Archive for 9月, 2010

歌「100語検索」 ⑨<風>

『誰が風を見たでしょう』 http://www.youtube.com/watch?v=mhSvrv0sSHs  訳詩:西条八十                                                                                                                      そうか・・・、誰も風を見てはいない。風によって事物に起きている現象を見ているのか・・・。                                                                      ぼくら、人を見るにも、人そのものではなく、所属・肩書・見聞きできる言動・財力・風貌・家族・交遊関係・etc を見ているもんな・・・。 『旅人よ』 http://www.youtube.com/watch?v=fgB5dwZmnj4 加山雄三                                                                                                             『旅人よ』 http://www.youtube.com/watch?v=2Cnox6lpmBs&feature=related 小椋佳                                                                                                     『風』 http://www.youtube.com/watch?v=buVGukob6bM はしだのりひこ&シューベルツ                                                                                   『あなたの心に』 http://www.youtube.com/watch?v=cdZO6F4GqO0&feature=related 中山千夏                                                                                二階堂CM 『風の海峡篇』 http://jp.youtube.com/watch?v=hD158XCnULw&mode=related&search                                                                                            『すきま風』 http://www.youtube.com/watch?v=tTe8xUzTqRo 杉良太郎                                                                                『寒い朝』 http://www.youtube.com/watch?v=boh54N67Cck 吉永小百合                                                                『風の谷のナウシカ』 http://www.youtube.com/watch?v=BHUAFb711zI 安田成美                                                                      『風が泣いている』 http://www.youtube.com/watch?v=k96wT0tNWL4 ザ・スパイダーズ                                                                                          『亜麻色の髪の乙女』 http://www.youtube.com/watch?v=QizQYuYxeCM&feature=related ヴィレッジ・シンガーズ                                                                                            『途上にて』 http://www.youtube.com/watch?v=QB9uDJCWJhE みなみらんぼう                                                                         『風雪流れ旅』 http://www.youtube.com/watch?v=Sw4URWJXjSw&feature=related 北島三郎                                                                                                                 『ふるさとの話をしよう』 http://www.youtube.com/watch?v=2fpPNjnv52k&feature=related 北原健二                                                                                            『ルビーの指輪』 http://www.youtube.com/watch?v=a8_PDA5LJkY 寺尾聡                                                                          『古城』 http://www.youtube.com/watch?v=-VGwLw4N1tQ 三橋美智也                                                                  『千の風になって』 http://www.youtube.com/watch?v=plkH6q-vsPg 秋川雅史                                                                                    『贈る言葉』 http://www.youtube.com/watch?v=MvY-RsU3Iv0&feature=related 武田鉄矢                                                                                                                                    『青い珊瑚礁』 http://www.youtube.com/watch?v=D_hm5QrFxt4 松田聖子                                                                                      『風立ちぬ』 http://www.youtube.com/watch?v=eNa2jyxx2Ho 松田聖子                                                                                    『愛と風のように』 http://www.youtube.com/watch?v=bObIXBo0p24 日産スカイラインCM                                                                                                                       『明日は明日の風が吹く』 http://www.youtube.com/watch?v=NyhPHPJYxgc&feature=more_related 石原裕次郎                                                                                『夜風の中から』 http://www.youtube.com/watch?v=hZXDHCVmc3Q 中島みゆき                                                                         『まつりばやし』 http://www.youtube.com/watch?v=nnSQKb9CppE 中島みゆき                                                                                     『彼女の人生』 http://www.youtube.com/watch?v=JMgUn6h9ads&feature=related 中島みゆき                                                                                    『地上の星』 http://www.youtube.com/watch?v=v2SlpjCz7uE 中島みゆき                                                                         『ヘッドライト・テールライト』 http://www.youtube.com/watch?v=mZCbegorwZs 中島みゆき                                                                                                                                                『二人の世界』 http://www.youtube.com/watch?v=vcb_y8vNoak&feature=related あおい輝彦                                                                                                『TSUNAMI』 http://www.youtube.com/watch?v=MR_jF2KFnsw&feature=related サザン桑田佳祐                                                                                                                『星空のディスタンス』 http://www.youtube.com/watch?v=1fgrfkd5bj8 THE ALFEE                                                                                         『島唄』 http://www.youtube.com/watch?v=oFSDyM8whtk 宮沢和史                                                                                                       『愛しき日々』 http://www.youtube.com/watch?v=JbJ-M7AGN-Y&feature=related 小椋佳                                                                                                           『青春の影』  http://www.youtube.com/watch?v=eHSMj2iow9k チューリップ財津和夫                                                                                                                              『リンゴ追分』 http://www.youtube.com/watch?v=xkEIgGotf7c 美空ひばり                                                                     『夏の想い出』 http://www.youtube.com/watch?v=QXWv5JOFHCo 倍賞千恵子                                                                                                      『TRUE LOVE』 http://www.youtube.com/watch?v=SWpkGKvhh2I 藤井フミヤ                                                                   『風になりたい』 http://www.youtube.com/watch?v=bCswh-TO6Us THE BOOM(宮沢和史)
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                   

