通信録: 目撃してしまった・・・
大変な場面の目撃者になってしまった。
旧東海道を歩いて近くの銭湯(江戸の黒湯天然温泉:天神湯)へ向かっていた。 月に一度は内風呂ではなく温泉に行きたい。ほぼ毎月実行している。 湯の場で寛ぐ人々が醸し出す空気が好きなのだ。 旧東海道が山手通りを横切る信号を渡れば左手にそれは在る。 赤で信号待ちをしている者が7~8人。その後ろに立った。目の前山手通りを車が走り抜けてゆく。 と、山手通り側の信号が黄色だったのだろう、向こう側の車線を左手から、 一台のバンが赤信号になる前に通過しようとしてスピードを上げてやって来るのが見えた。 ちょうどその時、向こう側からこちらへ向かって一人の老人が渡り始めた。まだ、横断する歩行者用の信号は青になっていなかったと思う。車側は黄色信号だったと思う。双方が先を急いでの行動だろう。 引き返せ!と声をかける間もなく、ドンという音、キーンという急ブレーキの音、グチャッという音、ズズウーというタイヤが道路を滑る音、四つの音がまるで同時に聞こえた。降りてきた運転者の若者、両側で信号待ちしていた歩行者たち、近隣の人々、赤信号になって停車している他の車の運転手。たちまち、人の山になった。道路には打ち付けられて頭部からの出血の川に意識なく倒れている老人。110番、119番、何人かが電話している。 そこへ、若い女性が走ってきた。「おじいちゃん!」と言ったきり絶句している。娘か息子の妻だろう。老人は家のすぐ近くまで来ていたのだ。 老人を跳ねたバンを見ると、花屋の社名が見えた。開いたドアから、旧ブレーキで散乱した豪華な花が覗いている。クリスマス前の繁忙期、配達を急いでいたのだろう。 倒れた老人から10M離れたところに転がっている松葉杖、しっかり抱えているもう一本の松葉杖。 あゝ、老人は最近か以前からか、脚が悪く松葉杖をついていたのだ。約30Mの横断に時間を要す、少しでも早く渡り始めたい・・・そんな事情の中で、一歩早めに横断を開始したのだ。 跳ねた若者はもう間もなく赤に変わるギリギリ直前に、速度を上げて通過しようとした。もちろん危険運転だ。 老人は青になる前に渡り始めた。もちろん危険横断だ。けれど・・・・・・けれど、、、 【添付写真はグーグルアースで検索プリント】
誰が、何が悪いのか?救急車が来るまで、何かが出来るわけではない「たそがれ野郎」は、そこに留まっていた。ストレッチャーに載った老人は呼吸してなかったように思う。 明日、近くの人に訊いてみよう。ご老人の命はご無事だったでしょうか?今回の事故は98%車に責任がある。黄色で加速したらアカンよ!!止まってくれよ。
ふと、裁判員制度を思った。ゆえある不幸な罪、人を裁く・・・・・・ ふと、震災の東北を想う。目の前で、夫が妻が、子が親が、 流されたという人々・・・・・・ 頑張れ、乗り越えろ、などと言っても・・・・・・戦争とはこうした事態の恒常化・全体化に違いない。
『突風に生卵割れ、かつてかく撃ちぬかれたる兵士の眼』(塚本邦雄:1920年生。敗戦時25歳)
歌「100語検索」 33、 <倒>
倒
ことわざ には間逆の言い回しがあって、その両方ともに当たっているからこそ聞くこともできる。 「善は急げ」「急がば回れ」、 「早起きは三文の徳」「家宝は寝て待て」、 「嘘も方便」「嘘つきは泥棒の始まり」、 「二度あることは三度ある」「三度目の正直」、「血は水よりも濃し」「遠くの親戚より近くの他人」、「渡る世間に鬼はなし」「人を見たら泥棒と思え」、 「女房と畳は新しい方が良い」「女房と味噌は古いほど良い」、 「衣食足って礼節を知る」「武士は食わねど高楊枝」、 「虎穴に入らずんば虎児を得ず」「君子危うきに近寄らず」、 「転ばぬ先の杖」「見る前に跳べ」・・・ などなど。 「七転び八起き」と「七転八倒」をそのようだと言った君、それは違うよ。辞書によれば、 「七転び八起き」:何度失敗してもくじけず、立ち上がって努力すること。転じて、人生の浮き沈みの激しいことのたとえとして用いることもある。 「七転八倒」:激しい苦痛などで、ひどく苦しんで転げまわること。転んでは起き、起きては転ぶこと。 云わば、前者は再起・復権への挑みの精神を言い、後者はその過程の痛みや現実的肉体的痛みも言っている。 面白いのは、昔あったTVコマーシャル。曰く「戸締り用心、火の用心」「人類はみな兄弟」 ん? 戦後社会の闇のフィクサーと呼ばれた御仁とガイジン力士が出ていたな~。 おい、用心しないと兄弟こそ不法侵入するぞ!というブラック・ユーモア格言かい?
