たそがれ映画談議: チャン・イーモウの日本未公開作品、2011年『金陵十三釵』(1937年日本軍占領下南京)

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【3月18日(土)14:00~『金陵十三釵』(きんりょうじゅうさんさ)上映会 】

張芸謀(チャン・イーモウ)監督の、日本未公開作品『金陵十三釵』(きんりょうじゅうさんさ)の上映会が、同作品上映北摂実行委員会の主催で茨木市福祉文化会館で行われた。

2011年の、中国の年間興行成績第1位の大ヒットということはともかく、1937年日本軍占領下南京が舞台と聞き、チャン・イーモウがこのヘビイな課題をどう描くのかに興味があり参加した。

先月、上映会に先立ってチャン・イーモウ監督のことを少し書いた。

ワシが知っているのは『紅いコーリャン(紅高梁)』(1987)『菊豆(チュイトウ)』(1990)『活きる』(1994)『あの子を探して』(1999)『初恋のきた道』(1999)『至福のとき』(2000)『単騎、千里を走る』(2005)『妻への家路』(2014)だが、日本でヒットした『初恋のきた道』や、高倉健さんが主演した『単騎、千里を走る』は多くの人が観たと思う。

『活きる』『初恋のきた道』『妻への家路』などの社会背景には大躍進時代の、やはり受難だったと言える「民」の在り様や、文化大革命期の下放青年や夫婦のその光と影が見え隠れ(いや、それが主題だ)して心に響いた。

『初恋のきた道』の恋物語から、右派というレッテル貼りに翻弄される青年(主人公の夫)という骨を除いては、観客泣かせのストーリーはストーカー少女の物語となってしまう。そうなら、抜群の映像美も主人公の心理を切り取る工夫されたカメラ・アイも、ちょっと嫌味な乙女心が際立つあざとい手口だとも言えそうだ。物語の社会的背景は重要で肝だが、イーモウが撮りたいのは、激動し移りゆく政治や社会の皮相の下に在って、弱く・強く・したたかに・哀しく・歓びにも活きる「民」の底力と悲哀の歴史性と基層性だ。

今回の上映会には、南京というヘビイな課題にも基本は揺るがないだろチャン・イーモウの作家魂に期待している。

 

 

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【あらすじ】

『舞台は日中戦争下、1937年12月日本軍占領下、南京事件の一部を構成する廃墟と化した市街地の出来事。。南京へ侵攻中の日本軍の暴力を避け教会の建物の中へ逃げ込んだ中国人女子学生ならびに娼婦らを米国人納棺師ジョン(クリスチャン・ベール)が聖職者になり切って匿い救う。日本軍士官は女学生たちを保護する約束をするが、同時に彼女等がパーティーで賛美歌を合唱するよう要求する。それだけで済むはずはないと思われる女子学生たちを助けるために、一緒に避難していた12人の娼婦と1人の少年侍者が女子学生に扮装し身代わりとして日本軍の南京陥落祝賀パーティーに赴く。その隙にジョンは修理された教会のトラックと密かに入手した通行証で女子学生たちを共に南京から救出する。』

作品は期待に違わぬチャン・イーモウの複眼性や俯瞰性に溢れ、「南京」を扱いながら、凡百の「お説教映画」「反日プロカパガンダ」「自国の愛国主義鼓舞」を超える普遍を求めていた。いろいろ書きたいが長くなるので、機会を得てどこかに書きましょう。

ここでは、上映後に解説者の大阪府立大教授:永田善嗣さんから聞いた原作と映画シナリオの違いが、なるほどそここそがチャン・イーモウだ!と思えたので、少し述べる。

①主人公は行き掛り上神父を引受けることになるアメリカ人葬儀屋だが、原作は本物の神父。

②娼婦たちが身代わりとなり、女子学生はニセ神父運転で南京脱出行へ・・・そのトラックの後ろ姿で映画は終わるが、原作では本物神父は娼婦たちを送る場面で日本軍に撃たれ命を落とすらしい(殉教?)。

ワシは、ここに他も含めた作品群に通底する、チャン・イーモウらしさを感じた。

聖と俗=神父とニセ神父、女子学生と娼婦。 暴力受難や悲嘆と「民」の底力=ニセ神父の決断、娼婦たちの「人の為に」という気概。

他にも、戦争に疲れ果て南京の惨状に心を痛めてたところで、何が出来るわけでもない無力感に在るインテリ将校(渡部篤郎)や、日本軍に協力する生業を確保して生きながら危ない橋を渡ってトラック修理の工具部品を調達する女子学生の一父親、などが戦争の重層性を伝える。

けれども、チャン・イーモウのそうした複眼や希いの可能性さえ、圧倒的な暴力でもって踏み潰し殺し尽くした事態こそが南京大虐殺だという事実が、政治的に作られた映画より重く響くから映画はスゴイ。

「アジール空堀」 童謡・唱歌に見る児童生徒に刷り込んだ国家意思

【蛍の光】(スコットランド民謡。1881年・明治14年、尋常小学校唱歌)

1.

蛍の光、窓の雪、

書読む月日、重ねつゝ、

何時しか年も、すぎの戸を、

開けてぞ今朝は、別れ行く。

2.

止まるも行くも、限りとて、

互に思ふ、千万の、

心の端を、一言に、

幸くと許り、歌ふなり。

3.

