Archive for 4月, 2013

ウチナー  と ヤマトゥ の 4・28

昨日(4・27)の知花昌一講演会(クレオ大阪北)で、氏は「私もついに『沖縄独立論』に立たざるを得ません」と語っておられた。                                                                                                        容易く「独立」を語る安逸さを排し、耐えて禁句を封印し、「沖-日連邦論」的可能性に生きて来た知花さん。                                                                 その彼にして切らざるを得なかった舵・・・。再び、三たび、四たびの「沖縄植民地」認識に基づく発言・政策・現実・・・。【添付画像は「琉球新報」】                                                                                                              戦争末期、1945年6月下旬、昭和天皇は当月初め御前会議で決定された「徹底抗戦」方針の軌道修正に乗り出し、連合国との和平交渉へ踏み出すこととなった。その際「和平交渉の要綱」の「条件」の項で、『国土に就いては、止むを得ざれば固有本土を以て満足す』とあり、固有本土の解釈は「最下限沖縄、小笠原、樺太を捨て」と説明されている。つまり、沖縄は日本の「固有本土」ではなく、和平の条件として連合国側に捨てられるものと位置付けられていたのだ。                                                                                                                                                                                                                              敗戦後の1947年9月19日。
新憲法の施行から、わずか4か月余りのときに、“象徴”であるはずの天皇は、マッカーサーに「米軍による沖縄の半永久的な軍事占領を勧める」という秘密メッセージを送っている。 日本国憲法の効力及ばない地域にとって、分割米軍統治を決めたサンフランシスコ講和条約・1952年4月28日とは、何の日なのか?           

追悼・三國連太郎さん(享年90歳)

2013年04月14日午前9時18分、三國連太郎さんがご逝去されました。                                                       少し長いのですが、哀悼の意を込めて1999年の毎日の記事を全文転記させていただきました。

追悼・徴兵忌避の信念を貫いた三國連太郎さん:(毎日新聞:特集ワイド「この人と」1999年8月掲載)

 徴兵を忌避して逃げたものの、見つかって連れ戻され、中国戦線へ。しかし人は殺したくない。知恵を絞って前線から遠のき、一発も銃を撃つことなく帰ってきた兵士がいる。俳優・三國連太郎さんは、息苦しかったあの時代でも、ひょうひょうと己を貫いた。終戦記念日を前に、戦中戦後を振り返ってもらった。【山本紀子】

 ▼暴力や人の勇気が生理的に嫌いでした。子供のころ、けんかしてよく殴られたが、仕返ししようとは思わない。競争するのもいや。旧制中学で入っていた柔道部や水泳部でも、練習では強いのに、本番となると震えがきてしまう。全く試合にならない。それから選抜競技に出るのをやめました。

 −−どうやって徴兵忌避を?

 ▼徴兵検査を受けさせられ、甲種合格になってしまった。入隊通知がきて「どうしよう」と悩みました。中学校の時に、家出して朝鮮半島から中国大陸に渡って、駅弁売りなどをしながら生きていたことがある。「外地にいけばなんとかなる」と思って、九州の港に向かったのです。ところが途中で、実家に出した手紙があだとなって捕まってしまったのです。

 「心配しているかもしれませんが、自分は無事です」という文面です。岡山あたりで出したと思う。たぶん投かんスタンプから居場所がわかったのでしょう。佐賀県の唐津で特高らしき人に尾行され、つれ戻されてしまいました。

 −−家族が通報した、ということでしょうか。

 ▼母あての手紙でした。でも母を責める気にはなれません。徴兵忌避をした家は、ひどく白い目で見られる。村八分にされる。おそらく、逃げている当事者よりつらいはず。たとえいやでも、我が子を送り出さざるを得なかった。戦中の女はつらかったと思います。

 ◇牢に入れられるより、人を殺すのがいやだった

 −−兵役を逃れると「非国民」とされ、どんな罰があるかわからない。大変な決意でしたね。

 ▼徴兵を逃れ、牢獄(ろうごく)に入れられても、いつか出てこられるだろうと思っていました。それよりも、鉄砲を撃ってかかわりのない人を殺すのがいやでした。もともと楽観的ではあるけれど、(徴兵忌避を)平然とやってしまったのですね。人を殺せば自分も殺されるという恐怖感があった。

 −−いやいや入ったという軍隊生活はどうでした?

