ほろ酔い交遊録: 道浦母都子 & 都はるみ・パギ & 高橋和己 『邪宗門』

今宵は、本邦初公開 都はるみ「邪宗門」(作詞:道浦母都子)パギ版の熱唱を聴きました。隣の席の道浦さんの目に光るものが…。

残照の光の海を 二人行く

ふたりゆく

花のごとかる罪を抱きて

花のごとかる罪を抱きて

 

新居 晴幸さんより フェイスブック友、趙博さんから拝借。道浦母都子の作歌。タイトルはあの高橋和己の「邪宗門」からひいたとか、そして、歌うは都はるみってんだから堪りません。

https://www.youtube.com/watch

 

風まかせ 道浦さん

 

河出書房新社発行の高橋和己作品集の分厚い「邪宗門」を一気に読んだな、46年前、70年初春だ。長大(二段616頁、通常なら1232頁だ!)だった。 その一冊は、褪せて黄ばんで今も本棚に立ち尽くしている。 昭和全史への異論を、高橋創造の同時代教団=「ひのもと救霊会」の教えや原初の思想=教義を極限まで突き詰めて、天皇制イデオロギー・輸入西欧思想を含む昭和史全体・東西の思想総体と対峙させればどうなるか? という壮大な思想的実験でもあった。 個人的には、ユダヤ教主流・宗主国ローマ・ユダヤの傀儡秩序を全て敵に回して孤軍の悪戦を強いられた、異端の小教団=ユダヤ教ナザレ派=「邪宗」とされた原始キリスト教や創成期の某新興宗派を想い描いた。 「邪宗門」は、昭和の思想的経済的社会的「支配」に、天皇制や新興右翼よりも古い「教え」を根幹に、マルクス主義イデオロギーに依らずに立ち向かうという、ワシ好みの発想を縦軸した全体小説だった。 後半の武装蜂起や海外拠点への飛躍など、当時のワシが無縁ではなかった某組織の69年からの歴史と重なりもして、否応なく身に居座っている。 余談だが、ワシの駄小説『祭りの海峡』出版記念の会で倉橋健一さんが「水準は大いに違うが高橋和己の作品群に似ていると想う」と語って下さった場面の録画をお宝のように持っている。 趙博によれば「『邪宗門』のタイトルは高橋和巳の小説に由来していると道浦さんは言うてはりました。」なので、なるほど・・・だ。 小説『邪宗門』の内容に繋がるということではなく、そこに由来して表題着想を得た…と言うことだと思った。 本源的であるがゆえに、左右前後の一切の教義や秩序に容れられずそれらと非和解的な存在、それがこの歌の男女の「罪」とされる途=「邪宗」への「門」だ。 残照さす現在と未来だ。邪宗門!

残照の光の海を

二人行く

花のごとかる罪を抱きて

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