八尾空港をオスプレイ訓練にどうぞ…。 維新の正体
6月6日、安倍総理は維新・松井幹事長と会談し、松井・橋下の「八尾空港オスプレイ訓練受け入れ」という唐突な提案を検討する意向を示した。
橋下氏の慰安婦発言の失態から国民の目をそらせるためか、「風俗活用の勧め」発言への米軍の不快感を和らげるためか、大慌てで思いついた維新の「スタンドプレ-」か? いや「新自由主義」+「国家主義」に彩られた維新の政策の核心だ。
安倍総理は、橋下氏の慰安婦発言時には「安倍政権はそのような野党党首の発言や歴史認識に与しない」と良識ぶりを装ったが、八尾空港提供発言では再び維新と手を組み利用したいのだろう。
安倍首相の日頃の言動に照らすまでもなく、軍事の日常化・全国化は自民党安倍総理系の積年の悲願だ。 客観的には、維新が自民党政策の露払い役・様子見役を果して行くという構造だ。 ここしばらくの維新・橋下の言動に対して、公明党の山口代表が維新を指して「暴走政党」と呼び、「このようなリーダーに率いられた政党との連携は考えられない」(趣旨)と述べたが、その姿勢を堅持してもらいたい。 和歌山県知事は「受け入れも何も、自治体の意向に関係なくオスプレイの低空飛行訓練は実施されているではないか! 見え透いたパフォーマンスだ」という趣旨の発言をして不快感を示している。
言うまでもなく、八尾空港は沖縄嘉手納基地同様、四方を市街地に囲まれ、東大阪市・大阪市など大都市が隣接する民家密集の「不適格」空港だ。面積・近隣状態・補給やメンテ施設など、どの角度から見ても八尾空港は不適格だと、元防衛庁長官や元自衛隊幹部も語っている。そこを敢えて提案に及んだ橋下氏らの思惑は、「慰安婦発言」の失点(本人らはそう自覚してしないが)と、沖縄米軍への「風俗利用の勧め」の失点を取り返そうとしての米軍と自民党への媚であり、維新政策の核心でもある。
沖縄の心が「基地の返還・撤去」であって「危険の分散」ではないということを理解できない橋下氏らの思想・感性は、「慰安婦問題」での「施設の管理」「従事者の移動」「従事者の募集の民間への委託」はしたが、「軍」が「直接管理支配したのではない」とする屁理屈と同根だと思う。
日米安保下、植民地下沖縄での 橋下発言。 その構造的現在地
橋下市長、米軍・米国民にだけ謝罪。 橋下市長問責決議案。ん? 橋下発言への友の指摘は核心を突いている。 大阪市議会の自民・民主・共産が橋下市長問責決議案を出すそうだ。昭和の戦争を「侵略」とは言えないとする人々、「従軍慰安婦」制度に「軍の関与は無かった」と言う人々が「うようよ」居る自民党には、つくづく「?」とは思うのだが、どうかこの機会に「歴史認識」(を歴史家に任すのではなく)を一から深く考えるキッカケにしてもらいたい。市民も、識者も、学者も、誰も、政治家という職業・立場が歴史認識と無関係に成立しうるなどとは全く思わないのだ。 橋下市長は従軍慰安婦と軍(と当時の政府)との関係について、会見で「施設の管理」「従事者の移動」「慰安婦の募集を民間へ依頼」に関して、「軍」が行なった、と言い、拉致・監禁などを行なって、強制的に拘束した事実を示す証拠は無い、と言っていた。それは充分、「軍」の管理・実行じゃあないか!
「慰安婦を『私』が必要と言ったのではなく」「『戦時においては』女性を必要としていたのではないかと発言した」ところ、マスコミに「『私』が容認していると」誤報された、とも言っている。 ちょっと待った。「銃弾が雨嵐のごとく飛び交う中で命をかけて走っていくときに、どこかで休息させてあげようと思ったら、慰安婦制度は必要なのは誰だってわかる」との発言(5/13定例会見)は、マスコミの誤報・デッチ上げなのか? ハッキリさせなさい。 維新は、問責決議が可決されれば、市長辞任・再選挙だと恫喝しているそうな。懲りない面々だなぁ~。 追記: 夜のニュース報道によれば決議案に賛成するはずだった公明党が反対に転じ、「問責」の文言を抜いた独自案を提出。それぞれ否決されたそうだ。出直し市長選による市政混乱は良くないというのが、その理由だそうだ。来る参院選と同時期は困る、参院選の維新との全国的選挙協力への思惑・・・等々だそうで、勝手にしてくれ!
