「ホームにて」立ち尽くしていた ××××労組 「四人娘」

目黒の徹夜現場の早朝、翌日の職人さんが来る午前7時までの2時間、睡魔に襲われ仮眠した。そして、夢を見た。

30年以上前の、ばくたちの勤務職場が健在だった頃の光景だ。組合メンバーが実際より活き活きと働いている。争議の戦術を巡り延々と大声で言い合っている。そこに居た四人の女性が「解かってくれない」と呟いている。ぼくのことらしい、と思った。                                                                          やや遅れ気味の現場、朝からの大量のLGSとボードの搬入でくたびれて辟易した現実と、30数年前の様々に迷走した争議と自主経営が混在して、夢は何の結末もないまま職人さんに起こされて断たれた。あのまま見続けていたら、どんなラスト・シーンだったのだろう。ヨネミヤ画像

1977年2月、勤務していた会社が恒常的な労使紛争から双方の物理力まで動員した攻防を経て、破産した。ぼくら組合は、職場をバリケード占拠して、自主経営に向かう。                                                                                                                                                                                                      1982年、五年間の職場バリーケード占拠の後、旧経営者の謝罪文書と破産管財人からの解決金を得て、社屋から撤退する。その後も素人経営を続け、労働の「ろ」の字、組合の「く」の字が深く意味するところさえ理解できず、ただただ「喰うために」20年強を生きた。                                                                                                                       1998年、その企業も破産する(経営者たるぼくの無思索・無方針・無謀・無力・俗欲による)。                                                                                                                  *参照: http://www.yasumaroh.com/?p=16412

労働争議に限らず、数十年経ってみれば、事柄の時系列的な経過や折々の「いきさつ」、そこで「そうした」理由やそこで「こう考えた」理路などは霧散し、香りのような・椅子の脚にぶつけた足の小指の痛みのような・雑踏に消え入る大切な人のか細い声のような、「言葉ではないもの」、身体的・五感的な遠い記憶となって身のうちに沈んで行く。                                                                                                               たぶん、それを言葉化するのは容易ではなく、一篇の「詩」か、あるいは真逆の社会科学書としてなら可能かもしれない。だが、ぼくは「詩」を書ける者ではないし、社会科学書は頭の回路がよく言えば「映画ファン的」乃至「劇画マニア」的でいっそう書けない。そう言っては、映画ファンにも劇画マニアにも失礼なので、漫画的いやマンガ・チックと言うのが適切か? 加えて、何々「録」として書くほどの「争議」であった訳でもない。                                                                                                    争議の詳細や武勇伝(?)や敗走劇(?)・自主経営の「凸凹譚」「ドタバタ劇」は、物好きな者には「おもしろい」かもしれないが、まぁどこにでも在る類のシロモノで、そこから抽出し辿るべき「論」を未だ整理中の身には永遠に書けないだろう。

70年代半ば結成のぼくらの組合には、支援してくれた個人や他組合の記憶に残る四人の若い新入女性社員が居た。                                                                                                                                                    彼女たちは、会社が「初めて」ヨンダイ=四年制大学卒者から採用したという女性たちで、それぞれ国立大や有名私大を出た女性たちで(有名校賛美ではありません)、誤解を恐れながら言うのだが、労組が怯まず(いや怯みながら)破産争議・労組自主経営に向かったのは、                                                                                                                この四人の存在が大きく作用したからかもしれない。 四人娘                                                                                                                                                                   地域の有名な某労働運動家に言わせれば、「諸君はこの娘たちの前ではみっともない選択は出来ない、みたいな心理作用の中に居たのでは?                                                                                                                                       中に居れば判らんやろけど、外から見ると、それほどあの四人は輝いていた。」のだそうだ。いささかオーバーだし、若かった男性組合員は怒るかもしれない。だが、ぼく(ぼくだけだとしても)はその指摘を認めたい。年齢はぼくより4~5歳下だった。彼女たちは、入社間もなく争議に直面したわけだ。(ぼくは大学中退の後、いくつかの会社を渡り歩き、前年その社に潜り込み、彼女たちの入社を迎える立場だった。)                                                                                                                                                                                              鳴り物入りで採用され、会社が言う「聡明で、おしとやかで、勤勉従順・才色兼備」(?)の、期待の「ヨンダイ」卒の「お嬢さん」(?)たちは、                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                           騒然たる情況下に、家・会社・上司・入社時の紹介者・保証人など総掛りの説得に応ずるのではなく、そろいも揃って頼りなく悪評にまみれた「ゴクサ」労組の側に身を置くことを「選び取り」、入社以来の会社秩序の側の暗黙の期待圧力をものの見事に砕いて見せたのだった。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                           余談だが、「ゴクサ」と言うのは「極左」=キョクサのことで、経営者がそれを「ゴクサ」と言って内外にキャンペーンを張っていたのだ。まぁ、「極道」と「左翼」からの造語だとしたら、そのセンスを褒めてやりたいが、どうやら勘違いだったようだ。その過大な評価(?)に基づく恐怖が、暴力装置(自称警備課、20~30年代フォード社版のミニチュア・擬似ソフト版)の新設と、それへの抵抗戦からその後の混乱が会社破産への入口だった。

