連載 71: 『じねん 傘寿の祭り』  七、 しらゆり (7)

七、 しらゆり⑦

すぐ三人で移動して玲子の下宿でメシをよばれたから、是非無い待ち合わせではなかったと裕一郎は思っている。                                                                                                                     「ぼくじゃない。ぼくでも彼でもない誰か友達やろ。今度、玲子本人に訊いてみるよ」                                                                       「な~んだ。男って些細なことを気にしてるんですね。奥さん本人か北嶋さんに訊けば分かるのに、ね・・・。」                                                                                                 「気にしてるのか、あいつ」                                                                                                                                 「そうは言わなかったけど、奪ったという言葉に負い目みたいなもの感じましたよ。それと、北嶋さんの奥さんが専務の永遠のマドンナだとも言ってました。怒らないで下さいよ、お二人って、何か学生時代や争議や仕事を通じて兄弟のような双子のような、いえ違うな、う~んお互い相手の存在がなければ人生が成り立たないような、相互依存のような・・・。悪いけど、団塊世代?あの人たちみなさんそういう傾向ありません? それって卒業すべきことだと思います」                                                                                                                                                                             裕一郎は図星だと思った。だから苛立ちもした。生意気なとも思った。若い女性のこうした言い分に母性のようなものが潜んでいることも知っていた。珍しく不躾な亜希の魂胆が分からない。                                                                                                                                                       「マドンナ? うちの女房が? へえ~意外やな。それはともかく、相互依存? 失礼やろ! なんでそういう話を語るんや?」                                                                                                                                 「卒業の材料。それと奥さんの処へ帰る後押し」                                                                                                                             「余計なお世話やね。放っといてくれよ。何が卒業の材料や、中学生に対する母親みたいなこと言うてくれるな」                                                                                                  「すみません・・・でした」                                                                                                                                                               恥かしさもあって亜希には言えなかったが裕一郎は思うのだ。相互依存だけではないよ、相互刺激や相互研鑽に似た緊張関係の側面だって在るのだ。矜持とも自負とも言えないが、いささかのこだわりはある。その意味をこれまで、体系的に社会的に自他に示せたことなど無い以上、相互依存との指摘に甘んじておこう。                                                                                                           ベンチから起って改札へ向かう亜希が無礼を埋め合わせる為だけではなさそうに言った。                                                                 「いい誕生日でした、有り難うございました。永遠の入口と思わせて下さい。いいですよネ」                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                       三十歳も若い亜希に少年をあやすように言われたなとも、彼女が本気で言ってくれたとも思え、この人をこの先も見ていようと思った。こういう年下の女友達は他にいない。貴重なのだ。                                                                                   「明日のオープンには那覇に留まっているヒロちゃんがお手伝いします。黒川さんに伝えておきました。じゃ、また」亜希は桟橋に去った。

 黒川とギャラリーじねんが出るニュース番組を見るべく、黒川宅へ車を走らせた。黒川には悪いが、比嘉の陰の貢献への感謝の想いが無ければテレビ・ニュースはどうでもよかった。コメントは予想が付くし、店の映像は知り尽くしている。                                                                                                                         危なっかしい運転は、妻と俺は「そういう関係」なんだろうか?という書生のような問いに支配されていた。勘違いを質せずに来た高志の半生に居座る青臭さ、妻が「専務の永遠のマドンナ」だという亜希の話に驚いている自身の感受性の弛緩。それらは亜希が言う通り相互依存の変異種だ。                                                                                     最も身近に暮した存在への観察眼や理解力に欠ける若輩者が、天下国家を論じた若い時期を送り、社会運動に関与しそれも中心を担ってしまい、人の生活を左右してしまう経営を背負うとは・・・。                                                                                                                                                                                                                                                                                                          けれども、知者や治者や覇者にその無謀を嘲笑わせたくはない。                                                                                                                                                                                          高志に「奪った感」や負い目があったとして、それはある面「可愛いわね」と片付け得る要素や、書生っぽい誠実や、甘ちゃんの罪のない無理解だと言えなくはない。けれど、抜けているのは玲子の側の選択、その自律自立への無理解だ。そうした在り様は、実のところ厄介な団塊どもの限界だったし、俺たちの危うさのや欠陥の根本と繋がっていると裕一郎は思う。団塊、厄介、限界ってか?                                                         人のことはこのように思えもするのに・・・。                                                                                                                                        専務を卒業、・・・か。上手いこと言うな亜希。それが必要なのか、そもそも高志との間に亜希が言うほどの卒業すべき課題があるのか、そこは自覚できない。しかし、裕一郎が「バカだなぁ」や「幼いなぁ」などの感情を、いままで高志に抱いたことがなかったのは事実だ。亜希、君は聡明で美しい。

 黒川宅に戻ると、食堂でユウくんがはしゃいでいる。                                                                  「北嶋さん、お寿司が来るよ」                                                                         「ギャラリーの完成祝いかな」                                                                                    「違うよ。」                                                                                                                   「何かな?」                                                                                       「いいことだよ」                                                                                                                                                      チャイムがなって黒川が大きな寿司桶を抱えてやって来た。                                                                    「ギャラリーの完成も目出度いが、もっと目出度いことなんだ」                                                                                                  「何です?」                                                                                                                                                「ぼくが大人になったんだよ」とユウくんが誇らしく言う。                                                                               「ひろしの誕生日なんだよ」                                                                                                        「おうおう、そうかユウくん。おめでとう。いくつになった?」                                                                                                                                                                 「ひろしは二十歳になったんだ」                                                                                                                        黒川さん。黒川裕、ユウくんこそは、貴方がひと度は「そういう関係」だった人との間に生まれた命なんですよね。                                                                                                   三人でわしたニュースを観た。想像通りの内容だったが、黒川は「比嘉君にお礼を言わなきゃな」と上機嫌。ユウくんも「わあ、チチのギャラリだ」と見入っていた。                                                                                                                                                             亜希に諭されたと言うべき今朝からの今日一日が、とりわけ亜希が泊港の待合で語ったことが、ユウくんの母親美枝子を含む身近な女たちを強く想わせ、黒川の生母探し調査費のことを認めるよう心を押している気がしていた。                                                                                                                            食卓に並んだ寿司を前に、おめでとうを言って乾杯して・・・、と思って腰掛けた時、またチャイムが鳴った。                                                                                                                                               出た黒川と宅配業者が言い合っている。玄関に行くと、黒川が受取拒否を通告していた。                                                                                                          すぐに分かった。美枝子からユウくんへの二十歳の誕生日祝いの品だ。                                                                                                 「止めなさい! 黒川さん、貴方に受取拒否する権利はありません」                                                                                            「話は逆だ。居候の身の君に、ぼくへの荷の受取拒否を阻止する権利は無いんだ!」                                                                                         「あなたへの荷? ほら、この荷物の宛名は黒川裕です。黒川自然ではありません。横暴だ」                                                                                               「ぼくは親権者だ」                                                                                                                                                      「黒川さん、ダメです。今日ユウくんは二十歳になったんでしょ。止めなさい。受け取らせて下さい。                                                                       美枝子さんからのプレゼントじゃないですか!」                                                                                  強引にサインして、配達員から受け取った包をユウくんに手渡した。                                                                               こらっジジイ! 誰が居候やねん? そう言いそうになった。

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