Archive for 11月, 2010

連載⑧: 『じねん 傘寿の祭り』  一、チヂミ (4)

一、チヂミ ④

総評って分かる? 労働組合というというものが、世直しへの大きな存在であり、そこでは排他的出世や能力主義という名の強いられた競争よりも、協働・共助の思想が生きている。ほとんど建前であっても、そんな神話が辛うじて生きていた最後の時代。それが、最後の総評なんやが・・・。                                        松下さんには信じられないよな、派遣・請負・パート等非正規雇用がいっぱいで、正規労働者の組合は知らん顔やもんな。当時、大阪の金属関係の労働組合は戦闘的で、吉田高志が居た会社でも永くもめていて、会社が希望退職を募り大混乱にあった。組合の説得努力にもかかわらず予想を超える希望退職者が出て、このこと自体が戦闘的と言われた労働組合とて例外ではない「神話の崩壊」の実例なんやけど、ともかく経営者の組合弱体化の目論みは功を奏し、生産ラインを維持できないほど「成果」が上がり、急遽求人するという無茶な労政だった。吉田高志は生産部門の職長で労組役員、その希望退職政策にはもちろんのこと、日頃の会社の労政にも激しく抵抗していた。                                                                           「だいたい話にはついて行ってますよ」                                                                     「君は聡明や」                                                                                                                                   「北嶋さんの、今のノザキでの雇用形態は?」                                                                                                                    「ぼくは、ひとり親方、まぁ個人事業主かな、現場単位の請負やし。実際は老年フリーターやね」                                                                                        「そうか・・・。で、あの人との再会はどんな風だったの?」                                                                                                                      左翼用語かな?労働戦線・・・。 聞いて欲しいが、まぁ社会変革へのいろんな戦線があるとして、労働組合を中心に労働現場で行なうそれを労働戦線と言うたんやな、ぼくらは。ぼくは好きな言葉やないんやけどね・・・。その労働戦線へ、それも現業部門へ大卒を高卒と詐称して進んだ者は沢山いる。吉田高志が、さっき言った学生期最後の会話で言うた「もう逢えんやろな」は、そういうことやったんやと、そこで初めて知ったんや。まぁ、篠原玲子の部屋で聞かされた話には、ある一貫性があったということやな。ぼくは営業で入社したが、人員が育つまでとしばらく生産現場に居た。彼には、慣れない仕事を教えてもらった。労働組合や労働運動という知らない世界のことも教えてもらった。やがて、会社が金属什器製造販売から木製家具・店舗などの施工業へと守備範囲を広げて、ぼくも吉田高志も現在の仕事に至っているんや。                                                                                                        「さっきの、学生期と同じような彼の選択に遭遇したという話は?」

 松下亜希は喰い付きよく聞いている。ときどきウンウンと頷いたりしている。三〇歳も違うこの女性に全て伝わっているとも思えなかったが、その頷きのタイミングは、よく理解できていますという者のそれだった。                                                    「永い経過はあるけど、まぁ当事者だけに通じるローカルな話なんで、最後だけを言うよ」                                                                           「いいですよ、最後だけで」                                                                                                               会社は本格的に組合潰しに転じ、組合幹部は退社し、吉田高志が委員長になった。自分も組合役員となった。やがて、会社が雇った実力部隊との激しい攻防があり、それでも組合潰しを果たせなかった会社は、とうとう会社そのものを葬った。全員解雇・会社破産だ。                                               組合は、即刻職場を占拠して対抗、解雇撤回・企業再開をスローガンにバリケード封鎖して職場確保・占有権を主張。                                                                                                                     「企業再開って、経営陣がもうヤ~メた!なら、そりゃ無理でしょう?」                                                                                                                    「そうとばかりは言えん。まぁ方向性というかスローガンや。痛いところ突くねぇ」                                                                                              実際は喰うや喰わず状態の中、バリケード占拠した社屋の中で会社を興し自主経営に挑んだ。吉田高志が社長だ。                                                                               五年間の職場占拠・自主経営を経て、解雇撤回・旧経営者の謝罪・解決金を得て、破産管財人と和解し職場を明け渡した。組合員は破産当初の十九名から八名になっていた。                                                                      「その時、組合解散・会社解散を強く提案した者がいた。その人物こそ、社長である吉田高志や」 

 

連載⑦: 『じねん 傘寿の祭り』  一、チヂミ (3)

一、チヂミ ③

ビールで酔ったわけでもないだろうが、突然、高志が歌を唄い出した。高志が唄うのを初めて聴いた。                                                                                                                   『野に咲く花の、名前は知らな~い♪』 『戦さで死んだ、哀しい父さん♪』。時代の気分を漂わせていてちょっと投げやりで孤独な、だがひたむきな、そんな雰囲気が当時の若者に受けたのか、この歌の前のヒット曲で有名になっていたカルメン・マキという名の歌手の歌だ。聞いたこともある。だが、ぼくは、四番まであるその歌詞を諳んじているわけではない。ところが、高志はそれをたぶん正確に最後まで唄ったと思う。                                                                                                               「ええ歌やろう。清い女の子の軽い反戦歌やと思うか? これは深いでぇ」と言って、作詞者の短歌を無解説で紹介した。『マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや』(寺山修司)                                                                                                       彼もぼくも当時二十二歳。ぼくらは、いやぼくだけかも判らないが、短歌はもちろん表現世界のことには奥手だった。解らず語り、解らず聞いていた。                                                                              ただ、じっと聴いていた玲子の表情は、今も鮮明に覚えている。                                                                                                                  「裕一郎、俺は大学を去るよ。お前とはもう逢えんやろな。まぁ、頑張ってくれ」最後にそう言った。大阪に所用があるという高志と、部屋をあとにしたのだが、そこで記憶は途切れている。                                                                                 その後高志には逢っていなかった。言ってた通り卒業したと人から聞いた。玲子も消えた。ぼくは、学費を払わず大学を除籍になった。玲子の下宿部屋での一幕と野菜炒め、それが高志との学生期の最後の場面だ。もちろん玲子とも・・・。                                                                                  数年後、高志と篠原玲子が結婚したとの噂を聞いた。その頃には、吉田高志を非難した人々の多くはもちろん卒業していた。