ところで、橋下氏の「従軍慰安婦」発言が沖縄米軍への「風俗活用の勧め」とほぼ同時期になされた意味について、友人が深い見解を述べているので紹介する。橋下言動の核心だと思う。全く同感! 沖縄の人々にはしない「撤回・謝罪」を、米政府・米軍・米国民にだけ行なう姿勢には、元の発言と同じ植民地観に基づく「思想性」「宗主国性」がハッキリと表れている。
【M氏の見解】
橋下発言の核心は、「今現在、日米安保維持のために沖縄で最も必要なのは、風俗という名の売春であるのは自明のことである」ので、それを言うためにかっての日本軍の「慰安婦」とされた人たちのことまで持ち出して語ったということだと思います。 植民地沖縄に対する宗主国ニッポンの一人の政治家として、宗主国の安全のために、強制収用で作った基地(土地・空間・社会・危険・軍事)の提供に加えて、植民地沖縄の女性を、かつての先勝国の男に差し出しますからよろしく、と言っているのです。
橋下氏の表現の自由・・・
憲法21条: 1、集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。 2、検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。
橋下氏の一連の言動に対して大阪弁護士会所属の弁護士たちが、大阪弁護士会に「懲戒請求」を起こす予定だ。 懲戒請求の準備を進める弁護士によると、橋下氏の慰安婦に関する発言と、在日米軍に風俗業活用を求めた件は、基本的人権を無視し、女性を差別しているなどと指摘。弁護士法が規定する「弁護士の品位を害する行為」に該当するとしている。同弁護士会は請求を受け、審査の対象とすると判断した場合、懲戒委員会で業務停止や退会命令などの処分を決める。 これに対して橋下氏は「まあ、これだけ表現の自由が守られている世の中で、発言、表現だけをとらえて懲戒請求を出すことのほうが、それこそ懲戒請求もんだ」 「今回は国政全般と歴史認識に関する個人の見解だ。それについてまで懲戒請求をやるっていうのは、ここまできたら懲戒請求の乱用だ」 「表現の自由に対する強烈なプレッシャー、重大な挑戦だ。弁護士がやることか」と反論している。
表現の自由? 特定の個人に向けた発言ではない? ここ数年街頭にまで登場して「特定の立場」の人・存在に対して、「表現の自由」(?)を盾に「劣等民族」「害虫」「奴隷の子孫」「国へ帰れ」「殺せ:」と叫ぶデモに遭遇、眉を顰めた経験を持つ人は多いだろう。 これが、表現の自由の範囲内か? 特定の集団や個人に対する不寛容・排除を煽る言動(ヘイトスピーチ)は西ヨーロッパでは厳しく規制されている。 表現の自由は、あくまで他者も同時に持っていよう自由を排撃しないか、他者の基本的人権の否定・排除・攻撃の為の表現ではないか、「公」的公平性を維持しているか、現実に行なわないまでも刑事罰対象の犯罪に当たる行為(圧政に対する民衆の抗いを除く)を主張していないか、など多くの前提の上に保障される。
5月13日の橋本発言発端に際して各党が見解を述べたが、ここでは公明党山口委員長が、あれこれ橋本発言への解説を省いて最も的確簡潔に述べていた。「弁護士法第一条はこのように言っています。」と紹介した。公明党が好きなのではないが、これは的確だった。 『弁護士は、基本的人権を擁護し、社会正義を実現することを使命とする』 この度の、大阪弁護士会への懲戒請求は妥当だと思う。
ところで、橋下・石原・その他の発言で唯一「その通り」なのは、「軍と売春っていうのはもうつきものでね、歴史の原理みたいなものでさ。・・・」(5月14日、石原氏)だ。 その通り、それが戦争だ。戦争史を紐解けば、欧米・アジアを問わずそれが戦争なのだ。 だから、どうなのかを言わぬまま「つきものなのだ」だけを言うなら何を言ったことにもならない。 友人の友人である、優れたフリー・ライター井上理津子さんの毎日新聞特集ワイドのインタヴュー記事を掲載させていただきます。
差別、階層社会を肯定−− フリーライター・井上理津子さん(毎日新聞 5月16日 東京夕刊)
一連の橋下氏の発言は、社会的弱者への差別や階層社会を肯定していると受け取らざるを得ません。「慰安婦になってしまった方への心情を理解して優しく配慮すべきだ」とも言いましたが「支配階層」からの、極めて上から目線の言葉ですね。 「日本の現状からすれば貧困のため(風俗店で)働かざるをえない女性はほぼ皆無、自由意思」というツイッターでの発言には大きな疑問を感じます。私は大阪の遊郭・飛田新地で働く女性約20人に話を聞きましたが、「自由意思」で入った女性など一人もいなかった。貧困だったり、まっとうな教育を受けられなかったりして、他に選択肢がないため、入らざるを得なかった女性が大半でした。経済発展を遂げたとされる現在でさえそうなのに、戦前においては言うまでもないでしょう。 橋下氏は「慰安婦を暴行や脅迫で拉致した事実は裏付けられていない」とも発言しましたが、あまりにも限定的な考え方です。慰安婦になる以外に選択肢がなかった女性にとっては強制以外の何物でもないんです。「軍の維持のために必要だった」という発言に至っては、戦争を容認している証し。正体見たりです。 苦しい事情を背負った女性の境遇、慰安婦に送り出さざるを得なかった家族の思い、社会的背景に心を致しているとは思えない。政治家の役割を果たしていると言えない。【聞き手・江畑佳明】 井上理津子:1955年奈良県生まれ。長年大阪を拠点に活動した。著書に「さいごの色街=飛田」 「大阪下町酒場列伝」など。
