アジール空堀 6月23日『マルコムⅩ』告知フライヤー

交遊録 内田裕也Rock’n Roll 葬 内田也哉子さん謝辞全文

【内田裕也 Rock’n Roll 葬 内田也哉子さん謝辞】全文

私は正直、父をあまりよく知りません。わかり得ないという言葉の方が正確かもしれません。けれどそれは、ここまで共に過ごした時間の合計が、数週間にも満たないからというだけではなく、生前母が口にしたように、こんなに分かりにくくて、こんなに分かりやすい人はいない。世の中の矛盾を全て表しているのが内田裕也ということが根本にあるように思います。

私の知りうる裕也は、いつ噴火するか分からない火山であり、それと同時に溶岩の間で物ともせずに咲いた野花のように、すがすがしく無垢(むく)な存在でもありました。率直に言えば、父が息を引き取り、冷たくなり、棺に入れられ、熱い炎で焼かれ、ひからびた骨と化してもなお、私の心は、涙でにじむことさえ戸惑っていました。きっと実感のない父と娘の物語が、始まりにも気付かないうちに幕を閉じたからでしょう。

けれども今日、この瞬間、目の前に広がるこの光景は、私にとっては単なるセレモニーではありません。裕也を見届けようと集まられたおひとりおひとりが持つ父との交感の真実が、目に見えぬ巨大な気配と化し、この会場を埋め尽くし、ほとばしっています。父親という概念には到底おさまりきれなかった内田裕也という人間が、叫び、交わり、かみつき、歓喜し、転び、沈黙し、また転がり続けた震動を皆さんは確かに感じとっていた。これ以上、お前は何が知りたいんだ。きっと、父はそう言うでしょう。

そして自問します。私が父から教わったことは何だったのか。それは多分、大げさに言えば、生きとし生けるものへの畏敬の念かもしれません。彼は破天荒で、時に手に負えない人だったけど、ズルい奴ではなかったこと。地位も名誉もないけれど、どんな嵐の中でも駆けつけてくれる友だけはいる。これ以上、生きる上で何を望むんだ。そう聞こえています。

母は晩年、自分は妻として名ばかりで、夫に何もしてこなかったと申し訳なさそうにつぶやくことがありました。「こんな自分に捕まっちゃったばかりに」と遠い目をして言うのです。そして、半世紀近い婚姻関係の中、おりおりに入れ替わる父の恋人たちに、あらゆる形で感謝をしてきました。私はそんなきれい事を言う母が嫌いでしたが、彼女はとんでもなく本気でした。まるで、はなから夫は自分のもの、という概念がなかったかのように。

もちろん人は生まれ持って誰のものではなく個人です。歴(れっき)とした世間の道理は承知していても、何かの縁で出会い、夫婦の取り決めを交わしただけで、互いの一切合切の責任を取り合うというのも、どこか腑(ふ)に落ちません。けれども、真実は母がそのあり方を自由意思で選んでいたのです。そして父も、1人の女性にとらわれず心身共に自由な独立を選んだのです。

2人を取り巻く周囲に、これまで多大な迷惑をかけたことを謝罪しつつ、今更ですが、このある種のカオスを私は受け入れることにしました。まるで蜃気楼(しんきろう)のように、でも確かに存在した2人。私という2人の証がここに立ち、また2人の遺伝子は次の時代へと流転していく。この自然の摂理に包まれたカオスも、なかなかおもしろいものです。
Fuki’n Yoya Uchida don’t rest in peace just Rock’n Roll !!!

(クソッタレ野郎ユウヤ・ウチダ 安らかに眠ったりするんじゃねえ! ロックンロールであれ!!!)

アジール空堀 『ナオユキ 春のワンマンショー』

「アジール空堀」3月29日(金)18:30~ 於:ビストロギャロ
『ナオユキ 春のワンマンショー』参加者20名様
ナオユキの話に登場する人物の、可笑しさ・哀しさ・落ちこぼれ振りは何故こうもワシらに響くのだろう?
公演後、遠方の参加者たちが家路に就いた後も残ってくれた彼の言葉にヒントがあった。
ぐでんグデンの酔っ払いオヤジの自業自得(?)の蹉跌も、トンデモ姉さんの失恋譚も、どうしようもない逆恨み(?)なのだが、憎めなくもあり観客自身が身に覚えのある情感だ。それは結局 首の革一枚で人生にしがみ付く「弱者」「落伍者」「勘違い者」の、明日はいざ知らず「あさって」にはリベンジするかもしれない「可能性」信仰(?)であり、彼らへの「共感」と「応援」なのだ。ナオユキさんはそこをこう言ったのだ、「希望なんです」と、「登場人物に救われて来てボクがある」と。自身を省視する者の言だ。
断言する。ナオユキ話芸は、権威・支配・統治・・・権力性の対極に在る。
その支持者は、間違っても安倍派でも大国主義者でも改竄派でも忖度派でもあろうはずがない!
ナオユキ最高です。「アジール空堀」の盟友だぁ。


