Archive for the ‘ほろ酔い・交遊 通信録’ Category
ほろ酔い 通信録: 君が嫌がる「二階堂CM集」
http://jp.youtube.com/watch?v=k_7EocPWxw4&feature=related
探していた想い出に、人は、どこで追いつけるのだろう? 人はみな、帰るべき刻(とき)があり、辿りつく夢がある。夢から覚めて、ここにいる。
私は麦100%。大分むぎ焼酎、二階堂。
【98年】「刻の迷路」篇
http://jp.youtube.com/watch?v=WSuJqxQ0J4E&feature=related
風追い街、誘われ道。置き去りにされた刻(とき)の迷路で、物語は今も続いている。
私の住処(すみか)は、ここにあります。
麦100%。大分むぎ焼酎、二階堂。
【99年】「旅人の車窓」篇
http://jp.youtube.com/watch?v=AIOTcMFuDGU&feature=related
生まれたばかりの風が、窓から飛び込んでくる。 旅人のほろ苦い後悔は、やがて美味しい溜め息に解きほぐされていく。
私は麦100%。大分むぎ焼酎、二階堂。
【00年】「風の海峡」篇
http://jp.youtube.com/watch?v=hD158XCnULw&mode=related&search
確かな言葉は、誰も、持っていませんでした。
海 渡る。風 渡る。懐かしさは、不思議な力を持っています。
私は麦100%。大分むぎ焼酎、二階堂。
【01年】「雨宿り」篇
http://jp.youtube.com/watch?v=W_DSzGD3210&feature=related
刻(とき)の我侭に流されて、私は、記憶の海に辿りつく。 ふるさとは、私の中に流れています。
麦100%。大分むぎ焼酎、二階堂。
【02年】「父」篇
http://jp.youtube.com/watch?v=Fl0XDy_-QW0&feature=related
私の記憶に、いつも後姿で現れる人がいる。
あの頃、あなたが口にしなかったことばに、いつか私は、たどり着くのだろうか…?
ずっと、麦100%。大分むぎ焼酎、二階堂。
【03年】「遠い憬れ」篇
http://jp.youtube.com/watch?v=QZa5NKq7l6g&feature=related
錆びついていた時計が、再び時を刻みはじめた。
縺(もつ)れた糸はほどけ出し、古びた迷路は、ひとすじの道になる。
麦100%は、私のふるさと。大分むぎ焼酎、二階堂。
【04年】「詩人の島」篇
http://jp.youtube.com/watch?v=DCSHERDS-7c&feature=related
水平線をひいたのは、空があまりにも空だったから。
夜空に星をまいたのは、地球という星を忘れそうだったから。私は、私のままでここにいる。
そして、麦100%。大分むぎ焼酎、二階堂。
【05年】「砂丘の図書館」篇
http://jp.youtube.com/watch?v=yftMi9cgGmA&feature=related
「夢を持て」と励まされ、「夢を見るな」と笑われる。
ふくらんで、やぶれて、近づいて、遠ざかって…。今日も、夢の中で目を覚ます。
麦100%。大分むぎ焼酎、二階堂。
【06年】「未知の力」篇
http://www.youtube.com/watch?v=avKn-Xc9s2Y&feature=related
逆らいながら、奪われて、流されながら、見失う。
誰もが、その戸惑いの中から、学ぶのだ。嗚呼…、本当の私に帰ってゆきます。
麦100%。大分むぎ焼酎、二階堂。
http://jp.youtube.com/watch?v=mu3fbyBPkEU
イエスとノー。その二つの間には、何もないのだろうか。 筆を走らせたのは、宙ぶらりんの想いでした。想いのかけらは朽ちることなく、ざわざわと心を揺らします。
私はまっすぐ麦100%。大分むぎ焼酎、二階堂。
交遊通信録: カルメン・マキ ライブ
品川塾誇大史: 100枚限定鏡が500枚出土…? バーゲンか?!!
