交遊通信録・品川塾誇大史 「近畿天皇家の呪縛」と半島

さん。
 
明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。
 
年末にお薦めのお知らせをいただいた、NHK番組『日本と朝鮮半島 2000年』、
もちろん元日から、拝見しました。
古代東アジア合衆国たるこの列島への半島からの影響力、
国家建設・律令整備などに果たした渡来人の智恵と、
ペクチェ(百済)滅亡に伴って流入した人々の功績・・・。
大いに参考になりました。
列島内王権が自前で執り行ったとされて来た、
文化・マツリゴトが半島の濃い影響の下なされたと、
映像を駆使した説得力ある放送でした。
この列島の覇者は、半島へ三度手を出し、その都度自滅している構図。
白村江の戦(倭国)、文禄・慶長の役【壬辰倭乱】(秀吉政権)、20世紀日韓併合(明治政権~)。
徳川期の朝鮮通信使の彼我の必要性・緊張の中の実施・・・よく解かりました。
 
が、せっかく半島との強い結びつきを言いながら、NHKとヨイショ学者にはうんざりです。
列島内唯一(と海外からも認知される王権)は、
ヤマト以外にあり得ないとする「公認学説」を繰り返されては、
NHKとその監修役の学者の「自説」(「韓国」学会を味方に付けての)
の強要であり、公平を欠いている、というのがぼくの正直な感想です。
ぼくが、言うのは北部九州の王権のことです。その可能性への言及のことです。そこはフェアに案内せんとぉ~。
半島と列島の関係構造を説き明かしたのだからいいじゃないか・・・ではありません。
20~30年前なら半島の強い影響力を正当に認めなかった
古代史学者の多くが、今では半島との関係、半島の強い影響力、
当時の東アジア地政学の中で俯瞰すべき歴史、
中国及び半島がこの列島の云わば「教師」であったという実態・・・、
それらを認めて語っている。
ところが、そこで言う「列島内王権」とは近畿天皇家なのです。
 
逆に言うと、
ある種の学者は、北部九州のある勢力の痕跡(記憶)を抹殺せんがために、
あれほど無視して来た「半島の指導力」を認めたのだ。と ひがみ癖あるぼくは思ってしまう。
仮想:
《  韓国側学者の主流=「日本書紀」重視・影響を与えた対象近畿天皇家なり・・・
の傾向に期待して、近畿天皇家中心史観の補強資料として、その論を活用する・・・。
(韓国学者は、無意識のうちに、日本に最も受容れられるを求め、
近畿天皇家中心書物や史観を前提に述べてしまう。二重の思惑が錯綜する)
ここにある「合意」はまるで、反・北部九州王権説の「日韓連合」の様相を呈している。
それぞれ違う思惑を秘めて・・・。
まるで、反・沖縄独立の「日米連合」のようだ。
辺野古キャンプ・シュワブに軍港を含む基地を作る元々の計画を、普天間返還に絡めて持ち出し、                                             辺野古沖案を平然と出す「詐術」の構造とそっくりだ。
(北部九州王権無視に関する「合意」についてのみの感想。他のことに及ばない。念の為)  》
 
2日放映の「白村江の戦」では、
番組はその後の天智天皇(中大兄皇子)の死去(671)から
すんなりと「やがて天武天皇が即位」などとナレーションで流している。
もしもし! 「壬申の乱」(672)はどこへ行った。
戦勝国:唐からの3000人の使節団来倭を何と見る?
対唐戦争の「戦後」に何故に後継を巡る内戦(壬申の乱)に至ったか?
天智の弟であるはずの天武(大海人皇子)が、何故に天智より年長なのか?
新王権は何故に親唐(戦勝国・唐)政権へと向かったか?
この一大政変をNHKは端折ったのだ。フェアでない!
そもそも中大兄と母(大化の改新時の皇極天皇、白村江時の斉明天皇)は、
白村江戦の主宰者なのか? 近畿天皇家はどこかの要請に応じて、
大軍を筑紫まで派遣しただけではないのか。派遣はアリバイ作りではないのか?
消極的参戦は、「唐・新羅(シラ)」「百済(ペクチェ)・倭」のいずれが勝とうが、
その後の近畿天皇家の安泰を確保せんが為の方法論ではなかったか?
 
長くなるので、詳細は後日として、ぼくの見解はいずれ、「たそがれ誇大史」の頁を作り、
順を追って述べて行きたい。その予告は次頁に示します。
 
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品川宿:「たそがれ自由塾」風景:唯一の自慢は、W=2300のビッグデスク。
何故か カーテン横に「9条改憲阻止」のたすきが・・・。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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