Archive for the ‘ほろ酔い・交遊 通信録’ Category

ほろ酔い交遊録: 労働組合・・・見果てぬ夢

奇妙な呑み会。

フェイスブックの遣り取りでやや盛り上がり、一度寄って呑みまっか? となって、73歳・68歳・65歳が顔を合わせた。
時代と場所が微妙に半ば重なり・半ば近隣で、関与世界も近からず遠からずで、久し振りにお会いするには程よい。
三者三様に、考え・立場・行動に違いはあるが、根本はたぶん大きくは違わない。互いに、やんわり「違い」を述べて、「違わない」部分に乾杯して、日本一高いビル下の雑踏の中、三方向に別れた。
ワシには、普段聞けないいい逸話、目からウロコの貴重な話題、今から一緒に殴りに行こうか?なネタ、が面白かったでぇ~。
感謝!御礼!呑み会

要 宏輝 「過去との遭遇」のような会合でしたが、最も新しい記憶になりました。私が最年長でしたが、生きていれたからこその出会い、感慨深い時間でした。。

橋本 康介
橋本 康介 貴兄の「現役ぶり」に頭が下がります。その昔「学者以上の知見を具えた専従」と言われた伝説のミスター「総評・金属」。そのままの変わらぬ姿に感服。また、いつか声かけて下さい。ありがとうございました。

新居 晴幸
新居 晴幸 娘さんの闘いに興味を持ちました。

橋本 康介
橋本 康介 そうそう・・・。

橋本 康介

返信する…
 
熊沢 誠
熊沢 誠 飲まないが参加したかったね。

新居 晴幸
新居 晴幸 熊沢 誠 先生の話題も

橋本 康介
橋本 康介 「労働組合」の限界と可能性を考えた者の日々に、「熊沢誠」が居ましたよね。

ほろ酔い交遊録: 5月22日(日)生野区民ホール14:00~ 金時鐘講演会&懇親会

講演会場

『・・・詩は好もうと好むまいと現実認識における革命なのです。・・・見過ごされ、打ち過ごされてることに目がいき、馴れ合っていることが気になってならない人。私にはそのような人が詩人なのですが、その詩人が満遍なく点在している国、路地の長屋や、村里や、学校や職場に、それとなく点在している国こそ、私には一番美しい国です。』

(06年12月、朝日新聞。安倍の「美しい国」発言に抗して。金時鐘)

 

懇親会時鐘さんお元気で安心しましたというか、その伸びた背筋に黙した叱咤をいただいたのでした。多くの、男たち、女たちにとって、時鐘さんは「父」なんです。

戦後社会一期生たる「団塊」どもにとって、復興から高度経済成長に邁進し・いわゆる「反動」に目をつむり・右であろうが左であろうが確たる道を示しはしない「戦後」父像とは違い、ことの良し悪しを超えてピンと背筋を伸ばして、一貫した「説」を語り続ける・・・時鐘さんは、そんな「あるべき」「父」なのであった。

 

 

 

 

6月5日

 

ほろ酔い交遊録: 道浦母都子 & 都はるみ・パギ & 高橋和己 『邪宗門』

今宵は、本邦初公開 都はるみ「邪宗門」(作詞:道浦母都子)パギ版の熱唱を聴きました。隣の席の道浦さんの目に光るものが…。

残照の光の海を 二人行く

ふたりゆく

花のごとかる罪を抱きて

花のごとかる罪を抱きて

 

新居 晴幸さんより フェイスブック友、趙博さんから拝借。道浦母都子の作歌。タイトルはあの高橋和己の「邪宗門」からひいたとか、そして、歌うは都はるみってんだから堪りません。

https://www.youtube.com/watch

 

風まかせ 道浦さん

 

