連載 72: 『じねん 傘寿の祭り』  七、 しらゆり (8)

七、 しらゆり⑧

祝いの席だ。黒川は、さすがに美枝子からのプレゼントに関しては口を閉ざした。それがかえって「君には後でゆっくり言うことがあるんだ」というサインに思えた。                                                                                       ユウくんの「ネクタイとシャツだ」との小声に、黒川が「ひろし、後にしなさい」と言う。ユウくんは半ば明けてしまった荷を申し訳なさそうに隣室へ移動させた。                                                                                                                                               黒川も裕一郎も怪しいがまあ大人だ、楽しそうに振舞った。祝いの席が終ると、ユウくんが二階で長ズボンに履き替え降りて来て、プレゼントのカラシ色のカッターシャツを着ている。ネクタイは焦げ茶色の地に同系二色で柄が施されている。上品で毅然とした雰囲気のものだった。ユウくんが穿いた焦げちゃ色のズボンにもピッタリ。美枝子がこのズボンを百も承知で選んだのだと判った。                                                                                                            「北嶋さ~ん。ネクタイ付けて」                                                                                                                「はいよ。ネクタイはね、締めると言うんやで」                                                                                                       「ネクタイ、しめて!」                                                                                                      一度では覚えられないネクタイ締めに、ユウくんは「難しいね。面倒くさいね」と言う。暑苦しく首周りが窮屈なこれは「犬の首輪だ」とは言わなかった。役に立つ時もあるのだ。例えば、先日、細川の画廊に債権回収に出向いた時のように・・・、と思って苦笑した。                                                                                                  「似合わない?おかしい?」                                                                                                                                                       「いや、もちろん似合ってるよ。初めてネクタイ締めたとき北嶋さんも苦労したのを思い出して笑うたんや、ゴメンゴメン」                                                                                                               「ふ~ん。北嶋さんでも難しいんだ」                                                                                              「そうだよ。けど、覚えといて損はない」                                                                                                                                               「覚えるよ」                                                                                                                 ようやくカタチが決まると、ユウくんは玄関の大きな鏡の前へ小走り。                                                                                                                           「北嶋さん、写真撮って。ねえチチもおいで、写真をハハに送るよ」                                                                                          携帯電話で構えると、黒川が苦い顔でユウくんの隣に立った。

 ユウくんが寝た頃、黒川が部屋へやって来た。黒川はまずは冷静に語り始めた。                                                                                                                                                                                 「北嶋君。時々電話する、目立つタイミング、印象的な場面で物を送って来る、それは卑怯だと思わないかね?」                                                                                                      「卑怯と言っても、美枝子さんには他に方法が無いじゃないですか」                                                                                                                  「出て行ったのはあいつだ」                                                                                                                                                 「それは親の都合でしょう。ユウくんにはハハとの交信の自由、ハハから愛される権利があります。貴方はそれを奪うのですか?」                                                                                                                                              「いいかい。ひろしと生活しているのはぼくなんだ。時々いい顔をするのは誰にでも出来るんだ。もう会えない、母親をできない・・・、それを覚悟して出て行ったんだろうが、それはあいつが自ら選んだ途なんだ。」                                                                                                                                                             裕一郎は、ここで言ってはならない切り札を出してしまった。                                                                                                                                                                                                                     「黒川さん、怒らないで下さいよ。じゃあ、あんたの調査とやらは何なんですか?。生母を探しているじゃないですか。ユウくんに母親に会えないままの同じ想いを強制するんですか?」予想通り黒川の声が変わった。                                                                                                                                                         「それとこれとは違う。ぼくの生母は自ら選んで長崎を去ったのではないはずだ。引き裂かれたのだ。産み役を終えお払い箱にされたに違いない。日本を、実子を封印して戦後を生きたのだ」                                                                                                            「悪いけど、想像でしょう?」                                                                                                                                                                                                                                                                 「違う! ほぼ特定出来たんだ。調査の結果、プロフィールが合致する女性の中に、戦後、沖縄で結婚して五六年に五十一歳で亡くなったある女性が、ぼくの幼少期の時代長崎にいたことが判明した。しかも、」                                                                                        黒川は熱を込めて語る。その女性は一九二七年二十二歳で子を産み、ぼくが生まれた年だ、一九三七年三十二歳の秋沖縄に帰っている。ぼくが尋常小学校四年の運動会の年だ。ほぼ間違いない、母だ。沖縄で結婚し再出発したんだな。母には当然、夫・家・生活・親戚、沖縄の戦後の時間というものがあった。彼女の歳の離れた妹さんがひと度は姉が長崎で子を産んだことを認めていたんだが、後日否定に転じて亡くなったそうだ。調査員は、その妹さんの息子から聞き出した。が、否定したのが遺志でもある。そこを配慮してまだ最後の詳細を言わない。それに、子つまりぼくの妹だねえ、妹も居る。事実を明らかにするには関係者たちが、歴史や事情を越えて協力というか同意してくれないと難しい。容易なことではないんだ。親類縁者・地域社会からの無言にして根深い強迫を押し返して明らかにするには、ぼくの側には在る必然性みたいなものが要るんだが、向こうには無いよね。むしろ秘しておきたい、というのが当然だろう。                                                                                                                 「君には解からんだろうが、ぼくは米・日・沖と闘っているんだ。ぼくの戦後総決算だ。闘いは必ず決着してみせる」                                                                                                                                                                                                                                                       「ハイハイ、そうですか。どうぞご自由に」                                                                                                                                                     「聞くんだ。ぼくの生家、ぼくの生家は長崎で有名な料理旅館だったんだが、そこにウメさんという女中さんが居た。原爆被害で大混乱の敗戦直後の長崎、ぼくは生家の前でそのウメさんに再会した。彼女からぼくの出生の事情を聞かされていたんだ。仕事で沖縄へ来るようになって、どうしてもハッキリさせたくなってウメさんのその後を辿った。亡くなっていたよ。生母に関しては、姓名のうち姓はだけは珍しい苗字で思い出せたが、その他聞かされたことを思い出せないで来た」                                                                                                     「美枝子さんから、ウメさんが語った小学校四年の運動会で会った女性の話、聞きましたよ。それはそれとして今はユウくんと美枝子さんの交流の自由の話です。その総決算とやらには、あんたがユウくんと美枝子さんの自由交流を納得することが、むしろ必修条件だとぼくは思いますけどね」」                                                                 ここから黒川はさらに語気を荒げた。                                                                             「分かったような口を利くんじゃない。本気で総決算などしたことのない崩れ全共闘めが。」                                                                                   「ちょっと待ちなさい! 本気かどうか怪しいけど、その作業をぼくらなりにして来たんです」                                                                                  「そのぼくらの{ら}が気に入らないね。君の世代はいつも、何を言うにも{ら}だ。一度くらいぼくと限定しなさい。{ら}なんて無いと知ってるから、お前さんはいつも{ら}なんだよ。しかも本気かどうか怪しいとまで言う。怪しいんじゃなく、してないんだ。ぼくは本気だ。ハッキリと本気だ。米日沖と正面から向き合うぞ。ぼくが母に会うことを妨げる要素は、ぼくにとって全て敵なんだ」                                                                                                   思い込みとは恐ろしい。この自信は何だ。少しは自らの越し方を顧みろよ。                                                                                                           老いの一徹と言えば聞こえは良いが、自身棚上げ方式なのだ。その主張に怯みもする。が、美枝子からの誕生日プレゼントは認めさせたい。                                                                                                                                 裕一郎は、罵り合いを続けた。                                                                                     

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