「へぇ~、非難轟々の中でのリーダー格人物の選択ね、ふ~ん。あの人よりも、それを支えた玲子さん? 彼の奥さんに興味あるな」                                                                                  「そうか?」                                                                                            「そうですよ。想像だけど、熱くなってる学生には受け容れにくいんでしょ、そういう言い分って。で、北嶋さんは二人と再会するんですよね。やがて、三年前、ノザキへ紹介されるほどの仲になって行く、と」                                                                                                                    「それはずっと後のことや。その前に同じ会社に居た。」                                                                                                                                  「えっ、それって初耳ですね」                                                                                                                                     「もう逢えんやろうな、と言った高志に偶然再会した。しかも再び彼の選択に遭遇したよ。」                                                                                     一九七六年、失業中で職安、今のハロー・ワークに、背中に子を背負って通った挙句、適当な仕事がなくたまたま新聞の求人広告で入った会社、金属什器の製作会社に吉田高志が居た。お互い三十直前だった。                                                                                                                                          「背中に子供って?」                                                                                                                    「女房が働いてくれてたんや」。亜希はククッと笑った。                                                            「あの人、会社幹部になってたの?」                                                                                                                                                                                               「いや、大学を卒業した彼が、そこでは高卒だった。製作現場に居て、労働組合の役員だった」                                                                                    「高卒?」                                                                                                                     「そう。選挙で外国の有名大学出身だと学歴詐称する奴もいるけど、この場合は別の意味ではあるけど、ひとつの学歴詐称や」                                                                                                                      「北嶋さん、高卒だと学歴詐称してまで工場現場に居たあの人に、コムプレックス抱いたの?」                                                                                              「それはないよ。その種の感情はないよ。本人も、奉仕や自己犠牲的というか清教徒みたいな見られ方は嫌やろう。」

当時の大学生に、天下国家や世の為人の為、かく生きるべき道などといった、明治以来知識人が社会に出る際に遭遇した葛藤があったとは思わない。大学進学率は六〇年代後半から急激に伸び、当時二十五%に達していた。所得倍増はほぼ成し遂げられ、戦後社会はピークの手前にあった。大学はすでに家電普及と同じ意味で大衆的普及現象のひとつだった。そこに学生叛乱期の深層が在るとぼくは思うんやが、それはともかく、いくらかの学生が知識人の責務などと悩んで進路選択したとしても、それを揶揄するつもりはない。吉田高志がその一人かどうか知らないが、そんな求道的と言うよりは欺瞞的な理由で工場現場へ行ったんやないと思う。現実的なというか技術的な理由やろう。そこに対してコムプレックスではぼくのポリシーに障るんや。                                                                                              「技術的?」                                                                                                               「現業に行くには高卒が有効と言う技術的な話なんや」                                                                            「有効?」                                                                                                   「そうや、大卒が現業志望で来れば経営者は何か魂胆があるかもと疑うやろう」                                                                                        「労働運動する為に工場へ行く・・・?」

                                                                                                                                                                                                                                    

連載⑥: 『じねん 傘寿の祭り』  一、チヂミ (2)

一、チヂミ ②                                                                                  

一九七〇年が明けた頃、二人が共に在籍していた大学の前年春から続く学内闘争は、その秋に機動隊が導入されバリケードは解除され、多数の逮捕者を出して混迷していた。                                                                                                            学生たちが、大学をバリケード封鎖した理由、つまりいくつかの要求とそれへの大学当局の拒否・無回答は、何ら変化していない。だから、大学の諸機能・諸スケジュールを今ここで認める訳には行かない、バリケードの有無に関係なく同じ対応をすべし、交渉に応じず勝ち誇ったように再開される大学側の運営は「粉砕」の対象だ、というのが闘争組織の共通認識だった。それにはもちろん「卒業試験」も含まれていた。                                                                                                                                            四年生高志は闘争組織のリーダー格で、その闘いの中心に居た。彼ら活動家は、大学という存在への、そして大学という存在からの、様々な問いと、その問いをも圧してしまう政治状況に向かうこととの間で、思考の分裂状態に在ったのだろうと思う。インテリ左翼の悩み?                                                                                                ぼくは、年齢は高志と同じだけど、九州や北海道で住込み店員など、まわり道をして大学へ来たので二年生だった。ノンポリって死語? 今選挙報道なんかで言われる無党派層と言うのとかなり違うと思うが、そのノンポリと闘争組織シンパの間を遊泳する二年生だった。大学生がストすることも含めて実はよく解らず、事態と自身の混乱に整理も付かず、身動き取れん状態で、自分には活動家の高尚な悩みなどなかった。                                                                                            高志とは、入学年度は違うんだが、学内闘争が始まる前一時期倉庫の荷処理のバイトが同じで年齢も同じ、何故か気が合い「タメ口」で接していたよ。よく、大学から大阪へ出る途中にある繁華街で痛飲したりもしていた。