『正始元年鏡は卑弥呼が中国から授与された可能性が極めて高い』 と指摘するのは、
交遊通信録・品川塾誇大史 消された「倭国の記憶」
F・K さん。
前頁で言いました予告編です。機会をみて、順次詳細を記述しましょう。「倭」は近畿天皇家ではありえないことが、明らかになると思います。
交遊通信録・品川塾誇大史 「近畿天皇家の呪縛」と半島
ほろ酔い通信録: 忙閑さまざま 某・忘年会
忙・閑を越えて集まった「K大校友連絡会」 http://www1.kcn.ne.jp/~ritsu/index.html のみな様:12日夜はどうも・・・
我らの側から「戦後政治の総決算を」と言いたいなぁ
2007年の初め、 拙作(http://www.atworx.co.jp/works/pub/19.html)の 出版記念会でS氏が宣言した。 「新自由主義の名の下進む 規制緩和という名の野放し儲け主義・弱肉強食・勝組負組などという選別・排除の小泉構造改革は、安倍内閣の今では『美しい国』という愛国標語までぶら下げて、大手を振って進んでいる。このままでは、1・2年のうちにこの国は大変なところに行き着くだろう。全共闘世代が世代の責任として、自らの全共闘的明暗・新左翼的正負の遺産を見つめ、その上で今こそ異議申し立ての行動を再開したい。近く、結集体を立ち上げるので、参加を呼びかける」と。 S氏・Ⅰ氏を中心に、たぶん前年からの準備を進めていたことと、ぼくは推察している。
戦後政治の総決算(82年中曽根内閣)・85年の労働者派遣法・86年国鉄分割民営化法案提出・89年総評解散・・・。労働・生活という社会の基本を安定的に維持発展させる「約束事」を「規制」と呼びそれを「緩和」する新自由主義(世界的には79年~のサッチャー、81年~のレーガンが代表格。「サッチャー・レーガン革命」とまで言われた)的改編は労働環境と雇用形態にも進み、2001年小泉登場となり、若者に責を問うようなフリーター・ニート非難世論がありました。07年初頭のS氏の発言の通り、果たせるかな08年暮には日比谷派遣村が登場、派遣労働の深刻な雇い止め・無権利を広く知らしめました。
09年総選挙は選挙制度の後押しもあり民主党の圧勝でしたが、小泉的構造改革のツケを背負いながらそれと縁を切れるか? また、普天間-辺野古問題から炙り出される「日米軍事同盟」という、この国を覆っているいわば「敗戦時構造」、沖縄の基地・負担・占領を前提に成り立ってきた、「戦後」そのもの・・・。 時あたかも、それへの我が方からの「戦後政治の総決算」を問うべき時期となっている。 来年は60年安保50周年ですが、当時の課題はそのまま(冷戦構造が終わり、世界政治地図も変わっているのに)今の課題だ。民主党政権は、その総決算に一歩でも踏み出さない限り歴代自民党政権の亜流ということになる。 問われているのは「戦後」そのもの総体だ。
某・忘年会に参集した元K大生は、団塊世代を中心に各世代から、零細企業経営者・医療機関事務職・介護施設職員・自治体労組役員退任者・上場企業永年勤続組・生協職員・単身出稼ぎ労働者など多様だ。 みな、かつての日、青・赤・白・他 のヘルメットを被り、東大安田講堂逮捕組で数年後出てみれば浦島太郎であった者として、あるいは党の凄絶な解体を体験し属すべきモノを喪った者として、70年代以降総評労働運動の盛衰の只中に在り「自説」を通せはしなかった者として、民主党へ移り政権の歴史的任務=ヨーロッパ型二大政党を想い何が出来るか考えない日などない者として、 それぞれの公・私の「総決算」こそが残された時間の仕事か? まぁ、年寄りらしく気楽に誠実に、しかし思想としてはラディカルに、やって行きまっひょっい。 別のところにこう書いた。『人は「帰属」性の中でではなく、それを取っ払った地点の「孤立」の中で、他者に出逢え己にも出逢える。 実は、そこが「共闘」や「連帯」が始まる契機であり原圏なのだ。 』と。 今や、みな、そう思えるだけの辛酸(?)を舐めて生きて来たのかも・・・。
冒頭、S氏が言った「K大校友連絡会を立ち上げて3年若。研究会でも学習会でもなく、小さくとも曲りなりに行動体として輪が広がったとしたら幸いです。 痛い記憶を糧として、それでも行動する集まりでありたい」に、全面的な賛意を表します。 ちなみに、最年少はまるで孫のようなK大一年生でした。我が子よりうんと若いのだ。
品川宿より
交遊通信録: 詩人A氏へ 「晶子を巡って」
で、晶子について・・・。先年、あまり知らなかったことを読みました。
戦争の「何もかも」「いっしょくたに」「動員」されちまう、
身近では、四男昱(いく)が海軍大尉として加わっている・・・、彼女の非戦論、『血潮』は喘ぎ揺らぐのだ。
国家が人々を巻き込んで行く戦争といふものの、多重的拘束力・肉親の情をさえ鷲づかんで活用する恐ろしさの、 これが実相だ、という訳です。太平洋戦争が始まって間もなく(1942.5.29)彼女は他界する。
晶子の論説も書いてありました。(晶子は)『日支国民の親和』では
『陸海軍は果たして国民の期待に違わず、上海付近の支那軍を予想以上に早く掃討して、
内外人を安心させるに至った』 と述べて、
これまた手放しで日本の侵略戦争を支持している。また同じ年に晶子の夫の鉄幹も、
軍歌『爆弾三勇士』や『皇軍凱旋歌』といった軍歌を作って、
国民の戦意昂揚のためにつくしている、 と手厳 しい。 国家・戦争・家族・・・・難しい~~~ことです。
交遊通信録:K大校友連絡会御中


交遊通信録:趙博+織江 VS 勲章森繁
趙博の「人生幸朗的パギやん日記」11月11日分(下記転載)を読んで、大いに共鳴・・・。彼のホーム・ページ「黄土(ファント)通信」(http://fanto.org/index.html)のパギやん似顔絵が共通の友人の作だという“えにし”もあって、森繁的「胸に勲章」文化に抗おうとする彼の芸の心と志を、そして激しい言葉を吐いた気持ちを、考えた。
(人生幸朗的パギやん日記、11月11日)
So, what?
