Archive for 11月, 2010

読書: 『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』

『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』加藤陽子著、朝日出版社。\1700)

                                                                                      実は、熊沢誠HP=「語る」 の書評欄に触発されて読んだのです。                                                                                                                【http://www.kumazawamakoto.com/reading/2010_october.html】                                                          『「それでも日本人は戦争を選んだ」というタイトルは本書にふさわしいだろうか。このタイトルに私が期待した内容は、日本の庶民・大衆がなぜいくつかの戦争を、おそらくは『強制された自発性』をもってついに選ぶことになったのか、すなわち民衆の受けとめかたの考察であった』                                                               『それゆえにこの有益な良書は、私には民衆の痛恨の体験としての戦争の歴史ではなかった。』                                                                             同感。

「知ってるつもり」で過ごして来た現代史を辿り「ああ、そういうことだったのか」も多く、                                                                                                       現役高校生や現代史をすっ飛ばした世代の大人には、一級の歴史書なのだとは思います。                                                                             実際、ぼくの20世紀観を語ると、周りの大人(主に自称左翼)にさえ                                                                             「えっ?ウソォ~?社会主義国がそんな理由で動くか?」とか、                                                                                                                                     「欧米批判が過剰だから自衛戦争史観に、足元掬われるんじゃ!」とかよく言われる。                                                              その点、日清・日露・第一次大戦・満州事変と日中戦争・太平洋戦争へと辿る本書の、                                                                                         明治以降の日本が、発展(列強の仲間入り)するには、遅れてきた帝国=ドイツやイタリアがそうであるように、「軍事」や経済的・領土的拡張抜きには有り得なかったとする「正論」は、事実ではある。レーニン「帝国主義論」の別冊的側面もある。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                     問題は、ここで言う「日本人」とは、「日本の為政者」「日本の言論」のことであり、「面白いでしょう」と連発される逸話の数々が、まるでTVゲームの「国盗り物語」のように「国を仕切る者」や「政権内部」「軍」の中枢論客の目線からの、しかもバーチャルな「戦争理解」への誘導という危うさに充ちていることだ。『それでも、日本は「戦争」へと向かった』と改題し、『それでも、日本人は「戦争」を回避できる』論をこそ                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                歴史を知らない・知ろうとしない大人と学生の芯に届く歴史書として書いて欲しい。加藤氏の「総論」には、その可能性が含まれている。                                                                                                               けれど、加藤講座(この書は高校生への講義の記録です)を受けた高校生の、「博学優秀」な応答が「いま風」のバーチャル戦争論を                                                                                                       越えるには、ある「痛み」を伝えなけば届かないだろうとぼくは思った。

最近の魚釣島=尖閣諸島事件、ロ大統領の北方四島訪問を巡る過熱報道や、                                                                                          日本における報道論調と反中デモ・中国に於ける報道論調と反日デモを見るにつけ、                                                                                                                   日清・日露から太平洋戦争にいたる時期の、「それぞれ」の前夜を思わせる「それでも世界と日本は繰り返す」の観を呈している。                                                                                                   制度と体制、歴史と遺産を超えて、「民族」に依拠し「国家」を全面に据えて立つ、そういう「呪縛」の只中に居る。                                                                       ナポレオン、ヒトラー・ドイツとは違う三度目の「ヨーロッパ統合」案たるEUは、戦争・民族・領土etcという近現代の歴史へのひとつの回答だと思う。                                                                                                                   アメリカの大市場中国へ目線と中日相食むを望む(?)魂胆、ナショナリズムに依拠してことを運ぼうとする中国、                                                                                                                                               日露戦争を忘れてませんよ(?)以来の大ロシア意識・・・、変わらぬ「国家」という枠組みの構造的欠陥を見る思いです。                                                                                                 もちろん、同じことが同じカタチで再現されるとは思わないが、処理方法は違っても「国家」の言い分のその根っこは違わないと思うのだ。                                                                             加藤氏が下記に言うように、政治が受け止めない事柄への不満の受け皿として、、                                                                                「強い主張」「リーダー・シップ」を求めてしまう「合意」を、マスコミは競い合って築き上げてさえいる。                                                                               ここで、出されるべきはそうのような「総潮流」への異論ではないだろうか?                                                         大報道機関の論調が続けば、そして情報が独り歩きすれば、本講義を受けた優秀な高校生や、                                                                     「よき社会を作りたい」とか、よき意味で「国を動かしたい」との「志」を持って官僚へと進む                                     (例えば、東大卒通産官僚:元岩国市長井原勝介氏とか)かもしれない東大一年生が、                                                                                                                                                                                             本書(260P)にある『満州事変二ヶ月前の東大生へのアンケート結果』=『満蒙に武力行使は正当なりや』への回答-『はい88%』                                                                                                                                                                と同じことになどなりはしないと誰が言えるのか。教育や報道は大切だ。