「論評に値せず!」と捨て置けるほど微勢力ではない。
論評に値しない!と多くの人が呆れている。維新の会橋下共同代表の最近の言動だ。 右翼中校生程度の歴史認識に基づく浅識が、彼の場合「自己切開」「自国史検証」の自省的スタンスを欠いている為、どんどん肥大化して行く。 元々、発言する度に「調べもせず浅い情報と雰囲気で」思い込み内容を「事実」のように強い口調で言うので、次回には前回内容を一層強固に主張するしか道がない。そういうエンドレスのサイクルに入っていたのだ。その構図がとうとう政権党のカッコ付きの民主主義者や友党から「論評に値しない」と言い切られる事態に至った。
昨夏「橋下政治の本質」を、ぼくは「公的事業の一層の民営化・教育や福祉の場を競争一色に・効率化と言う名の「公」事業切捨て・その必然としての公務員労働叩き・新自由主義とナショナリズム」を「度し難い幼児性・独善性に基づく攻撃性と懲罰主義で強行する圧政」と、規定した文をブログアップした。 今回、その幼児性・独善性・攻撃性は、奇妙な被害者意識とそれこそ自虐史観に立って「欧米も同じことをしたのに、日本だけが世界から非難されている」と展開される。「おかあちゃん、ボクだけが非難されるよ」と訴える狼少年虐めっ子の言い分のようだ。 そういう主張こそが、「日本だけが世界から非難される」根拠なのだという構図が何故解らないのだろう・・・。 従軍慰安婦問題・沖縄植民地観・侵略の定義・歴史認識・沖縄集団強制死に軍関与は無い・君が代斉唱強制・公務員バッシング・権利剥奪・教育の場の競争と強権統制・改憲・・・・ それらは根が一つの事だとよく解る。それらは、やはり、別々にことではないのだ。 そこを市民が理解できるように発信してくれたのだ、と橋下の「反面教師」振りを語るには、包囲は強固で逆クーデターは進行中だぜ! 開いた口塞がらない、言語道断、論評に値しない!で放ってはいけない。若い人に何が・何処が・どう間違っているか、伝えたい。
5月20日追記: 現に朝刊の世論調査報告によれば、橋下発言を「大いに問題がある」とした人は32%、「ある程度問題がある」が43%、合わせて75%が「問題あり」と答えているが、安倍自民の支持率は上がり、参院選比例区投票先を自民とした人は何と49%と空前の数値を示している。 しかし、日頃の言動や国会答弁に明らかな通り、安倍氏の歴史認識は橋下とほとんど変わらないどころか、一層強固で年季を重ねているのだから、「世論」なるものの二重・三重の屈折はこの国の深層実相か。 橋下氏の妄言は「反面教師」どころか、逆クーデター勢力の「後方援軍」となって受け容れられるのだから「世」は怖い。
橋下氏に進呈: 弁護士は、基本的人権を擁護し、社会正義を実現することを使命とする。(弁護士法第一条)
逆クーデター、改憲、維新・・・その事態には共通する言葉が出てきますね。
安倍自民党の改憲への暴走は「まるでクーデターだ」と言われている。 通常のルールを一挙的に改変し、それまでの政権の権能範囲や国家の運営方法を 根本的に変えたい行動という意味でその通りだと思う。 反政府勢力などによるクーデターと違い、政権に在る者が、より強大な権力を目指して行うような場合、 通常のクーデターと区別して「逆クーデター」とか「自己クーデター」と呼ぶらしい。
歴史上有名な逆クーデターに、1851年のシャルル・ルイ=ナポレオン・ボナパルト(ルイ・ナポレオンと略されている。ナポレオン・ボナパルトの弟の三男、つまりナポレオンの甥))によるクーデターがある。 1848年革命で、ルイ・フィリップの7月王政が倒れ、第二共和制が樹立されると、ルイ・ナポレオンはフランスへ帰国。大統領選挙に出馬。 それまでボナパルト家の帝政復活を夢見て国外から発し続けたあれこれの策動(労働者階級の保護を主張し、貧困層にアピールした1844年の著作『貧困の根絶』は有名)の効果と、ナポレオンという圧倒的知名度によって、圧勝する。 この第二共和制は国民議会の力が強く大統領権限は比較的に弱かった。ルイ・ナポレオンにとっては「決められない政治」であり、議会に主導権を奪われ続けた名誉職的大統領であったらしい。 1851年、国民議会の解散、大統領権限を大幅に強化した「新憲法」制定などを強行して独裁体制を樹立。翌1852年には国民投票を経て皇帝に即位し、第二帝政を宣言、「ナポレオン三世」を名乗った。この一連の政変を一般に「ルイ・ナポレオンのクーデター」と言うらしい。 ナポレオン三世は1870年、普仏戦争に突き進み、自ら捕虜となり、70年末からのプロイセンによるパリ包囲下、71年1月、フランス降伏。1871年3月パリ・コミューンが成立。
近隣・近年では、韓国第五代(~九代)大統領朴正熙(パク・チョンヒ)による1972年の「十月維新」も逆クーデターだと思う。 1971年の大統領選挙に金大中が新民党(当時)の正式候補として立候補したが、民主共和党(当時)の候補・朴正煕現役大統領(当時)にわずか97万票差で敗れた。朴正煕は辛くも勝利(実は金大中が勝っていたと言われている)したが、民主主義回復を求める金大中と背後の世論に危機感を覚えていた。 (そんなさなかの大統領選直後、大型トラックが金大中の車に突っ込み、3人が死亡。金大中は腰と股関節の障害を負った。後に韓国政府はKCIAが行った交通事故を装った暗殺工作であったことを認めている。) 1972年10月17日、突然大統領特別宣言が発せられ、国会の解散・政党の廃止・政治集会の中止などを決定し、韓国全土に非常戒厳令が布かれた。