filma08.html )                                                                         『深呼吸の必要』(04年)、『やわらかい生活』(05年)、『ぐるりのこと』(08年)、『パーマネント野バラ』(10年)、『悪人』(10年)、『ばかもの』(10年)、の六作品が心に引っかかっている。                                                                                                                         登場人物は期せずして、いずれも自身の特性や人柄や境遇が「今」という「時代」への不適合ゆえに、生きにくさを生きる者たちだ。                                                                                                                                                                                                                                                            大学偏差値・就職偏差値・就職内定率・排他的競争=強いられる自発性に覆われた職場・過労自死・派遣パートなど非正規社員・・・。時代の要請を受容れる「能力」や「技術」や「智恵」を掴む機会に恵まれなかったか、その要請との和解を拒むしかなかった者たちだ。等身大の彼らに寄り添おうと苦闘する誠実な眼差しに充ちた作品たちだ。各作品には、拒絶する社会の側の病理を問う明確な姿勢があり、拒絶される側への限りないシンパシーを込めた応援歌が響いていた。                                                                                                 三作品を選べとのことですので、下記三作品を挙げておきます。(ストーリーは添付サイトをクリック)

『やわらかい生活』                                                                                                                (05年、原作:絲山秋子『イッツ・オンリー・トーク』、脚本:荒井晴彦、出演:寺島しのぶ・豊川悦司・妻夫木聡・大森南朋) http://movie.goo.ne.jp/contents/movies/MOVCSTD8732/story.html                                                                                                 大東京。上場大企業の総合職、キャリア街道を生きるシングル・エリート女性。                                                                                                       友の死をきっかけに陥った「うつ」、ドロップアウト、孤独・・・、それらを受容れる「やわらかい生活」を求め彷徨いながら、自己再生を「やわらかに」展望する主人公・・・。                                                                                                       寺島しのぶの存在感に救われた作品だった。蒲田というごった煮の土地柄もあってひときわ心に沁みました。

『ばかもの』                                                                                                                           (10年、原作:絲山秋子、監督:金子修介、出演:成宮寛貴・内田有紀・白石美帆・古手川祐子)                                                                                                                                                http://www.cinematopics.com/cinema/works/output2.php?oid=10193                                                                                              主人公:大学生ヒデは『やわらかい生活』の元キャリア寺島しのぶとは違い、どこにでも居る四流大の学生。社会に出ても入口からしてノン・エリートだ。軽い気持ちで付き合った額子(内田有紀)との関係は、未来を描けぬ者の空疎を埋める時間でしかなかった、と思っていた。                                                                が、額子が結婚すると去って行くや、ヒデの心の空白は仕事・人間関係・日常生活を蝕み、何をしても脱落する者となって行く。強度のアルコール依存症となり、やがてそこから抜け出ようとしていた。                                                                                       別離から十年の後、結婚生活を破綻させた額子と再会する。映画のコピーはこうだ。                                                                                『10年に渡って額子を追い求めた。たとえ変わり果てた姿になっていたとしても・・・』

『悪人』                                                                                                                                                     (10年、原作:吉田修一、監督:李相日、出演:妻夫木聡・深津絵里・岡田将生・満島ひかり・樹木希林・柄本明) http://info.movies.yahoo.co.jp/detail/tymv/id336818/                                                                                                                   出版当時に原作を読んで圧倒され、友人知人にせっせと薦めていた。映画化を知り、深津絵里さんはこなすだろうが妻夫木君はどうだろう?と危惧していた。ところが、逆に彼が十二分に役を果たした。彼に賞を上げて下さいと言おうとしたら、先日ブルーリボン主演男優賞を獲った。確か、キネ旬でも賞もらったんじゃなかったか?                                                                                                          主人公:祐一が抱える生い立ち・境遇、人に対して閉じてしまう人格、出会い系サイトで知り合った佳乃(満島ひかり)を殺してしまう経過・・・。妻夫木君は、地方の、無口で社交性などからは隔たって不器用に生きる、学歴乏しい青年の孤絶を見事に演じたと思う。逢う度に祐一から金銭を得ていた佳乃の虚飾の言動と、地位や高収入青年を射止めたいという上昇志向は、カタチを変えて「ばかもの」ならぬ現代人が採用している処世なのだ。観客が抱く佳乃の振る舞いへの嫌悪の感情は、実は自身に棲む佳乃的処世へ向かっているに違いない。                                                                                                                                                                                                                                 やがて殺人者祐一は、その後またも出会い系サイトで知り合った光代(深津絵里)との逃避行へ・・・。彼女は、祐一が初めて触れ合うことができた異性であり、何事かを「共有」できた唯一の人間だった。                                                                                                                                                  祐一が光代に「もっと早く出会っていれば・・・」と言うのだが、芯に届いて痛かった。                                                                                          

