―歌の命は作者の想いと利用者の思惑を超えて、それを歌う者たちが作って行くのだ―

パギのFB タイムラインで10月21日の円山集会+デモ後の打上の席での出来事が出ていて驚いた。

『円山公園「10.21国際反戦デー集会」打ち上げの席で「もうインターナショナルは歌わないでほしい」と某元大学教授。俺は、即、怒鳴り上げた(怒!)たわけ!俺らは死ぬまでインター歌うんぢゃ、ボケ!こういうリベラル…タチ悪いねん(怒!)(怒!)。何でこんなアホ呼んだんだ?』

ワシはアホな自責事故で肋骨5番6番にヒビが入って激痛、当夜は不参加でその場に居なかった。翌日、パギFB頁が浸透する頃、ワシの耳にも教授がどなたなのか伝わって来た。ワシの知る人だ。
ワシの知る限りパギも元教授もその場に居た人も、例えば下のコメント欄に転記させてもらうNさんの映画『残像』(アンジェイ・ワイダ遺作)に関する文章の趣旨と意味を共有できる人々だ。
またその人々は、「インター」を教団歌扱いして崇める者でも、意図してか無自覚かによらず自己の存在証明目的で唄って来た者でも、歌うことで「国際連帯」の輪の中に居ると思いたいようなイカサマ野郎でもない。
パギが「インター」を歌う時に見せた(いまはどうか知らんが)照れに近い表情や、やや軽妙に唄う姿と歌唱の向こうに、ワシは「インター」への愛着とそれを半ば隠すような「心情」を感じ、何やら親近感が湧いたものだ。
パギはどうか知らないがワシの場合その心情は、自己分析するに「インター」への愛着と疎意、つまりは己の政治過程の明暗(明は無いのだが)・光と陰を除外したのでは見えて来ない性格のもののような気がする。
パギに「朝鮮語のハン(恨)にやや近いかもしれない」と教えてもらった、ウチナーグチの「あわり」(ヤマトの「哀れ」とは趣意が違う)のように、その情感が向かう対象から、己自身の怒り・歓び・恨み・絶望・悲しみ・熱狂・後悔・失意・私心・邪心・・・を除外しない心の在り様とでも言おうか・・・。
多くの人が「いいね」やコメントを発し、「歌わないで欲しい」発言への糾弾(「頭大丈夫か?」「叩き出せ!」といった激しい言葉も含め)もあった。歌詞カード無しで二番まで諳んじることができると、身に居着いている「インター」への想いを書いている人も居る(パギFB 10月21日23:40記事参照)。
同じくj二番まで諳んじているワシも感想を書いた(パギFBのコメント欄に在る)のだが、前述した「心情」に基づいている。

その前提で「インターナショナル」の経歴を改めて覗いてみた。
パリ・コミューン(1871年)の直後に参加当事者ウジェーヌ・ポティエによって作詞される。
当初ラ・マルセイエーズの曲に合わせて歌われていた。
1888年に新たな曲(現在のメロディ)が作られた。
20世紀に入ると労働歌・抵抗歌として各国語が付き拡がり各国で歌われた。
1917年ロシア革命が成功すると、翌1918年、国歌に採用される。
1944年に新国歌に代わるまでスターリン世ソ連の国歌であり続けた(これはあまり知られていない)

二番まで諳んじているというコメントにパギは「わしらの世代のサガ(笑)」と返しているが、実に世代というものの意味に気付く。
某教授-ワシ-パギはそれぞれ約10歳差だが、「インター」との出会い、その後の付合い、その各時代の背景が大いに違う。歌は世につれ世は歌につれ、というが「インター」はひとつだ。団塊世代のワシらの世代は前述したワシような「インター」観と、武勇伝野郎や陰無く「インター」を歌い続けたいわゆる「勝組」と、ひと度は歌いはしたが以後全く歌わなかった総懺悔の「負組」、当時も今も元々無関係な御仁など様々だ。10年下の世代の「心ある」後輩が視て感じた風景をワシはよくは解からない。が、
ふと想う。「わしらの世代のサガ」に即して言えば、某教授の世代の「サガ」もありはしないか?
六全協、60安保、大量除名┅の世代、「インター」が個を圧す「正しい」ドグマの一部を構成して迫り在った世代のサガもあるかもしれない。
某元教授は舌っ足らずにして、場と時が不適切やなぁ。よほどインターへの疎意を抱えて来られたのだろう。
けれど、今「インター」を歌ったばかりの人々を前にして、これを言いますか?
別の場面で「康介君、ぼくは想うのだがね」と、インター観及び当時の教条の愚を語って下されば、ワシは聞けたと思う。
『円山公園「10.21国際反戦デー集会」打ち上げの席』とは、ちょっとマズイな。パギが吠えるのも、多くの人が普段使わない言葉を用いて怒るのにも故はあると思う。
寅次郎もビックリの、先生の「学者バカぶり」が哀しい。

先生がどうかは知りませんが、「君が代」を歌えない・歌わない者がいるように、各種の理由で旧ソ連国歌「インター」を歌いたくない者がいることは理解できる。

そして想う。先生の想いと当日会場で歌ったパギを含む者たちのハートは、断じて共同の内に在る、と。