 ▼よく殴られました。突然、非常呼集がかかって、背の高い順から並ばされる。ところが僕は動作が遅くて、いつも遅れてしまう。殴られすぎてじきに快感になるくらい。演習に出ると、鉄砲をかついで行軍します。勇ましい歌を絶唱しながら駆け足したり、それはいやなものです。背が高いので大きな砲身をかつがされました。腰が痛くなってしまって。そこで仮病を装ったんです。

 −−どんなふうに?

 ▼毛布で体温計の水銀の部分をこすると、温度が上がるでしょう。38度ぐらいまでになる。当時、医者が足りなくて前線には獣医が勤務していました。だからだまされてしまう。療養の命令をもらって休んだ。また原隊復帰しなくてはいけない時に、偶然救われたのです。兵たん基地のあった漢口(今の湖北省武漢市)に、アルコール工場を経営している日本人社長がいた。軍に力をもっていたその社長さんが僕を「貸してほしい」と軍に頼んだのです。僕はかつて放浪生活をしていた時、特許局から出ている本を読んで、醸造のための化学式をなぜか暗記していました。軍から出向してその工場に住み込み、1年数カ月の間、手伝いをしていた。そうして終戦になり一発も銃を撃たずにすんだのです。

 −−毛布で体温計をこするとは、原始的な方法ですね。

 ▼もっとすごい人もいました。そのへんを走っているネズミのしっぽをつかまえてぶらぶらさせたかと思うと、食べてしまう。「気が狂っている」と病院に入れられましたが、今ではその人、社長さんですから。

 −−前線から逃げるため、死にもの狂いだったのですね。

 ▼出身中学からいまだに名簿が届きますが、僕に勉強を教えてくれた優しい生徒も戦死していて……。僕は助かった命を大切にしたいと思う。そう考えるのは非国民でしょうか。

 −−三國さんのお父様も、軍隊の経験があるそうですね。

 ▼はい。シベリアに志願して出征しました。うちは代々、棺おけ作りの職人をしていました。でも差別があってそこから抜け出ることができない。別の職業につくには、軍隊に志願しなくてはならない。子供ができて生活を安定させるため、やらざるを得なかったのでしょう。出征した印となる軍人記章を、おやじはなぜだか天井裏に置いていた。小さいころ僕はよく、こっそり取り出してながめていました。

 −−なぜ天井裏に置いていたのでしょう。

  ▼権力に抵抗する人でしたからね。いつだったか下田の家の近くの鉱山で、大規模なストがあって、労働運動のリーダーみたいな人を警察がひっこ抜いていったのです。おやじはつかまりそうな人を倉庫にかくまっていた。おふくろはその人たちのために小さなおむすびを作っていました。またいつだったか、気に入らないことがあったのでしょう、おやじは駐在所の電気を切ったりしていた。頑固で曲がったことの嫌いな人でした。

 −−シベリアから帰ってから、どんな職業に?

 ▼架線工事をする電気職人になりました。お弟子さんもできた。おやじは、太平洋戦争で弟子が出征する時、決して見送らなかった。普通は日の丸を振って、みんなでバンザイするんですが。ぼくの時も、ただ家の中でさよならしただけ。でも「必ず生きて帰ってこい」といっていました。

 −−反骨の方ですね。

 ▼自分になかった学歴を息子につけようと必死でした。僕がいい中学に合格した時はとても喜んでいた。ところが僕が授業をさぼり、家出して、金を作るため、たんすの着物を売り払ったりしたから、すっかり怒ってしまって。ペンチで頭を殴りつけられたり、火バシを太ももに刺されたりしました。今でも傷跡が残っています。15歳ぐらいで勘当され、それから一緒に暮らしたことはありません。

 −−終戦後はどんな生活を?

