交遊通信録: 辺野古新基地建設反対! 普天間基地即時撤去!

 

 

 

 

 

 

『辺野古の海をまもる人たち-大阪の米軍基地反対行動 (田中佑弥 編・著、東方書店)の人々へ

http://www.tohoshuppan.co.jp/2009ho/09-11ho/s09-152-7.html 

1月30日16時38分配信 時事通信:
社民党の福島瑞穂党首(消費者・少子化担当相)は30日、都内で開かれた米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の同県名護市辺野古への移設に反対する集会であいさつし、「辺野古に基地を造ることは不可能だ。社民党が許さない」と述べ、鳩山由紀夫首相や平野博文官房長官が辺野古への移設の可能性を排除していないことをけん制した。
福島氏は「普天間飛行場の県外・国外移設(実現)へ全力を挙げる。(移設先の決定期限とされる5月までの)数カ月、こん身の力を込めて頑張り抜く」と強調した。集会は市民団体や労働組合の主催で、約6000人(主催者発表)が参加した。 

AM:5;30:起床
AM:7:00:西新宿現場スタート
PM:1:30:現場中断
PM:2:20:日比谷野音 ものすごい熱気
PM:4:30:現場再開 その後富士に沈む夕日拝観
PM:8:30:新宿思い出横丁で モツ煮込み+焼酎

国会前に座り込む「9条改憲阻止の会」の親爺の言葉が沁みてくる。

『 「OCCUPIED OKINAWA」。
 ヤマトが 明治政府が そして日米が、沖縄を占領し続けて来たのだ。
   「戦後」というもの総体が、そのことを与件として成り立って来た。
   沖縄はその丸ごとの見直しの開始を、求めている。 』 

民主党政権、平野官房長官!                                                                               名護市長選結果を「斟酌(しんしゃく)しなければならない理由はない」って?                                                    蹴り上げてやろうかと思ったと言う議員もいたらしい。

 

 

画像『普天間基地問題』            http://www.youtube.com/watchv=W1KvvbqUU4&feature=player_embedded                                                                               

名護市長選結果: http://www.youtube.com/watch?v=TEvg_uD8r8U&NR=1

                                       

交遊通信録: 団塊厄介?

団塊モンスター
 
理路整然・善意と独善・自信過剰の団塊オヤジたち
「団塊モンスター」がいたるところで人々を困惑させているらしい。
 
日刊ゲンダイによれば、
「ほらほらネクタイが曲がっているぞ」「ワイシャツがシワだらけじゃないか」
毎日のように相模原市役所を訪れ、頼まれもしないのに職員の服装や整頓状況を
チェックしていた団塊オジサン=名物クレイマー。
NHK視聴者コールセンターに意見を寄せるのはいいのだが、「そもそも龍馬とは・・・」と長々と
自説と世界観を一方的に語り始める。アルバイトの女性に語ってどうなるものでもあるまいに・・・。
大学病院で「何で待たせる」「誤診なら訴えるぞ!」と激昂する。
自分だけはという想いが強いのがこの世代の特徴。しかも「善かれ」と思っての善意と正義感が
出発点だから始末に悪い。「団塊」なる語は堺屋太一氏の命名で、
1947/48/49/50生れの所謂第一次のベビーブーマーたちのことで存命者は
47年222万、48年233万、49年235万、50年213万 何と計約900万人もいる。
「日野市団塊世代広場」の高野寿一理事長は「団塊世代はリタイア後少なからず喪失感
のようなものを抱えています」「プライド」と「スキル」があって云々・・・・。
 