筑紫の極み、陸の奥、

海山遠く、隔つとも、

その真心は、隔て無く、

一つに尽くせ、国の為。

4.

千島の奥も、沖繩も、

八洲の内の、護りなり、

至らん国に、勲しく、

努めよ我が兄、恙無く。

童謡・唱歌

【われは海の子】(1910年・明治43年尋常小学校唱歌」)

一、

我は海の子白浪の

さわぐいそべの松原に

煙たなびくとまやこそ

我がなつかしき住家なれ。

二.

生まれてしほに浴して

浪を子守の歌と聞き

千里寄せくる海の氣を

吸ひてわらべとなりにけり。

三、

高く鼻つくいその香に

不斷の花のかをりあり。

なぎさの松に吹く風を

いみじき樂と我は聞く。

四、

丈餘のろかい操りて

行手定めぬ浪まくら

百尋千尋海の底

遊びなれたる庭廣し。

五、

幾年こゝにきたへたる

鐵より堅きかひなあり。

吹く鹽風に黑みたる

はだは赤銅さながらに。

六、

浪にたゞよう氷山も

来らば来れ恐れんや。

海まき上ぐるたつまきも

起らば起れ驚かじ。

七、

いで大船を乘出して

我は拾はん海の富。

いで軍艦に乘組みて

我は護らん海の國。

【冬の夜】(1912年・明治45年、尋常小学校唱歌)

一、

燈火(ともしび)近く衣(きぬ)縫(ぬ)う母は

春の遊びの、楽しさ語る。

居並(いなら)ぶ子どもは指を折りつつ

日数(ひかず)かぞえて喜び勇む。

囲炉裏火(いろりび)はとろとろ

外は吹雪(ふぶき)。

二、

囲炉裏のはたで縄(なわ)なう父は

過ぎしいくさの手柄(てがら)を語る。

居並ぶ子どもはねむさ忘れて

耳を傾(かたむ)けこぶしを握(にぎ)る。

囲炉裏火はとろとろ

外は吹雪

 

【里の秋】(1941年・昭和16年12月 童謡雑誌掲。戦後1945年川田正子歌唱ラジオ放送で全国放送))

一、

静かな静かな 里の秋

お背戸に木の実の 落ちる夜は

ああ 母さんとただ二人

栗の実 煮てます いろりばた

二、

明るい明るい 星の空

鳴き鳴き夜鴨(よがも)の 渡る夜は

ああ 父さんのあの笑顔

栗の実 食べては 思い出す

三、

きれいな きれいな 椰子の島

しっかり 護って くださいと

ああ 父さんの ご武運を

今夜も ひとりで 祈ります

四、

大きく大きく なったなら

兵隊さんだよ うれしいな

ねえ 母さんよ 僕だって

必ず お国を 譲ります

 

*川田正子が唄った時点では、三番は下記に変更され、四番は削除された。

さよなら さよなら 椰子の島

お船に ゆられて 帰られる

ああ とうさんよ ご無事でと

今夜も かあさんと 祈ります

たしがれ映画談義: マーチン・スコセッシ二作 イエスに関して

K・Tさん帰米されましたか? 過日はマーチン・スコセッシが『沈黙』を映画化したを機に原作:遠藤周作『沈黙』のブックレビューをおおきにでした。 吉本隆明『マチウ書試論』を半端に持ち出したりして、残識の徒が遠藤の真意は「正邪二元論・一神教・原理主義・各相の決定論という西欧思想に対する東洋的異論(アンチ決定論=相対論)だと思う」という主旨を述べました。それこそが「救い」だとも言いました。 キリスト者でないばかりか、キリスト教をよく知りもせず失礼しました。

ところで、マーチン・スコセッシと言えば、全世界で上映阻止運動が巻き起こった『最後の誘惑』(日本公開1989年)をご存知か?  ウイリアム・デフォーが見事なイエス役だった。136236_01[1] ここで、スコセッシは、 今は娼婦に身をやつすマグダラのマリアは、若き日のイエスの恋人だった。かつてイエスは、彼女を振り切って求道の道へ進んだのだ。又、イエスの生業は、同胞ユダヤ人の棺桶・十字架作りであった。この2つがイエスの臓腑の底に棲み付いているとした。