『わかれうた』 http://www.youtube.com/watch?v=GG10MYX9Tl4 中島みゆき(真木よう子PhotoStoryより) 『それは愛ではない』 http://www.youtube.com/watch?v=G80Xdu0l-Dg 中島みゆき 『チャンピオン』 http://www.youtube.com/watch?v=uSQZJ87huNU アリス 『終らない夏』 http://www.youtube.com/watch?v=QAfdlV2gUiU 岡村孝子 『青空』 http://www.youtube.com/watch?v=ly1sB2yS_sc&feature=fvst TheBlueHearts 『Hold Your Last Chance』 http://www.youtube.com/watch?v=nzvAzKyV-GA&feature=related 長渕剛 『異国の丘』 http://www.youtube.com/watch?v=9hkoI_r3MLM 竹山逸郎 『赤と黒のブルース』 http://www.youtube.com/watch?v=BAEQz-EgJWc 鶴田浩二 『踊り子』 http://www.youtube.com/watch?v=naRutIIc_DI 村下孝蔵 『時代』 http://www.youtube.com/watch?v=xlbIsyiZMAo&feature=related 中島みゆき
歌「100語検索」 32、 <ちぎれ(る、た)>
ちぎれ(る、た)
ちぎれたモノは、補修してもその修復接合部の不自然が顕わになってしまい、人に判るほどだったりする。 隠すことはない。補修したと公言して臨めばいいのだ。 だが、人の世には現実的方法では修復できないほどの「ちぎれ」も、稀だが確実にあるのだ。その時、 人は、ちぎれて在る現象的事実関係を修復するのではなく、別の回路で繋って行ける方法を探し始める。 その回路に詩があり、短歌があり、小説があり、演歌があり、音楽があり、絵画があり、陶芸があり、彫刻があり・・・・・・・・・ およそ表現行為の全ては、「ちぎれ」の修復技術などではないはずだ。その営みは、国・宗教・党派・企業・団体・親類縁者・家・その他一切の己以外のものから統制・誘導・指図されるいわれはない!
『暁に祈る』 http://www.youtube.com/watch?v=TNQAxljREDk 伊藤久男 『別れの朝』 http://www.youtube.com/watch?v=tVzCO-dHOQQ 高橋真梨子 『僕は泣いちっち』 http://www.youtube.com/watch?v=7Ua5YtGldxw 守屋浩 『霧の摩周湖』 http://www.youtube.com/watch?v=Irpk9gpz8R8 布施明 『雨に泣いている』 http://www.youtube.com/watch?v=7KEqTbAoVEU 柳ジョージ 『絆』 http://www.youtube.com/watch?v=3c7nsR6F4ds 長渕剛 『ルビーの指輪』 http://www.youtube.com/watch?v=n2cdgo86Hzo 寺尾聰 『風速四十米』 http://www.youtube.com/watch?v=rA4yNwCf3KM 石原裕次郎 『北の旅人』 http://www.youtube.com/watch?v=YxBH9qh3BhE 石原裕次郎、テレサ・テン 『立ちどまるな ふりむくな』 http://www.youtube.com/watch?v=UD0tLT9ytqM 沢田研二 『挽歌』 http://www.youtube.com/watch?v=cMsgu_eiJfQ 高倉健・八代亜紀 『望郷酒場』 http://www.youtube.com/watch?v=9cOR68mMVgk 千昌夫
連載 78: 『じねん 傘寿の祭り』 八、 しらゆりⅡ(5)
八、 しらゆりⅡ⑤
石垣島三泊のうち二泊した民宿は川平湾に面している。 川平湾に在るダイビング教室に参加して、若い男女に混じって海に潜った。午前中に初心者講習を受け、午後からインストラクターに先導され、短時間ではあったが初めて巨大なマンタを眼前に見た。真上のマンタは八畳はあろう大きさで、初めてのダイビングにパニクっている初老男を見守るように悠々と往く。海の中で一種の閉所恐怖症状態の裕一郎は、その偉景を味わうことも出来ず、見下ろしている大きなマンタの慈愛の眼差しを感じながら己の矮小さを噛み締めていた。
