TBS「親父の背中」第四話 鎌田敏夫「母の秘密」に失望

『10人の脚本家と10組の名優で10の物語を紡ぐ』と銘打ってTBSが大宣伝している日曜劇場『親父の背中』。

第四週の鎌田敏夫の『母の秘密』を観た。鎌田敏夫という名は、中村雅俊・田中健・津坂まさあき主演の、青春という「言葉」がその有効性を喪って往く時代の、最後の時間を飾った優れた青春ドラマ『俺たちの旅』(1975~76)で知った。中村雅俊歌う主題歌が好きで時々だが観るうちに、鎌田敏夫という名がインプットされて知った。小椋桂作詞・作曲のその主題歌『俺たちの旅』は、こうつぶやく。

「夢の夕陽は コバルト色の空と海

交わってただ遠い果て

輝いたという記憶だけで

ほんの小さな一番星に

追われて消えるものなのです。

背中の夢に浮かぶ小舟に

あなたが今でも手をふるようだ。(リフレイン)」

ぼくはカラオケへ行けば、「追われて消える」ことへの自覚と羞恥、「いや、消えはしないぞ」という決して他人様には通用しない意地、その両方にしがみ付いて、しばしばこの歌を唄う。http://video.search.yahoo.co.jp/search?p=%E4%BF%BA%E3%81%9F%E3%81%A1%E3%81%AE%E6%97%85&tid=9b3220cfb2834202f3b807e12d1cba3b&ei=UTF-8&rkf=2&st=youtube

 

鎌田は、その後『金曜日の妻たちへ』(1983)や『男女7人夏物語』(1986)、NHK大河ドラマ『武蔵MUSASHI』(2004)などで有名だ。倉本聰・山田太一らのように名前で視聴率を獲得できる脚本家の一人だと言われている。その鎌田敏夫だ、時間があった以上観ないわけには行かない。

ドラマは、長い間わだかまりを抱えて生きてきた父子。その父:賢三が突然、秩父札所参りに行こうと慎介を誘ってきた。親父・賢三(渡瀬恒彦)と、息子・慎介(中村勘九郎)の札所巡りお遍路の数日を描き、親父の若かりし日々・親父の亡き妻(母)への古い家父長的対応・親父への違和感を拭えない慎介の記憶・・・などが明らかになって行く。14807285524_33222dc0f2[1]

親父・賢三は学生運動~三里塚闘争~売れない運動系出版社経営~妻の死去、出版社の破綻・自宅売却、単身四国で有機農業系事業(?)をする・・・という人生を歩んだ。

第一線を退き出版社を始めていた1970年代半ばらしき賢三の自宅に、活動家が集まり口角泡を飛ばして論議する場面で、賢三の妻や子に対する家父長体質が描かれる。

妻はひたすらお茶を出し、「活動家」たちの「食事」を作り、論議には加わらない。ひっそりとキッチンに居る。来客たちもそれが当たり前だという態度で臨む。息子・慎介のテレビ音量に親父は「うるさい、静かにさせろ!」と妻を罵りさえする。

こういう人物がいなかったとは言わない、が、何か違和感がある。何だろう?

形式的には、あるいは表面的には女性を尊重しながら、奥には旧態依然たる意識を飼っていて「建て前」を演じている男、底では女の参加を認めてはいない、そんな男は(ぼくを含め)山ほどいたとは思う。けれども、そもそもこの賢三のような振る舞いの男がこの種の集まりを、批判されもせず束ねていたという「誤認」はいただけない。空回っていても、足掻いていても、客観的には「家父長」の繰り返しから出られなかったんだよお前も、と自他に言いつつも、この賢三像はいただけないと想う。10年のギャップを想う。

時代の「足掻き」に無知なひと世代前の文人が描く70年代だと思うのだ。

気になって、鎌田敏夫の生年を調べてみた。1937年生まれだ。なるほど・・・・。1960年を23歳だ。70年半ばには40歳手前だ。

ラスト近くで賢三が唄う歌がある。うたごえ喫茶に通っていた仲間が唄っていたなぁ、と感慨を込めて唄うのだが、何とロシア民謡(正確には1944年作のソ連製歌謡)『ともしび』だ。1970年代半ば、そういう希少な方が居たかもしれないが、ドラマが設定した「三里塚闘争」・・・・、そんなことは、まず有り得ない。うたごえ喫茶、「ともしび」。それは鎌田さん、それはあなたの時間だ。それはそれでいい。けれど、歌とともに時代精神・時代が格闘して辿り着こうとした内容まで10年繰り下げてはいただけない。

 

運動内部の封建や女性排除蔑視や家父長制の残滓の存在様式、その屈折度合と屈折率、それとの格闘、生年、敗戦を迎えた年齢、青春を生きた時代、妻、子ども、家庭・・・・、よほどの「当事者性」への真摯な挑みがなければ、全体が陳腐な「錯覚」に満たされた作品になってしまうということの見本のようなドラマだった。格闘した男女に失礼ではないか!

だから、母に「頑張っているお父さん」が夢を遂げることが自身の夢だった、に近い言葉を吐かせ、ラストで息子はそんな両親に対して「父には父の、母には母の人生があったのだ」と全的に納得肯定するのだ。それは作者の言い分でもある。

冗談ではない。作者によって、親父は大切なことへの自省の回路を奪われ、母は「では、貴女の人生はどうありたかったのか?」への願望も示せない位置に閉じ込められるのだ。

鎌田さん、腹の底から語れる課題や、怒り・哀しみ・歓びを共有できる世界を扱うか、さもなくば、よほどの感情移入の果てに獲得した相対化を語れるテエマを書くべきでしょう。もっとも、ぼくなどにはそれができないのですが・・・。けれど、「錯覚」はいけません。

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