【雑感】                                                                                                 『やわらかい生活』の寺島しのぶが、ほぼ掴んでいよう虚構のキャリア生活の相対化、『ばかもの』の成宮寛貴が仮到着した内田有紀との再生活のスタート・・・、それに近いものを『悪人』の妻夫木君は築けなかったのだろうか・・・。                                                                                                                                                                                             否。それが、光代が犯人逃亡幇助に問われることを避けようと、最後に『悪人』を演じる祐一の余りにも哀しい「ばかもの」の情愛表現だった。                                                                                                                     人は、自分一人の力で苦境を脱することはできない。振り返れば、その希少な機会をぼくもあなたも、どこかで得たからこそ今日があるのだ。                                                                                                                                                         祐一とぼく・・・、それは僅かな偶然の違いなのだ。                                                                              『悪人』一篇は、「祐一とは読者・観客のあなた自身ですよ」と告げている。そう告げ得た祐一に光あれ。                                          もしそう思えるなら、我らは、「We」であり、「ばかもの」なのだ。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                   ならば、その「ばかもの」を相手にしてくれたあの方々(某詩人・某教授・某友人・某女房など)も「ばかもの」もしくは「ばかもの」応援者に違いない。                                                                                        「ばかもの」は「ばかもの」に出遭うことによってのみ、「ばかもの」だけにしか見えないものの価値を掴み、                                                                              そこから全てを構想する可能性へと進めるのだ。                                                                                                                               「品川宿:たそがれ自由塾」塾頭を自認するぼくの残された時間は、小賢しい処世の「智恵者」派ではなく「ばかもの」派だろうと思い定めている。                                                                                          『ひとつの事件を、被支配者たちは個別性から解放し、それに歴史性を付与することができる。                                                                                      歴史性とは、自分とは異なる位相で抑圧にさらされている他者への視線を、                                                                                                           現在・過去・未来にかんして獲得しうる、という可能性である』 (池田浩士) 

選んだ三作のうち二つもが原作:絲山秋子だという事実に、この作家の並々ならぬ「今日性」を思う。                                                                      なお、少し前(04年)なので除外した『深呼吸の必要』の成宮寛貴に『ばかもの』で再会したのだが、                                                    この『深呼吸』の出演者(香里奈・大森南朋・谷原章介・成宮寛貴・長澤まさみ・他)が、                                                                     今や各方面で翔いている姿に、ぼくは偶然ではないものを感じている。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                           映画の持つ「力」を過信している「映画バカ(もの)」のぼくではある。( http://www.yasumaroh.com/?p=9104 )                                                                                               そして、『踊る大捜査線』など「クソ食らえ」のぼくでもある。( http://www.yasumaroh.com/?p=8388 ) 

                                                                                                                   

連載 46: 『じねん 傘寿の祭り』  五、 キムパ (2)

五、キムパ ②

下り坂に来て、眼下に広がる渡嘉志久の海に驚いた。やや曇天でも鮮やかなコバルト色だ。晴天下ならさらに鮮やかに違いない。慶良間の海を挟んで、すぐ向かいに阿嘉島・安室島・座間味島が繋がって見える。浜を見渡せるホテル前の小道に沿って、並ぶ店の中にひときわ目立って大空の工房はあった。                                                                    

動悸を自覚した。汗ばんだ手を開こうとすると、何か知っているのか、それとも車中の会話からある確信を持ったのか、黒川がポンポンと肩を叩く。裕一郎は、その手を払い除けるように身体を反らした。横を見ると、黒川はニヤリと笑っている。

 まだ開いていない店の引戸を開けると、奥から小柄でよく日に焼けた女性が現れた。「お疲れ様。お帰りなさい」と大空を迎えた女性は、黒川と裕一郎に「いらっしゃいませ」と会釈する。店内を見渡すと、黒川が言った通りの商品が並んでいて、店に隣接して「体験工房」の教室があった。小学校の教室半分ほどの広さがある。キョロキョロしていると、続いて女性が二人出てきた。一人が亜希かもしれない。前の女性は違っていたヤンキー風だ。二人のうち後方を来るのが亜希なのか・・・?                                                                                         正視できず視線は泳いでいた。

「いらっしゃい、黒川さん。お隣は北嶋さん・・・ですよね」記憶通りの、やや低い乾いた声を聞いた。                                                                                             「いや~、亜希さん頑張ってるようだね」と黒川。裕一郎が続く。                                                                                                             「ご無沙汰です。お元気そうで・・・」                                                                                                                          この緊張は何だ。中学生の初デートのように全身が固まり言葉が出ない。亜希は二人に挨拶する。                                                                                 「黒川さん、失礼しました、お知らせもできず・・・。今日お会い出来ると知って楽しみにしてたんです」                                                                                                                   「北嶋さん、お久し振りです。ノザキ、辞められたんですね。大空さんから黒川さんとの電話内容聞きました。黒川さんところへ来ておられたとは・・・。ギャラリーじねん、出すまでいらっしゃるんですよね。」                                                                                               裕一郎が「ええ、まあ・・・」と答えるのと同時に黒川が言う。                                                                                                                                    「三月だったかな・・・、ひろしが通う園の近くで亜希さんが青い車を運転しているのを見たと言うもんで、半信半疑だったんだが、どうやら事実だったようだね。一度しか会っていないのに、しかも運転中を見ただけで判るんだから、ひろしは鋭い大したもんだ。あの子の女性観察はすごいんだよ」                                                                                                「ああ、それ、玉城の得意先へ商品を届けた前後でしょうね。大空さんに代って納品することもあるんです。新人の役目です」                                                                                               「園が在る豊見城を通ったんだね」                                                                                                             ユウくんの観察力に驚いた。なるほど、だから、裕一郎が沖縄へやって来た初日、自分の観察記憶を確かめる目的で、わざわざ「北嶋さん、あの時のお姉さんは?」と問い、「あのお姉さんはね大阪やで」との裕一郎の答えに、しぶしぶ引き下がったのか・・・。                                                                                               裕一郎は、いま、「ギャラリーじねん」を出すまで居るのですよねと問われ、それに「ええ、まあ」と答えたことを振り返っていた。が、「あっ、肯定してしまった。まずい」と思ったのは一瞬だった。まずいどころか裕一郎はもう決めていた、俺は当然「ギャラリーじねん」を完成させるまで居るのだ・・・。黒川に対して近々帰ると大声で宣言した恥ずかしさなど考慮の外だった。黒川が、裕一郎の肩に手をやって口を開く。                                                                           「無理言ってね。帰らなきゃならん用件が降って沸いたのに、夏まで居てくれと頼んだんだら、その用件を断って残ることにしてくれたよ。いい男だ」                                                                               勝負は付いた。黒川の勝ちだ。黒川は勝利に酔っているのか、きっと貸しを作るつもりで言ったに違いなかった。                                                                                                                   傍らで聞いていた大空が、さあさあと隣の教室へ案内した。いましがた紹介された関西出身のヒロちゃんというまだ二十歳前に見えるヤンキー風の娘も付いて来ている。最初に応対した小柄な洋子さんという女性は店に残って開店準備を始めていた。

