連載 70: 『じねん 傘寿の祭り』  七、 しらゆり (6)

七、 しらゆり⑥

予定通りワックス掛けを終え、夕方の便に乗る亜希を送って泊港へ車を走らせた。                                                                                                                                                  「聞きそびれたが、あの時みんなで笑ってたの何? 黒川さん又何か言うたかな」                                                                                                        「ナイショ」                                                                                                                                       「教えてよ」                                                                                                                                                                                    「ちょっと笑えないんだけど、黒川さんが面白おかしく言うから・・・」                                                                                                                    「何て?」                                                                                                                                                                        「亜希君と北嶋君が実際のところどうかなのかは、当人たちだけが知っている。ヒロちゃん、そういうことなんだよ男女ってのは、だって。それから、ぼくはもうセックスは出来ないから、永遠の入口だと思うかい?実はぜんぜん違うんだよ、だって」                                                                                                                                                              「松下さん、ぼくら、朝方、あそこで引き返して良かったよな。」                                                                                                             「すみません」                                                                                                           「謝るなよ」                                                                                                                                                                                                                         携帯電話が鳴った「裕一郎、今どこに居る?」。比嘉からだ。泊港へ向かう途中だと答えると、「すぐ帰れ! 6時までに帰れ」と言う。ん、何だ?                                                                                                                                                                                 「6時からテレビ視ろ。6時からの、わしたニュースやぞ」                                                                                            比嘉が何かの取材を受けて出ているのだろうか。                                                                                                                                        「何です?」                                                                                                                                         「観りゃ分かる。ジイさんにも見せてやれや」                                                                                                                                                 なるほど、そうか。ギャラリーじねんがローカル・ニュースに出るのだ。比嘉がそこまで手を回していようとは驚きだ。分かりましたと答え駐車場に入った。                                                                                                                                 亜希に電話の中身を説明すると「どうしてそこまで・・・」と言って、「黒川さん、北嶋さん、比嘉さんの熱い友情と言うか、腐れ縁と言うか、永遠の入口みたいなことかな」と言って笑った。                                                                                                                                           さっき黒川が言った永遠の入口は男女の「そういう関係」の話だったが、似たようなところがあるのかもしれないと、裕一郎は先輩二人との時間を想うのだった。

高速艇の発時刻まで30分ある。6時前に黒川宅着なら艇が出るまで居ても大丈夫。待合のベンチに座り、争議のとき占拠中の社屋内の倉庫を比嘉に製作工房として貸したこと、それは高志もいっしょに進めたこと、ずっと後年黒川は裕一郎が持ち込んだ比嘉の作品を扱って来たこと、先日ユウくんを比嘉のアトリエに連れて行ったこと、比嘉から聞いた「他者を迫害することなく生きてゆく権利」の話、比嘉が新聞社にギャラリーじねんの記事をねじ込んでくれたいきさつ、などなどをダイジェストで話した。                                                                                                                                                                                                                              亜希は、「ああ、沖縄だぁ」そう言って「北嶋さん、黒川さんっていいこと言いますね『永遠の入口』!」と繋いだ。                                                                                                                                     沖縄と黒川発言がどう結びつくのかよく解からない。だが、亜希の中で、いまそれが結び付いたのだ。そう思うと、黒川の例の「調査」も含め全てがひとつになって迫って来る。裕一郎はそう感じていた。                                                                                                                                                                 

艇の時間が近付いている。亜希が、「何回か送ったり送られたり・・・。駅や港でのこれ、中島みゆきの歌の気分にちょっと似ていて、これって嫌いじゃありません。もちろん、みゆきさんの突っ張った恋やしんどい別れではないのですが・・・」と笑った。大阪での最終電車の駅、渡嘉敷港、今日の泊港。たぶん三度だけなのだが、亜希との「別れの気分」は裕一郎とて嫌いではないのだ。                                                                                                                  亜希が、どこかぎこちなく言いそびれたことを付け加えるように言う。                                                                                                                                                               「北嶋さん、私もそうですけど、北嶋さんも専務を卒業しないと・・・ですね。失礼」                                                                                           「えっ、高志? 何で?」                                                                                                                                              「私もたぶん北嶋さんも、あの時、専務のことが頭を過ぎったのだと思います」                                                                                                                                    「そうか・・・。で、君は卒業できたのか?」                                                                                            「たぶん。今朝、明け方、霧雨の中で卒業しました」                                                                                                                                                  亜希が泣いているように思いたかった。男を拒否できたことが高志を卒業だとは、分かる気がしないでもない。亜希の人生に貢献できたのかと苦笑して納得した。そして、親子以上の年齢差ある者を誠実に人として扱う彼女の「親切」は、ある種の高齢者介護でもあるに違いないと気付いた。                                                       泣きそうなのはこっちだった。拒否ではなく制止だ、制止してくれたのだ。                                                                               近く工房を去ると言う我が子より若い女性に、自らも間もなく大阪に帰ろうとする初老男が、どんな関係を提示できたと言うのだ。                                                                                               「ひとつ、訊いていいですか? 専務は奥さんを北嶋さんから奪ったんですって?」                                                                                                                                                              「いいやぜんぜん違う」                                                                                                                             「北嶋さんと奥さんが待ち合わせているところへ出交わし、そのまま奪ったと・・・」                                                                                                                      「え~っ?誤解や。ぼくは、てっきり高志と玲子が待ち合わせてたと思ってた。違うのか?」                                                                                                                                         「黒川さんの送別会の夜、居酒屋で専務との歴史を聞かせてもらった時、そう聞きましたよね。あれ~?と思ったんですけど、別にどうでもいいことなので言わなかったんですけど」                                                                                                                                    裕一郎は、高志の幼い思い違いに苦笑しながら、その幼さを嘲笑うのではなく、身を引き締めて受け止めようと思った。高志、お前も俺同様ガキだな。浮んだ大学前駅の鮮やかな記憶画像を、高志目線のアングルで再現して見せてやりたいと思った。                                                                                                                               当時玲子は髪が長くて紺のジーンズ姿。駅舎の庇を支える鉄柱にもたれて文庫本を読んでいた。裕一郎が声を発するのとほとんど同時に、後ろから来た高志が声をかけたのだ。ほら、俺が「誰かと待ち合わせか?」と声をかけているだろう? 高志、俺は玲子と待ち合わせてたんじゃないよ、バカだなぁ~。裕一郎は、高志に対してたぶん初めて「バカだなあ」と思ったのだった。

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