交遊通信録: 母卆寿祝い会

Sさん、                                                                                                                                                                                   いつか貴方からお褒め頂いた歌 枯庭に 白き水仙匂い立ち 独りの冬を誇らしげなるの作者:我が母の「卆寿祝い会」で帰阪しました。                                                                                                        9月20日、一年遅れ(昨年、新型インフルエンザで延期)の会には、母、息子四人とその妻:計8名、孫と配偶者:計15名、曾孫:7名・・・                                                                                                                                    総計31名が集いました。                                                                                                                                                                        

母の人生は、軍国・封建・戦争の「昭和」の、もちろんどこにでも在った「女」の人生ですが、母の曾孫たる我が女児孫(三歳)を見ていると、母の乳幼児期との対比から、時代は戦争・敗戦という受難・画期・代償を経て、市井の人々の努力によって、緩やかに(近年は急激に)変化したのだと思い至るのです。我が女児孫(母の曾孫)の笑顔と活発な振舞は、21世紀両親から注がれる愛によって育まれたものであるのは当然でしょうが、母が乳幼児期に表すこと叶わなかった個性、そのDNAに因るものなのだろうと思わずにおれません。 民が、国や強権を押し返して代を越えて引き継いで行くものとは、たぶんこうしたことの中にあるのだろうと思えるのです。我が女児孫が、そのことを感じ・学び・考え、時代や歴史を識る女性に育ってくれと願うばかりです。                                                                                                                                                                                                        

【写真上 左:曾孫代表=長男の長男の長男から花束を受ける母。中:集合写真。右:幼児期の母。  下:人形を抱く女児曾孫=三男(私)の孫】

                                                                                              【注】                                                                                                                                                                                                                                             乳児期を乳母の許で育った母は、ゆえあって、三歳で実家に戻った。                                                                                                                                          生母になつかず、実家に馴染まず、いっしょにやって来て大切にしていた人形を抱いて、乳母恋しと毎日泣いたといふ。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                その人形が、ある日を境に突然姿を消す。その日の記憶は鮮明で、母の歌集に

 「みれん断ち実母に返すが此の稚児の 幸せならんと諦めし乳母」 
 「やすらかな寝息たしかめ帰りしとう 若かりし乳母とわれとの別れ」
 「乳母里より付き人のごと添いて来し 田舎人形夜ごと抱きしよ」
 「いつの間にか姿消したる縞木綿の 人形恋いて泣きし幼日」  とある。
 (私は、角田光代:著『八日目の蝉』を読んだ際、会ったことのないこの乳母とその母性を強く思い浮かべた。)
 
誰が何を想って棄てたのか?と問うている。                                                                         
三歳児の記憶としては、あまりにも重く酷な記憶だ。                                                                       
以来、互いにとって「不幸な母子関係」が永く続くこととなって行く。( http://www.yasumaroh.com/?p=3196 )
                                                                                                                                                                                                             06年、80代半ばの母は数年かけて書き綴った「自分史」を上梓。                                                                                                                                                個人史でありながら、贔屓目に見れば、期せずして背景に「昭和」という時代とその中を生きた「おんな」・戦争という民の受難など を浮かび上がらせてもいる。船場道修町商家の家父長制・空襲・焼跡・闇市・雑炊食堂・etc ・・・・。                                                                                                                                                                                       が、乳母への思慕と切情・幼い胸にわだかまる孤絶感は充分に語り切れなかったようだ。現在、私の弟が聞取り・録音作業をしてくれている。