イエスは、弟子たちを従えいよいよエルサレムに入城して、今まさに人々に蜂起を呼びかけるべきその場面で、ヘナヘナと腰くだける。 イエスは既成大教団とローマに、殺されることによって「生き続ける」道を選び、全てを理解するユダがその道への補助をしたのだ。やがて、教祖イエスとユダヤ教団内弱小分派:ナザレ派は永遠の存在となって行く。 という解釈の映画だ。すこぶるスリリングで深い。 今回の『沈黙』に通底しているものがあるなら、それを掴みたいと思っています。マーチンスコセッシ 「棄教しなければ信者たちを処刑する」という権力の方法論の現実性と、己の信仰を捨てまいという個人の固い思想性との格闘で、思い出したのが吉本隆明『マチウ書試論』(1954年)だ。 荒野でのイエスの40日間の断食に登場する悪魔は「お前が神の子なら、この荒野の石ころをパンに変えてみよ」との問いを発するが、これへのイエスの「人間はパンだけで生きるのではなく、神の口から出るすべての言葉によって生きるだろう」との詭弁のような答えなっていない答えに関して、吉本隆明は以下のように述べている。 『人間はパンだけで生きるものではなく、と言ったとき、原始キリスト教は、人間が生きてゆくために欠くことのできない現実的な条件のほかに、より高次な生の意味が存在していることをほのめかしたのではない。実は、逆に人間が生きるためにぜひとも必要な現実的な条件が、奪うことのできないものであることを認めたのである。つまり、悪魔の問いがよって立っている根拠をくつがえしたのではなく、かえって、それがくつがえし得ない強固な条理であることを認めたのである。』 『だが、原始キリスト教の立っている条理は全く別だと、マチウの作者は言っているのだ。』 悪魔の第二問:「神の子であるのなら、この神殿から飛び降りてみよ」VS「汝の神を試みてはならない」も同様の展開だね。飛び降りて、神の力によって助かるとは一言も言ってはいない。 「神の力で奇跡が起きる」と断言返答したところで、石はパンに化けないし、飛び降りればけ助からないので、どう言うかに拘わらず「救い」は無い。 昔「沈黙」を読んだ時、「マチウ書試論」を借用して、遠藤が現実的な条件とは全く別の条理があってそれは譲れないとする信仰の不滅を説いたのであって、それは、正邪二元論・一神教・原理主義・各相の決定論という西欧思想に対する異論の東洋的体系(アンチ決定論=相対論)だと思うことにした。それこそが「救い」だとも思った。極論すれば「拡大する良民の犠牲を止めさせるために{転ぶ}こと」を「神」への背信とは位置づけない「思想」のことだ。 その時代の制約・人心の地平を考慮した厳しい物語ですが、遠藤が今日的に提示したのは、信仰の根本は「現世利益に非ず」といふ厳しい思想であったと、当時思った者の一人です。ひねくれていますか? あの物語は、極論すればあの状況下では「{転び}もアリ」とする、キリスト教倫理への異論だと理解した。そして、それが「救い」だと・・・。こうした状況下と動機での{転び}なら「神」は「赦す」という理解とでもいいましょうか・・・。 正邪二元論・一神教・原理主義・各相の決定論という西欧思想に対する異論だと思っとります。蛇足⇒この想いは西欧マルクス・レーニン主義教条へのワシのスタンスでもあります。ふと、ある少数派団体のその又弱小分派に関与した友の、思い込みと錯誤に塗れた日々を思い起こしました。

駄エッセイ: 『母と娘-高橋真梨子さんの壮絶母子』

【母と娘】
同居人が、金曜日夜、しばしば中居正弘がMCをするTBS「金スマ」を観ている。出演しているコメンテーター:大竹しのぶ・室井佑月の濃いファンだからだ。

6日、激痩せの高橋真梨子さんが出ていた。再現ドラマで、ワシが知らなかった彼女と母の壮絶な人生が映し出された。
ヒロシマ・18歳と16歳で結婚した両親・大好きだったジャズマンの父・原爆が原因かもしれない父の足傷から壊死~両脚切断・両親の別居・母の水商売~男性関係~離れはしないDV男・何度も目撃した男の暴力・両親の離婚・父の死・母との確執・どうしても母を赦せなかった日々・・・。
高橋真梨子さんの歌に在る、ある「憂い」の背景を知った。あの抜群の歌唱力で、恋を唄い、愛を唄い、別離を唄い、生きていく女の希望を力強く唄っても、彼女の歌唱と表情には拭えない「陰」が宿っていた。
母が最晩年に好きだった、真梨子さん作詞の『フレンズ』、その唄い出し
「煌めいていた そして戸惑う青春だった」は書き直されたものだそうだが、書き替えられる前の原歌詞は
「修羅のごとく生きた 青春の抜け殻」だそうで、母はその原歌詞が好きだったのだ。
余命宣告を受けた母を、東京に呼び寄せ同居するが、数か月後母は涯てる。
いま、「あぁ、あの歌詞こそは母の青春だったのだ」と想うのだ。

 

ふと、2015年95歳で他界した我が母の晩年の歌を思い出す。
「みれん断ち実母に返すが此の稚児の 幸せならんと諦めし乳母」
「乳母里より付き人のごと添いて来し 田舎人形夜ごと抱きしよ」
「いつの間にか姿消したる縞木綿の 人形恋いて泣きし幼日」
「父の里に預けしわれを疎みたる 母の胸中識る年となる」
幼い日から幾度も聞かされたが、永く不幸な母子関係だった。世に幾万とあろう、永く心からの和解はできなかった母と娘の確執。そして「それ」を超える心・・・。
高橋さんは自らの半生を根拠地に類まれな歌唱をものし、そして歌の力、唄う力を得て「それ」を超えたと思う。 我が母は超えたろうか?