その日の夕刻、民宿のベランダで爽やかな凪風を受けて目の前の湾に見惚れていた。食事を待ちながら泡盛をチビリチビリやっているところへ携帯電話が鳴った。 「黒川さんのギャラリーがオープンして任務終了、引き上げるんやてね。ご苦労さまでした。今日焼物が届いたよ。高志がたぶん報酬の現物支給だと言ってるけど」 「それ開けてくれ。値段調べてそういうの好きな人、つまり買手やな、買手を探してくれよ。適正価格で売りたい」 「どんな作品?」 「知念太陽の作品や。昔、太陽の工房が火事に遭って、その時焼け残ったものらしい。黒川さんは高く売れると言うとる」 「ホント? けど、有名なタロウのものならともかく太陽は若いし、いくらいわく付きの品でもまだまだ高値は付かないと思うよ。(ねぇ、そう思わん?)。高志は黒川さんから何回か太陽の焼物買っているけど、二~三万だったよ。それに少し色つけて・・・てなところでしょ。現物支給を納得させる黒川さんの巧みな戦術と違う?(あの人らしいね。黒川さんに乗せられたんやね)」 受話器の向こうに高志ではない誰かが居るようだった。 「そうか・・・、そうかも分からんな。ジイさんの戦術にやられたかもな。彼も必ず高く売れるとは言ってないんやけど…。まぁ、買手探してみてや」 電話の主が聞きたいのは届いた焼物の事以外にあると分かっていたが触れずに、ギャラリー開設に至る話の一部をしばらくした。その触れず避けた話題を玲子が訊いて来る。 「沖縄で高志の会社の元社員の人に会ったそうやね」 「ああ。黒川さんのギャラリー作りに協力した土産物工房で働いていた。その関係で何度か会うたけど」 「元気にしてはった?」 「ああ、元気やで。昔居た団体に戻るそうや」 「ふ~ん、そう。」 話題を変えようと思うと、その元社員の女性から聞いた出来事、大学前駅の三十数年前のシーンについて話していた。憶えてるか?あの駅前、君の部屋へ行って食った野菜炒め・・・。 「あの時、高志は君と俺が待ち合わせてたと思うてるらしい。俺はてっきり君は高志と待ち合わせてると思うてたよ。そうやないんやね」 「えっ、アハハハハ・・・・。憶えてるよ。映画観に行く約束で友達を待っていて、三十分も待たされて帰ろうと思ったら、あなたらに遭ったんよ。その友達、ウッカリ忘れ多い人なんよ(えっ?何言うてるのそうやんか)」 「へぇ~、そうやったんか。高志に言うてやれや」 「ええよ言わなくて・・・今さら。あんたと待ち合わせてたということでええやんか。(ほら、大学前駅で三十分もあんた待ってたのに来なくて、高志と裕一郎に会ってうちでご飯したって言うたでしょ。あれ、私が待ってた相手、高志は裕一郎だと思い、裕一郎は高志だと思うてたんやて。アホやね、あの人ら・・・。訊けばええのに・・・。)その話、高志がそう思うてるって話、それ本人が言うてるの?誰かから聞いたん? まぁ、ええわ。あのね、あの時待ち合わせてた人、偶然いま隣に居るんよ」 「はあ、誰?」 電話に出る出ないの押し問答が聞こえた。 その人物に受話器が渡って、電話の声の主が変わった。「生きてるんかいね?」
連載 77: 『じねん 傘寿の祭り』 八、 しらゆりⅡ (4)
八、 しらゆりⅡ④
「知ってるよ。いいって、いいって」 ユウくんは裕一郎の「悪いなユウくん。北嶋さんな、仕事の都合で大阪へ帰るんや」に対してそうケロリとして返した。園舎の玄関横に在る、蛇口がいっぱい付いている長い手洗い場で、ちょうど園庭から園舎に入る時の決め事「手洗い一分間」を実行しているユウくんに声をかけたのだ。 「知ってたのか・・・、いつ知った?」 「最初からだよ。北嶋さんが来た時から。北嶋さん、チチのギャラリが出来るまで居ると言ってたよ。この間も、ギャラリで亜希さんにさよなら言ったよ」 ユウくんは現実を受容れる訓練を日頃からして来たのだ。もう北嶋さんとは海へ行けない、もう北嶋さんが作る美味い夕ごはんも、フレンチトーストも食べられない、「じんじゃえる」を飲んで美味しい焼き鳥を食べた居酒屋へも行けない・・・。そんなことはとうに覚悟している。いや、覚悟しているからこそ、ひと時裕一郎にあれこれせがみもしたのだ。無いモノねだりをして駄々っ子になったりはせず、淡々として事態を受け止めている。父親よりも自分よりも、よほど「人間」が出来ている。裕一郎はそう思って感謝に近い感情に包まれていた。 「亜希さんは行かないから、北嶋さん悲しいね」 「亜希さんはね元々行く予定はないんだよ」 「そうか・・・、残念だね」 「亜希さんは自分の予定や仕事があるんや。南アジアという処へ行くんだよ。外国だ」 「ふ~ん、北嶋さんもそこへ行ったらいいのに。毎日亜希さんに逢えるよ」 「ユウくん、逢えない方がずっと仲良しでいられることもあるんだよ」 「そっか・・・」ユウくんはそう言って、微かにため息を漏らした。 裕一郎は今自分が吐いた言葉が、年齢差・関係性・経過事実や相手の心の辺境とその理由、それらを見ないことにして振舞った先夜の己を、救済する為のものだと自覚していた。正確に言えば「ずっと仲良しでいられたらいいのにな」だろうか。
ユウくんが園舎内に戻るのが遅れますと職員に伝え、了解をもらっている。心得たものだ。 ユウくんが胸にぶら下げた携帯電話を手にする。開いた左の掌を裕一郎に向け「ちょっと、待ってて」と合図した。ユウくんが慣れた手つきでどこかにかけている。 「うん、そうだよ。うんうん。北嶋さんは石垣島に行ってから大阪へ行くって。えっ?うん、は~い、いま代わるね」 ユウくんが「北嶋さん、ハハだよ」と携帯電話を寄越した。 ハハ美枝子は開口一番にギャラリーオープンへの感謝を言って、次いで黒川家の家事に関して、続いてユウくんとの日々への慰労を口にした。 話の最後に「私たちの送別会に来てくれた人、亜希さんでしたか、あの人と逢えて良かったですね」と付け加えた。裕一郎は、何でも知っているのだなと呆れるより、美枝子-ユウくん間に成立している日頃のホットラインの頻度や濃さを思った。 ユウくんは黒川との日常以外の場所で、美枝子と連絡を取り合ったり、バスでの往き還りのでのユキちゃんとの逢瀬を確保して、黒川が知らない世界も生きていたのだ。しかも、黒川の知るところとなって黒川との間に気まずい空気を作ってしまうことを避けながら。 ユウくんの工夫や秘匿が思い遣りに近いものだと思えて来る。人間の感情の機微へのユウくんの智恵ある配慮に間違いなく元夫婦は助けられて来たと思うのだった。 この父母だけではなく裕一郎を含めた大人たちの振舞いこそが子供じみているのではないだろうか・・・。 無垢と威厳。裕一郎はしらゆりの花言葉を思っていた。
