Archive for 4月, 2019

交遊録 宮沢賢治『慟哭と愛と祈り~』

NHK Eテレ、今夜観ました。知らなかった賢治の苦悩の一端を観ました。
「風の又三郎」「銀河鉄道の夜」などの代表作誕生の背景に、一人の男性との深い交流(片恋)が明らかになる。
「修羅」・・・邪(よこしま)の心???との自裁認識。
残された賢治の手紙、ノート、資料を改めて読み解き、新たな宮沢賢治像・苦悩を浮き彫りにする意欲的なドキュメンタリー作品。

http://www.tvu.co.jp/program/2018_miyazawakenji/?fbclid=IwAR1ppJZ8H6tnhr2QRE9hz0BQOzgFx_cJhkQIreE5JYr99Ld70BllqvVEpBk

2月14日(木)午前0時{13日水深夜24時}から再放送あります。

NHK BS4K「映像詩 宮沢賢治 銀河への旅 ~慟哭の愛と祈り~」

アジール空堀 「春を待つケルト音楽の夕べ』

2月2日(土)16:30開場 17:00開演 於:ビストロ ギャロ
『春を待つケルト音楽の夕べ』
参加25名様。

高野陽子さんの澄み切った声質とアイリッシュ楽器が心地よく、それがケルトの心なのかと痛覚した。当方ケルトを知らないのだが、文字を持たなかったと言われるケルトの文化継承の方法論に興味が湧き(アイヌしかり)。それだけ「人~人」の繋がりや共同性への、関係の儚なさへの、濃い想いや悲哀が在っただろうと・・・。
ケルト風メニュウと要請された店が、資料も無いなかアイリッシュ・シチュウなどで「風」を出してくれたが、まぁ美味しかったです。
高野さんが用意した各地に残るケルト遺跡のスライドに大いに惹かれ「ケルトを知りたい」と思った夜でした。
狭く窮屈な会場、硬い椅子、マイク不調・・・ご参加のみなさんスミマセン。陽子さんのナマ美声(かえって良かった)に免じて許して!


画像:
ラストまで残った面々・高野さん演奏+歌唱風景+スライド映写・懇親食事会・名残り尽きない店頭前(ン年振りの元上司さんとか)

歌遊泳 中島みゆき「ホーム」にて

26日(土)友人たちと呑んで深夜帰宅すると、こたつテーブルに「NHK SONGS 中島みゆき、録画しといたで。見いや!」とメモ。
じっくり拝視聴。

【ホームにて】
主人公は、いまで言えば、それこそ西原理恵子の漫画に登場するようなアラサーの女性ではないだろうか? 保育士(か美容師か看護師)を目指して短大に行ったのだが、父入院もあり中退した。事務員として中堅商社に勤めるも、経理能力などなく、元々の職業的希いもあり仕事に馴染めない。着飾って色恋の話に明け暮れ<寿>(?)退社で辞めていく同僚、いささか不器用で美人でもない「わたし」。女が職場に進出したとは言え、30年以上前、70年代末の中堅商社はなお「お飾り女性社員」「職場の華」「男性社員の妻予備軍」をこそ求めていたのだ。それが70年代末の大都会企業社会の「風土」だ。
<「わたし」の独白>
けれど、「わたし」に、制度とも言えるその風土を覆す「技能」も「智恵」もない。女の「キャリア」への願望は、その手前で70年代末の中堅商社のお茶くみ場で踏みつけられていた。
70年代末に(今はもっとそうだけど)、実家の援助なく女ひとり大都会:札幌で暮す、その困難が解りますか?
会社を辞めたのは、確かにアパートと自宅との往復しか出来ない経済的・人間関係的「貧困」も理由だし、永く病床に在った父が亡くなった家の事情も、いいかげんな男に多額を貸して返って来なかった失敗も大きなきっかけです。
けれど今の、昼のアルバイトと夜の接客業は自ら選んだ道です。男の裏表(いや裏ばかり)も人並みに知りはしました。そりゃ、OL時代より収入はうんと増えたし、大学へ通う弟に職業を隠して支援もしてやれる。
だけど、あの最終に乗らないと、このネオンライト輝く虚飾の街が、「わたし」の出てゆけない棲処となってしまうヨ。(21世紀。今、「単身」「派遣女性社員」の多くがこの界隈に生きている)。
来年必ずあの最終の汽車に乗って行き、不足単位を取って保育士になるんです。今度の春から中座していた大学、再開するんです。去年も一昨年も出来なくて、「ドアは閉まり」「手のひらに」は「空色のキップ」だけが残って溜まるけれど、それはこの夜の街のネオンライトでは燃やせやしないのよ。残ったキップを燃やせない間は、汽車にも乗れやしないのよ。
ハッキリして来たヨ。「ふるさと」は、後ろではなく前方向に在る。時間的には過去ではない。距離的には遠方ではない。

