通信録: 友のFB投稿 ぼくのコメント

【兄ィと呼んでいる友の投稿】

沖縄の人からは「ミーちゃん早く来てくれ」「県議会の戦況がやばい」、、、私ににはそのような力はありません。でもテントで長い時を共にした人からの要請は嬉しいですね。

帰ってポストを見たら「10、8山崎プロジェクト」からの連絡が入っていました。

 部屋に帰って読みました。心のどこに違和感を持って居ます。
大阪・大手前高校、京大、そして東大、キラ星のような世話人の方々。バンザ^-イ。

 もうあの会合には二度と行きません。3流大学の兵士たちの68年、兵士たちの赤軍派、兵士たちのその後どこまでも続く大学ヒエラルキー。勘弁して欲しいですね。

知性や理性は現実変革の思想的武器なはずです。

 ならば導いて下さいませ!!街頭命、所詮3流です。あの時に東大を!京大を完膚無きまでに粉砕しておけばよかった。

グレています。(笑)

【ぼくのコメント】

兄ィ、解かります。 今、94年に出た『全共闘白書』という本(73問もあるアンケートに答えたワシのコメントも載っている)を引きずり出して見ている。というのは、2014年の大井町での「10.8まであと3年」なる集会の呼びかけ文だったか何かのビラに、東大全共闘を筆頭に京大・早稲田と続く呼びかけ名義を見てムカッと来て、兄ィの云う「ヒエラルキー(?)」が「白書」はどうだったか確認したかったからだ。「白書」はアイウエオ順に「愛知大、青山学院大、大分大・・・・・・和光大、早稲田大」という順で各大学ごとにまとめてアンケートへの回答を並べていた。B5版で512頁の大著(?)だった。想えば、全共闘自体が戦後社会の煮詰まりの果ての学生群像が行なった事象であり、三浦雅士が言うように 『自動販売機に敗れ去るセールスマンの物語が「セールスマンの死」(アーサー・ミラー) だが、五〇年代からさらに加速される変化は、六〇年代の「大学=労働力商品の大量生産工場」を経て、 いまや大学は工場でさえなく、「大学自体が自動販売機化」している』(『青春の終焉』、2001年、講談社)事態の中での出来事だと想う。ヒエラルキーは、全共闘「白書」が、戦後社会の果て・大学・自販機というKEYワードで括られる若者群を対象にアンケートを求めること自体に潜む宿命で、ワシらはその一員だったことを認めるところに立つしかない。ワシは66年高卒68年に大学入学ですが、山崎さんが殺された67年10.8 を、札幌のパチンコ屋の住込従業員の大部屋で観た。ヒエラルキーは、大学と大学の外との関係にあっただろうか・・・? 深く考えもせず大阪へUターンして大学に入ったワシの原点かも・・・。 兄ィが釜に居る根拠を、ワシなりに(気分だけで?)理解しているつもりです。

兄ィ、ワシは例えば下記の歌に「作歌者はその時点でそうだったのだ」と想えるのです。それが、その時の等身大の本人だと。
後年、その歌に向き合い作者が赤面し・悔い・青いな驕慢だなと自戒するとしても、作者には「落日」だったのだ。この歌を詠った感性と世に出した並々ならぬ覚悟は見上げたものだ。そう想うのです。


『炎あげ地に舞い落ちる赤旗に わが青春の落日を見る』道浦記事

作者:道浦母都子さんは、10.8プロジェクトの呼びかけ人だ。解かる気がする

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