たそがれ映画談義: 人になる契機、その固有性・不可侵性 そして普遍性
空気人形
パソコンを叩いていて、ふと気が付くと夜も遅い。たまたまケーブルTVを点けた。 日本映画専門チャンネルで『空気人形』という、誰の作品かも知らない怪しげな映画の深夜放送が始まるところだった。ビニール製のダッチ・ワイフが「心」を持ってしまうという物語だ。10分もすると「これはただものではないぞ」と感じて、見入ってしまった。 ぼくにとっては予期せざる掘り出し物だった。(知っている人には当然の秀作だろうが) 似た条件で、つまり知らず・たまたま・・・・という、ぼくにとっての掘り出し物作品に 『虹の女神』 『カフーを待ちわびて』 『深呼吸の必要』 『ハチミツとクローバー』(これはややメジャーだが) などがある。
『空気人形』2009年、監督:是枝裕和 原作:業田良家(小学館:ビックコミック劇画『ゴーダ哲学堂・空気人形』)(業田は、小林よしのり『わしズム』に何度か登場。?!?!?) 出演:ペ・ドゥナ、ARATA、板尾創路、余貴美子、富司純子、高橋昌也、オダギリ・ジョー http://eiga.com/movie/54423/video/ http://www.kuuki-ningyo.com/index.html 【紹介サイトから転載】(「映画.COM」より) 女性の「代用品」として作られた空気人形ののぞみに、ある朝「心」が芽生え、持ち主の秀雄が留守の間に街へ繰り出すようになる。 そんなある日、レンタルビデオ店で働く青年・純一に出会い、密かに想いを寄せるようになった彼女は、その店でアルバイトとして働くことになるが……。主演は韓国の人気女優ペ・ドゥナ。 人は誰しも空虚な心を抱えていて、誰かに必要とされたい、そして誰かと繋がりたいと願っている──そうした現代に生きる人々の象徴ともいえる空気人形が、逆に、周囲の人々の孤独と空虚さを浮き彫りにしていく……。彼女が見た世界には、なにが満ちていたのか? 空気人形の初恋の行く末を見守ることは、私たちがいかにして他者と交わり、自分を満たしていくのかを探る心の旅でもある。 後日、ネット上の評にピノキオ寓話・人魚姫症候群の系譜だと書かれているのを見た。
09年、一昨年9月公開なのだが、見逃した。見逃したと言うより、仕事現場が繁忙だったのか記憶にない。 是枝裕和と言えば、この前年08年の『歩いても歩いても』を観て、人に薦めたりしていたのに、本作の情報が全く記憶されていない。 是枝裕和で検索すると、他に『幻の光』(95年、宮本輝原作、江角マキコが表現した存在不安、生と死、素晴らしかった)、 『誰も知らない』(04年、柳楽くんがカンヌで主演賞取ったね)、『歩いても歩いても』(08年)、『空気人形』(09年)、『奇跡』(本11年6月公開)、 という具合に、家族や身近な人との城内という、「そのまま」では赦し合い・舐めあい・もたれ合い・甘えあう閉鎖性や世の「黙契」の出発地でもある場の、その関係性に潜む強固なものと儚いもの、その醜と美を・圧と開を描いて来た。1950~60のアメリカン・ホームドラマ(「パパ大好き」「うちのママは世界一」?)や、60年代の和製家族ドラマ(「七人の孫」他)や最近では「渡る世間・・・」と一緒にせんといて! (家族を描くTVドラマでは向田邦子「阿修羅のごとく」は秀逸です) 人が生きて行く上で大切なものが、逆に醜く惨いものが、そして他者=社会に開かれ晒されて変容して行くものが、君が生きて暮らしているほらそこに在るよと示していても、ホーム・ドラマでも家族物語でもない。家族の再建や再集合を願っているように見えて、手放しの家族礼賛には決して与しない。逆に人が生きて行くヒント、生きて行く力は、家族的なるものを越えたところに開けると言っている。その上で、家族的なるものに、たぶん在る価値を認め活かそうではないか・・・、それはヒントになり力になる、そう聞こえる。金時鐘の言葉で言えば「切れて繋がる」に近い。 この誤解されがちで困難なテーマは、ストーリーやセリフだけでは「議論」「説明」「主張」となりそうで危うい。そこは映画の力だ。風景・間(ま)・音・香り・表情・セリフ未満の短い呟き・・・によって描いて来た。 例えば、肉体は空っぽで中身が空気だと嘆く主人公にARATA(心を持ったことで惚れてしまった青年)や高橋昌也(河べりのベンチでしばしば遭う老人。元代用教員)に、「同じくぼくも空っぽなんだよ」と呟かせるシーンは成功しています。 人は誰も「空っぽ」だった。今も「空っぽ」だ。老人高橋昌也にして「空っぽ」なのだ。人が人になる契機、人が人であり続ける根拠を想い、この先、人でありたいと想った。そう思わせたこの映画はまた、カメラアングル・カメラ移動の浮遊感が素晴らしい。生の浮遊性が迫ってくる。 是非、見てやって下さい。(撮影監督:ぼくは知らないのですが、リー・ピンビンという台湾の名カメラマンだそうです)