【マイみゆきベスト6】
彼女の人生、夜風の中から、ホームにて、世情、ファイト、あぶな坂、

中島みゆきは何者?
「とおいふるさとは」「落ちぶれた男の名を」「呼んでなどいないのが」「ここからは見える」(あぶな坂)
「ここ」は「どこ?」
若くしてこの歌詞をモノしたみゆきさんに脱帽!

交遊録  もうひとつの明治への・・・

1月26日、某会の世話役会があり、その前段で仲尾宏先生のお話『明治維新とは何であったのか』を聴講した。
明治初年前後に中江兆民が想い描いた「国家像」と、 江戸から明治への移行期の社会・指導者/民衆の精神風景、明治初年の論客や政治家が抱えていた国家観・世界観・人権観・他国観・近代化方法観などとのズレを聴いた。
「大政奉還」から「武力討幕」、「王政復古」→「神裁政治」→「廃藩置県」→「藩閥政府」の混迷を経て、文明開化/脱亜入欧/殖産興業/富国強兵のスローガンの下、欧米に伍すを目指し拡張覇権路線からアジア侵略へ向かった明治国家の力学・・・・。
明治日本が方向を決定し、その後肥大し続け「外に侵略・内に人民抑圧の体制」=「帝国」の道を走り続けた日本は、その瓦解時1945年以後において「国体護持」と「擬制民主主義」を柱とする戦後国家を続け、2019年を迎えている。この約150年の原初の起点時期に「もうひとつの明治」の萌芽はあり得たか?
江戸末期~明治初年の論客・知識人・政治家はワシらが知る通りの実歴史の明治を選択した。そこがボタンの掛け違いの始まりではある。
が、欧米の植民地となることへの恐怖・アジアの現状・遅れた工業化・労働者市民社会の未成熟など様々な条件下、彼らも市民社会も違う明治を構想・提示出来なかった(そりゃ一部には在ったのだが)。

先日『憲法9条・国民投票』という討論記録(自民改憲案支持・石破案支持・いわゆる護憲派・護憲的改憲派など14名の討論)の映画を観た。製作者から上映会をしては?と勧められてもいる。
「国民投票」を前提にした映画ではなく、憲法を考えることとは畢竟「国のカタチをどうするのか?」を巡る考察だ、と思い至る記録画像だ。
仲尾先生のお話を聴いて、この映画の上映会をもしするなら、江戸末期~明治初年の論客・知識人・政治家・いわゆる明治の元勲や渡航調査して近代立国へ急いだ面々の立脚点の「市民不在」「アジア強奪性」を見つめ、「アジア侵略始動」に「欧米と変わらぬではないか」と異を唱えた人々の気概と慧眼に想いを馳せつつ、9条論議・安倍懐憲阻止・憲法論議は明治初年と同じく『国のカタチをどうするのか?』を巡る課題だと考え取り組みたい、と考えた。
詐欺的手法であれ、現行憲法は安保法制を許したと指摘する声に「9条守れ」を超える立場を模索したい。