*                                                                                                 『日本人と中国人にとって、戦争や戦いは、give and take の一つの形態にすぎないのだった。日本と中国にとって、二国間の均衡を                                                                           どちらがリードするか、それをめぐる長い競争は、文化的にも社会的にも、また「知の領域」においても争われたのだった』(ウォーレン・F・キンボール)                                                                                                                                                      (83P)                                                                                                                                                         *                                                                                                                              『(1931年)今日の外交は国際的な交渉はやっているが、「国民の生活すなわち経済問題を基調とし、我が国民の生きんとする                                                                                             ゆえんの大方針を立て、これを遂行することが第一」であるのに、それをやっていないではないか、との批判派は、                                                                                 生活苦に陥った国民には、よく受け容れられたと思います。そのような瞬間を軍が見逃すはずはないですね。』(287P)                                                                                                                                                                                  (「国民の生活が第一」との某小沢のスローガンを揶揄しているのではありません。念の為)                                                                                                                                                     *                                                                                                     『29年から始まった世界恐慌をきっかけとした恐慌は日本にも波及し、その最も苛酷な影響は農村に出たのです。そうしたとき、                                                                    政友会も民政党も、農村の負債、借金に冷淡なのです。(中略)農民に低利で金を貸す銀行や金融機関を作れという要求は、                                                                   政友会や民政党からは出てこない。このようなときに、「農山漁村の疲弊の救済は最も重要な政策」と断言してくれる集団が軍部だったわけです。』(315P)  

通信: 9条改憲阻止の会 連帯ニュース転載

9条改憲阻止の会 連帯ニュース 2010年11月11日 第83号 転載

日本の今日・明日を決する沖縄知事選が告示された

■日本のマスメディアは故意に無視を決め込んでいる感のする沖縄知事選挙である。ちなみに                                                                                            我が家で購読している11日付けのA新聞には沖縄知事選告示の記事はどこにも載っていなかった。それでいつもコンビニで手に入れるT新聞を買いに走った。こちらも一行も記事は見当たらなかった。掲載は夕刊ということになるかも知れないが、マスメディアは四十七分の一の知事選挙に過ぎないと見なしている気がする。普天間基地移設―辺野古新基地建設問題を最大の争点するこの知事選挙が制度的な一地方選挙でないことは明瞭である。日米関係、そしてひいては中国や韓国などの東アジアでの関係に大きな影響のある選挙であり、これは国政選挙に匹敵するといえるのである。僕らは普天間基地撤去と海外移設を掲げる伊波洋一さんを支持してきたけれど、                                                                                             あたためてその支援を訴える。伊波さんの当選で日米関係の見直しと基地問題解決の突破口が開かれることを僕らは期待しているし何とか橋頭保を築いて欲しいのである。

■ある集会で「琉球弧の自己決定権の樹立」が掲げられていた。沖縄の地域住民だけでなく琉球弧                                                                          とよばれる地域にある住民の自己決定権の樹立は住民の意思による政権の決定であり、言葉の真の意味での自由と民主制の実現である。今度の沖縄知事選にはこの命運がかかっている。そしてこれは本土でも自由や民主主義の実現のはじまりになる。官僚とメディアの支配下にあり、官僚主導政治は背後のアメリカ支配政治を含めて国民(民衆)の自己決定的な運動や行動なしには変えられないからである。アメリカのオバマ政権も日本の菅政権も彼らの誕生を担った部分からの失望をかっている。この失望からの脱却は国民の自立的な意思の表現や行動なしにありえない。僕らは沖縄知事選が持つこの側面もはっきりと自覚し伊波洋一さんの支援をしたい。(文責 三上治)

連載①: 『じねん 傘寿の祭り』  プロローグ (1)