高橋真梨子(1949年生まれ67歳):
「ジョニィへの伝言」「五番街のマリーへ」「あなたの空を翔びたい」
「for you…」「はがゆい唇」「桃色吐息」「ごめんね…」「フレンズ」

品川塾誇大史: ウラジオストックの新石器時代~縄文期の黒曜石

友人たちが7月に一週間前後、極東ロシアを旅すると聞いた。
「日露」戦争跡地巡りでも、「北方領土」からみや昨今の日露の極東資源開発・経済協力の事前調査でもないことは確かだ。
21世紀の東アジアを俯瞰し、尖閣問題・いわゆる「中国の赤い舌」問題に限らず地政的課題、経済的相互協力(依存)的課題、文化・民族的課題、20世紀の歴史を共同の東アジア史として見つめ、中日・朝日・韓日・露日の現実的な壁・制約と可能性を肌で感じたい、とのことだと聞いた。諸事情で行けないが、興味があって羨ましい。
ワシの興味とは、短期間の旅で何かを掴める質のものでないが、21世紀だからこそ、100~150年の近現代や500年や1,000年の単位の時間ではなく、地図的だけでなく時間的にも俯瞰したいとの積年の「黒曜石」ロマンとでも言うべき妄想だ。

過去ブログから転載する。
青森県青森市の4,500年前から3,000前だろうと言われている、有名な三内丸山縄文遺跡には大型家屋(集会施設か)の構造柱の巨木(栗=腐りにくい)・糸魚川のヒスイ・長野県霧ヶ峰の黒曜石・新潟のアスファルト(防水剤)などが出土していて、この地の集団の交易圏の想像以上の広さが実証された。
同時期かそれ以前の生活用具のひとつ石鏃(ナイフやヤジリとして実用)が、ウラジオスットクから出土している。石鏃の素材は「黒曜石」で、ガラス質でスライスし易いが強度もあり石器時代から刃物として使われて来たと言う。その成分は、二酸化珪素・酸化アルミニウム・酸化ナトリウム・他で、現在の分析技術では成分構成比や混合成分から、その産地が特定できるのだ。
ウラジオストック出土の「黒曜石」土器だが、分析の結果、果せるかなその産地は、何と島根県隠岐だった。

縄文期、あの内海―――日本:日本海、韓国:東海、共和国朝鮮:朝鮮東海、中国:日本海のようだ――を、交通路とする文化・交易の実態があったことが、浮かび上がる。
縄文期の伝承らしいと言われている、出雲の「国引き神話」で北や西の国を『引く』のも「交易権樹立」の事績の伝承と読み解けば、あながち絵空事だとは言い切れまい。kokuyou11

話は飛ぶがうんと下った時代の、近畿天皇家による九州王権の歴史・神話・伝承・文化・他の強奪・剽窃の歴史・・・・。
ある勢力の東征(九州一派の大和入り)、邪馬壱国、九州王者磐井への近畿継体政権の叛乱(教科書は「磐井の乱」と記述)、聖徳太子&遣隋使の虚構(阿蘇山あり、故なくして火を噴き云々)の真実、壬申の乱の実際、の聞きかじり情報を縷々申し上げて来た。
また、縄文期の実態と「あの海」を巨大な内海とする文化圏のことも素人なりに言って来た。おおかたは、「現情勢に関係ないやろう?」との反応だった。
「現情勢に関係して来ている」ではないか?!21世紀~22世紀、それらが明らかになって行くか?

 

山村 貴輝
 山村 貴輝 古田さんは現地を見ていないから(文献だけ)、空理空論です。
橋本 康介
 橋本 康介 おっと、「空理空論」とは穏やかならぬ手厳しい表現! 確かに、古田氏は「倭人も太平洋を渡った」「(エクアドルの)バルディビア遺跡(縄文土器との近似性)」や『東日流(つがる)外三郡誌』に関する論説などで、実証性に乏しい・思い込みだとの批判に晒されて学術的信頼を落としたらしい。が、ウラジオストック黒曜石の石鏃に関しては、脚を運んでもいるようですよ。
http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/kaihou54/furuta54.html
貴兄は何処だったかで「考古学研究者」と名乗って居られたから専門家でしょうが、素人のワシにはここでの論旨=(ウラジオ出土の黒曜石の産地は隠岐だった。縄文期あるいはそれ以前から、日本名:日本海を内海とする交易圏が存在した)=は、空理空論ではないと思います。
出来れば、この論のどこが空理で何が空論なのか、教えて下さい。
なお、縄文文化・紅山文化の時系列的位置は縄文の括り方で諸説あり、紅山文化⇒縄文文化とも言い切れないらしいですね。ここらも教えて下さい.
鹿児島県霧島市国分の9,500年前と言われる「上野原遺跡」の完成度の高い土器などの写真を観ていると、約6,500年前の喜界カルデラの大噴火(普賢岳のおよそ100倍規模)で南九州一帯の生物が全滅したというこの遺跡が告げる縄文の深さに唖然!つまり、6,500年前の火山灰地層の下からゴロゴロ出土してくる。

http://bunarinn.lolipop.jp/…/minamikilyusilyuuA-html.html

山村 貴輝
山村 貴輝 お答えするのは膨大な資料的裏付けと文字数が必要です。まず、ウラジオの黒曜石は「本当」です。とりあえずここまで。
なお、縄文文化が大陸に影響を与えたという考えは、皇国史観に繋がる思想で学問ではありません。打倒の対象です。
橋本 康介
橋本 康介 いずれ拝読します。                  
「空理空論」「打倒の対象」・・・似た言葉ですね。大陸に影響を与えたというのはいかがわしく、よぼどの資料・出土などの立証が必要だとワシも思いますね。が、火山帯とう条件などから、先行した「焼き物」技術(例えば上野原遺跡)があったとしたら、それの一部が影響した可能性をただちに全否定する識量を、当方持ち合せてはいない。取り敢えず、思考において、要は空理空論や打倒という、かつて「決定論者」が使った言い回しを、ワシは好まないといことだけお伝えします。

 

通信録: 年末~正月 個人商店主の悲哀?