亜希とは約半年振りだが、それが十年以上に思える。この女性に何の用があるのだ、どんな関係があったと言うのだ、一体何を語り合うというのだ?何もありはしないではないか。そう思うと、動悸が治まったように思えた。すると、逆に亜希がひと度は抱えそして超えたものを思い、冷静な愛おしさのようなものが込み上げてきて、その半袖夏姿を正視することもできるのだった。                    (体験工房前で → )                                                                                                                                                                                                  

 

 

                                                                                                                                    

 

連載 45: 『じねん 傘寿の祭り』  五、 キムパ (1)

五、キムパ ①

 渡嘉敷島へ行くにはフェリーもあるのだが、昨夕黒川が「とまりん」で「任せておきなさい」と高速艇「マリンライナー」を選択して、乗船切符を購入していた。所要時間はフェリーの半分の三十五分だ。那覇泊埠頭午前九時出航、帰りは渡嘉敷夕方五時三〇分出航、ちょうどいい。

 船内は、連休でダイビングにやってきた若者などで賑わっている。〇五年四月二九日、曇天だが暖かい。昼には確か二十七度になったはずだ。島の東側にある港に降り立つと、知念大空が青い軽ワゴンで迎えに来ていた。甥と言われれば、確かに雑誌やテレビで観た知念太陽に似ている。四十代半ばだろう。                                                                                                                                                                              高速艇内で聞かされた黒川の話では、店で売る品物を自前では作っていない沖縄中の「土産物屋」へ、この軽ワゴンで、シーサー・アクセサリー・ペンダント・キャンドル・ランプなどを卸していて、手広く「商い」をしているそうだ。品物の出来が他よりいいと好評らしい。喧嘩別れした伯父太陽に似て「なかなかの商売人」だという。常時二・三人の若い工房員が居るが、出入りは激しいらしい。夏季には店が忙しくなるので、販売だけを担当する若者が短期バイトで来るという。そのバイトは、寝床付・食事付で日当三千円+売上の二〇%がコミッションだそうで、若者は必死になってガンガン売るのだという。休日には透き通ったコバルト色の海でダイビングを楽しみ、いい空気を吸い、滞在費もクリアできる。労働をしない空虚や負目からも免れることが出来る。バイトはリピーターや紹介が多く、求人には困らないらしい。上手いシステムだ。黒川のこれらの情報は、昨秋沖縄に来て以降のもので、古くから知っているような口調は黒川マジックの変種には違いない。もっとも、黒川は大空が伯父太陽の工房や東京の太陽プロダクションにいた頃から面識があるので、古い知人であることは事実だ。太陽に切られたことで、大空には黒川から近づいたに違いない。                                                                                     

後部荷台に商品が積まれたワゴン車に誘導されて、黒川が二人を交互に紹介した。乗車して一呼吸して、裕一郎は浅黒く筋肉質の大空に訊いた。                                                                                                                                          「知念さん、大空というのは本名ですか?それとも・・・」                                                                                                               「恥ずかしいんですが、本名です。伯父の太陽もそうです」                                                                                                                          第一印象というものは不思議なものだ。大空が実名だというだけで、この男への印象度計測器の針が好印象の側へピクリと振れるのを感じた。大空が黒川に笑顔で言う。                                                                                                                                                                  「黒川さん、北嶋さんの登場で念願の自前ギャラリーも目前ですね。いい物件見つかりました?」                                                                                                                                                                               「うん、候補はいっぱいある。間もなく決めるよ」                                                                                                                                 「手伝いますよ! ぼくの商品も安く入れるから、どんどん売りましょうね」                                                                                              「ああ、頼むよ」                                                                                                                                                              「百貨店や展示会場に、二割もピン撥ねされることも無くなりますよね。残りの数%での遣り繰りは、貴重な人脈や作家との歴史を差出す企画者には酷なシステムですよね」                                                                                                                                                                                                                      黒川が焼物陶芸・絵画版画のギャラリーに国際通りを選んだ理由、自前ギャラリーに拘る理由、その一端が垣間見えた。かといって、国際通りの、それも奥まった若者ファッション・ビル風のあの物件はいただけないのだが・・・。少なくとも、黒川の主観的願望だけは理解できた。                                                                                                                                                         黒川が、国際通り案件を選んだ理由として、大空の土産物販売のことを全く言わなかったのは、またぞろ知念頼みかと指摘されるのが厭だったのだろうか、土産物を置くことを躊躇っていたからだろうか・・・。