08年から約七割は書いて来た第三作(自称「祭り三部作:最終篇」)を、ゆっくり添削しつつ連載します。                                                                                                                                               『じねん 傘寿の祭り』という奇妙なタイトルです。                                                                                        漱石の初期三部作は 「三四郎」は「それから」「門」を出た などと言われますが、                                                                当方のは『「笛」は「海峡」に漂い、「傘寿」板にしがみ付く』とでも表すしかないシロモノ。                                                   (02年『祭りの笛』、06年『祭りの海峡』、11年『じねん 傘寿の祭り』)                                                                                         連載することでなんとかエピローグへ辿り着けるんじゃないか、という囁きに誘惑されスタートします。                                       一回3~4枚分として、約100回連載かな…。主人公「じねん」には、モデルが居ますが、執筆に際しご本人・元奥様のご了解を得て書きました。                                                                            フィクションですので、基本線以外、実際とは大きく異なります。 お二人のご理解に感謝します。

【時代背景】                                                                                                                        二〇〇五年四月~同年九月七日

【登場人物】                                                                                                                                                                                                                                                                                  黒川自然(じねん): 何ゆえなのか、高齢にして沖縄へ移住した画廊オーナー。(七十八歳)                                                                                       黒川裕: 自然のダウン症の息子。                                                                                                         黒川美枝子: 裕の生母。(五十七歳)                                                                                                                                         北嶋裕一郎: 自然から頼まれ、ギャラリー開設までとの約束で沖縄に来た団塊フリーター。(五十八歳)                                                                                                                          吉田高志: 裕一郎の学生期からの友人。全てを失った時期の裕一郎に仕事先を用意した。(五十八歳)                                                                                                                                    吉田(篠原)玲子: 高志の妻。裕一郎唯一の女友達。(五十六歳)                                                                                                          松下亜希: 高志の会社の元社員。沖縄に流れ住んでいる。(二十九歳)                                                                                    知念大空: 沖縄で陶芸・琉球ガラス・の工房兼店を営む。自称「作家」でもある。(四十歳)                                                                                                                     知念太陽: 大空の伯父。高名な陶芸家。(五十四歳)                                                            比嘉真: 沖縄の反戦版画家。その生き様を通して裕一郎に「沖縄」を伝える。(六十九歳)

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じねん 傘寿の祭り 

プロローグ ①

 那覇空港から「ゆいレール」でふた駅。高架駅の改札を出ると、駅舎に繋がる陸橋を、見覚えのあるズングリ姿が踊るように走ってやって来る。ユウくんだ。もう夏を思わせる四月の西陽に照らされ、頬と頭髪が紅く染まっている。改札口へ吹き上げて来る熱気を受けて、ユウくんの額に噴出した汗が輝いていた。                                                                                                                                 大阪での記憶があるのか、きょう直前に父親から教えられたのか、ユウくんは大きな声で「北嶋さぁ~ん」と呼びかけている。                                                                                                 北嶋裕一郎はユウくんの後方に、長い銀髪の老人を認め苦笑した。陸橋へ上る階段の途中に立ち止まり、左手で手摺に摑まり右手を振っている。父親黒川自然だ。息切れているに違いない。大学教授のような独特の語り口調を、そのまま形にしたようなどこか不自然な姿勢を保ち、背を反らして伸ばしていた。                                                                                                                             ユウくんが勢いよく体をぶつけて来て言う。                                                                                         「北嶋さ~ん、逢いたかったよぉ」                                                                                                                     「半年も経つのに、おじさんの名前を憶えてるんやな」                                                                                                                                 「うん。北嶋裕一郎!」                                                                                                                    「ほお、下の名前まで憶えてくれてるんか?」                                                                                                                    「ゲームくれたし、北嶋さんの裕一郎のユウはぼくのひろしと同じ字だって、チチに聞いたよ。北嶋さん、あの時のお姉さんは?」                                                                                                      そうなのだ。去年十月の終わり、大阪北部の衛星都市。黒川自然が沖縄へ発つ直前、駅前の彼の自宅店舗に積み上げられたダンボール箱を壁側に移動させ、床に場を作りブルーシートを敷き、黒川夫妻とユウくん、夫妻の永年の馴染み客や友人数人に何故か自分も混じって、黒川一家の送別会をしたのだった。黒川は那覇の百貨店での陶芸展の都合で明日発ち、ユウくんと母親美枝子は荷の積み出しや後片付けもあって二日後に発つのだと聞いた。                                                                                                                                                                                                     黒川のギャラリーでは新参者である裕一郎が送別会に呼ばれたのは、沖縄の版画家・比嘉真の縁だった。何年か前、大阪に常時展示してもらえるギャラリーを探していた比嘉に、黒川を紹介したのだ。比嘉とは二十五年以上前に互いの苦境を援助し合って以来の関係、黒川とは同じ街に住む者同士であり駅前の居酒屋の呑み仲間でもあった。裕一郎が仲を取り持ったのだ。                                                                                                                                              比嘉は最初一・二度ギャラリーにやって来たが、活動領域も広く忙しくまた遠方でもある。当初黒川への比嘉の業務上の要望は、裕一郎が取次いでいた。比嘉の作品を気に入っていた夫妻は、駅前で呑んだついでに一杯機嫌で立ち寄るだけで何を買うわけでもない裕一郎を、いつも歓待してくれた。年に四・五回訪ねただろうか。                                                                                                                                     夫妻の一粒種たるユウくんは、くろかわひろし、黒川裕なのだ。ユウくんが父親のことをチチと呼ぶことは行く度に見聞きしていた。今、久し振りに「チチ」と聞かされると時間と距離は一瞬にして消えてゆく。                                                                                                            そう、「あの時」は現場管理していた施工現場が終了した打上げの帰り、黒川一家の送別会にたまたまその「お姉さん」と同行したのだった。                                                                                                     