ここ数年の年末~正月は、女房が長女夫婦が営む名古屋市千種区の洋菓子店へクリスマス&正月の繁忙に合わせ、家事・炊事+児童の世話(保育所休みにつき)に「出張(?)」滞在。
ワシは長男の空堀フレンチ店の4回目になる「フレンチ おせち」の一部(北摂方面=全体の約一割9軒配達)の大晦日配達要員。配達を終えて、ワシも名古屋洋菓子店へ・・・、という訳で親バカ・ボランティア(?)。(真空パックや冷凍配送を店主が嫌うので、基本「店渡し」。北摂のみ例外)。
今回は、昨年初めからワシが腰・脚に不具合が続き、東京勤務10年目にして、滞在を9割がた減じて対応しているが、大晦日任務は待っていた。やむなく店主の弟(教員)を運転要員に動員。零細個人商店の家族総出での年越しという、どこにでもある商売人の風景ではあった。
まぁ身体が動くうちは、「仕事」があって有難いと思うしかない、のか。%e3%83%96%e3%83%ad%e3%82%b0%e8%a8%98%e4%ba%8b-%e3%83%95%e3%83%ac%e3%83%b3%e3%83%81%e3%81%8a%e3%81%9b%e3%81%a1

映画談義: 2016 今年観た日本映画の秀作たち

今年は日本映画の秀作(公開年度は2014~2016混在)に出会えたな。

【2014年公開】 『百円の恋』(主演:安藤サクラ) 『そこのみにて輝く』(監督:呉美保)、 【2o15年公開】 『駆け込み女と駆出し男』(監督:原田真人) 『さよなら歌舞伎町』(脚本:荒井晴彦、主演:染谷将太) 『恋人たち』(監督:橋口亮輔)、 【2016年公開】 『怒り』(原作:吉田修一、監督:李相日) 『永い言い訳』(監督:西川美和)。

一本だけ選べと言われれば、迷うけれどワシは『さよなら歌舞伎町』を採るね。%e3%81%95%e3%82%88%e3%81%aa%e3%82%89%e6%ad%8c%e8%88%9e%e4%bc%8e%e7%94%ba

歌舞伎町のラブホテルを舞台に繰り広げられる一日の群像劇。様々な事情を抱えた四組の男女のオムニバス仕立ての物語は、見事に2014年の現在ニッポンの断面を切り取り、男女の事情の裏面に、確実に現社会を描き出してくれる。格差社会・若者を取巻く現実・貧困・弱者・少数者・ヘイトスピーチ社会・3,11に包囲される男女の虚実と痛い愛を描き、その交感に「抵抗」への根拠地を探そうとする。

その作者の構えに、ある時代に通底する「匂い」を嗅いだのはワシだけではあるまい。だが、そこは、その時代より数十倍厚い包囲網下なのだ。若者が、理屈やヤル気や努力、理想や誠実が無化されて行く現実を知ってしまっている枯野なのだ。

飲食店で働き資金を作って「国」に店を出すという夢を持つ男は、資金が溜まらぬ現実に「金ある女」相手に男娼として「アルバイト」している。男が付き合っている、「国」でブティックを開業したい恋人は、不法残留から近々帰国予定だが、男に仕事内容を偽り実はデリヘル嬢。二人は韓国から出稼ぎに来ているのだ。互いに相手の裏業を知らない。

男は、疑念から眠っている彼女のバッグを探り、彼女の商売用の名刺を見つける。彼女の最後の出勤日、指名を受けてホテルに「仕事」で入室し、男の客に目隠しをさせられる。浴槽で体を洗われているうち、彼女は男が誰であるのかに気づく。身を震わせ号泣して詫びる女、実は・・・と、自分の裏業を告げる男。 震えて抱き合う男女の向こうに、現在(いま)が詰まっていて哀しくも美しいシーンだった。

観て、おおお~これは・・・と思ったら、脚本:荒井晴彦ではないか。%e8%8d%92%e4%ba%95%e6%99%b4%e5%bd%a6

荒井晴彦。ワシと同じ1947年生まれ。早稲田大学文学部をあの時代に中退(なるほど)。若松プロ出身。「映画芸術」編集長。

【脚本】『赫い髪の女』『遠来』『KT』『ヴァイブレータ』『やわらかい生活』  『大鹿村騒動記』『さよなら歌舞伎町』『この国の空』(監督も)

荒井晴彦が、フジTVが大宣伝を繰り広げ無理筋のヒットをさせた大駄作『踊る大捜査線』に噛み付いた発言を、過日ブログにアップしたものを再録する。脚本家荒井の、あの時代に早稲田を中退し、若松プロに参加した者の矜持がよく現れた発言だ。

先日、「日本映画専門チャンネル」で『 「踊る大捜査線」は日本映画の何を変えたか』なるリレー・トークを観た。10人の「映画通」が語っている。多くは、肯定・映画の敗北・当然の帰結・観客が選んだ結果だ・これも映画だ・・・・、との「現実追認」に終始している。

その中で、雑誌『映画芸術』編集長:荒井晴彦だけが「まとも」なことを言っていた。気になって、各発言の採録である番組と同タイトルの新書(幻冬舎新書、¥800)を購入した。

