Archive for 5月, 2018

ほろ酔い交遊録:BUNDの夢

友人から唐突に、それこそ唐突に
60年安保の画像を添えたメールが来た。

『1958年12月共産主義者同盟結成時の文章に、「既存の一切の党に信頼を置かず」、「一枚岩の団結の神話を捨て」、「組織の前に綱領」ではなく「実践の火の試練の中で綱領を作り上げねばならぬ」というくだりがありました。
これこそBUNDの原点であり、まさにBUND主義の真髄だと思いました。
前後の脈略なく、唐突にすみません。ただ、感動を伝えたくて…』

それこそがダメの真髄だとも、後年の混迷凄惨を生んだ原点だとも語られる所以だ。ワシに論評する資格は無い。
が、発信者の「感動を伝えたくて・・・」に震えない訳ではない。

通信録:前川喜平さん講演会」『歪められる「道徳教育」~復活する教育勅語』

昨日(4月28日)茨木市で開催された「前川喜平さん講演会」『歪められる「道徳教育」~復活する教育勅語』に参加した。
文部行政の中枢に居た者の教育行政のこの数十年間の変質への忸怩たる想いと、ギリギリ押し留めたささやかな抵抗線への矜持・・・、お話は面白くリアルだ。
現場の教師が「道徳教育」の教科化実施に当たり、文科省の解説文にも記載されている「自由度」や「自主度」や「応用度」を有効に根拠にて奮闘して欲しいとのエールだった。

【会場からの質問】
憲法15条「すべて公務員は、全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない。」を信条にして仕事している官僚はどれくらい居ます?
【回答】
20代は80%、30代なら50%、40代なら20%・・・・(笑)
【後輩へ】
魂は売るな!売るのではなく貸しておくのです。貸したものは返してもらうのです。

駄エッセイ:手強いぞ! 天皇リベラリズム

安倍+安倍背後勢力は難敵だが、
英国型皇室を目指すらしい皇室。今年もまた「春の園遊会」。そこに嬉々と馳せる有名人、その全体像を好情を持って観ているワシら(?)。
多くの「民」は、冬季オリンピックの勇者に特段の嫌忌の想いは無い。

古代からの神話伝承史実の剽窃/改竄・天皇家の歴史・明治~昭和の天皇制絶対体制/皇国史観と軍国/戦争と天皇の役割 等を不問に付し、万世一系だとして維持される現行天皇制が、ワシら「民」の主権者性と矛盾することなく併存する理路の在りや無しや?
ある意味で、安倍+安倍背後勢力とは別のそれ以上に強固にして根本的な課題だ。

鈴木氏が言う「国体としての天皇リベラリズム」に拮抗し得る、全「民」的論議も構想もワシらは持てていない。
憲法擁護の心情的シンボルとして天皇を担ぐ体たらくだし・・・。

たそがれ映画談議:原一男『映画監督 浦山桐郎の肖像』

珍しく七芸の杉本真一さんからメッセンジャーでご案内いただいた。
案内は4月17日の「原一男全作品を語る」なるトークイベントだ。『ニッポン国VS泉南石綿村』も公開されており、その絡みとは思うが、案内を視ると「幻の作品上映」ともある。
ピンと来た。「ひょっとして、某年某月、深夜にたまたま観て、身につまされ感動したあの作品ではないか?」
「1969年ゆえあって奇妙な巡り合わせで観ることとなった作品『私が棄てた女』の今は亡き映画監督、その肉迫評伝『映画監督 浦山桐郎の肖像』ではないか?」
入場料は講演代、「幻の作品上映」はそれに付随した無料資料代との位置づけに違いない。行かねばなるまい。小雨を突いて脚を引きずり、介助者同伴で出掛けた。