交遊録 「アジール空堀」初新聞記事

「アジール空堀」2019年1月の催し
「原一男監督講演会&『全身小説家』上映会」
ー虚構という名の<作家の真実>ー
を「大阪日日新聞」が取上げてくれました。原一男監督を取上げた記事で、当方は文中に主催団体名が出ているだけなんですが・・・。
「アジール空堀」の名が活字になったのは初めてで、ついついアップしました(笑)。

 

つぶやき 「妹の弔意」

【妹の弔意】
先々代・先代のネコたちが眠っている某所に、1月7日早朝亡くなった姉キキは埋葬されている。喪主(?)の妹ココを連れて参った。
その夜、ネコの写真で有名な岩合光昭さんのNHK番組『世界ネコ歩き』を観ていると、ココが画面のネコたちをじっと眺めている。やがて画面に亡くなったキキと同色同柄の茶トラが映ると、コタツの上に移動し陣取って画面に近づき動かずに凝視している。
しばらくして、その猫が移動してカメラに向かって来てアップになり、動作・雰囲気・顔の違いから明らかに別猫だと解かったのか、無言でコタツから降りて隣室へ去った。
その後ろ姿が醸し出す雰囲気は人のようだった。
人の いのち・死・記憶・・・様々なことを想った。

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アジール空堀 2019年1月14日 原一男『全身小説家』上映+講演

作品に登場する女性たちの井上光晴評も、「嘘つきみっちゃん」像も、「私こそが一番*されていた」という自負も、誰にでも似たような巧言を吐いていたんでしょという疑念も、ワシはある人物を思い出して、井上の天性のサービス精神・トレーナー根性の表れだと思えた。

エディ・タウンゼントというボクシング・トレーナーをご記憶か?
藤猛・カシアス内藤・海老原博幸・柴田国明・ガッツ石松・村田英治郎・赤井英和・友利正・井岡弘樹など世界チャンピオンや国内有名選手を手掛けた、伝説の名トレーナーだ。
鉄拳と竹刀に代表される日本的スポーツ指導に異を唱え、最初に来たリキジムで身を挺して根性論否定の指導法を認めさせた。日本のボクシングジムでは当たり前だった指導用の竹刀をジム内で見つけた時、「アレ捨ててよ。アレあったら僕教えないよ! 牛や馬みたいに叩かなくてもいいの! 言いたいこと言えば分かるんだよ!?」と発言したという。
誰よりも早くタオルを投げ入れるトレーナーと言われたのは、誰よりも諦めが早いからではなく「誰よりも選手の将来を諦めなったからだ」と言われている。「ハートのラブ」で選手を育成した。
ボクシング界を変えたとも言われる存在だ。
彼が育てた名だたる有名選手に「エディに最も愛されたボクサーは誰か?」と問えば、全員が揃って「もちろん僕こそが最も愛されたボクサーだ!」と答えるという。
皆にそう言わせるのは容易なことではないだろう。エディの言葉と行動が「誰よりも俺を理解し・俺の分身であり・俺の不遇/失意の時も俺に寄り添ってくれた」と相手に想わせる濃さと誠実に満ちていた証左だろう。

【エディの略歴】
弁護士であるアイルランド系アメリカ人の父と、山口県出身の日本人の母との間に、ハワイで生まれる。3歳の頃に母は病死してしまう。11歳からボクシングを始め、12勝無敗のハードパンチャーとして活躍。1932年にハワイのアマチュア・フェザー級チャンピオンになったが、大日本帝国海軍による真珠湾攻撃の前日に初めて敗北を喫した。戦争開始にともないジムが閉鎖されたこともあり、現役を引退し指導者に転身する。
1962年、力道山に招請されて来日。力道山が「日本からヘビー級のボクサーを」と創設したリキジムでトレーナーを務めるが、63年に力道山が暴漢に刺されて急死してしまい、その後は田辺ジム・船橋ジム・米倉ジム・金子ジムなど各ジムから招聘を受け、選手の育成指導を行い結果を出した。
ある時、ハワイ時代から旧知の仲だった日系三世のポール・タケシ・藤井(リングネーム:藤猛)が偶然訪れ、1967年に世界チャンピオンへと導いたことで注目される存在となる。以降、6人の世界チャンピオンと赤井英和、カシアス内藤らの名ボクサーを育てる。

