Archive for 6月, 2015

つぶやき: 母を見舞いて兄弟集う

数日前の夕刻、特養に居る母95歳が午前中から高熱だと連絡があった。

肺炎との見立てで入院勧告となったが、本人が入院を拒否とのこと。

で、夜にはなったが駆けつけた。熱は引いており、様子を見ましょうとのことで、会話や顔色からは「元気」に見えた。頻繁に看てくれている大阪在住の弟が、兄弟に連絡を入れていたので、翌々日息子四人がそろって見舞った。

齢から考えればみんなが駆けつけて当然。母の熱は下がり、安定。

医者曰く「オバアサンの勢いに押されて肺炎が逃げましたかな」とのこと。風邪だろうか。

一安心で一杯。兄弟だけで全員揃って呑むのはたぶん初めてだ。

右から、兄(1942年生まれ72歳) 兄(45年生69歳) ワシ(47年生67歳) 弟(50年生65歳)。

 

母を見舞いて

(撮影:遅れて参加の我が家の主)

駄エッセイ: 勝海舟と安重根 もうひとつの東アジア

613日「関大校友連絡会」 第11回反戦・反格差市民セミナー

「日韓条約締結から50年を振り返る」

講演:元韓青同委員長:金光男<キム・クァンナム>、平野区民センター、13:50~)

1951年から1965年まで、実に14年に及ぶ長期交渉の果てに締結に至った日韓条約。

植民地と宗主国の関係を色濃く投影したその内容・問題点、国連決議「朝鮮にある唯一の合法的な政府である」との前提と米・韓・日軍事協力と北朝鮮排除の基本姿勢、韓国側の経済発展を急ぐ事情、条約締結後の日本の経済進出一貫した日本の貿易黒字、未解決事項、等々・・・・・・・を戦前の植民地支配と戦後東アジア史総体の中で解り易く語られた。

話は飛ぶが、校友連絡会のS氏とこの40数年の間に何度も次のような話をしたことがある。

『現代日本社会の根っ子の矛盾・難題を考えると、どうしても敗戦時の連合国の戦後構想・日本支配層の思惑・米ソを中心とした戦後世界秩序の出発地点に行き当たり、そのことは当然第二次世界大戦~大戦以前の世界構造に突き当たる。そして、それは明治維新、天皇制明治国家=擬制近代国民国家黎明期まで遡らざるを得ない。想うのだが、アジアが次々欧米の植民地になっている中、そのことを避けつつ、遅れて来た国民国家としての明治が発展を遂げ、先行する欧米に追い着くに、変形開発独裁(日本の場合、天皇を活用した軍事独裁)や、周辺国侵略・植民地化という方法以外の方法が、果たしてあり得ただろうか。明治日本が採用したカタチを肯定する文脈でも、昭和の本格侵略を免罪する文脈でもなく、いわば「もうひとつ」の明治、「アナザ・ウェイ」、オルタナティヴな在り方があり得ただろうか? そこのところを解き明かさないと、大東亜戦争肯定論や昨今の「昭和の戦争」賛美小説や映画はともかく、明治が国を成しよく生き延びるには、他の選択肢は無かったのではないか? という司馬遼太郎的「明治国家観」に対抗できない。あるいは、漱石や啄木の憂鬱・悲哀から、よく脱け出せはしないなぁ』 と。

勝海舟と安重根

本日、講演の金光男氏から素晴らしいヒントをもらった。

勝海舟は、日清戦争開戦に当たり猛烈に反対し「それでは欧米と同じことをすることになる」と看破したという。

また「朝鮮併合」にも反対した。

19091026日、初代韓国統監:伊藤博文をハルピン駅頭で暗殺した安重根は、その未完の著書『東洋平和論』において、

①「日本と朝鮮と清」による経済共同体。

②共通通貨(円を想定していた)

③三国による共同軍の創設

を説いていたという。『大東亜共栄圏』が、日本の利害に基づくアジア強奪を柱にした対欧米構想だとしたら、安重根の『東洋平和論』は対等共同の対欧米を内在する東アジア版EU構想だった、のか。

目からウロコだ。欧米に遅れること150年(以上)の明治日本が、その後昭和の戦争・沖縄地上戦・二発の原爆から敗戦にいたる道程の、そのスタート地点で構想し得たはずの、有り得たはずの「もうひとつの明治」を、日本国初代総理大臣伊藤博文を暗殺した安重根が提示していた。