わたくし事だが、ワシの無恥混濁の青年期を抉るような内容で、忘れかけていた記憶が蘇り、帰路小雨の中浦山さんとの数回の出会いを思い出していた。

1971年結婚して東京で働いていたワシは、シナリオ作家協会のシナリオ研究所(通称:シナ研)の講座に出たり、シナリオ志望の若者や映画青年を集めていた「ポーリエ企画」という団体の講座で、当時『私が棄てた女』(69年公開)を最後に日活を辞め不遇を囲っていたと思われる浦山さんの講義を受講したりしていた。出会った人から業界の下っ端のその又助手の様な仕事先を紹介されたりもしたが、結局怯えて動けなかった。数度の浦山さんの講義では最前列に座り熱心に受講した(と記憶している。が、当時のノートや習作などは見当たらない)。

同じ年、阪急ブレーブスが今夜勝てば4度目のリーグ優勝という夜、北千住に在った東京スタジアムの3塁側スタンドで偶然女性同伴の浦山さんに逢い、ご記憶に有ったのかどうか会釈を返していただいた。寒い夜で、膝当ての毛布をお二人仲良く掛けておられた。遠い記憶だ。

原一男の、浦山の神髄に迫る当代一級の異色ドキュメントは、人間浦山の全体像に迫る出来映えだ。同時に、作者原氏の肉声・人間観をも叫ぶスリリングな内容だった。
登場する浦山さんのご子息・河原崎長一郎・和泉雅子・今村昌平・須川栄三・小栗康平・長谷川和彦・早坂暁・山田洋次・大空真弓・北大路欣也・大竹しのぶ・藤田敏八・真鍋理一郎・清水綋治・加藤武・南田洋子・小林トシエ・辻本あり子(婚外子の娘さん)・他 が語る掛け値なしの浦山像(呑んだくれ・泣き虫・酒乱・女優しごき・他)は浦山愛を超えて各氏の珠玉の人間観を紡ぎ出してもいた。女優はことごとく「生涯最高の役だが、私ではない気がする。あれは、浦山さんが作った主人公像なんです」(要旨)と語っている。和泉雅子は「浦こうを殺してオレも死ぬ」と叫び、小林トシエは自身を追い詰め自殺未遂まで計る。
想い描く作中主人公像を譲らなかった頑固者というか、女性像に関する非妥協は、根に永遠の「生母への思慕」「継母(生母の妹)への疑似恋情」が在る、と友人たちは語る。

浦山の生母は1930年浦山を産んですぐ死亡した。翌年父はその妹と再婚する。浦山には生母が産んだ自身と姉、継母が産んだ妹・弟・妹がいる。1949年浦山19歳の夏、父が自死を遂げる。社宅を追われた一家は継母のツテで名古屋へ。家族は保育園の好意で園舎の一角に住まい、浦山は近くに下宿する。
1950年浦山は20歳東大受験し失敗。1951年名古屋大学入学。
『私が棄てた女』に東京の中企業で働く主人公:吉岡を訪ねて故郷から母と弟がやって来るシーンがある。母親が遠まわしに窮状を語り、弟が親戚筋へ養子に出ると告げる。東京で一人暮らしの若いサラリーマンにはどうすることも出来ない。「そうか、まぁ元気にやれや」と返し、母・弟との時間が早く終わって欲しいと苛られた気分を隠して話す主人公:吉岡(河原崎長一郎は名演だった)。浦山の経歴を見れば、あれは間違いなく浦山自身だった。
学舎の一角を間借りする、まるで近似の境遇から、国立大を出て教師になった吉岡より10数年ほど年少の友人Nを知っているが、Nも浦山も苦労しただろうが吉岡にはならなかった。
鬱屈しても企業戦士となり、小企業の幹部になって行く吉岡と違い、浦山は日活でいわば筋を通した映画人を生き悪戦を繰り返した。友人Nは教組の中心メンバーとして生き、退職後も各種課題に取り組んでいる。が、浦山の吉岡の処世への限りない共感(?)の大元に、青年期の境遇と貧困と努力への哀惜が横たわっているとは言えまいか?

