Archive for the ‘ぼやき つぶやき 駄エッセイ  ’ Category

駄エッセイ:手強いぞ! 天皇リベラリズム

安倍+安倍背後勢力は難敵だが、
英国型皇室を目指すらしい皇室。今年もまた「春の園遊会」。そこに嬉々と馳せる有名人、その全体像を好情を持って観ているワシら(?)。
多くの「民」は、冬季オリンピックの勇者に特段の嫌忌の想いは無い。

古代からの神話伝承史実の剽窃/改竄・天皇家の歴史・明治~昭和の天皇制絶対体制/皇国史観と軍国/戦争と天皇の役割 等を不問に付し、万世一系だとして維持される現行天皇制が、ワシら「民」の主権者性と矛盾することなく併存する理路の在りや無しや?
ある意味で、安倍+安倍背後勢力とは別のそれ以上に強固にして根本的な課題だ。

鈴木氏が言う「国体としての天皇リベラリズム」に拮抗し得る、全「民」的論議も構想もワシらは持てていない。
憲法擁護の心情的シンボルとして天皇を担ぐ体たらくだし・・・。

ぼやき:玄関の冷凍庫

2018年1月23日

あるご家庭の玄関入ってすぐの廊下には、業務用冷凍庫がデーンと座って居られる。
この冷凍庫は常時満杯で、底の方に「昭和」の日付の商品が眠っているのではないか?と思われるほどだが、まだ下層部を拝見したことは無い。大阪常住となってかなりになるので、一度疑問に思う点を問うてみた。
「アホぬかせ! 動いてないように見えて海流のように常時入れ替わっておるぞ。欲しいもん言うてみい。何でもあるぞ。非常時用食材庫も兼ねとるんじゃ!」と返って来た。海流?ワシはその深海を訊いとるんじゃが・・・。
まぁ、事実、麺類・パン・冷凍保存可能な肉・魚・野菜・加工食品など豊富で、実は確かに、数日放置されても困ることはなく重宝しとる。突然の友人来訪にも対応できる。
深海を探りたいが、腰・脚の具合であいにく深海探索はまだ出来ていないが、きっと昭和の日付を発見することになると思う(笑)。
ワシの記憶では、子はみな成人し独立 孫もおられる。現在老夫婦二人+猫二匹暮らしだが、こんなデカイ冷凍庫が要るんだろうか? いや、直接はとても言えない。
ゴミ屋敷(小屋)予備軍間違いなし!

 

つぶやき:女房の母親。

体調の関係で、ここ半年前後、家に居ること多いワシに与えられた任務は、四人の子どもたちやワシらの写真の整理だ。永年の未整理の写真は無秩序にでっかいダンボール箱に投げ入れられており、まず ①誰のものか②いつの時代のものかで、大枠で小箱に仕訳して、やがて箱ごとに詳細分類することにはなっているが、そこからは各自にやってもらおう。
厖大な枚数が詰まっている「ゴミ写真箱」は、第一段階の大枠での仕訳というのが終わっていない。近所に住む息子からは「写真整理が終われば命が終わるんとちゃうか?」と嗤われている。
その整理の最中、興味ある写真に遭遇した。
1994年、73歳で肺がんで他界した妻の母の若かりし日の写真だ。
満州に居た、歌劇団に居た、命からがら引き上げて来た・・・などと、妻から断片的に聞かされては来たが、この数枚の写真に「釘付け」となった。
「バアさん、オモロイ話がいっぱいあるだろうに、聞かせて欲しかったなぁ~」と義母の生涯を想った。

1920年大阪に生まれ育った妻の母は、某歌劇団に居たらしい。
1930年代末(だと思う)に劇団の一員として満州に渡ったと聞いた。
真偽のほどは分からないが、満鉄かその関連企業に勤めていた妻の父が熱を上げ求愛した(ことになっている)らしい。能天気な娘(妻)は、母親がこんなに早く逝くとは思っていなかったからだろうか、母親の生涯をほとんど知らないのだ。この写真を見ただけでオモロイのに・・・、もったいない! 意外にも妻の兄(米子市在住)がよく聞いているかも・・・。
1944年に男児を得(病死)、1945年に第二子(妻の兄)を得、幼い子を抱え夫(妻の父)と共に帰国し夫の故郷島根県広瀬~鳥取県米子市に住んだ。1949年女児(妻)を得た。
多人数兄弟の末っ子にして商業高校卒亜エリートたる、青雲の志(?)を秘めた青年。やはり多人数姉妹だった駆け出しの歌劇団員……。それぞれの事情で独りで生きてゆくべく、満州へ向かった多くの昭和の青年男女大衆の典型でもあろう、妻の父母の自分史は昭和前半史の渦の中に埋もれている。
云わば、膨大な昭和難民・棄民の一人でもあった。

