歌遊泳:いとしのエリー

 「えりぃ・まいら」=『いとしのエリー』
 

20数年の昔。

珍しく家に居た日曜日の午後、
この曲のテープを回していると、二歳少しだった末っ子が、
イントロが始まってすぐ何やら言ったのだが、聞き取れない。
よく聞いてみると「えりぃ、まいら」と言っている。  ・・・つまり「エリー・マイラヴ」だ。
この曲にはイントロからして、
幼子でも反応する磁力のようなものがあるに違いないと思った。
我が子の音楽的資質を過信しているのではないと否定しつつ、
密かに、それがちょっと(いやかなり)嬉しく、
日を置いて同じ場面を再現して親バカの甘い果汁を味わった記憶がある。
初めて触れるような曲想で、イントロはとりわけ新鮮だった。
それに、このシンガー・ソング・ライターの、確かにそれまでなかったような、
オタマジャクシと日本語の音節の操り方は、ホント「革命的」だった。
言葉が溶かされ再構成され音に乗ると、別物になっている。ビックリした。
 
その半年ほど前、『ふぞろいの林檎たち』という番組が放映されていて、
この曲は、その主題歌に使われたのだが、あまり放送を観る機会に恵まれず、
飛ばし飛ばしに観たのだが、印象深いテレビ・ドラマだった。
投げられた林檎がスローで空を落下するタイトル・バックは今も眼に浮かぶ。
当時、店舗設計施工業を経営(と言っても、それは労組自主経営の
なれの果てなのだが)していて、忙しい事態が「名誉」なのだとでも言うように、
奇妙にシャカリキに働き元気な時期だった。
後年、その『ふぞろい・・・』を通して見たのだが、
それは我らの労組自主経営のように、
偏差値三流四流男女=無名大学卒=ノン・エリート たちの
青春(他の言葉が見つからない)を描いたドラマで、
『党ならざるものによる反乱と社会変革の可能性』なる、我が戯言に重なってもいた。
(シナリオ:山田太一、1983年5月~7月放映。)
 
「えりぃ、まいら」の誕生譚を想像するに、連続ドラマを欠かさず観るといった
律儀さなど希薄な母親が、珍しく熱心に観る連ドラ・・・その傍らで、
少し歳の離れた姉・兄(7歳、9歳、10歳)らは、 
「分からないけど分かる」ようなそのドラマを
「分かっている顔」をして観ている・・・そんな風景に違いない。
末っ子はその横で何度も聴いていたのだろう・・・「えりぃ、まいら」を。
全ては、昨日のことのようだ。

 

ふぞろいの林檎たち

  
 
 
その末っ子は、現在母校で高校教師をしており、幼い二人の娘の父親だ。 
我が家の「ふぞろいの林檎」たちは、父を反面教師に出来たとしても、
父自身は、身に沁み付いた「ふぞろいの林檎」の格別の味を、もちろん棄てる気などない。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

レイ・チャールズ
平原綾香
平井堅
本家
 
「えりぃ・まいら」=【いとしのエリー

たそがれ映画談義: 『カナリア』

『カナリア』  2004年、監督:塩田明彦 出演:石田法嗣、谷村美月、西島秀俊
 
カナリアは、ガスに敏感な鳥として有名だ。
上九一色村「第7サティアン」でも、突入する機動隊を先導していた。
そう、これはオーム真理教をモデルにした映画だ。

「教団の崩壊」による「信者の虚脱」という事態から、
「絶対真理を持つと主張する宗派と構成員」
「人間の共同性と全き個人性の相克」といふ永遠の課題が迫り、
物神崇拝へと至る呪縛から主体的に免れることの隘路と困難、
「個人の復権」への苦闘が痛かった。
「皇国少年の自己解体」と、彼らの戦後の自己再生や、
各種「正義」「教義」と宗派(あるいは党的集団)解体(あるいは脱退)後の
座標軸喪失症候群、あるいは総撤退・総封印(一切放棄)の「病」を想った。
人は「帰属」性の中でではなく、それを取っ払った地点の「孤立」の中で、他者に出逢え己にも出逢える。
実は、そこが「共闘」や「連帯」が始まる契機であり原圏なのだ。
                     