以下に抜粋する。

『結局はフジテレビのプロモーションの力でしょう』 『テレビが勝ったのではなく、映画がダメになったのです』 『映画自体が乗っ取られた』 『映画館の大きなスクリーンでテレビドラマを映しているのと同じです』 『僕らの年代は』 『なぜこんなものを映画館でやっているんだというような違和感を抱く』 『若い人たちはその違いを知らないから、何のわだかまりも無い』 『「踊る」以降は「映画の監督がつまらん作家性なんか出すより、テレビのスタッフが映画もやったほうがかえって当たる」というわけです』 『「踊る」の亀山プロデューサーは』 『「なぜ彼や彼女は犯罪を起こすに至ったのかを描かなくていい」と言ったそうです』 『「犯人のバックグラウンドを描くな」ということです』 『「踊る」以降の作品に描かれる犯罪は、「たまたま、ただのヘンな人が暴発したからおこったこと」になってしまった』 『犯人が捕まったらそれで終り、それで解決でいいということです』 『よくテレビでは「小学生でもわかるような表現じゃないとダメだなんだ」という言い方をします。でも僕は万人にわからせることだけがすべてではないだろうと思う』 『100人のうち10人がわかればいいという映画があっていいと思う』 『わかるのは二人ぐらいでいいんじゃないかと思うし、さらに言えば、たった一人でもいい。究極的には、作った俺さえいいと思えればいいんだ、とも思います』

『見やすさだけ、わかりやすさだけが最優先されるのは、本当にいいことなんでしょうか』 『もちろん徹頭徹尾そういう作り方ではまずいけれど』 『すべての映画を、黙って座ってボーッと見ていてもわかるものにするのはどうなのか』 『今は、観客の側が勉強して映画を理解する文化がなくなってきている』 『こうなったのは、作り手のほうが、「勉強しなくいいんだよ、考えなくても楽しませてあげるよ」と言ってしまったからです』 『監督や原作の作家が、何を描こうとしていたのかを知ろうとして、その作家の生い立ちなどを別の本で調べたりするうちに、どんどん映画に深くはまっていくこともあった』

『作品に匿名性のようなものが生れて、似通った作品ばかり』 『作品に個性がないから、顔がみえない』 『そもそも映画は「娯楽」と「芸術」という、相反する要素を持ち合わせたもので』 『作り手は、芸術であるとまでは言わないけれど、全くの売り物だとも思っていなかった。「商品」と「作品」の間で行ったり来たりして、悩んでいました』 『今の若い作り手たちは違います。彼らは自分のやりたいことを通すというよりは、お客さんを入れることを第一に考えるようになった』

『僕は昔からお客様は神様だと思ったことは一度もない』 『神様はバカ様になった』

『映画館の闇の中で、僕たちは人生を変えるような、魂を震わせるような何かと出会うことが出来た』

『今の映画は、ヒットすることと引き換えに、そういった陰影や多様性を切り捨ててしまった』 『亀山プロデューサーは』 『勝つにはどうしたらいいかを考えて、その結果勝ったのはすごいことです』 『平野謙という文芸評論家が「畢竟、文学とは我を忘れさすか、身につまされるか、ではないか」と言っているのですが、映画もそうじゃないかと思います』

『我を忘れさせる映画の典型が「踊る」でしょう』 『映画館を出たら、ああ面白かったとその映画も忘れてしまうのではないか』 『僕は、身につまされる映画を作りたい』『人に忘れられない映画を作りたい』

『文学や映画をエンターテインメントこそすべてとその枠に押し込めることで、そこにある生き方・考え方・価値観を揺り動かす力を捨ててしまうのはあまりにも惜しい』

荒井の、いまどきの映画と観客への言い分は、そのまま映画『踊る』への、『踊る』登場人物への異論となっている。それは、現実への視点を欠き(欠かざるを得ない)、現実「回避・逃亡」に終始する、CG満載の近未来絵空事や有り得ないパニックにしかドラマを構成できない米映画作家の今日的立ち位置、その亜流たる日本映画への異論であり、同時に米帝国とグローバリズムへの鋭い文明批評として聞こえて来る。『踊る』の主旋律はこうだ。主人公と彼を取り巻く人物たちの「無自戒」、映画の製作者・監督の「勘違い」、観客たちの反応に見える「軽薄」・・・。とりわけ織田祐二演ずる主人公青島が、柳葉敏郎演ずる同世代キャリア上司:室井に言う下記の科白には反吐が出る思いだ。記憶は曖昧だが、その趣旨は概ね以下のようなことだった。                                                                                       「ぼくら下の者は、上がシッカリしてくれていて努力できるのだ」「だから、上は上でそれを汲み取って出世してもらわないと」                                                                                            一部でキャリア・ノンキャリアの垣根を越えた「解り合い」だとか、働く者の気持ちを「言い当てている」と言われたりしたが、果たしてそうなのか?                                                                  ノンキャリア組の心情がそうした諦念(荒廃?)の中に在るという、今日的職場風土を示す皮肉だと言うのなら頷けもする。 だが・・・、青島君は、明るく元気で、自己と職場を全面肯定しつつ嬉々として、そうした処世感の「確信犯」として立つのだ。

徹底して荒井とは違う立ち位置だ!

