Archive for 1月, 2011

通信録: ぼくらに棲み付いている「宗主国性」

=前頁続き=                                                                                                                       その女性作家は、有名な『ある神話の背景』(73年)で、いわゆる「聞取り」を重ね「軍命はなかった」論を展開した。                                                                                                                                                               クリスチャンである彼女が「集団自決」の見本(?)として持ち出す話に『マサダ集団自決』というのがあるそうだ。                                                                   

【以下、文芸評論家・山崎行太郎ブログ:  http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/ より】                                                                                                                                マサダというのは、ヘブライ語で「要塞」の意味で、西暦73年、ローマ軍に追いつめられたユダヤ人960名が集団自決した場所だそうだ。                                                                                                    西暦70年にエルサレムがローマ軍によって陥落させられた後のユダヤ人の最後の拠点で、                                                                    三年間持ちこたえたが、西暦73年に陥落、その際、ここに立てこもっていたユダヤ人は、ローマ軍に降伏するより集団自決を選んだそうだ。                                                                                                     曽野は言う。                                                                                                                                    日本人とユダヤ人の大きな違いは、マサダの自決をどう評価するか、において見ることができる。イスラエルでは、マサダの集団自決を、非人間性や好戦性の犠牲者として見るどころか、そこで自決した960人の人々を、ユダヤ人の魂の強さと高貴さを現した人々として高く評価したのであった。しかし沖縄では、集団自決の悲劇は軍や国家の誤った教育によつて強制されたもので、                                                                                                                                                                                              死者たちがその死によって名誉を贖ったとは全く考えてもらえなかった06年4月『集団自決の真実』前書き)-「ある神話の背景」再版-                                                                                                               曽野は、これを美談、自決の鏡としてしばしば持ち出す。                                                                                                                           ****************************************                                                                                                                                       彼女の考えを示す発言:                                                                                                        *大型台風被害について、                                                                                                                                                                                   「一晩くらいの事で何でそんなに避難者を甘やかすのか、避難するなら健常者は食糧寝具くらい自分で避難所に持って来るのが普通」                                                                                                                                                               *新潟県中越地震について、                                                                                                                                                       「避難者は甘え過ぎだ。寝具を担いで逃げるのは当たり前。自分ならガス漏れの心配のない所ですぐに火を熾して米を炊く。                                                                                                                                                                                                                                                                                      必要なものが手元にないのなら、その辺で調達してくる才覚も必要だ」 【その辺ってどの辺だ?窃盗の勧めか! (品川宿たそがれ野郎)】                                                                                                                                         (参照: http://dj19.blog86.fc2.com/blog-entry-174.html http://blog.goo.ne.jp/hienkouhou/e/5123ac27fa4a13fed8c3eee97200a646 他)                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                           

国家の為、天皇の為、民族の大義の為の「殉死」を尊いとするのは、彼女の勝手だが、その「尊い」「殉死」を軍・兵士の「自決」に求める、あるいは自身に求めるのなら同意はしないが、ひとつの考えとして認めよう。                                                                                                                だが、沖縄で、座間味島・渡嘉敷島で死を遂げたのは、指揮官でも日本軍兵士でもなく、強制集団死に追いやられた民間人島民であり、                                                                                                                                米軍上陸に際して日本軍陣形を漏らすスパイとされ日本軍に処刑された島民なのだ。殉死・自決を称えたいとしても、指揮官を先頭に軍民全員がユダヤの大義に殉じたとされる2000年も前の『マサダ』(「史実じゃない『神話』だ」との説もある)と、沖縄の現代の強制集団死には、大きなそして根本的な違いがある。                                                                                                                                                      敗戦を14歳を間近にした13歳で迎えた文学少女の自己解体を押し留める「思想」が、何故、準植民地であった、ヤマトではない沖縄の、離島の貧しくひもじい人々に、いわれもなく被せられ代行を強要されなければならないのか?                                                                                                                                                                                「憶えにくいので」と彼女自身が作った下記の慶良間諸島の島名覚え歌にその答えがあるように感じるのだ。                                                                                     『慶良間ケラケラ、座間味ザマミロ、阿嘉アカンベエ』・・・。(ウィキペディア)                                                                                                                                                       彼女にとって、沖縄-琉球は他者なのだ。本来、自己があって、五分の他者がある。が、ここでは、自己の内部矛盾を、自己の抱え切れないものを 背負わせてOKな他者なのだ。「宗主国」ヤマトの大義を圧し付けても、自己の「殉死」への憧れを代行せよと求めても、何を被せてもOKな                                                                  「絶対他者」、すなわち「宗主国」にとっての「植民地」なのだ。                                                                                                         それは、そのまま、現在の沖縄と日本の関係を映し出している。                                                                                            沖縄の米軍基地を県外へ、と聞けば「本土の沖縄化だ」「全国基地化だ」としか反応できないぼくら自身(ぼく自身そう言って来た)に、                                                                                                                                   「宗主国性」の変異種など棲みついてはいないと言い切る自信は、ぼくには無い。