 ▼食料不足でよく米が盗まれ、復員兵が疑われました。台所まで警察官が入って捜しにくる。一方で、今まで鬼畜米英とみていたアメリカ人にチョコレートをねだっている。みんなころっと変わる。国家というのは虚構のもとに存在するんですね。君が代の君だって、もっと不特定多数の君なのではないか。それを無視して祖国愛を持て、といわれてもね。

 −−これからどんな映画を作りたいと思いますか。

 ▼日本の民族史みたいなものを作りたい。時代は戦中戦後。象徴的なのは沖縄だと思います。でも戦いそのものは描きたくない。その時代を生きた人間をとりまく環境のようなものを描こうと思う。アメリカの戦争映画も見ますが、あれは戦意高揚のためあるような気がします。反戦の旗を振っているようにみえて、勇気を奮い起こそうと呼びかけている。

 ◇国家とは不条理なものだ

 三國さんは名前を表記する時、必ず旧字の「國」を用いる。「国」は王様の「王」の字が使われているのがいやだ、という。「国というものの秘密が、そこにあるような気がして」

  「国家というのは、とても不条理なものだと思う」と三國さんはいう。確かにいつも、国にほんろうされてきた。代々続いた身分差別からすべてが始まっている。棺おけ作りの職業にとめおかれていた父親は、全く本意ではなかったろうが、シベリア出兵に志願して国のために戦った。そうして初めて、違う職業につくことを許された。この父との確執が、三國さんの人生を方向づけていく。

 学歴で苦労した父は、息子がいい学校に入ることを望んだ。しかし期待の長男・連太郎さんは地元の名門中学に合格したまではよかったが、すぐドロップアウトしていく。三國さんは「優秀な家庭の優秀な子供がいて、その中に交じっているのがいやだった。自信がなかった」という。

 時代も悪かった。中学には配属将校といわれる職業軍人がいた。ゲートルを巻いての登校を義務づけられ、軍事教練もあった。

 学校も家も息苦しい。だから家出した。中学2年のことだ。東京で、デパートの売り子と仲良くなって泊めてもらったこともある。中学は中退してしまう。父は激怒した。中国の放浪から帰ってきた時、勘当された。家の近くのほら穴で「物もらいと一緒に寝起きした」という。道ですれ違おうものなら、父は鬼のような形相で追いかけてきた。

 その後、三國さんが試みた徴兵忌避は、不条理な国に対する最大の抵抗だった。後ろめたさはない。圧倒的多数が軍国主義に巻き込まれていく中、染まらずにすんだのは、「殺したくない」という素朴な願いを持ち続けたためである。

 「国とは何なのか、死ぬまでに認識したい。今はまだわからないが、いつもそれを頭に置いて芝居を作っている」と三國さんは話している。

 

沖縄タイムス社説  主権回復の日? 

社説[政府式典と天皇]政治利用の疑いが強い

4月15日(月)9時27分配信

 サンフランシスコ講和条約が発効した4月28日に、政府主催で開かれる「主権回復・国際社会復帰を記念する式典」には、根本的な疑問がつきまとう。
 はっきり言ってこの式典は政府主催の行事にはなじまない。安倍政権は自らの勇み足を認め、政府式典を取りやめたほうがいい。そもそも天皇・皇后両陛下は、式典出席を望んでいるのだろうか。あえて推測すれば、とてもそのようには思えない。
 昭和天皇は戦後、全国各地を巡幸し、戦後巡幸が一段落した後も、国体や全国植樹祭などの行事に出席するため各県を訪問した。だが、激しい地上戦の舞台となり米軍政下に置かれた沖縄には、戦後、一度も足を運んでいない。
 1975年初訪米の際、「米国より先に沖縄にいくことはできないか」との意向を周辺に漏らしたといわれるが、沖縄に反対論が根強く、実現しなかった。
 87年に開かれた第42回国民体育大会(海邦国体)への出席も、病気のため急きょ取りやめになった。戦争責任の問題も、米国による沖縄の長期占領を進言した「天皇メッセージ」の問題も、ついに本人の口から語られることはなかった。昭和天皇の晩年の歌が残っている。
 「思はざる病となりぬ 沖縄をたづねて果たさむ つとめありしを」
 現在の天皇の沖縄訪問は、皇太子時代を含めると、すでに9回。昭和天皇が果たせなかった「つとめ」を自分なりに意識して果たそうとしているようにも見える。
    ■    ■
 昨年12月、79歳の誕生日に際して記者会見し、沖縄についてこう語っている。
 「沖縄はいろいろな問題で苦労が多いことと察しています。その苦労があるだけに、日本全体の人が皆で沖縄の人々の苦労している面を考えていくことが大事ではないかと思っています」
 この言葉を、足し算も引き算もせず、字義通り解釈したい。記者会見では「沖縄の人々の被った災難というものは、日本人全員で分かち合うということが大切」だとも語ったという。
 「4・28」式典への出席は、政治利用の疑いが濃厚だ。
 安倍政権から式典出席を要請され、「国民統合の象徴」である天皇は、あっちたてればこっちたたず、の状況に追い込まれている。
 今回の式典開催は、自分の歴史認識を強硬に押し通そうとする安倍晋三首相の「イデオロギー過多政治」の典型である。
    ■    ■
 自民党は以前、4・28を「主権回復記念日」にするための国民の祝日法改正案を国会に提出したことがある。今回の政府主催の式典は、その流れの延長にある。
 だが、沖縄にとって4・28は真逆の日だ。立法院は62年2月、「施政権返還に関する要請決議」を全会一致で採択した。国連の「植民地解放宣言」を引用しながら、沖縄分離を「正義と平和の精神にもとり」「国連憲章に反する」と厳しく批判している。