西海岸の渡嘉志久ビーチにある工房兼店舗へ向けて狭い山道を走り出した。運転する大空が奇妙なことを言っている。                                                                                                                                                                                                                               「黒川さん、新入りスタッフも期待してますよ。ギャラリーが完成したら、手伝いに行くと言ってね」                                                                                                                                                                                                                               「嬉しいね。新入りって?」                                                                                                                                       「黒川さん、ご存知ないかな~。正月に来ましてね。ちょうど男性スタッフが続いて二人辞めたので、女性ばかり三人となりますが来てもらうことにしたんです」                                                                                                                                                  「そうかい、しかし、なんで手伝うとまで言ってくれるのかね?」                                                                                       「大阪のギャラリーじねんを知っていると言ってましたよ」                                                                                                                                     「うちを、知ってる? 君~い、昨日の電話でそんなこと言わなかったじゃないか」                                                                                                                                                                               「黒川さん、年末に電話で話したきり、昨日が久しぶりですよ。言い忘れたのね。もう四ヶ月になりますね。バイトじゃありません。バイトは夏だけです。工房のスタッフに雇ってくれって。あとで紹介しましょうね。」                                                          

根拠の無い期待に裕一郎の掌は汗ばんでいる。「そのスタッフの名前は?」と訊きたいのだが、黒川の手前黙っていた。 

 

ほろ酔い通信録: 似顔絵でご容赦下さい。

Nさんへ。                                                                                                                                                                                                                                         どんな風貌の人ですかね?と冗談半分のつぶやき文がありましたが、そう問われても困るのですが・・・。                                                                                                                                                     自己紹介欄で友人が呆れるほど語り過ぎてますので、ここは、さる画家&詩人のS師による似顔絵でご容赦下さい。

これ、かなり似ています。                                                                                                                                                                                                                           

                                                                                                                                                                                                                                               

歌「100語検索」 ⑰ <忘>

「忘」という語は、忘れまいとする者・忘れてしまいたい者・忘れられない者たちの為にある。                                                                                                                                                                                                                               そのいづれでもない者たちはとうにしっかり忘れていて、その者には「忘」の語は必要ないのだから。

昨日まで朝から晩まで張りつめし
あのこころもち
忘れじと思へど
  (啄木-『悲しき玩具』-)

『カナリア』 http://www.youtube.com/watch?v=UmxppaW2BmQ : 童謡                                                                                                                                         『忘れな草をあなたに』 http://www.youtube.com/watch?v=b89ctUWWZwg 倍賞千恵子                                                                                                                                                                                                                                                   『忘れないわ』 http://www.youtube.com/watch?v=AETBr6yFm0A ペギー・マーチ                                                                                                      『許されない愛』 http://www.youtube.com/watch?v=FX3f55oiCk8 沢田研二                                                                                                                                                                      『ラストダンスは私に』 http://www.youtube.com/watch?v=wuUnnyhe2eo 越地吹雪                                                                                                                   『酒と泪と男と女』 http://www.youtube.com/watch?v=FzQnWI1h8HA 河島英吾                                                                                                                                                『恋人よ』 http://www.youtube.com/watch?v=_ZkgtU8UoZE 五輪真弓                                                                                                                        『夢想花』 http://www.youtube.com/watch?v=5s-K0ezs6F8 円広志                                                                                                                  『アザミ嬢のララバイ』 http://www.youtube.com/watch?v=aZUp8MUmM-g 中島みゆき                                                                                                                         『わかれうた』 http://www.youtube.com/watch?v=tbNtU-y9J8Q&feature=related 中島みゆき                                                                                                                                                                                                                                                                                        『リバイバル』 http://www.youtube.com/watch?v=C87ue1eGHiU&feature=related 五輪真弓                                                                                                                                         『りばいばる』 http://www.youtube.com/watch?v=rYFbbtP68Kk&feature=related 研ナオコ版(中島みゆき版、削除されてありません)                                                                                                                                            『忘れていいの』 http://www.youtube.com/watch?v=7C7IyYRzsz0 小川知子、谷村新司                                                                                                                   『神田川』 http://www.youtube.com/watch?v=vKaUVlg6z3c かぐや姫(南こうせつ)                                                                                                    『神田川』 http://www.youtube.com/watch?v=Nv39O-sEVMg&feature=related 南こうせつ                                                                                          『イミテーション・ゴールド』 http://www.youtube.com/watch?v=DLhj4ilgfII 山口百恵                                                                                                                                 『忘れられるものならば』 http://www.youtube.com/watch?v=8JgSjGqNEvw 中島みゆき                                                                                                                                                                             『夜風の中から』  http://www.youtube.com/watch?v=hZXDHCVmc3Q 中島みゆき                                                                                                                              『もうひとつの土曜日』 http://www.youtube.com/watch?v=uAdB2nxg5z8 浜田省吾                                                                                                                                『ヘッドライト・テールライト』 http://www.youtube.com/watch?v=mZCbegorwZs 中島みゆき                                                                                    『雨の慕情』 http://www.youtube.com/watch?v=4pPDPSPAL-M 八代亜紀

「忘」の語を抱えたいい歌が、もうみっつほどあったのだが思い出せない。  ・・・「忘」れた。                                                                                                       

忘るるといふ優しさやかき氷  (久根美和子)

                                                                                                                                                                                                 

連載 44: 『じねん 傘寿の祭り』  四、 じゆうポン酢 (11)