歌「100語検索」 ⑧<雨>

雨が事態を和らげるのか強調するのか…、よき未来を招くのかさらなる不運を呼ぶのか…。                                                                                   雨は主人公の心の鏡でありながら、何も映してはくれない。雨はただ降る、何かを流しもするし溜めもする。けれど、雨に乗せて唄うことで、                                                                                                                                    人は自分以外のものを取り去った(つまりは己の)心の「再生」への入り口には立てる。だから、口に、心に、胸に、雨を唄うのだ。                                                                       最後に決めるのは自分自身なのだ、と知っているから…。 それが「自立」なのか・・・

『アカシアの雨がやむとき』 http://www.youtube.com/watch?v=ARZJWtLxBdU&feature=related 西田佐知子                                                                   『雨の慕情』 http://www.youtube.com/watch?v=P0I3moSIU4M 八代亜紀                                                                                   『雨の御堂筋』 http://www.youtube.com/watch?v=BJtB1PDECYc 欧陽菲菲                                                                                              『雨がやんだら』 http://www.youtube.com/watch?v=oFJc3MmP3to&feature=related 朝丘雪路                                                                                       二階堂CM 『雨宿り篇』 http://www.youtube.com/watch?gl=JP&feature=related&hl=ja&v=W_DSzGD3210                                                                                                                                           『恋人も濡れる街角』 http://www.youtube.com/watch?v=JgCW3YTwlwc 中村雅俊                                                                                 『長崎は今日も雨だった』 http://www.youtube.com/watch?v=3x2NGqGkQnQ 前川清                                                                 『東京の灯よいつまでも』 http://www.youtube.com/watch?v=UlWamPQF_lo 新川次郎                                                                                              『傘がない』 http://www.youtube.com/watch?v=LoO5HXMK9V0 井上陽水                                                                                                                 『城ヶ島の雨』 http://www.youtube.com/watch?v=BV0uzKq65NU 倍賞千恵子                                                                                      『みずいろの雨』 http://www.youtube.com/watch?v=8ogEeVGizVM 八神純子                                                                                                                                                                      『雨の物語』 http://www.youtube.com/watch?v=lbd-5yNIEnA&feature=related イルカ                                                                        『たしかなこと』 http://www.youtube.com/watch?v=I-yHDph56Rk 小田和正                                          『愛はかげろう』 http://www.youtube.com/watch?v=9FTLqtFpzxQ 雅夢                                                                         『雨に濡れた慕情』 http://www.youtube.com/watch?v=Z260Zhrr1_M ちあきなおみ                                                                                       『黄昏のビギン』 http://www.youtube.com/watch?v=SqJJPxwSYho 水原弘                                                                                        『狂った果実』 http://www.youtube.com/watch?v=CMclSzZQnXM アリス                                                                                     『雨・・・』 http://www.youtube.com/watch?v=6ty7qImvMhU&feature=related 小柳ルミ子(中島みゆき)                                                                                                                                 『雨が空を捨てる日は』 http://www.youtube.com/watch?v=5YwbH38eh8g 中島みゆき                                                                                                                                                                                                    『カスバの女』 http://www.youtube.com/watch?v=IjaRFMt5xZY 緑川アコ                                                                                        『京都から博多まで』 http://www.youtube.com/watch?v=j7mUSqsL0as 藤圭子                                                                                           『先生』 http://www.youtube.com/watch?v=MW0mffJDCPE 森昌子                                                                        『冬が来る前に』 http://www.youtube.com/watch?v=MOzjNObizXY 紙ふうせん                                                                                                         『はじまりはいつも雨』 http://www.youtube.com/watch?v=oMGbz6BtHqE&feature=related Aska                                                                                                                                                         『ヨコハマ』 http://www.youtube.com/watch?v=9fAttmTjKUo 山崎ハコ                                                                                                                                                                                『愛燦燦』 http://www.youtube.com/watch?v=20IutvIryNo&feature=related 小椋佳 