「濁流だ濁流だと叫び 流れゆく末は泥土か夜明けか知らぬ 」
(斉藤史 『魚歌』1930年昭和15年)

画像は、歌劇団時代の彼女だが、右上の写真など最近のワシの娘(44歳)が似てきたように思う。左下の写真は、ラインダンスの左端が彼女だろう。写真中央は、初孫(ワシの娘)を抱くバアさんです。1976年55歳だと思う。
おい、能天気娘、己が母の生涯くらい把握しとけよ(笑)!
芸人の魂が貴君に宿っているのなら、30年以上前の某争議(破産法下 職場バリケード占拠5年~占拠中に始めた労組自主経営20年)に中止要請めいた言を発しなかったのは、バアさん譲りの「河原乞食」魂かなと思うことにしておく。

 

つぶやき:ココ・キキ 康介古希こき下ろす。

先輩が「70歳を過ぎての誕生日は、生前葬のようなもので、[刻一刻減って行く残された時間]を刻む砂時計だ」と言う。
別の先輩が「人は、生まれた時から死までに [残されている時間] を生きているのだよ」「コウちゃん『私を離さないで』読んだ?」と解かったようなことを言う。

10数年前、ワシが勝手に「師」とお呼びしている熊沢誠先生が、大学退官を控え年賀状に加藤楸邨の句を添えられました。
「チンドン屋 枯野といへど 足をどる」
数年後ドキュメント大著を著わされ、その後も各領域で御活躍され今なお発信や行動を続けておられます。あの句は並々ならぬ決意だったのだと思い至るのです。
孫の成長だけが希望という周りの爺を嗤えません。それに近い心境へと誘惑されては、孫に「失望」と「絶望」を遺して何が「希望」だ!?と、我に還る日々でありたい。
ワシは70歳の誕生日に、「軍国保守二大政党制」or「自公希大連立」かという作られた擬制選択を見せつけられ苛立ちながら、気の利いた「希望」のセリフ一つ吐けませんが、くたばりたくはありません。

みなさま、文句垂れ爺にメッセージありがとうございました。

 

駄エッセイ:三浦瑠麗のインチキ学を糾す。

三浦瑠麗、かねてからこ奴は質(タチ)が悪いと観て来た。
「口利きは日本政治につきもの」で、「トヨタなら問題にされなかった」として、ではその実態への視点は? 学者(?だとして)の矜持もない。
一度キッチリ化けの革を剥してやらねば、と思って来たがこ奴の「権力性」「上昇志向」は撃っておかねば。歴史についても修正派だ。徴兵制さえ主張している。アメリカ逆輸入の「ニューリベラル」だそうで、その言論界的要請は「リベラル 論破・撃破」なんだろう。
藤原帰一の弟子という触れ込みで、アメリカ人脈が豊富(?)だそうだ。
藤原(安倍に呼ばれ官邸に行ったそうだ)の正体も明らかだが、三浦の「教えてあげるね」口調には、性格を超えて身に沁み付いている「思想」が見事に現れている。

三浦君、誰も全否定などしていない。全肯定するなと申し上げている。
どんな社会にも、ささやかな歓びも安らぎも癒しもあったのです。それは自明でしょう。
その歓び・安らぎ・癒しの向こうにどれほどの悲惨と理不尽と暴虐が在ったかを明らかにした上で、希望や未来を語るのが「学者」でしょうが!!!

