逆クーデター、改憲、維新・・・その事態には共通する言葉が出てきますね。

安倍自民党の改憲への暴走は「まるでクーデターだ」と言われている。                                                                         通常のルールを一挙的に改変し、それまでの政権の権能範囲や国家の運営方法を                                  根本的に変えたい行動という意味でその通りだと思う。                                                                                                                                                      反政府勢力などによるクーデターと違い、政権に在る者が、より強大な権力を目指して行うような場合、                                                                                          通常のクーデターと区別して「逆クーデター」とか「自己クーデター」と呼ぶらしい。

歴史上有名な逆クーデターに、1851年のシャルル・ルイ=ナポレオン・ボナパルト(ルイ・ナポレオンと略されている。ナポレオン・ボナパルトの弟の三男、つまりナポレオンの甥))によるクーデターがある。                                                             1848年革命で、ルイ・フィリップの7月王政が倒れ、第二共和制が樹立されると、ルイ・ナポレオンはフランスへ帰国。大統領選挙に出馬。                                                                                                                                                                                                                    それまでボナパルト家の帝政復活を夢見て国外から発し続けたあれこれの策動(労働者階級の保護を主張し、貧困層にアピールした1844年の著作『貧困の根絶』は有名)の効果と、ナポレオンという圧倒的知名度によって、圧勝する。                                                                                                                                                                                                             この第二共和制は国民議会の力が強く大統領権限は比較的に弱かった。ルイ・ナポレオンにとっては「決められない政治」であり、議会に主導権を奪われ続けた名誉職的大統領であったらしい。                                                                                                                                                                          1851年、国民議会の解散、大統領権限を大幅に強化した「新憲法」制定などを強行して独裁体制を樹立。翌1852年には国民投票を経て皇帝に即位し、第二帝政を宣言、「ナポレオン三世」を名乗った。この一連の政変を一般に「ルイ・ナポレオンのクーデター」と言うらしい。                                                                                         ナポレオン三世は1870年、普仏戦争に突き進み、自ら捕虜となり、70年末からのプロイセンによるパリ包囲下、71年1月、フランス降伏。1871年3月パリ・コミューンが成立。

 

近隣・近年では、韓国第五代(~九代)大統領朴正熙(パク・チョンヒ)による1972年の「十月維新」も逆クーデターだと思う。                                                                                                  1971年の大統領選挙に金大中が新民党(当時)の正式候補として立候補したが、民主共和党(当時)の候補・朴正煕現役大統領(当時)にわずか97万票差で敗れた。朴正煕は辛くも勝利(実は金大中が勝っていたと言われている)したが、民主主義回復を求める金大中と背後の世論に危機感を覚えていた。                                                                                                                                                                                                                   (そんなさなかの大統領選直後、大型トラックが金大中の車に突っ込み、3人が死亡。金大中は腰と股関節の障害を負った。後に韓国政府はKCIAが行った交通事故を装った暗殺工作であったことを認めている。)                                                                                                                       1972年10月17日、突然大統領特別宣言が発せられ、国会の解散・政党の廃止・政治集会の中止などを決定し、韓国全土に非常戒厳令が布かれた。「十月維新革命」とも言う(21世紀日本には、大阪発の「維新」が居るなあ)。                                                                                                                                            政治活動が禁止され政党が廃止されるという戒厳令の中で「統一主体国民会議」が構成され、朴正煕は「我が民族の至上課題である祖国の平和的統一」のために 「私たちの政治体制を改革する」と宣言し、強制的に改憲が行なわれた。10月27日議決、11月21日国民投票で確定。12月27日発布。「維新憲法」という。                                                                                                                                                             そのとき海外にいた金大中は韓国に帰れば殺されると判断し帰国を断念。日本やアメリカの実力者と会見をしたり、海外在住の同胞達に講演したりして、韓国の民主主義と自由選挙を求める運動を行っていた。                                                           翌1973年、8月8日いわゆる「金大中事件」( http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E5%A4%A7%E4%B8%AD%E4%BA%8B%E4%BB%B6 )が日本で起きている。                                                                                                                                                                                                                                                     後年、韓国政府・日本の警察庁がともにKCIAの犯行だと認めている。                                                                                                                                                                                                                   韓国では、その後、1979年10月26日に朴正煕が側近に暗殺され、崔圭夏大統領権限代行就任から12月6日統一主体国民会議で同氏第十代大統領に選出。79年12月~80年1月までの軍内部の乱(粛軍クーデター)、ソウルの春と呼ばれ全国に拡大した民主化要求、同5月17日全斗煥らのクーデタ-(非常戒厳令拡大措置、金泳三・金大中・金鍾泌ら逮捕)、5月18日光州市で民主化要求市民決起(光州事件)、軍の過剰鎮圧、へと向かう。8月、崔圭夏大統領辞任、9月1日、全斗煥、第十一代大統領に。

現在ある統治制度・統治機構・憲法や法体系では、自分たちの統治・支配が思うように出来ない、不都合がある、だから強権的に支配者・政権側が「上」から議会や法や機構を変更し、権限強化の「超法規」的処置を実行する。それが、逆クーデターなら、次の例はどうだろう?                                                                                                                                 ブッシュ・チェイニー・ラムズフェルドが推進した、「ガサネタ」で「大量破壊兵器はある」と米議会・国連騙しを遂げ、イラクへの攻撃を正当化した一種の「超法規」処置体制はどうなのか? 政権・米議会・国連の乗っ取り行動なのだが・・・。                                                                                                                                                                                                                                                   これもカタチは違え逆クーデターの変形だ。戦争したい、先制攻撃の名分は捏造する、国民は「敵に付くのか?民主主義防衛の側に付くのか?」と迫れば付いてくるさ、と多くの反対・国際査察団の忠告を無視して走ったイラク戦争開始への無法の行いは逆クーデターだろう。                                                                                                                      (このネオコン政権の余りのデタラメに、激怒した軍部の某将軍・某司令官らによるクーデターが実行直前だったとの説あり。)                                                                                                                                                                                                                                          (コリン・パウエル元国務長官は「人生最大の恥」とのコメントまで付けた「誤情報告白」を正規の公聴会でしている)                                                                                                        ところで自民改憲案、その改憲の内容に入る以前に96条からという裏技で攻める攻撃。国会議決のハードルを下げる、すなわち可決水準を一般法と同等にする。これは、立憲主義の否定。憲政の根幹の変更だ。                                                                        改憲の中身は「憲法三大原則」(基本的人権の尊重、国民主権、戦争放棄)の根本変更=解体なのだ。                                                                                                                                                                  ゆえに、逆クーデターではないのか。

日本国憲法 第九十七条:                                                                                                       この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、                                                                                                                                           過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。

 

 

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