                                                                                                                                                                                               

交遊通信録: 民族・国籍・社会・言語・・・

11月6日(土)、NHKのドラマスペシャル                                                                             『大阪ラブ&ソウルーこの国で生きること~』(http://www.nhk.or.jp/dodra/lovesoul/)を観た。                                                                                                                                         当ブログ前回記事の課題への、「袋小路」の袋を解くような、展望と可能性を示してくれた内容だった。                                                                                            副題は-「在日コリアン」の青年と「ミャンマー難民」の女性が大阪で恋に落ちた-                                                                             紹介コピーを転記する。                                                                                                日本有数のコリアンタウンを抱える大阪と、韓国・済州島を舞台に、恋人たちの「ラブ(愛)」と、                                                                                                     在日コリアンの「ソウル(魂)」が激しくぶつかり合う。在日外国人との「多文化共生」を模索する日本の現状をあぶり出し、                                                                                                                      「国籍とは何か…?」「生きていく場所とは何か…?」を問う、大阪発ならではの愛と絆の物語。                                                                                   【ストーリー】                                                                                               大阪・生野区生まれの在日コリアン三世の金田哲浩(永山絢斗)は大学の法学部4年生22歳。母国語は全く話せないし読めない。日本社会で育った三世だ。二世の父・暉雄(岸部一徳)は苦労の末、鶴橋で焼肉店を成功させているが、そんな父の「弁護士になって欲しい」との期待に反発し、哲浩はバンドでブルースハープの演奏に明け暮れている。                                                                                                2010年5月、父の還暦祝いパーティー席上で、哲浩は突然「結婚する」と宣言する。寝耳に水の暉雄は激怒し大喧嘩が始まる。もめる父子に、一世である祖母・順慈(新屋英子)が一族の秘密を明かす。実は、韓国・済州島でおきた歴史的事件「四・三事件」(1948年)を逃れて日本に来たのだ。「国家に背いた」金田家は,永く軍事独裁国家だった祖国、帰れば重罰が待っている祖国に、一度も帰ることがなかったのだと。                                                                             おそらく、事件に関与した者の親族には受難もあったろうし、「迷惑」でもあっただろう。「帰れない」まま60年が過ぎた。                                                                                                           順慈は「結婚を決めるのはお前の勝手やけど、その前に一度祖国を見てきたらええ」「自分が何者なのかを知る旅をして来い」と哲浩を諭す。                                                                                                哲浩の恋人ネイチーティン(ダバンサイヘイン)は、祖国ミャンマーで民主化運動に身を投じ、24歳のとき日本に逃亡。今は難民認定申請中の身の29歳だ。バイト先の居酒屋で会ってすぐに、哲浩は彼女の純粋な魂に魅かれたのだ。だが、「家族に祝ってもらえへん結婚は結婚とは言えへん」と、プロポーズ以来ネイチーの態度はどこかよそよそしい。難民認定がなかなか下りない状況の中で、日本を離れなければならない可能性もあって、ネイチーは結婚に踏み切れないでいたのだ。                                                                                            そんな彼女の苦しい気持ちをどうすることもできないまま、哲浩の渡韓の日は迫っていた。************************************************************************************************************************