【照屋寛徳ブログ】                                                             4月28日は「屈辱の日」、沖縄問題の原点の日 -1952.4.28-http://terukan.blog44.fc2.com/blog-entry-173.html                                                                                                  

今日のニュースから:  「戦後」「安保」「司法」を問う

砂川闘争

【 『毎日新聞』 昭和のニュース 1963年12月26日より】 砂川事件 
1957年7月、東京都砂川町(現立川市)の米軍立川基地に、基地拡張に反対するデモ隊の一部が立ち入り、7人が日米安全保障条約の刑事特別法違反で起訴された。東京地裁は安保条約に基づく米軍駐留が憲法9条に反するとして59年3月に全員を無罪としたが、検察側は高裁を飛ばして最高裁に上告(跳躍上告)。最高裁大法廷は同年12月に1審を破棄した。差し戻し審で7人の罰金刑が確定した。                                               【塾頭談】                                                                                                                        阻止線に阻まれたデモ隊の地元農民や青年会の若者の中から、期せずして沸き起こり唄われた歌が、                                                                                                         「赤とんぼ」だったというのは有名な話で今も語り継がれているぜ。 う~ん、天から降って来た未消化な外来歌よりうんとええと想ふ。                                                                                                                              

 

今日のニュースから

砂川事件、最高裁長官が「少数意見回避願う」

「読売新聞」 2013年4月8日(月)7時19分配信

 米軍旧立川基地にデモ隊らが侵入した「砂川事件」で、上告を受けた最高裁の長官が1959年、在日米大使館の首席公使に、公判日程の見通しや評議についての考え方を語っていたことを示す資料が、米国で発見された。

 これまでにも裁判をめぐって密談が存在したことを示す資料は見つかっていたが、研究者は「公判前に裁判長が自ら、利害関係のある外国政府に対して情報を提供していた証拠となる」としている。

 事件を巡っては、1審が「米軍駐留は憲法9条違反」として無罪判決を出した後、地検側が最高裁に異例の跳躍上告をしていた。

 新たに発見されたのは、当時の田中耕太郎・最高裁長官とウィリアム・レンハート・在日米大使館首席公使との密談内容を、ダグラス・マッカーサー2世・駐日米大使が米国務長官に報告した文書。最高裁の公判日程が決まる3日前の59年7月31日付で、密談の場所は「共通の友人宅」と記されている。

 文書で大使側は「同僚裁判官たちの多くが、それぞれの見解を長々と弁じたがる」ことが問題になると指摘し、これに対し田中長官が会談で「結審後の評議は、全員一致を生み出し、世論を揺さぶるもとになる少数意見を回避するようなやり方で運ばれることを願っている」と発言し、判決は12月になるとの見通しも語った、と記している。

 文書は「最高裁が政府側に立った判決を出すなら、新安保条約を支持する世論の空気は決定的に支持され、社会主義者たちは投げ飛ばされることになる」と結ばれている。

 

 

 

つぶやき: 経済界の悲願 解雇自由化を目指す新自由主義者たち

「解雇自由化ではなく、雇用支援策なのです。」って、ん?