 

 

 

 

ぼやきエッセイ 安倍・プーチン会談 雑感

【クナシリ・メナシの戦い】

5月に、民博(国立民族学博物館):「夷酋列像-蝦夷地イメージを巡る人・物・世界」を覗いて、初めて「アイヌ三大蜂起」を知った程度のワシだ。だから、「領土とは何か?」とか「そもそも蝦夷地は云々」とか、ましてや「北方領土」がロシア(旧ソ連)の統治下になって70年の悲哀だとか、元島民の切情を持ち出す政権の手法に何か言うつもりはない。

【アイヌ三大蜂起】
コシャマインを首領とする函館:志濃里の「コシャマインの戦い」は1457年、応仁の乱の10年前だ。有名な「シャクシャインの戦い」(静内方面)が1669年。それから120年後1789年に起きた「クナシリ・メナシの戦い」はアイヌ民族最後の武装蜂起と言われている。俗にこの三つを「アイヌ三大蜂起」と呼ぶらしい。
「クナシリ・メナシの戦い」(1789年、江戸時代寛政年間)の翌年、松前藩士によって描かれた「夷酋列像」は、松前藩の和解策に最後は協力的に対応した12人の有力者だという。
メナシはアイヌ語で「東方」を意味し、元来は現在の北方領土から知床半島、根室地域 一帯を指した。

慶長9年(1604年)に成立した松前藩は、家臣に北海道各地の漁場の経営権を与えた 。米の取れない蝦夷地では、他藩のように年貢前を家臣に分けることができなかったの だ。漁場の経営権を委ねられた家臣は、次第にその権利を商人にあずけてけてしまう。 こうして漁場の経営権を握った商人を場所請負商人という。
当時、メナシ一帯を支配したのは飛騨屋という商人だった。飛騨屋は、北海道のエゾマツ、トドマツを江戸、大阪に送る商売によって巨万の富を蓄積した。木材商人であった飛騨屋が漁場経営に乗り出したのは、松前藩が飛騨屋への借金返済のために、メナシの漁業権を20年の期限付きで貸し与えたからだった。飛騨屋は漁業に慣れていない上、期限内に利益を上げようとアイヌを酷使・暴力支配した。 そんな折、国後島のアイヌが、倭人から薬代わりにもらった酒を飲んだところ、病状が 急変、まもなく死亡するという事故がおきた。相前後して、倭人からもらった飯を食べてすぐに果てたアイヌの娘がいた。相次ぐ同胞の死に、追いつめられたアイヌたちは、寛政元年(1789年) 5月7日の夜、国後島泊村の運上屋を襲い、ついに決起した。

国後島を制圧したアイヌたちは、対岸のメナシに渡り、同地のアイヌ人およそ130名以上 を集め、次々と和人の陣屋を襲撃した。羅臼町城にはオロマップに番屋があり、8人の 和人が襲われている。ほう起したアイヌ人は、松前藩の反撃を予想して、各地にチャシを構え、戦闘態勢に入った。報告を受けた松前藩もすぐに臨戦態勢をとり、264人の鎮圧 隊をノカマップ(現根室市東部)に上陸させた。
そこに現れたのが厚岸アイヌの長イトコイと国後アイヌの長ツキノエ。二人はほう起軍をなだめ、首謀者の首をさし出すことで、乱を治めた。
倭人を殺した罪で、アイヌ37人が 処刑され、その首は松前の立石野でさらし首になった。
70年前の大義なき占領支配に憤り元住民の切情に涙する心が、227年前民族自決を願い決起した先住者の無念と無縁ならば、その心情はいかがわしいとワシは想う。
歴史は、70年だけではないのだ。%e3%82%a2%e3%82%a4%e3%83%8c%e4%b8%89%e5%a4%a7%e8%9c%82%e8%b5%b7

ついでながら「クナシリ・メナシの戦い」1789年の頃、琉球国では、
「1609年(琉球暦万暦37年・和暦慶長14年)、薩摩藩の島津氏は3000名の兵を率いて3月4日に薩摩を出発し、3月8日には当時琉球王国の領土だった奄美大島に進軍。3月26日には沖縄本島に上陸し、4月1日には首里城にまで進軍した。島津軍に対して、琉球軍は4000名の兵士を集めて対抗したが敗れた。4月5日には尚寧王が和睦を申し入れて首里城は開城した。これ以降、琉球王国は薩摩藩の付庸国となる。」
薩摩藩への貢納を義務付けられ、江戸上りで江戸幕府に使節を派遣した。その後、明に代わって中国大陸を統治するようになった満州族の王朝である清にも朝貢を続け、薩摩藩と清への両属という体制をとりながらも、琉球王国は独立国家の体裁を保ち、独自の文化を維持した。
当時江戸政権は、田沼意次の失脚を受け、松平定信の「寛政の改革」(1787~1893年)という緊縮財政の只中だった。1816年のイギリス艦来琉以降、英仏蘭露米は頻繁に来琉、独立国としての琉球と交渉にあたった。1867年大政奉還、1871年廃藩置県(鹿児島県が琉球を「管理」)。1878年日清間で「琉球分割案」、1879年三分割アメリカ案。1879年沖縄県となる。