 哲浩が済州島への旅に行っている間に、家族はネイチーティンに会いに行くのだ。祖母・順慈(新屋英子)が                                                                                                                                                                                                                               ゆえあって国・家族・社会を逃れた者の肉声として「おお、国に帰りたいやろ。お母さんに会いたいやろう」と、泣いて彼女を抱きしめるシーンがある。                                                                                                                      この祖母の、痛切の体験に裏打ちされた慈愛と結婚を認めようとする思想が、作者のひとつの確信だ。                                                                                    我らアイデンティティの溶解を生きる者からは決して出ない言葉と思想=「帰りたいやろう」。国籍と民族を越えた結婚への了解・・・=が、                                                                                                          民族を損なわれ故国に帰れず民族的を含むアイデンティティに生きようとする者からこそ出るのだという逆説は重い。作者の言い分が届いて来る。                                                                                   もうひとつの確信が、下記のことだと思う。                                                                                迷った末、政治難民認定してくれそうなカナダ行きを選択するネイチーティン。                                                                                                                                済州島への旅で何かを掴んだ哲浩は、共にカナダへ行くという決断をする。                                                                                                 国・国籍・民族・生きてゆく場所……。                                                                                             金時鐘が言う「切れて」「繋がる」・「在日の実存」、それは偏狭な民族主義でも、アイデンティティ溶解の勧めでもない。                                                                                                  

当ブログ、前回記事にある「袋小路」へのひとつの応答だと思って、各種教えられ知りたいと思った。                                                                                                      カナダが行なえることを、日本という国・社会が行なうこと、そこが一歩では・・・?                                                                                『アイデンティティとはたぶん、あらゆる属性を取っ払った「非帰属」の孤立、格闘の果てに誠実に発見した内なる「他者」、                                                                                     そこに立って渇望する「連帯」、そこでしか構想できないものだと思う』                                                                                                            (『祭りの海峡』:P128 -2006年、アットワークス- http://www.atworx.co.jp/works/pub/19.html )
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                           *************************************************************************************************************************

[作] 林海象(映画監督・脚本家)                                                                                                                                 1957年、京都府生まれ。86年自ら製作・監督・脚本を手がけた映画「夢みるように眠りたい」でデビューし毎日映画コンクール・スポニチグランプリ新人賞などを受賞、一躍脚光を浴びる。主な作品に、「二十世紀少年読本」、「私立探偵濱マイク」シリーズなどがある。京都造形芸術大学教授。NHKでは、FMシアター「アリラン」の脚本、ドラマ「夕陽ヶ丘の探偵団」の演出があるが、テレビドラマの脚本の執筆は今回が初めてとなる。                                                                    ◆脚本執筆にあたって                                                                                  大きな戦争が終わった頃に、私の父と母は韓国からこの日本に渡ってきた。その時の父と母の気持ちはどういうものだったのだろう? と私は思う。そういう気持を一度は物語で書いてみたいというのが、この脚本を書くにあたっての出発点だった。この物語に登場する金田一家と私の家族の生い立ちは違う。でも心だけは一緒だ。私の父の心はこのドラマに登場する金田暉雄であり、私の心は兄の金田正夫であり、弟の金田哲浩である。人間は問題を抱えて生まれてくる生物であり、その問題を克服する可能性を持つ生物でもある。そのことをこのドラマでは描いてみたかった。                                                                                                 「生まれた処や皮膚や眼の色で、いったいこの僕の何がわかるというのだろう」という                                                                               THE BLUE HEARTS 『青空』 (http://www.youtube.com/watch?v=yXrj2DyJhlQ ) の歌詞のようなドラマを書いてみたいとずっと思っていた。この物語の登場人物たちには国籍も民族もない。ただそこには人がいるだけだ。私は自分の魂をこめてこのドラマを書きました。そんなラブ&ソウルが皆様に届きますことを祈って。

ダバンサイヘイン

 1978年、ミャンマー出身。大学生のときに民主化運動に取り組むが、友人たちが迫害を受けるなど身の危険を感じ、04年観光ビザで日本に入国。難民申請を出すが認められず入国管理局に収容される。その後、再度の申請で08年難民認定を受け、現在は関西の大学に通う。これまで全く演技経験はないが、在日難民の現状を伝えたいと、このドラマへの出演を決めた。