四、じゆうポン酢 ⑪

翌日、タロウの姪御さんへの支払いだけは立ち会うしかないと思い、姪御さん指定の午後三時に着くように同行した。                                                                                                                                                                                                               姪御さんはよく理解してくれたが、細川から買った人の買取価格が、回りまわって姪御さんの耳に入っていた。それは百七十五万だと判明した。姪御さんは、それでも黒川に同情的で、伯父の作品に高い値が付くことは嬉しいことです、あなたが売って少しでも儲けて欲しかったと言ってくれた。さすがタロウの姪だ。                                                                                                                                          細川から回収した百二十万をそのまま払った。                                                                                                                                                                                   大阪に帰ろう、俺の手に負えない。無言で車を走らせた。                                                                                                                                                             黒川は、引き止めるにはある種の「お願い」が必要であり、それはプライドが許さないとばかりに、同じく無言で助手席に座っていたが、眠ってはいない。腕を組んで、裕一郎を引き止める方法でも考えているのか目を閉じていた。やがて目を開いて喋り始めた。                                                                                                                                                  「裕一郎君、明日、渡嘉敷島の工房へ行くのだが港まで送ってくれないか? 出来れば渡嘉敷まで同行してくれ。帰りに港まで迎えに来てくれてもいいがね」                                                                                                                                                         行ったことのない渡嘉敷島へは行ってみたかった。あの重い出来事が頭を過ぎる。                                                                                                                                       「行ってもいいですけど、昨夜言いましたように、ぼくは近々帰らせてもらいますよ。そのぼくが何しに行くんです?」                                                                                                                                                                                                          「まぁどの道、君は帰るんだし、その日程は今決めなくてもいいじゃないか」                                                                                                           「渡嘉敷島の工房って何の用です?」                                                                                                                                                                                  「いや、そこに器用な男が居て、ギャラリー物件が決まれば大工仕事を頼もうと思ってね…。君にその男で店つくりが可能かどうか見極めて欲しい」                                                                                                                                           「決まればって、決まってないでしょうが」                                                                                                                                                                                            黒川は、こちらの問いを巧みに外す天才だ。自分のペースを変えることなく受け答えする。                                                                                                                                 「知念大空という男なんだが、彼を早く押さえておこうと思ってね。知念太陽、知っているだろう? 有名な彫刻家の…、あれの甥だよ。器用なんだ、何でもするよ。店で自作の作品も売っているが、観光客相手の沖縄土産のシーサーなんかだよ。本島の土産物屋に卸している。工房も一応あるが、貝殻や砂を利用したアクセサリーやペンダントを客に作らせる教室と言うのか手作り体験というのか、怪しげな店もやってるよ。何~に、多少の手間賃を払えば喜んで手伝ってくれるさ。元々、観光シーズンの夏以外はスタッフに任せて、製作の合間にあれこれバイトに出かけてるんだから・・・。今はゴールデンウィークで店に居るよ」                                                                                                                                                                              黒川はきっとこう考えたのだ。大空に会えば、裕一郎の「店つくり虫」が目覚めその気にならないかとか、大空の人柄や創作活動に触発され留まりはしまいかとか、二人で店つくりをしようと盛り上がるかもとか、いろいろと・・・。                                                                                                                                               「明日が最後の仕事です」と、突き放すように答えた。                                                                                                                                                                     「とまりん」という那覇泊埠頭のターミナルビルへ走らされ、黒川が乗船券を購入した。                                                                                                                                                                                                         まだ明るいうちに帰宅し、部屋を片付け、掃除して洗濯をした。明日、渡嘉敷島へ行った後、数日の内に去ろう。何と言われようと・・・。夜、裕一郎は自分が食べたい「カツ丼」を作った。またまた、大好評だった。疲れる。                                                                                                                                                     もずくを、保存していたじゆうポン酢で食べた。ユウくんには撤退を言えなかった。

黒川が助手席で、目を閉じ腕組しながら考えたのだろうその作戦は、結果として黒川の思惑を超え、中々強烈なものとなる。翌日、その工房へ行ったばかりに、裕一郎は当初の予定通りギャラリー開設まで沖縄に留まることとなるのだ。ジジイめ。

(四章、じゆうポン酢 終)      (次回より 「五章、キムパ」)                                                                                                              

                                                                                                                                                     

連載 43: 『じねん 傘寿の祭り』  四、 じゆうポン酢 (10)

四、じゆうポン酢 ⑩

「天に唾じゃあない、ドブ川に唾棄だ。細川に言いかけた話で言えば、ぼくも、細川も、買った人も、まあ君も、悪いが姪御さんもぜーんぶ四月二十八日にサンフランシスコ講和条約にやられたということだな」                                                                                                                                                                                      「何を言うとんのです、身勝手な・・・。大皿はどうなるんです。売り飛ばされたタロウの皿もサンフランシスコ同盟にくれてやるんですか?」                                                                                   「解らん男だねぇ。タロウは不滅だ、皿は永遠だよ。ずっと生きとるよ。沖縄は不滅だ」。ん?