裁判が無効とした解雇も金銭を払えば有効とする、?。 超法規、政治による法の破壊だ。                                                   世に蔓延する不当・無法な解雇に見る通り、すでに実質上、フリー・ハンドを手にしている経営者に                                                より一層解雇を容易くさせ、国家が「解雇自由」を保証する独裁制度だ。

では、働く者は何によって守られるのか?ましてや係争に及ぶ術を持たない、職場に抵抗組織・抵抗勢力の無い多くの勤労者は、「法」という最後の防衛線さえ剥奪されることになるというのか。                                                                                             「解雇を金銭で解決する考えはない」と3月下旬に衆院予算委で明言していた安部首相が答弁を修正。「裁判で解雇無効となった場合に、事後的に金銭を支払って労働契約を解消する制度は含めていない」と述べ、                                                                 否定(修正)したのは(金銭を払えば解雇できるという)「事前型」の金銭解決だったと説明し、4月1日の衆院予算委では、田村厚労相が「裁判で解雇無効となった労働者との契約を、金銭で解消するのは解雇ではない」と詭弁を説いた。                                                                                            解雇を巡る労使間のトラブルに事後的に金銭で解決する制度の導入を検討する意思を表明している。                                                                                              財界からの「成熟産業から成長産業への失業なき労働力移動を図る」という転倒した言い分は、得意の詐術だ。これまでも、「思いやり」や「自立支援」などの造語でことの本質を覆い隠す「屁理屈」を繰り返してきた常套法だ。

各界の言い分は、下記のごとく恥知らずだ。                                                                                                                                   『労働移動型の解雇ルールへのシフトは大変重要。金銭解決を含む手続きの明確化が必須だ』(産業競争力会議・竹中平蔵)                                                                                                   『雇用支援策を、雇用維持型から労働移動支援型へ大きくシフトさせたい』(同会議で安部首相)『再就職支援金である』(同・民間議員)                                                                                              『現在は解雇を金銭解決するルールがないので、裁判を起こせる大企業の正社員は多額の和解金(番組内でインタビューを受けてい経験者の例では2年分の年収)を得ているのに対し、中小企業の正社員は解雇予告手当の給与1ヶ月分しか得られない不公平がある』(みのもんた「朝ズバ」のゲスト論者)                                                                            誰が解雇という強制の下の再就職を願うか?!

何を転倒した言辞を吐いているのか!                                                                                                                                                                               そもそも、労組があろうが大企業であろうが、裁判に及ぶこと自体、どれほどの負担(精神的・時間的・経済的・人間関係的)の下の労苦によって成り立ち得るのか知っておるのか!? そして現行法制下で勝訴に至るは、どれほど「蚤の涙」サイズ巾ほどの隘路であるかを知っておろうが!?                                                                                                                                          彼らは、公務員バッシングに際し、「官民格差是正」という世論が、民間(の労働条件・賃金・福利厚生・他)をアップせよとはならず、「官」の水準を「ダウン」せよの大合唱に向かわせるに成功した。                                                                     ここでも「大企業正社員だけでなく、中小零細企業の社員も、有期雇用など各種非正規雇用の労働者も、労働組合に無縁の人も、不当解雇を問う裁判に訴え易い制度が必要だ」などとは言わず、「不公平だから裁判を上回る決定力の下に平等にしよう」と転倒論をブチ上げている。

ますます、職場に労働組合が必要な「現在(いま)」だ。

 