1980年生まれの貴君が、戦前を直接見聞きしていないのは仕方がないことだが、「人権を極端に抑圧した総動員体制だったのは、1943~45年のせいぜい二年間ほどでした」って、自称:国際政治学者(?)の言葉か?
明治以降の150年を勉強してくれ。貴君が言う「豊かな国家」とは、政権に、そして政権の施策に抗う者どもを除けば」「国策協力ではない組織を除き」、という前提を付けてのことでしょう。
「共謀罪」法への見解も、戦前の「共産主義やアナキズムの脅威」がない「現代」は「民主主義は成熟し」「人権を守る強い制度も定着し」ているので、「あの時代のような拷問や弾圧が容認されるはずがないでしょう」と読者に説教を垂れている。

明治~昭和の、貴君が言う「二年間」以外の時期の「人権抑圧」「拷問や弾圧」「冤罪やデッチ上げ案件」「解散させられた団体」「妨害され発言機会を奪われた言論や表現や出版」の厖大な事例を、貴君に10日間差し上げるから、調べて列挙されたい。いや、しなさい!
要するに、貴君が言っているのはヒトラー独裁のドイツも、スターリン治政下のソ連も「それを是とし、抗わない限り」、「豊かで明るい平和な」社会だったという、まるで独裁当事者の弁明にような言い分だ。

貴君が挙げた内容種類に該当しない「脅威」(呼び名は言いかえるので)には「共謀罪」法は必要で、「脅威」かどうかはもっぱら政権たちが決めるという、「共謀罪」法の「脅威」については全く語られていない。
何故か? 貴君が決して「政権の施策」に異を唱えることなどない、いわば現政権及び類似の政権の番人だからだ。画像に含まれている可能性があるもの:1人、テキスト

駄エッセイ:あなたは何人?

【ツヤーマン・ショートヘア】

我が家に(7/25)来て一か月を過ぎたオテンバ姉妹(キキとココ)は、毎日「睡眠―運動会―食事―睡眠―運動会」のサイクルで、元気に暮らしている。身体も一まわり大きくなり整理の悪い我が家の箪笥の上・食器棚の上・書棚の上・パソコン周辺などへの冒険は跡仕舞が大変の有り様。ワシらの上半身にいきなり飛び付くので、爪痕の軽いマナ傷が絶えない。
訪問者が姉妹を観て「これは、アメリカン・ショートヘアだ。ほら、首筋の濃くて太い鮮明な柄を視ろよ。単なる雑種ではない。」と力説。当方、何によらず銘柄嫌い、雑種の価値と矜持を秘かに信奉しているので、「レッキ(?)としたノラ出自、猫種=ブリードには興味ないねん。」と返した。
で、考えた。津山生まれだから「ツヤーマン・ショートヘア」かな?

津山から貰ったノラ出自の雑種子猫 [キキとココ] 。彼女らを「ツヤーマン・ショートヘア」と呼ぶことにしたいきさつを昨日書いたが、似ていると言われた「アメリカン・ショートヘア」って、どんなんやろう?と想い、画像を検索した。確かに、やや似ている。
10世紀ローマ人がヨーロピアンショートヘアをイギリスに持ち込みブリティッシュショートヘアへ名称変更、1620年メイフラワー号によりアメリカ上陸。1966年にアメリカン・ショートヘアとなった。とその歴史も知った。

先日TVでこんな海外YouTube案内を観た。
まずイギリス人十数人に「あなたのDNAは何%がイギリス人で、何%が別の何処のDNAだと思いますか?」と問い、排除したい国家や民族、その理由も訊く。「ドイツは大嫌いだから」「祖先にモスリムが居るハズが無い」「フランスとはずっと争って来た」「スエーデンは昔えげつない覇権国家だったんだよ」「インドは遠過ぎる」・・・様々だ。
真摯に向き合うとの誓約の下、やがてDNA検査の結果が出る。皆、神妙だ。
結果は、ドイツ嫌いが「あなた、30%ドイツ人」、「あなたはむしろ本来フランス人」「アラブのDNAが数%含まれている」・・・。感激する人、泣き崩れる人、落胆する人、笑い飛ばす人。
そう言えば、事故で検死対象となったダイアナ妃のDNAはインド人要素が高い%で検出されたと聞く。
司会者の最後の質問に全員が同じ返事をした。「それぞれの分析結果に表れた全部の地域に行ってみたいですか?」全員が大きな声でハ~イ!