「十月維新革命」とも言う(21世紀日本には、大阪発の「維新」が居るなあ)。 政治活動が禁止され政党が廃止されるという戒厳令の中で「統一主体国民会議」が構成され、朴正煕は「我が民族の至上課題である祖国の平和的統一」のために 「私たちの政治体制を改革する」と宣言し、強制的に改憲が行なわれた。10月27日議決、11月21日国民投票で確定。12月27日発布。「維新憲法」という。 そのとき海外にいた金大中は韓国に帰れば殺されると判断し帰国を断念。日本やアメリカの実力者と会見をしたり、海外在住の同胞達に講演したりして、韓国の民主主義と自由選挙を求める運動を行っていた。 翌1973年、8月8日いわゆる「金大中事件」( http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E5%A4%A7%E4%B8%AD%E4%BA%8B%E4%BB%B6 )が日本で起きている。 後年、韓国政府・日本の警察庁がともにKCIAの犯行だと認めている。 韓国では、その後、1979年10月26日に朴正煕が側近に暗殺され、崔圭夏大統領権限代行就任から12月6日統一主体国民会議で同氏第十代大統領に選出。79年12月~80年1月までの軍内部の乱(粛軍クーデター)、ソウルの春と呼ばれ全国に拡大した民主化要求、同5月17日全斗煥らのクーデタ-(非常戒厳令拡大措置、金泳三・金大中・金鍾泌ら逮捕)、5月18日光州市で民主化要求市民決起(光州事件)、軍の過剰鎮圧、へと向かう。8月、崔圭夏大統領辞任、9月1日、全斗煥、第十一代大統領に。
現在ある統治制度・統治機構・憲法や法体系では、自分たちの統治・支配が思うように出来ない、不都合がある、だから強権的に支配者・政権側が「上」から議会や法や機構を変更し、権限強化の「超法規」的処置を実行する。それが、逆クーデターなら、次の例はどうだろう? ブッシュ・チェイニー・ラムズフェルドが推進した、「ガサネタ」で「大量破壊兵器はある」と米議会・国連騙しを遂げ、イラクへの攻撃を正当化した一種の「超法規」処置体制はどうなのか? 政権・米議会・国連の乗っ取り行動なのだが・・・。 これもカタチは違え逆クーデターの変形だ。戦争したい、先制攻撃の名分は捏造する、国民は「敵に付くのか?民主主義防衛の側に付くのか?」と迫れば付いてくるさ、と多くの反対・国際査察団の忠告を無視して走ったイラク戦争開始への無法の行いは逆クーデターだろう。 (このネオコン政権の余りのデタラメに、激怒した軍部の某将軍・某司令官らによるクーデターが実行直前だったとの説あり。) (コリン・パウエル元国務長官は「人生最大の恥」とのコメントまで付けた「誤情報告白」を正規の公聴会でしている) ところで自民改憲案、その改憲の内容に入る以前に96条からという裏技で攻める攻撃。国会議決のハードルを下げる、すなわち可決水準を一般法と同等にする。これは、立憲主義の否定。憲政の根幹の変更だ。 改憲の中身は「憲法三大原則」(基本的人権の尊重、国民主権、戦争放棄)の根本変更=解体なのだ。 ゆえに、逆クーデターではないのか。
日本国憲法 第九十七条: この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、 過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。
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国民栄誉賞と背番号96
背番号3氏は、愛すべきキャラクターの国民的スターだったが、 背番号96氏はいただけない。
国民的に人気は高いが、遠の昔に引退した長島茂雄氏と日米野球界で活躍し引退した松井氏を引きずり出しての「国民栄誉賞」授与という、ややピンボケの、これまでの授与とは異質な儀式が去る5月5日:東京ドームであった。 授与式の後、投手松井・打者長島・捕手巨人監督原の「始球式」形式のパフォーマンスがあり、そこに登場した安倍首相は何と96番の背番号を付けてアンパイア役をしたという。 「改憲は、96条から行くぞ」との決意表明だとネットにあった。国民栄誉賞は元々が歴代政権の「恣意的な」人気取り政策的面があったが、96番を付けるとはこの賞利用の魂胆を示して正直だとネットは言うが・・・。 いや私は第96代首相でして・・・との言い訳も準備しているそうな。悪乗りの類だ
ところで、安倍首相の盟友にして、ある面で自民党の上を行くとも言える某政党の綱領から・・・。 どう読むかは各自の歴史観・世界観・思考の世界性によるので、好きに読むしかないかな。 『日本を孤立と軽蔑の対象に貶め、絶対平和という非現実的な共同幻想を押し付けた元凶である占領憲法を大幅に改正し、国家、民族を真の自立に導き、国家を蘇生させる』(「日本維新の会」綱領) えっ? 現行憲法ゆえに孤立しているというのは何時のどの案件を指しているのか? 現行憲法ゆえに軽蔑されているというのは、いったい何処の誰から、どのように? そういう捉え方こそが「幻想」だろうが・・・! かつて近隣諸国の主権を奪った者が後世にそれを伝える責務を放棄し、又、植民地として扱って来た一部地域の施政権を戦勝国に売り渡し(今なお全く同じ扱いを続け)たその日を、自国の「(擬制)主権回復の日」として祝うという神経。 その神経と歴史認識こそが、「孤立」を呼び込み「軽蔑」の対象となるのだとぼくは考えている。
2012年12月、安倍首相街頭演説
我らと日本国憲法、共に1947年生まれだ。 死ねまへん!