       
ぼくはそう思う。永い時間と人並みに痛手を負ってようやくそう考えている。
若い元信者:伊沢(西島秀俊)の、少年:コウイチ(石田法嗣)への問いかけ
『教団もまた我々が生きているこの醜悪な世界の現実そっくりの、もうひとつの現実だった』
『お前は、お前が何者であるのかを、お前自身で決めなくてはならない』は、13歳コウイチにはあまりにも酷で、難しい。・・・痛々しい限りだ。      社会性を抜きには生きられない存在たるぼくら大人が抱える課題なのだから・・・。

逃亡信者として警察に追われるコウイチに、偶然同行することとなった少女:ユキ(谷村美月)の、
「家庭状況」や早くから発揮する「闘う慈愛」(=母性)、逃避行の中で目を見張る変貌を遂げ 
どんどん成長して行くゆく姿に、
かたくなな狂信少年信者主人公:コウイチに「殺人又は自死」を断念させること、
彼を「再生し生きて」ゆかせること、その『偉業』は
この少女(の母性)にして初めて可能だったと思えるのだった

 谷村美月。 2007年『檸檬のころ』では、素晴らしい若手女優さんに成長していた。

書評: 脇田憲一著『朝鮮戦争と吹田・枚方事件-戦後史の空白を埋める-』(明石書店)

「青春の終焉」から「青春の復権」へ

イントロ部】
 三浦雅士はその評論集『青春の終焉』(2001年 講談社)の前書きをこう始める。

  ――「『さらば東京! おおわが青春!』
一九三七年九月二十三日、中原中也は、詩集『在りし日の歌』の後記の最後に、そう書きしるした。享年三十一。詩集原稿は小林秀雄に托された。
『還暦を祝われてみると、てれ臭い仕儀になるのだが、せめて、これを機会に、自分の青春は完全に失はれたぐらゐのことは、とくと合点したいものだと思ふ』
 小林秀雄がそう書きしるしたのは、四半世紀後の一九六二年。友を失った批評家は、生き延びて、六十歳を迎えていたのである。」――

続けて、青春や青年という語の起源と、発展し世に定着する過程、下って60年代後半に急速に萎んでしまった背景などを語っている。例えば「伊豆の踊子」では、青春がエリート層の旧制高校・帝国大学という制度による囲いこみによって維持された、つまりは階級による特権者の独占物であったと語り、主人公はまさにその青春に在り、登場する人々、踊子も栄吉やその女房も青春とは無縁だったと述べる。60年代後半の学生反乱こそは、そうした永く続いたエリート層・特権者の独占構造の大衆化を通じた解体過程、青春の終焉であったと言う。青年という語にはあらかじめ女性を排除する思想性が間違いなく付着しているし、それは保護者の会を父兄会と呼び、労組などでも若い男性と女性全部を一緒にした部会を作り、青年婦人部と呼んでいたことにも正直に表れているとつなぐ。

 事実、70年を前にしたぼくの学生期には、所得倍増の「成果」が創り出したその特権の大衆化の中で、青春や青年といった語は、臨終直前であり、やがて青春・青年はダサい気恥ずかしい言葉として姿を消した。三浦氏が言うとおり、青春文化・青年文化とは呼ばず、代わって若者文化と称したのだ。 (以下、カルチャー・レヴュー37号、http://homepage3.nifty.com/luna-sy/re37.html#37-2