なんという歴史の皮肉。何という高説。

安倍が繰り出す「積極的平和主義」「集団的自衛権行使」という名の、戦争する国・海外派兵への道という総論に対抗する

東アジアの「民」の側の「総論」を、ぼくらは持たねばならない。

つぶやき: 母からの電話 83年前の記憶

去る5月15日、東京に居たぼくに、北摂の某特養に居る95歳の母からの電話が鳴った。何か急用か・体調の急変などのSOSか? とビビったのだが、枕元の命綱(実際、母は電話魔なのだが)を間違いで押してしまったとのことだった。
近況報告を聞いていると「今日は、何の日か知ってるか?」と来た。

この齢で時事問題など語る人なので、「安保法制と言う名の戦争法案が国会に上程された日と言いたいんやろ」と言ったが「そうかいな、違うねん」。
「1972年に、沖縄県が再び日本の一部になった日と言いたいんか?」「ちゃう、ちゃう。それもちゃう」。
答えは、「あのな、ワテが小学校6年の時に、ゴー・イチ・ゴー事件(1932年)というのがあってな、先生が、日本はこの先暴力と軍隊が牛耳る世の中になるかもわからん。みなさんは自分の眼でシッカリと社会を見るように。女の子は大人の言うことだけを聞いていてはいけません。自分で物事を判断できるように勉強しなさい。と言わはってん。」だった。

大阪ど真ん中、薬問屋が犇めく街の商家の娘だった母の記憶は鮮明で、「その話で、一番何を憶えてる?」には、こう答えた。
「日本はどないなるんやろうと、ムチャクチャ怖かった。ほんで、最後は空襲と原爆や。戦後想うたのは、あの時の先生偉かったなぁ、ちゅうこっちゃ。孫(ぼくの子)が先生してるやろ、ええ先生になってほしいなぁ、思うてな。それと、曾孫(ぼくの孫)が戦争に行く世の中はかんにんしてんか、や」
大正~昭和~戦争~戦後~平成 を生きた普通の民の、胸と脳裏に刻まれた
「記憶」の濃さを想うのだった。軍靴の響きが大きくなって行く世に在って、そう語ったその教師の言葉が、今なお老婆の肉声となって生きているのだ。その教師の覚悟と矜持が伝わって来る。

おばん因みに、この母の唯一のささやかな矜持は、「大手前高女」卒と言うことらしいとその言から推察している。戦後の共学制「大手前高校」のぼくと同世代者には東大全共闘議長:山本義隆さん、1967年羽田で殺された山崎博昭さん、作家三田誠広さんらがいて、大阪の巷だは「アカ」の高校だと言われたりしていた。

 

 

 

 

つぶやき: 戦争法案の無茶。事態の連発=異常事態

 今朝の東京新聞電子版より。「事態」の大安売り。
異常事態だあ~!
事態
あぁややこし。 「武力攻撃発生事態」「武力攻撃切迫事態」「武力攻撃予測事態」(以上個別的自衛権関連)、さらに「重要影響事態」「存立危機事態」「国際平和共同対処事態」とあり、「存立危機事態」なら「集団的自衛権行使」となり、「重要影響事態」「国際平和共同対処事態」では「後方支援」が出来るのだそうだ。いずれの「事態」かを決めるのは政権だ。関東軍によって実行された、張作霖爆殺事件を「満州某重大事件」と呼んだ過去が浮かぶ。政権が、抽象的な名称・恣意的にどの事態かを決められること自体が、これらの法のいかがわしさを示している。 公明党!「歯止めをかけた」?・・・。歯止めどころか、青天井、底抜け樽の類だ。「武力攻撃予測事態」って、政権の予測想像思惑で行われる悪名高き「治安維持法」みたいなもので、やがて、市民に向けて「暴動予測事態」が発令されるのだ。「法理上、法理上はですね、そういうことなんです」(安倍)

トンキン湾事件(トンキンわんじけん、英: Gulf of Tonkin Incident, 越:Sự kiện Vịnh Bắc Bộ/事件灣北部)は、1964年8月5日、北ベトナム沖のトンキン湾で北ベトナム軍の哨戒艇がアメリカ海軍の駆逐艦に2発の魚雷を発射したとされる事件である。これをきっかけに、アメリカ合衆国政府は本格的にベトナム戦争に介入、北爆を開始した。アメリカ議会は上院で88対2、下院で416対0で大統領支持を決議をした。しかし、1971年6月『ニューヨーク・タイムズ』が、いわゆる「ペンタゴン・ペーパーズ」を入手、事件はアメリカ合衆国が仕組んだ物だったことを暴露した。当時北ヴェトナムの哨戒艇に魚雷機能が無かったこと、大統領が出した議会決議案は事件の8月5日より前に作成されたこと、などが明らかになった。第二次大戦以降のアメリカの介入戦争は、ことごとくブラックだ。ムチャクチャだ! アメリカの戦争に、無条件で与するのではないというのなら、まず世界的に明らかになっているこれらの戦争への見解を、まず明らかにせよ! できない以上、何を語る資格もない!

