連載 37: 『じねん 傘寿の祭り』  四、 じゆうポン酢 (4)

四、じゆうポン酢 ④

程なく戻って来た細川に名乗った。渡した「大阪連絡事務所」の名刺と、塞ぎ込んだ風の黒川を交互に見た細川は、裕一郎には視線を寄越さない。五十歳前後だろうか、紳士然とした身嗜みで着ているものも履物も頭髪もキチンとしている。頭がかなり茶色いのは染めているのだろう。                                                                                                                                                       茶髪対黒装束の対決か・・・と苦笑した。                                                                                                                                                   裕一郎は、訪問の趣旨を穏やかな口調で説明した。                                                                                                                        自分は黒川さんの大阪のスポンサー会社の者で、黒川さんが沖縄に来られた後の大阪の残務処理担当者です。黒川さんが沖縄ですのでいろいろ分からないこともあり、加えて黒川さんにはギャラリー開設の計画があるのですが、黒川さんの体調の問題もあり、スポンサーが実態を把握せよと私を派遣したようなことでして。で、在庫や売掛の全体をまとめよと・・・。たまたま細川さんへのタロウの大皿がどういう扱いになっているか、黒川さんの仰ることがよく分からなくて・・・。                                                                                                                                                   細川は、預かりではなく買ったこと、それは二点で黒川の言い分と違うが百二十万であること、購入時期は去年の一〇月末だということ、などをあっさり認めた。                                                                                                              スポンサーへの報告もありまして、書類を作成しなければなりません。申し訳ありませんが、ご記入・ご捺印いただけますか? 昨夜金額欄を空欄にして作った書類を出した。未納金納付誓約書だ。                                                                                                                                                                         黒川が百五十万と申していますがと丁寧に問うと、「いやー、私どもも商売でして、売れた価格から買値を決めるんです。自ずと範囲というか下限はありますが・・・。ねぇ、黒川さん。そういう商習慣ですよね。今回百五十お支払いできる線には達しませんでした。まぁ、そういう信用取引なんです。ご理解下さい」と言う。理解を示してやった。代金を回収していると確信したので、「大変失礼ですが、もし細川さんから買われた方からの代金がまだで作品を預けた状態なら、スポンサーは作品のご返却をと言っておりますが」と水を向けたが、「いや、多少残金は残っていますが、売りました。間もなく、残金は入ります」と言う。ここは、価格で突っ張っても得策ではない。                                                                                           売って、代金は回収し、もうそれは生活と運営に食ってしまったに違いない。                                                     では、と書類に請求額を記入し、署名・捺印をもらった。印紙を貼り、割印ももらった。                                                                                                                                                                                                           

黒川と細川が、二人で組んで主宰した展示会の成果を語り合っている。ああだこうだと画廊業の面白さと苦労を語っている。話が弾み気を許したのか、名古屋から来たと言う細川は本音を語り出した。一部事実だろうが、どう語るかよっては聴き捨てに出来ないことも喋り始めた。                                                                                                                       軍用地主の中の富裕層が狙い目だ。彼らは仕事も持っていて、公務員も多い。借地料で左団扇の大地主も居て、高級車を乗り回し、解かりもしない高価な書画・陶芸を買って行くんだ。そんな家庭の若者には労働意欲なく、働きもしないで遊び呆けている。借地料を日本が、つまり国民が払う税金が賄っている以上、ぼくらの商いはその回収みたいなもんでしょう。ん? 反戦・反米・反基地を言えば言うほど軍用地料が上がったとデータを示す論文だってあるんです。いい気なもんですよ、反戦を言ってチャッカリ自分の収入は増える。お陰でぼくもお零れに預かるわけですよ。                                                                                                 連日、新聞にドッと溢れている広告知ってます?街のいたるところで電柱にも貼ってあるでしょう、軍用地物件の広告。利殖ですよ。低金利時代、銀行に預けて置くよりよっぽど利回りがいいんです。最近は県外の者もどんどん買っている。そりゃそうでしょ・・・、地代は毎年上がる。実勢より土地の評価額が低く固定資産税は通常より安い。担保評価も高いのです。転売時には購入時より確実に高く売れる。余裕資金あるハイエナが群がるわけです。構造の根本原因には触れず、悪意を持って人々のやっかみだけを煽る記事が毎号満載されるあの週刊誌のように、細川は語るのだった。                                                                                                                                                                                                      

公共事業を受注する県外ゼネコンと同じ理屈が、県外者の小商いのこんな野郎にも堂々と語られていると知ると、基地に絡め取られた沖縄経済の一面を見る思いがした。それが、永い時間の中である依存を作り出しているのかも・・・として、だからヤマトが回収するという理屈になるのか。                                                                                                                                                                        自身の家・土地を含む故郷が強制収用され軍事基地となり、それが、地域社会が生存する前提のような顔をして生活空間・社会を包囲している圧倒的事実。そうした想像力を持てないのか、と思ったが、回収作業が最優先だと思い留まり黙っていると、黒川が口を開いた。                                                                                                                               

                                                                                                                       

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