交遊通信: あるときひとり静かにすわって

現場の工程変更で4~5日間の0FFとなり、従来なら東京に留まるのだが、                                                                                                                                             友人の「苦境」(?)に何か手を差し延べることが出来るかもしれない、という思い上がりもあって帰阪した。                                                                                                                                                                              その「苦境」は当人自らが自力で脱出しつつあるようなので、僭越だが見守ることとした。ぼくこそ、妻や誰彼に見守ってもらっているのだから…。                                                                                                                                   金曜日中に帰京する。週末から次の現場だ。img_557375_8199561_0[1]

ところで、その友人に、そして誰よりもぼく自身とFB中毒(?)の「友達」に、                                                                                                   昔読んだ衣更着信(きさらぎ・しん、「荒地」同人。1920~2004)の詩を・・・。                                                                                                                                                                                      故:吉本隆明はこの詩についてこう言っていた。                                                                                                                                    「出来上がった芸術が何ごとかを伝えるとすれば、コミュニケーションによってではなく、ディスコミュニケーションによってである」。(衣更着信の詩が優れているのは、)「芸術の本質を」「ひとり静かにすわっていること、とか、何も産まないことにおいてかんがえているからだ。」と。

 

芸術   衣更着信                                        

どうしてこんなに子どもを産むのだろう

ぼくにはわからない

ぼくにはやりきれない

 

戦争を避難して行く荷車のうえでさえ

若い女がお産をしている

夏の雷のように砲声

彼女の夫は列のなかにはいない

居合わせた人たちの

だれが世話をするのか

 

あられが走る麦畑のなかで

中年の農婦が産気づく

農具をまとめて彼女は足ばやに帰る

彼女は経験から自分でしまつする

 

アパートでは若妻が

森のなかではインディアンが

特急列車では女の子を連れた人妻が

砂漠ではジプシーが

 

どうしてこんなに子どもを産むのだろう

産むことはそんなにほめたことじゃない

 

あるときひとり静かにすわって

なにも産まないことを誇れ

 

 

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