河出書房新社発行の高橋和己作品集の分厚い「邪宗門」を一気に読んだな、46年前、70年初春だ。長大(二段616頁、通常なら1232頁だ!)だった。 その一冊は、褪せて黄ばんで今も本棚に立ち尽くしている。 昭和全史への異論を、高橋創造の同時代教団=「ひのもと救霊会」の教えや原初の思想=教義を極限まで突き詰めて、天皇制イデオロギー・輸入西欧思想を含む昭和史全体・東西の思想総体と対峙させればどうなるか? という壮大な思想的実験でもあった。 個人的には、ユダヤ教主流・宗主国ローマ・ユダヤの傀儡秩序を全て敵に回して孤軍の悪戦を強いられた、異端の小教団=ユダヤ教ナザレ派=「邪宗」とされた原始キリスト教や創成期の某新興宗派を想い描いた。 「邪宗門」は、昭和の思想的経済的社会的「支配」に、天皇制や新興右翼よりも古い「教え」を根幹に、マルクス主義イデオロギーに依らずに立ち向かうという、ワシ好みの発想を縦軸した全体小説だった。 後半の武装蜂起や海外拠点への飛躍など、当時のワシが無縁ではなかった某組織の69年からの歴史と重なりもして、否応なく身に居座っている。 余談だが、ワシの駄小説『祭りの海峡』出版記念の会で倉橋健一さんが「水準は大いに違うが高橋和己の作品群に似ていると想う」と語って下さった場面の録画をお宝のように持っている。 趙博によれば「『邪宗門』のタイトルは高橋和巳の小説に由来していると道浦さんは言うてはりました。」なので、なるほど・・・だ。 小説『邪宗門』の内容に繋がるということではなく、そこに由来して表題着想を得た…と言うことだと思った。 本源的であるがゆえに、左右前後の一切の教義や秩序に容れられずそれらと非和解的な存在、それがこの歌の男女の「罪」とされる途=「邪宗」への「門」だ。 残照さす現在と未来だ。邪宗門!

残照の光の海を

二人行く

花のごとかる罪を抱きて

映画談義: 下重暁子『家族という病』と、是枝裕和にとっての「家族」

熊沢先生が、ベストセラー下重暁子著『家族という病』に噛み付いた文章(http://kumazawa.main.jp/?p=379「家族という病」の耐えられない軽さ)を読んで思った。
戦後「家族」・現在「家族」への異論は、家族を避けるあるいはそれを「他人事」として扱う視座からは、総論としての異論たりえない。国家へと収斂される「お上」(オールド社会主義の党や国家を含む) 発の家族観からでも、個人主義の側からの「個家族」思考からでもない、ある展望を内包した家族に塗れることを通してしか見えて来ない「真正家族異論」=「家族~社会」への総論を築きたい。それは「病」ではなく「宿業」なのだ。

「病」は予防や治療や特効薬もあるかもしれない。晴らすこともできる。けれど「宿業」はそこに拘り溺れそれを背負いそして超えるしかない。朝鮮語がいう「恨(ハン)」のように。


その辺りの「業」に在って、下重とは違うアングルから「家族」を見つめ拘ったのが是枝裕和ですよね。
「幻の光」95 「誰も知らない」04 「歩いても 歩いても」08 「空気人形」09  「そして父になる」13 「海街diary」15 
「海よりもまだ深く」(この5月21日公開)… 全部そうですね。海よりもまだ深く

http://gaga.ne.jp/umiyorimo/

 

通信録: 友のFB投稿 ぼくのコメント

【兄ィと呼んでいる友の投稿】

沖縄の人からは「ミーちゃん早く来てくれ」「県議会の戦況がやばい」、、、私ににはそのような力はありません。でもテントで長い時を共にした人からの要請は嬉しいですね。

帰ってポストを見たら「10、8山崎プロジェクト」からの連絡が入っていました。

 部屋に帰って読みました。心のどこに違和感を持って居ます。
大阪・大手前高校、京大、そして東大、キラ星のような世話人の方々。バンザ^-イ。

 もうあの会合には二度と行きません。3流大学の兵士たちの68年、兵士たちの赤軍派、兵士たちのその後どこまでも続く大学ヒエラルキー。勘弁して欲しいですね。

知性や理性は現実変革の思想的武器なはずです。

 ならば導いて下さいませ!!街頭命、所詮3流です。あの時に東大を!京大を完膚無きまでに粉砕しておけばよかった。

グレています。(笑)

【ぼくのコメント】

兄ィ、解かります。 今、94年に出た『全共闘白書』という本(73問もあるアンケートに答えたワシのコメントも載っている)を引きずり出して見ている。というのは、2014年の大井町での「10.8まであと3年」なる集会の呼びかけ文だったか何かのビラに、東大全共闘を筆頭に京大・早稲田と続く呼びかけ名義を見てムカッと来て、兄ィの云う「ヒエラルキー(?)」が「白書」はどうだったか確認したかったからだ。「白書」はアイウエオ順に「愛知大、青山学院大、大分大・・・・・・和光大、早稲田大」という順で各大学ごとにまとめてアンケートへの回答を並べていた。B5版で512頁の大著(?)だった。想えば、全共闘自体が戦後社会の煮詰まりの果ての学生群像が行なった事象であり、三浦雅士が言うように 『自動販売機に敗れ去るセールスマンの物語が「セールスマンの死」(アーサー・ミラー) だが、五〇年代からさらに加速される変化は、六〇年代の「大学=労働力商品の大量生産工場」を経て、 いまや大学は工場でさえなく、「大学自体が自動販売機化」している』(『青春の終焉』、2001年、講談社)事態の中での出来事だと想う。ヒエラルキーは、全共闘「白書」が、戦後社会の果て・大学・自販機というKEYワードで括られる若者群を対象にアンケートを求めること自体に潜む宿命で、ワシらはその一員だったことを認めるところに立つしかない。ワシは66年高卒68年に大学入学ですが、山崎さんが殺された67年10.8 を、札幌のパチンコ屋の住込従業員の大部屋で観た。ヒエラルキーは、大学と大学の外との関係にあっただろうか・・・? 深く考えもせず大阪へUターンして大学に入ったワシの原点かも・・・。 兄ィが釜に居る根拠を、ワシなりに(気分だけで?)理解しているつもりです。