雨に濡れし夜汽車の窓に                                                                                                映りたる                                                                                                                       山間(やまあひ)の町のともしびの色      (石川啄木『一握の砂』所収)

交遊通信録: ぼくにとっての金時鐘ー2

【長くなるが、別の処に書いた、金時鐘に関する拙文から抜粋転載】                                                                                                 (03年4月、清真人主宰:『共同探求通信21号』より)
-(中略)-
『街に万歳(マンセー)!の歓喜の声渦巻く、1945年8月15日・十六才の夏、日本の敗戦と故国の解放を、虚脱の中「皇国少年」の自己解体として迎え、突然「与えられた」祖国にとまどいながらもやがて学生として光州で南労党と出会い、十九才の時殺戮の済州島を脱出、49年6月兵庫県須磨に密航した元・南労党予備党員のあの詩人。「日帝統治」「分断」「在日」の、その幾重もの痛切を一身に刻み込んで「在日」を生きる詩人、金時鐘(キム・シジョン)その人だ。                                                                             「クレメンタインの歌」こそは、母国語を棄てた少年期の彼と朝鮮語とを繋ぐ歌であった。日本敗戦のあと「海行かば」や「児島高徳の歌」を歌っては何日も涙を流したという彼…。やがて、ひとりでに口を衝いて出た歌、かつて父が口ずさんでいた歌によって「かようにも完成をみていた皇国臣民の私が、朝鮮人に立ち返るきっかけを持ったのはたったひと筋の歌からであった」という。
それがこの「クレメンタインの歌」なのだった。                                                                           『ネサランア ネサランア(おお愛よ、愛よ)
ナエサラン クレメンタイン(わがいとしのクレメンタインよ)
ヌルグンエビ ホンジャトゴ(老いた父ひとりにして)
ヨンヨン アジョ カッヌニャ(おまえは本当に去ったのか)』                                                                     『釣り糸を垂れる父の膝で、小さいときから父とともに唄って覚えた朝鮮の歌だった。父も母も、つかえた言葉で、振る舞いで、歌に託した心の声で、私に残す生理の言葉を与えてくれていたのだ。ようやく分かりだした父の悲しみが、溢れるように私を洗って行った。言葉には、抱えたままの伝達があることも、このときようやく知ったのだ。乾上がった土に沁む慈雨のように、言葉は私に朝鮮を蘇らせた。
・・・中略・・・ひとりっ子の安全を、恨み多い日本に託さねばならなかった父の思いこそ、在日する私の祈りの核だ。』                                                                                           『後ほどアメリカの民謡だということを知って、少々がっかりしました』『誰が唄いだして、誰がこの歌詞を書いて私にまで伝わって来た歌なのかはしりませんが・・・』                                                                                                                                       『どうであろうとこれは私の“朝鮮”の歌だ。父が私にくれた歌であり、私が父に返す祈りの歌なのだ。私の歌。私の言葉。この抱えきれない愛憎のリフレイン―――――』(金時鐘「クレメンタインの歌」1979)                                          
                                                                                                             ☆ 日帝支配末期、使ってはならない「朝鮮語」だけの生活を貫き通し、民族服禁止に従わず悠然と町を出歩き、そのくせ「朝日」「毎日」を黙って読み、ぎっしり日本の本のつまっている部屋を持ち、無職の釣り人を通した父。解放されるまでついぞ日本語を使わなかった父。その父が「四・三事件」で彼が追われるようになると、あるだけのコネと、なけなしの財をはたいて日本へ密航させる。「ひとりっ子の安全を、恨み多い日本に託さねばならなかった」父に、金時鐘は当然その後会っていない。永く反共軍事独裁国家であった父の住む地に戻ることは死を意味した。「金大中が大統領になったおかげで数年前、韓国を訪れることができ、親の墓を死後四十年数年ぶりで探すことができた。全くの特別配慮であり、朝鮮籍のままでは来年からは難しいかもしれない。せめて年一回ぐらいの草刈と墓参りは続けたいが・・・」(02対談)                                                                                                                                                 -(中略)-
『在日を射抜く覚悟のないどのような言説も、日本人に届くことはないのだと彼は語る。「正義の渦中に在って、抑圧される者の安逸さをむさぼって来た者の、わたしはひとりなのです」「日本人の非をさらし、日本人の原罪をうちつける側にだけ在日朝鮮人をすえようという思いにかられての認知は、糾されねばならない」』
「『在日』のはざまで」収録の各小論より)                                                                            -(中略)-                                                                                                                             