交遊通信録: 雨中デモの帰り 東アジア地図が浮かぶ

国民国家という括り、民族という属性、自己形成した社会・文化・言語・・・、それを損なわれた存在に対する立位置を考えさせられた。                                                                                  

 先日、京都:雨中デモの帰り、古い仲間たちと打上げとなった。                                                                                        そこで、若い人から、沖縄の歴史的経緯、「米軍基地を県外へ」「沖縄植民地論」「琉球独立論」などが語られた。                                                                                                                       一方、当否はともかく現代の国境線で永く固定され過ごした以上、一体、今どうせよと言うのか? それは可能なのか?                                                                                                 沖縄びとにとって望むところなのか? 実効性はあるのか? との声も出た。                                                              さらに話は、日本で生まれ育ち、母語の読み書きを損なわれ、そこで生き暮らし、定住(?)している人々の課題に及び、                                                                                                                   ナショナリティの問題や民族という課題、3世4世が生き日本人と結婚する人も多い現状で、人間が「損なわれ」ない道や如何、などに及んだ。

 現実的な線引き、社会的・制度的な位置取りだけでは果たせぬ、在日する者の「損なわれ」て「確立困難」な                                                                                                           アイデンティティ恢復と確立への道程に、日本国・日本人・日本社会という「城内」から、どのような思想をもって繋がるのか?                                                                                                                   けれど、人間が抱える果たせぬ「課題」の、「袋小路」は百も承知(?)の上で、では現実的にどうすればいいのかと、                                                                                        云わば建設的構想と共生思考に基づいて語られていよう言説は、ぼくが繰り返し通過する折り返し点など折込み済みだ。                                                                 袋小路を自己の内で百回も千回も潜った上であえて言っていることを、                                                                                                         ぼくとて十回か九十回は咀嚼して来た。同じことを、違う側面から語っているに違いない。                                                                                                「現実政治や現実対処をどうするかを語れない言い分は、結局は、文学的なのだと斥けられる言い分なのだよ」                                                                                                      というぼく自身の内の声に戸惑うぼくなのだ。そうして、いつも、ずうーっと何一つ実効性ある言い分を吐けはしなかったのだ。                                                                                        西大和教会「沖縄通信86号」(http://www.eonet.ne.jp/~nisiyamato/) には、                                                                                                                「国連:琉球民族は先住民族と認定」「沖縄の自己決定権」について詳しい。 ぼくの中の、袋小路・行き止まりを解いてゆくヒントがあるだろうか。

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 全く、話は違うが、そして上手く関連付けられないが、学童疎開世代歌謡「おさななじみ」(作詞:永六輔)への                                                                                                                       異論(http://www.yasumaroh.com/?p=669)を書いた時、ぼくの中に在ったのは、敗戦時に児童~少年だった歌人三人の下記の歌だった。                                                                                そこに、戦後を見る目の「確かさ」「身深さ」と、「ではどうしろと言うのか?という現実的(?)な問い」を超える「普遍性」を視たのだ。                                                                              塚本邦雄:『突風に生卵割れ、かつてかく撃ちぬかれたる兵士の眼』(1920年生。敗戦時25歳)                                                                                                                 寺山修司:『マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや』(1935年生。敗戦時10歳)                                                                                                    平井 弘:『撃ちし記憶われらはもたず戦いの日をひもじさとして受けとめて』(1936年生。敗戦時9歳)                                                                                                                                                                                                                       

前天皇ヒロヒトが戦争責任に関する質問に「そのような文学的な」ことには答えにくいと何とも巧みにかわしたというが、                                                                                                            それは文学的なことなのか? 文学的とされる課題の、現実世界に繋ぎ止める文脈を、                                                                                                           永遠に掴めぬ文脈を、それでも求め続けるのが、「文学的」を超える「現実的」態度なのかもしれない。

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【別件】

井上清氏がどう言ったか詳しく知らないし、中国の古文献にどう記載されているか不知だが、(魚釣島)=(尖閣諸島)について、                                                                                                                 大国(中国・日本)の近現代の双方の「証拠(?)」を列挙されても、                                                                                        地質学的に中国の大陸棚上に在り、16世紀「明」の琉球へ冊封使が、しばしば寄港(飲料水確保できるので)していたと知っても、                                                                                            日本が、日清戦争(1894~95)の戦勝に乗じて(下関条約には記載なく)実効支配したのだと知っても、                                                                                                「あの海域の海人の庭だったろう」以上の線引きに与することは保留したい。                                                                  飲料水確保は、あの海域の海人が、日中に先んじて行なっていたに違いないのだ。                                                              今のところこの考えは変わらない。ソ連以来の、社会主義国の領土・民族への強引(チェチェン族・朝鮮族などへの強制移住を含む)までも想起してしまった。                                                                                       とはいえ、もちろん、ヤマトのものでも明治政府のものでもありはしない。

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