寒い夕刻、大学前駅で、同級で唯一の女友達である篠原玲子にバッタリ出会い声を掛けると、ほとんど同時に高志が後ろから声を掛けてきた。どうやら二人は待ち合わせていたようだった。                                                                                  腹が減っていたからか、店に行くには金が無かったからか、三人で玲子の下宿部屋へ行った。途中で買ったビールを飲んで、玲子が学生下宿の共同炊事場で作ったおにぎりと野菜炒めを喰った記憶がある。当時の学生は個人の冷蔵庫などもちろん持ってはいなかったので、材料もその時買った豚肉とキャベツに、玲子の部屋の在り合わせの玉葱やニンジンなどだけなのだが、その野菜炒めがすこぶる美味かったのを憶えている。                                                                                                                       しばらく雑談した後、高志は何と、近く実施される卒業試験を受けると切り出したのだ。                                                                                  「四年生は卒業すればええんや。百人が百の職場や各種団体へ行けば、闘う労働組合や闘う団体が百できる。」と言い、話を続けた。                                                                                                            大学という特権地帯で、外には通用しない喧嘩を巡って「卒業試験をさせない」「受けない」ということに普遍的意味があるか? なら、大学側が態度を変えない限り永遠に卒業しないさせないのか? そういう問題の立て方は、いわば敵殲滅か味方玉砕かという、どこかで聞いた発想や、と。                                                                 「みんなから批判されていることも知っている。けど、俺は卒業するよ。苦労して兄弟の中で俺だけを大学へ行かせてくれた年老いた信州のお袋に、卒業証書見せたいからとでもしといてくれ。裕一郎、お前なら解ってくれるやろ?」                                                                                                                 「お前なら」と言われて困惑したが、頷いたと思う。自分は、入学以来ただの一単位も取得していないし、卒業にも何のこだわりもない。だが、卒業を前提に大学生活を送り、最後の段階で卒業試験をボイコットする苦渋の選択をした多くの四年生がいることも知っている。リーダー格の学内著名人吉田高志の選択は非難されるだろうと思うと笑顔では聞けなかった。高志が「四年生は卒業すべし」と内部でキチンと意見表明しただろうかと気になったが、ぼくはそこを質すことも出来ずに居た。                                                                                      残り少ない野菜炒めを惜しんでいると、玲子が自分の皿のものを半分移し寄越して「お腹空いてるんでしょ。ほら、これ食べて。私は昼遅かったから」と言った。有り難かった。                                        

 

つぶやき: 自己矛盾? 失言?

行政刷新会議:再仕分け

民主党が作った予算を民主党の行政刷新会議が仕分けする-これは自己矛盾であり、混乱を露呈した。との報道が溢れている。                                                                                                                                                                       そうなのか?                                                                                     ぼくは思う。不備や間違いがあっても、異論があっても、我が党が作ったものだからと無批判に推し進めることの方が「自己矛盾」だと…。                                                                                                      我が党、我が社、我が家に染み付いた「黙契」を見る思いだ。                                                                              あるところで読んだ。「その国の過去500年間で、もっとも永く続いた体制が培った「黙契」が、その国の人心のベイシックな実相である。」と。                                                                                              日本に当てはめると、それは江戸時代ということになるが、お家に仕える武士の処世・お上にモノ言わ(え)ぬ農民・家父長制…                                                                                                       だが、忘れないでいたい。江戸には写楽が在り、平賀源内・関孝和が居り、浪速では大塩平八郎が起ち、全国に一揆が在った。                                                                                                                 もちろん行政刷新会議の構成と権限規定を組み立て直す必要はありそうだ。                                                                                               自己矛盾だと言うのではなく、民に開かれたその継続の道筋を示すべきだ。 

仙石官房長官の『暴力装置』発言。                                                                                                        丸川珠代氏がムキになる真情を理解しないではないけれど、暴力団と言ったのではありません。                                                                                                                    国家の「武力装置」を「暴力装置」と言うのは、国会での答弁に登場すべき言葉かどうかはさておき、言葉としては何ら不当ではない。                                                                    騒ぎ立てるマスコミとは距離を置き、冷静な見解が各種サイトに左右から寄せられているのでピック・アップしてみる。                                                                  

国家の「武力装置」を「暴力装置」と呼ぶのは、何も仙石氏の独創でも暴走でもなく、                                                                       国会答弁に相応しいかどうかは別にして、左翼によらず使用してきた用語だ。                                                                                                                                                                                                      丸川珠代さんらが「暴力団」と言われたように激昂する心情は「彼女ならそうかも…」とは思うが、                                                いささか感情論かなと思う。                                                                                      一部マスコミの大騒ぎとは別に、冷静なコメントが多数のサイトに見えるので採録しておく。                                                                    

