アジール空堀:2月企画『映画とクラシック』

「アジール空堀」2月企画
2018年2月10日(土)16:00~20:30『映画とクラシック』
トーク&映像&フレンチの会。

寒さのせいか、みなさんイヴェント疲れか、はたまた企画の不備か、ご予約が伸びず焦ったが、木曜日に13名様に達し、本当日も飛び入り2名様で計15名様。それでも、「アジール空堀」始まって以来の最少参加者数。
その分濃く楽しい会になった。
日本映画の部では、黒澤明監督からの、彼の側に特定のクラシック音楽が想中にあって、「このイメージで別途オリジナルを」との要求に音を上げた早坂文雄・佐藤勝・武満徹たちとの「暗闘」(?)の話は、映画という表現が逃れられない「業」の大きな部分ですね。
講演者の、ひと際愛着ある浦山桐郎監督の「クラシック・ファンであり、愛するがゆえに映画音楽として直接使うを忌避して」との理解にも興味があった。「私が棄てた女」に於いて民謡「新相馬節」や歌謡曲「東京ドドンパ娘」を使ったように、浦山がその時代の女性を描くに際しクラシックは「いかがなものか?」と考えたことの根っ子に、60年代男女の「掛け値なし」の心性が民謡や歌謡曲の波間に漂うたに違いないという確信があったと講演者は語ったのだろう。

後半洋画の部も面白く書き切れないのだが、スウェーデン映画『みじかくも美しく燃え』(1967年、スウェーデン)の主演女優:ピア・デゲルマルク(カンヌ映画祭主演女優賞受賞)のその後の数奇で薄幸な半生(富豪と結婚・離婚)や「あの映画にさえ出なければ」との失意が、原題(サーカスの綱渡り芸人の名)ではなく日本題名「みじかくも美しく燃え」とモーツァルトのこの曲とワンセットに迫って来る映画ならではの面白さ・・・と講演者。
ラストは、『2001年宇宙の旅』。ここにも、監督と音楽監督の壮絶なバトルがあったそうで、アレックス・ノース(スパルタカスなど)が書き上げていた作品を無視、「ツァラトゥストラ」等に変更。ノース死後彼の友人ジェリー・ゴールドスミス(パピヨンなど)が没になったノースの作品をCD化したそうな。
いやはや、独りではできない、いくつもの才能の結集だけに衝突の連続だろう映画作りの断面のホンの一部を聞かせてもらった。

講演者が無類の「浦山ファン」だということがよく解かった。ワシも『キューポラのある街』『非行少女』『私が棄てた女』の通称初期三部作の女性主人公、ジュン(吉永小百合)若枝(和泉雅子)ミツ(小林トシエ)を、60年代を生きた女性たちの変容態だと語った一文を書いたことがある。講演者が言う、浦山の「虐げられる側・棄てられる側に寄り添う」基本姿勢に同感しながら、参加女性からの指摘「女性の描き方が、余りにも男の都合からのものだ」にも頷くワシだ。
浦山さん、しかし「私が棄てた女」の幾百万の主人公吉岡氏こそ、60~70年代高度経済成長期日本を積極的(か渋々かは置いて)に推進し、社会性と公共性の一切(?)に目を閉じ、「所属企業」内のみでの「企業処世」と「私的安定」に汲々とし、一方で幾百万のミツを棄て続けて来た存在であることは事実だ。

主催者としては、少人数の良さを活かせたいい集いでした。慣れない上映もまずまずで、音響も「ツァラトゥストラ」のウーハースピーカーはバッチリ。
映画ファンであるご参加者の、映画とクラシックへのそれぞれの切り口が発展して行きそうな予感が生まれた会でした。みなさん、橋本良介君、ありがとうございました。いずれ続編しましょう。

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