帰宅して、まだ早かったが呑みに行こうと思った。まだ訊くべきことがあると思い直して、階下へ降りて行った。黒川が机に向かっている。何やら書類を広げて繰っている。                                                                                                                           「黒川さん、タロウの姪御さん以外にも支払いあるんでしょ。思い出して下さい」                                                                                                                「う~ん、実はぼくもそれが気になって、今いろいろノートやメモを調べてたんだ」                                                                                                                      「で、分かりました?」                                                                                           「うん、回収した六件すべて紐付きだね」                                                                                                                                「えっ~。全て?紐付き? どういうことです?」                                                                                                                                                   「君が回収してくれた分は、まあ全て預かりだったということだ」                                                                                                       「細川以外の回収額は確か合計で百六十六万だったと思いますが、それの支払いは?」                                                                             「預った時の言い値は二百万近いが、回収額と同額にしてもらえるだろう。儲けなしなら納得してくれるよ」                                                                                                                                                                                                   「してもらえるだろうって、苦労して買手と額の合意に漕ぎ着け、神経擦り減らしてして回収したんです。それが全部支払義務のある入金?聞いてませんよ! しかも今日の大皿も含めて支払額はこれから交渉? 先方が納得しなければ大赤字ですよね!」                                                                                                                                     「永く預ってるからね、返すかお金を払うかしてやらんとな」                                                                                                                                  「あと二件の未回収はどうなんです?」                                                                                                                  「幸い、それは元々ぼくの所有だったものだ。支払は無い。その回収に励んでくれ」                                                                                                                   「励んでくれ? 黒川さん、申し訳ありませんが、ぼくはもう励めません!」                                                                                                      「どういうことだね?」                                                                                                 裕一郎は大声で返した。                                                                                                                                                     「やってられん、大阪へ帰らせてもらいます。と、いうことです。ぼくがして来たことは全て、支払義務がある売掛回収だと、何故言わなかったんですか?」                                                                                                                                                                                                               「失念していた。それに関しては申し訳ない。だが、それを知っているかいないかに拘らず、君の労力は違わないだろう・・・、どの道回収しなければならない、同じだろう? 来てひと月でギブアップかい。情けない、噂通り団塊世代左翼はひ弱いねえ。一体、君にどんな不利益があったと言うんだ、えっ? 何の実被害も無いじゃないか!」                                                                                                                             「左翼ではありません、無翼です。・・・・・・、もういいです。物件を決めてギャラリー出すんでしょ。その資金は二件の未回収、えーっと、確か七十万前後。黒川さん、生活や維持経費もある、たまの小物の売上が僅かにあってもギャラリー開設は無理です」                                                                                                                                        「出来るよ。大阪の未回収がある」                                                                                                                                                                                「誰が回収するんですか? 飛行機代使って出張ですか。何度も行く余裕はありませんよ」                                                                                                                                                                                                     「そうかね? ほれ、君の友人の吉田という専務、彼に頼めばいいじゃなか。押しが強そうだ」                                                                                                                 「頼めませんよ、仕事が超多忙な者に。回収するまでの手間暇なんてありません・・・頼めません。黒川さん、申し訳ないですが、僅かひと月でしたが、近日中に帰らせてもらいます。今夜は、ちょっと出かけます。沖縄料理食って呑ませてもらいますわ」。黒川を置いて出かけた。

                                                                                                                 連休中の観光客で賑わう大きな沖縄料理店で呑んでいると、沖縄へ来る前日、松山で美枝子が言った科白が押し寄せて来る。                                                                                                                                「北嶋さん、物好きねぇ。大変よ、黒川の性格、経済状態、家事。プラス在庫叩き売り、お終いはもう時間の問題なのよ。そこへ、ひろしの生活のこと。結局、あれもこれも背負い込むことになるわよ」                                                                                                                                          俺には背負い込むことなど出来はしない・・・。裕一郎は三時間近く、それこそ十年振りほどの量を呑んだが、酔えなかった。                                                                                                                                                                                                                        帰ろうとして、店の外へ出ると足がふらついた。これが泡盛だ。その後も梯子した。酔った勢いか、あることを決めていた。まだ何の報酬も貰っていないが、約束違反・早期撤退の身、これも「たそがれ野郎」の宿命と思うことにして、こちらからは申し出ないと・・・。                                                                      深夜にタクシーを拾って帰って来ると、黒川は又古い映画を観ていて、ユウくんは熟睡していた。

 

連載 42: 『じねん 傘寿の祭り』  四、 じゆうポン酢 (9)