朝鮮人と日本人の誰もが込み上げるものを押し殺していて、満席の会場は静まり返っていた。後ろの席で年長者がすすりあげている。
金時鐘のひと言ひと言は、人々の、ぼくの、一体何を揺さぶっているのだろう? 何に届いていたのだろう。
ぼくの浅はかな年月が、「闘い」の自称「蹉跌」が、僅かばかりの自負のこころが彼の日本語の、誠実な・か細い・老いた・ハガネのような精神の腕に、わしづかみにされていた。その日本語は、植民地朝鮮で無垢な少年期に彼が無防備に受け入れ進んでそれを用い、原初の思考・心底の自我形成に動員した言葉であり、それはまた、幼い日に奪われ棄てた朝鮮語への、彼の愛と負い目と渇望を逆説的に白状する言葉であり、彼の全身に宿り人生にへばりつきぶらさがる「恨(ハン)」である。
 金時鐘はこう言っている、「わたしの日本語は、私を培ってきた私の日本語への報復でもある」と。

-中略ー                                                                                                 吹田事件の精神を語り、彼の記念講演は後半にさしかかった。粗末なバラック建ての民族学校建設の労苦など、自身の当時の取り組みを語り、話は「吹田・枚方事件」直前の時期に及んでいた。
金時鐘は嗚咽していた。73年の間、この詩人とともに世を生きた肩と背が、小刻みに震えている。ときに言葉を途切らせながら、それでも聴衆に正対して威をただし、語られた中身は「吹田事件」に関わった人々を讃える言葉でも、その闘いの理念を歌い上げる類の言葉でもなかった。語られたのは、生野の在日の街工場の「忘れられない」叫びと視線のことだった。
軍需列車を一時間遅らせば、同胞千人の命が助かる・・・そう言って朝鮮戦争二周年の「吹田闘争」は闘われた訳だが、生野の鉱工業在日街工場はその末端まで「軍需」にさらされていた。泥と悪臭の、汚染された河をさらって得た銅は、街工場に持ち込まれ「銅ざらい」の人々の今日明日の糧となる。銅は加工され[何かの部品]になって行く。加工工場のそうしたささやかな工賃収入は、工場主一家と従業員の生活を支えることになる。工場は小松製作所の孫請けなのだ。日本陸軍の砲弾70%を製造していた枚方工廠あとを払い下げ受けた民間、あの小松製作所だ。小松製作所は朝鮮戦争に使用される爆弾の国内生産の過半を製造していた。街工場で作る[何かの部品]とはネジピンなのだ。後年ヴェトナム戦争でナパーム弾として名を馳せるものの原型たる親子爆弾の、その信管のささえのネジピンであった。
嗚咽を押し殺し、絞り出して語られる、金時鐘の講演は「街工場の忘れられない叫びと視線」について語り始めていた。
街工場へは、まず説得活動を何度か試みる。当然の説得不調のあとに待っているのは、祖国防衛隊による生産手段の破壊だ。破壊されてしまった粗末な機器を背に、彼を見据えていた工場主の視線が「いまも私を見据えている」のだ。
「息もたえだえなモーターにのたうつベルトにさいなまれる真鍮棒の金切り声を押し殺すように、私は最後の説得に牙をむいていた。・・・中略・・・『金がなんだ! 同胞殺戮に手を貸して何のお前が朝鮮人だ!』・・・中略・・・単なる一個の、変哲もないネジであって、それが親子爆弾の、信管のささえとは信じようがなくて、追われるように数をこなして、見つめる者のかすんだ視力に、それは一個のパンである。・・・中略・・・朝鮮戦争は今を盛りの、二周年記念が明日だった。私は首を横に振り、レポは走り去った。間もなく血祭りが始まる。青年行動隊の荒々しい怒りが爆発する。・・・中略・・・老母は『殺せえ!殺せえ!』と叫んだ。放心した彼は、割られたメガネを拾いもせず、『俺はヤメヤ、ヤメヤ、おっかあー! チョウセンやめやああー・・・・・』よたよたと母のへたっている地面にくずおれた。」(「欠落の埴輪」1971
 朝鮮の為の正しかるべき行動が「殺せえ!殺せえ!」にたじろいでいる。朝鮮人の確立への半歩が「チョウセンやめやあー」に足止めを食らっている。だが、目の前では、同胞殺戮を阻止する「正義」が行われているのだ。工場主と母の、その叫び、その視線、その光景がいまも「私をさいなむ」のだ。
 金日成神格化への疑問、政治や組織運営にとどまらず全領域に亘って食い違う「流儀と作法」、日本語詩作をめぐる応酬(金時鐘も梁石日も「母国語を使うべし」とした組織と対立した)等々があり、70年に総連を離れる。
「私をさいなむ」のは、「一時期、北共和国に民族の正義をみた時期があった。その不明」と、しでかした行動の本来の決済元を脱藩したこととが重なって迫って来るからだ。繰返し襲って来る、かの行動を「さいなむ」精神は、云わば宙ぶらりんのまま、自身に戻ってくる。金時鐘はしかし、講演のメインに「吹田・枚方」の決意や熱情ではなくこの話を据え、寒風吹きすさぶ「崖」の途中におのれをさらして立ちつくす。そこが「在日を生きる」孤高の詩人のハガネの精神の「在処」ゆえに。