『なぜ仙石長官が自衛隊は暴力装置と言っただけで批判されるのか理解できません。
暴力を使って国を守るのが自衛隊なんだから正論だと思います。』                                                     『当たり前。正論を針小棒大に騒ぐなだね。国家に認められた唯一の正義の為の武装暴力装置であり、その運用は慎重に、                                                                     不偏不党を大原則とし自民党のでも民主党のでもなく国家国民の暴力装置であると元自衛官は言った。』                                                                                                     『自衛隊に限らず正当防衛のような違法性が阻却される暴力もあるわけで、                                                         市井の一市民が「暴力=悪」というイメージを持つのは仕方ないのかもしれないが
立法府を預かる政治家がその程度の認識では困ります。                                                                                            仙谷「暴力装置でもある自衛隊はある種の軍事組織でもあるから、シビリアンコントロール(文民統制)も利かないとならない」
これのどこが左翼なのかもよくわからんしね。単純な一般論ですね。』                                                              『自民党の石破茂政調会長も昨年3月、シンポジウムで「警察と軍隊という暴力装置を
合法的に所有するのが国家の一つの定義」と発言していた。』                                                        『マックス・ウェーバーは、軍隊と警察は国家が独占する正当な物理的暴力だと「職業としての政治」で述べている。                                                                         確かそうあったと思うのでまた読み直してみるつもりだが。わしはそれを『戦争論』の中で応用した。
 わしが使っても批判されなかった言葉を、仙石が使ったら大批判され、謝罪に追い込まれる。                                                                                                                単に仙石が左翼だからという偏見からだ。わしも仙石は左翼気味だと思うし、嫌いだが、
「言葉狩り」することによって議論を封じるのは、まさに左翼の常套手段だ 日本の保守派も左翼的性質があるということの証明ではないか。
日本の民主主義は常にこういう調子で、公論に結びつかない。』                                                                                                 (これは、暴力装置のステージアップを意図したものだが)

ともあれ、仙石発言が、上記書込みが言う「公論」を呼び起こすなら困ったことだ。                                                                                                  このドタバタ論戦で、新聞紙上に沖縄知事選・TPPなどの事項が小さく扱われることを、国民の側が「仕分け」したいところだ。

柳田法務大臣の発言は論外だ! 失言ではない。 罷免される前に、自ら職を辞すべし。                                                                    田中優子さんが言う大臣云々の前に、働くことの基本が出来ていない これに尽きる。

      

連載⑤: 『じねん 傘寿の祭り』  一、チヂミ (1)

一、 チヂミ ①

 黒川一家の送別会を終えて駅に向かう道で、松下亜希が「もう少し呑みません?」と言った。亜希の方から誘われたことなどそれまでにはなかった。悪い気がするはずもない。その日は現場帰りと黒川家送別会に続き三軒目ということになる。裕一郎は、何か今日話したいことでもあるのだろうとも思ったが、男なら「俺と呑みたいのだ」と思いたい。そう思うと、亜希が黒川家までは大きな仕事バッグの手提げ部分にひっかけていた衣類を、今は着ていることに気付いた。濃紺のシャツの上に着た、現場着としても不自然ではないブラウン色のタイトなベストが高級品のように見えて来る。パンツ姿に、あれ、意外に背が高いなと足元を見ると、今日はヒール付の履物だった。こんな観察さえ男は出来ていない。                                                                                             

酒は進んだが、裕一郎は酔えなかった。黒川家近くの駅前にもある全国居酒屋チェーン店は、一〇時を過ぎても、多くの客が居て若いグループが騒いでいた。近くの大学の文化祭の日らしく、何かのサークルの打上げでしょ、と亜希が言った。店内には、その騒音の合間に、昔裕一郎が学生だったころ透き通った高音でファンを魅了した女性歌手の息子が、裏声を駆使して唄う歌が途切れ途切れて聞こえる。酔えなかったのは、若いグループの騒がしさだけが理由ではなかった。                                                                                専務との印象深い思い出?どんな青年だった?奥さんはどんな人?                                                                                                        何故松下亜希が、勤務する会社の専務でありその人となりも知っていよう高志のことを、あれこれ訊くのかと自問しながら、周りの雑音と息子歌手の裏声に馴染めず、母親の方が上手いな、などとぼんやり思っていた。やがて、ぼんやりを切り替え、すぐに、亜希は高志と男女の関係なのだと確信した。そう思ってしまった理由があるはずだが、その時は思い出せなかった。いや、思い出すことを避けたのだと思う。その心の揺れを隠すように、亜希が注文したチヂミに手を伸ばし、「これもらうよ」とつまんで、最初に亜希と呑んだ夜も彼女がチヂミを注文したことを思い出していた。                                                             視線を亜希の手許のジョッキに固定して、ごく短い心の軌跡を見破られまいとして、流れている歌も耳に入る状態:「ぼんやり」に戻していた。あの女性歌手の息子が大人になり歌手となって、今唄っている。俺の息子もそんな年代なのだ、こっちは年寄りのはずだ。些細なことがきっかけで家を出て久しい。離婚したわけでも、離婚を巡って争っているのでもない。帰れないのだ。ふと溜息をついてしまった。                                                                                                                                              「北嶋さん、専務と昔からの友人だから?」                                                                                                                            「えっ?何が」                                                                                                                                                    「聞きたくないみたいだから」                                                                                                                         「そんなことないよ、ちゃんと聞いてるよ」                                                                                                                          「専務が言ったんですよ、ぼくのことは北嶋が一番知ってるって。聞かせて、あの人の青年時代」                                                                                                                                                                                                                高志からは、何も聞いていなかった。高志が亜希と特別な関係にあるということ、亜希が高志の妻のことを訊きたい心境に在ること。高志が重い荷物の何分の一かを自分に持たせようとしていること。                                                                                            自分が、亜希のことを憎からず想っていることを高志に見透かされているようで困惑したが、何故か自分に与えられた役割を受け容れていた。