津山から貰ったノラ出自の雑種子猫 [キキとココ] 。彼女らを「ツヤーマン・ショートヘア」と呼ぶことにしたいきさつを昨日書いたが、似ていると言われた「アメリカン・ショートヘア」って、どんなんやろう?と想い、画像を検索した。確かに、やや似ている。
10世紀ローマ人がヨーロピアンショートヘアをイギリスに持ち込みブリティッシュショートヘアへ名称変更、1620年メイフラワー号によりアメリカ上陸。1966年にアメリカン・ショートヘアとなった。とその歴史も知った。

先日TVでこんな海外YouTube案内を観た。

まずイギリス人十数人に「あなたのDNAは何%がイギリス人で、何%が別の何処のDNAだと思いますか?」と問い、排除したい国家や民族、その理由も訊く。「ドイツは大嫌いだから」「祖先にモスリムが居るハズが無い」「フランスとはずっと争って来た」「スエーデンは昔えげつない覇権国家だったんだよ」「インドは遠過ぎる」・・・様々だ。
真摯に向き合うとの誓約の下、やがてDNA検査の結果が出る。皆、神妙だ。
結果は、ドイツ嫌いが「あなた、30%ドイツ人」、「あなたはむしろ本来フランス人」「アラブのDNAが数%含まれている」・・・。感激する人、泣き崩れる人、落胆する人、笑い飛ばす人。
そう言えば、事故で検死対象となったダイアナ妃のDNAはインド人要素が高い%で検出されたと聞く。
司会者の最後の質問に全員が同じ返事をした。「それぞれの分析結果に表れた全部の地域に行ってみたいですか?」全員が大きな声でハ~イ!

ワシら、この列島に住む者は、南の大海原の島々から・大陸から・半島から・北の大地から、川から山から、森林からジャングルから、大草原から湿地から、やって来た者たちの末裔だ.

つぶやき【富士山 他の富士を知らず】

【富士山 他の富士を知らず】

日本的、日本の伝統、美しい日本・・・????
歴史性・世界性に晒された言い分か?
例えば富士山!
日本の象徴と言われる富士山。
世界には富士山のソックリさんがいっぱい在る。
富士山はそれらを知らない。

【Fuji does not know other Mt. Fuji】
Japanese, traditional Japanese, beautiful Japan …? Is it? Is it? Is it?
Is it a case exposed to historical and global characteristics?
For example, Mount Fuji!.Fuji called the symbol of Japan.
There are many mountains resembling Mt. Fuji in the world.
Fuji does not know them.

①ポポカテペトル山(メキシコ)
②マヨン山(フィリピン)
③ミスティ山(ペルー)
④オソルノ山(チリ)
⑤コトパクシ山(エクアドル)
⑥小アララト山(トルコ)
⑦イリンスキー山(カムチャツカ)
⑧アグア山(グァテマラ)
⑨タラナキ山(ニュージーランド)
⑩ナルアホエ山(ニュージーランド)
⑪ダマバンド山(ペルシャ富士 イラン)
⑫開聞岳(鹿児島県)
⑬大山(鳥取県)
⑭羊蹄山(北海道)
⑮都心から見る 富士山

駄エッセイ: 『母と娘-高橋真梨子さんの壮絶母子』

【母と娘】
同居人が、金曜日夜、しばしば中居正弘がMCをするTBS「金スマ」を観ている。出演しているコメンテーター:大竹しのぶ・室井佑月の濃いファンだからだ。

6日、激痩せの高橋真梨子さんが出ていた。再現ドラマで、ワシが知らなかった彼女と母の壮絶な人生が映し出された。
ヒロシマ・18歳と16歳で結婚した両親・大好きだったジャズマンの父・原爆が原因かもしれない父の足傷から壊死~両脚切断・両親の別居・母の水商売~男性関係~離れはしないDV男・何度も目撃した男の暴力・両親の離婚・父の死・母との確執・どうしても母を赦せなかった日々・・・。
高橋真梨子さんの歌に在る、ある「憂い」の背景を知った。あの抜群の歌唱力で、恋を唄い、愛を唄い、別離を唄い、生きていく女の希望を力強く唄っても、彼女の歌唱と表情には拭えない「陰」が宿っていた。
母が最晩年に好きだった、真梨子さん作詞の『フレンズ』、その唄い出し
「煌めいていた そして戸惑う青春だった」は書き直されたものだそうだが、書き替えられる前の原歌詞は
「修羅のごとく生きた 青春の抜け殻」だそうで、母はその原歌詞が好きだったのだ。
余命宣告を受けた母を、東京に呼び寄せ同居するが、数か月後母は涯てる。
いま、「あぁ、あの歌詞こそは母の青春だったのだ」と想うのだ。

 

ふと、2015年95歳で他界した我が母の晩年の歌を思い出す。
「みれん断ち実母に返すが此の稚児の 幸せならんと諦めし乳母」
「乳母里より付き人のごと添いて来し 田舎人形夜ごと抱きしよ」
「いつの間にか姿消したる縞木綿の 人形恋いて泣きし幼日」
「父の里に預けしわれを疎みたる 母の胸中識る年となる」
幼い日から幾度も聞かされたが、永く不幸な母子関係だった。世に幾万とあろう、永く心からの和解はできなかった母と娘の確執。そして「それ」を超える心・・・。
高橋さんは自らの半生を根拠地に類まれな歌唱をものし、そして歌の力、唄う力を得て「それ」を超えたと思う。 我が母は超えたろうか?

