ちょっとコーヒー・タイム
【君は C.C. を知っているか?】

『サンダルの鼻緒切らして京三条 裸足が掴む かの浜の熱』

サンダルの緒を切らした川口真由美さんが、履物店を探して裸足でアスファルト路を歩く顛末がFBに投稿されていた。
裸足が似合う女優(1960~70年代のイタリア女優)クラウディア・カルディナーレを思い出し、返信したら「C.C. 知らないんです。調べますね」。そうか、うちの娘と同世代のはず、知らないわけだ。このC.C.さん、川口さんにちょっと似てるとも思うので、調べさせるのも申し訳なく下記にワシがまとめまっさ。
往年のイタリア映画への未練の情ですな。

【C.C.資料】(まとめbyワシ)
1950年代前半デビューのフランス女優ブリジッド・バルドーをB.B. (Brigitte Bardot)と呼んだのに対して、遅れること数年、1959年『刑事』ラストで「アモーレ・アモーレ・ミオ」のテーマ曲が流れる路上、逮捕され警察車で護送される愛人を追い続け走る女の役で、世に認められたイタリア女優クラウディア・カルディナーレをC.C. (Claudia Cardinale)と呼んだ。
(両者の年齢は4歳違いと聞いている)
いずれも戦後女優の枠を超えていた。B.B.が道徳や規範を超えたいフランス現代娘の、奔放さをやや退廃的に都会的に打ち出した女優だとしたら、C.C.は戦後間もない頃のイタリアン・ネオリアリズム映画群(戦後直後の『無防備都市』『戦火のかなた』『自転車泥棒』『揺れる大地』他)が変化を遂げる曲がり角に登場した、それらの映画の主人公たちの云わば「思想的」「階層的」な子弟を映し出す、野生派とか場末派と称された女優だった。
大雑把に言って(大雑把は嫌いなのだが)B.B.が中産階層子女の反逆を体現していたとしたら、C.C.は下層階層・労働者層子女の強(したた)かな庶民的な生命力を体現していた。
画面で素足だったかどうか記憶は曖昧だが、『刑事』のラストシーン、『鞄を持った女』の海辺のシーンは、ワシの中では素足でなければならないのだ(笑)。それほど素足が似合う女優さんだった。

代表作品:
『刑事』(1959年、ピエトロ・ジェルミ監督)
『若者のすべて』(1960年、ルキノ・ヴィスコンティ監督)
『鞄を持った女』(1961年、ワシの青春の一作です)。
『ビアンカ』(1961年、19世紀末フィレンツェの娼婦。相手役はベルモントだった)
『山猫』(1963年、ルキノ・ヴィスコンティ監督。ランカスターの渋さにKO)
『ブーベの恋人』(1963年、ブーベ役はジョージ・チャキリスだったな)

この後、ハリウッドに進出して多くの作品(「ピンクの豹」「サーカスの世界」「プロフェッショナル」「ウエスタン」他、)に出たが、ハリウッドはC.C.を消費され消えて行く女優の一人としてしか見ていなかった。登場人物的にも、役者的にも目ぼしいものはない。彼女にのみ責任が有るのではなく、イタリア映画界自体の斜陽化・衰退が進みイタリアン艶笑劇・ポルノまがい映画・エログロナンセンス物が続いた。イタリア映画よ どこに行った?という時代が続く。ハリウッドはヨーロッパ女優の多くを喰い尽くしたとも言える。
大リーグに進出したが、個性と能力を発揮できない野球選手と似ていなくもない。
ともあれ、戦後ヨーロッパ映画最後の女優さんのひとりだったと思う。
ワシのイチ押しの代表作は『鞄を持った女』。続いて『山猫』。