「へえ~っ、そういう仲なんだ。そりゃ親友・戦友ですよね」                                                                                                                       「どうかな、何やろうか・・・。お互いこいつにだけは信頼されていたいと思って来たような関係とでも言うのか、一番のライバルと言うのか、いつもよく似たテーマによく似た向かい方で関わって来たような感じかな。解り易く言えば同じ女を好きになるようなことかな」                                                                 「えーっ! あの人の奥さんを取り合ったんですか?」                                                                                                               「まさか! 違うよ、例えばや。解り易く言えば・・・と言うてるやないか」                                                                                                      裕一郎が、亜希に応えて話した「高志との印象深い思い出」「どんな青年だったか」は、高志との二つのエピソードだった。

歌「100語検索」 ⑫ <人生>

人生

大真面目に「人生」と言われると白々しいなあ~。お千代さんのように茶化すことでかわすしかない。                                                                                                      まともな作者はその辺りのかわす気分を、歌詞と曲に軽妙に表現した。                                                                                                                                                                                          三波春夫『トッチャカ人生』は『チャンチキおけさ』の流れの歌だから聴けるが、                                                                                                 『川の流れのように』は秋元康の訳知り顔の言動を思い出し困ってしまう。                                                                                                                            秋元に「人生」を説かれては、品川宿主としては社会や時代に媚びて生きる野郎に語って欲しくないと思うばかりだ。                                                                                                                       天皇在位20周年記念慶祝式典、組曲「太陽の国」ん?

そこへ行くとみゆき姉さんの『彼女の生き方』の主人公は、和解しない者の生き方を「人生」と言い、「いつでも晴れ」と突っ張り、                                                                                                     秋元的な「社会・時代との馴れ合い」に噛み付いている。そこが、「初期中島みゆき」でもある。                                                                                                              女性が語る「人生」は聞けるのに、男が自慢げに語る、正統派(?)「人生」のいかがわしさには苛立ってしまう。                                                                            その向こうに、仕事そのものではなく軍や企業が、仲間ではなく上官と部下が、協働ではなく戦果や処世の成果が、見え隠れしている。                                                                                                      男が言う「人生」には本来被支配者であるはずの者に染み付いた、隠せない「転倒」した権力性が見え隠れしていたりする。                                                                     

 『人生いろいろ』 http://www.youtube.com/watch?v=vZ5VWKeWfcA&feature=related 島倉千代子                                                                                                    『浪花節だよ人生は』 http://www.youtube.com/watch?v=couy5Zzwb-A テレサ・テン                                                                    『人生劇場』 http://www.youtube.com/watch?v=XQ5SlGaN1Ak 村田英雄                                                                                   『人生の並木路』 http://www.youtube.com/watch?v=WRJZ9zFehgo 美空ひばり・森進一                                                                                          『トッチャカ人生』 http://www.youtube.com/watch?v=eOePOv5wXWQ&feature=youtu.be 三波春夫                                                                                                         『人生賛歌』 http://www.youtube.com/watch?v=eGhAA8l9Iow 森繁久弥                                                                                                                    『川の流れのように』 http://www.youtube.com/watch?v=3wmIrAFKLs0 美空ひばり                                                                                        『バラ色の人生』 http://www.youtube.com/watch?v=aDUp455qNhs 岸洋子                                                                                                 『我が人生に悔いはなし』 http://www.youtube.com/watch?v=swrfg3fnfY4 石原裕次郎                                                                       『彼女の生き方』 http://www.youtube.com/watch?v=1U43icOLJD4 中島みゆき

                                                                                                                                                             

連載④: 『じねん 傘寿の祭り』  プロローグ (4)

プロローグ(終)

「そりゃあ従兄弟だって、不景気の中、女房や従業員への遠慮もあるさ。昔、まだ従兄弟が小校生だったころ、百貨店勤めしていたあいつに、叔父夫婦が旅館を手伝ってくれって何度も頼んだのを断ったくせに」                                                                                                                               「従兄弟さん夫婦は良くしてくれると言うてはりましたよ」                                                                                                                                       「そうかい?怪しいもんだ。あの歳で今更幹部でもないだろう。旅館の中枢なんて出来っこない。厄介者に決まってるじゃないか。何を意地を張ってるんだか・・・。君はひろしを置いて去るような女の言い分が解るのかね? 同じ団塊世代でも解らんだろう?」                                                                                                                         「いえ、それはお二人のことですし」                                                                                                                             「二人? 何を言っとるのかね。三人だよ、三人。ひろしが居なきゃぼくだって遠の昔にあいつと別れていたんだ」                                                                                                                                     「とにかく、黒川さんを手伝うことになったと・・・。もし、奥さんの思惑との間に摩擦が生じるのなら、ぼくは辞退しようと・・・」                                                                                                                                                                                      「いいじゃないか、摩擦が生じても」                                                                                                                                         「いえ、どちらがどうということやなく、ぼくが来ることが何かを邪魔することになるのは辛いということです」                                                                                                                       「で、摩擦が生じるのかね」                                                                                                                                「いえ、どうぞ行ってやって下さいと言うてはりました」                                                                                                                                                                                                                                「何を生意気な。棄てた者に何を言う資格もないんだよ。もうそれ以上言わなくていい。詳しい話を聞く気はないからね。君もそのつもりであいつの話はしないでくれ。特にひろしの前では一切ご法度だ。いいね」                                                                                                                                     黒川の不機嫌な表情が急に融けて和んだので、前に目をやると、そこに「ビジネス」の拠点=黒川宅の門があった。黒川が顎で家を指して言う。                                                                                                            「ここだよ。どうだい、デカイだろう。遠慮は要らん。今夜からは君の家でもあるんだ。自由にしなさい」                                                                                           来てくれと懇願したことなど何処吹く風、書生相手に住まわせてやるぞと言っている政治家か文豪のような態度なのだ。家はもちろん借家だ。

