Archive for the ‘ぼやき つぶやき 駄エッセイ  ’ Category

駄エッセイ:『年をとる・・・。それは己が青春を 歳月のなかで組織することだ』

つぶやき:素人の 俳句?短歌?

波部壽一 『遠き日の汗と涙や甲子園』。「甲子園」は季語ではないと思います。「汗」は夏の季語です。
橋本 康介 汗と涙・・・? ワシはちと違う感慨から、全く私的な某年某月の無謀の夏を・・・。
波部壽一 橋本さんの句を受けて、作った作品ですから、少し無理があります。実は、私はあまり野球が好きではありません。
橋本 康介 ググると「甲子園は季語だ」という説もありますが、インフレでしょうね。
波部壽一 「歳時記」も何種類か出ているので、季語にしているものもあるのだと思います。私の手元の歳時記(三種類)には、季語として、載っていません。春の高校野球の大会もありますから、「甲子園」で夏の季語は無理があるように思います。
波部壽一 「汗」はどのような歳時記にも、夏の季語として載っているはずです。しかし、季語にとらわれないで、俳句は作っても良いと思います。私の知人で「無季の句」を作っている人もいます。

橋本 康介 そうですね。ともあれ、好きではない甲子園騒ぎに、某夏の稚拙で驕慢な出来事を反芻する老ではあります。いずれにせよ、汗と涙の甲子園というステレオタイプの青春賛歌という流れだと読まれるのは、一重に作者の責任。反省します。

波部壽一 私は俳句を始めて三年になります。俳句教室に通っています。「汗と涙」などという、手垢にまみれた表現を使うと、まず、教室で先生の「選句」には入らないでしよう。
橋本 康介 甲子園とあれば、即青春の汗と涙と発想する陳腐さから離陸したい、という皮肉を込めたつもり。



つぶやき:同居人と甲子園

つぶやき:八人の孫へ

(八人の孫たちへ)2018年8月15日

73年前の今日、1945年8月15日、日本は主要都市への空爆・沖縄地上戦・ヒロシマ長崎への原爆投下を経て、ようやっとポツダム宣言を受諾し、アジア太平洋戦争の敗戦を認めたのです。
この戦争でワシの父母世代(君たちの曽祖父母)の親戚の何人かが命を落としましたが、日本中の家庭がほとんど肉親を戦地や空襲などで失っています。ワシの父母は幸運にも生き残りました(だからワシという命があり、君たちの生があるのです)。
ワシの父(1998年に85歳で亡くなりました)は中国戦線に召集されたのですが、幼い頃、父から戦争の話を何度も聞きました。
「戦争したらイカン」と繰り返し言いましたが、こっちが幼いこともあり戦争の具体的な内容や戦闘の詳細は聞けませんでした。当時の子どもはよく「人を殺した?」と軍隊経験者に聞いていましたが、ワシは秘密に触るようで怖くてよう聞けませんでした。
ワシの幼少期には、働き先とて確保できない「傷痍軍人」(傷を負って帰還した兵士)が軍歌などを演奏して、街往く人から幾許かの支援金を頂戴する姿が街頭に溢れていました。
戦争や戦後混乱期のドキュメント番組がありますが、よ~く見て下さいね。
東北大震災・福島原発事故・最近の西日本豪雨被害などのニュースにある、家や家財が無くなってしまうこと以上に被災者の身近な人の死は取り返しがつきません。そして、戦争はその何千倍・何万倍の身近な人の死とそれにまつわる悲嘆に溢れています。
しかも、原発事故が人間が作り出したものであるように、戦争では他国の人の命を日本の軍隊などが奪うことになるのです。戦争は、日本では軍民合わせて310万人の命を奪いましたが、中国・朝鮮・ヴェトナム・フィリピン・インド・インドネシア・オーストラリア他アジアで、何と2,000万人以上の命を奪ったのです。
毎日新聞社「数字は証言する~データで観る太平洋戦争」
http://mainichi.jp/feature/afterwar70/pacificwar/
前段で言った「召集」された人々というのは、必然的に他国の人の命を奪う仕事に従事していたと言えます。戦争に参加させられれば、否応なくそうなるのです。