 『***の肖像』には東映アニメ松谷みよ子原作『龍の子太郎』(79年)の動画も登場するのだが、龍から人間に戻った太郎の母の裸像体形は紛れもなく浦山の「生母像」だったように思う。たおやかで思慮深く、慈愛に満ち我を許容してくれる存在。画面で誰かが苦笑して言っていた「浦山の場合、求めるものが全許容だからねぇ」と、なるほど・・・。
信頼する知り合いの映画関係のKさん(女性)が『私が棄てた女』に関して「あんな女はいないよ、浦山の身勝手だ。浦山の女性の扱いは酷い。全許容と言うが、なら女はどこへ許容を求めたらええねん?」と言ったが、ワシの場合、全許容の無理を承知している(?)し、相方は適度の許容だけを覚悟している(?)のだと思う。そうした、ある種のバランスが凡人だとしたら、浦山は実生活・実人生はいざ知らず、映画作りでは主人公に原初の願望的(?)女性像=理想化された生母像=全許容する存在を求めたアンバランス偏人=「芸術家」なのだろうか・・・。
因みに、人間に戻った龍の子太郎の母の声が、これはたぶん・・・と思い調べるとやはり吉永小百合さんだった。
彼女は『夢千代日記』(85年)の「ピカが・・・ピカが・・・」というセリフを巡る浦山との確執からか、この『***の肖像』への登場は辞退されたという。

振り返れば『青春の門』(75年)で、小沢昭一が戦後という時代背景をナレーションするのだが「もうちょっと観客を信用しては・・・」と思った。あのナレーションをある人が「蛇足だ!」と言ったが、「ピカが・・・」も似た意味で夢千代最期の床で彼女の心に去来する言葉(にならない心の風景)は観客に任せて欲しかった。浦山さんの「念押し」「親切?」は時にこうなるのか?・・・。それは『棄てた女』での、機動隊が吉岡を包囲するカラー・イリュージョンの唐突さも含めて、独りよがりと言えば言い過ぎか?・・・といった世界だ。

画像は、
原一男さんトーク場面、原さん著作にサインをもらうワシら。
初期三部作『キューポラのある街』(62年)『非行少女』(63年)『私が棄てた女』(69年)の各一番心に残るシーンです。
原一男・編「映画に憑かれて 浦山桐郎」表紙 『青春の門』(75年)

アジール空堀:4月15日 趙博:歌うキネマ『西便制-風の丘を越えて』。

4月15日 趙博:歌うキネマ『西便制-風の丘を越えて』。
パギ日和というかアジール日和というか。午前中の雨は上がり、会場は満席の盛況。(公演46名様 懇親会20名様 ご参加)
実に関西9年ぶりという公演は圧倒的でした。
ユボン(養父)・ソンファ(姉)・ドンホ(弟)の血の繋がらない親子(実はこの設定がスゴイとワシは想って来た)のパンソリ行=極貧・彷徨も、ユボンのパンソリへの矜持と偏愛と自負がもたらした意地のような「生」。それに翻弄される姉弟の苦難と別離・姉ソンファの壮絶な「生」・・・。
姉弟の再会と、名乗ることなく別れ往くラストに、会場全席全員が号泣していた。
「恨(ハン)」の世界が垣間見えただろうか。

【画像:満席の会場風景、パギ熱演、埴生美伽子さん「アジール空堀」来月公演紹介、懇親会風景+集合写真(於:すかんぽ)、 ☆画像一部田中貴代乃さんからの拝借です。

ほろ酔い通信録:末息子一家移転

先般三月末に茨木市から妻君の故郷=茨城県へ移住した末息子(三男、高校教諭36歳)一家。
昨4月4日、引越作業の立会と片付けで息子だけが一時帰阪した。家族(妻・娘三人)は、早速転校手続きや小学校訪問・楽しみにしていた地域のバスケットチームへの顔見世などに始動しているらしい。
午後からスタートした積込みの半分を終えた業者のトラック第一便が、積み替えで近くに待機している大型トラック中継地へ向かい、彼らが暮らしたマンション横の、さくら舞い散る茨木名所「さくら通り」を走って行った。その後ろ姿と満開の桜を見つめていると、「花に嵐のたとえもあるさ」の一節がまた浮かんだ。いかん、景色が霞む。
20時を過ぎて、本人と母親から積込も片付けも完了したと知らせが入った。
事前の打合わせ通り、近くに住む兄(次男、中学校教諭41歳)も加わって評判の良い近くのカジュアル割烹で呑んだ。息子たちだけと呑むのは実に初めてだ(長男は店があり欠席)。
普段面白おかしいことしか語らない次男が、珍しく職業上のモットー「心構え」的なことを語ったので驚いた。激励だったのだろう。
本人・女房・今春まで茨木で大きくなった孫娘三人、どうか元気でな。