【エディが遺した名言】
「勝った時は会長がリングで抱くの。負けたときは僕が抱くの。」
「試合に負けた時、本当の友達が分かります」

原一男『映画監督 浦山桐郎の肖像』『全身小説家』のもうひとつのテエマは「母」だ。
浦山は自分を産んで直後に他界した生母への尽きない「思慕」と、継母(生母の妹)への疑似「恋情」とその精神的根拠地を、作品と女性主人公像を通して繰り返し語ったように思う。
『全身小説家』では井上光晴の幼児期・少年期の虚経歴=生地・父の失踪蒸発・母の出奔・朝鮮人美少女との悲恋譚などから、実は離婚して他で再婚していた「母」への愛憎が、ワシは最も気になっている。
その井上への女性たちの反応から、選手に「僕こそが最も愛されたボクサーだ」と言わせた名トレーナー:エディ・タウンゼントを思い出したのだが、偶然か必然かエディは3歳で実母を亡くしている。
浦山-井上-エディ-原映画・・・を勝手に結びつけるのは、映画ファンの特権か・・・。
原+小林佐智子の上記ふたつの作品は、浦山桐郎にとって井上光晴にとって、「僕こそが最も愛されたボクサーだ」と言わせ得るような浦山愛・井上愛に満ちた名トレーナー振りだったのではないか?
対象への迫り方の、作り手側がある痛手を負うほどの覚悟を感じる比類なき密度は、個人を追うノンフィクションのひとつの姿を示してくれた。

つぶやき 『キキ:姉妹ネコのうちの姉 逝く』

【私事】
-年始の明暗事象-

年末から、世帯主殿は某ケーキ店クリスマスセール補助・某店「フレンチおせち」助手・某ケーキ店家事などで大阪~名古屋行き来して奮闘(?)し、ヨボヨボの居残り爺は独り歳末を超えてケーキ店へ合流、そこで温泉招待という望外のご褒美(?)にあずかり気を良くして、1月4日帰阪。

が、その不似合いな好事が災いしたのか1月6日(日)、前日も当日も元気にしていたキキ(姉妹猫の姉の方)が、夕刻寝ていたのだが、グッタリ頭を寝床の隅に押し付け始め様子がおかしい。夜になって胃の中のもの全部と言えるほど激しく嘔吐し、見る見る気力体力失せて行く。とうとう寝床から水飲み場に向かうにも、後ろ足がヨレヨレ状態で歩行困難どころか立つことならない。水が飲みたいのだろうと、器を差し出してやるのだが、水も飲めない。
あわてて掛かり付けのペット医院に電話するも正月休院or日曜休み。数カ所電話したがみなアウト! ネットで「北摂夜間緊急動物病院」(千里)というのを見つけ電話した。第一声「まだ息してますか?」との冷静なのだろう問いが、当方には何やら「宣告」のように聞こえる。
近所に住む息子の車を借りあわてて駆けつけ21:45に到着した。
各種検査の結果、異常は見られないという。ただ、腎臓機能がほとんど停止、リンゲル他の点滴は続けたが尿が出せない。その間も衰弱が進み、またたく間に「虫の息」状態となり、「何らかの毒素を摂取したようですね」。グァ~ン! 急性腎臓疾患・低カルシウム血症だそうで、今夜を乗り切るにも血液透析が必要で、それには20万かかるという。明日、掛かり付け院へ戻し、再度点滴するに針を固定して残し、一旦ご自宅へ戻られますか?(これは、宣告だ)。それにしても、ここまででもえらい金かかった。ワシの年金月額の半分以上や、明日からモヤシと切り干し大根や。
深夜2時帰宅し、先日購入したばかりの暖かいベッドに横たわったキキは、弱い息を続けていたが苦しんでいる風じゃなく(これがせめてもの救いだ)、午前3時過ぎ、世帯主とワシに抱きかかえられ声を掛けられながら、安らかに眠るように息を引き取った。
すすり上げている世帯主の傍らでワシは小林旭の『オロロン慕情』を黙唱していた。
『こんどは永い命をもら~い(オロロンバイ♪ オロロンバイ♪)、生まれておいで~よ』
(作詞作曲:遠藤実、歌唱:小林旭。『オロロン慕情』)