ワシの父、君たちの父(母)の祖父、君たちの曽祖父が晩年「どうしても中国へ行きたい。連れて行ってくれんか」と言い出し、ワシは君たちの父たち3人も連れて、中国の友人の案内で上海・杭州・近隣の農村・西安などを回りました。行く先々で父(曽祖父)は農村や街工場の小父さん小母さんに「すみませんでした」「ごめんなさい」とただただ謝り続けたのです。中国の人に「それは国と国の話ですから、どうか頭を上げて下さい。」と言ってもらい何度も号泣していました。号泣するしかない事実が父の中に戦後ずっと棲んでいたのです。
実際の戦争で、父(曽祖父)が何をしたのか詳しく聞いたことはありませんが、軍隊の一員であった彼が、軍の行動の一端を担っていたことは紛れもない事実です。彼の胸に去来した風景を想えば、戦争に翻弄された普通の市民の苦しい戦争と戦後だったのだと思います。
今生きている者は、戦争と無関係に命があるのではなく、こうした戦争で死ぬことのなかった者たちの直系なんです。
どうか、自分たちの命・他国の人の命が軽々しく扱われる全ての事柄に対して、それがなぜ起こるのか?そうならないためには何をすればよいのかを考える学生~大人になって下さい。
ワシは、戦争前・戦中・戦後に人々が「なぜ、そうしてしまったのか?」と、今なら言える事柄と似たことを、自分の人生で関与した取組み(学生期・労働組合運動時代・労組自主経営会社社長時代・K大校友連絡会・「アジール空堀」世話人)のいずれの場面でもして来たと思う。戦争に対して「何故?」「どうして?」と問いかけている同じことを、人に対して・人の集まりに対して・意見を言えなかった無口な仲間に対して、繰り返してしまった。

戦争に抗うことは、戦争推進者(これが一番イカンのやけど。奴らは懲りもせず繰り返している)の悪行/非道・心ならずも協力してしまった人々の無自覚と弱さ・日常的な関係でも非日常の重大事項でも似た言動を取ってしまう自分自身、識者が言う「明らかな蛮行」だけを教科書的に糾弾するくせに小学生でも解かる「礼節」や「人の道」を踏み外して平気な自称「左翼」たち、その全てを対象に考えることを含んでいなければアカンと60歳を超えてから痛切に思うようになりました。そして、それはなかなか出来ていません。

先般、君たちの母や父にワシの4/5人生の43頁のオモシロ可笑しい「画像資料と逸話の冊子」を渡しましたが、どうか大きくなったら読んで下さいね。
遺すモノが何もないからそれが遺品です。

1947年生まれ、70歳、妻1人、子4人、孫8人。 橋本 康介

つぶやき:オウム犯大量死刑

死刑制度には反対だ。
*冤罪の可能性がある限り(現にいくつかの実例を見ている)反対だ。極刑は取り返しがつかない制度だ。
*そもそも主権者たるワシらが「国家」に裁きの権能を与えることの必要必然は解かるが、「殺す」権能を与えているとは思わない。「殺す」それは別領域の事柄だ。

*「罰」の終了が「罪」の内容・意味・深度に向き合う当事者と世の義務を奪いはしないか、つまり「罪」と「罰」は違うという視点。
*他国を見れば、厳罰が重大犯罪の減少を結果しているのでない。
*被害者の心情は、必ずしも「極刑」によってのみ満たされるものではない。それこそ「復讐するは我にあり」だと思う。(神が言ったという。「人間に復讐の権能を与えてはいない。それは我の領域だ。」と)