高橋真梨子(1949年生まれ67歳):
「ジョニィへの伝言」「五番街のマリーへ」「あなたの空を翔びたい」
「for you…」「はがゆい唇」「桃色吐息」「ごめんね…」「フレンズ」

ぼやきエッセイ 安倍・プーチン会談 雑感

【クナシリ・メナシの戦い】

5月に、民博(国立民族学博物館):「夷酋列像-蝦夷地イメージを巡る人・物・世界」を覗いて、初めて「アイヌ三大蜂起」を知った程度のワシだ。だから、「領土とは何か?」とか「そもそも蝦夷地は云々」とか、ましてや「北方領土」がロシア(旧ソ連)の統治下になって70年の悲哀だとか、元島民の切情を持ち出す政権の手法に何か言うつもりはない。

【アイヌ三大蜂起】
コシャマインを首領とする函館:志濃里の「コシャマインの戦い」は1457年、応仁の乱の10年前だ。有名な「シャクシャインの戦い」(静内方面)が1669年。それから120年後1789年に起きた「クナシリ・メナシの戦い」はアイヌ民族最後の武装蜂起と言われている。俗にこの三つを「アイヌ三大蜂起」と呼ぶらしい。
「クナシリ・メナシの戦い」(1789年、江戸時代寛政年間)の翌年、松前藩士によって描かれた「夷酋列像」は、松前藩の和解策に最後は協力的に対応した12人の有力者だという。
メナシはアイヌ語で「東方」を意味し、元来は現在の北方領土から知床半島、根室地域 一帯を指した。

慶長9年(1604年)に成立した松前藩は、家臣に北海道各地の漁場の経営権を与えた 。米の取れない蝦夷地では、他藩のように年貢前を家臣に分けることができなかったの だ。漁場の経営権を委ねられた家臣は、次第にその権利を商人にあずけてけてしまう。 こうして漁場の経営権を握った商人を場所請負商人という。
当時、メナシ一帯を支配したのは飛騨屋という商人だった。飛騨屋は、北海道のエゾマツ、トドマツを江戸、大阪に送る商売によって巨万の富を蓄積した。木材商人であった飛騨屋が漁場経営に乗り出したのは、松前藩が飛騨屋への借金返済のために、メナシの漁業権を20年の期限付きで貸し与えたからだった。飛騨屋は漁業に慣れていない上、期限内に利益を上げようとアイヌを酷使・暴力支配した。 そんな折、国後島のアイヌが、倭人から薬代わりにもらった酒を飲んだところ、病状が 急変、まもなく死亡するという事故がおきた。相前後して、倭人からもらった飯を食べてすぐに果てたアイヌの娘がいた。相次ぐ同胞の死に、追いつめられたアイヌたちは、寛政元年(1789年) 5月7日の夜、国後島泊村の運上屋を襲い、ついに決起した。

国後島を制圧したアイヌたちは、対岸のメナシに渡り、同地のアイヌ人およそ130名以上 を集め、次々と和人の陣屋を襲撃した。羅臼町城にはオロマップに番屋があり、8人の 和人が襲われている。ほう起したアイヌ人は、松前藩の反撃を予想して、各地にチャシを構え、戦闘態勢に入った。報告を受けた松前藩もすぐに臨戦態勢をとり、264人の鎮圧 隊をノカマップ(現根室市東部)に上陸させた。
そこに現れたのが厚岸アイヌの長イトコイと国後アイヌの長ツキノエ。二人はほう起軍をなだめ、首謀者の首をさし出すことで、乱を治めた。
倭人を殺した罪で、アイヌ37人が 処刑され、その首は松前の立石野でさらし首になった。
70年前の大義なき占領支配に憤り元住民の切情に涙する心が、227年前民族自決を願い決起した先住者の無念と無縁ならば、その心情はいかがわしいとワシは想う。
歴史は、70年だけではないのだ。%e3%82%a2%e3%82%a4%e3%83%8c%e4%b8%89%e5%a4%a7%e8%9c%82%e8%b5%b7