姉妹(キキ・ココ)では比較的元気で俊敏で活動的だった姉キキが、こんなに簡単にあっけなく逝ってしまうのかぁ~。キキ 享年1年8か月。ワシらが飼ったネコ史で、実に最短の生涯だった。合掌!

画像上:1月1日名古屋本山で某ケーキ店を営む長女一家+昨春茨城県へ移住し年末から来阪していて帰路ワシを名古屋まで送り届けた三男一家と店前で。
1月3日岐阜県関市「モネの池」にて孫(娘の子)と。神明温泉「湯元すぎ嶋」。
画像下:{キキの生涯}2017年、津山からやって来た頃。「かごの屋」に居た姉妹そっくりのぬいぐるみ。1歳で見せてくれた大ジャンプ。風呂場の高い窓枠から出入りするキキ。仲良しの妹ココと。大阪北部地震の際。北摂夜間緊急動物病院のカルテ。

交遊録 労働相談

友人が「労働問題」でワシに相談を持ってきた。
ワシの労組時代は1975~1998年で終わっているし、後半は所属労組(設立時55名)が会社の偽装破産に抗して闘った職場バリケード占拠闘争(1977年から5年間)のその渦中に採用した労組自主管理経営企業の代表取締役(何と頼りない)だったので適任とは言えないぞ、と断った。
が、同年代の高齢者悲哀の理不尽事情、我がことと思い話を聴いた。
けれども、上記労組時代と経営を我が非力による「破産」(1998年)で終えて以降は、同業企業に拾われ外食全国チェーンの施工や、同什器家具の中国生産で月一は上海出張(4年間)や、沖縄の友人事業のヘルプや、某社東京単身赴任(2006~2016年、末期は殆んど大阪滞在)など、まぁ生きることで筒一杯だった。
が、信頼する旧友Y 君に連絡を取り、彼の紹介で相談者に同行して画像の某ユニオンの事務所を訪ねた。
かつてのワシのような、カッカして性急で攻撃的な人物ではない、冷静なゆっくり話を聴くタイプの相談窓口のM氏が対応してくれた。
相談者の友人の氏名も案件の相談内容も、M氏のサジェスチョンや対策もここでは書けないが、いずれ形が定まれば了解を得て書くかもしれない。いま、言いたいのは別のことだ。

友人とM氏の会話を聞いていたワシは、労働運動が言いたい根本を何度も反芻していた。
労働者主権・職場の人権・産業民主主義・・・・・。そうだった、現象的な激烈さや無かったとは言えないワシら自身の過信、政治的下心の有無によらず存在した外部の「おだて」に勘違いした日々もあったが、目指したものは至ってシンプル、「労働組合を認めよ」「組合を企業運営の一方の主人公と認めよ」その攻防だった。暴力装置まで動員して組合破壊を試み、それに失敗した会社は「これで終わりだろ!」と会社そのものを破産させた(1977年)。
おっとどっこい、そうはいかんぞとばかりに、ワシらの労組の職場バリケード占拠(5年間)~労組自主管理経営が始まった(当初14名でスタート)。まぁ、毎月の金策に追われ続けた零細企業のオヤジを体験させてもらった次第。そのドタバタ劇を書けば、言い訳・泣き言・武勇伝(?)となるので割愛する。

先日、「労働組合つぶしの大弾圧を許さない12・8集会(関生反弾圧集会)」に参加して、しきりに遠くて遠くはない日々を振り返ったことです。ワシらが気楽に職場占拠できた時代と違い、財界・政権は「共謀罪」的破壊攻撃で臨んでいる。許してはならないと思う!