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『・・・詩は好もうと好むまいと現実認識における革命なのです。・・・見過ごされ、打ち過ごされてることに目がいき、馴れ合っていることが気になってならない人。私にはそのような人が詩人なのですが、その詩人が満遍なく点在している国、路地の長屋や、村里や、学校や職場に、それとなく点在している国こそ、私には一番美しい国です。』
(06年12月、朝日新聞。安倍の「美しい国」発言に抗して)                       

                                                                                                            

                                              

                                                                     

                                                 

                                                        左: 9月4日、懇親会で中年婦人(オッと、これはわが女房では?)から著書にサインをねだられ、丁寧にも言葉を添える金時鐘氏。                                                                                       中: 同日、三次会で・・・。ユーモアを交え若い人を励ます金時鐘氏。                                                                         右: 07年2月、拙作『祭りの海峡』出版時の集いで・・・。 因縁浅からぬ大阪城(梁石日著『夜を賭けて』参照)を背にし、つい感極まる金時鐘氏。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                       

                              

交遊通信録:  ぼくにとっての金時鐘-1 (KKさんへ)

KKさん。金時鐘『失くした季節』出版記念シンポジウムへのお招き、ありがとうございました。(貴女の「書」、いつ見てもええねぇ!)

9月4日、金時鐘さんの近著、詩集『失くした季節』の出版記念会への出席の為、帰阪した。                                                                                                  大学の後輩、詩人:KKさんからのお誘いだ。後輩と言っても、ぼくは二年しか在籍しておらず、その後知り合った詩や表現の世界の「道案内」人だ。彼女は、ぼくにとっては年齢や入学年次では後輩ではあるものの、そちら方面の先輩であり、ぼくを金時鐘に引き会わせてくれた恩人でもある。                                                                                                                                                                  02年。                                                                                                                    労働争議・職場バリケード占拠の果てに77年から20年続けた労組自主経営の会社を、98年に破産させてしまい、あれこれの失敗・自業自得の不遇などが重なり行き詰ったまま21世紀を迎え、ぼくは、何を何処からどうやって解きほぐせばいいのか進退窮まっていた。                                                                                                                                                                                                                          金時鐘に興味と共感を抱いていたぼくは、「吹田事件50周年記念シンポジウム」で氏の講演を眼前で聴き、いよいよハマってしまい、ここに己の再建の鍵ありと思え、やがて書き始めた駄小説『祭りの海峡』(http://www.atworx.co.jp/works/pub/19.html)に、金時鐘氏を「ある詩人」として間接登場させてしまう。古い映画 けんかえれじい』 (66年日活、監督:鈴木清順、出演:高橋英樹・川津祐介)のラストに緑川宏扮する北一輝が、主人公の気分を象徴して、黙して(しかし圧倒的に)登場するが、その手法を使ったつもりだった。振り返れば身勝手で安易な手法だった。                                                                                                                                              67年19歳のぼくは、札幌のパチンコ屋に住込みで働いていたのだが、そこで出会う釘師兼マネージャー新山という男の、言葉にまとめられない「在日する生」「精神世界」「民族」「組織の流儀への違和」などを、この釘師の「ある詩人」(これを金時鐘だと匂わせた)への心酔として表したのだった。