「アジール 空堀」 12月15日 『高野陽子 アイルランド&ウチナー ライブ』

12月15日(木)18:00~
『高野陽子 アイルランド&ウチナー ライブ』満席盛況・ご好評を得て、無事終了。

有名な「サリーガーデン」「シューラルーン」などのアイルランド民謡の旋律と響き・高野さんの声質に魅了されました。発声法には全く知識が無いのですが、ナチュラルで飾らない独特の発声だな~と感じます。そして、それは続いての、旋律・リズムの全く違う沖縄の恋歌・哀歌に言い表せない不思議な力で受け継がれ、「てぃんさぐぬ花」「安里屋ユンタ」「十九の春」の高野流歌唱には、全く違和感は無い。
食事後、アイルランド訪問記、スペイン・サンディアゴ巡礼記(その一部100㎞を走破なさったそうだ)のスライド上映とトークは素晴らしく、参加者の多くが「行ってみたい」と呟いていました。
セカンド・ステージでは、会場のリクエストから「スカボロフェア」「花」などもあり、満足の集いでした。

話は飛びますが、オスプレイの墜落事故などの暴虐を見るにつけ、アイデンティティ・排他的なナショナリズムでなはい「自己決定権への想い」が、グローバリズムに対抗できる大きな根拠地ではないか?と思うのです。そう思わせてくれたライブでした。%e9%ab%98%e9%87%8e%e9%99%bd%e5%ad%90%e3%83%a9%e3%82%a4%e3%83%96%ef%bc%92

アイルランド、スコットランド、カタルーニャ、バスクなどのヨーロッパの独立運動、太平洋ではグアム、パラオ、ツバル、ニューカレドニアなどの独立や独立運動、その文脈から台湾先住民族・沖縄(琉球)や東アジアを見るとき、そこに生まれ永い民族の歴史と文化に育ち、住み暮らす者の「第一義」的大義が、いわゆる「プロレタリア国際主義」や「革命」にあるのではなく、それは「結果」なのだと思えるのだ。現地からの発言が「独立」「自己決定権確立」に終始するかに見えるのは、先進国・宗主国に生きる者の思考・信条・感性に欠落(個人の責任ではなく、文字通り《意識は状況によって決定される》というドグマの通りに)している視座ゆえかもしれない。

逆に、被支配少数者、独立・自己決定権確立を希う者は問うだろう、「では聞く!貴方の社会変革論の、あるいは左翼政党の、どの頁に、我らの《自己決定権確立》が主要なテエマとして記載されていると言うのだ?」と。それは、すぐれて当事者たる我らの課題だ。「イデオロギーよりもアイデンティティ」と言うのは、まさにそこなのだ、と。革命によって変革されることは全体の「部分」なのだ、と。ニワトリが先か?玉子が先か?、ではなく、元々ニワトリ・玉子の体系・文脈では及ばない人間社会に巣食う「業」なのだ、と。

 

ぼやき  最高裁自作自演の上告棄却

最高裁が弁論を開かず判決=上告棄却し確定することになる高裁判決は、9月16日の福岡高裁那覇支部の判決だ。

高裁裁判長:多見谷寿郎氏は〈平成22年4月から同26年3月まで千葉地裁の裁判長を務め、行政(およびそれに準ずる組織)が当事者となった裁判を数多く手がけているが、新聞で報じられた判決を見る限り、9割がた行政を勝たせている〉というのである。しかも、この多見谷氏の着任人事が極めて異常だった。

〈代執行訴訟が提起されるわずか18日前に、東京地裁立川支部の部総括判事(裁判長)から慌ただしく福岡高裁那覇支部長に異動している。この転勤が普通と違うのは、多見谷氏の立川支部の部総括判事の在任期間が1年2カ月と妙に短いことだ。裁判官の異動は通常3年ごとである。(中略)また、前任の須田啓之氏(修習34期)もわずか1年で那覇支部長を終えて宮崎地家裁の所長に転じており、これも妙に短い〉。前任の須田氏は『薬害C型肝炎九州訴訟』で国と製薬会社の責任を厳しく指弾して賠償を命じるなど、リベラルな判決を出した“過去”があるので、外されたと見るべきでしょう。そこへいくと多見谷氏は“アンチ住民”の態度が鮮明です。有名なのは2013年の成田空港訴訟で、成田空港用地内の農家の住民に空港会社が土地と建物の明け渡しを求めた裁判でしたが、住民側に明け渡しを命じる判決を出した。住民は『国は農家をやめて、死ねと言うのか』と訴えたが、裁判長は聞く耳を持たず、住民側の証人申請はほとんど却下されました。他にも行政訴訟では、建設工事を進める残土処理場を巡った千葉県の許可取り消しを住民が求めた裁判で訴えを棄却したりしています」

今回の辺野古裁判でも、多見谷裁判長は露骨に国寄りの訴訟指揮を執った。翁長知事の本人尋問こそ認めたものの、稲嶺進名護市長ら8人の証人申請は却下したうえ、しかも、国側が早期結審を求めたのに応え、わずか2回の弁論で結審する“スピード審理”でもあった。判決にある「(新基地に)反対する民意に沿わないとしても、基地負担軽減を求める民意に反するとは言えない」などというのも、国を勝たせるための詭弁としか言いようのない理屈である。(RETERA 9月17日より)%e6%9c%80%e9%ab%98%e8%a3%81

最高裁はこの巧妙に仕組まれた裁判劇の主役なのだ。福岡高裁那覇支部を含め、判事の人事は最高裁事務局が人事案を作成し、最高裁長官を議長に最高裁判事全員の会議で承認される。つまり、慌ただしい那覇支部の裁判長着任、裁判過程、判決、最高裁の上告棄却(20日)までの一連のドラマは、『最高裁の』自作自演だと言えるのではないか?。

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