そうか? そんなことはこの世代にのみ特徴的なことでも何でもない。
上記の三つの例は、単にその個人のおバカ加減の表れでしかない。
世代を論ずるなら、もう少し時代と歴史を背景に説得力ある説を立てて欲しい。
ところで、「そもそも龍馬は」ではないが、話が通じそうな相手と見るや即
「そもそも『日出る処の天子』とは・・・」とやらかすぼくは、『品川モンスター』なのかも…。
体験的に言うと上記三例には「ブログ」の立上をお勧めする。
かく言うぼくは、強制的(と言われそうな)に読まされるメールでの我が「駄説」に辟易した(に違いない)友人に、読みたい時に任意で開けるブログを勧められたのだ。
                                              意外な反応や応援にも出会えて、悪くはないですよ。
 

たそがれ映画談義: 彼は再びピレネーを越えた、今度は逆から。

『日曜日には鼠を殺せ』
(米64年。監督:フレッド・ジンネマン、出演:グレゴリー・ペック、アンソニー・クイン、オマー・シャリフ。音楽:モーリス・ジャール。)
 
DVD紹介文:
スペイン市民戦争(1936~39)は共和国軍の敗北をもって終った。
市民軍ゲリラの英雄マヌエル・アルティゲスもフランスへ逃れ20年が経った。今(59、60)は、目的も失い無為に日々を送っている。
が、つい数年前まで母国に侵入しては金融機関・行政機関襲撃など、故郷へのゲリラ活動を繰り返していたのだった。
地元警察署長ビニョラスは、何度も捕り逃がしアルティゲス逮捕に執念を燃やし続けていたが、国外では手が出せず、
アルティゲスの病に伏す母が息子に会いたがっていると、偽の情報を流す。
それに気付いた母は「罠」であることを知らせようと、神父に頼むのだが・・・・・・。
 
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共和国政府(36年樹立、人民戦線政権)の内部は、穏健共和派、自由主義者、社会党、親ソ共産党、
反スターリン派(POUM、ジョージ・オーウェルはここに参加)、労働組合では社会党系UGT、
アナキスト系CNT(人民戦線には参加していない)といった具合の混成だったが、
現代思想と20世紀政治運動の百貨店だったとも言われ、内部混乱は激しかった。
 39年1月バルセロナ、3月マドリード陥落。ナチスに支援されるフランコ派の勝利で終った。 ← たそがれ映画談義: 耳に残る幼き者の叫び-①
 
モーリス・ジャールのテーマ曲は、
フランスで亡命者生活を送る主人公マヌエル・アルティゲスの孤独な「敗残」の、
荒れてうらぶれた「生」を映し出して、もの静かに始まる。
スペイン市民戦争を闘ったアルティゲスは、
かつて敗走の果てに、国境で武装解除に応じ雪のピレネー越えをしたフランス亡命組の一員だった。
(CNT:ツェー・エヌ・テーに属していたのだろうか? POUMだろうか?)。
ドキュメント映像を交えたピレネー越えのプロローグには、
NHK「映像の世紀」の主題曲、加古隆さんの音楽が似合いそうな歴史の重量があった。
 
やがて、ジャールのテーマ曲は、行かねばならぬ死地への旅立ちを促すように
静かな闘志を後押しするマーチ(しかし実に静かなマーチ)へと変奏して行く。
このモーリス・ジャールの音楽が素晴らしい。(どこかにないかなぁ~)
このまま死ぬまで何も出来ず朽ち果てるだろう亡命者としての「余生」を断ち、
たぶん「罠」だろう、そしてたぶん殺されるだろう最後の「一戦」に起つ・・・・・・、
そんな初老の元闘士が、20年前とは逆にフランス側からのピレネー越えを単独で敢行する。これまでの国境越えとは違うのだ。
抗いがたい『吸引力』に引き寄せられるような最後の日々を描いて忘れがたい作品だった。                                   ビデオ化を待ち望んでいたが、いつまで待っても実現しなかった。ペックの死が理由なのか
数年前にDVD化されたが、売れる見込みが立たないようで、抱き合わせ作品(駄作)とセット発売となった。                                    だが、どうしても欲しく、裏技で単独一枚手に入れ、もう会えなくなった人に会えたような気分を味わった。
果たさねばならない「敗残」の課題を抱える者の、行かねばならぬ心、                                                      
敗走と決着・・・二度ピレネーを越える者のこころ仮想体験させてもらった。
警察署長の「罠」を知らせようとする神父(オマー・シャリフ)の「現世の法に従うべきか、神の法に従うべきか」
と苦悩する(結局逮捕されるのだが)姿に、内戦時に教会が果たした役割、つまり、
「戦争と宗教」という近現代史への作者の忸怩たる想いが滲み出ていて深い。                                                                      (YouTubeでプロローグ映像 発見。タイトル・バックに主題曲が流れている。http://www.youtube.com/watch?v=x37qCdT8SP0 )