【勧酒】(于武陵)
勧君金屈巵
満酌不須辞
花発多風雨
人生足別離

(井伏鱒二訳)
この盃を受けてくれ
どうぞなみなみつがしておくれ
花に嵐のたとえもあるさ。
さよならだけが人生だ

ほろ酔い交遊録:金城実著『琉球独立は可能か?』。出版記念会。

金城実・松島泰勝 著『琉球独立は可能か?』。出版記念の集い。
琉球への半端な立ち位置のワシ。本の中身も当日の発言も、ましてや「琉球独立」について語るべき文脈も持たない。昨夜の会へのコメントはできません。
で、金城さん絡みのエピソードをひとつ・・・。

金城実語録:
2005年4月から約半年、ワシは高齢の知人のギャラリー開設を請けて、豊見城に滞在していた。その爺さんが60歳でもうけた息子:ダウン症のYちゃん(当時20歳)、お二人を同道して読谷の金城さんアトリエを訪問した。瞬く間に金城さんのドロ捏ね制作に熱中したYちゃんを観て、金城パワーに圧倒された。
『こっちでは、こういう子を「神の子」と言うんだ』と言う金城さんに『そうですよね。Yちゃんたちは排除されず生きて行く権利があると思います』と返すと金城さんはこう言った。
『康介、それは当り前の前提じゃ。「神の子」と言うのは、「神の子」を排除してはあかんぞ・バチが当たるぞ、という子どもたち全員に対する戒めなんじゃ。「人には、弱者を排除することなく生きてゆく権利がある。それは義務ではあるよりは権利なのだ」という教えなんじゃ。』 グぁ~ン!

アジール空堀:白熱教室『アジールとは何か?』

2018年3月17日(土)14:20~17:00 17:30~懇親食事会
舟木徹男白熱教室『アジールとは何か?』
各種集会催事が重なる中、今日的「アジール」の可能性を構想したい者たちが集った。
舟木さんの熱い講義は、講演後食事会を含め圧巻。「アジール」講義は広く深く広がった。運動組織・党・NGO・NPO・生協・福祉事業・・・あらゆる対抗組織に「アジール」根本綱領が在って欲しい・在るべきだと想わせる講演でした。
アジール:(独: Asyl、仏: asile、英: asylum)は、歴史的・社会的な概念で、「聖域」「自由領域」「避難所」「無縁所」などとも呼ばれる特殊なエリアのことを意味する。 ギリシア語の「ἄσυλονアスロン(侵すことのできない、神聖な場所の意)」を語源とする。

舟木講演Keyワード:

権力の統治が及ばない空間・駆け込み寺・教会・聖域、党綱領・憲法/法をも統御する公理=「自然法」「自然権」(注1)、「公共」「公(おおやけ)」の復権、教条ではなく「公理」が指針、市民的対抗公共圏・疑似三権を具えた中間権力、網野義彦「無縁」、市民的不服従、・・・
(注1)例えば財務省決裁文書改竄は、有印公文書変造・同行使に該当し、法には「1年以上10年以下の懲役」とはあるが、その重大犯罪性を明記している訳ではない。法は、こんなムチャ振りを想定していないと言えようか。こうした「いわずもがな」の事柄をも統御するのが「自然法」だろうか。

ほろ酔い通信録:末息子一家送別会

2月24日、末息子一家送別会

息子の一人(高校教員)が、春から遠方へ転居となった。
彼の後半生は「北関東」人ということになる。
妻の故郷・自身 大学~院の六年間居た地・その他の理由での
転居・職場変更だ。本人・兄弟・母親は皆アッケラカン。
ワシだけが爺臭い湿ったことを言ったのではみっともない。
ここは決めセリフのひとつでも・・・。 人間到る処青山あり ってか?