*画像は、先日12月8日の「関生反弾圧集会」。友人に同行した事務所。
ワシらの闘いの端緒となった1976年「ヨネミヤ58日間闘争」の新聞記事
その記録冊子『踏破』表紙。

アジール空堀 2018年忘年会

12月21日(金)『パギやん漫談ライブ パギ一代記』& 忘年懇親食事会
於:谷六 隆祥館書店多目的ホール & 空堀ビストロギャロ
【ライブ】
小学校期・中学高校期の悲哀と武勇伝(?)の一部を聞かせてもらった。ワシに刺さったのは、三人のバアちゃんという「家族」構成にへばり付く在日家族の物語だ。一家を挙げた共助の労苦と家族関係の「濃さ」は、それだけ在日家族が背負わねばならなかった社会的保障と市民権の「薄さ」の反映だ。そうやって生き抜いた家族の物語から、ワシはふと山田洋次が『家族』『故郷』『遥かなる山の呼び声』(通称「民子三部作」)や『息子』などで、そして是枝裕和が『そして父になる』『海街diary』『万引き家族』で繰り返し探しあぐねた、家族ということの血縁・家族・夫婦・親子の住民票的単位を超えた核心とは何なのか?という命題を想った。
山田が崩れゆく現代の家族を再構想するときその核は「民子」なのだと見当を付け、是枝の家族観が『海街』の三姉妹にとっての他者広瀬すずや『万引き家族』の松岡茉優に仮託する思念を是としながら、釈然としないのだった。
「民子」-山田にとっての頼みの綱の-以降の民子不在が、物語に重しとワシの腑に落ちる展望を与えてくれないのは、是枝の家族構想と主人公人物に臓に響く「醜さ」「邪心」「憎しみ」が見えないのは、何故なのかと感じて来た。  実際、民子が居ないその後の山田映画は衰えて観え、芯が失せたようで、コクのある銘店コーヒーとチェーン店コーヒーほどの落差があるとさえ思える。
それはたぶん家族が共有する社会的受難とそれとの闘いの欠落、言い換えれば今日的家族がひたすら「国家構成員としての正社員」と化して私的に生き、「非正規的」国民としての共同性に立つことのない時間に居るからではないか? 山田の民子はそこを半ば切開しかつ家族に活路を示した。
パギの話に控えめに登場したパギの母親、彼女がパギ一家の「民子」だったに違いないと勝手に想像して、次回以降の「一代記続編」に期待することとした。
【忘年会】
ギャロの在る空堀界隈に事務所を構える「ちんどん通信社:東西屋」の林幸治郎さんに、パギ漫談ライブの後の忘年会に「スペシャルゲスト」でちょこっと出てもらえませんか?と依頼した。「パギさんのなら喜んで」・・・、で登場となった。幸いパギの方も旧知の間柄で「いや~嬉しい」となり、当夜は「飛び入りゲスト」の出し物に乗ったパギやんが逆「飛び入り」というオマケ付となった。
参加者も大ノリで、環状線の大合唱。
歌い手他多芸な芸人にして著述家:趙博と学士ちんどん屋として全国に名を馳せる林幸治郎のコラボは「河原乞食」の王道を示して、まことに「アジール」に相応しいライブ第二弾となった。
参加者・演者・会場「隆祥館」・店「ギャロ」・主催者、五方善しのスペシャルな夜だった。

パギやん、林幸治郎さん、ジャ―ジ川口さん、ご参加者各位。ありがとうございました!

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