今回の多数名同時処刑に震えて、明治以降、複数同時極刑の例を見てみた。
△「秩父困民党蜂起」(1884年):(1885年、田代栄助・井上伝蔵ら7名に死刑判決。井上は北海道に逃走の果て死亡)、
△いわゆる「大逆事件」(1910年):(1911年、幸徳秋水・宮下太吉・大石誠之助・菅野スガら12名処刑)、
△「2・26事件」(1936年):(1937年、首魁とされる野中大尉・香田大尉・磯部主計・北一輝・西田税らを含め計32名処刑)
△【別格】「極東軍事裁判」(1946年)(1948年、東條英樹、板垣征四郎、広田弘毅、松井石根、木村兵太郎、土肥原賢二、武藤章に死刑判決。A級戦犯7名は、1948年12月23日 当時の皇太子=現明仁天皇の誕生日に処刑された。)(一方、翌クリスマスの日、岸信介・笹川良一・児玉誉士夫らA級戦犯容疑者19名が釈放された)
などがある。

複数名同時極刑に込めた支配者たちの、その後の支配方針への断固たる意志表明か? 例えば岸放免は親米政権への布石だ、とか・・・。
現政権は、オウム麻原等7名への同日処刑にいかなる「意志」を示したのだろうか?
オウム犯罪という、何人も容認できない非道への「処罰」という場を得て、歯向かう者への戦後各政権には無かった断固たる構えを示したのか? が、「罪」と「罰」の混線が気になる。
自らが撒いたサリンを片付けた駅員を死亡させた医師林郁夫には、その供述が地下鉄サリン事件の全容解明への突破口を開いたので「自首」に等しいと、検察が死刑求刑ではなく無期懲役を求刑した。他方で、各実行犯の関与の度合い・犯意と被害の質と量・行為と結果を巡って混線があると識者は言う。ワシには解からん。

いずれにせよ、刑執行を明日に控えた晩に、法務大臣による万歳三唱の音頭取りはないだろう!

 

極刑の
朝は国ぢゅう
土砂塗れ

つぶやき:東京オフィスからの撤退&移住した三男一家訪問

【6月4日】

6月8日9日10日の金土日は東京へ行く。
2016年末から一年強の半休業、昨年~今日まで東京撤退の上、完全休業。
腰脚の不具合は改善しないばかりか、時に激しくもある。
雇い主と話し、事務所二階に残している布団・衣類・食器等生活用品を片付けることになった。腰脚事情から女房が手伝いに同行する。
茨木へ送ることもないモノは、ゴミとして若いメンバーに後日処理してもらう。
雇い主は「体調が戻れば、また協力して下さい」と嬉しいことを言ってはくれるが、今回の東京行は宿泊を伴うものとしては最後かもしれない(?)。
奇妙なものだ、6月10日14:00から、安倍政権の退陣を要求する 国会前大行動がある。
北関東に移転した三男夫妻(+孫娘三人)を、10日に訪ねようかと話していたが、国会前へ行きたい気分も抑え難い。う~む、最後のまとまった時間の東京をどうしようか?
時間的には両方は無理としても、どちらか一つは果たしたい。

 

6月11日 【私事 東京オフィス引退】
8日9日10日と、東京オフィスからの完全撤退(仕事柄=商業施設設計施工ゆえ徹夜を含み力仕事もありで、ちょっと無理)の片付け・荷造り・衣類食器などの処分・ゴミ処理・荷発送の「最後の仕事」で東京へ。
たまたまオフィス近隣はちょうど荏原神社の祭りで山車が出て大賑わい。ワシの引退を惜しんどるでと言うと、HELPで来ていた女房は「うるさいのが東京から逃げて行くのを街が祝ってるで」と減らず口。
まぁ、HELPのお陰で9日午後には仕事は終わり、今春茨木市から茨城県T市へ転居した三男一家(教員、茨城県で大学と院卒、妻の実家茨城+孫娘3人)を訪ねることができ、泊まった。これがあるから女房のリキの入れ方が尋常ではなかったんやな。
ワシも気を揉んでいた訳ではないが、元気な一家にホッっ。孫娘3人も新しい環境を受け容れ、早速ミニ・バスケットなどの得意領域にハッスルしているらしい。翌10日は、利根川を挟んで20分の千葉県A市に暮らす兄(ワシの実兄)を訪ね久し振りに会い、遅れて国会前へ・・・。
地下鉄乗り換えで二人でウロウロしていると女房が「映画『東京物語』のジジババみたいやね」と呟く。
念願の三男一家訪問と国会前行動、どちらか一方は実現したいと思っていたが、運よく両方果たすことが出来た。
腰脚不具合時に荷造りと雨中の国会前、充分骨身に堪え、アベ世を想い知らされた気分。このままでは終われないとは爺の独り言。