案内された二階の部屋は十畳の洋間で、大きなベッドが窓際に鎮座している。荷を解いていると、新品に見えるシャツに着替え、半ズボンを長ズボンに穿き替えたユウくんがやって来た。                                                                                                          「北嶋さん、お風呂?ごはん?」                                                                                                                               「どっちでもええよ。ユウくんは?」                                                                                                                      「ごはーん。今日は北嶋さんのカンケイ会だからチチが食堂へ行こうって。」                                                                                                                                                                        「へーえ、そうなんや。ありがとう」                                                                                                                                                                階下へ下りると、黒川も着替えて玄関の鏡の前にいた。上着を着て、ネクタイを締め、髪もしっかり整えている。何や、ごはんが先と決まっていたんやないか!                                                                                      「さあ行こう」「北嶋さん、早く早く」「何が食べたい?」                                                                                                                                          重なる二人の声を聞き分けながら、昨日松山で美枝子が言った「黒川が何を吹聴しても、世間様からひろしを棄てた母だと言われてもいいんです。」という言葉を思い出していた。                                                                                                                                  卒業式に向かう少年とそれを微笑んで眺める若い父親のように、颯爽として玄関を出る二人に続いた。                                                                                                                    振り返えって、扉に鍵をかける黒川の背中を見ていると、扉の向こう側にここには居ないある人を閉じ込めて出かけるような気がした。四月那覇の夜風が生暖かい。上着が重い。                                                                               

(プロローグ:終)

たそがれ映画談義: 『深呼吸の必要』-「達成感」 の行方

ずっと「達成感」力説篇は苦手だった。が…

10月22日朝日夕刊に、兵庫県伊丹市立天王寺川中学の運動会の取組:「3年生全員146人(組み手は137人)による10段人間ピラミッド」の、カラー写真5枚付き・五段抜き という異例の記事を見た。                                                                                                        YouTube に画像ありとあったので、開いてみた。感心すると言うか、感動に近いと言うか、生徒達の達成感が伝わって来ると言うか・・・                                                                                兵庫県伊丹市立天王寺川中学:組体操「未来への誓い」(10段人間ピラミッド)。http://www.youtube.com/watch?v=PEMdfqZFiR0                                                                                  アクセス殺到である。危ない、事故ったらどう責任を取るのだ、この教師が目立ちたいのだろうと種々の異論もあるそうだ。「達成感」力説篇は時にいかがわしく、しばしば達成「させる」側の魂胆が透けて見えたりもする。ひねくれ者のぼくは、常々眉に唾して「共感」を自制する回路をONにして、それとは距離を保って来た。昔、息子のラグビー観戦で、強豪校相手の残り2分からの奇跡的逆転勝利を観てウルウルするまでは・・・。このピラミッドも 何らかの恣意的な力が働かない限り、その行方は彼ら当事者のものだ。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                      

『深呼吸の必要』 (04年松竹、監督:篠原哲雄)                                                                                  

五年近く前、沖縄通から「ええ映画やで。是非観てや」と言われながら見る機会がなかった映画を、先日観た。                                                                                                                                                                                                       04年製作だから6年前の映画だが、『深呼吸の必要』という映画だ。                                                                                                                    沖縄の離島に、                                                                                                          さとうきび刈りの短期アルバイトにやって来た若者たちの物語だ。若者たちは、                                                                                                       それぞれ都会の労働や社会・人間関係に傷つき・敗れ・疲れ、                                                                                       寝床食事付・日給¥5,000で、沖縄の自然も満喫できるかも・・・と癒されに来るのだ。                                                  広大なさとうきび畑に尻込みする間もなく始まるとうきび刈りの重労働。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                    その悪戦苦闘と、「逃げてきた」自覚が互いにあって皮肉を言い合う人間模様、                                            短くとも、協働・共助・強いられたのではない自発・「We」 を味わえた時間、                                                                                            若い働き手不在で、毎年若者を募集している畑の持ち主オジイとオバアの人柄。                                                                                                                                      畑全部の刈取りを果たすまでの短期間の物語だ。                                                                                                                   予告編     http://www.youtube.com/watch?v=e_iTzj3_2Gk                                                                                                              メイキング1  http://www.youtube.com/watch?v=JBHGsssZSnQ                                                                                                              メイキング2  http://www.youtube.com/watch?v=KcJpaMINI1k&feature=related                                                   不思議なことに、この映画の出演者(香里奈・大森南朋・谷原章介・成宮寛貴・長澤まさみ・等)は、今、2010年時点では                                                                                                                                                                                                                                                                                         ことごとく売れっ子になっているが、全員が、この映画撮影時の現場での                                                                                                                                                                           解放感・連帯感・達成感とストーリーへの感情移入が、その後の支えになって来たと語っているという。

