12月21日(金)『パギやん漫談ライブ パギ一代記』& 忘年懇親食事会
於:谷六 隆祥館書店多目的ホール & 空堀ビストロギャロ
【ライブ】
小学校期・中学高校期の悲哀と武勇伝(?)の一部を聞かせてもらった。ワシに刺さったのは、三人のバアちゃんという「家族」構成にへばり付く在日家族の物語だ。一家を挙げた共助の労苦と家族関係の「濃さ」は、それだけ在日家族が背負わねばならなかった社会的保障と市民権の「薄さ」の反映だ。そうやって生き抜いた家族の物語から、ワシはふと山田洋次が『家族』『故郷』『遥かなる山の呼び声』(通称「民子三部作」)や『息子』などで、そして是枝裕和が『そして父になる』『海街diary』『万引き家族』で繰り返し探しあぐねた、家族ということの血縁・家族・夫婦・親子の住民票的単位を超えた核心とは何なのか?という命題を想った。
山田が崩れゆく現代の家族を再構想するときその核は「民子」なのだと見当を付け、是枝の家族観が『海街』の三姉妹にとっての他者広瀬すずや『万引き家族』の松岡茉優に仮託する思念を是としながら、釈然としないのだった。
「民子」-山田にとっての頼みの綱の-以降の民子不在が、物語に重しとワシの腑に落ちる展望を与えてくれないのは、是枝の家族構想と主人公人物に臓に響く「醜さ」「邪心」「憎しみ」が見えないのは、何故なのかと感じて来た。  実際、民子が居ないその後の山田映画は衰えて観え、芯が失せたようで、コクのある銘店コーヒーとチェーン店コーヒーほどの落差があるとさえ思える。
それはたぶん家族が共有する社会的受難とそれとの闘いの欠落、言い換えれば今日的家族がひたすら「国家構成員としての正社員」と化して私的に生き、「非正規的」国民としての共同性に立つことのない時間に居るからではないか? 山田の民子はそこを半ば切開しかつ家族に活路を示した。
パギの話に控えめに登場したパギの母親、彼女がパギ一家の「民子」だったに違いないと勝手に想像して、次回以降の「一代記続編」に期待することとした。
【忘年会】
ギャロの在る空堀界隈に事務所を構える「ちんどん通信社:東西屋」の林幸治郎さんに、パギ漫談ライブの後の忘年会に「スペシャルゲスト」でちょこっと出てもらえませんか?と依頼した。「パギさんのなら喜んで」・・・、で登場となった。幸いパギの方も旧知の間柄で「いや~嬉しい」となり、当夜は「飛び入りゲスト」の出し物に乗ったパギやんが逆「飛び入り」というオマケ付となった。
参加者も大ノリで、環状線の大合唱。
歌い手他多芸な芸人にして著述家:趙博と学士ちんどん屋として全国に名を馳せる林幸治郎のコラボは「河原乞食」の王道を示して、まことに「アジール」に相応しいライブ第二弾となった。
参加者・演者・会場「隆祥館」・店「ギャロ」・主催者、五方善しのスペシャルな夜だった。

パギやん、林幸治郎さん、ジャ―ジ川口さん、ご参加者各位。ありがとうございました!