画像:子+パートナー+孫。下、乳児を除く孫5人(4歳~4年生)を写す婆さん。移転者の結婚時(10年前)。

アジール空堀:2月企画『映画とクラシック』

「アジール空堀」2月企画
2018年2月10日(土)16:00~20:30『映画とクラシック』
トーク&映像&フレンチの会。

寒さのせいか、みなさんイヴェント疲れか、はたまた企画の不備か、ご予約が伸びず焦ったが、木曜日に13名様に達し、本当日も飛び入り2名様で計15名様。それでも、「アジール空堀」始まって以来の最少参加者数。
その分濃く楽しい会になった。
日本映画の部では、黒澤明監督からの、彼の側に特定のクラシック音楽が想中にあって、「このイメージで別途オリジナルを」との要求に音を上げた早坂文雄・佐藤勝・武満徹たちとの「暗闘」(?)の話は、映画という表現が逃れられない「業」の大きな部分ですね。
講演者の、ひと際愛着ある浦山桐郎監督の「クラシック・ファンであり、愛するがゆえに映画音楽として直接使うを忌避して」との理解にも興味があった。「私が棄てた女」に於いて民謡「新相馬節」や歌謡曲「東京ドドンパ娘」を使ったように、浦山がその時代の女性を描くに際しクラシックは「いかがなものか?」と考えたことの根っ子に、60年代男女の「掛け値なし」の心性が民謡や歌謡曲の波間に漂うたに違いないという確信があったと講演者は語ったのだろう。

後半洋画の部も面白く書き切れないのだが、スウェーデン映画『みじかくも美しく燃え』(1967年、スウェーデン)の主演女優:ピア・デゲルマルク(カンヌ映画祭主演女優賞受賞)のその後の数奇で薄幸な半生(富豪と結婚・離婚)や「あの映画にさえ出なければ」との失意が、原題(サーカスの綱渡り芸人の名)ではなく日本題名「みじかくも美しく燃え」とモーツァルトのこの曲とワンセットに迫って来る映画ならではの面白さ・・・と講演者。
ラストは、『2001年宇宙の旅』。ここにも、監督と音楽監督の壮絶なバトルがあったそうで、アレックス・ノース(スパルタカスなど)が書き上げていた作品を無視、「ツァラトゥストラ」等に変更。ノース死後彼の友人ジェリー・ゴールドスミス(パピヨンなど)が没になったノースの作品をCD化したそうな。
いやはや、独りではできない、いくつもの才能の結集だけに衝突の連続だろう映画作りの断面のホンの一部を聞かせてもらった。

講演者が無類の「浦山ファン」だということがよく解かった。ワシも『キューポラのある街』『非行少女』『私が棄てた女』の通称初期三部作の女性主人公、ジュン(吉永小百合)若枝(和泉雅子)ミツ(小林トシエ)を、60年代を生きた女性たちの変容態だと語った一文を書いたことがある。講演者が言う、浦山の「虐げられる側・棄てられる側に寄り添う」基本姿勢に同感しながら、参加女性からの指摘「女性の描き方が、余りにも男の都合からのものだ」にも頷くワシだ。
浦山さん、しかし「私が棄てた女」の幾百万の主人公吉岡氏こそ、60~70年代高度経済成長期日本を積極的(か渋々かは置いて)に推進し、社会性と公共性の一切(?)に目を閉じ、「所属企業」内のみでの「企業処世」と「私的安定」に汲々とし、一方で幾百万のミツを棄て続けて来た存在であることは事実だ。

主催者としては、少人数の良さを活かせたいい集いでした。慣れない上映もまずまずで、音響も「ツァラトゥストラ」のウーハースピーカーはバッチリ。
映画ファンであるご参加者の、映画とクラシックへのそれぞれの切り口が発展して行きそうな予感が生まれた会でした。みなさん、橋本良介君、ありがとうございました。いずれ続編しましょう。

Search