連載 76: 『じねん 傘寿の祭り』 八、 しらゆりⅡ (3)
八、 しらゆり③
黒川の講義が続いた。 しらゆりはもちろんユリ科だが、ユリ科にはオニユリ、タカサゴユリ、クロユリなど各ユリの他に、チューリップ・ヒヤシンス・スズランなどがあるんだ。ちょっと意外だが、タマネギ・アスパラガス・ニンニク・ニラ・ネギ・アサツキもユリ科だそうだ。ちなみにユリの花言葉だが、オニユリは陽気・愉快、クロユリなら復讐・呪いと来る。ユリも七変化なんだね。しらゆりはさっき言った母以外にも色々あって、威厳とその反対のような無垢というのもある。けれど、無垢なる精神の極まりにこそ威厳はあるのだという哲学的意味合いにおいて正解だ、とぼくは納得している。そうだろう、母とは無垢にして威厳ある存在じゃないかね。百合子という娘の名付親はみな、そんな想いを込めてるのじゃあないのかねぇ。ぼく、ユリに詳しいだろう? なに、唐津と嬉野の間の山あいに窯を持つ若い陶芸家がね、作品にユリを好んで描くんだよ。扱った時にちょっと調べてね・・・。 裕一郎は、いささか美化されたような黒川の母性観に嫌悪感を抱いた訳ではないのだが、自身の母親を思い浮かべて無垢や威厳とは程遠いなぁ~と苦笑った。 「何が可笑しいんだ。ぼくを母親依存症のマザコン息子みたいに見るんじゃない。花言葉は花言葉だ。」 「いえ・・・。沖縄とユリは関係深いんですか? あっそうだひめゆり部隊もそこから?」 「バカ者、何も知らない男だなぁ。関係深いどころか、しらゆりは鉄砲百合とも言って立派な沖縄原産植物なんだぞ。あちこちに自生群生している。花期は四~六月、まだ咲いてるんじゃないか。日本では六~七月だ。俳句でも晩夏七月の季語だ。それからね、ひめゆり部隊は、ひめゆり学徒隊というのが本当の名称だ。ひめゆりはね・・・」 1943年、昭和一八年だな、沖縄県立第一高女と沖縄県女子師範学校が教育令改正によって併設されるに当たって、校友会も一つになり、それぞれにあった校友会誌もひとつになった。その際、二誌の名前「乙姫」と「白百合」から字を取って併せ新しい名称にしたんだ。それで「姫百合」になったそうで、ひらかなで「ひめゆり」と呼ぶのは戦後だそうだ。喜屋武岬の断崖に咲くのは偶然ではないような・・・ぼくは、そんな気がしている。 ぼくの母が、戦後もそのしらゆりを毎年観ていたのだと思えば、この酒は疎かには呑めないんだよ。 「しらゆりはうつむき咲きて母はなし(幡 敦)」と黒川がつぶやいた。 聴いていた亜希が「黒川さん…」と言ったきり絶句して、黒川の手を握った。 「黒川さん、今夜しらゆりを存分に飲んで下さい。私、明日ここへ来なくていいのなら、喜屋武岬へ行きます。断崖のしらゆり、見て来ます」 「そうしたまえ。しらゆり、今夜久し振りに北嶋君と呑ませてもらうよ」 「北嶋さん、いつまで・・・」 「数日中に出るつもりや」 「そうですか、沖縄では最後になりますね。お元気で・・・。いろいろ有り難うございました」 「松下さんも・・・。携帯電話は変えないから、また電話くれよ」 それに無言で頷いた亜希がユウくん言った。 「またお姉さんと海へ行こうね」黒川がニッコリ笑っていた。 裕一郎は、俺への海行き批判とはずいぶん扱いが違うじゃないかなどとは全く思わず、それでいいんですよと何故か豊かな心に洗われるのを感じるだった。
船はもう無い。予定通り近くのビジネスホテルに泊るという亜希が去り、三人で帰った。車の中で黒川が言う。 「ヒロくんから聞いたんだが、先日、大空が告白したらしい」 「へぇ~、そうですか」 「亜希くんの返事は、ゴメンナサイ!だったそうだ」 「そうなんですか」 「道理でオープン前ころから急に来なくなった訳だ」 「そうですかね、それは違うでしょう」 無言でしばらく走るとまた黒川が口を開いた。 「君は、先夜の朝帰りの時、亜希くんに拒否されたと言うより・・・、できなか・・・・・・まっ、いいか。二人の態度と会話でぼくには分かるんだよ。無駄に歳は喰ってない」 無視しておいた。黒川さん、貴方が言った通り当人たちだけが知っているんですよ。 裕一郎は思う。大空はいい男だ。けれど、例えどれほどいい男が目の前に現れようとも、亜希はこの三十歳の夏を譲り渡しはしないだろうと。男が手練手管や力で獲得するなら、それはある種の圧政だ、と。その関係はやがて破綻する、と。 何故なら、「そういう関係」でもなければ、その「タイミング」でもないからだ、と。 帰宅後、三人で出かけオバサンの食堂で夕食を採った。オバサンが、黒川のしらゆり持ち込みに快く応じた上に、オープン祝だと二品付けてくれた。二人で半分空けてしまった。
ユウくんが風呂に入っている間に、黒川が何やら箱荷を抱えて部屋にやって来た。 「君の報酬の件だが、すまないが現金は五万円にしてくれ。これは、売れば一点十万以上の値が付くはずの花器で、壷と花瓶だ。知念太陽の幻の作品だ。東京の太陽の工房が火災に遭った時、奇跡的に焼け残ったもの九点のうちの三点だが、太陽が工房再建の資金の一部にと売り捌いて、その後マニアの間で高価売買されている。ぼくは当時余裕があったから、カンパのつもりで買ってやったんだ火災の焦げ跡煤が付いた臨場感ある一品だ。ぼくはもう太陽と縁を切っているが、いつか有効な使い方をと考えて来た。三点が行方知れずだと太陽会の会報に出ていたから、面白いことになるかも知れん。これで許してくれないか」 「いいですよ」他に何の言葉も添えなかった。黒川がキョトンとして出て行った。