全文は、 http://homepage3.nifty.com/luna-sy/re37.html#37-2                                                              

たそがれ映画談義:『サイドカーに犬』

「サイドカーに犬」 2007年、監督:根岸吉太郎、出演:竹内結子、松本花奈、ミムラ、鈴木砂羽。
 
あるアンケートによれば、日本の男の理想の女性は、
吉永小百合さんとルパン三世の峰不二子だそうだ。
竹内結子演ずるヨーコさんは、その両方を兼ね備えた女性で、
原作者と根岸監督の理想の女性なのだろうか……? 
小学校4年生の女の子:薫にとっても、ヨーコさんは特別だった。
母の家出期にやって来た父の愛人ヨーコさん、ときに熱く豪快大胆で大雑把。
ときに泣き虫で、小学生の薫にも解りそうに見えて、謎だらけのヨーコさん。
「大人の女」「かくありたい女性」「カッコいい女」たるヨーコさん。
どちらかと言えば引っ込み思案の薫と、ヨーコさんの規格外の生(ナマ)の個性とが
スリリングに火花を放ってひとつの連帯関係を結んで行く。
「同性」や「同志」としての年長者への目線なのかな。
少女の感受性、邪心も色眼鏡もなく 人を見分ける眼の確かさこそが、
作者の分身たるダメ親父の望むところに違いない。
日差し・土の匂い・アイスクリーム・汗・・・、ヨーコさんに教えてもらって初めて乗った自転車・・・。サイドカーに犬
セリフやストーリーを越えた、映像・音・間(ま)・沈黙、それらが醸し出す映画独自の表現「文法」。
女の子薫の、クラクラするほど刺激的なひと夏。子供から少女へ向かう時間の、はかない値打ちが伝わって来て見事でした。
薫を演じた 松本花奈ちゃんに、90点あげたい。

たそがれ映画談義:『百万円と苦虫女』

 
 
 
『百万円と苦虫女』 2008年、監督:タナダユキ、出演:蒼井優・森山未来・ピエール滝
 
百万円と苦虫女
 
Web評論誌「コーラ」誌上への紹介文:
【品川宿 K
苦虫女の所持金が100万円に戻れば、彼女は決め事を実行し街を去るだろうと
100万円に戻らぬよう寸借を繰り返した学生の彼。
学生生活を羨む心が猜疑心を倍加させてか
「なんで、あなたと女子学生のデート費を私が出さなきゃならないのよ」と言ってしまった苦虫女。
若い意地の張り合いに心当たりはある。
学生が去って行く苦虫女を追った横断陸橋で、
二人を逢わせないラストシーンの「行き違い」はアッパレです。
そう、人生はこの種の行き違いの山で構成されているのですから。
 
【黒猫房 Y
苦虫噛んで「やってられないよ」とばかりに、100万円貯めては次の町々へとさすらう主人公……、
主演の蒼井優がとてもよかったですが、森山未来という男優も、
健気な不思議な存在感がありました。
<学生(森山未来)が去って行く苦虫女を追った横断陸橋で、
 二人を逢わせないラストシーンの「行き違い」はアッパレです。
 そう、人生はこの種の行き違いの山で構成されているのですから>という品川宿さんの指摘は
その通りなのかもしれませんが、なんとか出会って苦虫女を抱きしめてほしいと祈りながら
このラストシーンを観ていた人は私だけではないでしょうね、きっと。
そして、このすれ違いの思いを引きずってしまうのは学生のほうだけなのか?
……けれどもその思いも、いずれは怠惰な時が癒してしまう。
したがってこの映画のラストシーンは、「華奢な感じ」に見える苦虫女がまあちょっとぐらいは
振り返ったとしても、その姿は凛として町を立ち去ってゆく……という「アッパレ」な結末というわけですね。
 
再論:
 
