連載 30: 『じねん 傘寿の祭り』 三、 タルト (8)
三、タルト ⑧
「それはすみません。何かいらんことしてしもうたのかな」 「いえ、どうせもう太陽は離れてたもの」 「比嘉さんと太陽、何かあるんですか?」 「ないでしょ、お互い目指すところが違うし。比嘉さんは彫塑と版画両方で多才だし、何となく意識してるんでしょ、同じ沖縄だし」 黒川の元々のズサンさに加え、高齢となって加速する衰えもあって業績は落ち込んで行った。黒川は一発逆転を考えていた。去年〇四年、黒川は何故か突然沖縄へ引っ越すと言い出した。 「数回那覇の百貨店で単発企画はしたのよね。さっきも言った通り、九八年によく売れたことがあって沖縄に好印象を持っていて、以来何回か那覇の百貨店で展示会したのよ。二匹目のドジョウを求めたんでしょ」 「それだけで沖縄へ? 引っ越すと言うても、移住でしょ。ご高齢やし、最後の場所と言うか・・・」 「ほら、去年八月、国際大学に米軍ヘリが堕ちたでしょう。その直後よ、沖縄へ行くと言い出したたのは。テレビの速報観て、頭に血が上っていっぱい電話かけまくってたわ。そうそう、比嘉さんにもしてたわよ。夜はテレビに向かって吠えてた」 「夏に決めて、一〇月実行? 即行やな・・・早過ぎません?動きが」 「そういう人です。訳が解りませんよ。私は猛反対したけど聴く人じゃありませんもの」 「ん~ん。何か他に気付いたことあります?」 「墜落事件の翌日、沖縄の女性から電話があって、一週間後に沖縄へ行って、借家も勝手に決めて来て・・・。黒川の言動の裏に女の匂いもして不愉快だったし・・・。」 「えっ? そんな・・・。違うでしょ、それは。今年七十八歳でしょうが」 「黒川は自分は青年だと思っているのよ。まぁそれはいいんだけど、」 「問い質せばええやないですか」 「いいんですよ、それは部分ですし。勝手に沖縄移住を決めたたことは、永~い経過の最終場面です」 不可解な話だった。何が何だか判らない。 米軍ヘリ墜落、沖縄の女性からの電話、黒川自然が移住を言い出す・・・、この三つに関連があるとも思えない。ひとつだけ質問した。 「電話してきた女性の名は憶えてます?」 「それが憶えてないのよ。沖縄の何々ですと電話があった」 「心当たりは?」 「知らないわよ!」 美枝子はこれ以上電話の女性のことは言わないとばかりに会話を閉じた。
「その後ユウくんとは・・・」 「ひろしにはね、ケイタイ持たせているから時々話し合えているわ。黒川に内緒でかけて来るわよ。夕方が多いのよ。家に独り、黒川は外出中という時ね。夜なら、チチは?って訊くと、たいてい今お風呂なんて言ってるけど」 帰宅が都合で遅れる場合などを考え、黒川がユウくんにケイタイを与えたという。皮肉にも、それが黒川が最も避けたい母子の連絡と交感のツールとなっているのだ。 ユウくんが通う自立支援センター「ひかり園」は午後五時の終了。バスで通うユウくんは黒川が出かけている場合、自宅へ戻ってから独りの時間を過ごすことになる。帰宅が遅れる時、黒川は四時前に園に電話を入れ、指導員とユウくん本人に遅れることを告げる。着信はもちろん、発信もワンタッチ登録で使いこなしている。ケイタイには、〈いえ〉〈チチ〉〈ひかり〉の三つだけが、1・2・3としてワンタッチ化されている。美枝子の番号を、黒川の知る1・2・3以外の伏せ番号にセットしてユウくんに伝えたのは「食堂」のオバサンだ。母子の別離に心を痛めてのことだ。黒川の帰宅が遅れる時には、ユウくんはそのオバサンの店で夕食を摂るらしい。美枝子が離れるに際してそうセットして来たとのことだった。