(画像:ライブ風景、またド忘れして半数が帰ってから撮った集合写真)

歌遊泳 桑田ひとり紅白 安井かずみ「古い日記」

【雑文:桑田佳祐さんおおきに】

NHK番組 桑田佳祐の「ひとり紅白歌合戦」というのを観た。
大御所・各時代のアイドル・演歌ありフォークありニューミュージックありの、さながら歌謡界大絵巻(?)。Act Against AIDS(AAA)のチャリティーの一環だそうだ。
挙げた歌手への敬意、曲への愛着、歌詞への共感に満ちた桑田のトークも良かった。
ずっと以前こんな話を聞いたことがある。歌手たちに「あなたが、一番上手いなぁ~と思う歌手は誰ですか?」と訊くと、
断トツで「桑田佳祐さんですね」だそうだ。今回、桑田のトークと歌を聞いて、歌手たちが挙げたその理由「歌詞の意味が歌の力を得て明確に伝わって来るんです」に納得した。
和田アキ子の「♪ ハッ!」で耳に残っている曲のタイトルと中身を誰も知っているのだろうけど、ワシは知らなかった。
まるでA真理かAめぐみの曲のようなタイトル『古い日記』だということも、こんなにもピュアで痛く「個人性」「社会性」の未明を越え「個的類的」精神を模索する者の、「公」と「私」の裂け目とその乗り越えへの逆説的「切情」溢れる歌詞は故:安井かずみ(「危険なふたり」「私の城下町」、「ドナドナ」アダモ「雪が降る」訳詩など)の作なんだということも初めて知った。
うん、ええ歌詞や。

「古い日記」作詞:安井かずみ

あの頃は ふたりとも なぜかしら 世間には

すねたよな 暮らし方 恋の小さなアパートで

 

駄エッセイ 中西和久『をぐり考』

3月21日(木)
中西和久ひとり芝居『をぐり考』を観て来た。
う~む、と余韻を味わっている。
【説経節は説教を垂れない】
講談にも近いのだろうか、メッセージ性ある芸能「説経節」を初めて目と耳にした。「隔離」「排除」「差別」「蘇生」というテエマも「説教」臭なく響いて来る。蘇生したが見苦しい餓鬼阿弥姿(人形)のゾンビ状の小栗。土車で引かれるその姿を観て「事態」の底の重量に思い至るというお粗末ジジイでした。
もうひとつのテエマ:照手・小栗の「恋遂げ」を、途中二人の間の「密度」をことさらに語らないのも、観劇後の余韻の中で「照手の胸懐」が浮かび上がるという具合。流行りの今風悲劇レンアイ物のように饒舌に語ったのでは、白けるよな。
もう一度観たい、観て刻みたい。
「説経節」が伝えようとしたこと、受け止めた聴衆と「照手の胸懐」との間を往還しただろう想波・・・。庶民の高い水準の味わいの根拠地を知りたい、我も持ちたい。
2015年7月、単身赴任中だった東京から帰阪して同じく茨木で観た中西さんの「ピアノのはなし」は、抑制された芝居創りで、お説教反戦モノから隔たっていたと思う。
ワシは今、あの時に近い感慨の中に居る。



交遊録 キキが閉じ込められた文化住宅 解体

【私事】
昨年の地震で内部崩壊となり、入居者が退去して廃屋となっていた拙宅裏の築60年の「文化」住宅の取り壊しが始まっている。
11月、閉鎖されていたその廃屋に、姉妹ネコの姉:キキが迷い込み閉じ込められ発見されるまでの右往左往、声だけ発見してから救出するまでのドタバタ劇・・・ネコ関連とはいえ悲しい記憶だ。
そのキキは正月明け1月6日に何らかの「毒物」を摂取したらしく(ペット医の見立て)急に瀕死状態、深夜に「北摂夜間緊急動物病院」へ駆け込み、翌7日午前三時息を引き取った。
キキが閉じ込められた家屋が消えて行くぅ~。
大阪北部地震は、東北や熊本や北海道に比して軽度ではあった。が、これが、災害というものの姿なのだ。災害などで、家屋や集落が失せて行くのは「記憶」の根拠地の暴力的消去なのだ、と改めて思う。
政権よ、政治よ。戦争よ、基地建設よ、原発よ、 世の悲嘆の大部分は人間が作っているのだ。生きている人間の「天賦の人権」を奪う権能など人間に与えられてはいない。
せめて、人の私心・邪心・悪意によって作り出される惨禍を最小限にしたい。
消えゆく「文化」住宅を観て、人の「文化」というものの意味と価値を想うという青臭い感慨に足を止めていた。
記憶の根拠地と「文化」の「ふるさと」を奪われた福島の人々の悲嘆と無念はいかばかりか。