たそがれ料理教室: コープ自然派:豚バラ肉ブロック・チキンコンソメを使ったアジア丼

旧東海道品川宿『たそがれ自由塾』特製  アジア丼レシピ

外で美味いものを食えば「うん、これは美味い!これの材料は何々で、調味料はどれどれで、調理手順はここうで、隠し味はきっとこれで…」と、                                                                                                                                 どうやって作ったのかを、店や人に訊くことなく己の直感と経験と知識(主観的で思い込みの)だけを動員して作り、何度かの失敗を経て似たものに辿り着く。                                                                                                                            これが、塾頭康麿の癖であり、「たそがれ調理人」(?)の矜持(?)である。                                                                            これまで、「塾頭チャンコ」(蒲田のチャンコ屋***亭の味)「ベンガル:ホウレン草カレー」(本場バングラデシュ直伝)「特製お好み焼き」(つなぎにマル秘の工夫)などヒット(?)を飛ばして来た。                                                                                                                           7~8年前、さる無国籍料理店で、「特製美味いウマイ丼」なるメニューに遭遇。あれこれ知恵を絞りその再現に挑んだ。これが、なかなか辿り着かない。数回目に、食った人全員が「これは美味い!」と絶賛してくれる仕上がりとなった。見本にした丼とは違うものになったが、確かに美味いので、ここでストップ。「自由塾アジア丼」と名付けて自由塾オリジナル・メニューの四品目に加えた。 ここで、レシピを公開します。

-4人分-

【材料】                                                                                                                                  ① 具用:                                                                                                                                       キノコ=しいたけ、シメジ、マッシュルーム・エリンギなどから二種                                                                             乾物=ドライトマト3片程度                                                                                                                                                                                  野菜=ピーマン・ニンジン、ネギ、(キュウリなど冷蔵庫の余り野菜OK)                                                                                                           生のも=タコ・豚バラの塊(コープ自然派:大浦さんの豚バラ肉ブロック200g程)                                                                                                                                                                                                                           貝柱(今回初めて使った。ゆえに無くてもよい)                                                                                                           ② トッピング用:                                                                                                                   じゃがいも・レタス・水菜・ミニトマト10個程度・玉子3個

【下ごしらえ】                                                                                                       ①  ツユ                                                                                                                           300CCの和風だしを作る。これに無添加チキンスープ(例:コープ自然派チキン・コンソメ粉末一袋)を加える。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                 醤油大匙3、薄口醤油大匙2、みりん大匙3、塩小匙1、砂糖大匙1/2、酒(ワインでも可)大匙3、鷹の爪大3を入れ、弱火で200CCに煮詰める。                                                                                                                             火を止める際、貝柱を放り込む。                                                                                                    ② 材料の切り方                                                                                                           どのように切ってもOKだが、ドライ・トマトは小刻みに、タコは2~3㎝に切る。豚バラは3~4㎝角、7~8㎜厚が望ましい。                                                                                                                                他の素材は野菜炒め程度に切る。                                                                                                                                                                        トッピング材は、ジャガイモは5ミリ厚にスライス、ミニトマトは1/2に、レタス・水菜は口に運び易いように。

【作り方】                                                                                                                                  ① トッピング                                                                                                                          スライスしたジャガイモを、塩・コショーして薄っすら焦げ色までソテーする。やや硬めで降ろす。余熱で食べ頃になる。                                                                                                                                      玉子はスクランブル・エッグのスクランブル手前状態のものを作る(Photo参照)                                                                         ②具                                                                                                                                                                                  A 塩コショーした豚バラを両面焦げるまでソテーして、別の皿に取っておく。                                                                        B 続けて同じところで、タコを少々炒め、ツユ(貝柱ともども)を流し込み、1分。                                                                                    C キノコ・乾物・野菜を炒める。                                                                                                                                          D ここCに、取っておいた豚バラAを加え、ツユB(タコ・貝柱入り=大きすぎたら切る)を加え、1分。

 

【盛り付け】                                                                                                                                       丼椀のご飯の上に、具を乗せ(ツユは好みで増やせるよう、多少残しておく)、                                                                                                                                                  レタス・水菜・ミニトマト・ジャガイモ・玉子をトッピングしてOK。ツユだく希望には追加を…。

 

味わいの臍

貝柱の風味、豚バラの焦げ目、ジャガイモの口の中ニュートラル効果、                                                 生野菜のシャキシャキ感、そして、何よりタコの歯触り・香り、ドライ・トマトの隠し風味。

 

                                                                                                                         

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