自民党・維新の会・みんなの党が進める、「まず、96条から」は手続論か? そうではなく「国のカタチ」総体変更への入口だ。 両院で2/3以上で議決というハードルは異常か? 否! 米・英・独・仏・伊・韓を見よ。いずれも2/3に準ずる要件を課しているぞ! 狙いは9条だけか? そうではなくすでに雇用・労政・教育・教育などの領域で、実質改憲を推し進めている者どもの、「憲法三大原則」={基本的人権の尊重、国民主権、戦争放棄}解体の総仕上げ=公式放棄なのだ。 9条を含む総体変更・戦後民主主義の全面解体なのだ。「戦争」をできる国へ、天皇を元首とする民主主義否定の国へ、民の抗い・闘いを根絶やしにする国へ・・・・。それが「自民党草案」に堂々と書かれている中身だ。
現行憲法(青)と比較しながら、自民党草案(赤)が如何に「国のカタチ」変更・「憲法三大原則」解体への道であるか、あらためて見ておきたい。 第一条: 【現行】天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく。 【自民草案】天皇は、日本国の元首であり、日本国及び日本国民の象徴であって、その地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく。
第三条: 【自民草案】国旗は日章旗とし、国歌は君が代とする。
第九条一項: 【現行】日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。 【自民草案】******最終行を変更********、国際紛争を解決する手段としては用いない。(注:決意の削除)
第九条二項: 【現行】前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。 【自民草案】前項の規定は、自衛権の発動を妨げるものではない。(注:集団的自衛権、米他同盟国の戦争への参加を想定)
第九条の二:(注:九条二項の削除に代わって新設) 【自民草案】 ①我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全を確保するため、内閣総理大臣を最高指揮官とする国防軍を保持する。
②国防軍は、前項の規定による任務を遂行する際は、法律の定めるところにより、国会の承認その他の統制に服する。
③ 国防軍は、第一項に規定する任務を遂行するための活動のほか、法律の定めるところにより、国際社会の平和と安全を確保するために国際的に協調して行われる活動及び公の秩序を維持し、又は国民の生命若しくは自由を守るための活動を行うことができる。
④ 前二項に定めるもののほか、国防軍の組織、統制及び機密の保持に関する事項は、法律で定める。
⑤ 国防軍に属する軍人その他の公務員がその職務の実施に伴う罪又は国防軍の機密に関する罪を犯した場合の裁判を行うため、法律の定めるところにより、国防軍に審判所を置く。この場合においては、被告人が裁判所へ上訴する権利は、保障されなければならない。 (注:その他の公務員{例えば国家公務員・府職員・教師} は国防軍の軍法会議で裁かれるのだ)
第九条の三:(注:総動員体制ですな) 【自民草案】国は、主権と独立を守るため、国民と協力して、領土、領海及び領空を保全し、その資源を確保しなければならない。
第十一条: 【現行】国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。 【自民草案】国民は、全ての基本的人権を享有する。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利である。 (注:「妨げられない」を削除している。)
第十二条: 【現行】この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。 【自民草案】この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力により、保持されなければならない。国民は、これを濫用してはならず、自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚し、常に公益及び公の秩序に反してはならない。
第十三条: 【現行】すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。 【自民草案】全て国民は、人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公益及び公の秩序に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大限に尊重されなければならない。 (注:十二、十三ともに公益・秩序というが、誰が決めるのか? 為政者が決めたその公益・秩序に反していれば尊重しないと言っている。)
第十九条: 【現行】思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。 【自民草案】思想及び良心の自由は、保障する。 (注:「侵してはならない」という為政者への強い縛り感の削除)
第二十条: 【現行】信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。 【自民草案】信教の自由は、保障する。国は、いかなる宗教団体に対しても、特権を与えてはならない。
② 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
③ 国及び地方自治体その他の公共団体は、特定の宗教のための教育その他の宗教的活動をしてはならない。ただし、社会的儀礼又は習俗的行為の範囲を超えないものについては、この限りでない。
第二十一条: 【現行】集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。 【自民草案】集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、保障する。