作中、釘師:新山に「ある詩人」のことを「ワシの、詩の師匠や」と語らせる。                                                                                                                               政治も思想もそして世の現実も知らない若造が、それでも直感的に掴んだこの釘師:新山像とその背後に巨大なものとなって永く居座るもの、釘師がそれと格闘し「密かに」続けている詩作、その根拠…に出会って行く。                                                                                                                                                                                                               60年代後半の時代精神や気分と、そこで生き・生きようとした原初の精神を、21世紀の己の混迷を解く鍵になるかも…と書いたのだった。                                                                                                                                                                                 拙作の紹介ではないので、『祭りの海峡』の主人公・釘師・ある詩人の話は止めておくが、ぼくが「札幌パチンコ屋物語」を書くと決めたのは、間違いなく「吹田事件50周年記念シンポジウム」での金時鐘講演であった。自分のささやかで風化しそうな体験を基に書き、己の復権の手立てを考えていたのだと思う。                                                                                                                                                                                                 経過は省略するが、07年2月、拙作『祭りの海峡』の出版時の集いには、KKさんの骨折りで、金時鐘氏が一時間弱の講演に来て下さった。その日の 『負け続けることを止めた時、それが本当の敗北だ』 という言葉は、参加してくれた人々全員の心に刻まれている。(写真右)

話を、今回9月4日の出版記念会のシンポジウムに戻す。                                                                                                                                                            細見和之氏が会場からの発言を受けて(すみません、会場発言の詳細は失念)いいことを言った。                                                                                                                                      「ロシアと言えずついソ連と口走ったり、ベイスターズと言えず大洋ホエールズと言っても通じないように、反スターリニズムなどという言葉も、今の若い人にはそもそも社会主義国やスターリニズムへの同時代性や体感が無い中で歴史としてしか伝わらないのか? 反スターリニズムとは何なのかを伝えるのは大変だと思うけれど、スターリニズムという言葉を使わずに、その意味を伝える言葉をぼくらが掴まないと、と思う」(要旨)

 

思うに、そのことを生涯かけて実践して来たのが、金時鐘であり、金時鐘の詩だと思う。 

スターリニズム。その根源は何なのか? 民の抗いの組織的表現体とは、在るべき社会への、本来無垢で勤勉な人々の熱い希いや要請であり、その現実的運動の推進に是非とも必要ゆえ在るものだが、それゆえにこそ、その内部に抱える避け難い業があった。
もともと、社会の事態を変えるには、その為の組織が、正しかるべき中枢指令塔が、必要なのだ。だが、正しい理論・それに基づく唯一の党・ゆえの一党独裁・・・から指導部の絶対性(その果ての一個人の絶対性)へ至る回路、 そして自由選挙の否定・複数政党の否定・自立した労働運動や市民運動の否定…から異論の物理的排除・強制収容・粛清に至る回路、それらが待っていた。                                                               
ぼくらの時代で言えば、抗いの現実渦中に在る者は、外に居て思索する者の言をいかがわしいとして耳を貸さず、外からことの核心を突いていると自称する思索者は、渦中の者の共犯性をあげつらった。現場性と思索性の往還の隘路に在る者は、スターリニズムを打倒するに、違うスターリニズムで対峙する以外有効ではないのだ と言わんばかりの倒錯絵が永く(今も)繰り返される事実に、疲れ果て語ることを断念した。そのいずれもの位置を一通り潜って来た人々(諸先輩・諸同輩)が、時に当事者としての「共犯性」に苛まれ、時に思索者としての「安全地帯性」を恥じ、時に往還者としての「両義性」を呪い、他者に伝わる言葉を紡げなかった。それらのぬかるんだ泥土から、それでも歩を進めようとする人々を幾人も知っている。                                                                                                    だから、『簡単に「反スターリニズム」などと言うな!』とは思う。思うが、