ついでながら「クナシリ・メナシの戦い」1789年の頃、琉球国では、
「1609年(琉球暦万暦37年・和暦慶長14年)、薩摩藩の島津氏は3000名の兵を率いて3月4日に薩摩を出発し、3月8日には当時琉球王国の領土だった奄美大島に進軍。3月26日には沖縄本島に上陸し、4月1日には首里城にまで進軍した。島津軍に対して、琉球軍は4000名の兵士を集めて対抗したが敗れた。4月5日には尚寧王が和睦を申し入れて首里城は開城した。これ以降、琉球王国は薩摩藩の付庸国となる。」
薩摩藩への貢納を義務付けられ、江戸上りで江戸幕府に使節を派遣した。その後、明に代わって中国大陸を統治するようになった満州族の王朝である清にも朝貢を続け、薩摩藩と清への両属という体制をとりながらも、琉球王国は独立国家の体裁を保ち、独自の文化を維持した。
当時江戸政権は、田沼意次の失脚を受け、松平定信の「寛政の改革」(1787~1893年)という緊縮財政の只中だった。1816年のイギリス艦来琉以降、英仏蘭露米は頻繁に来琉、独立国としての琉球と交渉にあたった。1867年大政奉還、1871年廃藩置県(鹿児島県が琉球を「管理」)。1878年日清間で「琉球分割案」、1879年三分割アメリカ案。1879年沖縄県となる。

ぼやき  最高裁自作自演の上告棄却

最高裁が弁論を開かず判決=上告棄却し確定することになる高裁判決は、9月16日の福岡高裁那覇支部の判決だ。

高裁裁判長:多見谷寿郎氏は〈平成22年4月から同26年3月まで千葉地裁の裁判長を務め、行政(およびそれに準ずる組織)が当事者となった裁判を数多く手がけているが、新聞で報じられた判決を見る限り、9割がた行政を勝たせている〉というのである。しかも、この多見谷氏の着任人事が極めて異常だった。

〈代執行訴訟が提起されるわずか18日前に、東京地裁立川支部の部総括判事(裁判長)から慌ただしく福岡高裁那覇支部長に異動している。この転勤が普通と違うのは、多見谷氏の立川支部の部総括判事の在任期間が1年2カ月と妙に短いことだ。裁判官の異動は通常3年ごとである。(中略)また、前任の須田啓之氏(修習34期)もわずか1年で那覇支部長を終えて宮崎地家裁の所長に転じており、これも妙に短い〉。前任の須田氏は『薬害C型肝炎九州訴訟』で国と製薬会社の責任を厳しく指弾して賠償を命じるなど、リベラルな判決を出した“過去”があるので、外されたと見るべきでしょう。そこへいくと多見谷氏は“アンチ住民”の態度が鮮明です。有名なのは2013年の成田空港訴訟で、成田空港用地内の農家の住民に空港会社が土地と建物の明け渡しを求めた裁判でしたが、住民側に明け渡しを命じる判決を出した。住民は『国は農家をやめて、死ねと言うのか』と訴えたが、裁判長は聞く耳を持たず、住民側の証人申請はほとんど却下されました。他にも行政訴訟では、建設工事を進める残土処理場を巡った千葉県の許可取り消しを住民が求めた裁判で訴えを棄却したりしています」

今回の辺野古裁判でも、多見谷裁判長は露骨に国寄りの訴訟指揮を執った。翁長知事の本人尋問こそ認めたものの、稲嶺進名護市長ら8人の証人申請は却下したうえ、しかも、国側が早期結審を求めたのに応え、わずか2回の弁論で結審する“スピード審理”でもあった。判決にある「(新基地に)反対する民意に沿わないとしても、基地負担軽減を求める民意に反するとは言えない」などというのも、国を勝たせるための詭弁としか言いようのない理屈である。(RETERA 9月17日より)%e6%9c%80%e9%ab%98%e8%a3%81

最高裁はこの巧妙に仕組まれた裁判劇の主役なのだ。福岡高裁那覇支部を含め、判事の人事は最高裁事務局が人事案を作成し、最高裁長官を議長に最高裁判事全員の会議で承認される。つまり、慌ただしい那覇支部の裁判長着任、裁判過程、判決、最高裁の上告棄却(20日)までの一連のドラマは、『最高裁の』自作自演だと言えるのではないか?。

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