明後日から石垣島へ行こうと決めた。 花器三点を荷造りした。宛名欄に高志の住所・氏名を書いた。 翌朝高志に電話して、小旅行に行ってから帰阪するので焼物の荷をそちらへ送る、俺マンション返して今住所無いし・・・、代わって受け取っておいてくれ、と伝えて発送した。高志は笑っていた。予想通り現物支給になったのだなと分かったのだろう。 ユウくんへの挨拶が残っている。レンタカーを返す前にユウくんが通うひかり園へ向かった。
連載 75: 『じねん 傘寿の祭り』 八、 しらゆりⅡ (2)
八、 しらゆり②
翌日、裕一郎は園を休んだユウくんとともに比嘉の後輩の議員を訪ねた。ユウくんに週一回の付き添いを介護保険の範囲で確保できる手続きを取ろうとなった。帰宅して黒川に伝えよう。たぶん納得するだろう。議員は、黒川の居住地の担当窓口を教えてくれ、月曜日に連絡を入れておくと言ってくれた。上手く運ばない場合、いつでも駆けつけると、聞いていた通りの穏やかで誠実な対応をしてくれた。
昼から比嘉のアトリエを訪ね、ユウくんがシーサーの仕上げに熱中した。 帰り際、比嘉が言う。 「裕一郎。ジイさんは理不尽だ、俺は間違っていないと思っとるんか?」 「いいえ、同じ土俵でジタバタしてると思うてます」 「なら、ワシの話も聞けるじゃろ」 ジイさんの求めに応じて普通の男には出来ないようなメシを作り、了解を得てユウくんを海へ連れて行った。良かれと思って、二人で夜の居酒屋に行きユウくんに居酒屋体験を提供した。それは大きくは善意だろう。まぁ便利屋じゃな、ジイさんがお前さんのその便利さに甘えて色々要求したのがスタートだとしても、お前はその要求に長期間応えられないと解かっているのだから断るべきなんじゃ。ジイさん独りで続ける生活に将来繋がるような提案やサンプル提示をするんじゃのうて、お前がせっせと便利屋しとったんではアカンのじゃ。 「ええ・・・」 「ジイさんは彼なりの智恵を動員して引き止めようとしたんじゃろが、どうやら諦めたようじゃのぉ。ええかい外から来た黒川親子でも沖縄に深く縁ある者じゃ。黒川さんは沖縄の現代史の一側面を身に刻んで生きた人じゃ。お前は沖縄という物語の第一章の第一ページの数行を読んだんや。先を読む気はあるか?」 「たぶんあります」 「よっしゃ、それでええ、また沖縄へ来なさい。いや来れんでもええ。大阪ででも先を読める」 「比嘉さん、ありがとうございます」 「水臭いこと言うな。あの占拠中ビルの壁の落書き忘れてへんぞ、『叛乱と自治』、株式会社ワイトラップ。社名の由来も、読み解いたぞ。Y・TRAP、逆から読めばPARTY。英語でパーティー、ドイツ語でパルタイ、日本語で党。党組織の三角形が逆になっているようなカタチ、人間集団のスタイル。お互いの夢やのぉ。けど、自治できんのなら、それは結果として、ただの勝手・我が侭や、難しいのぉ~・・・。大阪へ帰ったら、意地張らんと高志に仕事探し協力させろ。」 「いえ、高志を卒業しなさいと、ある人に言われました」 「それは女性じゃろ、女房か? アハハ。女房の処へは帰れ」 「女房ではありません。女房の件は考えてますが、受容れてくれるかどうか・・・」 体長が人間の半分はある大きなシーサーが仕上がっている。比嘉が「ジイさんがそうしろと言えばいつでも若い者に運ばせる。しばらくここに置いておこう」と言ってユウくんに「それでええかの?」と確認していた。
日が暮れそうになった海岸沿いの道路を走り、ギャラリーに着くと初日と今日の両日を手伝ったヒロちゃんは渡嘉敷に帰っていて、ほどなく配達の帰りだと言う亜希がやって来た。「明日は私です、ヒロちゃんと交替。ボランティアは明日で終りですよ、黒川さん」と明るく言う。 「いや、明日はもういいよ。普通の店売り商売と違って、客と話し込んでいつか買ってもらう・・・そんな仕事なんだよ。来客は今日でもぼく一人で対応できる人数だった。日本のいい焼物を沖縄に広めること、ぼくの陶芸界の人脈がゆっくり沖縄に広がること、。そして沖縄のいいものを日本に発信できればいいんだ」 黒川は何故か淡々と話す。亜希が抱えていた「しらゆり」の一升瓶に目を遣って言った。 「亜希くん、その酒が好きなのかい? 今呑むのかい?」 「いえ、黒川さんにお持ちしました。私からのお祝いです」 「ハマってるそうですよ。母上が好きだった泡盛だそうです」裕一郎が言葉を添えると、黒川が言った。 「母上ねえ・・・。偶然と言うか、ぼくもこの酒は好きなんだ。亜希くん、しらゆりの花言葉は知ってるよね」 ん? 裕一郎と目を合わせた亜希は一呼吸置いて、黒川と向き合った。 イチニのサンとばかりに、亜希と黒川が同時に言う。 「母!」 。 「そう。聖母、マリア様、母だ。裕一郎くん知ってるかね、糸満の先、本島南端、ひめゆり学徒隊の最大被害の地に近く、追い詰められた多数の民間人が海に身を投げたという喜屋武岬の断崖にも咲くんだよ。母の故郷はそこから近い。裕一郎君、糸満美人って分かるか。ほれ、ヤクザの娘で教師という役の女優がいるだろう。あれがぼくが想い描いている糸満美人だ。ぼくの記憶では、母親はあの女優にそっくりなんだ」