2006年からの某社(破産した自主経営会社の取引先が呼んでくれた)東京へ単身赴任(文字通り当初2年ひとり事務所)

2016年からの腰脚不具合で現場減少。

2017・18の東京現場回避・ほぼ大阪の状態、今回の完全撤退(若いメンバーに委任)、

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「さらば東京」ってな気分ではありますが(中原中也 詩集『在りし日の歌』「さらば東京! おおわが青春!」一九三七年)、ワシは爺だ。
本日は、新潟知事選の敗北もあって、すこぶる腰が痛いです。

つぶやき:日大アメフト部傷害事件に  軍隊を・現政権病理を・官僚機構を 見る

日大アメフト部傷害事件に
軍隊を・現政権病理を・官僚機構を 見る

http://biz-journal.jp/2018/05/post_23436.html
加害青年が会見で言った次の言葉こそが今回の事件の救いだし、この20歳を「ふむうむ」と思わせた。もちろん称賛ではない、辛うじての救いだと言いたい。

『少し考えれば、自分がやったことが間違っているというのを前もって判断できたと思うので、そういう部分で自分の意思というのを強く持つことが今後、重要だと思いました。』
『自分の意思に反するようなことはフットボールにかかわらずですけども、全てにおいてするべきじゃないなと思います。』

イラク/スーダン派遣実態の隠蔽・裁量労働制強行の為の偽装資料・森友文書改竄国有財産違法処理ゴミ偽装・加計学園への私的厚遇とその経過の隠蔽偽装・・・、などに汲々とする茶坊主議員よ・官僚どもよ、
この加害青年の肉声をよ~く聴け!

この加害青年は会見で謝罪を繰り返し、監督・コーチ・チームの文化・風土と心情を吐露したが、自衛隊員はパワハラ体質・命が危険に晒される局面で、この現象的心理的「苦境」から抜け出すには、たとえ「無辜の市民」が死ぬとしても上官・隊長の指示する「突撃」しかない、と行動するだろう。
ワシならそうしてしまうかも・・・と想う。
だから、憲法遵守義務を負う公務員たる自衛隊員が、憲法9条=『国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。』を骨の髄まで体得していなければ、海外で他国の無辜の市民を撃つに違いない、と強く思った。
国家の戦闘力として個々の隊員の思考として、「9条」精神がよほど根付いていないことには、自衛隊は必ず他国の民を撃つだろう。

ぼやき:【日大アメフト部事件が示すもの】

【日大アメフト部事件が示すもの】2018年5月19日

事態が明らかになった時点で、アメフト協会が毅然として処分すべきだろう!
廃部が当然だが、最低でも一定期間対外試合禁止・二部への降格・監督コーチの辞任などなど
できないアメフト協会はアウト!
行き過ぎた危険プレイなどではなく傷害事件だ。