② 前項の規定にかかわらず、公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い、並びにそれを目的として結社をすることは、認められない。 (注:「公益及び公の秩序を害する」ことを目的としていると為政者が認定した結社には、集会・結社・言論・出版その他一切の表現の自由を認めない、と言っている。そこでは、反原発デモ・イラク戦争参加反対デモ・辺野古移転阻止行動などあらゆる抗議運動・表現が、「公益及び公の秩序を害する」の一点で「認められない」のだ)
第二十八条: 【現行】勤労者の団結する権利及び団体交渉その他の団体行動をする権利は、これを保障する。 【自民草案】勤労者の団結する権利及び団体交渉その他の団体行動をする権利は、保障する。
② 公務員については、全体の奉仕者であることに鑑み、法律の定めるところにより、前項に規定する権利の全部又は一部を制限することができる。この場合においては、公務員の勤労条件を改善するため、必要な措置が講じられなければならない。
第六十六条二項: 【現行】内閣総理大臣その他の国務大臣は、文民でなければならない。 【自民草案】内閣総理大臣及び全ての国務大臣は、現役の軍人であってはならない。 (注:元軍人OKと言っている。文民統制の空洞化)
第九十六条: 【現行】この憲法の改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする。 ②憲法改正について前項の承認を経たときは、天皇は、国民の名で、この憲法と一体を成すものとして、直ちにこれを公布する。 第百条: 【自民草案】 この憲法の改正は、衆議院又は参議院の議員の発議により、両議院のそれぞれの総議員の過半数の賛成で国会が議決し、国民に提案してその承認を得なければならない。この承認には、法律の定めるところにより行われる国民の投票において有効投票の過半数の賛成を必要とする。 (注:無効投票を量産し投票率50%を作り出せば、有権者の25%越で可決となる) ②憲法改正について前項の承認を経たときは、天皇は、直ちに憲法改正を公布する。 (注:「国民の名で」が消えている。)
第九十七条: 【現行】この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。 【自民草案】全文削除
九十九条: 【現行】天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。 第百二条: 【自民草案】全て国民は、この憲法を尊重しなければならない。 ②国会議員、国務大臣、裁判官その他の公務員は、この憲法を擁護する義務を負う。 (注:憲法擁護義務の主体が、為政者と公務員から国民へと変更され、かつ天皇又は摂政という文言が削除されている。第一条で元首となっていることと符号するが、天皇は憲法の上に在るとしている。憲法が、国家と法を「縛る」最高法規であるという「立憲主義」の正面からの解体である。)
かつて国民を戦争へと煽った大新聞・テレビ等は、ここでも再び口を閉ざし、遠慮がちに「9条」だけを言っている。そうではなく「憲法三大原則」=基本的人権の尊重、国民主権、戦争放棄、その解体、国のカタチの総変更が着々と進んでいるとは、何故か言わない。 岸信介の孫、安倍は「押し付けられた」史観DNAに基づき行け行けドンドンと走っている。事態は戦後そのものの否定とマスコミの協力の下、「改憲レース」第四コーナーを回っているのか? ジョン・ダワーは言っている(『敗北を抱きしめて』2001年、岩波書店)。 『押し付けたとすれば、日本国民とGHQ左派の「短期同盟」が、旧勢力に押し付けたのだ』と。 なるほど、今日の改憲勢力にとっては「押し付けられた」のだ。そういう者どもに「改憲」を「押し付け」られてたまるか!
ウチナー と ヤマトゥ の 4・28
昨日(4・27)の知花昌一講演会(クレオ大阪北)で、氏は「私もついに『沖縄独立論』に立たざるを得ません」と語っておられた。 容易く「独立」を語る安逸さを排し、耐えて禁句を封印し、「沖-日連邦論」的可能性に生きて来た知花さん。 その彼にして切らざるを得なかった舵・・・。再び、三たび、四たびの「沖縄植民地」認識に基づく発言・政策・現実・・・。【添付画像は「琉球新報」】 戦争末期、1945年6月下旬、昭和天皇は当月初め御前会議で決定された「徹底抗戦」方針の軌道修正に乗り出し、連合国との和平交渉へ踏み出すこととなった。その際「和平交渉の要綱」の「条件」の項で、『国土に就いては、止むを得ざれば固有本土を以て満足す』とあり、固有本土の解釈は「最下限沖縄、小笠原、樺太を捨て」と説明されている。つまり、沖縄は日本の「固有本土」ではなく、和平の条件として連合国側に捨てられるものと位置付けられていたのだ。 敗戦後の1947年9月19日。
新憲法の施行から、わずか4か月余りのときに、“象徴”であるはずの天皇は、マッカーサーに「米軍による沖縄の半永久的な軍事占領を勧める」という秘密メッセージを送っている。 日本国憲法の効力及ばない地域にとって、分割米軍統治を決めたサンフランシスコ講和条約・1952年4月28日とは、何の日なのか?
追悼・三國連太郎さん(享年90歳)
2013年04月14日午前9時18分、三國連太郎さんがご逝去されました。 少し長いのですが、哀悼の意を込めて1999年の毎日の記事を全文転記させていただきました。
追悼・徴兵忌避の信念を貫いた三國連太郎さん:(毎日新聞:特集ワイド「この人と」1999年8月掲載)
徴兵を忌避して逃げたものの、見つかって連れ戻され、中国戦線へ。しかし人は殺したくない。知恵を絞って前線から遠のき、一発も銃を撃つことなく帰ってきた兵士がいる。俳優・三國連太郎さんは、息苦しかったあの時代でも、ひょうひょうと己を貫いた。終戦記念日を前に、戦中戦後を振り返ってもらった。【山本紀子】
▼暴力や人の勇気が生理的に嫌いでした。子供のころ、けんかしてよく殴られたが、仕返ししようとは思わない。競争するのもいや。旧制中学で入っていた柔道部や水泳部でも、練習では強いのに、本番となると震えがきてしまう。全く試合にならない。それから選抜競技に出るのをやめました。
−−どうやって徴兵忌避を?