ぼくは、今、彼女より5歳年長のある女性詩人を思い浮かべている。                                                                                同じく軍国日本の末期に女学生であり、年齢から言えばその女性詩人が彼女たちの前に立ち、軍事教練を仕切っていた上級生だと捉えても、時代と世代の構造としては分かり易い。その数年の差(実は半当事者と少女の違いは大きいとは思うが)を強調したいのではない。その違いを相対化できるか否かの、思想的構えや深度の差を言いたいのだ。                                                                                                                                 優等生であり、四百人の女生徒の軍事教練を率先して推進し、軍務教官から褒められる軍国少女でもあったという女性詩人の、戦後間もない時期の痛々しくも鮮やかな回生の記憶だ。                                                                                                        だが、その詩人は、彼女のように他者に己が美学(?)=『神話』を、しかも筋違いに押し付けて、幼い「美学(?)」の崩壊を回避し続けて生き延びるのではなく、慟哭の自己解体を経て回生を遂げた。  聖心女子大英文科卒のインテリ・クリスチャンよ! その痛苦と誠実を少しは知れ。                                                                                                                                                                                             ーーーーーーーーーーーーーーーー-ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

夏草しげる焼跡にしゃがみ/                                                                                                                                                                   若かったわたくしは/                                                                                                                                                          ひとつの眼球をひろった/                                                                                                                                  遠近法の測定たしかな/                                                                                                                              つめたく さわやかな!//                                                                                                 たったひとつの獲得品                                                                                                            (茨木のり子「いちど視たもの」より)

                                                                                                                                              

ほろ酔い通信録: 年末・年始 あれこれ

年末から帰阪している。記憶に残る年末・年始となりそうだ。                                                                                                                                                                                                        

年末:                                                                                                                                                                                          女房の呼掛けで、息子三人(調理人・教員)の妻の親が、「**夫妻の親の会」(仮称)に集まって忘年会をした。                                                                                                                いささか珍しい集いかもしれないが、茨城・奈良・大阪から娘宅訪問を兼ね駆けつけての参集でもあった。                                                                                                                                                                                                                                                                           娘の夫の両親の呼びかけ、その一人は自称「たそがれ野郎」・職業不詳の怪しげな男。その男の息子の女房の親という縁とは言え、                                                                                                                                                              よくぞ参集して下さったものよ、 と感謝の気持ちでいっぱいだ。                                                                                                                                                                                                                     同世代が七人、それぞれ初対面(我が夫婦を除いて)でもあったが、すぐに打ち解けて呑んで食って、それはそれは楽しい会とはなった。                                                                                                                                     盛り上がった勢いで「毎年は無理でも、二年に一度は集まろう」との提案もあり、当方が大社長・高級官僚ではこうは行かないよな、との身勝手な言い分に、女房から「何を開き直った自慢をしとるんや? 老年フリーター君!」と早くも当然の突っ込みあり。                                                                                                                                                                                                                             ともあれ、息子とその妻の組合せの妙への「なるほど」感が倍化した忘年会だった。

年始:                                                                                                                                                    元日、子や孫が我がボロ家に集まり、孫の成長を喜ぶよりは、我が年齢を再確認させられたことだった。                                                                                                                                                                                                           三歳女児の言動に、何故か書いている小説モドキに登場させた女性たちのことばかり想っていた。                                                                                                                                                                                                                      偏差値・体力・職業・収入・キャリア・・・そんなことはどうでもいい(とは言わないが、そして基礎的な「人間力」を身に付けよと強く思うが)、                                                                           それよりも、孫よ!どうか「賢い、いい女」になってくれ! ますます若者が生きにくい社会ではあるけれど、顧みられなくなった価値、浮世偏差値では計れない価値、を生きる「おんな」 になってくれ!                                                                 爺はいつでも応援するぞ・・・とつぶやいていた。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                     

**始め:                                                                                                                                小説モドキ『じねん傘寿の祭り』のこと。                                                                                                                                                              小説モドキで、間もなく(次章で)、裕一郎は亜希と再会する。                                                                                                                                          再会は本島の玉城方面の海岸沿いだったのだが、粗原稿に目を通していた親しい女性読者から、「再会シーンは、是非離島にして欲しいわ」との要望通信があって、簡単に「ええですよ」と返した。その読者は、青い空、澄んだ海を背景にした再会を期待したのか・・・。                                                                                                                                                                                         ちょい書換え変更すれば済むだろうと、ぼく自身嵩をくくっていた。                                                                                                                                                         黒川にはダウン症の息子ユウくんが居り、日帰往復可能な島でないと、辻褄が合わない。しかも、設定されている経済状態からも、飛行機で石垣島日帰り・・・では不自然なのだ。日帰可能な離島で、海が綺麗で、ヒロインが居るに相応しい景色で・・・と難しい。                                                                                                                                                                               美しい慶良間の海を思い付き、「あのこと」を気にしつつ、つい渡嘉敷島にしてしまった。高速艇で那覇から35分だ。船の出航時刻表、ヒロインは何をして食っているのか、景色、土地勘・・・、グーグルアースで調べたり、観光案内HPを繰ったり、と苦労した。小説モドキに、慶良間諸島の「強制集団死」を半端にアレコレ書くつもりはもちろん無いがより知っておくべきだと、知ってるつもり事項を紐解いていろいろ読んでいた。  で、つくづく、「強制ではない」「大義に殉じた尊い自決だ」と主張する某女性作家の幼い日からの「美学(?)」とその処理方法にへばり付き、あまねく国民に行き渡っている「宗主国性」を想った。(次頁へ続く)                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                             登場人物の再会場面を何処にするか・・・それが、こんなに大仕事だとは思わなかった。渡嘉敷島に変更したばっかりに、いや「したおかげで」、その女性作家の倒錯の意味に出遭い考えることも出来た訳だ。                                                                                                                                                                                                    物語を知っているその読者が、たそがれ野郎が近い離島・慶良間方面を選ぶだろうと踏んで、「離島にして欲しいわ」と要望して、「強制集団死」を熟考させようとしたのだと思えてならない。

                                                                                                                                                         

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