歌遊泳: 高田渡的 【?】

菅原克己『ブラザー軒』を載せた際に、高田渡が付けた曲を添付した勢いで、
彼の歌と映像をいくつか集めました。
高田渡さんは05年4月に、そして浅川マキさんが先日、逝きました。
70年前後というものが遠ざかって往き、返す波のように近付いて来るのです。
画像は左69年と、右03年(or04年)の高田渡さんです。
 
文学の言葉がある。思想や政治の言葉がある。それを含み越えて強い、高田渡的【?】生活の言葉がある。そう言う人もいる。
 
【追悼:高田渡】

交遊 通信録:  ふと「ブラザー軒」

【ブラザー軒】 菅原克己
 
東一番丁、
ブラザー軒。
硝子簾がキラキラ波うち、
あたりいちめん氷を噛む音。
死んだおやじが入って来る。
死んだ妹をつれて
氷水喰べに、
ぼくのわきへ。
色あせたメリンスの着物。
おできいっぱいつけた妹。
ミルクセーキの音に、
びっくりしながら
細い脛だして
椅子にずり上がる。
外は濃藍色のたなばたの夜。
肥ったおやじは
小さい妹をながめ、
満足気に氷を噛み、
ひげを拭く。
妹は匙ですくう
白い氷のかけら。
ぼくも噛む
白い氷のかけら。
ふたりには声がない。
ふたりにはぼくが見えない。
おやじはひげを拭く。
妹は氷をこぼす。
簾はキラキラ、
風鈴の音、
あたりいちめん氷を噛む音。
死者ふたり、
つれだって帰る、
ぼくの前を。
小さい妹がさきに立ち、
おやじはゆったりと。
東一番丁、
ブラザー軒。
たなばたの夜。
キラキラ波うつ
硝子簾の向うの闇に。
 
 
 
 
 
 
事大主義、深刻、見せかけ、難解、それがいちばん嫌いだったので
                 ぼくは詩人になったはずだ。(菅原克己)
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*高田渡が『ブラザー軒』に曲を付けてます。

通信録&歌遊泳: 訃報 浅川マキ(享年67歳)

訃報 浅川マキ

若い知人が知らせてくれた。

『ブログ「たそがれの品川宿」でのカルメン・マキさんに関する記述が、                                                                                    私が京都で浅川マキさんのライブを観て聴いて得た感覚に近いと思えて、お知らせしました。』 と、あった。

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時事通信 1月18日14時51分配信 

浅川マキさん死去                                                                                                黒装束に身を包んだ独特のライブ活動で知られた歌手の浅川マキさん(写真)が17日午後8時、                                                  心不全のため公演先の名古屋市内の病院で亡くなった。67歳だった。                                                                               代表曲「夜が明けたら」「ちっちゃな時から」「ふしあわせという名の猫」「少年」「かもめ」    

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 『ふしあわせという名の猫』 http://www.youtube.com/watch?v=-U089XOr3WA&feature=related

自身のスタイルを貫いた、云わば「非転向」の生涯だったか・・・                                                                                            ぼくらより少し若い世代=「***に遅れて来た世代」の精神風景にドンピシャだったよと言われたりしているが、                                                                           どうなんでしょう。そうではなく、70年代初頭の迷える精神の、世代を超えた代弁者ではなかったか?                                                そして、それは今現在の若者に届く普遍性をもっている、と思う。