達成感やそこに至る過程は、利用されない限り(利用を阻止する固い意志がある限り)、                                                                                                   つまり仮想敵を設定せず・排他的でなく・用意された効用を画策しない限り、認めたい。                                                                                                                                                                    軍国モノや、今日的愛国期待モノには、虫唾が走る「達成感」「礼賛」に終始するような「物語」が溢れているのは事実だ。                                                                                                                                                                                                                      この映画への異論もどこかで読んだ。曰く「沖縄の現実を覆い隠している」。                                                   「製作・公開前後とは、まさに、03年11月ラムズフェルドが普天間基地視察、04年4月那覇防衛施設局が辺野古沖現地調査開始、                                                                                                              
04年8月沖縄国際大に米軍ヘリ墜落だ」 などと書いてあった。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                         辺野古沖のジュゴン保護の観点を「オバサン視点で、安保を覆い隠している」と言う人がいるが、                                                                   先日のCOP10名古屋の論議でも明らかなように、                                                                               それは、グローバリズム産業の農漁業破壊・大規模自然破壊・農漁業支配と                                                             密接に直接間接に関連しているようだ。当然、その推進の両輪の一方であるのが軍事でもある。                                                                                                                                                                                                                       この映画の「達成感」に至る過程で、若者が取合えず味わった協働・共助・解放感・自然・沖縄の心・等々、                                                                                                                                                                                                                                                                     それらの向こうに見えてくるものの中に、異論者が言うことどももあるに違いないが、入口は、多数在ってしかるべし。                                                                                                                                                                      中身も出口も背景も、心ある者ならばそれを視ずに済む行方などないはずだ。 「逃げてきた」? 「オバサン視点」? それでいいのだ。                                                                                                                                                                          

「We」が何故、半植民地と言われる沖縄の、基地のない離島の、約ひと月「だけ」に、 可能だったのか?                                                                                                                    ぼくらと彼らの「行方」には、そのことの理由を日々見せ付けてくれる沖縄と日本の現実がある。                                                                                                                                                                                                              

                                                                                                                                                『「We」の不在』 http://www.yasumaroh.com/?p=6376                                                                                                                                                                                                 『ここに「We」がある』 http://www.yasumaroh.com/?p=8634

連載③: 『じねん 傘寿の祭り』  プロローグ (3)

プロローグ③

 確かに現役なのだろう。ことの実際は知らないが、ユウくんの母親美枝子から聞かされた話には、その現役のことも含まれていた。                                                           黒川は握った手をまだ離さない。                                                                                                                                          黒川自然。奇妙な男だ。自然は号ではなく本名で、「じねん」と読む。確かに自然児のジジイだ。沖縄へ来て一ヶ月を経ずして妻が去り、年が明けた一月には早くも裕一郎に電話を寄越していた。裕一郎は経営していた会社を失い、友人の会社の下請会社に仮勤めして現場単位で管理を請負っている初老フリーターであり、内装関係の仕事をしていたのでギャラリー開設に好都合だ。独り身で動き易かろうし、住いと食事を保証してやれば来るかもしれない、そう考えてのことだろう。                                                                                                                                   電話で聞かされていた。                                                                                                沖縄では、陶芸・版画・絵画などの展示会を企画して遣り繰りしている。普段は自宅応接室をギャラリー代わりに使い、馴染みの客に在庫を安値で売り捌いて凌いで来た。そうやって沖縄へ来て半年を辛うじて生きて来た。が、常設の小さくとも真っ当なギャラリーを持てば、百貨店や展示会場に取られるマージンも省け、この苦境を打開出来ると思う。君は内装業界に居ると言うし、どうだい気晴らしに沖縄に来て、ぼくを手伝わんかね?比嘉真にもしょっちゅう会えるぞ!                                                                                                                                                                                 女房?来てすぐ消えたよ。ひろし?もちろんぼくと一緒に居るよ。誰があんな女に渡すもんか。                                                                                            メシ?もちろんぼくがこさえているさ。ギャラ?食事付部屋付風呂付で手取り十七万円でどうかね。どうだい、来ないかね?                                                                                                                                                         電話攻撃は三月にOKを出すまで、週一回のペースで続いた。今四月、裕一郎は那覇に居る。モノレール駅に繋がる陸橋で、こうして黒川自然に手を握られて立っているのだ。                                                                                                                                                                   確かに、黒川の吸引力は強烈なのだが、裕一郎には別の期待もあってやって来た自覚が確かにあった。風の便りに亜希が沖縄に居ると聞いていたのだ。ようやく黒川が手を離した。                                                                                                                                        

階段を下りて夕暮れ道を歩き始めた。                                                                                                      急勾配の坂道を上ると、ユウくんが「こっち、こっち」と手招きしながらの数歩先を小走りに駆けて行く。裕一郎は話しておくべきだと覚悟して、横を歩く黒川に顔を向けて切り出した。                                                                                                                          「実は、来る途中お逢いして来たんです」                                                                                                                          「あいつに? どこで?」                                                                                               「松山に立ち寄りました。ユウくんのことも気になって・・・。美枝子さんお元気でした。」                                                                                                                                                         「いいよ、当然だよ。君としては知りたいよね、あいつが何故、去ったのか。ぼくのビジネスの実際はどうなのか。ひろしと二人の生活はちゃんと出来ているのか、と」                                                                                                                                                                         「いえ、商売のことはともかく・・・」                                                                                                                                                                                                           「いいんだよ。事前調査だろ? だいたい、なんで松山なんだ! あいつ、どうしていた?松山で。やはり、叔父の温泉旅館に居るんだろう? 気の毒に・・・、ふん、結局あの旅館を頼ったんだ。絶縁同然だった母方の実家に頭下げたんだな。意地も誇りも棄てたってことか」                                                                                                                                    「そんな・・・独りで生きて行くんですし。そこの従業員寮暮らしです。温泉旅館も不景気で、仲居さんしてると言うてはりました。故郷で出直すと言うか・・・」 

