連載 74: 『じねん 傘寿の祭り』  八、 しらゆりⅡ (1) 

八、 しらゆり①

翌朝、黒川は昨夜何もなかったようにケロリと「おはよう。さあ、オープンだ。常連が押し寄せるぞ」と能天気。裕一郎も合わせた。                                                                                                                           「じゃあ、ユウくんの園もあるし三人で車で出かけましょうか。先に店へ行回ってそれからユウくんを送りましょう」                                                                                                                                                 「そうだね。今日だけは早く行かないとね。明日からはひろしを送り出してからゆっくり行くよ。もう君に頼ることは出来ないのだからな」                                                                                                        裕一郎は、俺の退却を正式に承認したのだなと思って、昨夜の暴言も赦せるのだった。                                                                                                          ギャラリーには昼前から、もちろん押し寄せるのではないが、DMを観た常連や新聞・テレビを観た人々がやって来た。ご祝儀の購入もあり黒川は上機嫌。ヘルプに来ていたヒロちゃんも包装したりお茶を出したりしてキビキビ動いている。オープンらしい賑わいは心地よかった。

午後から比嘉が来てくれた。主宰する大人向け版画教室の生徒さんにと、そこそこ値の張る湯呑みを十三個、無理して購入してくれた。黒川は、新聞とテレビの礼を彼なりに精一杯表現している。                                                                                                                                                                                                          「息子さん、ユウくん元気ですか? ほれ例のシーサーの仕上げが残っております。裕一郎が居る間に来させないや。いいものに仕上がると思うんじゃ」                                                                                                                   「いやー本人もあれは気に入っていて仕上げたいと思っているはずなんだよ。行かせよう」                                                                                                                                                                                            比嘉はこれから那覇に在るその教室へ向かうと言う。彼を送りますと黒川に告げて出た。                                                                                                 「話があるんじゃろ?」                                                                                                                    比嘉は鋭い。教室は夕方からだ。近くの喫茶店に入った。                                                                                                                    「オープンしたことですし大阪へ帰ります」                                                                                                                                「そうか。いいじゃないか、まぁお前さんとしては出来ることはしたんだ。帰りなさい」                                                                                                                              比嘉の友人であり後輩でもある村会議員がいる。彼が障害者の授産施設の運営もしている。ユウくんの日常に、自宅と園以外の活動・体験を確保したい。その方法を相談したいと切り出した。                                                                                                                      その場で村会議員に電話を入れてくれ、早速明日訪ねることになった。話の中で、黒川との二ヶ月を客観的には愚痴ってしまった。                                                                                                                                                        黒川をよく知っている比嘉は「あのジイさんらしいのう」と笑って聞いている。                                                                                     黒川の生母探しを聞き及んでいる範囲で全て話した。比嘉は初耳だと言った。

比嘉は生母探しを引き受けた女性の名:謝花晴海を言うと知っていた。探偵社のようなものを運営しながら、沖縄の山野やガマ(壕)に埋もれて眠る沖縄戦の遺骨の収集に汗を流し身元を調査し、判明した遺骨を遺族の許へ帰す、そのボランティア活動を地道に続けている女性で、面識もあると言う。彼女自身の父母が、ガマの惨劇の生き残りなのだだという。おそらく出生事情を知る長崎の関係者から聞かされていた黒川が、展示会で沖縄に来た時その女性に依頼していたのだろう。                                                                                                                                                            そうか、美枝子が言っていた、沖縄国際大学へのヘリ墜落事件の翌日「沖縄の女性から」電話・・・、その電話の主が晴海に違いない。直後黒川は沖縄移住を決断したのだ。                                                                                                                                                      比嘉が言った。                                                                                                                                                                                                            「ジイさんの生母探しは、彼女の遺骨収集の取り組みと決して無縁ではないぞ。ウチナァとヤマトゥの関係の一断面だな。彼女はそこを想って黒川の依頼を格安で請けて走り回ったんやろう。けどな裕一郎、ジイさんの気持ちは分かるが、その生母は長崎での日々と実子とを、つまり日本を封印して再出発して生きたのだ。明らかにすると言うても難しいのぉ。」                                                                                           比嘉はゆっくりした口調で続ける。                                                                                                                                                   もし、条件が整ったとして、条件というのは遺族・親族の同意などだが、確定するにはDNA鑑定だろうかな? 沖縄の墓制は、よく知られているようにカメヌクーという亀甲墓と呼ばれるものだが、女性の子宮を模したものだそうだ。母の胎内から生まれ死してまた帰って行くっちゅう訳だな。なら、女性も母親の墓に入るべきだが、妻は夫の大家族の墓に入る。死してなお、家・家族に縛られる。日本と同じや。                                                                                                                                                             葬儀も、「二回葬」と言うてな、その大きな墓に埋葬して、遺骨が朽ちるのを待って数年後取り出し洗い清める。洗骨やな。独特や。ヤマトゥでも火葬が一般的になるのは戦後らしいが、ジイさんが生母だと言う女性が亡くなったのが五六年だとして、どうだろう移行期だったがまだ火葬ではないように思う。DNA鑑定には有利だな。いや待てよ、五六年といえば五十年前やのう、家々で違うと思うがもう墓の奥に先祖と一緒くたになっとるかもな。しかし、墓を暴くというか、墓から取り出してというのは、文化・民俗に馴染まないね。しかも、                                                                                                                                                                                   問題は、その墓は夫の大家族の墓だということだ。離婚しても元夫との間に子がある場合、元夫家の墓に入るというほど家制度が生きている土地柄だ。親類縁者が承知せんじゃろ。ましてや、その生母はヤマトゥで出産したことを秘して生きたのじゃ。ジイさんの執念は波紋が大き過ぎる。つらいのぉ~。

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