四、じゆうポン酢 ⑨

「そうでしょうが! 先日の書類を第三者に転売するなんて、無法もいいとこだ」                                                                                                          「誰が第三者に売渡すと言いました?」                                                                                                                                                                                                        「大阪に郵送するって・・・」                                                                                                「うちの大阪の事務所ですがな! あんた、タロウの大皿、なんぼで売ったんです? 買うた相手言うて下さい。何やったら、とことん調べましょか? あんた、タロウの大皿で半年金回したんでしょ? 今更ゴチャゴチャ言うんやなく、一年預かるとちゃんと言うときゃええんでしょ! ずーっと月末に支払うと繰り返して、病弱の老人やと軽う見て黒川さんを食い物にしたと言われてもしゃあないでしょ、違います?」                                                                                                                                                                                                                                       「それは違う。どの画廊もそうやって遣り繰りしてるんだ」                                                                                                                        「あのね、あんたこの間、軍用地主の話しましたよね、あぶく銭持ってて目利きも出来ない上得意や言うて・・・。今回の大皿と似てますな。大皿は元々黒川さんのもんや。黒川さんは現物を返すか、代金を払うてくれと言うてるんです。勝手に占有する権利はない、と。どう、似てません? 軍用地主にも、そらあんたが言うような人も中にはおるでしょ。けど、その金の上前撥ねて食うてると堂々と言うあんたがネチコチ非難出来ます? 何やったら金戻して、今日のことは無かったことにして、お望み通りどこかへ債券譲渡しましょか?」                                                                                                                                            細川は沈黙した。黒川が前回言えなかった分を取り戻すように言う。                                                                                                                                                                                                            「細川君、日本という座布団に胡坐かいて商いするのはもうよしなさい。沖縄へ来た時だけは同情・贖罪気分、沖縄人ツラで居る、日本でできない反戦を沖縄に押しつける・・・、そういう本土デスク左翼もぼくは嫌いだ。だがね、君のように、商いへの負目が在ってかどうか知らんが、自分の本音のいかがわしさを軍用地主の一部を非難して放免しようとする輩はもっと嫌いだね。心から五分の商いをしなさい。そこから全体を見なさい。」黒川流突っ込みは、前のめりで分かりにくい。それにしてもスラスラと語る黒川だった。                                                                                                                                                                                           「聞いておきましょう。だが、いずれにしても、黒川さんとは終わりですね」                                                                                                                        「今日、四月二十八日は何の日か知っているかね?」互いの応酬はチグハグだ。                                                                                                                                                                           「 ? 」                                                                                                                                                                           「サンフランスシスコと言っても思い付かないかい?」                                                                                                                                                            細川は、黙っていたが、一呼吸おいて力なく言った。                                                                                                                                                                           「北嶋さん、サヨクですか?」                                                                                                                                                                                                                   「ん? 彼はムヨクだよ。ヨクは翼ではなく欲望のヨク、無欲だ。今日の集金の何割かが彼の懐に入るとでも思っているだろ。ところがそうじゃないんだ。一銭にもならないことでも動く者も居るのだ。それがムヨクだ。解るかいそういうの・・・。憶えときなさい」                                                                                                                                                                                                                                              黒川さん、悪いけど俺は決して「無欲」ではないぞ、むしろ「無翼」なのだ。裕一郎はそう噛み締めて表に出た。黒川が満足げな表情をしてドアをバタンと閉めて続いた。                                                                                                                                                                                                                集金の報酬を貰おうとは思っていないが、黒川さん、何を予防線を張っているのだ!あんたが言うなよ。                                                                                                                                                               だが、黒川の「沖縄-日本」についての言い分は黒川なりの本音だと思う。「全体を見なさい」などと人に言える自分ではないが、黒川の言い分は直感的で表層的であっても間違ってはいないと裕一郎は思うのだった。黒川のこの理性がどうして実生活や商いでは・・・・・・。

帰りの車内で無口で居た黒川が話しかけて来ようとするのだが、何を言っているのか分からない。が、言いにくそうな表情でボソボソ言っている。気になって、スピードを落として聞いてみた。                                                                                                                       「思い出したんだが、あの大皿で回収した百二十万は、残念ながら支払いに消えるね」                                                                                                                    「えっ? 消えるねって、何の支払い?」                                                                                                                                                                「大皿だよ」                                                                                                                                                                           「美枝子さんが、あれは売るなと言った作品でしょ? 売るなと言うことは黒川自然のものだということですよね?」                                                                                                                                                                                                                                                                                     「いや、美枝子は知らない。あれは、タロウの姪御さんから一年の期限で預ったものだった。作品が売れちゃった以上、金を払わなきゃならんよね。いやー忘れてた」                                                                                                                                                                   「ならんよねって、いくら?」                                                                                                                                            「売るなら百五十万と言ってたなぁ」                                                                                                                                                                                                                                                                              「忘れてた? 言ってたなぁ? 黒川さん、どういうことですか、いいかげんにして下さい。あなたはちゃんと覚えてたはずです。にもかかわらず、とぼけてぼくをこういう風に使う。姪御さんにお願いして百二十万で許してもろうてもチャラ。もし最初に聞いたとおり百五十万となれば三十万の持ち出し。今日の細川作戦は何やったんですか? それではまるで、細川といっしょじゃないですか!」                                                                                                                                                                                                                                                                                                                「細川といっしょにしなでくれるかな。奴は美術ゴロ、ぼくは陶芸愛好家だ。全然違う。ぼくは本当に忘れていたんだ。それにね、姪御さんはいきさつを話せばきっと解ってくれるよ。裕一郎君、諦めなさい。人間、諦めが肝心だ。当事者のぼくが早くも立ち直りを見せているのに、なんだ君は。報われなった努力をいつまでも思い悩む・・・君らの世代特有の女々しさかい? もっと大らかな気持ちで居なきゃ。歴史に名を残した改革者はみんなそれを持っていた。」                                                                                                                                                                                                                        究極の黒川マジッックだ。金銭が絡み、しかも労力を伴う案件にも発揮されたのではもう我慢できはしない。裕一郎は大声で怒鳴りそうな感情を抑えようとしたが、ハンドルを握る手の振るえを止められなかった。もう逃げよう・・・無理だ、この男にこっちが潰される。細川に向かって吐いた言葉の無責任を悔いた。                                                                                                                                                                                                        「改革者ではありませんし、歴史に名を残したいとも思いません。けど、タロウの百二十万の件はあなたを許しません。細川に対してぼくは、いわば天に唾してたんですから」                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                       

 

連載 41: 『じねん 傘寿の祭り』  四、 じゆうポン酢 (8)