そもそもの発案趣旨・初期対応・イカサマ謝罪・・・何と現政権に似ていることか!
が、日大アメフトだけではない最近の大企業・官庁の不祥事と言うより「悪意に満ちた」事件の数々は、何かの「崩壊」を想わせる。
無いのに在る振りをし続けて来た、戦後社会を各方面・各領域でカヴァーしていたはずのものが、決定的に「無い」のだということを示している。
それは「公」「公理」「公共」とそれを支える精神「自然法」「産業道徳」「コモンセンス」といった「言わずもがな」項目の数々だ。日本国憲法の10条以下には、その精神を語っている。
神戸製鋼の耐久性データの偽装、タカタの欠陥エアバック、日産・三菱の無資格製品検査、アマゾンン値引販売額の業者補填強制、電通の女性新人社員100時間超違法残業、東洋ゴム免震ゴム性能改竄、原発事故の内容/汚染状況/安全対策/廃炉手順/他に関する夥しいウソ情報、他・・・
一方、官公庁はどうか? イラク/スーダン派遣実態の隠蔽・裁量労働制強行の為の偽装資料・森友文書改竄国有財産違法処理ゴミ偽装・加計学園への私的厚遇とその経過の隠蔽偽装・・・、権力者の夫人の振舞いを「一私人」だと言いながら公務員を秘書として配し「公務」扱いするの愚を、政権内部で誰として組織的異論を吐かない・咎めないという異常。
いま日大アメフト部が、もうここにまで「崩壊」が及んでいることを示している。
ほんの数十年前まで、自民党政権の重鎮にさえあった「恥じる心」「人道」「コモンセンス」「知性への畏敬の念」・・・日本社会はそれらの息が絶える断末魔に在る。
間もなく修復・恢復不可能な「崩壊」領域に達する。そうさせてたまるか!

つぶやき:キキ・ココ誕生日

我が家の猫姉妹は、昨年七月 生後三月でやってきた。だから、昨年四月末か五月初め生まれのはずだ。ということは。この連休中に満一歳を迎えていたことになる。キキ・ココ、失礼したな。
遅れたが、満一歳おめでとう。
それにしても大きくなったな!

駄エッセイ:スポーツマン・シップ と シップ=舟

【地に堕ちた日大アメフト部障害事件に想う
ースポーツマン・シップ と シップ=舟 ー 】

ラフプレイ?  明らかに傷害だ!

スポーツマン・シップ・・・。 シップ・・・・。
舟=ship(ふね、ボート)は 古英語[scip]&オランダ語[schiff]からの変化だそうです。
もとは、「切る」「割る」を表すヨーロッパ語の語源[skei-]からの変化であるゲルマン祖語の「木をくり抜く」=[skipan]から来ているらしい。
舟を作る作業・工程=木を切り・割り・くり抜く、文字通りカタチ無き状態から「作り出す」ことに、舟=shipの語源があるそうだ。

太宰治はある処(注:下記コメント)で「マザー・シップ」という言葉を使っていたが、これは明らかに母船・補給船ではなく「母性」「母である精神」を意味していた。
で、フレンド・シップ、リーダー・シップ、パートナー・シップ、スポーツマン・シップなどと使われているシップの由来を調べてみた。
『「名詞+シップ」は、その名詞が表す状態になるため、そういう状態を維持するのに必要な構え・在り方・技量・精神・知性・気概 等を表す。』だそうだ。
ただそこに在る名詞が指し示す単なる物ではなく、その名詞を意味ある存在にして行く工程を経て、物と人との関係性に照らし出されて再登場する「生き物」としての名詞。
舟の語源と***シップの語源が、カタチの無い状態から「作り出す」という意味の共通語源からの言葉だと知り、何か込み上げるものがある。
ふと、憲法の二つの条文を思い出していた。「不断の努力」「自由獲得の努力の成果」「過去幾多の試練に堪へ」「信託されたものである」

【日本国憲法 第十二条】
この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。
【日本国憲法 第九十七条】
この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。

元始シップは、自然物と「作り出す」人間の努力の全体に命を吹き込み、その名詞をより高次の存在に押し上げた。
憲法97条が言う「信託主」=自然法・天賦の意味・良識・公理=は、「日本国憲法シップ」をこそ期待している。
日大アメフト部の地に堕ちた擬スポーツマンシップから、つくづく思うのは国会議員シップ・立憲院シップ・公僕シップ・公文書管理シップなどだ。
現政権が行なってるのは、日大アメフト部の比でない「ルール無視」「反立憲」「隠蔽・改竄・焼却」のオンパレード、歴代保守政権もビックリの、シップ無視蔑視の無法ぶりだ。シップの由来や歴史を経た知性など眼中にない。
奴らに「シップ」を説いても無駄だが・・・。

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