Archive for 1月, 2016

つぶやき: もうひとつの 『あなたの行く朝』

「あなたの行く朝」

 

いつの間にか 夜が明ける 遠くの空に

窓を開けて朝の息吹を この胸に抱きしめる

あなたの行く朝の この風の冷たさ

私は忘れない いつまでも

もしもあなたが 見知らぬ国で 生きていくなら

その街の 風のにおいを 私に伝えておくれ

あなたのまなざしの 張りつめた想いを

私は忘れない いつまでも

(語り)

『海の色がかわり 肌の色が変わっても

生きていく人の姿に変わりはないと

あなたは言ったけれど

あの晩 好きな歌を次から次へと歌いながら

あなたが泣いていたのを 私は知っている

生まれた街を愛し、育った家を愛し

ちっぽけな酒場やほこりにまみれた部屋を

愛し 兄弟たちを愛したあなたを

私は知っている』

 

いつかあなたが 見知らぬ国を 愛しはじめて

この街の 風のにおいを 忘れていく日が来ても

あなたの行く朝の 別れのあたたかさ

私は忘れない いつまでも

 

登紀子さん自身が『歌い綴る自分史』(http://www.tokiko.com/jibunsi/jibunsi24.htm)で語っているように、後の夫:藤本敏夫氏がいよいよ収監される日が迫った1972年4月21日、「日比谷公園のパーラーで友人たちが集まり、ビールでにぎやかに乾杯。大勢の人の中ではいつだってそうだったように、私の方には一切の関心を見せない彼の姿を、勝手に自分の心の中で見送り、私は一人そこから飛行場にむかった。」

「ずっと後になって作詞作曲したのだけれど、『あなたの行く朝』はこの時の別れの心の中の風景だ。」そうだ。

それが事実だろう、ご本人が語っているのだから…。

だがぼくには、どこかで聞いたこの歌を巡る物語があって、誤情報だと言われてもそのほうが心に刻まれて来た。あなたの行く朝

この歌詞は、1971年2月遥か中東へ発つ親友女性Sさんに贈る、

翌1972年1月極寒の山岳地帯で命を終えることになる女性Tさんからの惜別の歌だと聞いていた。

「あなたのまなざしの 張りつめた想いを 私は忘れない いつまでも」という正に「張りつめた」歌詞が、

聞いて来た誤情報と結びつき像を成し、永くぼくにとって救いでもあった。

Sさんの親友Tさん、この歌詞…。ぼくはそれを、無惨な死の向こうに消え入るように儚く揺れる一条の弱光として無理設定し、見つめて来た。

彼女の瑞々しくも気高い精神性の証として・・・、原初の精神綱領として・・・。

 

 

アジール 空堀: 2016年1月 中島直樹・今野和代

1月21日(木)19:00~ 「アジール 空堀」第5回イヴェント
『アジール・デュオ 響きと言葉』(於:ビストロ「ギャロ」、参加18名)

この夜、パリの裏路地ではなく空堀脇小道のビストロに、
管野スガや伊藤野枝の声を確かに聴いた。
コントラバス(中島直樹)は、いぶされた音色を響かせ、
彼女たちの声(リーディング:今野和代)に声援と憂慮と傾慕を送る。
目で追うのではなく、耳と胸と脳天から入って来る詩の言葉は、言葉表現の云わば一回性の哀切と
母性の究極のエロスと叫びを突き付けて来る。
いや~、実に初めての体験だった。

アンコール:コントラバス・中島直樹、フルート・山沢輝人アジール・デュオ

通信録: ゴミ屋敷回避作戦 Ⅱ

1月10日午後3時、年末からどこにも遊びに行けず取組んだ悪戦(?)を、ようやく一応片付けた。いや~、クタクタや。多くのゴミに囲まれ暮らして来たことだけが明らかになったが、この年末~正月の持久戦(?)で、意外な「行方不明」物にも遇ったのだ。

ご褒美は、18:00からの茨木駅前「ゆんたく」さんの新年ライブ。苦節15年の店を体力などの事情で閉められる。ワシも、自身の経験や身内が飲食を営むので、その労苦を知らないわけではない。ホントによくやったと思う。ご苦労様でした。

年末に見つけた画像左下ビラの集会(1989)に隣街から来て語ってくれた若い女性教師が、後年(2000)オープンしたのがこの店で、彼女はここのオーナー・ママという訳だ。奮戦には頭が下がる。彼女が上記ビラの集会=連続講座の第一回目『ゆんたんざ沖縄・上映会』で上映前に語ってくれた場面を鮮やかに思い出す(意志を持って設定した開催日は、2月11日だった)。15年間、お店にはそのハートが絶えることは無かった。ネコ屋敷回避作戦2

*画像右は、確か1971年入手の、浦山桐郎シナリオ集(シナリオ研究所刊)。
何故かうちにも在る、池田浩士氏ご結婚の際の冊子『渚なみ』(1966年4月刊、中也の詩の言葉からの命名だそうです)。
下、某市「めだかの学校」チラシ(1989)。千夏さんが来てくれた。めだかの学校 ブログ用

通信録: ゴミ屋敷回避作戦

ネコ屋敷回避作戦年末から、6年ぶり(つまり2009年末にこの借家に転居して以来)に自称「書斎」の片付けが始まっている。年末・年始はアレコレ野暮用があり、子や孫に振り回され「年内はとうてい無理やなぁ、1月7日を期限とするか」とし、この月曜(4日)から追い込まれている。
ワシも同居人も、自ら設定した期限を再延長する訳にも行かず、今日はフル稼働。
元「書斎」:現「ゴミ置場(?)」のあまりの「捨てるべき物」の多さに、「まぁ、先は見えて来たな」と自己に甘い呟きを何度も繰り返しては、「ワシが東京滞在が多い間にこんなことにされた」「大阪滞在時は連日悪友と呑み歩いて深夜帰宅、片付けは放ったらかし」と応酬し合うのを辛うじて避けている。
笑ってしまうのは、同居人がハンディ・モップで埃を拭おうとしている棚板の上で皮肉な自己主張をしているのは、数年前発行の『すっきり片づく収納ワザ』なるハウツー本。
本人がそれに気付いてないのがご立派。
部屋の片面には、もう嵩張って困りものの「古い(それでもお宝の)ビデオ作品」、そのガラス戸から気合を入れてくれる南米のあのお方、サダ画伯渾身の「兼好法師:徒然草・第百五十段」、そして反対側では箪笥上の小引出のてっぺんから、6年前の引越にも付き合った猫が呆れ顔でアホダラ夫婦を見下ろしている。当時4歳・現在10歳だ、彼女とて若くはないのだ。
明日終わるだろうか? ん、終わるやろ。ン十年ぶりに映画の額に再会!大片付けで発見

通信録: 2016年 元旦

大晦日は、ここ数年のお約束任務=空堀の某ビストロの「フレンチおせち」の一部北大阪方面だけ十数人様宅への配達(その他の地域の方へは、申し訳ありませんが基本 店お渡し)。
夜、名古屋千種区でフランス菓子店を営む娘夫婦宅へ。
店多忙に加え、保育所休みのため、四年前から年末~年始の間ヘルプに行っている女房の、そのヘルプ(?)。某ビストロの「フレンチおせち」を持参。

配達先からは、朝から数件のメール。ことしの「フレンチおせち」は、好評だったようで、一安心。ホッとしている。おせちフレンチ

画像は、その「フレンチおせち」と、
名古屋千種区のケーキの店。元旦オープン前。

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