連載 73: 『じねん 傘寿の祭り』  七、 しらゆり (9)

七、 しらゆり⑨

黒川は自説を全く修正しなかった。よく知りもせず夫婦のことに口出しするな、親子のことへの干渉は第三者特有の無責任な建前論だと一歩も譲らない。                                                                                                                                                                                  そればかりか激しい会話の挙句、思いもよらない難癖を付けて来た。                                                                                          「思っていた通り君もやはり美枝子と同じ世代・同じ傾向の自己愛人間だ。同じ穴の狢なんだよ。持続できないことをその場の自分の気持ち最優先でやっちゃう。相手・ことの実像、関係の総体を幾重にも検討して、時には引く・・・・それを知らない、知ろうとしない」                                                                                              「はあ? それ、黒川さんあんた自身の自己分析ですか? あんたにだけは言われたくない。その言葉そっくりあんたに返させてもらいます」                                                                                                                                                               「そうじゃないか! 君は何度かひろしを海へ連れて行ったが、ひろしに喜んでもらっていい気分を味わいたいという君のエゴなんだよアレは」                                                                                                                                         「何~ぃ! 連れて行ってやってくれ、と言ったのはあんたじゃないか」                                                                                                                           「ぼくが遅くなった日に、久茂地の居酒屋へ二度も連れて行ったのも知っているぞ。君は大阪へ帰る人間だ、無責任なんだよ! 後のことはどうにでもなれ、ぼくは知らない好きにしろ、あとは野となれ山となれって訳か。車の運転など出来ない上に炎天下は身体に障る病を抱えた老人に、バスを乗り継いで連れて行くことなど出来ないことを知ってるくせに。ひろしに、ぼくが出来ないことを次々するんじゃないよ」                                                                                                                                                                                   「何を言うとんのや。あんたが監督可能なこと、あんたが同行可能な範囲のことしかユウくんに体験させないと言うのか? その中にユウくんの人生を閉じ込めておけと言うのか? あんたこそ自己中心主義だと思わないのか」                                                                                                                                                                                   「食事にしたってそうだ。ぼくでも簡単に作れる範囲のメニュウとか、買ってきて電子レンジでチーンするとか、出来るだけそういうものしようと心がけない。手をかける。君が居なくなった後ぼくに出来ないことばかりしやがって」                                                                                                                        「あれが食いたいこれを作れと言うたのはあんたやないか。食って美味い美味いと褒めて煽てて・・・。」                                                                                                                                   「褒めるのは礼儀だからだ」                                                                                                                                                                                                              「話にならん! ぼくがしたことは全部迷惑やったと言うわけやな。ちょうどええ、店もオープンに漕ぎ着けたっことだし、いよいよ帰らせてもらう。もうあんたと言い合うのは止める。時間と精神の浪費や。結論!さいなら」                                                                                                                                                                                                    「残された者に出来ないことを見せつけ見せびらかし、上から目線を保ったまま帰りゃいいさ。勝手にしなさい。沖縄に移住した父子の処へ、軽い気持ちで気分転換とばかりにやって来た己の軽薄を噛み締めるがいい。いいか、ぼくは沖縄にずっと居るんだ、君と違って」                                                                                                                          言い返す気にもなれず、部屋を出た。階段を降り始めた裕一郎の背中に、黒川が「明日のオープンも視に来なくていいからね」と投げつける声が聞こえた。続けて「去る者が一体何を視ると言うんだ」とつぶやくのも聞こえた。                                                                                                              いつか黒川は「ぼくもついこのあいだ六十だった。二十年はアッという間だよ。君もすぐぼくと同じ歳になるんだ。自覚しているかね」と言っていた。黒川にこそ、その自覚を求めたい。だが、その通りなのだ、俺もきっとすぐ八十だ。さっき展開された言い合いは、しばしばニュースが伝える老老介護の果ての殺人のようだ。じゃれ合い喧嘩のように見える発情牡象の威嚇のように、時に大怪我もする。些細に見えて、人と人の諍いの縮図なのだ。事実、黒川は最後の一撃を仕掛けて来た。

積んであった商品や書庫・衝立が持ち出されてガランとなった洋間の椅子に座って想った。                                                                 黒川は結局は「帰るな」と言いたいのだ、「帰ってくれるな」と。「君が居なくなればぼくはどうすればいいのだ」と。                                                                                                                     だが黒川は、最初からの「オープンまで」との約束を百も承知し、裕一郎の今後の計画もあろうとも思ってはいる。しかも報酬を払えていない以上、帰るのは当然だと充分解かっているのだ。                                                                                                                     その二つ、心理と道理の分裂を自覚して、裕一郎を責め立てることに感情を向け、その整理を付けているのだ。                                                                                                                                                        祐一郎は、どんなに理不尽であったとしても、ことの真実をたぶん言い当てている黒川の言葉を振り返っていた。                                                                                 「軽い気持ち」「気分転換」「沖縄の父子」・・・・。その通りだと思う。                                                                            黒川の最後の一撃にはただ黙って聞くしかなかった。黒川はこう言ったのだ。                                                                                                                            上から見下して、ぼくとひろしをガードする輝ける騎士・ナイト気取りでいるんだろう? 言っちゃ悪いが、君の携帯に仕事や君の言う社会運動やそして女性から電話なんて掛かっては来ないじゃないか。することが無く、することを喪い、することに去られ、することから逃げた果てに、か弱い老人と障害ある子との危うい家庭へ、沖縄へと、潜り込んだんだ。ああ、もちろんぼくとて同類だとも。しかし君の振舞いや言動に在る、半端インテリ浪人のお助け根性などお見通しだよ。自分と老人黒川とは同じなんだという謙虚がない。                                                                                                                                                       裕一郎は、たまにユウくんが海へだって行けるような方法、その端緒だけは組み立ててから帰ろうと考えた。                                                                                                                                               そして、黒川の生母探しの言動に、軽くあしらうように接してしまったことを悔いていた。                                                                                           松山で美枝子は、長崎・原爆・ウメさんのおにぎり・運動会の弁当・美しい女性が登場する黒川から聞いたという話と、広島原爆ドーム前での知念太陽との再会などを語った。もらい泣きしそうになって黒川の孤絶を想ったと語った。元夫婦に在ったはずの絆の大もとを視た気がしたのだ。そうした絆を持ち得るのも、それを解体して憎しみ合えるのも、夫婦ならではの宿業なのか?                                                                                                                            憎しみ合っている訳ではないが離れている己が夫婦の姿を思えば、黒川にはそっけなく「ハイハイ」と返してしまうしかない己だったのだ。

(七章 終  次回より 八章、しらゆりⅡ )

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