それではスターリニズム(左翼用語を超えたスターリニズムを含め)は拡大・再生産されるばかりだ。細見氏が言う通り「伝わる言葉」を求めたい。それは、一義的には、あれこれの思想書でも歴史書でもなく、おそらく臓腑に届く「詩」に在るだろうと直感している。当事者・思索者・往還者の体験・構想・諦念を射抜いて届く言葉のことだ。そこで、届いて来る人間の声を聴き、ぼくらや若者が次に思想書や歴史書に向かうかも知れない。
金時鐘の行いと詩作こそは、その生きた実践という一面を持っていると思う。

                                                                                                                           

 

交遊通信録: ぼくらの社会は同様の事態にどう対処できるだろう

フランス ロマ追放で大規模デモ 移民排斥政策に批判

若いU君へ。                                                                                                                                                                                               君が言っていた事態です。『だから「閉じた」思考に留まれ』と言う君の言い分には同意できません。                                                                                        確かに、ヨーロッパとぼくらの社会とは、歴史・植民地・20世紀以降の移民状況・宗教問題etc 大いに違う。同じだとは言わない。けれど、カタチと位相の違いを越えて、ぼくらの社会にこの「排斥運動」と同根の病理は深くあるのだと思う。このデモを行なうパリ市民にある「パリ五月」の精神は、ぼくとぼくらの社会に生きているだろうか?  自身を顧みて甚だ危ういと思う。けれど・・・                                                                                     ぼくらの社会は組織的排斥を平然と行なっているではないか! 無権利状態かつ孤立、外に声を上げられない「弱者」「少数者」への夥しい数と量の「いじめ」「暴力」「排斥」の風土(それは、もはや制度でさえある)は、ロマ排斥に通じる病理であり、先進国日本の勤労者内部・生活者内部を覆う事態の日常化・生活圏化ではないのか? あるいは、沖縄に在日米軍基地を押しつけ意に介さず、列島全体の「抑止力」だと強弁し続けて居られるのは、その地が準「植民地」だからではないのか?                                                                                                                                                                                       熊沢誠HP『語る』の最新頁( http://www.kumazawamakoto.com/essay/2010_sept.html )が言う事態に対処できない社会、減少させる手を打てない(打たない)社会(大多数の労働組合を含む)の一員であるぼくらが、この外信ニュースを他国のことだと言えようか?                                                                                                                                                                                                                               また語り合おう。

毎日新聞 9月5日(日)20時42分配信 を転送します。                                                                                                      

 フランス ロマ追放で大規模デモ 移民排斥政策に批判
サルコジ政権のロマ追放に抗議し、デモを行うロマの人々や支援団体=パリで2010年9月4日、福原直樹撮影

 【パリ福原直樹】フランス全土で4日、国内を放浪するロマ族の国外追放や、移民出身の犯罪者の「国籍はく奪」などを打ち出したサルコジ政権に対する大規模な抗議デモが行われた。欧州各地の仏大使館前でも同日、同様の抗議行動があり、「移民・外国人排斥」施策への国内外の批判の高まりを改めて示した形となった。                                                                                                                                                                抗議デモはロマを支援する人権団体や労組が組織し、フランスでは、内務省によると7万7300人(主催者発表10万人)が参加した。うち5万人に上ったパリでは、サルコジ政権による不法キャンプ撤去で行き場を失ったロマも参加。「ロマ追放反対」「フランスは非人道的な政策を続けている」などの横断幕を掲げた。                                                                               また、ロンドン、マドリード、ブリュッセル、ベオグラード、ローマなどの仏大使館前でも仏政府に「人権擁護」を訴えた。                                                                                                                                    パリのデモに参加したロマの男性(21)=ルーマニア出身=は「サルコジ政権の政策は人種差別であり、このままだと暴動が起きる」と発言。支援団体「市民権と援助・団結」の幹部、シャバン氏(55)は「政府はロマを拒絶するだけで、受け入れ策を見いだそうとしない。(異民族排斥を訴え)ナチスが台頭した時代と似ているのでは」と話していた。                                                                                                                                 

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