「アジール空堀」:2018年6月 ふたりのシュンちゃん『<憲法の空白>を撃つ』

6月24日(日) 14:00~ 於:谷町六丁目小劇場「ほっとすてんしょん」
仲岡しゅん・三浦俊一ダブル講演会
ふたりのシュンちゃん『<憲法の空白>を撃つ』
講演会参加者:22名 懇親食事会参加者:14名

6月・・・。
1945年6月23日「沖縄慰霊の日」=組織的地上戦が終了した日とされる。
1960年6月15日60年安保闘争、国会突入デモで東大生樺美智子さんが虐殺された。
去る6月18日、茨木市に住むワシは大阪北部地震に遭遇した。予告なしの突然地の底から突き上げるような、直下型地震を初めて体験して、家屋・家財にいささかの被害を蒙った。
原発事故・戦争・シリアやパレスチナの事態を想った。
この地震の衝撃の億倍の暴虐と悲惨の常態化が戦争だ。
ふたりのシュンちゃんの講演会場に向かった。
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三浦俊一さんは、ふた駅離れた四天王寺前の天王寺区民センターでの白井聡さんとの『9条改憲を阻止しよう講演集会』同時刻登壇がある中、時間配分をこなし往復された。
ままあるこの時期のブッキングだ。「アジール空堀」で、「もうひとつの憲法の空白」(後述)を存分に語られ、3時過ぎに四天王寺に向かわれ、アジ演説(本人談)を力強く数百人の参加者に語り、4時半過ぎに「ほっとすてんしょん」に戻られた。
早い時期の設定で講演者日程・会場都合・告知済みなどから変更できず、三浦さんにはご苦労をお掛けした。また、白井講演+デモのみなさんに、もしご迷惑をお掛けしたのなら、この場をお借りしてお詫びします。どうか、ご理解下さい。

【三浦俊一:「もうひとつの<憲法の空白>」】
9条を支点にした、1~8条の天皇条項すなわち「国体護持」と10条以降すなわち「擬制民主主義」、「国体護持と民主主義」という相容れぬはずのもののアクロバット天秤が現憲法だ。国民主権・基本的人権の尊重・平和主義を三原則にしていると喧伝される憲法によって差配される戦後レジームは、一度も確認されたことの無い「国民の総意」に基づく象徴を戴き、どこにも記載れていない「国民主権」に基づき、「基本的人権」が保障されていることにして、非戦主義ではない「平和主義」を信じて来た。
多くの空白を抱えて当然だが、最底辺{釜}~「植民地」の片隅:辺野古に身を置けば、その空白が日常的に襲いかかかって来るのが見える。加えて憲法否定が「新法」の名で施行され、閣議決定という超法規で空白だらけの憲法さえ否定されている。
沖縄の自己決定権を想えば、自ずと戦後日本の自己決定権が問われるのだ。
「もうひとつの憲法の空白」とは、特高警察など旧内務省系列の組織の公安警察への横すべだ。軍に戦争犯罪人として問責・処罰の対象となった者がいるが、内務省・特高の関係者には一人もいなかった。人的にも・組織的にもシステムとして引き継がれたのだ。まさに「国体」は護持されたのだ。731部隊は有名だが、医者・科学者・理系技術者もほとんど同様だ。
戦後は、そうやってスタートして現在にいたっている。
ワシは2015年11月南御堂会館での元東大全共闘議長:山本義隆氏の講演『理工系にとっての戦争』
を思い出していた。
『戦後、文学や芸術や映画作家の戦争責任が問われたが、理工系学者技術者の責任が問われた例をほとんど知らない。理工系こそ戦争に直接かかわっているのに、である。ここには、科学や技術の超思想性・中立性という幻想を悪用した国家イニシアティブによる「思想性」と、「学」の側の「科学技術の発展はプラス・マイナスを超えた絶対値的価値なのだ」という科学技術「信仰」が在る。ここを崩さない限り、「科学技術」根本DNAへの異論たり得ない。』
三浦氏の講演はそことも重なって迫って来る。「9条を守れ」に集約されがちな「護憲運動」に「空白」なきことの方法論が見えず語れず苦しいところだ。

sdr

【仲岡しゅん:「LGB T」と書き「LGB」と「T」の間を空ける意味】
「L」レズビアン=女性同性愛者、「G」ゲイ=男性同性愛者、「B」バイセクシャル=両性愛者は、対人的(対他的)な問題であり、「T」=トランスジェンダーは性的越境者と規定され、生まれ持った性とは異なる性で生きる者のことだ。対人的(対他的)な性的指向ではなく、「性自認」をめぐる自己規定の云わば分類だ。
「LGB T」以外にも、その他多く様々のセクシャル・マイノリティの在り方がある。そのことによって、被差別的・被抑圧的な少数者に閉じ込められるとしたら、そこに「基本的人権」の空白がある。憲法24条は『婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。』と言うが、戸籍上の性別を絶対条件としてしていると読む人びともいる。同性婚を否定する根拠とする論は、そもそも「基本的人権の尊重」の否定ではないのか?
性差別の根っこにあるのも「男女という制度」。
性的自認の獲得、性別それ自体の自己決定権を・・・。

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