黒川は少年のようにはにかんだ。そして、いつもの黒川節よりはトーン低く、しらゆりを語り始めた。
連載 74: 『じねん 傘寿の祭り』 八、 しらゆりⅡ (1)
八、 しらゆり①
翌朝、黒川は昨夜何もなかったようにケロリと「おはよう。さあ、オープンだ。常連が押し寄せるぞ」と能天気。裕一郎も合わせた。 「じゃあ、ユウくんの園もあるし三人で車で出かけましょうか。先に店へ行回ってそれからユウくんを送りましょう」 「そうだね。今日だけは早く行かないとね。明日からはひろしを送り出してからゆっくり行くよ。もう君に頼ることは出来ないのだからな」 裕一郎は、俺の退却を正式に承認したのだなと思って、昨夜の暴言も赦せるのだった。 ギャラリーには昼前から、もちろん押し寄せるのではないが、DMを観た常連や新聞・テレビを観た人々がやって来た。ご祝儀の購入もあり黒川は上機嫌。ヘルプに来ていたヒロちゃんも包装したりお茶を出したりしてキビキビ動いている。オープンらしい賑わいは心地よかった。
午後から比嘉が来てくれた。主宰する大人向け版画教室の生徒さんにと、そこそこ値の張る湯呑みを十三個、無理して購入してくれた。黒川は、新聞とテレビの礼を彼なりに精一杯表現している。 「息子さん、ユウくん元気ですか? ほれ例のシーサーの仕上げが残っております。裕一郎が居る間に来させないや。いいものに仕上がると思うんじゃ」 「いやー本人もあれは気に入っていて仕上げたいと思っているはずなんだよ。行かせよう」 比嘉はこれから那覇に在るその教室へ向かうと言う。彼を送りますと黒川に告げて出た。 「話があるんじゃろ?」 比嘉は鋭い。教室は夕方からだ。近くの喫茶店に入った。 「オープンしたことですし大阪へ帰ります」 「そうか。いいじゃないか、まぁお前さんとしては出来ることはしたんだ。帰りなさい」 比嘉の友人であり後輩でもある村会議員がいる。彼が障害者の授産施設の運営もしている。ユウくんの日常に、自宅と園以外の活動・体験を確保したい。その方法を相談したいと切り出した。 その場で村会議員に電話を入れてくれ、早速明日訪ねることになった。話の中で、黒川との二ヶ月を客観的には愚痴ってしまった。 黒川をよく知っている比嘉は「あのジイさんらしいのう」と笑って聞いている。 黒川の生母探しを聞き及んでいる範囲で全て話した。比嘉は初耳だと言った。
比嘉は生母探しを引き受けた女性の名:謝花晴海を言うと知っていた。探偵社のようなものを運営しながら、沖縄の山野やガマ(壕)に埋もれて眠る沖縄戦の遺骨の収集に汗を流し身元を調査し、判明した遺骨を遺族の許へ帰す、そのボランティア活動を地道に続けている女性で、面識もあると言う。彼女自身の父母が、ガマの惨劇の生き残りなのだだという。おそらく出生事情を知る長崎の関係者から聞かされていた黒川が、展示会で沖縄に来た時その女性に依頼していたのだろう。 そうか、美枝子が言っていた、沖縄国際大学へのヘリ墜落事件の翌日「沖縄の女性から」電話・・・、その電話の主が晴海に違いない。直後黒川は沖縄移住を決断したのだ。 比嘉が言った。 「ジイさんの生母探しは、彼女の遺骨収集の取り組みと決して無縁ではないぞ。ウチナァとヤマトゥの関係の一断面だな。彼女はそこを想って黒川の依頼を格安で請けて走り回ったんやろう。けどな裕一郎、ジイさんの気持ちは分かるが、その生母は長崎での日々と実子とを、つまり日本を封印して再出発して生きたのだ。明らかにすると言うても難しいのぉ。」 比嘉はゆっくりした口調で続ける。 もし、条件が整ったとして、条件というのは遺族・親族の同意などだが、確定するにはDNA鑑定だろうかな? 沖縄の墓制は、よく知られているようにカメヌクーという亀甲墓と呼ばれるものだが、女性の子宮を模したものだそうだ。母の胎内から生まれ死してまた帰って行くっちゅう訳だな。なら、女性も母親の墓に入るべきだが、妻は夫の大家族の墓に入る。死してなお、家・家族に縛られる。日本と同じや。 葬儀も、「二回葬」と言うてな、その大きな墓に埋葬して、遺骨が朽ちるのを待って数年後取り出し洗い清める。洗骨やな。独特や。ヤマトゥでも火葬が一般的になるのは戦後らしいが、ジイさんが生母だと言う女性が亡くなったのが五六年だとして、どうだろう移行期だったがまだ火葬ではないように思う。DNA鑑定には有利だな。いや待てよ、五六年といえば五十年前やのう、家々で違うと思うがもう墓の奥に先祖と一緒くたになっとるかもな。しかし、墓を暴くというか、墓から取り出してというのは、文化・民俗に馴染まないね。しかも、 問題は、その墓は夫の大家族の墓だということだ。離婚しても元夫との間に子がある場合、元夫家の墓に入るというほど家制度が生きている土地柄だ。親類縁者が承知せんじゃろ。ましてや、その生母はヤマトゥで出産したことを秘して生きたのじゃ。ジイさんの執念は波紋が大き過ぎる。つらいのぉ~。
連載 73: 『じねん 傘寿の祭り』 七、 しらゆり (9)
七、 しらゆり⑨