画像:
上:10日ほど前から解体されている拙宅裏の「文化」住宅群。
下:正月7日息を引き取ったネコが、昨11月に閉じ込められた地震後廃屋になっていたその「文化」住宅の旧状。

歌遊泳 『卒業写真』の「あの人」

【「卒業写真」の「あの人」】
卒業の季節だ(大阪府立高校は3月1日が多いらしい)。
卒業ソングランキングというのを見ると、数十年の間に知らない歌が沢山あって驚く。「卒業」を歌っているのではなくても、「卒業」期に唄われる歌も含め「卒業ソング」と呼ぶらしい。知っていて印象にも残っている(歌えるかも?)のは、
『卒業』(斉藤由貴), 『春なのに』(中島みゆき),『卒業』(尾崎豊),『なごり雪』(イルカ),『乾杯』(長淵剛), 『贈る言葉』(海援隊),
『空も飛べるはず』(スピッツ),『さくら(独唱)』(森山直太朗),
『手紙~拝啓十五の君へ~』(アンジェラ・アキ),『卒業写真』(荒井由美)くらいか。そんな中で、荒井由美(現:松任谷由美)の『卒業写真』が改めて好きになった。
ネットの解説に「卒業したけれど、好きな気持ちはずっと変わらないという純粋な恋心を歌った曲で、もっとも多くカヴァーされている曲の1つでもあります。」とあるのだが、「卒業写真」の「あの人」とは上記の解説にあるようなことではない、とどこかで耳にしたことがあって、検索してみた。
果して「あの人」とは少し年長の大人の女性だった。
敬愛する先輩や師や憧れ人、そのいずれでもあって、かつそれとは趣の違う心情=透明感・精神性・無償性を土台にした濃い情愛= をも併せ持つ独特の対象・・・。

『あの頃の生き方をあなたは忘れないで
あなたは私の青春そのもの
人ごみに流されて変わって行く私を
あなたは時々遠くで叱って
あなたは私の青春そのもの 』

仕事や各種取組みや夫を置いて、「古い同性の友」への絶対の信頼を捨てない人を、近くに観たことがある。それは清しく鮮やかで羨ましいものだった。

ぼくらは、「あの頃の生き方」を「忘れ」ずに居て「遠くで」「叱って」くれる・・・そんな対象を持っているだろうか?

たそがれ映画談議 『金子文子と朴烈』

2月18日 役者パギ(内田外務大臣役)のト―ク
始まり始まりぃ~
(『金子文子と朴烈』シネマ―ト心斎橋)

金子文子の言葉のひとつひとつに、そしてその圧倒的な存在感(文子役の女優さんの熱演)に身震いした。
その女優チェ・ヒソが、『空と風と星の詩人 尹東柱の生涯』に確か立教大学同窓生で出ていたあの役者さんだと聞いて、「なるほど役者とはこのように変貌するんだ」と感心。

日本人であること、「男」であること、改竄・隠蔽・忖度・排外が蔓延する世に生きていること、などが押寄せて来て、時代は「あの時」と地続きだと想わずにはおれなかった。
ヘイト・クライム横行(本上映にも近くで、上映阻止のヘイト集会が行われた)の今、文子の精神を自他に刻みたい。

交遊録 ワシんちの2月11日

【私事-康介家の2月11日異論】
先日、名古屋に住む娘一家と茨城県へ移住した末息子一家を除いた、在阪の二人の息子・その妻・孫たちが集まって「新年会」をすると連絡あり出掛けた。
あれこれ各近況や孫エピソードなどを聞き、呑喰いして、何で今夜?と思いきや、「明日はお二人の結婚記念日ですよね」と来た。そうだったか・・・え~っと、48回目か。
息子の妻が言うには「この人、2月11日はお二人の結婚記念日を国中が祝ってくれているんやでと聞かされ、半信半疑ながら幼な心に本当かも・・・と聞いていたそうですよ」。
確かにそう言ったな・・・。