【品川宿 K
我ら二人、偶然同じ映画を取り上げましたね。ええ歳したオッサンが二人、
ネット社会の片隅(?)で、蒼井優的若者への共感・声援の、
キーボードを密かに叩いていたのか・・・、あの苦虫女に届けたいね!
ラストのすれ違いを、
「なんとか出会って苦虫女を抱きしめてほしいと祈りながら観ていた」のは、
ぼくも同様なんです、もう泣きそうになって・・・。
学生が控えめに発した言葉「自分探し・・・みたいなことですか?」に蒼井優が返す、
「いえ・・・。むしろ探したくないんです。探さなくたってイヤでもここに居るんですから」 と。
続いて苦虫女は弟への手紙で、こう独白する。
「姉ちゃんは、自分のことをもっと強い人間だと思っていました。でもそうじゃありませんでした。」
ナチュラルであるのに、そのナチュラルこそがむしろ
生きにくい理由の根本を構成している。
という転倒状況が若者たちを覆う今どき。
ラストのすれ違いは、その「今どき」の若者が強いられる「社会」からの「要請」を、
容れて・学んで・こなして行くのではなく、ナチュラルの側に身を置き続け
「ここに居る」とする、若い苦虫女=蒼井優の宣言だなぁ・・・と思えて、
その立ち姿に「アッパレ」と拍手したのでした。
この二人、苦虫女と学生は必ず再び出逢います(現実場面でなくとも)。
ナチュラルということそのものに棲む「無知・過信・無謀」を、痛手を負って思い知り、
その代価を支払い、年齢と経験を重ねても
「社会」の「要請」の核心とは決して和解しないぞと生きる限り・・・。
                                                                                                                                                                                   
【黒猫房 Y
いやあ~「よい読み」ですね! さすが「映画オヤジ」(喝采)。
あのラストシーンには学生君の「必死さ」に対して、「あんたには頼らないわよ」
という「見かけによらない、芯の強い女」のメッセージ性と爽快感がある
とアンケートの初稿ではそのことを書いたのですが、「見かけによらない、芯
の強い女」というのは監督の狙いではないだろうし、現在のフェミニズムの達成点は
> 「いえ・・・。むしろ探したくないんです。
>  探さなくたってイヤでもここに居るんですから」
>「姉ちゃんは、自分のことをもっと強い人間だと思っていました。
>  でもそうじゃありませんでした。」
と、苦虫女に言わせる境地じゃないでしょうか?
************************************************************

交遊通信録:K大校友連絡会御中

K大校友連絡会事務局御中  http://www1.kcn.ne.jp/~ritsu/dai3kaisiminnkouza.doc  を受けて。
 いつも、ご苦労様です。  参加したいテーマでしたが、あいにく仕事で品川宿から出られません。
 会のご盛況と深い論議を願っています。各位によろしく。
 
 
  
                                                                                   
 
さて、本当に、辺野古から世界が見える、「戦後」総体が見える・・・・ですね。
この問題の核心は「戦後」「日米安保体制」「占領」「憲法」だ、との貴論は正に慧眼。
いま民主党政権というより 「戦後」が岐路にあり、 
戦後史総体がズシリと迫って来ます。 
 国会前で、辺野古新基地建設反対!普天間基地即時撤去!嘉手納統合策動粉砕!                                                      と大きく書かれた横断幕の下に座った「9条改憲阻止の会」の親爺さん(たぶん70歳過ぎ)が、次のように語っていた。                                      
12.13 国会前③
 
『「OCCUPIED OKINAWA」。
 ヤマトが 明治政府が そして日米が、沖縄を占領し続けて来たのだ。
 「戦後」というもの総体が、そのことを与件として成り立って来た。
沖縄はその丸ごとの見直しの開始を、求めている。 』 
 
 保守二大政党というものが、この親爺が言う与件を前提とする「合意」によって
成り立つとしたら、保守二大政党ということがすでにして『大連立』なのだと思う。
親爺さんと「大連立」は真反対に居る。  選挙民が選んだのは、保守二大政党でも大連立でもない!
  