 

ぼやき: 民主党政権潰したい連合・・・

東京新聞はまともである。
 
小沢関連逮捕劇に紙面を割いて、四人の識者の声を載せている(1月17日、朝刊)。
 
【いずれも要旨】
*魚住昭氏:
『検察はなぜ強引に突き進むのか。理由は二つある。一つは、リタ-ン・マッチ、意趣返しだ。
  去年三月、検察は西松事件で大久保秘書を逮捕したが、これは大失敗だった。
 世論は検察捜査の公正さに強い疑問を持ち、総選挙の民主大勝利に貢献したとまで揶揄された。
 小沢関係の事件をやって汚名をそそぎたい、そんな不純な意図が紛れ込んでいる。
 二つ目は権力闘争。検察を中心とする「霞ヶ関」から国家の主導権を政治に取り戻すのが、 
 小沢・民主党だとして、これを阻止したい「霞ヶ関」全体の意思である。捜査の最終的目的は、
 小沢失脚と民主党政権の瓦解である。去年の選挙の結果が捜査によって無に帰す。
 そんな政治的な捜査があっていいのか。』
*青木理氏:
『小沢という政治家は不快だ。しかし、小沢と対峙する検察組織には、さらなる強い嫌悪を覚える。 
 過去に検察は組織内部の不正を告発しようとした幹部を口封じのために逮捕するという
 信じ難い挙に出た「前科」もある。もうひとつの問題は、本紙を含むメディアの検察に対する姿勢だ。
 検察捜査のお先棒を担ぐ垂れ流しの報道姿勢には辟易させられる。』
*若狭勝氏:
『今回の事件は悪質性が高い。虚偽記載の額は少なくとも四億円に上る。「ゼネコンからもらった金で
 土地を買った。だから正しく記載できなかった」という動機が見て取れる。「政治を浄化する」という
 法の趣旨から言っても捜査を尽くさなければ検察の職務放棄と批判される。』
*大谷昭宏氏:
『政治家は国民の代表であり、罰すべきなのか慎重に判断する必要がある。厳密に調べれば
  不記載・虚偽記載は与野党ともに次々見つかるだろう。法に触れれば何でも捜査できるとすれば、
 検察の意に沿わない党や議員に対し、常に司法権が行使えきることになってしまう。
 ダム建設などで汚職がなかったかの確認が先だ。不記載・虚偽記載を追及するのはその次の段階。
 なのに、ゴールから事件に入っている。何としても手を付けたいという恣意を感じる。
 その背景に、外国人参政権・捜査の可視化・検事総長の人事などをめぐる動きがある。
 捜査というよく切れる刀は抑制して使うべきだ。』
 
ともあれ、民主党政権潰し、アメリカ及び軍事筋、沖縄基地固定強化派、霞ヶ関その一員検察、
そしてマスコミ・・・・様々な連合力が背後で大きくうねっていることだけは間違いないと思う。
『願わくば、これが検察の目標を超えて、小沢的要素を極力弱めた現与党勢力の再編強化、
  検察の自滅へと進んでくれることを願っています。』   (K大 某名誉教授談)
両者刺し違えての、ともに「自滅」がいいが、とりあえず検察ファッショを暴かないと、民主党政権が瓦解だ。それは、よろしくない!