▼徴兵検査を受けさせられ、甲種合格になってしまった。入隊通知がきて「どうしよう」と悩みました。中学校の時に、家出して朝鮮半島から中国大陸に渡って、駅弁売りなどをしながら生きていたことがある。「外地にいけばなんとかなる」と思って、九州の港に向かったのです。ところが途中で、実家に出した手紙があだとなって捕まってしまったのです。
「心配しているかもしれませんが、自分は無事です」という文面です。岡山あたりで出したと思う。たぶん投かんスタンプから居場所がわかったのでしょう。佐賀県の唐津で特高らしき人に尾行され、つれ戻されてしまいました。
−−家族が通報した、ということでしょうか。
▼母あての手紙でした。でも母を責める気にはなれません。徴兵忌避をした家は、ひどく白い目で見られる。村八分にされる。おそらく、逃げている当事者よりつらいはず。たとえいやでも、我が子を送り出さざるを得なかった。戦中の女はつらかったと思います。
◇牢に入れられるより、人を殺すのがいやだった
−−兵役を逃れると「非国民」とされ、どんな罰があるかわからない。大変な決意でしたね。
▼徴兵を逃れ、牢獄(ろうごく)に入れられても、いつか出てこられるだろうと思っていました。それよりも、鉄砲を撃ってかかわりのない人を殺すのがいやでした。もともと楽観的ではあるけれど、(徴兵忌避を)平然とやってしまったのですね。人を殺せば自分も殺されるという恐怖感があった。
−−いやいや入ったという軍隊生活はどうでした?
▼よく殴られました。突然、非常呼集がかかって、背の高い順から並ばされる。ところが僕は動作が遅くて、いつも遅れてしまう。殴られすぎてじきに快感になるくらい。演習に出ると、鉄砲をかついで行軍します。勇ましい歌を絶唱しながら駆け足したり、それはいやなものです。背が高いので大きな砲身をかつがされました。腰が痛くなってしまって。そこで仮病を装ったんです。
−−どんなふうに?
▼毛布で体温計の水銀の部分をこすると、温度が上がるでしょう。38度ぐらいまでになる。当時、医者が足りなくて前線には獣医が勤務していました。だからだまされてしまう。療養の命令をもらって休んだ。また原隊復帰しなくてはいけない時に、偶然救われたのです。兵たん基地のあった漢口(今の湖北省武漢市)に、アルコール工場を経営している日本人社長がいた。軍に力をもっていたその社長さんが僕を「貸してほしい」と軍に頼んだのです。僕はかつて放浪生活をしていた時、特許局から出ている本を読んで、醸造のための化学式をなぜか暗記していました。軍から出向してその工場に住み込み、1年数カ月の間、手伝いをしていた。そうして終戦になり一発も銃を撃たずにすんだのです。
−−毛布で体温計をこするとは、原始的な方法ですね。
▼もっとすごい人もいました。そのへんを走っているネズミのしっぽをつかまえてぶらぶらさせたかと思うと、食べてしまう。「気が狂っている」と病院に入れられましたが、今ではその人、社長さんですから。
−−前線から逃げるため、死にもの狂いだったのですね。
▼出身中学からいまだに名簿が届きますが、僕に勉強を教えてくれた優しい生徒も戦死していて……。僕は助かった命を大切にしたいと思う。そう考えるのは非国民でしょうか。
−−三國さんのお父様も、軍隊の経験があるそうですね。
▼はい。シベリアに志願して出征しました。うちは代々、棺おけ作りの職人をしていました。でも差別があってそこから抜け出ることができない。別の職業につくには、軍隊に志願しなくてはならない。子供ができて生活を安定させるため、やらざるを得なかったのでしょう。出征した印となる軍人記章を、おやじはなぜだか天井裏に置いていた。小さいころ僕はよく、こっそり取り出してながめていました。
−−なぜ天井裏に置いていたのでしょう。
▼権力に抵抗する人でしたからね。いつだったか下田の家の近くの鉱山で、大規模なストがあって、労働運動のリーダーみたいな人を警察がひっこ抜いていったのです。おやじはつかまりそうな人を倉庫にかくまっていた。おふくろはその人たちのために小さなおむすびを作っていました。またいつだったか、気に入らないことがあったのでしょう、おやじは駐在所の電気を切ったりしていた。頑固で曲がったことの嫌いな人でした。
−−シベリアから帰ってから、どんな職業に?
▼架線工事をする電気職人になりました。お弟子さんもできた。おやじは、太平洋戦争で弟子が出征する時、決して見送らなかった。普通は日の丸を振って、みんなでバンザイするんですが。ぼくの時も、ただ家の中でさよならしただけ。でも「必ず生きて帰ってこい」といっていました。
−−反骨の方ですね。
▼自分になかった学歴を息子につけようと必死でした。僕がいい中学に合格した時はとても喜んでいた。ところが僕が授業をさぼり、家出して、金を作るため、たんすの着物を売り払ったりしたから、すっかり怒ってしまって。ペンチで頭を殴りつけられたり、火バシを太ももに刺されたりしました。今でも傷跡が残っています。15歳ぐらいで勘当され、それから一緒に暮らしたことはありません。
−−終戦後はどんな生活を?