 【OCCUPIED】
 沖縄では、牛乳やジュースの1リットル・パックは1000CCではなく、
946CCだそうです。54CCズルかましているのではありませんよと教えられた。
聞くと、946CCとは、ガロン=3785CC の≒4分の1。クウォーター・ガロン。
生活の深層部に居座る米軍政下のなごり、その一例だそうです。
ちなみに、「日本国憲法」が沖縄における最高法規となった日はいつ?
さて、現在沖縄にそもそも「日本国憲法」の効力が及んでいようか?
憲法より日米安保条約が優先されているから、
だからアメリカによる「占領」がなお続いている・・・という議論は一面その通りだ。 が、占領は誰が誰を何時から・・・
 
 筑摩書房『OCCUPIED JAPAN』(半藤一利、保坂正康ら)を読了しました。
占領ということ、他者による統治、GHQ占領期を活写する対談集
ジョン・ダワー『敗北を抱きしめて』の時代、
OCCUPIEDの実感を当時の若者が語っていて
面白かったのですが、OCCUPIED状況を語りながら、
彼らにして、日本の「戦後」を保障してきた前提である沖縄への眼差し・言及が無い。

歌遊泳:【緒形拳 阿久悠を語る】

緒形拳 阿久悠を語る
 
こんなふうに歳を重ねたいと敬愛していた 故:緒形拳さんの朗読、
時代を観ていたなと思わせた作詞家 故:阿久悠さんのエッセイと歌と歌詞
これは永久保存したい朗読と映像と歌唱だ。
                                                                                                          敗戦を八歳で迎えたお二人・・・。
焼跡・闇市・貧困・ひもじさ・進駐軍・敗戦後空間・日本国憲法・・・。
少年の目と耳と「ハート」に焼き付き沁み付いたものを、
抱えたまま生き抜いたのだろうこのお二人からは、
国や軍に阿(おもね)るような言動はついぞ見聞きできなかった。
ともに、私のちょうど十歳先輩のお二人。
 
「1970年前後にこの国の曲がり角があった」と
多くの識者が語っている、と何度か述べて来たが、それは、
戦後市民社会の乱脈的成熟、生活の家電的発展、駅弁大学的教育の向上、
職場への女性の表層的進出・・・、
そこから一種の変化へ、それまでと違う社会へ、やがてある衰退へ
うねり始める曲がり角だと言い当てていたのか。
阿久悠がその曲がり角に立ち、失われ行くものを視ていた先輩だとしたら、
ぼくや君は**を自称してはいても、所詮は曲がり角の自覚も無く迷走し、時代と明治との地続き性が見えなかった後輩だったのだろうか? 
 
緒形拳:1937~2008、阿久悠:1937~2007。合掌。
 
 
 
【緒形拳 阿久悠を語る】
『白い蝶のサンバ』
『街の灯り』
『あの鐘を鳴らすのはあなた』
『さんげの値打ちもない』
『もしもピアノが弾けたなら』
『時代おくれ』
『熱き心に』
 
 
 【付録】敗戦を8歳前後で迎えた人々
*1936年生まれ
  山崎努、野際陽子、市原悦子、戸田奈津子、つのだじろう、菅原洋一、楳図かずお、
*1937年生まれ
  浅井慎平、山本学、山口洋子、阿部譲二、美空ひばり、つげ義春、
*1938年生まれ
  熊沢誠、大林宣彦、石ノ森章太郎、松本零士、島倉千代子、なかにし礼

歌遊泳:民子さんオホーツクを唄う

前回、森繁「勲章文化」などと偉そうなことを書きましたが、『知床旅情』は広く好まれる歌で、私も好きです。で、歌い手を探りこの歌を遊泳しました。
倍賞千恵子さんには驚かされました。
 