つぶやき: 新宿。高層ビルから「富士」、45年前の酒

正月、8日から2010年最初の仕事にかかっている。
当方にしてはデカい現場、西新宿・高層ビルの37階、800坪のオフィス施工だ。
南側の壁面造作が終わり、今日から北側の部屋に移動した。
一月・冬晴れ・日曜日・・・、好条件に「富士山が見えるはず」と
朝一番8時に現場ビル北西窓から視ると、
果たせるかな、北西方向に大きな富士山が白く深く渋く、輝いていた。
 
東京の人は無関心でも、東京以外の人=おのぼりさんは、
クッキリ見える富士に例外なく感激するそうだ。
銀渋の富士、無言の富士に、ご多分に漏れず脱帽。これ、何なのか・・・。
機密性の高い高層ビルの窓は外の雑音は遮断されていて、
文字通り「無言」の富士だ。
江戸の人々が富士に払った敬意が分かる気がした。シャッターを切った。
 
施工は区切りまで仕舞えず、7時終了となった。
帰りに新宿駅・線路沿いの「思い出横丁」に立ち寄り、モツ煮込みと湯割り焼酎。
昔(65年秋・高三)、弟の先輩で日大芸術学部映画学科在学の人を紹介してもらい、頼って上京し、
江古田の映画学科に体験入学と称してもぐり込み、授業を味わった。
夜この横丁に連れられ、呑めない酒を呑んだことがある。45年前になるのか・・・。
様々な事情で、その冬、大学受験はせず、その後パチンコ店などで住込み店員として転々とするのだが、
そのまま日芸に行っていたら、日大闘争に関与したのだろうなぁ・・・             
 壮絶極まる、伝説の「江古田城攻防戦(?) 」 おゝ恐わぁ。    
 http://www.z930.com/index.html (人は思うだろう。この記録収集努力に見える肯定性や、楽天的というかプラス志向、 甘いのう、と。
が、それが日大なのだ。東大的自己否定とは一味違う、全共闘のもう一つの一面だ。ぼくらはそのどちらにも徹せなかったに違いない)
森田童子が言う『もう一度やり直すなら、どんな生き方があるだろうか・・・』     ← 戦後歌謡曲空間「無許可遊泳」:森田童子の磁力に抗して
とは、このことか・・・。 人生は複雑なようで単純だ。単純なようで人様には通用しない手前勝手な味もある。

ほろ酔い 通信録: 君が嫌がる「二階堂CM集」

I 君へ
 
『夢を持てと励まされ、夢を見るなと笑われる。』 
『逆らいながら、奪われて、流されながら、見失う。』    なんて  
まるで、ぼくや君や****のことを言っているのではないか? えっ、解ってるよって? 
ああ、そうか図星なので嫌がるんやね、了解。
 
 別に二階堂酒造の宣伝マンではありませんし、焼酎は麦ではなく「芋」を愛飲しております。
下記の「二階堂」のCM群は、優秀なコピライターやCM映像作家の腕だと思うが、
郷愁やセンチメンタリズムを上品に昇華させていて憎いところだ。
創り手の「商業ベース」と、見る側のセンチメンタリズム以上のものではないと一刀両断するもよし、
ここに何かの「才」をみるもよし。
まぁ、映像とナレーションを楽しんでも悪くはない。
                                                                       
                                                                                                                 【96年】「シネマグラス」篇
 http://jp.youtube.com/watch?v=k_7EocPWxw4&feature=related
探していた想い出に、人は、どこで追いつけるのだろう?                                                                        人はみな、帰るべき刻(とき)があり、辿りつく夢がある。夢から覚めて、ここにいる。
私は麦100%。大分むぎ焼酎、二階堂。

【98年】「刻の迷路」篇
 http://jp.youtube.com/watch?v=WSuJqxQ0J4E&feature=related
風追い街、誘われ道。置き去りにされた刻(とき)の迷路で、物語は今も続いている。
私の住処(すみか)は、ここにあります。
麦100%。大分むぎ焼酎、二階堂。

【99年】「旅人の車窓」篇
 http://jp.youtube.com/watch?v=AIOTcMFuDGU&feature=related
生まれたばかりの風が、窓から飛び込んでくる。                                                                                                     旅人のほろ苦い後悔は、やがて美味しい溜め息に解きほぐされていく。
私は麦100%。大分むぎ焼酎、二階堂。

