たそがれ映画談義: 『みんなの学校』見た日に、中原辞任!

昨日、十三「第七芸術劇場」で『みんなの学校』を観た。
子どもたちの肉声と生身を捉えた監督・カメラ・スタッフに感心します。
映画には、「学校が変われば、地域が変わる。そして、社会が変わっていく。」という(一見お題目かもの)標語も、子どもたちの「自分がされていやなことを人にしない、言わない」という「一つの約束」も、それが白々しい教育論には全く聞こえない説得力があった。みんなの学校FB
パンフに阿久沢悦子さんが書いている「人がいやがることはしない」という一般の標語と、「自分がされていやなこと」に在る「自分」との間の、落差・相違こそがこの小学校の核心だ(要旨)、と。自分が・・・・、、、。
初等「公」教育は、地域に密着(土着)してこそ、その後の生涯に亘る人間観の基礎が培われるのであって、決して学校選択制・飛び級・英才クラスなどの選別・競争・効率によってそれが育つのではない、という「大空小学校」校長以下教員たちに思わず拍手した。
現場では、カメラに写らない、見せる訳にも行かない現実もあるかも知れないが、公立学校の教員をしている二人の息子と一人のその妻に嫌われない方法で観てもらおうと思う。

帰路、十三名物『風まかせ』に立ち寄り独りで呑んだ。ママ寛子さんと『みんなの学校』談義をしていると、彼女のスマホに情報。君が代起立斉唱口元チェック・女性教育委員へのパワハラ・多くの部下への日常的暴言の男、中原教育長が追い詰められ「辞任」とのニュース。
遅すぎたし、罷免があるべき姿だが、取り敢えず二人で乾杯した ♪♪。
『みんなの学校』こそは、中原教育長(彼を引き入れた橋下が主犯)の
正反対の場所に立つ教育だと心底想う!

彼らのような大人を作り出さないのが、真の「公」教育だ。

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