<倍賞民子さん>
倍賞さん。柴又:とら屋の、寅さんの妹:さくら とばかり思っていましたが、
この歌唱は圧倒的です。何か開き直る度胸のある人ですね。
高校時代、地味で目立たないのに意外性を発揮する
(例えば走らせればムチャ速い、寡黙で歌うところなど見たことも
無いのに歌うと抜群、ある時行きがかりで突然ダンスを披露する、
ある日大化けの私服姿を見かける)、各クラスにそんな女の子居りましたね。
あの驚きを思い出します。実に素晴らしい。
そう思うと、山田洋次監督『家族』の(倍賞・笠智衆・井川比佐志)の
民子=倍賞千恵子を思い出しました。
「民子三部作」と言われる山田三作品があります。
『家族』(70年)『故郷』(72年)『遥かなる山の呼び声』(80年)で、 
倍賞さん演ずるヒロインは全て「民子」さんなのですが、
敗戦から四半世紀経た70年(前後)を、山田洋次は
ある視点に立ってしっかり見ていたのかなと思います。
全てが右肩上がりの戦後社会が「ピーク」に来ており、
「ピーク」であればこそ、さて降下が始まるぞ、
「こんにちは、こんにちは♪世界の国から~♪・・・」と浮かれ騒ぐ社会の、
そこここに見える高度経済成長の歪み陰り、
砂上楼閣の崩壊が始まるぞ、いや始まっている・・・。
『家族』の画面は経済発展の象徴=瀬戸内コンビナート、万国博の喧騒、
大東京の緊急医療の貧弱など、70年曲がり角日本を見せつける。
北海道へ向かう『家族』と民子は、途中東京でわが子を、
到着地で夫の父(笠)を失う。 倍賞さんの歌唱姿を聴いて見た時
その民子が、悲しみを越えて、力強く唄っているような気がした。
再録http://www.youtube.com/watch?v=AcQNz2Z_f2E&feature=related(再度消去されてもどこかにアップされると思います)
(この倍賞さんホントに綺麗。よく見ると黒木メイサに似てます)
 
「民子」なる命名は、山田洋次が希う「民」
(私は、民衆・大衆という語は嫌いですが「民」ならわかり、たい)
のイメージだろう。70年代女性への希いですか?私同様、時代に
立ち向かうべき「男」を描けなかったか・・・・・?。
男たる私は当時、「タコ社長+寅さん」で生き延びていたのだが・・・。
さて、「寅さん」シリーズのマドンナ(「寅次郎忘れな草」のリリーさんが最高)
を繋げてゆくと、山田洋次の女性観が浮かび上がると思うのですが、
さらにそこへ「さくら」と「民子」で決まりですか・・・。
倍賞、家族
ともあれ「日本の曲がり角(70年前後)」から、すでに四半世紀以上です。
戦後、戦後後、少子高齢化社会・ニート・派遣切り・金融恐慌・医療荒廃・・・の21世紀を見通していた。
山田映画はええですね。
次回作は吉永小百合さん・蒼井優・鶴瓶らで『おとうと』です。                      
    
                            
 
 
                                                                                                                    【知床遊泳】
森昌子
夏川りみ:幸田浩子
石川さゆり
加藤登紀子
http://www.youtube.com/watch?v=T40Tx2WS6Ag&feature=related                                                                                        森繁久弥
倍賞千恵子
 
 

 

交遊通信録:趙博+織江 VS 勲章森繁

趙博の「人生幸朗的パギやん日記」11月11日分(下記転載)を読んで、大いに共鳴・・・。彼のホーム・ページ「黄土(ファント)通信」(http://fanto.org/index.html)のパギやん似顔絵が共通の友人の作だという“えにし”もあって、森繁的「胸に勲章」文化に抗おうとする彼の芸の心と志を、そして激しい言葉を吐いた気持ちを、考えた。

(人生幸朗的パギやん日記、11月11日)

So, what?

森繁が死んだ。大衆芸能の分野で文化勲章を初めて貰った大俳優…あははは、大阪を裏切ってのし上がっただけやんけ。藤山寛美の森繁批判を鮮明に覚えている。「大阪の人情をよう演じん人間が、虐げられたユダヤ人を演じられるか。東京は大根役者ほどウケまんねんなぁ…」
市橋が逮捕された…またぞろ馬鹿マスコミが大騒ぎ--ぬるいのぅ。11・8沖縄県民大会は報道しなかったよねぇ…、ねぇ、マスコミ諸君。

 