【00年】「風の海峡」篇
 http://jp.youtube.com/watch?v=hD158XCnULw&mode=related&search
確かな言葉は、誰も、持っていませんでした。
海 渡る。風 渡る。懐かしさは、不思議な力を持っています。
私は麦100%。大分むぎ焼酎、二階堂。

【01年】「雨宿り」篇
 http://jp.youtube.com/watch?v=W_DSzGD3210&feature=related
刻(とき)の我侭に流されて、私は、記憶の海に辿りつく。                                                                                      ふるさとは、私の中に流れています。
麦100%。大分むぎ焼酎、二階堂。

【02年】「父」篇
 http://jp.youtube.com/watch?v=Fl0XDy_-QW0&feature=related
私の記憶に、いつも後姿で現れる人がいる。
あの頃、あなたが口にしなかったことばに、いつか私は、たどり着くのだろうか…?
ずっと、麦100%。大分むぎ焼酎、二階堂。

【03年】「遠い憬れ」篇
 http://jp.youtube.com/watch?v=QZa5NKq7l6g&feature=related
錆びついていた時計が、再び時を刻みはじめた。
縺(もつ)れた糸はほどけ出し、古びた迷路は、ひとすじの道になる。
麦100%は、私のふるさと。大分むぎ焼酎、二階堂。

【04年】「詩人の島」篇
 http://jp.youtube.com/watch?v=DCSHERDS-7c&feature=related
水平線をひいたのは、空があまりにも空だったから。
夜空に星をまいたのは、地球という星を忘れそうだったから。私は、私のままでここにいる。
そして、麦100%。大分むぎ焼酎、二階堂。

【05年】「砂丘の図書館」篇
 http://jp.youtube.com/watch?v=yftMi9cgGmA&feature=related
「夢を持て」と励まされ、「夢を見るな」と笑われる。
ふくらんで、やぶれて、近づいて、遠ざかって…。今日も、夢の中で目を覚ます。
麦100%。大分むぎ焼酎、二階堂。

【06年】「未知の力」篇
 http://www.youtube.com/watch?v=avKn-Xc9s2Y&feature=related
逆らいながら、奪われて、流されながら、見失う。
誰もが、その戸惑いの中から、学ぶのだ。嗚呼…、本当の私に帰ってゆきます。
麦100%。大分むぎ焼酎、二階堂。

 【07年】「文字のかけら」篇
 http://jp.youtube.com/watch?v=mu3fbyBPkEU
イエスとノー。その二つの間には、何もないのだろうか。                                                                                               筆を走らせたのは、宙ぶらりんの想いでした。想いのかけらは朽ちることなく、ざわざわと心を揺らします。
私はまっすぐ麦100%。大分むぎ焼酎、二階堂。
 
【08年】「消えた足跡」篇
近道は、遠回り。急ぐほどに、足をとられる。
始まりと終わりを直線で結べない道が、この世にはあります。迷った道が、私の道です。
大分むぎ焼酎、二階堂。

つぶやき: 太陽の国 -天皇在位20周年慶祝-

EXILE、日出る処の天子、内館牧子。
 
 リダイアリー
(昨年)11月12日、天皇在位20周年慶祝式典があった。
政権(民主党)の主だった面々の参加があり、組曲『太陽の国』が演奏された。
秋元康の総合プロデュースで、序曲「太陽の種」・舞踊「太陽の芽」・歌唱「太陽の花」の
三部構成で成っており、EXILEが二部の舞踊と三部の歌唱を演じた。
秋元康に対しては、映画『象の背中』にイチャモンを吐いたことがある。
 