交遊録:5月24日 国会包囲に出かけ見かけた Goodアピール!

名護市辺野古の新基地建設に反対する
「首都圏アクション国会包囲ヒューマンチェーン」

国会大包囲! 15:00

施工現場に戻るわ。
腰と脚付け根痛いけど、国会大包囲出来たからええねん。15:40

国会包囲

安倍ニモマケズ

猫の信条:
甘えてやってえもいいけど、媚びはしない。
仲良くはするが、群れるのではない。
虚勢を張って威張りはしないが、背水での覚悟はするぞ。
無意味な争いは嫌いだが、意味ある闘いから逃げはしない。
連帯を求めてアレコレ動くが、孤立を恐れるからではない。

(大切なことは、ぜ~んぶ猫に教えてもらった爺より.)

ぼやき: 日本の巨大紙の異常と地方紙のガンバリ

全国の地方紙は叫んでいる。
ジャーナリズムの原点堅持。
地方紙のシェアはワシらの予想をはるかに凌いでいるが、
以前はもっと多く、例えば2004年には、沖縄二紙は合わせて90%(現在60%弱)を超えていたし、北海道新聞は65,4%(現在39%)、中日新聞は愛知県で70%(現在52%)を超えていた。ここ20年「読売」などの、なりふり構わぬ下品な「現物」攻勢に晒されシェアは縮小している。
地方紙を応援したい、支えたい。友人知人親戚に「地方紙を読もう」と声を掛けよう。

地方紙シェア

近藤 均さんより
安保法制閣議決定に地方紙39紙のうち38紙が警鐘!
ジャーナリズム精神を捨てた全国紙はもう必要ないような気がする。
(左記事は5月24日「東京新聞」より、右表は地域シェア1位紙一覧)

下表は日本の新聞の異常を示す発行部数

順位 新聞名 発行部数
1位 読売新聞(日本) 1000万部
2位 朝日新聞 (日本) 750万部
3位 The Times of India(インド) 380万部
4位 毎日新聞(日本) 350万部
5位 参考消息(中国) 310万部
6位 日本経済新聞(日本) 300万部
7位 The Sun(英国) 295万部
8位 Bild (ドイツ) 290万部
9位 中日新聞(日本) 280万部
10位 Daiinik Jagran (インド) 275万部

 

 

つぶやき: 熊沢誠 『ノン・エリートの自立』 の行方  5月23日

・明大リバティータワー

 

ノン・エリートの自立節

 

 

通信録: 1967年 ヴェトナム反戦脱走兵と支援運動

ヴェトナム反戦脱走兵米兵匿う

交遊録: サポートユニオン with YOU 総会

「サポートユニオンwith YOU」 第五回総会。(5月10日、茨木市:ロ―ズWAM)

大内裕和さん講演:
家計(親他)の状態→当然バイト+奨学金という名のローン(正に貧困ビジネス)→バイト先は正社員並みの拘束時間と違法と責任過多の<ブラックバイト>→勉学に費やす時間が現実的に無い(職場の要請から講義への出席を削る)→ひたすら正規雇用を目指す就活→にも拘らず非正規社員→(正規雇用となったところで)奨学金の返済→若年勤労者に高負担→結婚の断念・・・
知性を求め社会を構想する余裕も時間も無い。「反知性主義」に取り込まれて行くのも無理はない。親を含め正規雇用を目指す就活は『今だけ、金だけ、自分だけ』の内向き排他の人生哲学を育んでしまふ・・・。大内さん
この貧困状況の構造的連鎖、「関西学生アルバイトユニオン」の学生の発言と大内裕和氏の講演は、出口なき現況と、兵士リクルートまで展望した財界と「取り戻す派」政権の深謀を明らかにしてゆく。しかしある可能性を示していた。
50年前の学生と違い、彼らは労働社会・消費/生活現実の渦中に在って、頭でっかちではない「構想」へと辿れる地についた「論」を準備しつつある。そこに可能性を視たい。もちろん、多くは、連勤(連続勤務)自慢や連徹(連続徹夜)自慢をしながら、現実に順応し「ブラック」を前提として受容れ、そこを回避することを揶揄したりもする。が、この倒錯した「受容れ」が虚構だと心底では知っているに違いない。サポートユニオンwithYOU に限らずユニオン運動が、困難な事態に在る学生と繋がる道理と必然が見える。
これから学生になって行く子女を持つ若い母親父親に、現実を伝えたい。写真は、深夜一人シフトの現状。片付けに手が回らず、休憩など想定外、トイレもままならぬ地獄勤務。夜が白むころ、この巨大下げ物を一人で処理するのだ。

深夜一人シフト

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