趙博+織江 VS 勲章森繁

森繁の「社長シリーズ」は、中小企業社長を面白おかしく相対化していて、
観客に「君もやがて社長かも」と、社長業などは手が届く世界なのだよと示し、
サラリーマンと呼ばれた層に「安心」を提供し、支持されたのだと思う。
サラリーマンの悲哀を抱える観客は、加えてもうひとつの「安心」も手に出来たのだ。
20世紀後半、先進国の「都会に出て職に就く」亜インテリ層、企業社会の悲哀(例えば映画なら、『セールスマンの死』『アパートの鍵貸します』『アレンジメント』、日活『私が棄てた女』に見える)・・・
つまり故郷を離れ、貧しくも苦労して高学歴を得、管理的職責に在り、
心ならずもか望んでか、
企業内的上昇志向に染まって成し遂げたささやかな成果と、
否定しようも無くその成果を得んが為に、踏み放ち・打ち棄て・断ち切った「大切なことども」・・・・。
たぶん「社長シリーズ」は、その「事実」を忘れさせてくれたのだ。
自分は、あくせくサラリーマンの処世街道を生きている。けれど、
上り詰めたところで、所詮ほらこの通りのバカ騒ぎの社長様だ・・・。
だから、それは、大東京の、
「大切なことども」を完全には「裏切れなかった」人々、
「のし上がれ(ら)なかった」人々、
そうした勤労サラリーマンにとって絶妙の「カタルシス」なのであった。
そうした観客に媚びた森繁流儀など、
そんなもん認めないぞという趙・寛美の側からの
総てを解った上での「異論」だ。
森繁が「強い」のは、そうした「地べた」からの批判をよく承知していて、
「裏切って」「のし上がった」ワシと、さあどっちが、都会の現代勤労者の心に響く?
と云わば開き直っている点だ。
が、森繁への広範な支持にはやはり、勲章だけではない理由があると思う。
観客は、『完全には「裏切れ(ら)なかった」「のし上がれ(ら)なかった」層』、
『森繁社長の言動に「カタルシス」を見出していたサラリーマン層』なのだ。
己の企業社会人生を振り返り、森繁に赦してもらう「あちら側」
に座る心地悪さといかがわしさを知らぬわけではない。

先般の両国シアター・カイでの声体文藝館『青春の門・筑豊篇』会場に、
「あちらとこちら」の境界からやって来た観客が居たのなら、
タエさんと織江、そして「織江の歌」には、
その観客を「こちら側」に踏み留ませる、あるいは呼び込む力が備わっていた。
その力の蓄積こそが、やがて大御所森繁への「異論」の体系となって行くだろう・・・。

(ダラダラとくどい当コメントは、もちろん趙さんに送信し、真摯な内容の返信をいただきました)

12月16日(水)には、品川宿での初公演。我が庵から徒歩圏内ではないか!

出張を取り止めて行こうと思う。

趙博 品川宿公園

歌遊泳: 「百万遍のバラ」を見たか?

貴女が歌った『百万本のバラ』、憶えてますよ!
 
この歌「ペレストロイカ」のテーマ曲だったと誰かが言ってましたが・・・?
「希望」の背にはいつも「哀愁」がへばりついている、ということの
見本のようなメロディですね。
敗戦後日本の、焼跡・闇市・GHQ・「憲法はまだか?」的着慣れぬ民主主義・・・と、                                                  何かと響き合うように聞こえたものです。
そして何故かいつも、縁浅からぬ京都「百万遍」のバラと聞こえたのです。
*******************************************************
                                                                        
 
五輪真弓・徳永英明
http://www.youtube.com/watch?v=elW27dRjoIU&feature=related                                                                                                金蓮子(キム・ヨンジャ)
http://www.youtube.com/watch?v=fnfd6Ea4Zd0&feature=related                                                                                                                                                                                                                                      久保田早紀                                                                                                                 http://www.youtube.com/watch?v=Qjx_KN7Xf4I&feature=watch_response                                                                                          伊東ゆかり
http://www.youtube.com/watch?v=fz_xC9V9XLg&feature=related                                                                                          加藤登紀子(声が出なかった頃やね)
http://www.youtube.com/watch?v=4D6qhcYHabk&feature=related                                                                                  ロシア歌手:アラ・ブガチョワ(が世界的大ヒットさせた) 

 

Search