四、じゆうポン酢 ⑧

激しい雨の日があり、快晴の日があり、梅雨のように空が重い日があった。                                                                 家事は、毎朝食と週四度程度の家で食べる夕食は当然のように裕一郎の担当となった。親子を置いて一人で出かけるのはどうにも後ろ髪引かれほとんど出来なかったし、外で食べれば自分の財布が持ちはしない。                                                                                                                          細川以外の、小口・中口は全部で八件。順次片付いている。六件は解決だ。もちろん、金額は黒川の説明と大いに違っていた。黒川の言い分は細川大皿百五十万円、他の八件が計二百七十五万円計四百二十五万円だが、先方と確認し合意した額は細川分が百二十万円、他の八件が二百三十三万円、計三百五十三万円だった。回収六件の合計は百六十六万円。残り二件が六十七万円。それでいいと思う。まずは現金化だ。                                                                                     ギャラリー用物件も、沖縄移住の前と後の黒川の常連客からの情報で候補が絞られていた。三日に一度は下見に出かける日が続いた。時々常連客が訪ねて来ることもあり、在庫の小物を買って行った。茶器・食器・カラカラ(琉球徳利)・琉球漆器などもあり、その都度、四~五万の売上があった。事態は進んでいると実感出来た。                                                                                                                               

細川との約束の期限が近付いている。四月は二九日が祭日、三〇日が土曜日、翌日は日曜日でありもう五月だ。いずれも金融機関は休み。だから、四月末というのは四月二八日ということになる。                                                                                                                               細川に軽く電話した。催促ではなく、連休が始まる今月末は金融機関がいささか変則日程なので、うっかりお間違いないようにと・・・。細川は、二九・三〇が銀行休みとは忘れていた、五月初旬に・・・、と言う。                                                                                                                    いえそれなら二七日か二八日でいかがです? お伺いしますので。売買契約書の方、よう読んでおいて下さい。しばらくして、二八日午後一時と返事があった。契約書には、五月一日以降は延滞利息が発生すると記載されている。振込みにせず直接集金を選択したというのは、援軍でも呼ぶのか?                                                                                                                                                                                                                                                                  

二八日、どんよりと曇っていたが、昼には気温二十七度となって大阪の六月だ。それでも、黒い上着にネクタイを締めて、黒川といっしょに出かけた。「食堂」で早い昼食を済ませた。オバサンに携帯電話の番号を伝え「申し訳ありませんが、ちょっと事情ありまして、今日お昼一時十五分に鳴らして下さい。必ずかけて下さい。時間厳守でよろしく」「電話に私が出たらすぐに切って下さい」と依頼した。オバサンは怪訝な顔をしていたが引き受けてくれた。                                                                                        約束通り画廊へ行くと、予想通りもう一人男が居た。先日の若い留守番役とは雰囲気が違う。黒川に訊くと初めて見る顔だと言う。細川の横に座り同席する気配だ。裕一郎が先に口を開いた。                                                                                                                                                                「こちらは?」                                                                                                                                      「ぼくのアドバイザーです」「細川さんの友人です」二人が同時に答え、男は「澤田です」と名乗った。                                                                                                         「そうですか、何かあれば保証なさるとか・・・」と声を落として言う。澤田は照笑いして答えた。                                                                                                     「いえいえそんな、まあ立会人ですよ」                                                                                                          「そうですか。ご苦労様です。しかし、今日は金銭の受渡しだけですので立会っていただくほどのことでは…。前回、全て合意してますし。」                                                                                                                                    細川がモゾモゾしている。                                                                                                           「大皿の買主から最後の金が半分しか入らなかったんです。で、こうして現金を用意した努力を評価していただき百万円でご容赦願えないかと・・・」                                                                                                                                        「それは出来ません。もう書類をスポンサーにFAXし、電話でも言い切りましたから。ここからは私の信用問題になります。私がスポンサーにこっ酷く叱られますよ」                                                                                                                                               細川が、買い手を探すのにずいぶん経費もかかっている、買い手を見付けても聞いていた程の価格では売れない、管理も大変だし・・・、と次々に愚痴った。それはそうでしょうがそれも含めて百二十万で決着したのですから、と返しているところへ携帯電話が鳴った。「食堂」のオバサンだ、一時十五分キッカリだ。出るとオバサンはすぐ電話を切った。                                                                                                「はい北嶋です。はい・・・、いえ今からお支払いいただくところで・・・。えっ? はい、ええ、いえ、はい、はあ。ええ、黒川さんは横にいらっしゃいます。」電話機を手で塞いで、黒川に「オヤジさんですわ」と苦い顔で言って、電話機を耳に戻した。                                                                                                                 「はあ? ええ、立会いの方がお一人。ええ、はい、いや保証人とは・・・ええ、そうします」                                                                                                                                                                   電話を切って細川と立会人だという澤田に言った。自然と口調が変わる                                                                                                                                     「オヤジさんが、もし立会人さんが債務について自分が処理すると仰ってるいのなら是非そうせえと言うてます。それから、今日新条件が出されて金貰えなかったら、先日の書類を大阪へ郵送せえとも言うてます。再度お聞きしますがどうされます。」                                                                                                          「いえ、そういうことでは・・・」                                                                                  細川は用意していた百万に、事務員に指示して用意させた二十万を加えて支払った。

領収書を渡し、丁寧に頭を下げ、引上げようとした時、細川が黒川に言った。                                                                                                               「黒川さん、こんな手使うんですか? もう、誰も取引しませんよ。我々の紳士的な業界の常識を踏み外しては、今後はお付き合い出来ませんよ」                                                                                                                  裕一郎は振り返って睨んでいた。                                                                                          「細川さん。こんな手って、一体どんな手です?」

 

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