1971年、ワシは東京で働いていて相方は故郷に戻っていたのだが、各種事情でワシの地元北摂の2月上旬での式会場を探していた。
安い公共施設はことごとく満杯で、仏滅で空いていた2月11日の市民会館の狭い集会室で式をした。
その日程設定とワシらの衣裳(和装)に、教条左翼ガキが「何という日にちに、何たる衣裳で・・・」とイチャモンを付けた。

憚りながら、国体を護持した国家のインチキ神話に由来する建国記念の日も仏滅も、当方には関係ない。また和装が好きなのはワシらの趣味(又は美意識?)だ。放っておいてくれとも思ったが「あぁ、これだから左翼はアカン」と強く想った。彼らはレーニンさんが、ロシア衣裳でロシア帽を被っても何も言わないだろう。
やがて父となり、子らに前述の「冗談」を繰り返し言ったのは確かだ。48年前式当日、司会を引受けてくれたS氏とは今も共に非教条左翼(?)の言動を張っている。
因みに、ワシたちの労組自主経営企業のカレンダーでは、もちろん2月11日も4月29日も休日になっておらず出勤日だった。

交遊録 関西生コン労働組合への弾圧を許すな!

熊沢 誠氏より

関西生コン労働組合への弾圧を許すな!
全日本建設運輸連帯労働組合の単組・関西生コン支部(愛称、「関ナマ」)が、昨年から引き続いて、建設資本と国家・警察権力と右翼レイシスト団体の結託する悪質きわまりない弾圧にさらされている。
関西生コン支部は、セメント会社とゼネコンの中間にあってそれら大企業の収奪に喘ぐ中小零細の生コン事業の安定化と対(つい)のものとして、生コン輸送の運転士など、そこで働く労働者の労働条件を企業の枠を超えて死守しようとしてきた。そのために「関ナマ」は、この業界が「共同受注・共同販売」によって健全経営となるような産業政策を培い・支えるとともに、ときに有効な団交に不可欠のストライキ権や「アウト企業」のボイコットを辞さなかった。現代日本ではまれにみる、それはまことにまっとうな労働組合であった。だが、だからこそというべきか、反動化した安倍政権下の資本と権力は、このような産業規模の政策視野をもち、実際に争議権を行使しうる労働運動の放逐を画策したのだ。こうしてゼネコンの収奪を規制する組合運動は威力業務妨害、組合員の争議の場での当然の発言は脅迫・強要・暴行とあえてねじ曲げられる・・・。現在、これまで5つの現場をあわせて、昨年7月~11月の間に、実に39人の組合員が逮捕され、25人(内5人は「関ナマ」に協力的な事業者!)起訴されている。労働団体や野党はいまだに、この組織的な労働運動弾圧を、特定の業界、特殊な組合、関西という一地域に限られたものとみてはいないだろうか? 私たちはまた、真摯な組合運動への抑圧を、当面の政治的民主主義の危うさにくらべれば、なお副次的な危機にすぎないと考えてはいないだろうか?
そう解釈してこの強権の攻撃を看過してしまうなら、長年の労働史の貴重な遺産である労働者の基本的権利は、ひいてはおよそ民主主義の神髄は、確実に死にいたる。なぜなら産業民主主義の核をなす憲法28条こそは現憲法の枢要の領域だからだ。世論はなお「関ナマ」弾圧に相対的に無関心であるかにみえる。絶対に許してはならない。関生労働組合の受難はまさに労働者・市民全体のものと気づきたい。全国的な政治問題、国会の課題にも広げたい。

  • 橋本 康介 規模も水準も違うのだが、
    組合否認・組合潰し攻撃・組合潰しの会社破産・職場バリケード占拠(1977年から5年間)・労組自主経営体(計20年)・己らが破産(1998年)という無様で稚拙な自称「闘い」をした者として、「連帯ユニオン関生支部」への攻撃がヒリヒリ痛い。


    この20年のグローバル新自由主義経済支配の世は、支配者の横暴とともに、ワシらの痛覚を奪った20年でもあったと認めたい。労働運動主流は自分たちの危機だと思っているか? 野党はどうか? 熊沢さんが書いておられるように「この強権の攻撃を看過してしまうなら、長年の労働史の貴重な遺産である労働者の基本的権利は、ひいてはおよそ民主主義の神髄は、確実に死にいたる。」という痛覚を、自他に再刻印したい。

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