黒川は自説を全く修正しなかった。よく知りもせず夫婦のことに口出しするな、親子のことへの干渉は第三者特有の無責任な建前論だと一歩も譲らない。 そればかりか激しい会話の挙句、思いもよらない難癖を付けて来た。 「思っていた通り君もやはり美枝子と同じ世代・同じ傾向の自己愛人間だ。同じ穴の狢なんだよ。持続できないことをその場の自分の気持ち最優先でやっちゃう。相手・ことの実像、関係の総体を幾重にも検討して、時には引く・・・・それを知らない、知ろうとしない」 「はあ? それ、黒川さんあんた自身の自己分析ですか? あんたにだけは言われたくない。その言葉そっくりあんたに返させてもらいます」 「そうじゃないか! 君は何度かひろしを海へ連れて行ったが、ひろしに喜んでもらっていい気分を味わいたいという君のエゴなんだよアレは」 「何~ぃ! 連れて行ってやってくれ、と言ったのはあんたじゃないか」 「ぼくが遅くなった日に、久茂地の居酒屋へ二度も連れて行ったのも知っているぞ。君は大阪へ帰る人間だ、無責任なんだよ! 後のことはどうにでもなれ、ぼくは知らない好きにしろ、あとは野となれ山となれって訳か。車の運転など出来ない上に炎天下は身体に障る病を抱えた老人に、バスを乗り継いで連れて行くことなど出来ないことを知ってるくせに。ひろしに、ぼくが出来ないことを次々するんじゃないよ」 「何を言うとんのや。あんたが監督可能なこと、あんたが同行可能な範囲のことしかユウくんに体験させないと言うのか? その中にユウくんの人生を閉じ込めておけと言うのか? あんたこそ自己中心主義だと思わないのか」 「食事にしたってそうだ。ぼくでも簡単に作れる範囲のメニュウとか、買ってきて電子レンジでチーンするとか、出来るだけそういうものしようと心がけない。手をかける。君が居なくなった後ぼくに出来ないことばかりしやがって」 「あれが食いたいこれを作れと言うたのはあんたやないか。食って美味い美味いと褒めて煽てて・・・。」 「褒めるのは礼儀だからだ」 「話にならん! ぼくがしたことは全部迷惑やったと言うわけやな。ちょうどええ、店もオープンに漕ぎ着けたっことだし、いよいよ帰らせてもらう。もうあんたと言い合うのは止める。時間と精神の浪費や。結論!さいなら」 「残された者に出来ないことを見せつけ見せびらかし、上から目線を保ったまま帰りゃいいさ。勝手にしなさい。沖縄に移住した父子の処へ、軽い気持ちで気分転換とばかりにやって来た己の軽薄を噛み締めるがいい。いいか、ぼくは沖縄にずっと居るんだ、君と違って」 言い返す気にもなれず、部屋を出た。階段を降り始めた裕一郎の背中に、黒川が「明日のオープンも視に来なくていいからね」と投げつける声が聞こえた。続けて「去る者が一体何を視ると言うんだ」とつぶやくのも聞こえた。 いつか黒川は「ぼくもついこのあいだ六十だった。二十年はアッという間だよ。君もすぐぼくと同じ歳になるんだ。自覚しているかね」と言っていた。黒川にこそ、その自覚を求めたい。だが、その通りなのだ、俺もきっとすぐ八十だ。さっき展開された言い合いは、しばしばニュースが伝える老老介護の果ての殺人のようだ。じゃれ合い喧嘩のように見える発情牡象の威嚇のように、時に大怪我もする。些細に見えて、人と人の諍いの縮図なのだ。事実、黒川は最後の一撃を仕掛けて来た。
積んであった商品や書庫・衝立が持ち出されてガランとなった洋間の椅子に座って想った。 黒川は結局は「帰るな」と言いたいのだ、「帰ってくれるな」と。「君が居なくなればぼくはどうすればいいのだ」と。 だが黒川は、最初からの「オープンまで」との約束を百も承知し、裕一郎の今後の計画もあろうとも思ってはいる。しかも報酬を払えていない以上、帰るのは当然だと充分解かっているのだ。 その二つ、心理と道理の分裂を自覚して、裕一郎を責め立てることに感情を向け、その整理を付けているのだ。 祐一郎は、どんなに理不尽であったとしても、ことの真実をたぶん言い当てている黒川の言葉を振り返っていた。 「軽い気持ち」「気分転換」「沖縄の父子」・・・・。その通りだと思う。 黒川の最後の一撃にはただ黙って聞くしかなかった。黒川はこう言ったのだ。 上から見下して、ぼくとひろしをガードする輝ける騎士・ナイト気取りでいるんだろう? 言っちゃ悪いが、君の携帯に仕事や君の言う社会運動やそして女性から電話なんて掛かっては来ないじゃないか。することが無く、することを喪い、することに去られ、することから逃げた果てに、か弱い老人と障害ある子との危うい家庭へ、沖縄へと、潜り込んだんだ。ああ、もちろんぼくとて同類だとも。しかし君の振舞いや言動に在る、半端インテリ浪人のお助け根性などお見通しだよ。自分と老人黒川とは同じなんだという謙虚がない。 裕一郎は、たまにユウくんが海へだって行けるような方法、その端緒だけは組み立ててから帰ろうと考えた。 そして、黒川の生母探しの言動に、軽くあしらうように接してしまったことを悔いていた。 松山で美枝子は、長崎・原爆・ウメさんのおにぎり・運動会の弁当・美しい女性が登場する黒川から聞いたという話と、広島原爆ドーム前での知念太陽との再会などを語った。もらい泣きしそうになって黒川の孤絶を想ったと語った。元夫婦に在ったはずの絆の大もとを視た気がしたのだ。そうした絆を持ち得るのも、それを解体して憎しみ合えるのも、夫婦ならではの宿業なのか? 憎しみ合っている訳ではないが離れている己が夫婦の姿を思えば、黒川にはそっけなく「ハイハイ」と返してしまうしかない己だったのだ。
(七章 終 次回より 八章、しらゆりⅡ )