兄ィ、ワシは例えば下記の歌に「作歌者はその時点でそうだったのだ」と想えるのです。それが、その時の等身大の本人だと。
後年、その歌に向き合い作者が赤面し・悔い・青いな驕慢だなと自戒するとしても、作者には「落日」だったのだ。この歌を詠った感性と世に出した並々ならぬ覚悟は見上げたものだ。そう想うのです。


『炎あげ地に舞い落ちる赤旗に わが青春の落日を見る』道浦記事

作者:道浦母都子さんは、10.8プロジェクトの呼びかけ人だ。解かる気がする

通信録: ゴミ屋敷回避作戦 Ⅱ

1月10日午後3時、年末からどこにも遊びに行けず取組んだ悪戦(?)を、ようやく一応片付けた。いや~、クタクタや。多くのゴミに囲まれ暮らして来たことだけが明らかになったが、この年末~正月の持久戦(?)で、意外な「行方不明」物にも遇ったのだ。

ご褒美は、18:00からの茨木駅前「ゆんたく」さんの新年ライブ。苦節15年の店を体力などの事情で閉められる。ワシも、自身の経験や身内が飲食を営むので、その労苦を知らないわけではない。ホントによくやったと思う。ご苦労様でした。

年末に見つけた画像左下ビラの集会(1989)に隣街から来て語ってくれた若い女性教師が、後年(2000)オープンしたのがこの店で、彼女はここのオーナー・ママという訳だ。奮戦には頭が下がる。彼女が上記ビラの集会=連続講座の第一回目『ゆんたんざ沖縄・上映会』で上映前に語ってくれた場面を鮮やかに思い出す(意志を持って設定した開催日は、2月11日だった)。15年間、お店にはそのハートが絶えることは無かった。ネコ屋敷回避作戦2

*画像右は、確か1971年入手の、浦山桐郎シナリオ集(シナリオ研究所刊)。
何故かうちにも在る、池田浩士氏ご結婚の際の冊子『渚なみ』(1966年4月刊、中也の詩の言葉からの命名だそうです)。
下、某市「めだかの学校」チラシ(1989)。千夏さんが来てくれた。めだかの学校 ブログ用

通信録: ゴミ屋敷回避作戦

ネコ屋敷回避作戦年末から、6年ぶり(つまり2009年末にこの借家に転居して以来)に自称「書斎」の片付けが始まっている。年末・年始はアレコレ野暮用があり、子や孫に振り回され「年内はとうてい無理やなぁ、1月7日を期限とするか」とし、この月曜(4日)から追い込まれている。
ワシも同居人も、自ら設定した期限を再延長する訳にも行かず、今日はフル稼働。
元「書斎」:現「ゴミ置場(?)」のあまりの「捨てるべき物」の多さに、「まぁ、先は見えて来たな」と自己に甘い呟きを何度も繰り返しては、「ワシが東京滞在が多い間にこんなことにされた」「大阪滞在時は連日悪友と呑み歩いて深夜帰宅、片付けは放ったらかし」と応酬し合うのを辛うじて避けている。
笑ってしまうのは、同居人がハンディ・モップで埃を拭おうとしている棚板の上で皮肉な自己主張をしているのは、数年前発行の『すっきり片づく収納ワザ』なるハウツー本。
本人がそれに気付いてないのがご立派。
部屋の片面には、もう嵩張って困りものの「古い(それでもお宝の)ビデオ作品」、そのガラス戸から気合を入れてくれる南米のあのお方、サダ画伯渾身の「兼好法師:徒然草・第百五十段」、そして反対側では箪笥上の小引出のてっぺんから、6年前の引越にも付き合った猫が呆れ顔でアホダラ夫婦を見下ろしている。当時4歳・現在10歳だ、彼女とて若くはないのだ。
明日終わるだろうか? ん、終わるやろ。ン十年ぶりに映画の額に再会!大片付けで発見