▼食料不足でよく米が盗まれ、復員兵が疑われました。台所まで警察官が入って捜しにくる。一方で、今まで鬼畜米英とみていたアメリカ人にチョコレートをねだっている。みんなころっと変わる。国家というのは虚構のもとに存在するんですね。君が代の君だって、もっと不特定多数の君なのではないか。それを無視して祖国愛を持て、といわれてもね。
−−これからどんな映画を作りたいと思いますか。
▼日本の民族史みたいなものを作りたい。時代は戦中戦後。象徴的なのは沖縄だと思います。でも戦いそのものは描きたくない。その時代を生きた人間をとりまく環境のようなものを描こうと思う。アメリカの戦争映画も見ますが、あれは戦意高揚のためあるような気がします。反戦の旗を振っているようにみえて、勇気を奮い起こそうと呼びかけている。
◇国家とは不条理なものだ
三國さんは名前を表記する時、必ず旧字の「國」を用いる。「国」は王様の「王」の字が使われているのがいやだ、という。「国というものの秘密が、そこにあるような気がして」
「国家というのは、とても不条理なものだと思う」と三國さんはいう。確かにいつも、国にほんろうされてきた。代々続いた身分差別からすべてが始まっている。棺おけ作りの職業にとめおかれていた父親は、全く本意ではなかったろうが、シベリア出兵に志願して国のために戦った。そうして初めて、違う職業につくことを許された。この父との確執が、三國さんの人生を方向づけていく。
学歴で苦労した父は、息子がいい学校に入ることを望んだ。しかし期待の長男・連太郎さんは地元の名門中学に合格したまではよかったが、すぐドロップアウトしていく。三國さんは「優秀な家庭の優秀な子供がいて、その中に交じっているのがいやだった。自信がなかった」という。
時代も悪かった。中学には配属将校といわれる職業軍人がいた。ゲートルを巻いての登校を義務づけられ、軍事教練もあった。
学校も家も息苦しい。だから家出した。中学2年のことだ。東京で、デパートの売り子と仲良くなって泊めてもらったこともある。中学は中退してしまう。父は激怒した。中国の放浪から帰ってきた時、勘当された。家の近くのほら穴で「物もらいと一緒に寝起きした」という。道ですれ違おうものなら、父は鬼のような形相で追いかけてきた。
その後、三國さんが試みた徴兵忌避は、不条理な国に対する最大の抵抗だった。後ろめたさはない。圧倒的多数が軍国主義に巻き込まれていく中、染まらずにすんだのは、「殺したくない」という素朴な願いを持ち続けたためである。
「国とは何なのか、死ぬまでに認識したい。今はまだわからないが、いつもそれを頭に置いて芝居を作っている」と三國さんは話している。
沖縄タイムス社説 主権回復の日?
社説[政府式典と天皇]政治利用の疑いが強い
サンフランシスコ講和条約が発効した4月28日に、政府主催で開かれる「主権回復・国際社会復帰を記念する式典」には、根本的な疑問がつきまとう。
はっきり言ってこの式典は政府主催の行事にはなじまない。安倍政権は自らの勇み足を認め、政府式典を取りやめたほうがいい。そもそも天皇・皇后両陛下は、式典出席を望んでいるのだろうか。あえて推測すれば、とてもそのようには思えない。
昭和天皇は戦後、全国各地を巡幸し、戦後巡幸が一段落した後も、国体や全国植樹祭などの行事に出席するため各県を訪問した。だが、激しい地上戦の舞台となり米軍政下に置かれた沖縄には、戦後、一度も足を運んでいない。
1975年初訪米の際、「米国より先に沖縄にいくことはできないか」との意向を周辺に漏らしたといわれるが、沖縄に反対論が根強く、実現しなかった。
87年に開かれた第42回国民体育大会(海邦国体)への出席も、病気のため急きょ取りやめになった。戦争責任の問題も、米国による沖縄の長期占領を進言した「天皇メッセージ」の問題も、ついに本人の口から語られることはなかった。昭和天皇の晩年の歌が残っている。
「思はざる病となりぬ 沖縄をたづねて果たさむ つとめありしを」
現在の天皇の沖縄訪問は、皇太子時代を含めると、すでに9回。昭和天皇が果たせなかった「つとめ」を自分なりに意識して果たそうとしているようにも見える。
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昨年12月、79歳の誕生日に際して記者会見し、沖縄についてこう語っている。
「沖縄はいろいろな問題で苦労が多いことと察しています。その苦労があるだけに、日本全体の人が皆で沖縄の人々の苦労している面を考えていくことが大事ではないかと思っています」
この言葉を、足し算も引き算もせず、字義通り解釈したい。記者会見では「沖縄の人々の被った災難というものは、日本人全員で分かち合うということが大切」だとも語ったという。
「4・28」式典への出席は、政治利用の疑いが濃厚だ。
安倍政権から式典出席を要請され、「国民統合の象徴」である天皇は、あっちたてればこっちたたず、の状況に追い込まれている。
今回の式典開催は、自分の歴史認識を強硬に押し通そうとする安倍晋三首相の「イデオロギー過多政治」の典型である。
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自民党は以前、4・28を「主権回復記念日」にするための国民の祝日法改正案を国会に提出したことがある。今回の政府主催の式典は、その流れの延長にある。
だが、沖縄にとって4・28は真逆の日だ。立法院は62年2月、「施政権返還に関する要請決議」を全会一致で採択した。国連の「植民地解放宣言」を引用しながら、沖縄分離を「正義と平和の精神にもとり」「国連憲章に反する」と厳しく批判している。