                                                                                                                                                             

連載②: 『じねん 傘寿の祭り』  プロローグ (2)

プロローグ②

自身の会社を失った裕一郎は、三年近く前、旧友・吉田高志の口利きで数ヶ月の無職状態を脱し、ようやく職を得た。高志も経営陣の一員である会社の下請会社ノザキに押し込んでもらったのだ。現場単位の報酬で管理を請負い、ようやく食い繋いでいた。ノザキには、高志の会社の専属担当だと言いくるめ押し付けたのだろう。ノザキにしてみれば、それで高志の会社の仕事を確保できるのなら悪くは無いということなのだろう。ノザキの野崎氏は歓迎と言うほどではなかったが、嫌な顔をするでもなく受け容れてくれ、関係はまあ良好だった。                                                                                                高志の会社の営業・現場担当者の「お姉さん」=松下亜希と、現場最終日に現場打上げを口実にして呑んだ。その夜予定されていた黒川の送別会を思い出し、中座を申し出たところ、「その歳で沖縄へ移住やなんて興味あるなぁ。私も行っていいかな?」と求められ亜希を連れたのだった。去年〇四年の一〇月のことだ。ユウくんが妙に亜希になついて、「沖縄に来てね」「行こうかな、泊めてくれる?」「いいよ」と言い合っていた。黒川が「ひろしはぼくに似て面食いなんですよ」と言ったのだ。亜希が真っ赤になったのを憶えている。                                                                                                                                       持ち寄られた、おでん・ばら寿司・スパゲティ・肉じゃがと、裕一郎たちが駅近くで買って来たフライド・チキンという奇妙な取り合わせの送別会だった。隅で大人しく食べていたユウくんに、聞かされていたメーカーのTVゲームをプレゼントしたのだ。ユウくんが持っている型式のものに合うかどうかと冷や冷やして出したのを憶えている。ゲーム機はもうダンボール荷の中に仕舞われていて、ユウくんは「いま出して欲しい」とは言わず、「チチ、沖縄に行ったらすぐに出してね」と言った。ボクは我慢しているんだよと告げていたに違いない。沖縄へ行ってからのことを母親にではなく、父親に頼む様を見たその時、何か漠とした不安のようなものを感じたのだった。今、亜希のことを憶えていて訊ねることもそうだが、ユウくんには特殊な感覚が備わっている。男女のこと、その機微のこと・・・。                                                                                                                                    夫婦で沖縄へ行く・行かないと言い合っていたのだろうか。そこをきっかけに一気に噴出する、夫婦の積年の溝を嗅ぎとっていたのだろうか。確かに、送別会での黒川の妻美枝子は「行くしかないけど、行きたくはないのだ」と分かる表情だった。                                                                                                                                                      今思えば、ユウくんの予知能力・洞察力のようなものだった気がする。それまでにも、何度か顔を合わせ会話もした裕一郎のことはともかく、亜希を憶えていようとは。当時の、裕一郎の亜希への感情を、ユウくんは見抜いていたのだろうか?                                                                                                                    

「あのお姉さんはね大阪やで。あの後、北嶋さん、あのお姉さんの会社の仕事無くなったから、お姉さんとも逢えてないんや。ユウくん、ゲームは持ってる機械に合うたんやな、よかったな。上手うなったか?」                                                                                                                                          「北嶋さん、あのお姉さんのこと好きなんでしょ?」                                                                                                                                                      「永いこと逢うてないしなぁ、どうかな・・・。ユウくん、ゲームはどうや?」                                                                                   「うん。もう第三ステージだよ」ユウくんは得意気に語るのだった。                                                                                           ゲームには不案内で何のことか分からない。たぶん、段階があってクリアすれば次のステージに進めるのだろう。こっちは、次のステージどころか、元のステージにさえ立ってはいない。                                                                                                                                                ユウくんと肩を組んで陸橋を往くと、二人の影が陸橋の下の道路に伸びていて、親子コアラのように映っている。その影が、走る車に何度も轢かれた。陸橋を中程まで来ると、角張った頬、度の強い眼鏡、夕陽に紅く染まった銀色の長髪が目の前にある。黒川はまだ息切れていた。                                                                                                握手を求めた黒川が、差し出した裕一郎の手を両手で握り締めて言う。                                                                                               「とうとう来たね。よく決心してくれたね、褒めてあげるよ。これで百人力だよ」                                                                                                                                                                  「黒川さん、決心やなんて大げさな。ギャラリー出すまでですよ。ぼくはそこまでですよ。ちょい私用もあって来ましたが、沖縄旅行のつもりです。店の施工のお手伝い出来ればと思うて・・・」                                                                                                                                   「夏には帰るんだろう? こっちもそのつもりだよ。いいんだよ、それで。 ところで、私用って何だい? 女性か?」黒川が笑っている。                                                                                                                             「違いますよ、ぼく五十八ですよ、それはないでしょう」                                                                                                       「何を言ってる。八十前のぼくでも、そっちに関してはまだ現役だよ。引退は早すぎるぞ、若いくせに」

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