通信録: 2016年 元旦

大晦日は、ここ数年のお約束任務=空堀の某ビストロの「フレンチおせち」の一部北大阪方面だけ十数人様宅への配達(その他の地域の方へは、申し訳ありませんが基本 店お渡し)。
夜、名古屋千種区でフランス菓子店を営む娘夫婦宅へ。
店多忙に加え、保育所休みのため、四年前から年末~年始の間ヘルプに行っている女房の、そのヘルプ(?)。某ビストロの「フレンチおせち」を持参。

配達先からは、朝から数件のメール。ことしの「フレンチおせち」は、好評だったようで、一安心。ホッとしている。おせちフレンチ

画像は、その「フレンチおせち」と、
名古屋千種区のケーキの店。元旦オープン前。

交遊録: 山城博治 吠える!

12・18 STOP 辺野古新基地建設! 大阪アクション
山城博治が訴える!
オール沖縄会議とともに、辺野古阻止!(立ち見も出た満席の結集)

画像の、山城氏の熱い訴え・会場風景・
「美しき五月のパリ」(加藤登紀子さん)の替歌(山城さん作)の歌詞から総てを読み取れる。

山城博治

通信録: 10.8山崎博昭プロジェクト 大阪講演会

【10.8山崎博昭プロジェクト 大阪集会】 11月7日   南御堂南館

 

山本義隆氏講演『理工系にとっての戦争』(下記は拝聴記)

 

山本義隆氏の「学」に向かう風格と言うか本源性はどうだ。

全共闘は自覚せずして、このような人物・学の徒を代表に選んでいたのだなぁ~、と改めてその「故」と「必然」を想う。

 

アヘン戦争の顛末への危機感と恐怖感は、幕末~初期明治「日本」を西欧猛追へと走らせた。科学(アカデミズム)面でも技術(産業革命以来の)面でも、国家にも学の府にも民間にももちろん近代の蓄積などなく、ここに日本型近代化の特殊構造が生まれる。

科学と技術の一体同時進行・国家が推進母体である・軍事最優先いや軍事の為の、総構造だ。産学協同・軍学協同は「科学技術」の成立史の根本DNAだ。それは日本に於いては元々、国家によって一括りに進められたものだ。

戦後、文学や芸術や映画作家の戦争責任が問われたが、理工系学者技術者の責任が問われた例をほとんど知らない。理工系こそ戦争に直接かかわっているのに、である。ここには、科学や技術の超思想性・中立性という幻想を悪用した国家イニシアティブによる「思想性」と、「学」の側の「科学技術の発展はプラス・マイナスを超えた絶対値的価値なのだ」という科学技術「信仰」が在る。ここを崩さない限り、「科学技術」根本DNAへの異論たり得ない。

実はそれに気付きながら、研究費や待遇の上乗せなどに絡め取られて黙して来た民主的(?)学たちの思想的貧困がそれをさらに補強している。

 

財界と安倍の兵器産業立国への舵切りは、その市場での競争原理から当然「常に最先端」でなければならず、不断に新たな智恵と技術が求められ、当然、国・防衛省では力足らず、大学の全面関与が始まろうとしている。

明治期の殖産興業・富国強兵のままだ。

理工系学問の歴史的・構造的存在様式を根本から洗い直し問い直す道の、在りや無しや?

10,8山崎プロジェクト集会

 

白井総氏講演『ネオリベラリズムと反知性主義』(下記は受講メモより)

 

ネオリベラリズム:

公正という仮面の下の「競争原理至上主義」、国家と資本の結託による国家の乗っ取り、利潤飽和の果ての「何でも」利に…例えば「水」資源。

学・世論を含め人々の感性・意識の「何になる?」「知らねえよ」の背景にあるのは何か? 必要で実利あるモノだけ買うという「お買いもの感覚」「消費主義」ではないか? その核芯は「ニヒリズム」だ。

(実利と銭だけは確保して手放さない処世は「ニヒリズム」でななく、

云うなら「疑似ニヒリズム」「21世紀式実利ニヒリズム」であって、本来の「ニヒリズム」=「虚無主義」に申し訳ないで…康)

 

例えば精神医学:

精神分析の、何故そうなっているか?その根本原因の探求の放棄。即効性・有効性・効率性への傾斜。投薬偏重など症状の物理的抑止への雪崩現象。

根本に、「否定的なものに耐えられない」という「学」の衰弱があり、「否定的なもの」を無かったことにしたい欲望がある。

社会の動向、学の世界、人々の感性・意識とダブる。

 

戦争こそが最も効率的に技術を発展させ得る、という命題から脱する道筋や如何? 「ニヒリズムの克服」

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