 映画『象の背中』(原作:秋元康)を観た。肺癌から全身転移で逝くことになる夫(役所広司)、その妻(今井美樹)、夫の愛人(井川遥)、                         仕事関係(益岡徹、伊武雅刀)や高校時代の同窓生(高橋克実)、子供たち、故郷の兄(岸部一徳)・・・、
 謝っておきたい人(笹野高史)、昔、想いを告げられなった初恋の人(手塚理美)(実際会いに行く)・・・
 身につまされるストーリーなのだが、そして役所はぼくなんか
 とうていそのように振舞えまいと言えるほど立派なのだが、優秀サラリーマン然として、
 夫婦のドロドロも親子のなじり合いも、未然に防止するその立派さには脱帽だ。
 「最期の半年の中で夫婦として向き合う」(案内パンフより)と言われても、
 都合のいい妻であり、物分りのいい愛人だなあ、と皮肉の一つも言いたくなるのはぼくだけか? 
 エリートサラリーマンが周りを意識して語る「我が家」でしかない。
巷では、23年ぶりに復縁した玉置浩二と石原真理子が「今度は迷惑をかけないように願います」(お前に何の迷惑をかけたと言うのだ?)                            とそれを食い物にして来た芸能記者からバッシングを浴びている。たとえ近々また別れたとしても、                                             石原より、この妻や愛人の方が
人として尊重されていると、断言する気にはなれなかった。
 剥き出しのドロドロ関係と奇妙な復縁を演じる玉置・石原カップルの23年間、
 癌による最期の半年を過ごしたこの夫妻の、それまでの23年間、そこに軽重はない。
 その時間は当人たちだけのものだ。 と。
 
今回、その秋元が奉祝曲作詞と聞いて「奴らしいな」と思っただけだった。
ところが、観たTVニュースはこう言ったのだ。
『「太陽の国」というのは、申すまでもなく「日出る国」から来ています。天皇家の祖先聖徳太子が
大国「隋」にたいして堂々と「日出る処の天子」と述べたあの故事に由来しています』 ん?
ぼくの持論がムクムク。在位20周年を奉祝するのは勝手だが、「日出る処の天子」について、
誤報を振り撒くのは止めてもらいたい。何が「申すまでもなく」だ!
秋元は天皇・皇室を称え、同時に「日出る処の天子」(何故記紀に記載なく、中国史書にしかない? 記載された「一書」は何処に消えた?)を巡る
謎を封印し、近畿天皇家にまつわる事跡だと決め付ける役割の一翼を担っているのである。平然と・・・。(09.11.20)
 
サブカル「軍国礼賛」、タレント「皇国史観」、文化人「歴史改竄」・・・その波及力、侮ってはなりませぬ。                
 
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上記リダイアリーをブログに転載して青物横丁の喫茶店へ歩く。スポーツ紙を観る。
昨10日。大相撲初日、またぞろ内館牧子女史からお小言。
朝青龍の懸賞の受取方が、作法にもとると言っておられる。感謝と礼儀を込めて
丁寧に手刀を切って受け取る。ぞんざいな鷲掴みは無礼だ。
それは、そうだろう・・・、その通りだと思う。作法の問題だ。
『手刀は神事に基づく作法という説もあり、左は「神産巣日神」、右が「高御産巣日神」、中が「御中主神」、いずれも五穀豊穣を司る神様への感謝の意を表したものだということです。
ただ木村庄之助氏は「この説は後付けで、第一、神様を片手で拝むなどおかしい」とし、名寄岩が「ありがとうございますという感謝の気持ちを表したくて、「心」という字を手刀で書いている」という話に皆が感動して広まったという方が、よほど信憑性も高く良い話だと語っています。』
http://blog.ko-blog.jp/aburajin/kiji/9010.html 油・量り売りのお店「油甚」さんHPより)
ところが、新聞によれば、女史は「両陛下の前で非礼である」との言い分で吠えている。
初日天皇皇后が何年ぶりかの観戦だそうで、普段とは違うのだぞと大いに怒っているのだ。
これが、この脚本家の正体なのだ。文人(?)に於いても敗戦後65年は無効にして、戦前と地続きなのか?
創作の根本=至高の権威に照らして自己の営みの証しがあるのではなく、
創るということそれ自体の犯すべからざる自律を目指す=を考えている者の発言ではない。
 
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