職場バリケード占・・・。それは、『街宣車で吠えるのが「右翼」、大学をバリケード封鎖していたのが「左翼」』などという当時の「通説」に塗れた「外」との対処に付きまとう、リスクとの直接の向き合いだっただろう。言い換えれば、その構えは、そういうリスクを取ることの無い者の机上の「説」との、ある種の「訣別」だった。それが「右翼」でも「左翼」でもなく「組合的」なる構えの根幹だとしたら、「単なる民主主義者やんけ」との雑評に申し上げたい。民主主義なるものは、上述したリスクをとることや、あるいはある「訣別」の上にこそ成り立つのだ、と。                                                                                                                                                            日本国憲法97条が言う通り、それは「人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて」 今も今後もその「努力」によって成り立つ。                                                                                                                                           ぼくなら、その「多年にわたる努力」に一揆や明治自由民権一揆、パリコミューン、近現代の労働組合運動史などを想い起こすが、リベラルを自認する者の思考の多くでは、民主主義やリベラルという語が市民の闘いとクロスすることなく語られている。                                                                                                                                                                                                彼女たちは、間違いなく「私」「個」の確立へ向かう(へ向かいたい)自立希求と、「全体」「社会」を想い連帯を構想する(構想したい)気概を抱えて生きていた。想いを持って社会に出で、いきなりゴクサ労組・破産争議に出遭い、「なりたい自分」へ向けた「キャリア・アップ(?)」「労働」観(内容・職種・質)を一時棚上げして争議に臨み、輪番でのバリケード占拠中の社屋泊り込みも果たしたのだ。                                                                                                                                                                                                     二十代半ば未婚女性の各種「圧力」の中でのそうした苦渋の選択は、やはりおそらく「希少」で得難いものだったのだ、とその後30数年を生きて多くの人(男・女)と出会い見聞きし知り、改めてそう思う。                                                                                                                                                                                                                                                                                                              当時は、褒め言葉というか・激励慰労の言葉というか・評価している風の言葉を、ただの一度も吐けなかった。ガキだったなぁ~~。60代半ばの今なら、20代半ばの「当時の」彼女たちにその言葉をハッキリ言える。(ぼくの「気付き」は、いつも遅すぎる)                                                                                                                                                                                                                                                                                                                     自主経営は極端な低賃金(数年後に世間並みとは言わないが、そこそこの手取額になったが)、望まない業務、展望や目的の不鮮明に終始したが、彼女らは苦渋の選択のかなで、保母・教職・一級建築士・デザイナーなど「なりたい自分」を求めて去って行ったり、去らなかったりした。いずれであれ、彼女たちは中島みゆきが語るところの「ホームにて」、熟慮していたのだ。  http://www.yasumaroh.com/?p=6603 )                                                                                                                                                                             それぞれに結婚し、子を得て、現在60歳を超えているはずだ。久しく会っていないし、たぶんぼくが「同窓会」を企画して呼びかけたとしても出てこないだろう。                                                                                                                                                           ぼく同様「争議と労組自主経営」の光と影への、いささかの矜持と自分に返って来るしかない問いへの悔情を抱え、「整理がつかない」「整理を、大きな存在へ委ねなどしない」という、ある種の「誠実」を生きていよう。

組合は、争議の労働組合運動的成果や欠陥、自主経営の経済的明暗のアレコレを綴れても(それは、極論すれば二義的でさえある)、                                                                                                      熊沢誠が語り続けている『どのような組合的「労働観」を提示した(しようとした)のか? あるいはどのような「協働」の関係を築けた(築こうとした)のか?』についてほぼ「未着手」「未達成」だったと認めたい。もちろん、それを保障する「経済的」基礎が最重要なのは言うまでもないことだ。                                                                                                                                                                                                                                                                                組合の、争議と自主運営の迷走の時間は、彼女たちに(ぼくや、ぼくらにも)、労働の組合的意味・自己を表現できる労働・自己未来への構想を、その片鱗を、垣間見せることが出来ただろうか。それがあるなら悔いることを止めたい、未来を見たい。なぜなら、

彼女たちもぼくらも、今の世なら「非正規労働者」だ。現在、、実体経済ではなく一部のグローバル企業と投資家だけが儲かるアベノミクスという「カラクリ」「カラ景気」の中、企業は「人材派遣会社から人という原材料を都度調達すればいいのだよ」と「公認」をもらい、業績に応じて必用部署・人員と人件費の呼吸をし、参院選後には、「労働移動支援型雇用」という名の「金銭解雇=解雇の自由」や、「限定正社員制度」という名の、条件を付けた雇用=買い叩き、解雇や契約打切りを安易にする「準社員制度」が待っている。若者を取巻く働く環境は、全企業総ブラック企業化と言うべき新自由主義型労政の進行の中、ぼくらが被った『団結権否認』が社会丸ごと「当たり前」のことのように野放しにされている。                                                                      四人娘を含むぼくらの労組の、当時は当然ではあっても、そしてたとえ失意と混迷にまみれたとしても、今や牧歌的でさえあろう労組の物語を味わえたことの今日的意味を噛み締めたい。四人娘の気概を今に語りたい。それは、『ノン・エリートの自立』(熊沢誠)への挑みだったと思いたい。                                                                                                                   どこかの経典になぞらえるなら、それこそ、「全国2000万非正規労働者、団結せよ」だ。

次回、彼女たちとの30数年前の私的会話の、忸怩たる記憶を書いてみようと思う。                                                                                若かった彼女たちと同じく(ではなく、それ以上に)幼かった自身を晒すことになるのだが。

 

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