森繁が死んだ。大衆芸能の分野で文化勲章を初めて貰った大俳優…あははは、大阪を裏切ってのし上がっただけやんけ。藤山寛美の森繁批判を鮮明に覚えている。「大阪の人情をよう演じん人間が、虐げられたユダヤ人を演じられるか。東京は大根役者ほどウケまんねんなぁ…」
市橋が逮捕された…またぞろ馬鹿マスコミが大騒ぎ--ぬるいのぅ。11・8沖縄県民大会は報道しなかったよねぇ…、ねぇ、マスコミ諸君。
趙博+織江 VS 勲章森繁
森繁の「社長シリーズ」は、中小企業社長を面白おかしく相対化していて、
観客に「君もやがて社長かも」と、社長業などは手が届く世界なのだよと示し、
サラリーマンと呼ばれた層に「安心」を提供し、支持されたのだと思う。
サラリーマンの悲哀を抱える観客は、加えてもうひとつの「安心」も手に出来たのだ。
20世紀後半、先進国の「都会に出て職に就く」亜インテリ層、企業社会の悲哀(例えば映画なら、『セールスマンの死』『アパートの鍵貸します』『アレンジメント』、日活『私が棄てた女』に見える)・・・
つまり故郷を離れ、貧しくも苦労して高学歴を得、管理的職責に在り、
心ならずもか望んでか、
企業内的上昇志向に染まって成し遂げたささやかな成果と、
否定しようも無くその成果を得んが為に、踏み放ち・打ち棄て・断ち切った「大切なことども」・・・・。
たぶん「社長シリーズ」は、その「事実」を忘れさせてくれたのだ。
自分は、あくせくサラリーマンの処世街道を生きている。けれど、
上り詰めたところで、所詮ほらこの通りのバカ騒ぎの社長様だ・・・。
だから、それは、大東京の、
「大切なことども」を完全には「裏切れなかった」人々、
「のし上がれ(ら)なかった」人々、
そうした勤労サラリーマンにとって絶妙の「カタルシス」なのであった。
そうした観客に媚びた森繁流儀など、
そんなもん認めないぞという趙・寛美の側からの
総てを解った上での「異論」だ。
森繁が「強い」のは、そうした「地べた」からの批判をよく承知していて、
「裏切って」「のし上がった」ワシと、さあどっちが、都会の現代勤労者の心に響く?
と云わば開き直っている点だ。
が、森繁への広範な支持にはやはり、勲章だけではない理由があると思う。
観客は、『完全には「裏切れ(ら)なかった」「のし上がれ(ら)なかった」層』、
『森繁社長の言動に「カタルシス」を見出していたサラリーマン層』なのだ。
己の企業社会人生を振り返り、森繁に赦してもらう「あちら側」
に座る心地悪さといかがわしさを知らぬわけではない。
先般の両国シアター・カイでの声体文藝館『青春の門・筑豊篇』会場に、
「あちらとこちら」の境界からやって来た観客が居たのなら、
タエさんと織江、そして「織江の歌」には、
その観客を「こちら側」に踏み留ませる、あるいは呼び込む力が備わっていた。
その力の蓄積こそが、やがて大御所森繁への「異論」の体系となって行くだろう・・・。
(ダラダラとくどい当コメントは、もちろん趙さんに送信し、真摯な内容の返信をいただきました)
12月16日(水)には、品川宿での初公演。我が庵から徒歩圏内ではないか!
出張を取り止めて行こうと思う。