歌遊泳:森田童子の磁力に抗して

 

森田童子『みんな夢でありました』(80年)                                                                                                      

http://www.youtube.com/watch?v=DHFTSGhQreE

森田童子(もりたどうし)の歌が醸し出す気分は要注意だと思ってしまう。心ならずも過去を美化してしまう森田節の威力を借りて、                                                                       団塊ジジイが人目を忍んで、この歌に咽んでいるなら、それはおぞましくも哀しい。                                                           「ありのままのきみとぼくがここに居る」 「ただひたむきなぼくたちが立っていた」ん??。                                                                                            ・・・?ちょい質の悪い自己愛じゃねぇか・・・・、
そう思い始めたとき 最後の歌詞が耳に入った。

東大正
『もう一度やり直すなら、どんな生き方があるだろうか・・・』
森田童子はここで あの時代を美化して神棚に祭り上げ「今」と遮断してしまう危うさを持つ、                                      自らの歌に答えて、かつ聞 き手に向けて、宣言しているのだ。
「あれ以外にどんな生き方もありはしない!」 と。
もう一度 あのような場面に遭遇したとしても、
たとえば東大全共闘の「安田講堂組」は、
全学バリケード封鎖によって
支配の知的中枢=東大の研究機能を物理的に停止させる道、自らの退路を断ち東大卒資格を放棄する道、                                                                        きっと再びそこにしか立ち はしまい。 その立ち位置こそが、
愚かで稚拙な敗北にまみれた「全共闘」が
数十年を経てなお「無反省」にも放せないものだとしたら
どうぞ「夢」だと言ってくれ と。
夢とは、もともと、「現実」と呼ばれるものを目の前にしたからといって退くような、「現実」的なものではないのだ と。

そういう言い分が、森田節だと言うのなら、それはそれで拝聴してもいい。

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